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2023年7月

2023年7月31日 (月)

申命記22:1-4 主にある兄姉が困っているときには助け合いましょう/主に聖別されている人は実質的にも清くされてゆく

 申命記221-4には次のように記されています。
1 同胞〔同族(新改訳)、兄弟(口語訳)〕の牛または羊が迷っているのを見て、見ない振りをしてはならない。必ずそれを同胞のもとに戻さなければならない。
2
 もしその同胞が近くの人でなく、知らない人なら、あなたの家に連れ帰って手元に置き、その同胞が捜しに来たとき、その人に返しなさい。
3
 ろばにも、また外套にも同じようにしなさい。同胞がなくしたものを、あなたが見つけたならば、すべて同じようにしなさい。見ない振りをすべきではない。
4
 同胞のろばまたは牛が道に倒れているのを見て、見ない振りをしてはならない。必ずその人と共に助け起こさなければならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所の「同胞」(聖書協会共同訳、新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「アーフ」で、第一義的には、「兄弟」の意ですが、文脈によって色々に訳される語です。口語訳、文語訳、フランシスコ会訳は「兄弟」と訳し、新改訳は「同族」と訳しています。

 BIBLE navi の適用注解には、“へブル人は迷った動物や落とし物を大切に扱い、持ち主本人に返すべきである。世の中では、それに反して、「拾った者が持ち主、落とした者が泣きを見る」という原則がまかり通っている。他の人々の財産を守り、戻すという行動によって、嫉妬や貪欲が戒められることにもなる。”と述べています。

 日本を見たときに、経済的に厳しくなってきたからか、考え方の変化からか、その他のことからかどうかは分かりませんが、近ごろは詐欺や殺人などのニュースを以前より聞くようになってきましたが、少し前の日本人は、今日の聖書個所に記されているようなことをしてきた人が多いと思います。

 しかし、終末に行くほどに、自分さえよければそれでよい、と考える人が増大するのでしょう。それは見かけ上の教会の中にも入ってくるのでしょう。
2
テモテ3章に、
1 終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。
2
そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。
3
また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、4 人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、5 見かけは敬虔であっても〔「信心を装いながら」(新共同訳)、「信心深い様子をしながら」(口語訳)〕、敬虔の力を否定する者になります。こういう人たちを避けなさい。
6
彼らの中には、家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者たちがいます。その女たちは様々な欲望に引き回されて罪に罪を重ね、7 いつも学んでいるのに、いつになっても真理を知ることができません。”(2017)と記されていますから。

 2テモテ31-7は、5節を見ると、終わりの時代の教会を想定しての内容なのだろうと読むことが出来ます。
それは、教会時代の最後の時期に相当する黙示録314-22に記されているラオディキアの教会宛に記されていることとも関係があるのかもしれません。
物質的なものを求めるが、霊的なものを求めていないのです。

 世界中の教会が、ラオディキア的というわけではなく、個々の教会や個々人は、フィラデルフィアの教会の様であるでしょう。またサルディスの教会のわずかな人たちのグループに属する人たちかも知れません。

 おそらく今は終わりの時代だろうと思います。
黙示録2211には、“不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。”(新共同訳)と記されています。
新生させていただいたキリスト者は神に聖別されたところの「聖なる者」です(へブル1010)。
聖なる者(神のものとして聖別されている人)はますます聖なる者(主イエス様を愛し、主イエス様の言われることに従って歩む者)とされるのです(1ペテロ115参照)。
ヨハネは、「キリストにお会いできる望みを置いている人は、キリストが清い方であるように自分をきよくします。」(1ヨハネ33)というスタンスで歩んでいきますよ、と述べています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
御父を愛し、御子であられる私たちの主キリスト・イエス様を愛し、主のみ旨に従って歩むことの出来るものとしてお整え下さい。
そして、主を愛し、喜びをもって主にお仕えする者とさせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月30日 (日)

マタイ24:3-14 終末と満了7/神様は終末の最後まで救われる人が起こされることを期待しておられる

 マタイ243-14には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。5 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。6 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。9 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。10 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。11 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。14 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 14節には、「この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る〔キリストが地上再臨する、の意があるのだと思います(筆者挿入)〕。」というイエス様の御言葉があります。

 教会時代の福音宣教は教会と聖霊によって行われています。
キリストの救いにあずかった人がいくら福音を伝えてもそれだけで人々が救われるわけではありません。御聖霊の働きが大切なのです。
1
コリント123には、“聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。”(2017)と記され、
使徒18には、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、・・・わたしの証人となります。」(2017)という主イエス様の御言葉が記されています。

艱難時代、大患難時代の福音宣教は144000人と艱難時代に救われた人々によって福音宣教が進められていくことでしょう。
神様は、何故、福音宣教のために144000人を遣わすのでしょうか?
艱難時代には、霊的な教会、すなわち新生した者たちの群れは地上にはいないのです。霊的な教会は、キリストの空中再臨の時に携挙されて天に移されているからです。

 黙示録7章には、144000人の神のしもべ(僕)について次のように記されています。
1 この後、私は地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、地の四隅から吹く風を押さえ、地にも海にもどの木にも吹きつけないようにしていた。
2
 また私は、別の天使が生ける神の刻印を携え、日の出る方から上って来るのを見た。その天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に向かって大声で叫んで、3 言った。
「私たちが神の僕の額に刻印を押すまでは、大地も海も木々も損なってはならない。」
4
 私は、刻印を押された人々の数を聞いた。それはイスラエルの子らの全部族〔ただしダン部族は入っていません(筆者挿入)〕の中から刻印を押された人々であり、十四万四千人であった。
5
 ユダ族の中から一万二千人が刻印を押され、ルベン族の中から一万二千人、ガド族の中から一万二千人、6 アシェル族の中から一万二千人、ナフタリ族の中から一万二千人、マナセ族の中から一万二千人、7 シメオン族の中から一万二千人、レビ族の中から一万二千人、イッサカル族の中から一万二千人、8 ゼブルン族の中から一万二千人、ヨセフ族〔ヨセフからマナセとエフライムが出ましたが、6節にマナセ族はあってもエフライム族の記述はありません(筆者挿入)〕の中から一万二千人、ベニヤミン族の中から一万二千人が刻印を押された。”(聖書協会共同訳)とあります。

 人間には分からなくても、神様は、イスラエルの末裔の中から、それもおそらく世界各地に住んでいる人たちで、各人が住んでいる国の言葉で話せる人たちを神のしもべとして福音宣教のために選び出すのでしょう。

 また、世界の中には、携挙されずに残された自称クリスチャンと言われる人たちの中から、本当にイエス・キリストを自分の救い主として殉教覚悟で信じた人たちもいるでしょう。

 いずれにしても艱難時代に殉教して天に帰ってくる魂は多いのです。
黙示録7章には次のように記されています。
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。10 彼らは声高らかに言った。
「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
 また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」
13
 すると、長老の一人〔おそらく教会代表者の一人(筆者挿入)〕が私に問いかけた。
「この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。」
14
 そこで私が、「私の主よ、それはあなたがご存じです」と答えると、長老は言った。
「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で 洗って白くしたのである。
15
 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録79に記されている人以外にも、この後、救われていく人たちは起こされていきます。
それは、黙示録13章を読むとわかりますが、反キリスト(黙示録131-7に記されている第一の獣)を、高く上げる偽預言者(黙示録1311-17に記されている第二の獣)が、反キリストに対する礼拝を強要し、また反キリストの像(偶像)に対する礼拝を強要し、さらに獣の刻印である666を額か右の手に受けることを強制するのです。そして、反キリストや反キリストの像を拝まない人を殺し、666のしるしを持たない者には、売り買いをすることが出来ないようにするのです。
しかし、この命令に従わないで殉教する人たちもいます。
それは黙示録204の後半部分に、“また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。”(2017)と記されているのでわかります。

 大患難時代の宣教の最後は天使によって行われます。
天使による宣教の内容は、キリストの血によって救われた人の場合とは少し異なります。その宣教の内容には、「子羊の血潮」が出てきません。
黙示録14章に次のように記されています。
6 また私は、もう一人の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、部族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携え、7 大声で言った。
「神を畏れ、神に栄光を帰しなさい。神の裁きの時が来た。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝せよ。」”(聖書協会共同訳)とあります。
創造主なる神を畏れ敬い、創造主なる神を礼拝せよ、という内容です。

 イエス様は、「見ないで信じる人たちは幸いです。」(ヨハネ20292017)と語られました。
教会時代に、見ずに信じさせていただけた人は幸いであると思います。
艱難時代、大患難時代を通らないで天に携え挙げられるのですから。
とはいえ教会時代にも殉教したキリスト者は大勢いましたが。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
とても自分勝手ですけれども、教会時代にイエス・キリスト様の救いにあずからせてくださりありがとうございました。
艱難時代にも多くの人たちが殉教してきますが、その人たちを強めてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月29日 (土)

箴言24:3.4 神の宮は尊く好ましいあらゆる宝物で満たされる

 箴言243.42017訳は次のように記しています。
3 家は知恵によって建てられ、英知によって堅くされる。
4
部屋は知識によって、尊く好ましいあらゆる宝物で満たされる。”とあります。

 リビングバイブルはこの個所を、
“事業を始めるときは、よく考えてきちんと計画を立て、しっかり基礎を固めなさい。こうして足もとをしっかり見ながら進めば、成功まちがいなしです。”と訳しています。

 1コリント316には、“あなたがたは、自分が神の宮〔神殿(新共同訳)〕であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。”(2017)とあり、
 1コリント619.20には、“あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮〔神殿(新共同訳)〕であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。”(2017)と記されています。

 2歴代誌21には、“ソロモンは、主の御名のための宮〔神殿(新共同訳)〕と自分の王国のための宮殿を建てることを命じた。”(2017訳。新共同訳、聖書協会共同訳は、2歴代誌118)と記されていますが、神殿も王宮もその建物はヘブライ語では「ベイト」、すなわち「家」です。

 ヘブライ語の「ベイト」という単語から、「御国のここち(心地)す」(聖歌467 聖歌総合版480 新聖歌268)の2.3節の歌詞が思い浮びました。
1
節と折り返し部分を省略すると次のような歌詞です。
“2.かなたの御国は 御顔のほほえみ 拝する心の中にも建てらる
3.山にも谷にも小屋にも宮にも 日々主と住まえば 御国のここちす”

 新生したキリスト者のからだの中には、その人自身の救われた魂と、神から新しく生まれた霊と、主なる神の霊が新生した霊の中に住んでおられます(1コリント619.171ペテロ19、ヨハネ33.6)。

 キリスト者のからだを家として捉えるとき、その家の内には、「聖霊〔直訳「聖い霊」(筆者挿入)〕による義と平和と喜び」(ローマ14172017)が見られ、また、「(御霊による)愛、喜び、平安、寛容、親切(慈愛)、善意、誠実{or(忠実、真実、信仰、確信)}、柔和、自制」(ガラテヤ522.232017+原語の意味合)が見られ、さらに、真理の霊(御霊)による「霊的な理解力と知恵」(コロサイ19)が見られる、すなわち、キリスト者のからだの中の“部屋は・・、尊く好ましいあらゆる宝物で満たされる。”(箴言2442017)と記されている恵みが与えられているのです。

 パウロは、「私たちは、この宝を土の器〔弱き肉体(筆者挿入)〕の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。」(2コリント472017)と語りました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
私たちの内に住んでくださっておられる主ご自身が私たちを整え、あなたの麗しさで満たしてくださいますように。
そのようにして、あなたの霊が私たちを通して流れ出てくださいますように。
至る所でキリストの香りが放たれていきますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月28日 (金)

詩編85篇 慈しみ深い主の祝福

 詩篇85篇を聖書協会共同訳は次のように記しています。
1 指揮者によって。コラの子たちの詩。賛歌。
2
 主よ、あなたはご自分の地に恵みを示しヤコブの繁栄を回復してくださった。
3
 民の過ちを取り除き、その罪をすべて覆ってくださった。〔セラ
4
 あなたの憤りをことごとく抑え、燃える怒りを収めてくださった。
5
 我らの救いの神よ、私たちを元に返し、私たちに対する憂い〔御怒り(2017)〕を鎮めてください。
6
 あなたはとこしえに私たちを怒り、その怒りを代々にまで及ぼすのですか。
7
 再び私たちを生かし、民があなたを喜び祝うようにしてくださらないのですか。
8
 主よ、慈しみ〔恵み(2017)〕を私たちに示し、救いを与えてください。
9
 主なる神が何を語られるかを聞こう。主は平和を語られる。その民に、忠実な人たちに。彼らが愚かさに戻らないように。〔聞かせてください。主である神の仰せを。主は、御民に、主にある敬虔な人たちに、平和を告げられます。彼らが再び愚かさに戻らないように。(2017)〕
10
 確かに、救いは主を畏れる者に近く、栄光は私たちの地に住む。
11
 慈しみ〔恵み(2017)〕とまことは出会い、義と平和が口づけする。
12
 まことは地から芽生え、義は天から目を注ぐ。
13
 主はまた恵み〔良いもの(2017)〕を与え、我らの地は実りをもたらす。
14
 義は主の前を進み、主の歩まれる道を備える。”とあります。
(口語訳、新改訳は、聖書協会共同訳の1節を表題としていますので、1節ずつずれており、全体で1-13節となっています)

 20153月のトミーの聖書理解のブログでは、この詩篇852-8について、コラがユダを念頭に置いて記したことを基に書き進めました。今回は、歴史を離れキリスト者向けに記してみたいと思います。

 自分が、主なる神様に対して罪を犯している存在であることを悟り、イエス・キリスト様の十字架のゆえに罪赦されるということを知り、主イエス様を信じて、主の御救いにあずかった後、いつの間にか主に信頼して歩むという道からそれてしまうことがあります。

 主イエス様は、「いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」(マタイ7142017)と語られましたが、救いの第一歩の「狭い門から入る」、すなわちイエス・キリスト様を信じる、というところまでは良かったのですが、細い道から横にそれてしまうという場合があります。
世にあるものにとらわれてしまい、主の道を見失うのです。
 1ヨハネ215-17には、「世も世にあるものも、愛してはなりません。世を愛する人がいれば、御父の愛はその人の内にありません。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、見栄を張った生活〔暮らし向きの自慢(2017)〕は、御父から出たものではなく、世から出たものだからです。世も、世の欲も、過ぎ去ります。しかし、神の御心を行う者は、永遠にとどまります〔生き続けます(2017)〕。(聖書協会共同訳)と記されています。

 世的な歩みをしていると、愛なる主は、私たちを正しい道へ引き戻そうとして、主を求めずにはいられないところへと追い込まれるのです。
これは、かつてユダがバビロンに捕囚となり、つらい目にあったゆえに主のもとへと帰ってきたのと同じようなものです。
辛い目にあって、自分が主から離れていたことに気づくのです。

 余談になりますが、人において、そして人と神との関係において、「離れる」ということを少し考えてみます。
肉体は、たましいから離れたら死にます。そのことが最初に記されている個所は創世記3516-19で、次のように記されています。
16 それから彼らはベテルを出発した。エフラタに着くまでにはまだなお道のりがあったが、ラケルは産気づき、難産であった。
17
 その難産で苦しんでいたとき、助産婦は彼女に言った。「心配ありません。今度も男の子です。」
18
 ラケルは死にかかって命が絶えようとしたとき〔彼女が死に臨み、たましいが離れ去ろうとしたとき2017)。ヘブライ語原語は「ネフェシュ」(筆者挿入)〕、その子をベン・オニと名付けた。しかし父はこれをベニヤミンと名付けた。
19
 ラケルは亡くなり、エフラタ、すなわちベツレヘムに向かう道のそばに葬られた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この魂の中には、いのちの息すなわち肉体を生かしている霊があります。
ルカ849-55には次のように記されています。
49 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなられました。この上、先生を煩わすことはありません。」
50
 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」
51
 家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに子どもの父母のほかには、誰も一緒に入ることをお許しにならなかった。
52
 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた。「泣かなくてもよい。娘は死んだのではない。眠っているのだ。」
53
 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスを嘲笑った。
54
 イエスは娘の手を取って、「子よ、起きなさい」と呼びかけられた。
55
すると、霊〔口語訳や2017訳のイザヤ5716、ゼカリヤ121を参照(筆者挿入)〕が戻って、娘はすぐに起き上がった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 新生したキリスト者の霊は霊から生まれた霊です(ヨハネ33.61ペテロ13、ヤコブ118)。新生したキリスト者は、その霊において主と結ばれているのです(1コリント617)。

