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2023年2月 7日 (火)

箴言21:2 主は心を見る

 箴言212には次のように記されています。
新改訳2017は、“人には自分の歩みがみなまっすぐに見える。しかし、主は人の心を評価される。”と訳し、
聖書協会共同訳は、“人の道は自分の目にはすべてまっすぐに映る。しかし主は心の中を調べる。”と訳し、
口語訳は、“人の道は自分の目には正しく見える、しかし主は人の心をはかられる。”と訳し、
リビングバイブルは、“どんな行いでも、もっともらしい理由をつければ正しく見えますが、神はどんなつもりでそうしたかを見ます。”と意訳しています。

 この聖句のヘブライ語の文章を、2017も聖書協会共同訳も口語訳もほぼ直訳していると思います。

 聖書協会共同訳によるこの聖句の前半部分の訳は、“人の道は自分の目にはすべてまっすぐに映る。”とあります。
「自分の道は(将来の方向性は)これで間違いがない」、と思える人もいるでしょうが、現代では、様々な情報を知ることが出来ますから、「自分の歩みはこれで良いのだろうか」、いや、「別の道の方が良かったのではないだろうか」、と考えてしまう人も多いのではないかと思います。

 聖書協会共同訳によるこの聖句の後半部分の訳は、“しかし主は心の中を調べる”、と記されています。
ですから、これからの道(方向性)を選ぶとき、その選択の動機が、主に喜ばれるものなのかどうかを熟考する必要がある、ということを教えてくれているように思います。

 2017訳の前半部分は、“人には自分の歩みがみなまっすぐに見える。”と訳されています。
前述したように、ヘブライ語聖書はこのようにも訳せます。
誰もが、“自分は正しい歩みをしている”とは思わないでしょう。
この世で生きていくのに、“自分は正しい歩みをしている”と思える人は幸いな人です。人の役に立ち、他者に害を与えることなく、それで生活していくことが出来る、という歩みをすることのできる職種ばかりではないでしょう。

 箴言212の後半部分を、
2017
は、“しかし、主は人の心を評価される。”と訳し、
聖書協会共同訳は、“しかし主は心の中を調べる。”と訳し、
口語訳は、“しかし主は人の心をはかられる。”と訳しています。

 人に迷惑をかけない、人のためになるお仕事をしていたとしても、それは100%自分の為、という場合もあります。
そのような場合、箴言212の後半部分の聖句にあるように、主に心の中を点検されたら、0点になってしまうかもしれません。

 私は、ヨハン・セバスティアン・バッハの作曲のときの心のありように教えられます。
バッハの楽譜の初めには、「JJ」と書いてあるそうです。これは「Jesu Juva」、「イエス様、お助けください」という意味だそうです。
そのようにして、作曲を始めるのでしょう。
そして、作曲を終えた楽譜の最後には、「SDGL」と書いてあるそうです。「Soli Deo Gloria」、「ただ神にのみ栄光」という意味だそうです。

 詩篇291.2には次のように記されています。
1 力ある者〔別訳「神」(筆者挿入)〕の子らよ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に帰せよ。栄光と力を主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に帰せよ。
2
御名の栄光を主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に帰せよ。聖なる装いをして主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕にひれ伏せ。”(2017)とあります。

 バッハはその様に作曲していたのですね。
ハレルヤ!

 ローマ1215には、“喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。”(口語訳)と記されています。
隣人に共感して、喜ぶ、泣く、というだけではなく、その人の気持ちを汲んで、愛の観点から、ことを行うことが出来ていますか、ということも問われているのだろうと思います。
私の場合は追試です。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたは全能の神です。
あなたに喜ばれる歩みを具体的にしていくことが出来ますようお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

真ん中辺りに後半部分を書いてくださっている〝箴言21:2の前半部分を・・〟となっておりました。
人の為と思っていても、自分の為だったということもあれば、自分の為に行っていたら人の為になっていたということもあり、何時も物事の結果にばかり目を向けていました。
今、〝心〟に問いかけてみると、全く成っていないということに気づかされます。
特に最近は神様が抜けている事に気付かされる事が多かったので、事をすすめる毎に神様に先ず祈るという段階が精一杯な私です。
私の心は主に向いているのか?主に従っているのか?という問い掛けを行い始めてから、ほんの少しの時間が経つ中で、本当の自分の心が見えてくるのだと思いました。とても時間がかかり、苦しみや痛みも生じたりしますが、本当の自分の心が見えた時は喜びに涙出ます。(抜け落ちている事の方がまだまだ多いです)
作曲家バッハのお話しを記載してくださった箇所を読むと、なるほど、やはり…と思いました。だから心地よくなるのですね。(ちなみに私はベートーヴェンが好きです)
その時代から残る曲や絵などは、神様にささげられているから世代を超えて残っているのでしょうね。感動をくださいます。

ありがとうございました。
早速直しておきました。
本当にバッハの姿勢は素晴らしいですね。
バッハの曲で好きなものももちろんいくつもありますが、私もベートーヴェン派の方ですね。

曲や絵、文字や言葉など、思いを形にできるという事は神様からの贈り物ですね。
私にはその様なものは与えられませんでしたが、聞くことや見ることや感じることができます。それは神様からの贈り物なのでとても感謝です。

ハレルヤ!

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