« 箴言21:25.26 怠け者と主に従う人 | トップページ | 申命記8:5-9 主は訓練(鍛錬)なさるお方/天的祝福 »

2023年3月12日 (日)

マタイ18:10ー14 迷い出た羊を探して連れ帰る主イエス様

 マタイ1810-14には次のように記されています。
10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天にあっていつも、天におられる私の父の御顔を仰いでいるのである。
12
 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残して、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
13
 よく言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
14
 そのように、これらの小さな者が一人でも失われることは、天におられるあなたがたの父の御心ではない。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 マタイ18章は、サタン(悪魔)の支配下にあるこの世の国(1ヨハネ519)の話ではなく地上の天の王国{天の御国(マタイ181)}の話です。

 10節前半部分には、「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。」とあります。
「これらの小さな者」とは、主イエス様を信じた者のことです。
主イエス様を信じた者を躓かせる者は、「ろばの挽く石臼を首に懸けられて、深い海に沈められるほうがましである。」(マタイ186・聖書協会共同訳)とイエス様は言われました。
私は、イスラエルに行ったときに、かつて使われた石臼を見てきましたが、これを首に懸けられて、深い海に沈められたら二度と浮かび上がることは出来ないな、と心の底から思いました。

 イエス様の羊{御父が御子イエス様に与えた人たち(ヨハネ637172.24)}は、イエス様にとって、とても大切な存在なのです。
イエス様の羊は、イエス様について行きます(ヨハネ103-5.16)。

 御父が主イエス様に与えられた人には天使(御使い)が遣わされます。
10
節には、「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天にあっていつも、天におられる私の父の御顔を仰いでいるのである。」と主イエス様は語られました。
 へブル114には、“天使は、救われる人々を助けるために遣わされた、霊の使者なのです。”(リビングバイブル)と記され、
 詩篇345-8{(聖書協会共同訳)、口語訳、新改訳は4-7節}には、
5 私が主を尋ね求めると、主は私に答え、あらゆる恐怖から助け出してくださった。
6
 主を仰ぎ見る人は輝き、辱めに顔を伏せることはない。
7
 苦しむ人が呼び求めると、主はこれを聞き、あらゆる苦難から救ってくださった。
8
 主の使いは主を畏れる者の周りに陣を敷き、彼らを助け出した。”とあり、
 詩篇9111には、“主が、あなたのために御使いたちに命じて、あなたのすべての道で、あなたを守られるからだ。”(2017)とあります。

 初代教会の信徒たちも御使いを信じていました。
使徒1215には、“・・・。それで彼らは「それはペテロの御使いだ」と言った。”(2017)と記されています。

 守られているのなら、どうして殉教や迫害があるの?と疑問を持つ人もいるでしょうが、殉教や迫害が許されているのは主を証しするためだからです。
私は自分の肉体よりも私の主であるイエス様を愛しています、という証です。
私たちの本体は新生させていただいた霊です(使徒759)。
殉教者や迫害された人には天でのご褒美が待っているのです(マタイ511.12)。
新生させていただいた霊は永遠の命を持っています(ヨハネ1126、1コリント6.171ヨハネ512.13)。

 新生させていただいた人は、神から生まれた人です。
ヨハネ3章には次のように記されています。
3 イエスは答えて言われた。「よくよく〔原語は「アーメン、アーメン」(筆者挿入)〕言っておく。人は、新たに〔原語は「アノーセン」で、上から、新しく、再び、の意(筆者挿入)〕生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
5
 イエスはお答えになった。「よくよく〔原語は「アーメン、アーメン」(筆者挿入)〕言っておく。誰でも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。
6
 肉〔両親の受精卵(筆者挿入)〕から生まれたものは肉〔body(筆者挿入)〕である。霊から生まれたものは霊〔新生したのは霊です(筆者挿入)〕である。
7
 『あなたがたは新たに生まれなければならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 14節には、「そのように、これらの小さな者が一人でも失われることは、天におられるあなたがたの父の御心ではない。」とあります。
キリスト信者間で問題が発生し、交わりから出て行ってしまったor交わりに入ることが出来ないという兄姉がいた場合には、再び交わりに入れるように主に在って努力する必要があることを覚えます。
キリスト者がやらなければ、直接、主がことを行うことでしょう。
27わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしも彼らを知っており、彼らはわたしに聞き従う。28わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らはいつまでも滅びることがなく、誰もわたしの手から、彼らを奪い去りはしない。29わたしの父がわたしにくださったものは、他の何ものにも勝るものであり、誰もそれをわたしの父の手から、奪い去ることはできない。」(ヨハネ10章・フランシスコ会訳)とイエス様は語られました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
兄姉を躓かせてしまうことのないようにお守りください。
あなたの大切な一人一人を私たちも愛をもって大切にしていくことが出来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

« 箴言21:25.26 怠け者と主に従う人 | トップページ | 申命記8:5-9 主は訓練(鍛錬)なさるお方/天的祝福 »

日ごとの恵みⅪ」カテゴリの記事

マタイによる福音書」カテゴリの記事

コメント

このお話はとても好きです。
迷子になった子供に例えたり、私自身が迷子にあった幼い頃を思い出したり、迷い込んでしまった時に当てはめてみたりします。どんな事を当てはめても、とても温かな気持ちになれます。

〝主イエス様を信じた者を躓かせる者〟というのは、この世の中には沢山存在しますよね…。多々出会う方々に対して、何処かで無意識にしてしまう可能性があると思うのです。私もしかねないと思うので、常に主を意識していなければ、いけないなと思います。

聖書を学ぶ迄は、どの様な事なのかよく理解できていなくても、御使いも天使もその存在を私はとても信じていましたし、今も信じています。学んでいる今は捉え方が少し異なっておりますけれども。

〝キリスト信者間で問題が発生・・努力する必要がある・・〟とトミーさんが書いていらしていた箇所ですが、自力で努力するよりも神様からのギフトと捉えてしまうのですが、もう少し詳しく教えていただけますか?

“キリスト信者間で問題が発生し、交わりから出て行ってしまったor交わりに入ることが出来ないという兄姉がいた場合には、再び交わりに入れるように主に在って努力する必要があることを覚えます。”→
例えば、電話やメールをしてみるとか、お会いしてみるということです。
キリスト者の交わりに戻るかどうかは、その人の意志です。
神様は、人間に自由意思を与えていますから、なすべきことを為したらあとは祈るだけです。
あまりにも強いてしまうと良い結果につながらないことが多いです。
どうしても戻ってこない場合、その人が新生していないで、洗礼を受けている場合もあるからです。
新生していなければ生まれながらの人、この世の人であり、神の王国の民ではありません。

どんな努力をするのか?こんつめて何かをするなどを想像してしまっておりました。
シンプルな事ですが、疎かにしがちな事ですね。それは、とても大切な努力だと思います。
例えば、私が離れてしまった時に電話やメールなどきたら、向きが変わります。
本物のキリスト者であれば御聖霊が働いてくださると思います。
教えてくださり、ありがとうございます。
お伺いできてよかったです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 箴言21:25.26 怠け者と主に従う人 | トップページ | 申命記8:5-9 主は訓練(鍛錬)なさるお方/天的祝福 »

カテゴリー

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