 第二の死(黙示録206.14)とは、永遠に魂が神から離れることです。
第二の死を経験する人は、主なる神様と離れて生きることを願って生活していた人です。
主イエス様は、「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」(ヨハネ637b・新改訳初版~第三版)と言われるお方です。

 話を元に戻します。
細い道から横道に逸(そ)れてしまったキリスト者も、主の恵みによって主の喜ばれる道に引き戻され、恵みとまこと(真理)に満ちておられる主(ヨハネ114)と共なる歩みをさせていただけるのです。
すべて主の恵みです。
「主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます〔主はわたしのために、みこころをなしとげられる(口語訳)〕。主よ、あなたの恵みはとこしえにあります。」(詩編1388a.b2017

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたは恵み深いお方です。
ピリピ16には、“あなたがたの中で善い業を始められた方〔主なる神様(筆者挿入)〕が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。”(新共同訳)とありますが、三一の神様は、そのようなお方ですから御名を崇めて感謝します。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月27日 (木)

申命記21:22-23 死刑で木にかけられた死体/キリストは私たちのために呪われた者となってくださった

 申命記2122.23には次のように記されています。
22 ある人に死刑に当たる罪過があって処刑され、あなたが彼を木にかける場合、
23
その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる土地を汚してはならない。”(2017)とあります。

 レビ記20:14、21:9や出エジプト2112-17,232218-20等には死刑の項目が記され、出エジプト22:21-24には、主の裁きとしての死が含まれています。

 ローマ623aには、“罪の支払う報酬は死である。”(口語訳)と記されています。
続くローマ623bには、“しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。”(口語訳)と記されています。

 申命記2123の聖句の一部を引用してパウロは次のように記しています。
“キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。”(ガラテヤ3132017)とあります。
 ガラテヤ313をリビングバイブルは、“しかし自分の悪い行いのために、私たちが受けなければならないはずののろいを、キリストはご自分の身に引き受け、私たちを律法ののろいから救い出してくださいました。聖書に、「木にかけられる者はだれでも、のろわれた者である」と書いてあるからです。”と訳しています。

 1ペテロ224には、“木の上に懸(かか)りて、みづから我らの罪を己(おの)が身に負ひ給へり。これ我らが罪に就きて死に、義に就きて生きん爲なり。汝らは彼の傷によりて癒されたり。”(文語訳)と記され、その前の22.23節には、
“彼〔キリスト(筆者挿入)〕は罪を犯さず、その口に虚僞(いつわり)なく、また罵(ののし)られて罵らず、苦しめられて脅(おびや)かさず、正しく審きたまふ者に己を委ね、”(文語訳)と記され、1ペテロ224に続くのです。

 1ペテロ222-24をリビングバイブルは、
22 キリストは一度も、罪を犯したり、偽りを語ったりなさいませんでした。
23
侮辱されても、苦しめられても報復せず、公平にさばかれる神にご自分をお任せになりました。
24
キリストは、私たちの罪をその身に負って、十字架上で死んでくださいました。そのおかげで、私たちは罪から離れ、正しい生活を始めることができたのです〔それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため(2017)〕。キリストが傷つくことによって、私たちの傷はいやされました。”と訳しています。

 話は変わりますが、
「私が受けた心の傷や体の傷はだれにもわからない」と言って、頑なになる人がいますが、一方、キリストが受けた傷によって心が癒された、という経験をされた人たちもいます。
イザヤ535に、
“・・、彼〔キリスト(筆者挿入)〕は私たちの背(そむ)きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。”(2017)とあるように。

 キリストが受けた傷は、体に損傷を受けた茨の冠の茨のとげとげによる傷やとげとげのついた鞭で打たれ続けた数多くの傷やとても太い釘で十字架に打ち込まれた傷や槍の傷だけではなく、ゲッセマネの祈りを見るときに、その心の痛みの激しさも少し垣間見ることが出来ます。
へブル人への手紙の著者は、「私たちの大祭司〔キリスト(筆者挿入)〕は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。」(へブル4162017)と述べました。
キリストの苦難を思い、キリストに祈るとき、心も癒されます。
主が癒してくださるのです。
キリストの受けた苦難は、私たちの為であったのですから。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
三一の主なる神様の御愛に感謝します。
主のおかげで、生き生きと生きることが出来るような恵みを与えられていますことを感謝します。
それだけではなく、永遠の命が与えられていますことを感謝します。
すべて御父の御愛と御子の恵みと御聖霊の御働きによるものであることを覚えます。
神様の御名を賛美し、感謝して、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月26日 (水)

マタイ24:3-14 終末と満了6 殉教者

 マタイ243-14には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。ま た、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。
5
 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
6
 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。
7
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
8
 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
9
 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。
10
 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
11
 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。
12
 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
13
 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14
 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 9.10節には、
9 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。
10
 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。”と記されています。

 キリスト者の殉教は、ステパノの殉教(使徒755-60)以来現代まで続いています。
しかし、今日の個所は、主イエス様が弟子たちの「終わりの時には」と聞いた質問に答える形で答えたものですから教会時代の殉教者とは異なります。特に、9節では、「私の名のために、あなたがたはすべての民〔全世界の人々(筆者挿入)〕に憎まれる」と主が語っておられますが、これは世界統一宗教が出来ないと起こらないことです。世界統一宗教は、「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒412・新共同訳)ということを受け入れることが出来ないのです。
世界統一宗教は、「救いは、イエス・キリストのみ(だけ)」ということを証しする人を殺すのです。

 終末と満了4の個所で、戦争のことや戦争の噂(6)、民族間及び国家間紛争(7)、飢饉や地震(7)、疫病、天変地異について書きました。
天変地異は、黙示録612-17の第6の封印の個所ですが、その前の第五の封印の個所には、殉教者が多く起こされるということが記されています。黙示録69-11には次のように記されています。
 “9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神の言葉のゆえに、また、自分たちが立てた証しのゆえに殺された人々の魂を、祭壇〔天にある祭壇(筆者挿入)〕の下に見た。
10
 彼らは大声でこう叫んだ。「聖なるまことの主よ、あなたはいつまで裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」〔キリスト者が殉教するときに聖霊に満たされていたなら、ステパノが祈った様に祈って霊と魂は天に帰るでしょう(使徒759.60)。あるいは主イエス様のように祈る人もいるでしょう(ルカ2334.46参照)。(筆者挿入)〕
11
 すると、彼らの一人一人に白い衣が与えられ、それから、「あなたがたと同じように殺されようとしているきょうだいであり、同じ僕である者の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と告げられた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 教会時代に新生したキリスト者はすでに携挙されて天にいますので、ここで殉教している人たちは携挙されなかった人たちです。すなわち艱難時代の聖徒の人たちの一部です。
おそらくこの人たちは、黙示録79-17に次の様に記されている人たちのことでしょう。
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民〔全世界の民(筆者挿入)〕から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。
10
 彼らは声高らかに言った。「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
 また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が、世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」
13
 すると、長老の一人が私に問いかけた。
「この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。」
14
 そこで私が、「私の主よ、それはあなたがご存じです」と答えると、長老は言った。「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 上記の人たちとは別の殉教者も黙示録には登場します。
黙示録13章には、獣を礼拝しない人たちや獣の像を拝まない人たちからなる殉教者、また、獣の刻印(666)を受けない人たちの中で生きていけなくなった殉教者について次のように記されています。
 “11 また私は、もう一頭の獣が地中から上って来るのを見た。この獣には、小羊に似た二本の角があって、竜〔サタン(悪魔){筆者挿入}〕のように語った。
12
 この獣は、第一の獣〔反キリスト(筆者挿入)〕が持っていたすべての権威をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、死ぬほどの傷が治った第一の獣を拝ませた。
13
 そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火をも降らせた。
14
 さらに、第一の獣の前で行うことを許された数々のしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣の傷を負ったがなお生きている第一の獣の像を造るように、地上に住む人たちに命じた。〔この像は神殿に置かれます{マタイ2415}(筆者挿入)〕
15
 第二の獣は、獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。
16
 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
17
 そして、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようにした。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
18
 ここに知恵がある。理解ある者は、獣の数字の持つ意味を考えるがよい。数字は人間を指している。そして、その数字は六百六十六である。〔数字に関しては「ゲマトリア」を調べてください(筆者挿入)〕”(聖書協会共同訳)とあります。

 更に最後の殉教者のグループが、黙示録1413に、“また私は、天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主にあって死ぬ人は幸いである。』」霊も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

 艱難時代に殉教した聖徒たちはどうなるのでしょうか。
黙示録204に、“・・・。また私は、イエスの証しと神の言葉のゆえに首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣も獣の像も拝まず、額や手に刻印を受けなかった。彼らは生き返り、キリストと共に千年の間支配した。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 上記の黙示録204よりも前の時に、それもキリストの地上再臨より前の時に、天において、花婿キリストと花嫁教会(キリスト者の総体)の婚礼の義があり、黙示録195-9には次のように記されています。
5 また、玉座から声がして、こう言った。
「すべて神の僕たちよ。神を畏れる者たちよ。小さな者も大きな者も、私たちの神をたたえよ。」
6
 また私は、大群衆の声、大水のとどろき、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。全能者である神、主〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕が王となられた。7 私たちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁〔原語を直訳すると「彼の妻」。エペソ532、ヨハネ329も参照(筆者挿入)〕は支度を整え8 輝く清い上質の亜麻布を身にまとった。この上質の亜麻布とは、聖なる者たちの正しい行いである。」
9
 それから、天使は私に、「書き記せ。小羊の婚礼の祝宴に招かれている者は幸いだ」と言い、また、「これらは、神の真実の言葉である」とも言った。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
艱難時代、大患難時代の殉教者たちに対する報いを黙示録204で見させていただけますことを感謝します。
私などは弱き者ですから艱難時代の前に天に挙げていただけますことを感謝します。
それどころか花嫁を構成する一人としてくださり大感謝です。
ただただ主の恵みです。
主の御名を崇め感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月25日 (火)

箴言24:1.2 キリスト者は御国の民

 箴言241.2には次のように記されています。
1 悪い者たちを羨んではならない。彼らとともにいることを望んではならない。
2
彼らの心は暴行を企み、唇は邪悪を語るからだ。”(2017)とあります。

 この個所を、リビングバイブルは次のように意訳しています。
1 神を信じない人々をうらやんではいけません。仲間になろうと思ってもいけません。
2
彼らは毎日毎日、人に乱暴し、だますことに明け暮れているのです。”とあります。

 聖書で「悪い者たち」というのは、ヤハウェ(主)であるまことの神を信ぜず、また、信じないのですから主の教えに従おうともしない人たちのことです。

 2節の後半には、「唇は邪悪を語るからだ」とあります。
キリスト者は、日々聖書に反する言葉を、この世の報道や人々の会話やコメンテーターから聞かされているのです。これはキリスト者の心に対する大いなる暴力です。

 この個所を読むと詩篇73篇を思い出します。
詩篇73篇の前半部分には次のように記されています。
1 賛歌。アサフの詩。神はなんと恵み深いことか。イスラエルに、心の清い者たちに。
2
 それなのに私は、危うく足を滑らせ、今にも歩みを踏み誤るところだった。
3
 悪しき者〔ヤハウェ(主)を信ぜず、従わない者(筆者挿入)〕の安泰を見て、〔ヤハウェ(主)と他者に対して(筆者挿入)〕驕り高ぶる者を妬んだ。
4
 彼らには苦しみがなく、体も肥えて健やかである。
5
 人間〔原語は「エーノーシュ」で(死を免れない)人間(筆者挿入)〕の負うべき労苦もなく、人々のように打たれることもない。
4.5節の筆者の意訳:「神を信じない者たちは、神の教えを気にかけることもなく、それでも順風満帆で、美味しい物をたらふく食べ、病気にもならず、経済的にも豊かで、権力も手にしている。」(筆者挿入)〕
6
 それゆえ、高慢が首を飾り、暴虐の衣が彼らを包む。
7
 過ちは脂肪の中からにじみ出て、悪だくみは心に溢れている。
〔「かれら肥ふとりてその目とびいで心の欲にまさりて物をうるなり」(文語訳)〕
8
 彼らは嘲り、悪意をもって語り、高飛車に暴言を吐く。
〔「神をあざけり、神を信じる人々を脅(おど)す、その口のきき方は、なんと横柄なことでしょう。」(リビングバイブル)〕
9
 彼らは口を天に置き、舌は地を這う。〔彼らは天を向こうに回していばり、大手を振って地上を闊歩します。(リビングバイブル)〕
10
 それゆえ、民はここに帰り、彼らの言葉を水のように貪る。〔その影響は神を信じる人々にも及び、多くの混乱ととまどいをもたらしました。(リビングバイブル)〕
11
 彼らは言う。「神がどうして知っていようか。いと高き方に何の知識があろうか。」
12
 見よ、これが悪しき者〔原語は「ラーシャー」で「不敬虔な者」の意もあります(筆者挿入)〕。とこしえに安穏に財をなしてゆく。”(聖書協会共同訳)とあります。

 11.12節を読むと、不敬虔なものが、「いと高き方に何の知識があろうか。」と言っているのをみます。

さて、キリスト者は御国の民(天国の民)です。そして、この世に遣わされている者です。
この世においては、地の塩(マタイ513)、世の光(514)であり、キリストの福音のために遣わされている者です。
キリスト者が求めるものは、この世の財や権力ではなく、滅びゆくたましいの救いのために主に在って労することであり、神の子どもとしてふさわしい神の御性質です(2ペテロ14)。また、キリストの花嫁としてふさわしいキリストへの愛と従順です。
 この世の生活は、主が面倒を見てくださるということを信じましょう。
マタイ633には、「神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。」(リビングバイブル)とイエス様の御言葉が記され、
ピリピ419には、「神は、キリスト・イエスが成し遂げてくださったことによるご自身の栄光の富の中から、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださる方です。」(リビングバイブル)というパウロの言葉が記されています。

 キリスト者の最終的な祝福は、この世の言葉で表現できる範囲を超えている素晴らしいものです(黙示録21.22章)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
新生したキリスト者は御国の民ですから、この世にふさわしい者としてではなく、御国にふさわしい者としてお整え下さい。
あなたの喜ばれる歩みをしていく者としてお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月24日 (月)

詩篇84篇 主とともにある幸い

 詩篇84篇は次のように記されています。
1 指揮者によって。ギティトに合わせて。コラの子たちの詩。賛歌。
2
 万軍の主よ。あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。
3
 私の魂は主の庭に思い焦がれ、絶え入りそうです〔私のたましいは主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです(2017)〕。生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。
4
 あなたの祭壇の傍らに小鳥さえも住みかを見つけ、つばめも巣をかけて、雛を育てています。万軍の主、わが王、わが神よ。
5
 幸いな者、あなたの家に住む人は。彼らは絶えずあなたを賛美します。〔セラ
6
 幸いな者、あなたを力とし、心の中に大路を敷く人は。
7
 嘆きの谷を通る者たちはそこを泉に変えます。秋の雨がそこをまた祝福で覆います。
8
 彼らは力から力へと進み、シオンで神にまみえるのです。
9
 万軍の神、主よ、私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ、耳を傾けてください。〔セラ
10
 神よ、私たちの盾を見てください。あなたの油注がれた者の顔に目を向けてください。
11
 あなたの庭で過ごす一日は、私の選んだ千日にもまさる。神の家の戸口に立つことは、悪の天幕に住まうにもまさる。
12
 神である主は太陽、盾。主は恵みと栄光を与え、全き道を歩む者に良いものを惜しむことはありません。
13
 万軍の主よ。幸いな者〔なんと幸いなことでしょう(2017)〕、あなたに信頼する人は。”(聖書協会共同訳)とあります。
(詩編84篇を、聖書協会共同訳、新共同訳、フランシスコ会訳は13節までありますが、口語訳と新改訳は聖書協会共同訳の1節を表題としているので2節を1節とし、12節までです。リビングバイブルは、表題を入れず12節までです。)

