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2023年3月24日 (金)

マタイ19:3-12 離縁と結婚と独身者についての教え

 マタイ19:3-12には次のように記されています。
3 ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「どんな理由であれ、夫が妻を離縁することは許されているでしょうか」〔「何か理由があれば、妻を離縁することは律法にかなっているでしょうか。」(2017)〕と言った。
4
 イエスはお答えになった。「あなたがたは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
5
 そして、こうも言われた。「こういうわけで、人は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる。
6
 だから、もはや二人ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
7
 彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」
8
 イエスは言われた。「あなたがたの心がかたくななので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。
9
 言っておくが、淫らな行い〔原語は「ポルネイア」で売春(筆者挿入)〕のゆえでなく妻を離縁し、他の女と結婚する者は、姦淫の罪を犯す〔不倫をする(筆者挿入)〕ことになる。」
10
 弟子たちは言った。「人が妻と別れてはならない理由〔直訳「人が妻と一緒にいる理由」(欄外注)〕がそのようなものなら、結婚しないほうがましです。」
11
 イエスは言われた。「誰もがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。
12
 独身者に生まれついた者もいれば、人から独身者にされた者もあり、天の国のために自ら進んで独身者となった者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 結婚と離縁について、主イエス様は、4-6.9節で、
「・・・。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。・・・。こういうわけで、人は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、もはや二人ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。/・・・。淫らな行いのゆえでなく妻を離縁し、他の女と結婚する者は、姦淫の罪を犯すことになる。」と語られました。

 ファリサイ派の人たちは、イエス様に、「なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」と質問しました(7)。
ファリサイ派の人たちが質問した内容は、申命記241.3の聖句に基づくものであったのでしょう。
 これに対して、主イエス様の興味深いお答えが記されています。
主イエス様は、「あなたがたの心がかたくななので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。」(8)と語られたのです。
ヤハウェ(主)がモーセを用いてイスラエルの民に教えた教えの中には、ヤハウェ(主)の第一の思いからではなく、人の罪故に、少し譲歩している個所もあるということがわかります。
イエス様は、山上の垂訓(マタイ5-7章)で、おそらくヤハウェ(主)の元々のお考えを教えたのではないかと私は想像します。

 次に、「結婚しないほうがましです。」(10)という弟子たちの言葉を受けて、独身者について、主イエス様は次のように教えられました。
11 ・・・。「誰もがこの言葉〔「結婚しないほうがましです。」という言葉(筆者挿入)〕を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。
〔「その言葉を受けいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。」(口語訳)〕
12
 独身者に生まれついた者もいれば、人から独身者にされた者もあり、天の国のために自ら進んで独身者となった者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」”と記されています。

 独身の賜物を与えられている人(11節参照)は、天の国のために独身者となれますが、そうでない人が自らの考えだけで独身者になると失敗する場合も多々あります。

 地上の結婚は、永遠における結婚の準備段階なのでしょう。
永遠における結婚は花婿キリストと花嫁エクレシア(教会)の結婚です。

 新生したキリスト者は、新生させていただいた霊においてキリストと結ばれ、キリストと一つの霊とされたものです。これは霊におけるキリストとの結婚です。
1
コリント617には、“主に接合されたものは主と一つの霊となる。”(抜粋・筆者訳)と記されています。

 やがてキリストの現われの時(キリストの空中再臨の時)、すでに天に帰っていた霊と携挙される者には、霊のからだが与えられます(1コリント1552、1テサロニケ416.17、コロサイ341ペテロ113)。そして天に引き上げられた後、花婿キリストと花嫁は結婚の儀を取り行ってもらえるのです(黙示録196-9)。
花嫁とはエクレシア(教会)です(エペソ532)。
教会(エクレシア)とは、天地創造の前から父なる神が、キリストにあって選ばれた者たちで、御父の思慮深い知恵と愛に基づく御計画と、その御計画をすべて実現される御力によって、歴史の中で漸次的に啓示され、そして実行され、キリストにあって一つに集められた御国を受け継ぐ者たちで、キリストの花嫁となる者たちです(エペソ14-11、ローマ828-30、ヤコブ25)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
やがて天において主キリスト・イエス様との婚宴の儀を執(と)り行ってくださいますから感謝します。
地上に在っては、霊に在って主と結ばれておりますことを感謝します。
いつも主を愛し、主に従って歩むことが出来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ただ主を」(聖歌520番、聖歌総合版538番)5
「主こそ来るべき王の王 主の主 我(わ)が花婿なれ 我(われ)は恋しとう たたえよ ただ主を 主は救い主 きよめ主 癒し主 王の王 主の主」

