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2023年3月16日 (木)

マタイ18:15-20 教会内における兄姉が罪を犯したときの対処方法/叶えられる祈り

 マタイ1815-20には次のように記されています。
15 「きょうだいがあなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところでとがめなさい。言うことを聞き入れたら、きょうだいを得たことになる。
16
 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の人の証言によって確定されるようになるためである。
17
 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
18
 よく言っておく。あなたがたが地上で結ぶことは、天でも結ばれ、地上で解くことは、天でも解かれる。
19
 また、よく言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を合わせるなら、天におられる私の父はそれをかなえてくださる。
20
 二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 除籍処分にかかわってくるようなとても重い内容です。
なぜそのようなことが言えるかというと、18節に、“「よく言っておく〔原語を交えて直訳すると「アーメン、私{主イエス・キリスト}は言う」となります(筆者挿入)〕。あなたがたが地上で結ぶ〔「つなぐ」(2017)〕ことは、天でも結ばれ、地上で解くことは、天でも解かれる。」”と記されているからです。

 重い内容なので、BIBLE navi の解説を転記します。
“「つなぐ」「解く」とは、争いにおける教会の決定のことである。信仰者は、教会の責任ある指導者を超えて裁判所まで行くことはない。理想的には、教会の決定は、神によって導かれ、神のみことばに見出される原則に基づいているべきである。それゆえ信仰者には問題を教会にもっていく責任があり、教会には、神の導きを用いて衝突解決に努める責任がある。神の方法で問題に対処することは、今、そして永遠に影響を与える。”と記しています。

 次に15-17節の解説についてBIBLE naviは、次のように記しています。
“これは、私たちに対して罪を犯す者に対処するためのイエスの指針である。
これが適用されるのは、
①不信者ではなく、クリスチャンである。
②他の人にではなく、あなたに対して犯された罪である。
③一般の社会ではなく、教会での争いの解決である。
 イエスのことばは、私たちを傷つけるか無視する人への正面攻撃を許可しない。破壊的な噂(うわさ)を広めたり、教会裁判を要請したりすることも許可しない。これは紛争を扱う通常の方法であり、段階ごとに公に対する説明責任が増していく。
 まず、本人とその良心に訴えかける。これがうまくいかなければ、共同体からまず数人、次第に多くの人を呼び入れる。イエスは、皆が調和して生きることが出来るよう、信仰者の間での争いが人間関係や教会という共同体に被害を与えかねない場所では、どこででも和解するよう促す。
多くの場合、イエスの勧めと正反対のことを行う。憎しみや恨みで顔を背け、復讐を求めるか、噂、言葉での反撃や中傷に携わるのだ。どんなに難しくても、まずその人のところへ行くべきである。それから、その人に赦しが必要になるたびに、赦すべきである(182122)。このことは、関係を回復させるより良い機会を作りだす。”とあります。

 1コリント6章にはこの個所に関連するような文章が次のように記載されています。
1あなた方のうち誰かが仲間と争いを起こした場合、聖なる人々に訴えずに、あえて正しくない人々に訴えようとするのですか。
2
それとも、あなた方は、聖なる人々が世を裁くことになるのを知らないのですか。また、世があなた方によって裁かれるというのに、あなた方にはささいなことを裁く力もないのでしょうか。
3
わたしたちがみ使いたちを裁くことになるのを知らないのですか。まして、この世の生活に関わることを裁くのは言うまでもありません。
4
それなのに、あなた方はこの世に関わることで争いが生じると、教会が取るに足らないとみなしている人々〔キリスト・イエス様を主としていない人々(筆者挿入)〕を、裁く者の席に着かせるのですか。
5
わたしがこのようなことを言うのは、あなた方を恥じ入らせるためなのです。あなた方の中には、兄弟間の問題を裁くことのできるような知恵のある者〔この世的な知恵者ではなく、その問題に対して適切に、神の御言葉を持って対処できる知恵者(筆者挿入)〕が、一人もいない というほどまでになっているのですか。
6
それで、兄弟が兄弟を訴え、しかも、信仰のない者の前でそうするのですか。”(フランシスコ会訳)とあります。

 1コリント61-6を、フランシスコ会訳は「異教徒に提訴してはならない」という題をつけ、新共同訳と聖書協会共同訳は「信仰のない人々に訴え出てはならない」という題をつけています。

 マタイ1819.20には、
“また、よく言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を合わせるなら、天におられる私の父はそれをかなえてくださる。二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。”と主イエス様が語られた内容が記されていますが、15-20節までは一連の話なので、この2節は16節に関連する内容なのではないかと思います。
「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」という文の「私の名によって」と訳されている語のギリシア語を英語に変換すると、in my name、になります。キリストの名を使って肉の私と肉のあなたが祈る、ということではなく、二人または三人が霊であるキリストに導かれた祈りである必要があるのです。

 19.20節は、複数人が集まったときの祈りの本質を示していますので、BIBLE naviは、次のような解説を記しています。
“イエスは、ご自分が体においてではなく、聖霊によって信者たちとともにいる新しい日のことを考えておられた。信仰者たちのからだ(教会)において、2人が心から一致して祈ることは、何千人もの人がうわべだけ一致するより力がある。キリストの聖霊がともにおられるからである。2人かそれ以上の信仰者が、聖霊に満たされて、自分の意思ではなく、神の御心によって祈る。だから、彼らの願いはかなえられるのである。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
いつもあなたの御言葉に従った行動をとることが出来ますよう助けてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

イエス様の御心に叶う祈りであれば、御聖霊が働いてくださるという事でもあるのかな?と思いました。御聖霊が働いてくださるから、イエス様の御心に叶う祈りをしようと思う…という事でもあり…。無限ですね…。

祈りは奥深いですね。

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