 1節に、“指揮者によって。ギティトに合わせて。コラの子たちの詩。賛歌。”とあります。
Strong
辞書によると、「ギティト」はギティーの女性名詞で、「ギティー」は、ガテの住民、ガテ(ガト)の意があり、「ギティト」には、ガテのハープの意もあります。

 2-5節には、
2 万軍の主よ。あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。
3
 私の魂は主の庭に思い焦がれ、絶え入りそうです〔私のたましいは主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです(2017)〕。生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。
4
 あなたの祭壇の傍らに小鳥さえも住みかを見つけ、つばめも巣をかけて、雛を育てています。万軍の主、わが王、わが神よ。
5
 幸いな者、あなたの家に住む人は。彼らは絶えずあなたを賛美します。」(聖書協会共同訳)と歌われていますが、この個所を読んだときに、「御国の心地す」の賛美を思い起こしました。

 「御国の心地す」の歌詞は下記のようになっています。
「悲しみ尽きざる」{御国のここちす}(聖歌467 聖歌総合版480 新共同訳268
“1.悲しみ尽きざる浮世にありても 日々主と歩めば御国の心地(ここち)す
(折り返し部分 *)
ハレルヤ!罪 咎 消されし我が身は いずくにありても御国の心地す
2.かなたの御国は御顔のほほえみ 拝する心の中にも建てらる *
3.山にも谷にも小屋にも宮にも 日々主と住まえば御国の心地す *”

 新約の恵みは何と素晴らしいことでしょう。
罪を告白し、主イエス様を心にお迎えすれば(主イエス様を信じれば)、主は心の内に住んでくださるのです。
もう少し詳しく言えば、主を信じたときに、たましいは救われ(1ペテロ19)、霊の新生も与えられるのです(ヨハネ33.61ペテロ13)。この魂と霊は永遠です(ヨハネ1126)。新生した霊は主と結ばれている(主と一つの霊になっている)のです(1コリント617)。また、たましいまでも主の霊に満たされれば、さらに幸いです。
「御国の心地す」の2節の、「かなたの御国は御顔のほほえみ 拝する心の中にも建てらる」ということを経験しつつ日々歩むことが出来るでしょう。

 魂のきよめのためには、多くの場合、戦いが必要です。ヨシュアとイスラエルの民がカナンの地を一つ一つ獲得していったように、私たちの魂の様々な部分を主の血潮と真理の御言葉と罪を捨てることによって主のみ旨に沿うように変えていただく必要があるからです。これはきよめの過程です(聖化)。新生した人であれば、一瞬にして全てをきよくして頂けるときがあります。それが新生しただれにでも訪れるのは、主にお会いする寸前です。
 1テサロニケ523.24には、
“平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。”(2017)と記され、
 1ヨハネ32.3には、
“愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに〔キリストの空中再臨の時に(筆者挿入)〕、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。”(2017)と記されています。

 しかしそれ以前の時であっても、たましいをきよくしていただける恵みがあります。
キリストのきよめの血潮が流され、真理の御言葉を与えられ、御聖霊を与えられ、信仰を与えられているからです。
 1ペテロ122には、
“あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、・・・。”(2017)と記され、
 1ヨハネ17には、
“もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、・・・、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。”(2017)と記され、
 使徒159には、
“彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。”(2017)と記され、
 ガラテヤ516.22.23には、
16 ・・。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。/
22
・・、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、自制です。・・・。”(2017)と記されています。

 魂もきよくして頂けると、詩篇845-8に、
5 幸いな者、あなたの家に住む人は。彼らは絶えずあなたを賛美します。
6
 幸いな者、あなたを力とし、心の中に大路を敷く人は。
7
 嘆きの谷を通る者たちはそこを泉に変えます。秋の雨がそこをまた祝福で覆います。
8
 彼らは力から力へと進み、シオンで神にまみえるのです〔霊と魂の中で始終主と交わることが出来るのです(筆者挿入)〕。”(聖書協会共同訳)と記されているような恵みにあずかることでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
“神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。”(エペソ13・新共同訳)とあるように祝福してくださいましたから感謝します。
日々主の霊に満たされて歩ませていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月23日 (日)

申命記20:1-4 戦いについて/キリスト者の敵は人ではなく悪魔悪霊です

 申命記201-4には次のように記されています。
1 あなたが敵に向かって出陣するとき、馬や戦車、また自分よりも数の多い軍勢を見て、恐れてはならない。エジプトの地からあなたを導き上ったあなたの神、主が共におられる。
2
 戦いの場に臨むときは、祭司は進み出て民に告げ、3 次のように言いなさい。
「聞け、イスラエルよ。あなたがたは今日、敵と戦おうとしている。気弱になるな。恐れるな。うろたえるな。敵の前でおののくな。4 あなたがたの神、主が共に歩み、あなたがたのために敵と戦い、あなたがたを救うからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 地上の神の国(神が統治する国)であるイスラエルにおいて、戦争とは聖戦でした。それ故、戦争は神の主導による主の戦いでした。

 少年ダビデが、巨人戦士ゴリアテと戦うときに、ダビデは、「この戦いはヤハウェ(主)の戦いだ」(1サムエル17472017)と語り、石投げと一つの石で巨人戦士ゴリアテに勝利しました。

 この戦いの時にダビデがゴリアテに語った口上が1サムエル1745-47に次のように記されています。
「おまえ〔ゴリアテ(筆者挿入)〕は、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。今日、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを殺しておまえの頭を胴体から離し、今日、ペリシテ人の軍勢の屍(しかばね)を、空の鳥、地の獣に与えてやる。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るだろう。ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」(2017)とあります。

 繰り返しますが、旧約時代のイスラエルの場合でも、勝手に戦争をしてよいのではありませんでした。主にある戦争は、主の主導のもとに行われたものです。
新約の時代、もし国家間で戦争が起こった場合、自分が兵士として招集されたとしたらどうしたらよいのでしょう。どうすべきかを主に教えてもらう以外に方法はありません。
先の戦争の時には、キリスト者として国の在り方に反対してひどい目にあわされた人もいれば、戦地に赴いて主に守られ続けて帰ってきた人もいました。
主は、戦争をも用いて魂を救われる、ということをなさる場合もあるお方です(ゼカリヤ12章、138.9)。

 戦いに関して、新約時代においてキリスト者に求められているのは、悪しき霊との戦い、罪や世との闘い、ということになると思います。
それらに関するいくつかの聖句をあげておきます。
 エペソ612 “私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。”(2017
この個所のリビングバイブル訳 “戦う相手は、血肉を持った人間ではなく、肉体のない者たちです。すなわち、目に見えない世界の支配者たち、この世を支配する暗やみの大王たち、それに、天にいる無数の悪霊です。”

 マタイ1228.29 “・・・、もしわたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕が神の霊によって悪霊を追い出しているとしたら、どうでしょう。神の国はもう、あなたがたのところに来ているのです。強い者の家に押し入って、物を盗み出すにはまず、その強い者を縛り上げなければなりません。悪霊も同じことです。まずサタンを縛り上げなければ、悪霊を追い出せるわけがありません。”(リビングバイブル)

 2テモテ23.4 “キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください。兵役についている人は・・・、・・・。ただ、兵を募った人〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を喜ばせようとします。”(2017
〔福音宣教の戦士。悪しき霊は対抗してきます。(筆者挿入)〕 

 ヤコブ44 “・・・。この世の快楽に親しむのは、神を敵に回すことです。世の友を求めるなら、神の友にはなれません。(リビングバイブル)”
〔参考:“神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。”(ローマ1417・新共同訳)〕

 ヤコブ41.2 {争いの原因}“あなたがたの争いは、いったい何が原因ですか。あなたがたの心にうず巻く悪い欲望から出たものではありませんか。あなたがたときたら、人殺しをしてでも欲しいものを手に入れたがるのです。うらやんでも手に入れることができないと、力ずくで奪おうとしてけんかをします。神に願い求めることをしないからです。”(リビングバイブル)
 今日のテーマとは関係ありませんが、続くヤコブ43には、“いくら願い求めても手に入らないのは、その目的や動機がまちがっているからです。自分を楽しませることのみ求めているからです。”(リビングバイブル)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
いつも主の御前にへりくだり、主に信頼し、敵と対峙するときには、敵に立ち向かう者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
“身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。”(1ペテロ58.92017

2023年7月22日 (土)

マタイ24:3-14 終末と満了5 終わりの時代の人の心/多くの人の愛が冷える

 マタイ243-14には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。
「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
5
 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
6
 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。
7
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
8
 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
9
 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。
10
 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
11
 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。
12
 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
13
 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14
 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」(聖書協会共同訳)とあります。

 12節には、“不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。”と記されています。
終わりの時代には困難な日々が訪れると2テモテ3章に次のように記されています。
1 このことを知っておきなさい。終わりの日〔「日々」(岩波訳)。「日」の原語は複数形です。(筆者挿入)〕には困難な時期がやって来ます。
2
 その時、人々は、自分自身を愛し〔自分だけを愛し(2017)〕、金に執着し、見栄を張り、思い上がり、神を冒涜し、親に逆らい、恩を知らず、神を畏れなくなります〔汚れた者になります(2017)〕。
3
 また、情けを知らず、和解せず、人をそしり、自制心がなく、粗暴になり、善を好まず、4 人を裏切り、向こう見ずになり、気が変になり〔思い上がり(2017)〕、神よりも快楽を愛し、5 見た目は敬虔であっても、敬虔の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録2.3章には、7つの教会が記されています。
この7つの教会は、黙示録が記された当時に存在した教会であるとともに、教会歴史の中で各時代に特筆されるべき教会のありようを予告するとともに、どの時代にも、当てはまる教会が存在するというような三重構造になっているように思えます。

 さて、現代の教会は、大雑把に言うとどのような教会が多いと言っているのでしょうか?
それは、7番目の教会のラオディキアの教会です。
物質的には豊かになったけれども霊的には乏しいと言われています。
しかし中にはフィラデルフィアの教会に記されているような教会もあるでしょうし、ティアティラのような教会もあるでしょう。その他の教会のようなところもあるでしょう。
私個人としては、フィラデルフィアの教会の様でありたいな、と思っています。
フィラデルフィアの教会の記述の中の黙示録310を素直に直訳すると、「あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったので、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時から〔ギリシア語原語は「エク」で原義はfromです。(筆者挿入)〕、わたしもあなたを守る。」となります。

 さて、それはそれとして、終末時代には、不法がはびこるので、愛が冷える、という意が12節に記されています。
まだ黙示録6章から始まる艱難時代の封印は解かれてはいませんが、それでも、理不尽な戦争が起こり、食糧難がじわじわと進行し、疫病もはやり、災害がひどくなってきています。{携挙後にまず起こる戦争、飢饉、疫病、その他によって死ぬ人は、(地上の人口-携挙の人数)×1/4です。(黙示録63-8)}
それ故、生活が苦しくなる人や人との交わりが希薄になる人が増加し、犯罪も増えてきているような印象を私は持ちます。実際の統計を調べていないので不確かですが。
そのようになると、多くの人は、より自己中心主義に落ち込んでいくことでしょう。
もう自分を守るだけで精一杯、自分さえよければよい、以前は神を信じていたと思っていたけれども、新生していたわけではないので、今では、神を神とも思わない、と言うような人も出てくることでしょう。

 そのようになってくると、前述した2テモテ32-5に記されているような心の状態が生まれてくることでしょう。
 2テモテ31-5のパウロの忠告をリビングバイブルで読んでみることにします。
1 テモテよ。これから書くことを、よく心にとめておきなさい。終末の時代には、クリスチャンになることが非常にむずかしくなります。
2
自分だけを愛し、また、お金がすべてだと考える風潮がはびこります。その時人々は、高慢な者、大言壮語する者、神をあざける者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、神を恐れない者になり、
3
また、他人を理解しようとしない者、人をだます者、節度のない者になります。彼らは乱暴で残忍な行動をし、善良な人をあざ笑います。
4
人を裏切り、すぐに思い上がり、神を礼拝するよりも自分の快楽に心を奪われます。
5
教会に出席していたとしても、聞いたことを何一つ信じようとしないのです。目をしっかり開けて、そんな人たちには近寄らないようにしなさい。”と意訳しています。

 人間関係の難しい時代に入っています。キリスト者である私としては、ヒューマニズムではなく、主権在民でもなく、主権在神(神といっても三一の神)を基礎において歩んでいきたいと思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
主イエス様は、「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13342017)と言われました。
主イエス様が私を愛してくださったように、私も主にある兄姉を愛するというのは自力においてはできないことです。内におられる主が輝き出てくださっておられるときだけ可能であることを覚えます。
内におられる主の働き、主の輝きを邪魔するものが常に取り除かれた状態で歩むことが出来ますように。
聖徒はますます聖なる者とされなさい(黙示録2211)、と記されているように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月21日 (金)

箴言23:29-35 酒に満たされるのではなく聖霊に満たされなさい

 箴言2329-35には次のように記されています。
29 惨めな者は誰か、悲しむ者は誰か、争う者は誰か、嘆く者は誰か、理由もなく傷だらけになっているのは誰か、濁った目をしているのは誰か。
30
 それは酒を飲んで夜更かしする者、混ぜ合わせた酒を試しに行く者。
31
 酒に見とれるな。酒は赤く、杯の中で輝き、滑らかに喉を下り、32 ついには蛇のようにかみ、コブラのように刺す。
33
 あなたの目は怪しげなものを見、あなたの心は歪曲したことを語る。
34
 海の真ん中で横たわる者のように、帆先で横たわる者のようになって、35 「誰かが私を打ったが、痛くなかった。誰かが叩いたが、感じなかった。いつ酔いがさめてしまうのか。もっと酒を求めよう」と言う。”(聖書協会共同訳)とあります。

 3031節に、「酒」とありますが、ヘブライ語原語は、「ヤイン」でワインのことです。

 この個所を読むと、現代でいうアルコール依存症のように思えますが、いかがでしょうか?
 アルコール依存症の症状について、ウィキペディアには次の様に記されています。
目が覚めている間、常にアルコールに対する強い渇望感が生じる
 強迫的飲酒が進んでくると、常にアルコールに酔った状態・体内にアルコールがある状態を求め、調子が出ないと思ったりして、目が覚めている間、飲んではいけない時(勤務中や医者から止められている時など)であろうとずっと飲酒を続けるという「連続飲酒発作」がしばしば起こることがある。
会社員など、昼間に人目のつく場所で飲酒ができない場合、トイレなどで隠れて飲酒をする例がある。
さらに症状が進むと身体的限界が来るまで常に「連続飲酒」を続けるようになり、体がアルコールを受け付けなくなるとしばらく断酒し、回復するとまた連続飲酒を続けるというパターンを繰り返す「山型飲酒サイクル」に移行することがある。ここまで症状が進むとかなりの重度である。

飲酒を自分の意志でコントロールできない
「人がアルコールを含む飲み物を切望し、その飲酒を制御することができない慢性疾患。」(ICD-9) 〔「ICD」とは国際疾病分類のこと(筆者挿入)〕
 「強迫的飲酒」とは以下のような状態である。
少量のアルコールの摂取によっても脳が麻痺してしまい、飲み始めたら、その後の飲酒の制御がほぼ不可能となるような状態である。
 アルコール依存症の人も、適量のアルコールで済ませておこうとか、今日は飲まずにいようかと考えていることは多い。しかし、飲み始めてしまうとアルコールの作用の方を選んでしまう。
 また、アルコールを長期的に飲まないことの利益は多いが、アルコールの影響で誤った思考や判断となったり、目先の快感の方を選択してしまう。このように繰り返されることで、状況が悪化し症状も進行するとは思っていないため、必要性を見出せず、明確な禁酒の意志を持つことができず、アルコールによる快感を選択してしまう。そして、飲み始めたら酩酊するまで飲んでしまう。