「キリスト・イエスをもといとして」(聖歌201番、聖歌総合版160番)1
「キリスト・イエスをもといとして うちたてられし御(み)教会は 君が血を持て買いたまいし 花嫁たちの集まりなり」
アーメン
ハレルヤ!

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コメント

〝マタイ19:1-12には次のように・・〟と記されておりましたので、お知らせいたします。
2点質問させてください。
「自らの考えだけで独身者になると失敗する場合も多々あります」と書かれておりましたが、自らの考えで失敗するとは、どの様な場合がありますか?
そして、、12節の〝人から独身者にされた者〟とイエス様は仰っておりますが、人から独身者にされるという事はどの様な状況で独身者にされるのでしょうか?

〝これを受け入れることのできる人は受け入れなさい〟とイエス様が仰ってくださる中には、受け入れなくても良いという事も同時に含まれているのかな?と思いました。

訂正すべき個所を教えてくださり感謝します。
早速直しておきました。
“自らの考えで失敗するとは、どの様な場合がありますか?”→
性欲が強いのに、無理やり独身でいようということです。
<参照>1コリント7:1-9
“人から独身者にされる”→
昔は、宦官にさせられた人がいましたし、封建時代や奴隷制の時代などは、その人に対して権力を持っている人から独身を強要された人もいたのではないかと思います。
“これを受け入れることのできる人は受け入れなさい”とイエス様が語られたのは、天の国のために自ら進んで独身者となる人のことを言っているのではないかと推測します。
<参照>1コリント7:7

教えてくださり、ありがとうございます。
古代は強いられる事が多かったですものね。現代を思えば、やはり恵みの時代であると思えます。恵みの中が当たり前となると、又そこから様々な事が生じますけれども…。
やはり常に主に立ち返る事、主に向きを変える事が大切な事であると改めて思いました。
〝性欲が強いのに・・〟それは無理に独身でいる必要はありませんが、性欲を満たす為に結婚するという事は良い事なのでしょうか?
イエス様が創造主は初めから・・と、本日記載してくださった行の箇所を私は信じております。救われる前に離婚をしたので罪にはならないと聖職者の方に言われましたが、気持ちの中で姦淫の罪だ…とかなり引き摺りました。時間の経過と日々起こる事と共に、やっと私の思う事は主の教えから逸れている…神様はゆるしてくださっているのに罪だ…と思っている事が罪で、その先を躊躇している事が罪であると思う事がやっとできました。都合よくないかな?とかなり悩みましたけれども…。愛する人と共に微笑みながら信仰生活を送る事は、主が喜んでくださっている事だと思えたのです。結婚生活は1人で行うものではないので、これはあくまでも私1人が思い感じる事で、相手はどの様に捉えているのかは、勇気の無さからまだ向き合えておりません。(御聖霊が働いてくださる事を祈ってはおりますけれども)
ですが、この様に学ばせていただけているおかげでもあると、感謝しております。

自分が罪だなー、と思う事柄は、すべて主イエス様が、十字架上で、神の裁きを身代わりに受けてくださったと捉えたら良いと思います。
そして感謝することです。
その方がサタンに突っ込まれません。

そうですよね、イエス様に感謝ですよね!
サタンはよく突っ込んできますものね笑
感謝を大きくしてゆく事が大切という事ですね。ありがとうございます。

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