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2023年5月16日 (火)

申命記13:2-6 神ヤハウェ(主)以外の預言者や夢占いをする者に従ってはならない

 申命記132-6には次のように記されています。
2 あなたの中に預言者や夢占いをする者〔「夢見る者」(2017)〕が現れ、しるしや奇跡を示し、3 その者が告げたしるしや奇跡が実現して、
「さあ、あなたの知らない他の神々に従い、仕えようではないか」と言っても、
4
 あなたは預言者や夢占いをする者の言葉に耳を貸してはならない。あなたがたの神、主はあなたがたを試し、あなたがたが心を尽くし、魂を尽くしてあなたがたの神、主を愛するかどうかを知ろうとされるからである。
5
 あなたがたの神、主に従って歩み、主を畏れ、その戒めを守り、その声を聞いて、主に仕え、主に付き従わなければならない。
6
 預言者や夢占いをする者は、死ななければならない。そのような者は、あなたがたをエジプトの地から導き出したあなたがたの神、主に背くように語り、あなたを奴隷の家から贖い出したあなたの神、主が歩むように命じられた道から外れるようにあなたを仕向けるからである。あなたは こうして、あなたの中から悪を取り除きなさい。”(聖書協会共同訳)とあります。
(口語訳、新改訳、リビングバイブルは、1-5節となっています。)

 「預言者」と訳されている語のヘブライ語原語は「ナービー」です。
主の預言者であっても、主からの御言葉を預言する者ではなくても、預言者は「ナービー」というようです。
 申命記18章に、
15 あなたの神、主は、あなたの中から、あなたの同胞の中から、私のような預言者をあなたのために立てられる。あなたがたは彼に聞き従わなければならない。
16
 これは、あなたが集会の日にホレブで、あなたの神、主に
「私が死ぬことがないよう、私の神、主の声を二度と聞かず、また、この大いなる火を再び見ることのないようにしてください」
と言って求めたことによるものである。
17
 その時、主は私に言われた。
「彼らの言うことはもっともである。18 私は彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立て、その口に私の言葉を授ける。彼は私が命じるすべてのことを彼らに告げる。19 彼が私の名によって語る私の言葉に聞き従わない者がいれば、私はその責任を追及する。20 ただし、預言者が傲慢にも、私の命じていないことを私の名によって語ったり、他の神々の名によって語ったりするならば、その預言者は死ななければならない。」
21
 もしあなたが心の中で、「私たちは、その言葉が主の語られた言葉ではないことを、どのように知りえようか」と考える場合、
22
 その預言者が主の名によって語っていても、その言葉が起こらず、実現しないならば、それは主が語られた言葉ではない。預言者が傲慢さのゆえに語ったもので、恐れることはない。”(聖書協会共同訳)と記されていますが、この聖句に記されている「預言者」のヘブライ語原語は、全て「ナービー」です。

 2.3節には、“2 あなたの中に預言者や夢占いをする者が現れ、しるしや奇跡を示し、3 その者が告げたしるしや奇跡が実現して、・・・”と記されています。
その上、神ヤハウェ(主)の預言者ではなくても預言を当て、奇跡を起こすこともある、ということが、続く3節後半部分の、“「さあ、あなたの知らない他の神々に従い、仕えようではないか」と言っても、”という個所から分かります。

 神は唯一であり、三一の神以外の神と言われるものは悪魔悪霊であると聖書は教えています。
1コリント84-6には、
4 そこで、偶像に献げた肉を食べることについてですが、この世に偶像の神などはなく、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、私たちは知っています。
5
 現に多くの神々や多くの主なるものがあるように、神々と呼ばれるものが天や地にあるとしても、6 私たちには、唯一の父なる神がおられ、万物はこの神から出、私たちもこの神へと向かっています。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在しています。”(聖書協会共同訳)とあり、
 また、1コリント1019-21には、
19 私は何を言おうとしているのでしょう。偶像に献げた肉とは何であるとか、偶像とは何であるとか、言おうとしているのでしょうか。
20
 そうではなく、彼らが偶像に献げる物は、神ではなく悪霊に献げている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってほしくありません。
21
 主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方にあずかることもできません。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 まことの神ヤハウェ(主)の預言者は、神から受けたものを人々に伝える役目であり、預言の内容はすでに語られたものもあれば、未来に起こる内容のものもあります。預言者とは、とにかく神から受けたものを語る者のことです。