飲酒で様々なトラブルを起こし後で激しく後悔するも、それを忘れようとまた飲酒を続ける
「社会的または職業的機能に深刻な障害を引き起こす、飲酒パターンを特徴とする障害。」(ICD-9) 
 飲酒量が極端に増えると、やがて自分の体を壊したり(内臓疾患など)、社会的・経済的問題を引き起こしたり、ドメスティック・バイオレンスなど家族とのトラブルを起こしたりするようになる。
それでさらにストレスを感じたり、激しく後悔したりするものの、その精神的苦痛を和らげようとさらに飲酒を繰り返す。
このように自分にとっての損失が強くなっているにもかかわらず飲酒し続ける行動を「罰への抵抗」と呼ぶ。

離脱症状(退薬・禁断症状)が出る
アルコール摂取を中断した際、様々な症状が生じる。
軽いものであれば、頭痛、不眠、イライラ感、発汗、手指や全身の震え(振戦)、眩暈、吐き気などがあるが、
重度になってくると「誰かに狙われている」といった妄想や振戦せん妄、痙攣発作(アルコール誘発性てんかん)なども起こるようになる。幻覚(幻視・幻聴)も頻繁に起こる症状で、小さな虫のようなものが見えたり、いるはずのない人が見えたり、耳鳴りや人の声が聞こえたりと症状は患者によって様々であるが、幻覚を全く経験しない人も多くいる。
患者にとってこれらは苦痛であるため、それから逃れるために飲酒をすることになる。   
 また、急性期の離脱症状を過ぎた後でも、怒りっぽくなったり、抑うつ状態になったりするなどの情動性の不安定な遷延性離脱症候群とよばれる状態が数か月続く場合がある。

耐性の増大
同じ酩酊を感じるのに要する飲酒量が増大する。または、同じ飲酒量での酩酊感が減弱する。”
とあります。

 新約聖書は、アルコールに満たされるのではなく聖霊に満たされるようにと勧めています。
 ガラテヤ516には、“御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。”(2017)と記され、
 エペソ518には、“また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。”(2017)と記されています。
原文からは、「ワイン」という訳が適切ですが、今や、酒の種類はとても多いですね。ワイン以外なら良いというわけではありません。

 ローマ1311-14には次のように記されています。
11 さらに、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚める時がすでに来ています。今や、私たちの救いが、初め信じた時よりも近づいているからです。
12
 夜は更け、昼が近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身に着けましょう。
13
 日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。馬鹿騒ぎや泥酔、淫乱や放蕩、争いや妬みを捨て、14 主イエス・キリストを着なさい。欲望を満足させようとして、肉に心を向けてはなりません。”(聖書協会共同訳)とあります。

 キリスト者でもアルコールを飲む人たちもいます。
アルコールを飲むこと自体が罪というわけではありません。
もしそうであったとしたら、主イエス様も罪を犯したことになってしまいます。
パウロはテモテに次のように語りました。
「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のために、少量のぶどう酒を用いなさい。」(1テモテ5:23・2017)と。
これは、ストレスからくる疾病の予防や緩和のためでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
日々聖霊に満たされて歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月20日 (木)

詩篇75篇 悪しき者への主の裁きと聖徒の感謝

 詩篇75篇には次のように記されています。
1 指揮者によって。「滅ぼさないでください」に合わせて。賛歌。アサフの詩。歌。
2
 神よ、私たちは感謝します。あなたに感謝を献げます。その名〔御名(2017)〕は近くにあり、人々は奇しき業を語ります。
3
 「私は時を選び〔定めの時を決め(2017)〕、公平〔公正(2017)〕に裁く。
4
 地とそこに住むものすべてが揺らいでも〔揺らぐとき(2017)〕、私は地の柱を堅くする。」〔セラ
5
 高ぶる者には「高ぶるな」と、悪しき者には「角を上げるな」と言おう。
6
 「角を高く上げるな。首を上げて傲慢に語るな。」
7
 人を高く上げるものは、東からも西からも荒れ野からも来ません。
8
 神こそが裁く方。ある者を低くし、ある者を高く上げられます。
9
 杯は主の手にあり、泡立つ酒には混ぜものが満ちています。主がこれを注がれると、地上の悪しき者は皆、おりまで飲み干し、飲み尽くします。
10
 しかし、私はとこしえに語り継ぎ、ヤコブの神〔イスラエルの神(筆者挿入)〕をほめ歌います。
11
 「私は悪しき者の角をことごとく折る。正しき者の角は高く上げられる。」”(聖書協会共同訳)とあります。
(口語訳、新改訳は聖書協会共同訳、新共同訳、フランシスコ会訳の1節を表題としており、1節分少ない書き方をしています。)

 2節の言葉は、3節以下の主の御言葉と主の裁きの御業への感謝と賛美です。
リビングバイブルは、「神よ。心から感謝します。このすばらしい奇蹟の数々は、私たちをおこころにかけてくださっていた証拠です。」と訳しています。

 1節に、アサフの詩、とありますが、このアサフは、バビロン捕囚から解放され、イスラエルに帰ってきた主に仕える人で、エズラ記241310に記されているアサフ族の者ではないかと想像します。
 エズラ記2章には、
1 バビロンの王ネブカドネツァルがバビロンに連れ去った捕囚の民のうち、この州〔ユダはペルシア帝国の属州となっている(筆者挿入)〕に帰還した人々は次のとおりである。彼らはエルサレムとユダのそれぞれの町に帰った。/
41
 詠唱者。アサフの一族百二十八人。”(聖書協会共同訳)と記され、
 エズラ記3章には、
10 大工たちが主の神殿の基礎を据えると、身なりを整えてラッパを持った祭司と、シンバルを持ったアサフの一族であるレビ人が、イスラエルの王ダビデが定めた手順に従って主を賛美するために並んだ。
11
 彼らは「主は恵み深く、その慈しみはイスラエルの上にとこしえに及ぶ」と、主への賛美と感謝をもって唱和した。主の神殿の基礎が据えられたことで、すべての民は主を賛美して大きな喜びの叫びを上げた。
12
 昔の神殿を見たことのある多くの年配の祭司、レビ人、親族の頭たちは、この神殿の基礎が据えられるのを目にして大声で泣いた。多くの者が喜びの叫び声を上げた。
13
 そのため、誰も喜びの叫び声と民の泣き声を聞き分けることができなかった。民が大きな叫び声を上げ、その声が遠くまで聞こえるほどだったからである。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 ユダ王国(南イスラエル王国:ユダ族、ベニヤミン族、レビ族)は、度重なる主に対する罪のために滅ぼされ、貧民はユダの地に残されましたが、ユダ王国の支配層や技術者等の人々はバビロンに捕囚の身となりました。

 バビロンは、ペルシアの王キュロスに滅ぼされ、ユダの民は帰還を許されたのです。ヤハウェ(主)が、バビロンの滅びを決定したのです(ダニエル5章)。
 
 神ヤハウェ(主)は、罪が満ちると裁きを行われます(創世記15162列王記177-18、ダニエル5章、・・・etc.参照)。
なお、これから後の時代に関係する裁きは黙示録、その他に詳しく記されています。

 9節には、“杯は主の手にあり、泡立つ酒には混ぜものが満ちています。主がこれを注がれると、地上の悪しき者は皆、おりまで飲み干し、飲み尽くします。”とあります。

 杯の中に入っているものは裁きの内容です。
杯について、黙示録には次のような表現が記されています。
 黙示録14章には、
9 また、別の第三の天使も後に続いて、大声でこう言った。「誰でも、獣〔反キリスト(筆者挿入)〕とその像を拝み、額か手にその獣の刻印〔666(筆者挿入)〕を受ける者は、10 その者たちも、神の怒りの杯に注がれた、混ぜものなしの怒りのぶどう酒を飲むことになる。また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる。11 その苦しみの煙は、世々限りなく立ち上り、獣とその像を拝む者たち、また、誰でも、獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も安らぐことはない。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 黙示録16章には、
17 第七の天使が、その鉢の中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大きな声が聞こえ、「事は成った」と言った。
18
 そして、稲妻、轟音、雷鳴が起こり、また、大きな地震が起きた。それは、人が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの大地震であった。
19
 あの大きな都〔大バビロン(筆者挿入)〕は三つに引き裂かれ、諸国の民の方々の町が倒れた。神は大バビロンを思い起こし、怒りに満ちたぶどう酒の杯をこれにお与えになった。
20
 島々は逃げ去り、山々も消えうせた。〔地球大変動。一方、キリストの千年王国の首都エルサレムはどこよりも高く隆起する。{イザヤ22、ミカ41}(筆者挿入)〕
21
 一タラントンほどの重さ〔約3435㎏(筆者挿入)〕もある大粒の雹が、天から人々の上に降った。人々はその雹の災いのゆえに神を冒涜した。被害があまりにも大きかったからである。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 黙示録18章には、
1 その後、私は、もう一人の天使が、大いなる権威を持って天から降って来るのを見た。地はその栄光に照らされた。
2
 天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌むべき獣の巣窟となった。
3
 すべての国の民が、情欲を招く彼女の淫行のぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と淫らなことをし、地上の商人たちは、彼女の度を超えた贅沢により富を築いたからである。」
4
 また私は、天からもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民〔大患難時代の聖徒(筆者挿入)〕よ、この女から離れよ。その罪に加担し、その災いに巻き込まれないようにせよ。
〔教会時代に新生したキリスト者は艱難時代以前に天に移されています{1テサロニケ11059416.17}。(筆者挿入)〕
5
 彼女〔世界統一宗教、特にそのリーダー(筆者挿入)〕の罪は積み重なって天まで届き、神はその不義を覚えておられる。
6
 彼女がしたとおりに、彼女に報復せよ。その行いに応じ、倍にして返せ。彼女が注いだ杯にその倍を注いでやれ
7
 彼女が驕り高ぶり、贅沢をほしいままにしていたのと同じだけの苦しみと悲しみを与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『私は、女王の位にあり、やもめではないから決して悲しい目に遭いはしない。』
8
 それゆえ、一日の内に、さまざまな災いが、死と悲しみと飢えが、彼女を襲う。そして、彼女は火で焼き尽くされる。彼女を裁く神は、力ある主だからである。」”(聖書協会共同訳)と記されています。
姦淫の女(3節の彼女)というのは、一個人として言えば、地から登ってきた獣(黙示録1311)であり、世界統一宗教のリーダーであり、携挙されなかったキリスト教会のリーダーだろうと思います(私の想像です)。

 神様は、神様の裁きの時に、裁きを行われるお方です。
その時は、神様からご覧になって、罪が満ちた時なのだろうと思います(創世記1516)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたは愛なるお方であるとともに、義なるお方です。
私たちのすべての罪を、イエス様が引き受けてくださり、十字架上で身代わりに裁きを受けてくださいましたことを感謝します。
イエス様を信じさせていただいた私たちは、イエス様の御業の故に罪のない者としてあなたの御前に立たせていただけますからありがとうございます。
御父と御子と御霊に世々限りなく御栄と御稜威とがありますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月19日 (水)

申命記19:14.15-21 相続地と地境。主から与えられた分。裁判における証言について

 申命記1914-21には次のように記されています。
14 あなたが受け継ぐ相続地、あなたの神、主があなたに所有させる地で、先祖が初めに定めた隣人との地境を動かしてはならない。
 15 どのような過ちや罪であれ、人が犯した罪は一人の証人によって確定されることはない。人が犯したどのような罪も、二人または三人の証人の証言によって確定されなければならない。
16
 悪意のある証人が立ち、相手に対して不利な証言をするならば、17 争っている二人は主の前に進み、その時、任に就いている祭司と裁き人の前に立ちなさい。
18
 裁き人は子細に調査し、その証人が偽りの証人であり、同胞に対して偽証したのであれば、19 その者が同胞にたくらんだことを彼に行って、あなたの中から悪を取り除きなさい。
20
 他の者たちはこれを聞いて恐れ、あなたの中でこうした悪事が二度と繰り返されることはないであろう。
21
 あなたは憐れみの目を向けてはならない。命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足である。”(聖書協会共同訳)とあります。

 14節には、“あなたが受け継ぐ相続地、あなたの神、主があなたに所有させる地で、先祖が初めに定めた隣人との地境を動かしてはならない。”とあります。
地境を動かしてはならないという規定です。
現代の日本では当たり前のことですが、現代であっても、ロシアとウクライナの関係等を見ているとそれが当たり前ではない理論もあるのだと思わされますし、周辺の国でもこのような規定とは異なる発想が見られるように思われます。かつての列強や大日本帝国も同様でした。

 イスラエルにおいては、約束の地は、神から与えられたものでした。そしてそれぞれに割り当て地が与えられました。これを勝手に変更することは神の定めを変えることになります。

 私たちキリスト者にも、神が与えてくださった割り当てがあります。
2
コリント1012-18には次のように記されています。
12 私たちは、自己推薦するような者たちと自分を同列に置いたり、比較しようなどとは思いません。彼らは仲間うちで評価し合い、比較し合ったりしていますが、分別のないことです。
13
 私たちは自分の範囲を超えたところで誇ることはしません。あなたがたのところまで行くという、神が割り当ててくださった尺度の範囲内で誇るのです。
14
 私たちは、あなたがたのところに行ってもいないのに、背伸びして誇っているわけではありません。実際、私たちはキリストの福音を携えて、あなたがたのところにまで行ったのです。
15
 私たちは、自分の領分を超えて、他人の労苦したところで誇るようなことはしません。ただ、私たちは、あなたがたの間で信仰が成長してくれれば、私たちの領域で宣教をもっと広げて行きたいと思っています。
16
 それは、あなたがたを越えた地域にまで福音を告げ知らせることであって、他の人々の領域ですでになされた働きを誇ることではありません。
17
 「誇る者は主を誇れ。」
18
 自己推薦する者ではなく、主に推薦される人こそ、適格者なのです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 信仰の度合い(量)についても与えられた分というのがあると、ローマ123に、“わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。”(新共同訳)と記されています。

 キリスト者は、主から与えられたタラント(タラントン)の分に応じて、それを忠実に用いることが大切であることを教えられます(マタイ2511-30)。

 申命記1915は、裁判のときにおける証言についての規定であり、“どのような過ちや罪であれ、人が犯した罪は一人の証人によって確定されることはない。人が犯したどのような罪も、二人または三人の証人の証言によって確定されなければならない。”と記されています。

 申命記1916-19には、偽りの証言をする者に対する裁判官の対応の仕方が次のように記されています。
16 悪意のある証人が立ち、相手に対して不利な証言をするならば、
17
 争っている二人は主の前に進み、その時、任に就いている祭司と裁き人の前に立ちなさい。
18
 裁き人は子細に調査し、その証人が偽りの証人であり、同胞に対して偽証したのであれば、
19
 その者〔偽証した者(筆者挿入)〕が同胞にたくらんだことを彼〔偽証した者(筆者挿入)〕に行(おこな)って、あなたの中から悪を取り除きなさい。”とあります。

 19節に、“その者〔偽証した者(筆者挿入)〕が同胞にたくらんだことを彼〔偽証した者(筆者挿入)〕に行(おこな)って”とありますが、
21
節には、“・・・。命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足である。”と記されています。

 偽証罪としてこのように行う理由は他者への教育のためであると、20節は、“他の者たちはこれを聞いて恐れ、あなたの中でこうした悪事が二度と繰り返されることはないであろう。”と述べています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたから与えられた分はどのようなものなのかをよくわきまえさせていただいて、あなたが与えてくださった分に応じた歩みをしてあなたに喜ばれる者であらせてください。
過不足のないようにお導き下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月18日 (火)

マタイ24:3-14 終末と満了4 産みの苦しみの初め/反(偽)キリスト(メシア)、戦争、戦争のうわさ、民族間及び国家間紛争、飢饉、地震、疫病、天変地異

 マタイ243-14には次のように記されています。
“3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。
「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
5
 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
6
 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。
7
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
8
 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
9
 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。
10
 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
11
 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。
12
 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
13
 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14
 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」(聖書協会共同訳)とあります。

 産みの苦しみの初めとして、
1.偽キリストの出現
2.戦争や戦争のうわさ
3.民族間及び国家間紛争
4.飢饉
5.地震(ギリシア語原語は「シスモス」で、その意味は、〔単数形で〕(あらし・波などの)激動(精神的な)動揺,興奮(政治的・社会的な)動乱,激変地震大風疾風、強風爆発あらし 等です。)
があると5-7節に記されています。

