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2023年4月13日 (木)

マタイ20:17-28 肉の愛情と欲望/御父が支配する王国/主に在って僕(しもべ)として歩める者の幸い

 マタイ2017-28には次のように記されています。
17 イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。
18
 「今、私たちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、19 異邦人に引き渡す。人の子を嘲り、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」
 20 その時、ゼベダイの息子たちの母が、息子たちと一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、願い事をした。
21
 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、
彼女は言った。「私の二人の息子が、あなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるとおっしゃってください。」
22
 イエスはお答えになった。
「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。私が飲もうとしている杯を飲むことができるか。」
彼らが、「できます」と言うと、
23
 イエスは言われた。
「確かに、あなたがたは私の杯を飲むことになる。しかし、私の右と左に座ることは、私の決めることではない。それは、私の父によって定められた人々に許されるのだ。」
24
 ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。
25
 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。
「あなたがたも知っているように、諸民族の支配者たちはその上に君臨し、また、偉い人たちが権力を振るっている。26 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、27 あなたがたの中で頭になりたい者は、皆の僕になりなさい。28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 17-19節を読むと、主イエス様が、12人の弟子だけに、「今、私たちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を嘲り、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」ということを話しました。

 この十字架と復活の預言は、主イエス様が弟子たちを引き連れ、エルサレムへ行く途上の中での重要なお話でした。主イエス様が話された死と復活の預言は、これが三度目です。一度目(マタイ1621)、二度目(マタイ1722.23)の時の死と復活の預言の話の中では、十字架という言葉はありませんでした。しかし三度目の時には、「十字架につける」(ギリシア語原語は「スタウロオー」です。)と語られたのです。スタウオローは、十字架に突き刺す、という感じになります。

 よりによって、この時、12弟子の中のヤコブとヨハネの母サロメは、「私の二人の息子が、あなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるとおっしゃってください。」とイエス様に願い出たのです。

 20.21節には、“その時、ゼベダイの息子たちの母〔サロメ{マルコ119、マタイ2756、マルコ1540を合わせて参照}(筆者挿入)〕が、息子たち〔ヤコブとヨハネ(筆者挿入)〕と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、願い事をした。
21
 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、
彼女は言った。「私の二人の息子が、あなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるとおっしゃってください。」”と記されています。

 主イエス・キリスト様が、自分は、十字架に突き刺される、と仰っていたそばから、おそらく母の息子に対する肉の愛情からでしょうが、ヤコブとヨハネを連れて、「あなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるとおっしゃってください。」とひれ伏し、願い事をしたのです。
本当に何ということでしょう!!
それだけではありません。
24
節には、“ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。”と記されています。
12
弟子たちは、主イエス様の受難のことを考えていたのかどうかは分かりませんが、主イエス様が、「人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を嘲り、鞭打ち、十字架につけるためである。」(18.19)と語られたばかりなのに、主イエス様のその大変さを思わず、皆、自己中心的であったのです。
主イエス様は、十字架につかれる前には、ゲッセマネで悩み、そして私たちを愛して十字架につかれたのに。
ア――――――――――ッ!

“かくも主は悩み かくも愛し 主の花嫁と我を為しぬ 我が内に主はいます くすしくも妙なり 我が内にいます主は 来るべき王なり”(「神の子なるイェス」の2節:聖歌592、聖歌総合版630、新聖歌342A.B.Simpson-中田羽後訳)

1 This is my wonderful story, Christ to my heart has come;
Jesus, the King of Glory, Finds in my heart a home.
Christ in me, Christ in you, Christ in us, O wonderful story, Christ in me, Christ in you,   Christ in us, the hope of glory.

2 Was there e’er story so moving, Story of love and pain; Was there e’er Bridegroom(花婿) so loving, Seeking our hearts to gain.
3 I am so glad I received Him, Jesus my heart’s dear King; I who so often have grieved Him, All to His feet would bring.
4 How can I ever be lonely, How can I ever fall; What can I want, if only Christ is my all in all?
5 Now in His bosom confiding, This my glad song shall be; I am in Christ abiding, And Christ abides in me.

というのが聖歌592番の原詩のようです。
キリストとの相互内住(5/1コリント130+コロサイ127)・・・ハレルヤ!

 話を元に戻します。
サロメの申し出に対して、主イエス様は、「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。私が飲もうとしている杯を飲むことができるか。」と応答されました(22)。
それに対して、ヤコブとヨハネは、「できます」と答えたのでした(22)。
ヤコブは12弟子の中で最初に殉教しました(使徒122)。

 この出来事をもとにして、主イエス様はさらに二つのことを教えられました。
①神の王国における役職を決定するのは父なる神様であるということ(23)。
②へりくだって仕える者になりなさい(26.27)。
という内容でした。
上記の関連節を再掲します。
23 ・・・、私の右と左に座ることは、私の決めることではない。それは、私の父によって定められた人々に許されるのだ。/
26
 ・・・。・・・、皆に仕える者となり、27 ・・・、皆の僕になりなさい。28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。”と主は語られました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
御父を愛し、御子であり、私たちの救い主であり、私たちの主であり、私たちの花婿であるイエス様を愛し、愛するゆえにすべてを献げてお仕えしていく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

母親としての思いを同時に記されているのかな?とも思いました。(私は内向的なタイプなので母親には向きませんが)幼い頃、クリスャンのお友達のお家を羨ましく思っていた事を思い出しました。
世の中は肉の思いの仕組みで成り立っているのですものね…。
イエス様が教えてくださる2つのこと、天の御国は待ち遠しいです。

この世と神の国では支配者が異なりますものね。

アーメン。

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