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2023年5月 3日 (水)

マタイ21:18ー22 御旨にかなうことを信じて祈るならば、その祈りはかなえられる

 マタイ2118-22には次のように記されています。
18 朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた。
19
 道端に一本のいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、木はたちまち枯れてしまった。
20
 弟子たちはこれを見て驚き、「なぜ、たちまち枯れてしまったのですか」と言った。
21
 イエスはお答えになった。「よく言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになる。22 信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 イチジクの木が呪われた理由は429日の文章に中に記しました。
主イエス様の弟子たちは、イエス様がイチジクに、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われた途端にイチジクの木が枯れたのを見、驚いて「なぜ、たちまち枯れてしまったのですか」と質問しました。

 弟子たちのこの質問にイエス様は何と答えたのでしょうか。
イチジクの木が瞬時的に枯れたのは、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」という主イエス様の信仰による宣言であったのですが、イエス様は、弟子たちに、祈りについて話されたのでした。

 21.22節には、“イエスはお答えになった。
「よく言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山〔オリーブ山(リビングバイブル)〕に向かい、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになる。22 信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」”と記されています。

 少し脱線します。
イスラエル旅行をした人なら誰でもオリーブ山に行ったと思います。
 弟子たちが、神殿が崩壊させられることや世の終わりのしるしについて質問した場所もオリーブ山でした。
マタイ243には、“イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか〔マタイ241.2参照(筆者挿入)〕。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」”(2017)とあります。
 イエス様はオリーブ山の東麓にあるベタニア村に住んでいたラザロとその姉妹マルタとマリヤの家に時々行かれたようです。
 また、イエス様は、ご復活後オリーブ山から昇天しました(使徒19-12)。
そして、主キリスト・イエス様は、地上再臨の時、オリーブ山に降り立つのです。
ゼカリヤ144には、“その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山はその真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ、残りの半分は南へ移る。”(2017)と記されています。

 オリーブ山は海に移るのではないのですが、主の地上再臨の時に、オリーブ山はその真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができるのです。それは、山の半分は北へ、残りの半分は南へと移るからです。
これが神ヤハウェ(主)のご計画の一部なのでしょう。
それだけではなく、標高790mのエルサレムは、どんどん高くなり、どの山〔原語では「山」(ハル)には「ヘー」がついている複数形なので、イスラエルの山々かも知れません(筆者想像)〕よりも高くなるのです(イザヤ22)。

 話を元に戻します。
イエス様は、「よく聞きなさい。あなたがたも、信仰を持ち、疑いさえしなければ、もっと大きなことができるのです。たとえば、このオリーブ山に、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。ほんとうに信じて祈り求めるなら、何でも与えられるのです。」(マタイ2121.22・リビングバイブル)と弟子たちに語られたのです。

 おそらく弟子の誰もオリーブ山を海に移動させてしまうという神から来る確信を持つことは出来なかったと思います。
神様のオリーブ山に関するご計画では、主イエス様の地上再臨の時に、イエス様がオリーブ山に降り立ち、その時オリーブ山は北と南に分かれ、東西に延びる谷が出来る、ということになっていたからです。

 疑うことなく信じれば、とありますが、祈りの成就には、その他の重要な要素もあります。イチジクの木のこの個所には記されていませんが、1ヨハネ514.15には、「何事でも神の御心に適うことを願うなら、神は聞いてくださる。これこそ私たちが神に抱いている確信です。私たちは、願い事を何でも聞いてくださると知れば、神に願ったことは、すでにかなえられたと知るのです。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 叶えられる祈りの条件として、御心にかなう祈り、ということも重要であり、それはまた、主の御人格、主の思いや感情、意志、に合致する範囲内の祈り、ということが大切なのではないだろうかと私には思えます。
イエス様は、「私の名によって願うことを何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。私の名によって願うことは何事でも、私がかなえてあげよう。」(ヨハネ1413.142017)と語られました。
「名によって」という個所を直訳すると、「名の中で」となりますから、主イエス様というお方の御性質や、思いや感情、意思の範囲の中での祈り、というようにも取れると思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたのみ旨にかなう祈りをささげることが出来ますようお整え下さり、お導き下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

他者への祈りに関してや、決められている祈りに関しての祈りは欠かさずにできる様にしていただけております。
個人の祈りとして祈り始めの頃、(これを祈ってもよいのだろうか?と思ったこともありましたので、詳しい方に伺ったことがありました)
心折れそうになり、諦めてしまおうとする心がよく芽生えておりました。その様な時「違いますよ、そうではありませんよ」と言ってくださっている瞬間が起きました。今はこの祈りに自信を持ち、祈り続けております。これも導いてくださっているおかげなのだと思えます。

ありがたいことですね。

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