 主イエス様が、「産みの苦しみ」と言われたのは、何を産み出す苦しみなのでしょうか。
私は、「キリストの千年王国」を産み出す苦しみと捉えたいと思います。
それは、弟子たちの、「あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」(マタイ243)という質問に答えたものであろうと思います。

 主イエス様は、上記1-5の出来事は必ず起こるけれどもすぐに千年王国が生み出されるわけではない。すなわちキリストの千年王国誕生前に起こるキリストの地上再臨が起こるわけではないと語られたのです。
また「産みの苦しみの初め」ですから、陣痛の痛みを考えてみると、その痛みはどんどん激しくなり、痛まない間隔も短くなっていくということであるということがわかります。

 キリストの地上再臨よりも7年以上前にキリストの空中再臨があり(ダニエル927、1テサロニケ11059)、その時に主の現れを待ち望み(へブル928)、いつも主と交わりをもって(日々祈りつつ)歩んでいる(ルカ2136)新生している人(ヨハネ33.6)は、一瞬のうちに、肉の体から霊の体に変えられ(1コリント1549.52)、空中まで降りて来られるキリスト・イエス様のもとへと引き上げられ、主キリスト・イエス様とお会いするのです(1テサロニケ416.17)。

 上記の( )内の聖句を下記します。
ダニエル927 “彼〔反(偽)キリスト(筆者挿入)〕は一週の間〔7年間のこと(筆者挿入)〕、多くの者と堅い契約を結び〔その後おそらく携挙の後にエルサレムの神域にユダヤ教の第三神殿が建てられます。(筆者挿入)〕、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいもの〔おそらく反キリストを模した偶像(筆者挿入)〕の翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者〔反キリスト(筆者挿入)〕の上に降りかかる。”(2017
 1テサロニケ110 “御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒り〔罪に対する神様の恐るべき怒り(リビングバイブル)〕から私たちを救い出してくださるイエスです。”(2017
 1テサロニケ59 “神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。”(2017
 へブル928 “キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。”(2017
 ルカ2136 “しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのこと〔キリストの空中再臨からキリストの地上再臨の間に起こる大いなる数々の災い(筆者挿入)〕から逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。”(2017
 ヨハネ33.6 “3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」/6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である〔新たに生まれるものとは霊です(筆者挿入)〕。”(新共同訳)
 1コリント1549.52 “49 私たちは、土で造られた人〔アダム(筆者挿入)〕のかたち〔似姿(新共同訳)〕を持っていたように、天に属する方〔キリスト(筆者挿入)〕のかたち〔似姿(新共同訳)〕も持つことになるのです。/52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。”(2017
 1テサロニケ416.17 “すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”(2017

 産みの苦しみの初めとして、
1.偽キリストの出現
2.戦争や戦争のうわさ
3.民族間及び国家間紛争
4.飢饉
5.地震
があると5-7節に記されていますが、これらのことは、現在生きている私たちも見ることが出来ます。
これらの出来事は、キリストの空中再臨に伴う携挙が起こる以前でも、すでに見ることが出来ているのですが、携挙後に起こるこのようなことは、私たちが現在見ているものよりも、より悲惨なものです。

 現在までに、偽キリストが幾人も出てきましたが、携挙後に登場する偽キリストは、The 偽キリスト と言われる反キリストであり、獣とも呼ばれ、サタン(竜)は、この獣に自分の力と王座と大きな権威とを与えるのです。(参照 ダニエル927、黙示録61.2131.216-18

 戦争や戦争のうわさは、歴史の中で繰り返されてきましたが、これから後の戦争はとてもひどいものです。それは飢饉や地震についても言えます。ルカ2111には「疫病」「恐ろしい光景」「天からの大きなしるし」も加えられています。ルカの福音書の方を参照すると、主イエス様がこれらのことを語られたのは、携挙後に起こる出来事ではないかと私には思われます。

 黙示録63-812-17には次のように記されています。
3 小羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が「行け」と言うのを聞いた。
4
 すると、火のように赤い馬が現れた。それに乗っている者には、人々が互いに殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取る力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた。〔この結果大きな戦争が起こるだろうと思います。(筆者挿入)〕
5
 小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が「行け」と言うのを聞いた。そして見ていると、黒い馬が現れた。それに乗っている者は、手に秤を持っていた。
6
 私は、四つの生き物の間から出る声のようなものを聞いた。「小麦一コイニクスを一デナリオン、大麦三コイニクスを一デナリオンとする。オリーブ油とぶどう酒を損なってはならない。」〔1日分の給与で1.1リットルの小麦しか買えなくなります。(筆者挿入)〕
7
 小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物が「行け」と言うのを聞いた。
8
 そして見ていると、青白い馬が現れた。それに乗っている者の名は「死」と言い、これに陰府が従っていた。彼らには、剣〔戦争(筆者挿入)〕と飢饉と死と地の獣とによって、地上の四分の一で人々を殺す権威が与えられた。/
12
 また、小羊が第六の封印を解いたとき、私が見ていると、大地震が起きた。太陽は毛織の粗布のように暗くなり、月は全体が血のようになって、13 天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようであった。
14
 天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
15
 地上の王、高官、将校、富める者、力ある者、また、すべての奴隷も自由人も洞穴や山の岩間に身を隠した。16 そして、山と岩に向かって言った。
「私たちの上に覆いかぶさって、玉座におられる方の顔と小羊の怒りから、私たちをかくまってくれ。17 神と小羊の大いなる怒りの日が来たのだ。誰がそれに耐えられようか。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 携挙される人は、第二、第三、第四、第六の封印の災いには遭いません。すでに天国にいますから。
しかし、携挙されない人は、それらの災いに遭うか、または、それらの災いの中で、主イエス様を信じて殉教して天に帰ってくるか、ということになります。第五の封印(黙示録69-11)は、殉教者について記しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
主イエス様の空中再臨を今か今かと待ち望んでおりますが、それとともに未だ救われずにいる祈りに覚えている人たちもいます。
私のみならず、兄姉方が救われてほしいと願っている人たちも、共にイエス・キリストを主と告白して携挙されることが出来ますよう憐れんでください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月17日 (月)

箴言23:26-28 身と心を主にゆだねることの出来る幸い

 箴言2326-28には次のように記されています。
2017
は、
26 わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。あなたの目が、わたしの道を喜ぶようにせよ。
27
遊女は深い穴、見知らぬ女は狭い井戸だから。
28
その女は強盗のように待ち伏せ、人々の間に裏切り者を増やす。”と訳し、
 聖書協会共同訳は、
26 子よ、あなたの心を私に委ねよ。そうすれば、あなたの目は私の道を喜ぶ。
27
 遊女は深い墓穴。異国の女は狭い井戸。
28
 彼女は盗人のように待ち伏せ、人の中に不実な者を増やす。”と訳し、
 リビングバイブルは、
26-28 わが子よ。悪い女に近寄ってはいけません。
彼女は狭くて深い墓穴のようにぽっかり口を開けて、あわれな犠牲者が落ちるのを待っています。
まるで強盗のように待ち伏せて、男たちに妻を裏切らせるのです。”と意訳しています。

 この世のことだけを考えた場合の捉え方をすると、リビングバイブル訳のようになると思います。現代では、不倫のどこが悪いのか、という人もいますが、黙示録218には、「しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」(2017)と記されています。

 今日の箴言の個所は、不品行の悲惨さを教えています。
また、肉体的不品行は、霊的不品行へと発展しやすいのです。
聖書を読むと、肉体的不品行から霊的不品行へと落ち込んでいった実例の一つとしてバラムの教えというのがあります。
黙示録214には、“・・・。バラムはバラクに教えて、偶像に献げたいけにえをイスラエルの子らが食べ、淫らなことを行うように、彼らの前につまずきを置かせた。”(2017)と記されています。(民数記2253116参照)
何のことを言っているかというと、それは民数記251.2に次のように記されています。
“イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと淫らなことをし始めた。その娘たちが、自分たちの神々のいけにえの食事に民を招くと、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。”(2017)とあります。
イスラエルの民のある者たちは、色欲から偶像礼拝へと落ち込んだのです。
 この出来事に対する神ヤハウェ(主)の怒りは相当なものでした。
続く民数記253-5には次のように記されています。
3 イスラエルはこうして、ペオルのバアルに付き従ったので、主の怒りがイスラエルに対して燃え上がった。
4
 主はモーセに言われた。
「民の頭(かしら)をことごとく捕らえ、主のために彼らを処刑し、白日のもとにさらしなさい。そうすれば、主の燃える怒りはイスラエルから去るであろう。」
5
 モーセはイスラエルの裁き人たちに言った。
「あなたがたはおのおの、自分の配下で、ペオルのバアルに付き従った者たちを殺しなさい。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 2コリント614-16には次のように記されています。
14 あなたがたは、不信者と、釣り合わない軛を共にしてはなりません。正義と不法とにどんな関わりがありますか。光と闇とにどんな交わりがありますか。15 キリストとベリアルとにどんな調和がありますか。信者と不信者とにどんな関係がありますか。16 神の神殿と偶像とにどんな一致がありますか。私たちは生ける神の神殿なのです。・・・。」(聖書協会共同訳)とあります。

 話は変わりますが、箴言2326を2017訳は、「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。あなたの目が、わたしの道を喜ぶようにせよ。」と訳しています。
「喜ぶ」の個所の欄外注には、(<書による>。<読み>「守る」)と記されています。
<書による>というのはケティブで、<読み>というのはケレーのことです。
ケティブは、書かれた伝承で、ケレーは口伝の伝承です。
聖書協会共同訳、2017訳は、ケティブ的に訳したのでしょう。
新改訳初版~第三版と口語訳はケレー的に訳しているように思われます。
 
26
節を、新改訳初版~第三版は、「わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。」と訳し、
口語訳は、「わが子よ、あなたの心をわたしに与え、あなたの目をわたしの道に注げ。」と訳しています。

 更に脱線しますが、26節前半には、「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。」(2017)とあります。
私たちは、霊の父に、また主イエス様に、自分の心を委ねることが出来ます。
心を主にゆだねることの出来る人は幸いな人です。
ただし、イスカリオテのユダのように、心を悪魔悪霊に委ねると悲惨なことになります。

 「委ねよ」と勧められている聖句をいくつか記しておきます。
1.「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩編3752017
2.「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して、正しい者が揺るがされるようにはなさらない。」(詩編55222017
(新共同訳は、23節になっており、後半部分を、「主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる。」と訳しています。
3.「あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。」(箴言1632017
4.「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださる〔心にかけていてくださる(新共同訳)〕からです。」(1ペテロ5:7・2017

 昨日のブログで、三谷種吉愛兄の「世の波風いかに荒れて」(聖歌474 聖歌総合版491)の歌詞の一部を書きましたが、今日は、その2節の歌詞を下記します。
「すべての罪 悪しき癖を 悔い改め捨て去りて この身を主の手に委ねし わが心はいと安し 主の安き 主の安き われは内に今持てり 主の安き 主の安き われは内に今持てり」とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたにすべてをゆだねることが許されている幸いを感謝します。
聖なる神、義でありつつ愛なる神、全能の神、全知の神、万物の創造者なる神、永遠のお方を「天のお父様」と呼べる恵みにあずからせて頂けた恵みを心より感謝します。
今日も何が起こるかわかりません。しかし、主がともにおられますから大丈夫です。
今日もあなたに導かれて歩ませてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月16日 (日)

詩篇74:12-23 この地のただ中で救いを行なわれる方/キリスト者は栄光の体を頂く

 詩篇7412-23には次のように記されています。
12 しかし神よ、いにしえよりのわが王よ、この地のただ中で、救いの業を行われる方よ。
13
 あなたは力をもって海を分け、大水の上で竜どもの頭を砕かれました。
14
 あなたはレビヤタンの頭を打ち砕き、荒れ野の獣の餌食とされました。
15
 あなたは泉と川を切り開き、絶えることのない大河を涸れさせました。
16
 昼はあなたのもの、夜もあなたのもの。あなたは光る天体と太陽を備えました。
17
 あなたは地のすべての境を定めました。夏と冬を造ったのもあなたです。
18
 主よ、心に留めてください。敵があなたを嘲るのを。愚かな民があなたの名を侮るのを。
19
 あなたの山鳩の命を獣に渡さないでください。あなたの苦しむ者たちの命を永遠に忘れないでください。
20
 契約を顧みてください。地の暗い場所は暴虐の住みかになり果てています。
21
 虐げられた人が再び辱められることのないように、苦しむ人、貧しい人があなたの名を賛美できるようにしてください。
22
 神よ、立ち上がり、ご自分のために争ってください。愚か者が日夜あなたをそしるのを心に留めてください。
23
 忘れないでください。あなたに敵対する者の声を。あなたに立ち向かう者の絶えず起こす騒ぎを。”(聖書協会共同訳)とあります。

 詩篇74篇自体は、バビロンに滅ぼされたユダ王国の民の中で、主を愛し、主に信頼している人々の声をも代弁している詩聖の詩ではないかと想像します。
詩篇7410に、「神よ。いつまで、はむかう者はそしるのですか。敵は、永久に御名を侮るのですか。」(2017)と記され、
12
節には、「確かに、神は、昔から私の王、地上のただ中で、救いのわざを行なわれる方です。」(新改訳初版~第三版)と記されていますから。

 詩聖は、イスラエルに対する神ヤハウェ(主)の約束(契約)とかつての働きを列挙していきます。
13-17
20a節には次のように記されています。
13 あなたは力をもって海を分け、大水の上で竜どもの頭を砕かれました。
14
 あなたはレビヤタン〔「竜ども&レビヤタン」はここでは比喩的にエジプトを指しているのでしょう{エゼキエル293322参照}(筆者挿入)〕の頭を打ち砕き、荒れ野の獣の餌食とされました。
15
 あなたは泉と川を切り開き、絶えることのない大河を涸れさせました〔ヨルダン渡河のことでしょう(筆者挿入)〕。
16
 昼はあなたのもの、夜もあなたのもの。あなたは光る天体と太陽を備えました〔主の創造の御業(筆者挿入)〕。
17
 あなたは地のすべての境を定めました。夏と冬を造ったのもあなたです。〔主の支配と創造(筆者挿入)〕
20
 契約を顧みてください。・・。”(聖書協会共同訳)とあります。

 そして詩聖は、ひたすら神ヤハウェ(主)に、ヤハウェ(主)に対する敵の侮辱と自分たちへの暴虐を訴え、ヤハウェ(主)が御力を現わしてくださるようにと嘆願しています。
18
23節には次のように記されています。
18 主よ、心に留めてください。敵があなたを嘲るのを。愚かな民があなたの名を侮るのを。
19
 あなたの山鳩〔主を信じて主に叫んでいるユダの民の比喩でしょう(筆者挿入)〕の命を獣に渡さないでください。あなたの苦しむ者たちの命を永遠に忘れないでください。
20
 契約を顧みてください。地の暗い場所は暴虐の住みかになり果てています。
21
 虐げられた人が再び辱められることのないように、苦しむ人、貧しい人があなたの名を賛美できるようにしてください。
22
 神よ、立ち上がり、ご自分のために争ってください。愚か者が日夜あなたをそしるのを心に留めてください。
23
 忘れないでください。あなたに敵対する者の声を。あなたに立ち向かう者の絶えず起こす騒ぎを。”(聖書協会共同訳)とあります。

 日本における私たちキリスト者は、極めて少数派です。
「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(2テモテ3122017)という聖句が自分に当てはまった、というようなキリスト者は多いことと思います。
イエス様は、十字架にかかられる前に、すでに、「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ1633b2017)と語っておられます。

 三谷種吉愛兄は、いかなる苦難に遭おうとも心には主が与えてくださった平安がある、と歌いました。
「1.世の波風 如何に荒れて 我に襲いかかるとも イェスは我にその安きを与えませば恐れ無し
5.ハレルヤ!主は 世と悪魔に すでに勝ちを得給えば 我らもまたイェスと共に 日々勝ち得て余りあり」と。(聖歌474 聖歌総合版491