 一方、神ヤハウェ(主)の預言者ではない預言者は、悪しき霊に教えられたことを語る場合もあれば、悪しき霊に憑依されて語る場合もあれば、自分の思考等の精神活動で得たもの、思いついたものを語る場合もあります。

 偽預言者について、エレミヤ23章には次のように記されています。
25 〔神ヤハウェ(主)がまことの預言者エレミヤを通して語っている個所です(筆者挿入)〕私の名で偽りを預言する預言者たちが、「私は夢を見た、私は夢を見た」と言うのを、私は聞いた。
26
 偽りを預言する預言者たちの心に、いつまで偽りがあるのだろうか。彼らは自分の心の欺き〔「心の偽りごと」(2017)、「自分で考えだしたこと」(リビングバイブル)〕を預言する者だ。
27
 彼らの先祖がバアルのゆえに私の名を忘れたように、彼らは互いに自分の夢を語って、私の民に私の名を忘れさせようともくろんでいるのだ。
28
 夢を見た預言者は夢を語るがよい。私の言葉を受けた者は私の言葉を真実をもって語らなければならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 夢占いは、占いの一種です。
ヨセフ(創世記37.39-48.50章)は、神ヤハウェ(主)からの夢を見た人です。
ダニエルは、神の霊によって、夢の解き明かしをしました。
新約時代になっても、預言の賜物を受けた人はいました。その一人にアガボという人がいました(使徒1127.28)。

しかし、聖書が完結した後には、主なる神様は、主にひたすら信頼することを求めています。
キリストの内に知恵と知識の宝のすべてが隠されているのです。
コロサイ2章には、
3 このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。
4
私がこう言うのは、まことしやかな議論によって、だれもあなたがたを惑わすことのないようにするためです。
9
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。
10
あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
多くの人は、未来について不安がある場合や将来における成功等のために預言を求めたり、占いに頼ったりすることが良くあります。
しかし、あなたは主に信頼しなさい、と教えてくださっておられますから感謝します。
いついかなる時にも、愛をもって最善を為してくださる主に信頼して歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3 主に信頼し、善を行え。地に住み、真実を育め。4 主を喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。5 あなたの道を主に任せよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。”(詩篇37篇・聖書協会共同訳)
“神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて〔別訳「神が共に働いて万事において」、「霊が共に働いて万事において」(欄外注)〕益となるということを、私たちは知っています。”(ローマ828・聖書協会共同訳)

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コメント

2、3節はとても重要という事を学びます。
預言者=ナービーという訳で、主からのものとそうではないものの分け隔てがない事を知ると、間違えやすいのだと思いました(私は訳した聖書でしか学ぶことができないので、より、正しい学びが必要なのだと思いました)。
神の国とも言われる日本の教えの中にはキリスト教的な知恵等も含まれていると思っておりましたが、学びを進めてゆくと明らかな違いが見えます。「同じでは?」と思っていた私は愚かであったと、今日の学びを通して改めて実感しました(〝一方、・・〟と書いてくださっている一文に大きく頷いてしまいました)。
これまでのその様な行き方であったりを取り除くかの様に、日々、様々な事が生じ「何を信じますか?」と常に問いかけられている気がします。地上生活を送る上で、常に試みが生じ、天の御国にゆけるまでに必要な事を与えてくださっているという事を実感します。(例えば、神様の御旨の導きと、人の思いの導きとの違いであったりをも、地上生活を通して教えてくださっていると思えました)
神様のみを信じて地上生活を送ってゆくことの大切さ、身近な人他者との接し方、隣人を愛するというのはどういう事だろう?等、改めて教えてもらいます。
自分の思いを先にしてから神様へ祈り願うのではなく、神様の御言葉が先にあり、その御言葉に沿って(合わせて)生きてゆくという事かな?と思いました(どっちだろう?と、よく神様に聞きます)。
まだまだ未熟な状態ではありますが、私自身の歩みに少しだけ自信が持てます。

“自分の思いを先にしてから神様へ祈り願うのではなく、神様の御言葉が先にあり、その御言葉に沿って(合わせて)生きてゆくという事”→
仰る通りです。
とても大切ですよね。

はい、とても大切だと思います(まだまだ始めたばかりなので大きな事は言えませんけれど)。
人から伝えられる時や人によっての受け取り方で異なる捉え方となり、神様、主への道に沿っていない歩みとなってしまいそうで、恐る恐るでした。今もまだまだですけれども、感覚的には掴めてきている様な気がします。
教えてくださり、ありがとうございます。

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