« 詩篇68:33-36 主に栄光を帰し、主を賛美せよ | トップページ | マタイ22:1-14 王子の婚礼の祝宴に出席できる人とできない人/救いは主イエス・キリストによる贖いと主キリスト・イエスを信じる信仰による »

2023年5月18日 (木)

箴言22:15 愛に基づく教えと訓練

 箴言2215を、
2017
は、“愚かさは子どもの心に絡み付いている。懲らしめのむちがこれを子どもから遠ざける。”と訳し、
新共同訳は、“若者の心には無知がつきもの。これを遠ざけるのは諭しの鞭。”と訳し、
リビングバイブルは、“若者は反抗心でいっぱいですが、正しく罰すれば素直になります。”と訳しています。

 「子ども」、「若者」と訳されている語のヘブライ語原語は「ナアル」で、少年、少女、子ども、若者、召使い、等の意があります。

 後半部分の「むち」と訳されている語のヘブライ語原語は「シェベト」で、原義は、「切り離された枝」で、子孫、接ぎ木の若枝、棒、木製の鞭、木の枝、細長い棒、・・等の意があります。

 箴言2215の新共同訳の前半部分には、若者の心には無知がつきもの。”と記されています。
私は、後期高齢者になっていますが、未だに知らないことだらけです。

 最初にBIBLE naviの適用注解の個所を転記します。
“幼い子どもは、何が起こるかを理解していないので、愚かで危険なことをする。知恵と一般常識は、親の良い模範だけでは伝わらない。私たちが良くなるよう神が私たちを訓練し、叱責なさるように、親は、子どもが善と悪の違いを学べるように、彼らを懲らしめなければならない。神がどのように私たちを叱責されるかについては、31112を読もう。”と記しています。
とのことですので、箴言311.12の聖句と、その箇所の適用注解をも下記します。

 箴言311.12には、
11 わが子よ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の懲らしめを拒むな。その叱責を嫌うな。
12
父がいとしい子を叱るように、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は愛する者を叱る。”(2017)と記されています。

 BIBLE vaviの適用注解は次のように述べています。
“「懲らしめ」とは、「教え、訓練すること」を意味する。「懲らしめ」が多くの人にとって否定的な響きを持つのは、懲らしめる者たちに愛がなかったからだ。だが、神はすべての愛の源であられる。神が私たちを罰するのは、痛みを与えることを楽しむためではなく、私たちの成長に深く配慮しておられるゆえである。神は、私たちが道徳的に強く良い状態になるためには、善と悪の違いを学ばなければならないことを知っておられる。私たちはそのことを神の愛ある懲らしめによって学ぶことが出来るのだ。
 状況を後で振り返るまで、神がいつ懲らしめておられるのかを知るのは困難である。もちろん、すべての災難が直接神から来るのではない。しかし、もし私たちが神に反逆し、生活の中の罪を神が明らかにされるとき悔い改めることを拒むなら、神は私たちをご自身のもとに引き戻すために、罪悪感や危機や悪い経験を用いられる可能性がある。だが、時に、ひどい罪を犯していないときでも困難が訪れることがある。その場合は、私たちは忍耐と誠実をもって反応するべきであり、何をするべきかを神が示してくださると確信を持つべきである。”と記しています。

 BIBLE vaviの適用注解に記されている、“「懲らしめ」とは、「教え、訓練すること」を意味する。・・・・神は・・・愛の源であられる。”という個所がありますが、この個所を書きながら、エペソ51.2の個所に関する私の体験を思い起こしました。
その証は、2013811 ()付の、「トミーの聖書理解」に次のようにあります。
その時のお祈りをも含めて転記します。

“エペソ5:1.2
5:1こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。5:2また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。」(口語訳)

 私にとってこの箇所は思い出深い箇所です。

この箇所は読めば誰でも理解できる内容です。しかし、実行となるとこれまた自分の力で出来るわけはないのです。

信仰を持たせて頂いて数年が経過した頃、この箇所を読んでいたときであったと思いますが、主が優しく包み込むように御声をかけてくださったのです。

「私は、あなたを愛しているよ。あなたも愛のうちに歩みなさい。」と

私は、それによって確かに変えられました。
主のみ言葉が生きて働いてくださったのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
あなたは偉大な方です。
あなたは御声をかけてくださり、そのおことばは、私を変えてくださいます。
あなたのお言葉は、私達の内で生きて働きます。
みことばを用いて御霊が働いてくださるのでしょう。
ありがとうございます。
主の御名によってお祈りします。アーメン”
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「何ゆえ御神は」(聖歌450 聖歌総合版462 新聖歌357
“1.何ゆえ御神は かかる身をも 神の子とせしか 知るを得ねど
(折り返し)* わがより頼む主は 委(ゆだ)ねたる身と魂(たま)を 守り得給(えたも)うと 確信するなり
2.何ゆえ御言葉 信ぜし時に 安きを得たるか 知るを得ねど *
3.何ゆえ主イエスを 救い主と 信じ救われしか 知るを得ねど *”

本当に大感謝です。ハレルヤ!

« 詩篇68:33-36 主に栄光を帰し、主を賛美せよ | トップページ | マタイ22:1-14 王子の婚礼の祝宴に出席できる人とできない人/救いは主イエス・キリストによる贖いと主キリスト・イエスを信じる信仰による »

箴言」カテゴリの記事

日ごとの恵みⅫ」カテゴリの記事

コメント

トミーさんの証のお話しをありがとうございます。
BIBLE naviを記載してくださっている中に〝状況を後で振り返るまで、神がいつ懲らしめておられるのかを知るのは困難である。〟と記されている事を読むと、その瞬間等で感じる圧力等は、やはり人為的なものなのだと確信が持てます。愛のない鞭はメンタルをやられてしまいます。(あれ?と思っている間に…です。そのおかげでイエス様を信じ歩む事ができたので感謝なのですけれども)
私はまだまだ、人に振り回されてしまっている事の方が多い段階なのだと思いました。
妥協や諦めようという気持ちが芽生えやすいのですが、祈っている時などに〝そっちではない〟という事を教えて頂いている気がします。
同時に神様が一つの流れを示してくださっている(気付くのが遅めですが)気がしますので、懲らしめには誠実に対応してゆきたいと改めて思いました。愛ある主が導いてくださっている事を信じ歩み続けたいと改めて思いました。
〝 箴言22:15の2017訳の前半部分には、“若者の心には無知がつきもの。”と・・〟書かれている訳は新共同訳では?と思いました。

訂正すべき箇所を教えてくださり感謝します。
仰られる通り新共同訳ですね。
早速訂正しておきました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 詩篇68:33-36 主に栄光を帰し、主を賛美せよ | トップページ | マタイ22:1-14 王子の婚礼の祝宴に出席できる人とできない人/救いは主イエス・キリストによる贖いと主キリスト・イエスを信じる信仰による »

カテゴリー

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