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2023年2月 6日 (月)

詩篇53篇 無神論者の驕(おご)りと不幸

 詩篇53篇には次のように記されています。
1 指揮者によって。マハラトに合わせて。マスキール。ダビデの詩。
2
 愚か者は心の中で言う。「神などいない」と。彼らは堕落し、忌むべき不正をなす。善を行う者はいない。
3
 神は天から人の子らを見下ろし、神を求める悟りある者はいないかと探られる。
4
 彼らはすべて背き去り、ことごとく腐り果てた。善を行う者はいない。一人もいない。5 悪事を働く者たちはこのことを知らないのか。パンを食らうように私の民を食い尽くし、神を呼び求めようとはしない。
6
 恐れる必要のないところで、彼らは恐れおののいた。神が、あなたに対して陣を張る者の骨をまき散らしたから。神が彼らを退けたので、あなたは彼らを辱める〔あなたは彼らを辱めた(2017)〕。
7
 シオンからイスラエルに救いがもたらされるように。神が民の繁栄を回復されるとき、ヤコブは喜び躍り、イスラエルは喜びに包まれる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 口語訳、新改訳は、1節を表題として、1節とはしていませんので、1節分、節がずれています。

 “善を行う者はいない”(2.4)と記されている中の「善」と訳されている語のヘブライ語原語は「トーブ」で、基本的には、good good thingの意です。

 6節の「骨」と訳されている語のヘブライ語原語は「エツェム」で、骨の意ですが、からだ(body)の意でも用います。

 2節に「愚か者」という語がります。ヘブライ語では「ナーバール」といいます。
1サムエル25章に、「ナバル」という名の人が出て来ます。
この人は、非常に裕福な牧羊家で多くの使用人を抱えて羊の世話をさせていました。
この集団を、ダビデはナバルから頼まれたのではないのですが、守ってあげていたのです。ダビデが守ってくれていたので羊が守られているということを使用人たちは知っていました。使用人たちの証言は、「あの人〔ダビデ(筆者挿入)〕たちは私たちにたいへん良くしてくれたのです。私たちは恥ずかしい思いをさせられたこともなく、私たちが彼らと野でいっしょにいて行動を共にしていた間中、何もなくしませんでした。私たちが彼らといっしょに羊を飼っている間は、昼も夜も、あの人たちは私たちのために防壁となってくれました。」(1サム2515.16・新改訳2017)というものでした。

 ダビデは、ナバルの羊の毛の刈り取りの祝いに、10人の若者を遣わし、若者たちに、ダビデの名で安否を尋ね、あいさつをし、次のように言わさせたのです。
「あなたに平安がありますように。あなたの家に平安がありますように。また、あなたのすべてのものに平安がありますように。今、羊の毛を刈る者たちが、あなたのところにいるのを聞きました。あなたの羊飼いたちは、私たちと一緒にいましたが、彼らに恥じをかかせたことはありませんでした。彼らがカルメルにいる間中、何かが失われることもありませんでした。あなたの若者に尋ねてみてください。彼らはそう報告するでしょう。ですから、私の若者たちに親切にしてやってください。祝いの日に来たのですから。どうか、しもべたちと、あなたの子ダビデに、何かあなたの手もとにある物を与えてください。」(1サム256-8・新改訳2017)と。
 それに対するナバルの答えはひどいものでした。ダビデを侮辱して若者達を追い返したのです。
 それを見ていたナバルの使用人の一人が、見目麗しく聡明なナバルの妻アビガイル(253)に、次のように告げたのです。
「ダビデがご主人様に祝福のあいさつをするために、荒野から使者たちを遣わしたのに、ご主人様は彼らをののしりました。あの人たちは私たちにとても良くしてくれたのです。私たちは恥をかかされたこともなく、野で一緒にいて行動を共にしていた間、何も失いませんでした。一緒に羊を飼っている間は、夜も昼も、彼らは私たちのために防壁となってくれました。今、あなたがどうすればよいか、よく考えてください。わざわいがご主人とその一家に及ぶことは、もう、はっきりしています。ご主人はよこしまな方ですから、だれも話しかけることができません。」(1サム2514-172017)と。

 これを聞いたアビガイルは、早速ダビデの所に行き、ダビデの足もとにひれ伏して次のように嘆願したのです。
「ご主人さま。あの責めは私にあります。どうか、このはしためが、じかに申し上げることをお許しください。このはしためのことばをお聞きください。ご主人さま。どうか、あのよこしまな者、ナバルのことなど気にかけないでください。あの者は名のとおりの男ですから。彼の名はナバルで、そのとおりの愚か者です。はしための私は、ご主人さまがお遣わしになった若者たち会ってはおりません。ご主人様。今、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられます。あなたのたましいも生きておられます。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、あなたが血を流しに行かれるのを止め、ご自分の手で復讐なさることを止められました。あなたの敵、ご主人様に対して害を加えようとする者どもが、ナバルのようになりますように。今、はしためが、ご主人さまに持ってまいりましたこの贈り物を、ご主人さまにつき従う若者たちにお与えください。」(1サム2524-272017)と。
嘆願はまだ続きますが、この様にアビガイルが語ったことによって、ナバルの使用人たちは誰も殺されずに済んだのです。ナバルは、10日後に、ヤハウェ(主)によって命を取られました(1サムエル2538)。

