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2023年3月28日 (火)

マタイ19:13-22 純真or単純に主イエス様を信じる者と自分の行いにより頼む者

 マタイ1913-22には次のように記されています。
13 その時、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
14
 しかし、イエスは言われた。
「子どもたちをそのままにしておきなさい。私のところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
15
 そして、子どもたちに手を置いてから、そこを立ち去られた。
 16 すると、一人の人がイエスに近寄って来て言った。
「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
17
 イエスは言われた。
「なぜ、善いことについて、私に尋ねるのか。善い方はおひとりである。命に入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
18
 彼が「どの戒めですか」と尋ねると、イエスは言われた。
「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、19 父と母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
20
 この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
21
 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り、貧しい人々に与えなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、私に従いなさい。」
22
 青年はこの言葉を聞き、悩みつつ立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 16節には、“すると、一人の人がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」”と記されています。
主イエス・キリストを信じる信仰ではなく、自分の行いによって永遠の命を得たいと日夜努力している一人の人(青年)が来ました。

 主イエス様は、この人の質問の「善いこと」(16)という言葉or考え方を掴(つか)み、神の観点から言うと善いことが出来るのは「善い方」すなわち神だけであると答えたのです。
17
節には、“イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、私に尋ねるのか。善い方はおひとりである。  ・・・。」”と記されています。

 聖書の最初のページの創世記11に記されている「神」という単語は複数形です。
そして、マタイ2819の「父と子と聖霊の名において」の「名」は単数形です。
申命記64には、「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。」(2017)と記されています。
これらの聖句からわかることは、まことの神は唯一であり3つの位格を持ったお方であるということです。
それ故、17節で、主イエス様が、「よいかたはただひとりだけである。」(口語訳)と答えられた時、「ただひとり」の中には、御子である主イエス様も含まれていたのです。

 イエス様のもとに質問に来た一人の人は、「よいかたはただひとりだけである。」(口語訳)とイエス様がお答えになった御言葉には反応しませんでした。

 この人の心の中には、「行い」によって永遠の命を得たい、という願望しかないのを見てだろうと思いますが、主イエス様は、17節の後半部分で、「命に入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」と答えています。

 「命に入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」というイエス様のお答えを聞いて、この人は、「どの戒めですか」と尋ねました。

 その質問に対する主イエス様のお答えは、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父と母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。」(18.19)とお答えになったのです。

 この人はイエス様のお答えを聞いて、「そういうことはみな守ってきました。」と答えたのです(20)。

 この人の答えは、「そういうことはみな守ってきました。」ということなのですから、なんとりっぱな人なのだろうと、私は感嘆します。

 この人は、さらに「まだ何か欠けているでしょうか。」(20)とイエス様に質問しました。
それに対してイエス様は、「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り、貧しい人々に与えなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、私に従いなさい。」(21)と答えられたのです。

 22節には、“青年はこの言葉を聞き、悩みつつ〔悲しみながら(2017)〕立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イエス様は、ご自身を差し出して贖いを成し遂げたのでした。
ピリピ2章には次のように記されています。
6キリストは神の身でありながら、神としてのあり方に固執しようとはせず、7かえって自分をむなしくして、僕(しもべ)の身となり、人間と同じようになられました。その姿はまさしく人間であり、8死に至るまで、十字架の死に至るまで、へりくだって従う者となられました。”(フランシスコ会訳)とあります。

 一方、単純に、純真に、主イエス様を信じて主イエス様の下に来る子供たちに対して、主イエス様は、「天の国はこのような者たちのものである。」(14)と語られたのです。
この件については、少し前の、マタイ183に次のように記されています。
「まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。」(2017)とあります。
「向きを変えて」と訳されている語のギリシア語は「ストレフォー」で、ひねって回転する、回転する、向きを変える、逆にする、・・等の意があり、2017の欄外注には、“あるいは「悔い改めて」”とあり、聖書協会共同訳は、「心を入れ替えて」と訳しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
かつての私もそうでしたが、人は、自分の善行によって天国に入ろうとします。
しかし、聖書を読むと、それは無理な話であることがよくわかります。
人は、罪を犯す性質をもって生まれ、教えられなくても罪を犯すことが出来るからです。
善きお方は、三一の主なる神様だけです。
特に贖いを成し遂げてくださったイエス様(救い主)を信じない限り救われないことを覚えます。
イエス様を信じる信仰を与えてくださいましたことを感謝します。
御名を賛美し、感謝して私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

神様は三位一体である事を改めて学ばせていただきました。
申命記6:4の〝主は唯一である〟の原語は複数形ですか?単数形ですか?
目に見える何かを手に入れようという心を見透かされておられる上に、安直に何かを手にしたい心を見透かされているという事ですよね。
目に見えて、手っ取り早く…という方に、ついつい行きがちですが、主を信じて歩む事が大切なのですよね。自分のタイミングで手に入れる事を望んでしまう気持ちはありますが…。
「神様のなさる事は時にかなって美しい」という御言葉をも信じます。
〝向きを変えて〟という事が、宗教という意味であると教えてくださった時の衝撃を思い出しました。

「神」は複数形です。

教えてくださり、ありがとうございます。

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