« 箴言21:23.24 災いにあいにくい口と災いにあい易い口 | トップページ | 申命記8:4 必要を満たしてくださる主 »

2023年3月 8日 (水)

マタイ18:6-9 キリスト信者を躓かせる者への災い/キリストに在って生きる

 マタイ186-9には次のように記されています。
6 「しかし、私を信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、ろばの挽く石臼を首に懸けられて、深い海に沈められるほうがましである。
7
 人をつまずかせるこの世に災いあれ。つまずきは必ず来るが、つまずきをもたらす者には災いがある。
8
 もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になって命に入るほうがよい。
9
 もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。両目がそろったままゲヘナの火に投げ込まれるよりは、一つの目になって命に入るほうがよい。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所は、第一に、主イエス様を心に受け入れた信仰者をつまずかせるような者は、主なる神様から、取り返しのつかない災いを受けることになる、と記されています。
その罪の罰というのは、重い石臼を付けられて深海に投げ込まれて二度と上がって来ることの出来ないような災いよりも、さらにひどい罰を受けるということです。

 次に、主イエス様は、「人をつまずかせるこの世に災いあれ。」(7)と語られました。
このような御言葉は人としてのイエスの言葉ではないでしょう。神のひとり子の御子であられる神の第二位格の神としての主イエス・キリスト様の御言葉でしょう。御子は御父のみ旨を語っていたのです。
ヨハネ1410.1124には次のように記されています。
10 私が父の内におり、父が私の内におられることを、信じないのか。私があなたがたに言う言葉は、勝手に話しているのではない父が私の内におり、その業を行っておられるのである
11
 私が父の内におり、父が私の内におられると、私が言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
24
 私を愛さない者は、私の言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は私のものではなく、私をお遣わしになった父のものである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 神ヤハウェ(主)が語りだされた御言葉は必ず成就します。
イザヤ5511には、“わたしの口から出る言葉は、わたしが望むことを行い、わたしが託した使命を成し遂げずに、むなしくわたしに戻ることはない。”(フランシスコ会訳)と記されています。
天において御父の近くで仕えている大天使ガブリエルも次のように語っています。
「それ、神の言{原語は「レーマ」でことば}には。能はぬ所なし」(ルカ137・文語訳)と。

 黙示録18章と黙示録2011b及び2ペテロ310からは、この世が消滅させられていることを見ることができます。
今や、私たちキリスト者を取り囲んでいる多くのこの世のものは、躓きをもたらすものです。
罪に満(み)てる世界、そこに住むキリスト者という構図です。

 8.9節には次のように記されています。
「もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になって命に入るほうがよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。両目がそろったままゲヘナの火に投げ込まれるよりは、一つの目になって命に入るほうがよい。」と。

 イエス様が語られたことを肉体に対して実行したら、体のどこが残るのでしょう。人は生きてはいけません。
キリスト者に対しても、主イエス様は、このことを語られたのです。
強調法としての語り方であったのでしょうか。
そうではないと思います。
イエス様の十字架と復活後、このことが可能となったのです。
 ガラテヤ524.25には、
24 キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。25 私たちは霊によって生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか。”(聖書協会共同訳)とあり、
 コロサイ31-11には、
1 あなたがたはキリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
2
 上にあるものを思いなさい。地上のものに思いを寄せてはなりません。
3
 あなたがたはすでに死んで、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているからです。
4
 あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。
5
 だから、地上の体に属するもの、すなわち、淫らな行い、汚れた行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかなりません。
6
 これらのことのために、神の怒りが不従順の子らの上に下るのです。
7
 あなたがたも、以前このようなものの中に生きていたときは、そのように歩んでいました。
8
 しかし今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、冒涜〔別訳「悪口」(欄外注)〕、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。
9
 互いに噓をついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て10 新しい人を着なさい。新しい人は、造り主のかたちに従ってますます新たにされ、真の知識に達するのです。11 そこには、もはやギリシア人とユダヤ人、割礼のある者とない者、未開の人、スキタイ人、奴隷、自由人の違いはありません。キリストがすべてであり、すべてのものの内におられるのです。”(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
キリストに在って生きる恵みを与えられていますことを感謝します。
あなたが与えてくださっておられる恵みを大切にして歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

« 箴言21:23.24 災いにあいにくい口と災いにあい易い口 | トップページ | 申命記8:4 必要を満たしてくださる主 »

日ごとの恵みⅪ」カテゴリの記事

マタイによる福音書」カテゴリの記事

コメント

きちんと学んだ事がありませんでしたが、今日、思ったのは、キリスト者(御父をも信じる方たち)に対して、躓き、邪魔をする人に対しての災いという事を、主に語ってくださったと捉えてよいでしょうか?
イエス様の教え通りには、中々生きる事は出来ず、日々の生活の中で些細な事迄も、主に嘆願し、罪の告白をし、祈ります。
それでも又…といった感じです。
以前、躓きを与えてくる人がいてその人に対しても親切であらねば…と思っておりましたが、その様にしていたら私の心はボロボロになりましたので、今は主に嘆きます。
私は上手く立ち振る舞う事ができませんので、この世にいる時は一人となる方が多くなってしまいます。そのうち神様が共に歩める方を与えてくださる事を待ち望みつつ、歩み続けたいと思います。

心がボロボロになる必要はありませんから、祈りつつできる範囲の歩みを続けてください。

救われます、ありがとうございます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 箴言21:23.24 災いにあいにくい口と災いにあい易い口 | トップページ | 申命記8:4 必要を満たしてくださる主 »

カテゴリー

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