 「生きていてわたし〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕を信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」(ヨハネ11262017)と主が語られたのは、新生した霊と救われた魂についてです(ヨハネ33.61ペテロ18.9)。
霊や魂以上に肉体に思いを向けていると苦難の時に平安はないでしょう。
肉体は罪のゆえに滅びるものだからです。
ヤハウェ(主)は、新生した者に対し、キリストの空中再臨の時に、霊のからだを与える、ということを計画なさっています。

 霊のからだはどのようなものなのでしょう。
1
コリント15章に次のように記されています。
42 ・・・。復活の体は決して死にません。
43
・・・・・・栄光に満ちたもの・・。・・・力にあふれたからだとなる・・。
44
・・神から与えられる霊のからだとなる・・”(リビングバイブル)とあります。

 さらにリビングバイブルは1コリント1550-54を次のように訳しています。
50 愛する皆さん。念を押して言います。地上の、血と肉の体は、神の国から閉め出されます。今の私たちの体は死ぬべきもので、永遠に生きることはできません。
51
ここであなたがたに、驚くべき神の奥義を告げましょう。私たちはみな、新しい栄光の体を頂くのです。
52
終わりのラッパが鳴り渡る時、一瞬のうちにそうなるのです。天からラッパの音が響くと、死んでいたすべてのクリスチャンは、たちまち朽ちない新しい体に復活します。次に、まだ生き残っている者もまた、一瞬にして新しい体に変わるのです。
53
なぜなら、地上の死ぬべき今の体は、天上の決して死ぬことのない、永遠に生きる体に変えられなければならないからです。
54
この時、「死は勝利にのみ込まれた」(イザヤ258)という聖書のことばが現実となるのです。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたの私たちに対するご計画の何と素晴らしいことでしょう。
キリストの恵みと神の愛と聖霊の働きを心より感謝します。
今日もすべてを主にゆだねて歩む1日であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月15日 (土)

申命記19:1-13 逃れの町/殺人罪と過失致死罪の取り扱いの違い

 申命記191-13には次のように記されています。
1 あなたの神、主が諸国民を絶やされ、その地をあなたに与え、あなたが彼らを追い出して、彼らの町、彼らの家に住むようになるなら、2 あなたの神、主があなたに所有させる地に、三つの町を取り分けなさい。
3
 あなたは自分で道を整備し、あなたの神、主があなたに継がせる領土を三つに分け、人を殺した者が誰でもそこに逃げられるようにしなさい。
4
 人を殺した者がそこに逃れて生き延びられるのは、隣人を以前から憎んでいたわけではなく、過って打ち殺した場合である。
5
 例えば、隣人を伴って木を切りに森に入り、切ろうと斧を振り上げたとき、斧の頭が柄から抜けて、隣人に当たって死んでしまったような場合である。その者は、これらの町の一つに逃れて、生き延びることができる。
6
 血の復讐をする者が激昂して人を殺した者の後を追い、遠い道のりを追いついて、打ち殺すようなことがあってはならない。その者は以前から彼を憎んでいたのではないから、殺される理由はない。
7
 それゆえ、私はあなたに「三つの町を取り分けなさい」と命じるのである。
8
 あなたの神、主が、あなたの先祖に誓われたとおり、あなたの領土を広げて、先祖に与えると告げた地をすべてあなたに与えられるなら、9 そして、私が今日命じるこの戒めをあなたが守り行い、あなたの神、主を愛し、いつもその道を歩むならば、その時、これら三つの町のほかに、さらに三つの町を加えなさい。
10
 そうすれば、あなたの神、主が相続地としてあなたに与える地で無実の血が流されることはなく、あなたに血の責任が問われることはない。
11
 しかし、もしある者が隣人を憎んで待ち伏せし、襲いかかって打ち殺し、これらの町の一つに逃れた場合、12 その町の長老たちは人を遣わして彼を捕らえ、血の復讐をする者に引き渡さなければならない。彼は死ななければならない。
13
 彼に憐れみの目を向けてはならない。無実の者の血を流した過ちをイスラエルから取り除きなさい。そうすればあなたは幸せになる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 殺人と過失致死の違い、及びその処遇について、神ヤハウェ(主)がイスラエルと結んだ契約は出エジプト21章に次のように記されています。
12 人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。
13
ただし、故意にではなく、偶然彼の手に神が渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる。
14
しかし、人が故意に隣人を殺そうとして暴力を振るうならば、あなたは彼をわたしの祭壇のもとからでも連れ出して、処刑することができる。”(新共同訳)とあります。

 神の律法は、殺人者を極刑に処するように規定しています。これは生命の大切さを教えるものです。
主なる神様は、命には命を要求されるのです。

 主イエス様は、関連聖句を語られました。マタイ5章に次の様に記されています。
21 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。
22
しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。
23
だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、24 その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。25 あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。
26
はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」”(新共同訳)とあります。

 イエス様の御言葉を自分にあてはめた場合、罪と罪の贖いの原理からいうと、私は、このことのためにも主イエス様を十字架につけたのだということがよくわかります。(レビ4章参照)
イエス様は、御父を愛し、世を愛し、世の中の私をも愛して十字架上で血を流され、贖いを成し遂げられたのです。「血はいのちです」(創世記95.6、レビ1711.14参照)。

 創世記95.6には次のように記されています。
5 わたしは、あなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。いかなる獣にも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。
6
人の血を流す者は、人によって血を流される。神は人を神のかたちとして造ったからである。”(2017)とあります。

 またレビ記17章には次のように記されています。
11 実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥(なだ)めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である。
14
すべての肉のいのちは、その血がいのちそのものである。・・・。”(2017)とあります。

 今日の聖書個所は、おもに「逃れの町」についてです。
出エジプト2112.13は既述しましたが、聖書協会共同訳では次のように記されています。
12 人を打って死なせた者は必ず死ななければならない。13 ただし、その者に殺意がなく、偶然のことであるなら〔直訳:「神がそのものの手に起こしたのなら」(欄外注)〕、私はあなたにその者の逃れる場所を定める。”とあります。

 出エジプト2113を新改訳2017は、“ただし、彼に殺意がなく神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに、彼が逃れることができる場所を指定する。”と訳しています。

 過失致死を考えるとき、いのちの主権は神にあるということを覚える必要があることを覚えておく必要もあるのだと思わされます。
 知り合いに、過失により、交通事故でお子さんをなくされた方がいます。とても悲惨なことでした。その悲しみの大きさは私には計り知れません。しかしそのことのゆえに、そのお母さんは教会に導かれて主イエス様の救いにあずかり、その方の他のお子さんも救いにあずかりました。お子さんの中の一人は神学校を卒業し牧師夫人として牧会を補佐しています。幼子の交通事故は悲惨でした。しかし、主がとられたのです。このお子さんとは天国で会えるのです。今日の関連聖句と他の聖書の聖句より私にはそのように思えます。

 聖書辞典は、「逃れの町」という項目の中で次のように述べています。
“聖書において、神の律法は、殺人者を極刑に処するように規定している。これは生命の大切さを教えるものである。しかし、過失致死の場合には、逃れる場所が設けられた(出21:13)。それが、逃れの町として明確に指定され、設けられたのが、イスラエル人のカナン入国の時である。彼らは主のことばに従って、ヨルダン川の東西にレビ人の町として、以下の町々を選んだ(民35:9‐15)。ヨルダンの東側ではルベン人の高地にあるベツェル、ガド人の地からはギルアデのラモテ、マナセ人からバシャンのゴラン。西側では、ナフタリ山地のケデシュ、エフライム山地のシェケム、ユダ山地にあるキルヤテ・アルバすなわちヘブロンという以上6つの町である(ヨシ20:7‐8)。
 故意の殺人は逃れても赦されなかった。しかし過失殺人者は、近い逃れの町に逃れて、正当な審判を受けることができた。だが過失とは言っても、逃れの町から一歩外へ出れば、生命の保証はなかった。なお、その町の大祭司が死ねば、過失殺人者は家に戻ることができた(民35:16‐28)。これは、際限のない個人的復讐を防ぐためであると共に、後に来るキリストの贖いを指し示している。”と記しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
世の中には悲惨な死がありますが、主の許しがなければ死を迎えることはないのでしょう{伝道者(コヘレト)31.2a.3a.11}。
世の中には悲惨な死もありますが、死にそうでも死なない、という場合もあります。
主イエス様の十字架、復活、昇天の後、御父は、イエス様に、天地における一切の権威をお与えになられました。
今や、神のひとり子の御子であられ、救い主、主、花婿であられる主イエス様の内に私たち新生した者は置かれていますこと、また、主イエス様が内に住んでくださっておられますことを心より感謝します。
よくわからない出来事の答え合わせは、「後知るべし」とあるように、地上で理解出来なかったことを天で教えていただけますから感謝します。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月14日 (金)

マタイ24:3-14 終末と満了3/キリストの空中再臨と地上再臨

 マタイ243-14には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。
「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
5
 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
6
 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。
7
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
8
 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
9
 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。
10
 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
11
 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。
12
 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
13
 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14
 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 3節の「 」内の個所を、聖書協会共同訳は、
「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」と訳し、
2017
は、「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」と訳し、
口語訳は、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか。」と訳し、
文語訳は、「われらに告げ給へ、これらの事は何時あるか、又なんぢの來り給ふと世の終とには、何の兆あるか」と訳し、
新改訳初版~第三版は、「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」と訳しています。

 「あなたの来られる時や世の終わり」(新改訳初版~第三版)、
「あなたがまたおいでになる時や、世の終り」(口語訳)、
「なんぢの來り給ふと世の終(おわり)」(文語訳)という訳し方を基に話を進めていきます。

 聖書の他の個所を参照すると、キリストの来臨{(ギ)パルーシア}は一度ではないことがわかります。
パルーシアについて、聖書辞典は次のように述べています。
“らいりん 来臨 〈ギ〉パルーシア。イエス・キリストが再び来られることを言う。「来臨」とも「再臨」とも言われるが、日本語では「再臨」という用法が一般的である。しかし、古典ギリシヤ語やコイネー・ギリシヤ語においては、パルーシアは「到着」「到来」「出現」という意味のみであって、「再」という意味は含まれていない。それゆえ、新約では〈ギ〉パルーシアを「来臨」と訳しているところが多い(テサ5:23,Ⅱテサ2:8,Ⅱペテ1:16,3:4,Ⅰヨハ2:28)。「再臨」と訳されているところもある(コリ15:23)。”とあります。

 教会時代の新生した信仰者は聖書の御言葉を信じているでしょう。
キリスト・イエス様は、キリストの現れを待ち望んでいる人を迎えに来ます。

 へブル928には、“キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。”(2017)と記されています。

 このキリストの現れは、空中迄です。
1
テサロニケ416.17には、“すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ〔携挙され(筆者挿入)〕、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”(2017)と記されています。

 主は、何故、空中まで迎えに来てくださるのでしょうか?
やがて御怒りの日(神の怒りの日)が来ます。(「日」といっても1日ということではなく「期間」と捉えるほうが良いでしょう。)
キリストは、神の子どもたちが御怒りにあわないように神の子どもたちを携挙するのです。また1テサロニケ416.17は、花嫁を迎える迎え方でもあります。

 御怒りの日について、ローマ21-5には次のように記されています。
1 だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
2
神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。
3
このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。
4
あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
5
あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日〔「御怒りの日」(新改訳)〕に現れるでしょう。”(新共同訳)とあります。
御怒りの日の出来事を具体的に詳しく知りたい方は、黙示録6-19章をお読みください。

 1テサロニケ110には、“・・・やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエス・・。(2017)”とあり、教会時代に救われた人たちは御怒りにあいません。

2
テサロニケ16-8には、神の怒りが発動される理由が次のように記されています。
6 神にとって正しいこととは、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、
7
苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。
8
主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。”(聖書協会共同訳)とあります。

 キリストの来臨には、黙示録1911-21やゼカリヤ12章に記されているような地上再臨もあります。
キリストの地上再臨に続いてキリストの千年王国が始まっていきます(黙示録201-6)。
キリストの地上再臨をもってこの世は満了するのです。

 キリストの空中再臨の日がいつであるのかということについては、御父以外は、キリストもその他の者もだれも知らないとマタイ2437-44に、キリストのことばとして次のように記されています。
“「37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
38
 洪水になる前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
39
 そして、洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気が付かなかった。人の子が来る場合も、このようである。
40
 その時、畑に二人の人がいれば、一人は取られ〔携挙されること(筆者挿入)〕、一人は残される。
41
 二人の女が臼を挽いていれば、一人は取られ、一人は残される。
42
 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が来られるのか、あなたがたには分からないからである。
43
 このことをわきまえていなさい。家の主人は、盗人が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に忍び込ませたりはしないだろう。
44
 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。
上記の日こと(キリストの空中再臨に伴う携挙の日のこと)について、マタイ2436にはキリストのことばとして次のように記されています。
「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。」(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
キリストの空中再臨を待ち望んでいます。
新生したキリスト者が天に召していただけるのは、キリストの空中再臨の時なのか、その前なのかは、だれにも分かりませんが、主が迎えに来てくださることを待ち望みつつ、一日一日、主に在って歩みつづけていく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月13日 (木)

箴言23:22-25 主イエス様の御言葉に聞き従う

 箴言2322-25には次のように記されています。
22 父に聞き従え、生みの親である父に〔あなたを生んだ父の言うことを聞け(2017)〕。母が年老いても侮ってはならない。
23
 真理を買え。これを売ってはならない。知恵も諭し〔訓戒(2017)〕も分別も売ってはならない。
24
 正しき者の父は喜び躍り、知恵ある子の親は、その子によって喜ぶ。
25
 あなたの父と母は喜び、あなたの生みの親は喜び躍る。”(聖書協会共同訳)とあります。

 22節の前半部分の個所ですが、聖書協会共同訳は、「生みの親である父に」と訳していますが、直訳すると2017訳のように「あなたを生んだ父」となります。

 25節後半部分の一部の個所ですが、「あなたの生みの親は」(聖書協会共同訳)とありますが、25節の「親」と訳されている語のヘブライ語原語は「エーム」で原義は「母」です。
口語訳、新改訳初版~第三版、新共同訳、フランシスコ会訳等は、「母」と訳しています。

 22節と25節を合わせると、子は父と母から生まれる、ということになりますから、精子と卵子が結合した受精卵から子どもは誕生してくる、と私には読めます。

 22節前半部分を2017は、“あなたを生んだ父の言うことを聞け。”と訳しています。
この聖句は、父親が主に従っている人であることを前提としているのでしょう。
もし父が主に従っていない人であり、子どもが主を愛している場合であったときには、この聖句を子どもが守ることは、条件付きとなることでしょう。
唯物論者である父、偶像礼拝者である父、創造論を信ぜず進化論を信じている父というような聖書の神を認めない父であったとしたら、22節前半部分のことばは、聖句としては成り立たないでしょう。

 話は変わりますが、私たち新生したキリスト者の「霊の父」は「神」です。
私たちは、神様に祈るときに、「天の父よ」、「天のお父様」と呼びかけることが出来るのですからなんと幸いな者でしょう。主の恵みです。
私たちは、天の父の語られる御言葉に聞き従う子どもであるべきです。

 23節前半部分には、「真理を買え。これを売ってはならない。」と記されています。
ヨハネ146によると、真理はキリストです。
ヨハネ146には、主イエス様の御言葉として、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(2017)と記されています。

