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2023年4月25日 (火)

マタイ21:12-17 神殿のきよめ/ホサナの意味

 マタイ2112-17には次のように記されています。
12 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを覆された。
13
 そして言われた。
「こう書いてある。『私の家は、祈りの家と呼ばれる。』ところが、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
14
 境内では、目の見えない人や足の不自由な人たちが御もとに来たので、イエスは彼らを癒やされた。
15
 しかし、祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、また、境内で子どもたちが叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、16 イエスに言った。
「子どもたちが何と言っているか、聞こえるか。」
イエスは言われた。「聞こえる。『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美の歌を整えられた』とあるのを、あなたがたはまだ読んだことがないのか。」
17
 それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニアに行き、そこでお泊まりになった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 12.13節の個所を読んだ後、主イエス・キリスト様が、神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返すような傍若無人なことを何故したのだろうか、と思う人がいるかもしれないと思いますので、そのあたりのことについて、BIBLE naviの解説を下記しておきます。
“これはイエスが宮をきよめた二度目である(ヨハネ213-17)〔ヨハネ2章の方は一度目の宮きよめです(筆者挿入)〕。商人や両替人は、宮の中の異邦人の庭に屋台を建て、そして神を礼拝するために文明世界の至る所からやって来た異邦人を締め出した。商人は高い値段でいけにえの動物を売り、遠方からやって来た人たちの弱みに付け込んでいた。両替人はすべての国際通貨を特別な宮の通貨、すなわち商人が受け入れる唯一の貨幣と交換した。相場を知らない外国人をしばしばだましていた。神の家における彼らの営利主義は、人々の礼拝しようとする試みをくじいた。もちろんこのことは、イエスを大いに立腹させた。神を礼拝することを妨げるどんな慣習も、中止されるべきである。”と記しています。

 15節に、“しかし、祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、”とある中の「不思議な業」とは、「奇跡」と訳せる単語です。
祭司長たちや律法学者たちは、イエス様が奇跡を行っても腹を立て、また、子どもたちが、「ダビデの子にホサナ」と叫ぶように言うのを聞いても腹を立てたのです。
イエス様が奇跡を行ったのを見て腹を立てたのはねたみ(マタイ2718参照)や自己保身からではないかと思います。

 「ホサナ」について
「ホサナ」は、原語では、詩篇11825に「ホーシーアー(救ってください)・ナー(どうか)」と出てきます。
詩篇11825の前半部分には、「ああ主よ、どうか救ってください。」(2017)とありますが、「どうか(or今)、救ってください(or解放してください、or助けてください、or勝利させてください)」というのが、ヘブライ語原語では、「ホーシーアー・ナー」です。

 「ホサナ」について、キリスト教辞典は、
“ホサナ 〈ギ〉osannaまたはhosanna。元来は〈ヘ〉ホーシーアー・ナー(「今、お救い下さい」の意)で、そのアラム語形ホーシャナーの音訳。本来は、「どうぞ今、お救い下さい」(詩篇118:25)という祈りのことばであるが、その意味を失って賛美の叫び声となった(マタイ21:9,15,マルコ11:9,10,ヨハネ12:13)。ルカの福音書を除く三福音書がこのことばをそのまま音訳していること自体が、その意味の変化を証拠立てている。それは、このヘブル語がもはや救いとは何のかかわりも持たなくなったというのではない。詩篇118:25,26の追憶であるその背景が、たといこの詩篇からの直接の引用、あるいはこの詩を暗示するものではなかったとしても、これが父なる神と主イエスに当てはめられていることから、ホサナということばがメシヤによる救いにかかわるものであったことは明らかである。(森 文彦)”と述べています。
 また、聖書辞典は、
“ホサナ (〈ギ〉hosanna) 「今、救ってください」という意味。元来は〈ヘ〉ホーシーアー・ナーで、そのアラム語形ホーシャナーの音訳。原意は、詩118:25にあるように、「ああ、主よ。どうぞ救ってください」であるが、その本来の意味は失われて、ただ単に、賛美に伴う感嘆詞のように用いられるようになった(マタ21:9,15,マコ11:9‐10,ヨハネ12:13)。これは、ホサナという音訳が、ギリシヤ語においては尊敬やあいさつの叫びとして、「ごきげんよう」とか、「栄光あれ」というように誤って解されるようになったことによる。ルカを除く福音書の中で、6回にわたって記されており、特にマタイは、「ダビデの子にホサナ」とか、「ホサナ。いと高き所に」というように修飾語をつけて用いている。”と述べています。

 祭司長たちや律法学者たちは、境内で子どもたちが、「ダビデの子にホサナ」と叫んで言うのを聞いて腹を立て、「子どもたちが何と言っているか、聞こえるか。」とイエス様に言いましたが、イエス様は、ご自身が救い主(「イェホシュア」or「イェシュア」)であることを否定せず、「聞こえる。『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美の歌を整えられた』とあるのを、あなたがたはまだ読んだことがないのか。」(16)と応答されたのでした。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたはイエス様を救い主として遣わしてくださいました。
イエス様は私たち罪人を救うために、十字架上で贖いを成し遂げてくださいましたことを感謝します。
また、イエス様の救いにあずからせていただいたキリスト者の内には、主なる神様が住んでくださいますからありがとうございます。
主が私たちの内に住んでくださるのにふさわしく、私たちの罪を示して下さり、私たちの心をも主はきよめてくださいますから感謝します。
感謝しつつ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

歴史を習う中、メソポタミア文明はちょっと異なっていて、文明が凄く早くに進んでいったという事をうる覚えながらですが、先生がお話ししていた気がします。今日の箇所も、服装など細々とした所は、変わっているでしょうけれど
現代とさほど変わらない状況(電気機器等の発展には差がありますが)であったのかな?と想像し易かったです。神様がお造りになられたという事を改めて感じ学ばせていただきました。(日本で神社に屋台が出ている事に似ている気もしました…)
〝ホザンナ〟を初めて聞いたのは礼拝の時です。とてもいい響きといい言葉だと思いました。(意味は理解しておりませんでしたけれども)
意味も理解しないまま唱えておりましたし、歌っておりました。振り返り考えてみるとやはり、賛美の意味合いの方が強いですね。
イエス様の十字架の贖いがあったからこその救いなので、今の様に使われているのかな?とも思いました。日々、聖書を学べる事に感謝します。

アーメン。
ハレルヤ!

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