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2023年3月 4日 (土)

マタイ18:1-5 低き心を喜ばれる主

 マタイ181-5には次のように記されています。
1 その時、弟子たちがイエスのところに来て、「天の国では、一体誰がいちばん偉いのでしょうか」と言った。
2
 そこで、イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、3 言われた。
「よく言っておく。心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。4 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の国でいちばん偉いのだ。5 また、私の名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 1
節に「天の国」(新共同訳、フランシスコ会訳、聖書協会共同訳)、「天の御国」(新改訳)、「天国」(文語訳、口語訳、リビングバイブル)、「天の王国」(岩波訳)と訳されているギリシア語は、βασιλεια(「バシレイア」王国、支配、統治、etc.των(=theουρανων{「ウラノン」(複数形)天の}です。
「天の王国」は、はるか彼方にあるだけではなく、地上にもあるのです。

 ルカ19章に次の様なやり取りがあります。
20 パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。
21
『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」”(2017)と記されています。
神の王国とは、神が支配される王国です。新約時代は、教会時代ですから王はキリストです。

 2.3.4.5節に「こども」という単語が出てきます。「こども」と訳されている語のギリシア語原語は「パイディオン」で、a little child の意です。反抗期の子どもという意ではありません。すなわち神様の教えを自然に受け入れ、謙遜、純真、信頼という美徳を持っている小さな子供を指しています。

 よき子供の例としての聖句としていくつか下記します。
“・・あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。”(エペソ51・口語訳)・・・霊の親に倣う子供
“まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。”(マルコ10152017)・・・従順に霊の父の支配に従う者

 時に、甘えやわがままのような子供っぽさで、生活すればよいと考えているのではないかと見受けられるような人もいますが、パウロは次のように語っています。
「私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。」(1コリント13112017)と。

 これらのことを踏まえたうえで、BIBLE navi が述べていることに心を向けるとよいのではないかと思います。BIBLE naviは次のように述べています。
“イエスは子どもを用いて、弟子たちにどのように考え、振舞うべきなのかを説明した。私たちは(弟子たちのように、取るに足りない問題について論じあうような)子どもじみた状態でいるべきではなく、子どものように謙虚で、誠実で、信頼する心を持つべきである。生活のどの領域で、子どもじみた面と戦う傾向があるか。どのようにして子供のような面を発達させているか。
 弟子たちは、イエスの地上の王国が組織化されることに心を奪われ、神の目的を見失っていた。奉仕の場所ではなく、高い身分を求めていた。教会において永遠の展望を失い、昇進や地位を巡って競い合うことは容易である。自分を子ども、つまり地位も影響力もなく、弱く、自分に頼らない者と同一視することは、難しいが健全である。”と記しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたに対して純真で、誠実で、従順に歩み続けるものであらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・
讃美歌71
“主の御稜威(みいつ)と御栄(みさかえ)とを 声の限りたたえて またき愛と低き心 御座に供えひれ伏す”

聖歌467番、聖歌総合版480番、新聖歌268番「御国の心地す」
“1.悲しみ尽きざる 浮世にありても 日々主と歩めば 御国の心地す
(折り返し)* ハレルヤ! 罪 とが 消されし我が身は いずくにありても御国の心地す
2.かなたの御国は 御顔のほほえみ 拝する心の中にも建てらる

3.山にも谷にも小屋にも宮にも 日々主と住まえば御国の心地す
*”

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コメント

イエス様が伝えてくださっている子どものようにとは、自我が芽生える歩きはじめの、大人の身振り手振りを真似する辺りの、一歳くらいの乳児期辺りの子どもの心の状態という事をイメージしました。
他者に対する邪な思いなどを思わない、純真な思いのまま神様に心を向ける事ができる事を心より望みます。
傷を受ければ受けた分だけ、高慢さが心を支配していってしまう…。神様はすごいものをお造りになられたのですね…。神様に賛美です。
辛い方ばかりに目を向けていれば、神の国など来るわけがないと思ってしまいますが、神様からの恵みに目を向ければ天の御国が見えるようになる希望を与えてくださる。天の御国を見続ける事ができますように、二度と心が曇ってしまわないように、大切なものを見失わないように切に願い、祈り求めます。

心の中に安定的に御国が建てられるようになるとよいですね。

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