 イエス様を、お金を払って買うことは、誰にもできません。
主なる神様は、イエス・キリスト様を、代金を払って買うことなどはできないので、代金を払わずに買え、と言われるのです。
 マルコ836.37の主イエス様の御言葉をリビングバイブルは、「たとえ全世界を自分のものにしても、いのちを失ったら、何の得があるでしょう。いのちを買い戻すどんな手だてがあるというのでしょう。」と訳しています。
 また、イザヤ551-3を読むと、イエス・キリストの贖いは高価で金では買えない、それ故、主なる神様は「ただで買え」と言っていることがわかります。
 イザヤ551-3には次のように記されています。
1 さあ、渇いている者は皆、水のもとに来るがよい。金のない者も来るがよい。買って、食べよ。来て、金を払わず、代価も払わずにぶどう酒〔キリストの血と捉えることが出来るでしょう(筆者挿入)〕と乳〔御言葉の乳という言葉もあります(筆者挿入)〕を買え
2
 なぜ、あなたがたは、糧にもならないもののために金を支払い、腹を満たさないもののために労するのか。私によく聞き従い、良いものを食べよ。そうすれば、あなたがたの魂は豊かさを楽しむだろう。
3
 耳を傾け、私のところに来るがよい。聞け。そうすればあなたがたの魂は生きる。私はあなたがたと永遠の契約を結ぶ。ダビデに約束した、確かな慈しみだ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨハネ737-39には次のような主イエス様の御言葉と解説が記されています。
37 祭りの終わりの大事な日に、イエスは立ったまま、大声で言われた。
「渇いている人は誰でも、私のもとに来て飲みなさい。38 私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。」
39
 イエスは、ご自分を信じた人々が受けようとしている霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、霊がまだ与えられていなかった〔直訳「まだなかった」(欄外注)〕からである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イザヤ336を、
聖書協会共同訳は、“主はあなたの時代の確かな支え、救いの富、知恵と知識。主を畏れることこそ、主からの宝である。”と訳し、
2017
は、“主はあなたの時を堅く支え、救いと知恵と知識の富となられる。主を恐れることは、その財宝である。”と訳しています。

 パウロは、「キリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」(コロサイ232017)と語りました。

 主イエス・キリスト様を信じる(信じさせていただく)ということは、何と素晴らしいことでしょうか。
御父は、ペテロたちに、「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け」(マタイ1752017)と語られ、
主イエス様は弟子たちに、「父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。あなたがたがわたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからです。」(ヨハネ16272017)と語られました。 

 24節には、“正しき者の父は喜び躍り、知恵ある子の親は、その子によって喜ぶ。”とあります。
「正しき者」とは、「義なる人」です。
人は、自分で義人とはなれません。イエス様が、私たちの義となってくださったのです。
1
コリント130には、“神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。”(新共同訳)と記されています。
また、主イエス様を信じた人は、義と認められたのです。
“神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。”(ローマ3242017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
イエス様を信じさせていただけましたことを感謝します。
御父は、「主イエス様の言うことを聞きなさい」と仰いました。
イエス様の御言葉をしっかり信じて歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月12日 (水)

詩篇74:1-11 自分たちの罪の悔い改めをしないで敵への復讐の依頼の祈りをすることはできない

 詩篇741-11には次のように記されています。
1 マスキール。アサフの詩。神よ、なぜ永遠に捨て置くのですか。なぜ、あなたの牧場の羊に向かって怒りの煙を吐くのですか。
2
 どうか心に留めてください。昔あなたが買い取りご自分のものとして贖われた部族の群れを。あなたが住まわれたシオンの山を。
3
 永遠の廃虚に歩を進めてください。敵は聖所のすべてを荒らし尽くしました。
4
 あなたに敵対する者は祭りの場のただ中でほえたけり、自らのしるしをしるしとして立てました。〔そこで、敵は勝ちどきをあげ、勝利の碑を建てたのです。(リビングバイブル)〕
5
 それは木の茂みの中で斧を振り上げる者のように見えました。
6
 その時彼らは聖所の彫り物を斧と鎚でことごとく打ち砕きました。
7
 彼らはあなたの聖所に火を放ち、あなたの名の住まいを地に倒して汚しました。
8
 心の中で、「これらをことごとく踏みにじってやろう」と言って、この地にある神の祭りの場をすべて焼き払いました。
5-8節をリビングバイブルは、“あらゆるものが荒廃し、木を切り倒したあとの森のようです。彼らはハンマーや斧で、聖所の彫り物を打ち砕き、切り刻み、こともあろうに、あなたの聖所に火を放ちました。彼らは、「さあ、神の名残をとどめるものを一掃しろ」と叫びながら、国中を駆け巡り、礼拝するための集会場を焼き払いました。”と意訳しています(筆者挿入)〕
9
 もはや私たちのしるしを見ることはできません〔私たちが神様の国民であることを証明するものは、もう何もなくなりました(リビングバイブル)〕。預言者もいません。いつまで続くのか私たちの中には知る者もありません。
10
 神よ、敵対する者はいつまで嘲るのでしょうか。敵は永遠にあなたの名を侮るのでしょうか。
11
 なぜあなたは手を引いてしまわれるのですか。右の手は懐に入れられたままです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この詩篇を読むと、ユダ王国が主に捨てられ、敵に蹂躙され、エルサレムにソロモンによって建てられた神殿さえも火で焼かれ、悲惨な状態になっていることがわかります。それだけではなく、主が約束の民であるかつてのユダ王国の民に関わりも持ってくれていないようです。さらに敵は嘲笑しています。詩聖は、それを嘆いて主に訴えています。

ユダ王国は何故裁かれたのでしょうか?
それは主に従わなかったからです。主を捨て偶像礼拝をしていたのです。
 主に裁かれる直前のエルサレムの様子がエゼキエル8章に次のように記されています。
5 その方〔「主」(筆者挿入)〕は私に言われた。「人の子〔この章での「人の子」とは「エゼキエル」(筆者挿入)〕よ、さあ目を北の方に上げなさい。」私が目を北の方に上げると、〔宮の(筆者挿入)〕祭壇の門の北側の入り口に、この妬みの像〔アシェラ像のようなもの(筆者挿入)〕があった。
6
 その方はまた言われた。「人の子よ、彼らがしていること、イスラエルの家がここでしている甚だしく忌まわしいこと〔偶像礼拝(筆者挿入)〕を見たか。これは私を聖所から遠ざけることになる。しかしあなたは、甚だしく忌まわしいことを、さらに見るであろう。」
7
 この方は私を内庭の入り口に連れて行った。見ると、壁に一つの穴があった。
8
 その方は私に言われた。「人の子よ、さあ壁に穴を開けなさい。」そこで壁に穴を開けると、一つの入り口があった。
9
 その方は私に言われた。「入って、彼らがここで行っている邪悪で忌むべきことを見よ。」
10
 そこで入って見ると、さまざまな這うものや憎むべき獣の像およびイスラエルの家のあらゆる偶像が、周りの壁一面に彫られていた。
11
 またその前に、イスラエルの家の長老七十人がそれぞれ立っており、その中にシャファンの子ヤアザンヤも立っていた。おのおの香炉を手にし、香のかぐわしい煙が立ち上っていた。
12
 その方は言われた。「人の子よ、イスラエルの家の長老たちがおのおの暗闇の中で、自分の偶像の部屋で行っていることを見たか。彼らは『主は我々を御覧にならない。主はこの地を見捨てられた』と言っている。」
13
 さらに、私に言われた。「あなたは、彼らが行っている甚だしく忌まわしいことを、さらに見るであろう。」
14
 この方は、私を主の神殿の北に面した門の入り口に連れて行った。すると、そこに女たちが座って、タンムズ〔バビロンの神(筆者挿入)〕のために泣いていた〔泣くのは儀式の一環(筆者挿入)〕。
15
 その方は言われた。「人の子よ、あなたは見たか。あなたはこれよりも甚だしく忌まわしいことを見る。」
16
 この方は私を主の神殿の内庭に連れて行った。すると、主の聖所の入り口、廊と祭壇の間に、二十五人ばかりの男たちがいて、背中を主の聖所に向け、顔を東の方に向け、東に向かって太陽にひれ伏していた。
17
 その方は私に言われた。「人の子よ、あなたは見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしている忌むべきことは取るに足りないことだろうか。彼ら はこの地を暴虐で満たし、さらに私を怒らせたからである。彼らは自分の鼻に枝を刺している〔タンムズ礼拝あるいは太陽礼拝をするときの呪術的動作(筆者挿入)〕。
18
 私は憤りに駆られて、憐れみの目を向けず、彼らを惜しまない。彼らが大声で叫んでも、私は耳を貸さない。」”(聖書協会共同訳)とあります。

バビロンによるイスラエルへの攻撃は神様の裁きの一つの方法でした。
2
歴代誌36章には次のように記されています。
11 ゼデキヤは二十一歳で王位につき、十一年間エルサレムで統治した。
12
 彼は自分の神、主の目に悪とされることを行い、主の言葉を告げる預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。13 彼はまた、神にかけて彼に誓わせたネブカドネツァル王に反逆し、強情になってその心をかたくなにし、イスラエルの神、主に立ち帰らなかった。
14
 祭司長たちと民のすべても諸国民のあらゆる忌むべきことに倣って背信の罪を重ね、エルサレムで主が聖別された神殿を汚した。
15
 先祖の神、主はその民と住まいを憐れみ、彼らに御使い〔使者(2017)〕を日々繰り返し遣わされたが、16 民は神の使い〔使者たち(2017)〕を弄(もてあそ)び、その言葉を侮り、預言者を嘲笑した。それゆえ、民に対する主の憤りは、もはやとどめようがなくなるまでになった。
17
 主はカルデア人の王〔バビロニア帝国の王ネブカデネザル(筆者挿入)〕を彼らに向かって攻め上らせた。王は若者たちを聖所の中で剣にかけて殺し、若者もおとめも、弱った老人も容赦しなかった。 主はすべての者を彼の手に渡された。
18
 彼は神殿の大小のあらゆる祭具、主の神殿の宝物、王とその高官たちの宝物、それらすべてをバビロンに運び去った。
19
 カルデア人は、神殿を火で焼き、エルサレムの城壁を破壊し、宮殿を焼き払い、貴重な器すべてを粉々にした。
20
 彼はまた、剣を免れた生き残りの者をバビロンに連れ去った。この人々は、ペルシアの王国が統治するようになるまで、バビロンの王とその息子たちの僕〔奴隷(2017)〕となった。
21
 これは、主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地が安息を取り戻すためであった。荒廃の全期間、すなわち七十年が満ちるまで、地は安息を得たのである。”(聖書協会共同訳)とあります。

ダニエルはただ嘆くだけではなく悔い改めの祈りをしました。
ダニエル91-19には次のように記されています。
1 ダレイオスの治世第一年のことである。メディア出身で、クセルクセスの子であるダレイオスは、王となってカルデア人の王国を支配していた。
2
 王の治世第一年、私ダニエルが文書を読んで理解したのは、預言者エレミヤに臨んだ主の言葉によれば、エルサレムの荒廃が終わる年数は七十年だということである。
3
 私は神である主に顔を向け、断食し、粗布をまとい、灰をかぶって、祈りを献げ、嘆願した。
4
 私は私の神、主に祈り、告白して言った。
「ああ、主よ、大いなる畏るべき神よ、主を愛し、その戒めを守る者には契約と慈しみを守る方。
5
 私たちは罪を犯し、過ちを犯し、悪を行い、逆らって、あなたの戒めと法から離れ去りました。6 あなたの僕である預言者があなたの名によって私たちの王、高官、先祖たち、そして国の民すべてに語ったにもかかわらず、私たちは聞き従いませんでした。7 主よ、あなたは正しい方です。しかし、今日このとおり、私たち、すなわち、ユダの人々、エルサレムの住民であり、また、あなたに対して犯した背信の罪のゆえに、あなたに追い散らされて、遠くであれ近くであれ、あらゆる国々に住む全イスラエルの民は、恥辱に直面しています。
8
 主よ、恥辱に直面しているのは、あなたに罪を犯した私たちであり、私たちの王、高官、先祖たちです。
9
 私たちが神に逆らったにもかかわらず、憐れみと赦しは私たちの神、主にあります。
10
 私たちは、律法に従って歩むように命じる私たちの神、主の声に聞き従いませんでした。主はその僕である預言者たちの手によって私たちに律法を与えてくださったのです。
11
 全イスラエルはあなたの律法に背き、離れ去って、御声に聞き従いませんでした。そこで、神の僕モーセの律法に記された呪いと誓いが私たちに下ったのです〔レビ2623-41、申命記2815.49-632726等(筆者挿入)〕。私たちが神に対して罪を犯したからです。
12
 主は、私たちに、また私たちを治めた支配者たちに語られた言葉を実現し、大きな災いを私たちにもたらしました。天の下において、エルサレムに下ったこの災いほど大きなものはありませんでした。
13
 モーセの律法に記されているとおり、この災いはすべて私たちに下りました。私たちは、過ちから立ち帰り、あなたの真理を悟り、私たちの神である 主に願い求めることをしませんでした。
14
 主はその災いから目を離さず、それを私たちに下しました。そうです、私たちの神である主は、ご自分がなさるすべての業において正しいのです。それなのに、私たちは主の声に聞き従いませんでした。
15
 今、私たちの神である主よ、力強い手によって民をエジプトの地から導き出し、今日このとおり、あなたご自身の名声を得られた主よ、私たちは罪を犯し、悪を行いました。
16
 主よ、あなたのすべての正義の御業によって、あなたの都、あなたの聖なる山エルサレムから、どうかあなたの怒りと憤りを去らせてください。そう です、エルサレムとあなたの民は、私たちの罪と先祖たちの過ちのゆえに周辺の住民すべてのそしりとなっています。
17
 しかし、今、私たちの神よ、あなたの僕の祈りと嘆願を聞いてくださり、荒廃したあなたの聖所に、主ご自身のために御顔の光を輝かせてください。
18
 わが神よ、耳を傾けてお聞きください。目をお開きください。私たちの荒廃とあなたの名が呼ばれる都とを御覧ください。そうです、私たちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、私たちはあなたの前に嘆願を献げるのです。
19
 主よ、お聞きください。主よ、お赦しください。主よ、心を向けて御業を行いください。わが神よ、ご自身のゆえに救いを遅らせないでください。そうです、あなたの都でも、あなたの民の間でも、あなたの名は呼ばれているのですから。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 詩篇74篇を記した詩聖の場合とは異なり、主はダニエルの祈りにすぐに応答しました。
 ダニエル920-23には次のように記されています。
20 私はなお語り、祈り、私の罪と私の民イスラエルの罪とを告白し、また、私の神の聖なる山について、私の神である主の前に嘆願を献げていた。
21
 私がまだ祈り語っていたとき、先に幻で私が見たあの人、ガブリエルが飛んで来て、私に触れた。夕べの供え物の頃であった。
22
 彼は私に理解させようとして、こう言った。
「ダニエルよ、今、あなたに悟りを授けるために出て来た。23 あなたが嘆願を始めたとき、御言葉が現れた〔一つのみことばが出された(2017)〕ので、私はそれを伝えるために来た。あなたは愛される者。この言葉を悟り、この幻を理解せよ。・・。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 ダニエルは、自分の罪とイスラエルの罪を告白し、ダニエルの神の聖なる山(エルサレム)のために祈りをささげていました。主は、ダニエル92についてもさらなる奥義を教えてくださったのです。それはユダとエルサレムについての将来の出来事の予告であり、その中には第二神殿の再建、キリストについて、第二神殿の破壊、世の終わりの7年間のこと、等に至るまでをダニエル924-27で教えてくださいました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたを畏れ敬い、あなたを愛し、罪については告白し、いかなる時にも神を正しいとしてへりくだり、あなたの御前を歩むとき、あなたは喜んでくださるお方であるということをダニエルの祈りから学びます。
あなたに対する全き愛と低き心とをもって歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月11日 (火)

申命記18:15-22 モーセのような新しい預言者/キリストに聞き従え

 申命記1815-22には次のように記されています。
15 あなたの神、主は、あなたの中から、あなたの同胞の中から、私のような預言者をあなたのために立てられる。あなたがたは彼に聞き従わなければならない。
16
 これは、あなたが集会の日にホレブで、あなたの神、主に「私が死ぬことがないよう、私の神、主の声を二度と聞かず、また、この大いなる火を再び見ることのないようにしてください」と言って求めたことによるものである。
17
 その時、主は私に言われた。
「彼らの言うことはもっともである。18 私は彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立て、その口に私の言葉を授ける。彼は私が命じるすべてのことを彼らに告げる。19 彼が私の名によって語る私の言葉に聞き従わない者がいれば、私はその責任を追及する。20 ただし、預言者が傲慢にも、私の命じていないことを私の名によって語ったり、他の神々の名によって語ったりするならば、その預言者は死ななければならない。」
21
 もしあなたが心の中で、「私たちは、その言葉が主の語られた言葉ではないことを、どのように知りえようか」と考える場合、
22
 その預言者が主の名によって語っていても、その言葉が起こらず、実現しないならば、それは主が語られた言葉ではない。預言者が傲慢さのゆえに語ったもので、恐れることはない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 15節には、“あなたの神、主は、あなたの中から、あなたの同胞の中から、私のような預言者をあなたのために立てられる。あなたがたは彼に聞き従わなければならない。”とあります。
「私のような預言者」とは、イエス・キリストのことを指していました。
実際には、モーセ以上のモーセのような預言者であるということが、聖書を読むとわかります。
へブル11.2aには、“神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。”(2017)と記されています。

