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2023年2月12日 (日)

マタイ16:27 キリスト者に与えられる報酬

 マタイ1627には、“人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。”(2017)と記されています。

 救いと報い(報酬)とは異なります。

 ここでいう「救い」とは、罪に対する神の御怒りからの救いについてのことです。
ローマ321-31をリビングバイブルは、次のように意訳しています。
21.22 しかし今、神は、別の救いの道を示してくださいました。その新しい道は、「善人になる」とか、律法を守ろうと努力するような道ではありません。神は今、「もしあなたがたが、イエス・キリストを信じるなら、あなたがたを受け入れ、罪のない者と宣言する」と言われます。どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じるという、この方法によって救われるのです。
23
すべての人は罪を犯したので、神の標準にはほど遠い存在です。
24
けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じるなら、このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
25
神はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪に対する償いをさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。神は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とを用いられました。たとえ、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神は完全に公正であられるのです。キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神は待ち望んでおられました。
26
そして今日も、神はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。イエスが彼らを、義と認めてくださるためです。しかし、このように罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神の公正なやり方に反するのではないでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエスを信じたという事実に基づいて、神はそうなさるからです。
27
それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。
何もしていません。
なぜでしょう。
私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。
それは、キリストが成し遂げてくださったことと、キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。
28 つまり、私たちが救われるのは、キリストを信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではないのですから
29
神はこの方法で、ユダヤ人だけをお救いになるのでしょうか。
いいえ、それ以外の外国人も、同じようにして神のもとに行くことができます。
30
神はすべての人を全く平等に扱われます。ユダヤ人であろうと外国人であろうと、人はみな、信仰によって救われて正しい者とされるのです。
31
それでは、信仰によって救われるのなら、もはや律法に従う必要はないことになるのでしょうか。
いや、全く違います。
私たちはイエスを信じてこそ、ほんとうに神の命令に従うことができるのです。”と記しています。

 救いは、恵みと信仰によりましたが、報酬(報い)は行いによります。
今日の聖句は、“人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。”(2017)となっています。

 キリスト者の報いについてのいくつかの聖句を下記することにします。
 マタイ510には、“義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。”(2017)と記されています。

 マタイ51112には、“わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。”(2017)と記されています。

 マルコ941には、“まことに、あなたがたに言います。あなたがたがキリストに属する者だということで、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがありません。”(2017)と記されています。

 ローマ44には、“働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払われるべきものと見なされます。”(2017)と記されています。

 1コリント39-15には、“私たちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。私は、自分に与えられた神の恵みによって、賢い建築家のように土台を据えました。ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかは、それぞれが注意しなければなりません。だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。”(2017)と記されています。

 2コリント510には、“私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです〔体を住まいとしていた間に行ったことに応じて、一人ひとり報いを受けなければならないからです(フランシスコ会訳)〕。”(2017)と記されています。

 2テモテ46-8には、“わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのを ひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。”(新共同訳)と記されています。

 黙示録2212には、“ごらんなさい。わたしはすぐに戻って来ます。その時、それぞれの行ないにふさわしい報いをもたらします。”(リビングバイブル)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
黙示録210には、「死に至るまで忠実でありなさい。」とあります。
あなたを愛し、あなたに従い続けるものとして歩ませてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

ローマ4:4の聖句、私はまだ前後を含めないと、働いたんだから支払われて当然!と捉えてしまいそうになりますが、どれも、何時でも、どんな時でも、主であるイエス様を信じていれば、全ての事に変化が生じてゆく、変えてくださっているという事を実感し、ローマ4:4以降に記載してくださっている聖句の意味がわかり始めます。まだ、その様な段階ではありますが…。従い続けて歩んでゆき、主が来られるのを待ち望みます。

自分のペースで歩んでいくのが一番良いですよ。

シンプルに…そうですね。

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