 聖書に、ナバルという愚かな人の話があるので上記しましたが、同じように、この世に、「神はいない」というナーバールな人がいるのです。
神様を知る前の私も同じようにナーバールでした。
2
節に、“愚か者は心の中で言う。「神などいない」と。彼らは堕落し、忌むべき不正をなす。善を行う者はいない。”とありますが、私も、創造主なる「神などいない」と大言壮語していた者であったのです。
なんと恩知らずな言葉を発していたのかと思います。

 万物は、御父の御計画に従い(ローマ1136)、御子にあって御子のために御子によって造られたのです(コロサイ116)。創造の御業には御聖霊も関与されたことでしょう(創世記12)。
 最大の罪は創造主にして救い主、主である神を認めないことです。
父なる神を正しく知るためには御子を知る必要があるのです。
しかし御子イエス・キリスト様を知るためには聖霊の働きが必要なのです。

 ヨハネ168.9には次のように記されています。
8 その方〔聖霊(筆者挿入)〕が来れば、罪について、義について、また裁きについて、世の誤りを明らかにする。9 罪についてとは、彼らが私〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を信じないこと、”(聖書協会共同訳)とあります。
 
 1コリント12:3には、“そこで、あなたがたに言っておきます。神の霊によって語る人は、誰も「イエスは呪われよ」とは言わず、また、聖霊によらなければ、誰も「イエス は主である」と言うことはできません。”(聖書協会共同訳)とあります。

 マタイ1127には、「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。」(新共同訳)と記されています。

 創造主なる神様を信じない人は、ヒューマニズム的に良い人だと言われるような人でも、神様の御前では善なる人ではないのです。

 7節に、“・・・神が民〔イスラエル12部族の民(筆者挿入)〕の繁栄を回復されるとき〔キリストの地上再臨後に起こります(筆者挿入)〕、ヤコブは喜び躍り、イスラエルは喜びに包まれる。”と記されています。
この時、無神論者であった人も、創造主なる神を知ることになるでしょう。
無神論者で、それ以前に死んだ人も、「死んだら終わり、何も残らない。」と思っていた人も、まことの神を知るのです。

 ピリピ2章には次のような聖句があります。
6 キリストは神であられるのに、神としての権利を要求したり、それに執着したりはなさいませんでした。
7
かえって、その偉大な力と栄光を捨てて奴隷の姿をとり、人間と同じになられました。
8
そればかりか、さらに自分を低くし、犯罪人と同じようになって十字架上で死なれたのです。
9
しかし、それゆえに、神はキリストを高く天に引き上げ、最高の名をお与えになりました。
10
それは、その御名のもとに、すべてのものが天でも地でも〔「地下でも」が抜けています。リビングバイブル旧版には入っています(筆者挿入)〕ひざまずき、
11
すべての口が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。”(リビングバイブル)と記されています。

 唯物論者、無神論者、創造主を否定する進化論者でも魂は持っているのです。
イエス・キリスト様を自分の救い主、主として地上にいる間に信じないと、死後、地下の国で「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神をほめたたえることをせざるを得なくなるのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
私も地下の国、すなわち地獄で、無理やり「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神をほめたたえざるを得なくなるような人間でしたが、あなたの憐れみによって、イエス様を信じさせていただけましたことを感謝します。
今や地上において喜びをもって主をほめたたえ、肉体を脱いだ後には、天において主をほめたたえることが出来ますから心から感謝します。
まだ主イエス様を信じていない人が、イエス様を求め始めますように。
求める者は与えられるのですから(マタイ77)。
あなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

6節の〝恐れる必要のないところで、彼らは恐れおののいた。神が、あなたに対して陣を張る者の骨をまき散らしたから。神が彼らを退けた〟
神様が事を行ってくださっているのは感じているのに、恐れてしまう私はまだまだ信仰が弱いのだと思います。
そして、以前は「死んだら終わり、何も残らない。」と思っていました。
私は何度か命を救われているので、その度に見えない霊的な存在があるということを知っていたにもかかわらずに、です。
その存在は不明確でしたし、神様というボンヤリな感じな為に、何度も命を落としそうになっていたのかもしれないです。
主に呼ばれているのに、変化する事に恐れを抱いてしまう私は遠回りしているかもしれません。
そして何度も何度も大切な存在の方からも、信じた方がいいと語りかけてくれたのに、中々一歩を踏み出す勇気がありませんでした。
それが神様のタイミングなのかな?とも思いますし、今、日々の学びにも不思議さを感じながら学ばせていただけ、感謝しております。(学ぶ事に熱心になった事がありませんでしたので)

毎日御言葉にふれることが出来るのは主の恵みですね。

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