新約時代の最初の殉教者であるステパノ(ステファノ)は、偽証者の訴えによって逮捕されました(使徒68-15)。そしてステパノは、最高法院(サンヘドリン)で大祭司たちに弁明することになったのですが、これは弁明でもありますが素晴らしい説教でした。アブラハムから始めて語り始めるのですが、途中でモーセが出てきます。
ステファノは、モーセが語ったことばの中から、「このモーセが、イスラエルの子らにこう言ったのです。『神は、あなたがたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。』」(使徒7372017)という聖句を語っています。
 その後も説教は続いていきますが、最後の殉教の場面は次のように記されています。
54 人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノ(ステパノ)に向かって歯ぎしりした。
55
 ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、56 「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った
57
 人々は大声で叫びながら耳を覆い、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、58 都の外に引きずり出して石を投げつけた。証人たちは、自分の上着を脱いで、サウロと言う若者の足元に置いた。
59
 人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、私の霊をお受けください」と言った。
60
 そして、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。こう言って、ステファノは眠りに就いた。”(使徒7章・聖書協会共同訳)とあります。

 ペテロが生まれつき足の不自由な人の足をイエス・キリストの御名によって癒した記事が使徒31-10に記されています。
癒された男性がペテロとヨハネについて歩いているので民衆はとても驚きました。
そして、それを見ていた民衆は、ペテロとヨハネと癒された男性の所に駆け寄ってきたのです。ペテロはその機会を逃さずイエスがキリスト(メシア)であるということを説教しました(使徒3:12-26)。その説教の中にも申命記1815の聖句が登場します。

 使徒311-26には次のように記されています。
11 さて、その男がペトロとヨハネに付きまとっていると、民衆は皆非常に驚いて、「ソロモンの回廊」と呼ばれる所にいる彼らの方へ駆け寄って来た。
12
 これを見たペトロは、民衆に言った。
「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、私たちがまるで自分の力や敬虔さによって、この人を歩かせたかのように、なぜ、私たちを見つめるのですか。13 アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、私たちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。あなたがたはこのイエスを引き渡し、 ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。14 聖なる正しい方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を拒んで、人殺しの男〔バラバ(筆者挿入)〕を赦すように要求したのです。
15
 あなたがたは命の導き手〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を殺してしまいましたが、神はこの方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を死者の中から復活させてくださいました。私たちは、そのことの証人です。
16
 そして、このイエスの名が、その名を冠した信仰のゆえに、あなたがたの見て知っているこの人を強くしました。その名による信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全に癒やしたのです。〔このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。(2017)〕
17
 ところで、きょうだいたち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、私には分かっています。
18
 しかし、神は、すべての預言者の口を通して予告しておられたメシア〔キリスト(筆者挿入)〕の苦しみを、このようにして実現なさったのです。
19
 だから、自分の罪が拭い去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。
20
 こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために定めておられた、メシア〔キリスト(筆者挿入)〕であるイエスを遣わしてくださるのです。
21
 このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなる時まで、天にとどまることになっています。
22
 モーセは言いました。『あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、私のような預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることには、何でも聞き従え。〔申命記1815(筆者挿入)〕23 この預言者に聞き従わない者は皆、民の中から滅ぼし絶やされる。』〔申命記1819の聖句の解説的言い換え(筆者挿入)〕
24
 預言者は皆、サムエルをはじめその後に預言した者も、この日について告げています。
25
 あなたがたは預言者の子であり、神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です。神はアブラハムに、『地上のすべての氏族は、あなたの子孫〔単数形(筆者挿入)〕によって祝福される』と言われました〔創世記2218→ガラテヤ316、「子孫」とは「キリスト」(筆者挿入)〕。
26
 それで、神はご自分の僕〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を復活させ、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、この方があなたがたを祝福して、一人一人を悪から離れさせるためでした。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 繰り返しになりますが、15節の「私のような預言者」とは、イエス・キリストのことを指しています。

 偽預言者の見分け方について、主はモーセを通し、「その預言者が主の名によって語っていても、その言葉が起こらず、実現しないならば、それは主が語られた言葉ではない。預言者が傲慢さのゆえに語ったもので、恐れることはない。」(22)と教えてくださいました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
イエス様は、私たちに必要な言葉をみな語ってくださいました。
御父は、イエス様を指して、「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け。」(マタイ1752017)と語られました。
また私たちは、父が御子にお与えになった者たちです(ヨハネ176.7.9)。
主を愛し、喜びをもって主に従い続けていく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6 あなたが世から選び出して与えてくださった人たちに、わたしはあなたの御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに委ねてくださいました。・・。
7
あなたがわたしに下さったものはすべて、あなたから出ている・・・。
9
わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった人たちのためにお願いします。彼らはあなたのものですから。
10
わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。・・・。”(ヨハネ17章・2017

2023年7月10日 (月)

マタイ24:3-14 終末と満了2

 マタイ243-14には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。
「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
5
 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
6
 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。
7
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
8
 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
9
 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。
10
 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
11
 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。
12
 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
13
 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14
 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」(聖書協会共同訳)とあります。

 前回の「終末と満了1」では、3節の、「世の終わるとき」の個所まで記しました。
その時には、マタイ1336-43の個所を取り上げました。黙示録にはもう少し詳しく記されているので、黙示録の個所から取り上げることにします。

 マタイ1339-43には次のように記されています。
39 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り取る者は天使たちである。
40
 毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。
41
 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者たちとを御国から集めて、42 燃え盛る炉に投げ入れる。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
43
 その時、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録の多くの個所は時系列的に記されています。それは7つの封印、そして7番目の封印からは7つのラッパ、そのあとは7つの鉢という順に進んで行きますが、黙示録12-14章は7番目のラッパと1番目の鉢の間に記された挿入句であり、いくつかのテーマについての説明文です。

黙示録1417-20には次のように記されています。
17 また、もう一人の天使が天の神殿から出て来たが、この天使も鋭い鎌を手にしていた。
18
 すると、火をつかさどる権威を持つもう一人の天使が、祭壇から出て来て、鋭い鎌を持つ天使に大声でこう言った。「あなたの鋭い鎌を入れて、地上のぶどうの房を取り入れよ。ぶどうの実は熟している。」
19
 そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ込んだ。
20
 搾り桶は都の外で踏まれた。すると、搾り桶から血が流れ出し、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオン〔三百キロ(リビングバイブル)〕にわたって広がった。”(聖書協会共同訳)とあります。
この個所は、マタイ13章の毒麦の裁きの個所に相当するのではないかと想像します。
この人たちは、もう一度よみがえらせられた後、最後の審判を受け、火の池に入れられることになります。

 ヨハネ528.29には、“・・・。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。”(2017)と記され、
 黙示録2011-15には次のように記されています。
11 また私は、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方を見た。天も地も、その前から逃げて行き、見えなくなった。
12
 また私は、死者が、大きな者も小さな者も玉座の前に立っているのを見た。数々の巻物が開かれ、また、もう一つの巻物、すなわち命の書が開かれた。これらの巻物に記されていることに基づき、死者たちはその行いに応じて裁かれた。
13
 海は、その中にいた死者を吐き出し、死と陰府も、その中にいた死者を吐き出した。死者はおのおの、その行いに応じて裁かれた。
14
 死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
15
 命の書に名が記されていない者は、火の池に投げ込まれた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 マタイ1343aには、“その時、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。”と記されていました。
おそらくここで言われているその人たちは、大患難時代に殉教した人たちでしょう。
反キリストが世界を支配するようになると宗教統制や皇帝礼拝(反キリストへの礼拝)が厳しくなり、経済統制も行われます。
余談になりますが、新生しているキリスト者は反キリストが誰であるかを知らないうちに携挙されます。

 ヘブライ文字やギリシア文字にはアルファベットに数字が配置されています。
ヘブライ語の場合には、アレフは1、ベートは2、・・・・タヴは400というように。
ギリシア語の場合も同様です。アルファは1,ベーターは2、・・・・・オメガは800というように。
おそらく反キリストは、その名前をヘブライ語かギリシア語で書いて計算すると666になるのではないかと思います。

 反キリストを崇拝する人には666が額か手に刻印されます。それ以外の人は売り買いが出来なくなる時代が来るのです。また反キリストの像を拝まない者も殺されます。
再三再四書きますが、携挙された人は、この時代には天にいます。
しかし、まだ地上には、携挙後にイエス様を信じる人もいるのです。
おそらくこの人たちは、殉教することになるのではないかと思います。

 黙示録1311-18には次のように記されています。
11 また私は、もう一頭の獣が地中から上って来るのを見た。この獣には、小羊に似た二本の角があって、竜のように語った。
12
 この獣は、第一の獣が持っていたすべての権威をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、死ぬほどの傷が治った第一の獣を拝ませた。
13
 そして、大きなしるし〔奇跡(リビングバイブル)〕を行って、人々の前で天から地上へ火をも降らせた。
14
 さらに、第一の獣の前で行うことを許された数々のしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣の傷を負ったがなお生きている第一の獣〔反キリスト(筆者挿入)〕の像を造るように、地上に住む人たちに命じた。
15
 第二の獣〔世界統一宗教のリーダー(筆者挿入)〕は、獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。
16
 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
17
 そして、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようにした。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
18
 ここに知恵がある。理解ある者は、獣の数字の持つ意味を考えるがよい。数字は人間を指している。そして、その数字は六百六十六である。”(聖書協会共同訳)とあります。

 666の刻印を受けず、反キリスト礼拝をしなかった人は殺されますが、その人たちは、マタイ1343によると、“その時、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。”と記されている人たちでしょう。
この人たちは、黙示録204に、“・・・。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。”(2017)と記されている人たちでしょう。

 携挙されたキリスト者と、携挙以前に天に帰ったキリスト者で、キリストの空中再臨の時に霊のからだを頂いた者たちの集合体は、キリストの花嫁です。すなわちキリストの空中再臨の時に霊のからだを頂いた人の一人一人がキリストの花嫁を構成している一人一人です。その人たちは、今日書いてきた時代(大患難時代)には地上にはおらず天にいるのです。

 私たちキリスト者が福音をのべ伝えたけれども、携挙までに主イエス様を信じることが出来なかったという人たちも殉教して天に帰ってくる可能性があります。また、大患難時代には世界的な規模で福音が語られ、多くの人たちが救われていくのです。

 黙示録7章には次のように記されています
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。/
13
 すると、長老の一人が私に問いかけた。「この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。」
14
 そこで私が、「私の主よ、それはあなたがご存じです」と答えると、長老は言った。「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
15
 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。
16
 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
いつの時かは分かりませんが、あなたが御子イエス様にお与えになった羊は必ず主イエス様を信じることでしょう。
私たちは福音を伝えることを委ねられていますから、福音を伝えていくことが出来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
4
 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、付いて行く。/
14
 私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。
15
 それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである。私は羊のために命を捨てる。
16
 私には、この囲いに入っていないほかの羊がいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる。”(ヨハネ10章・聖書協会共同訳)
“世から選んで私に与えてくださった人々に、私は御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたは私に与えてくださいました。”(ヨハネ176a・聖書協会共同訳)

2023年7月 9日 (日)

箴言23:19-21 肉の満たしを避け霊の満たしを求める

 箴言2319-21には次のように記されています。
19 子よ、よく聞いて知恵を得、心を正しい道に向けよ。
20
 酒を飲む者の中に、肉を食らう者の中にいるな。
21
 酒を飲み、肉を食らう者は貧しくなり、惰眠を貪る者はぼろをまとうようになる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イエス様に敵対する人の目にイエス様はどのように映っていたのでしょうか。
マタイ1119には、「人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『見ろ、大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言うのです。しかし、知恵が正しいことはその行いが証明します。」(2017)という主イエス様の御言葉が記されています。

 主イエス様はよく食べたし、よく飲んだのかもしれません。
しかし主イエス様はそれによって罪を犯すことはなかったのです。
食べ過ぎ、飲みすぎで体を壊すことや、飲んだゆえに自制が利かなくなって罪を犯すことが良くないことなのでしょう。
また、今日の21節の「酒を飲み、肉を食らう者は貧しくなり」という聖句のように、飲食にはお金がかかります。
誰でも収入に見合った生活を送ることが大切でしょう。

 お酒をたしなむのと、お酒に飲まれるという状態には違いがあります。
お酒を飲みたくてたまらない状態は、肉の欲でしょう。
私は、約60年前に、漢文の先生が、池酒肉林、という言葉を言われたとき、何のことかわかりませんでしたが、これこそ肉の欲の現れであることを今は分かります。
 
 酒池肉林について、日本大百科全書は、次のように記しています。
“池の水のように豊富な酒と、木々の立ち並ぶ林のように架けられた肉の意で、酒や肉などの御馳走(ごちそう)がいっぱいの豪奢(ごうしゃ)な遊楽や酒宴のたとえ。中国、殷(いん)の暴君として知られる紂王(ちゅうおう)は、酒を好んで淫楽(いんらく)にふけり、砂丘に戯れては、酒をもって池とし、肉を架けて林として、その中で男女を裸にして互いに追いかけさせては、長夜の飲をなした。ために百姓たちは遠くからこれを望んでは恨んだ、と『史記』「殷本紀」に伝える。[田所義行]”とあります。

 パウロは、「・・、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」(エペソ518・新改訳初版~第三版)と言いつつ、
テモテには、「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のために、少量のぶどう酒を用いなさい。」(1テモテ5232017)と語りました。
テモテの胃の症状はストレスからであったのでしょう。
現代では、それに対応する薬があります。

 また教会の監督や執事の条件として、パウロは次のようにも語っています。
「・・監督は、非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、礼儀正しく、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、乱暴でなく、柔和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人でなければなりません。」(1テモテ32-42017)と述べるとともに、執事に対しては、
「同じように執事たちも、品位があり、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利を求めず、きよい良心をもって、信仰の奥義を保っている人でなければなりません。」(1テモテ38.92017)と述べています。

私たちキリスト者は、肉に満たされる歩みではなく、御霊によって導かれる歩み、あるいは、キリストと一つにされた霊による歩み、また神の御言葉に満たされた歩みを願う者たちであろうと思います。
 ガラテヤ516-25には、
16 私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。
17
 肉の望むことは霊に反し、霊の望むことは肉に反するからです。この二つは互いに対立し、そのため、あなたがたは自分のしたいと思うことができないのです。
18
 霊に導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。
19
 肉の行いは明白です。淫行、汚れ、放蕩、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、21 妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ、その他このたぐいのものです。以前も言ったように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはありません。
22
 これに対し、霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、節制であり、これらを否定する律法はありません。
24
 キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。
25
 私たちは霊によって生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか。”(聖書協会共同訳)と記され、
 コロサイ316には、
“キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。”(2017)と記され、
 コロサイ19-12には、パウロの祈りが次のように記されています。
9 ・・・・、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたが、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころについての知識に満たされますように。10 また、主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、神を知ることにおいて成長しますように。11 神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、どんなことにも忍耐し、寛容でいられますように。12 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった御父に、喜びをもって感謝をささげることができますように。」(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
肉に満たされることなく御霊に満たされ、あなたの御言葉に満たされて歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月 8日 (土)

詩編73:13-28 主を信じる者の幸いは主とともにいること/主と交わる者は主と一つの霊となる(1コリント6:17)

 詩編7313-28には次のように記されています。
13 なんと空しいことか。私は心を清く保ち、手を洗って潔白を示した。
14
 日ごと、私は打たれ、朝ごとに懲らしめを受けた。
15
 もし「彼らのように語ろう」と言ったなら、私はあなたに属する人々を裏切ることになっただろう。
16
 私の目には徒労に見えたが、これを知ろうと思い巡らした。
17
 そしてついに神の聖所に入り、彼らの行く末を悟った。
18
 あなたは滑りやすい道を備え、彼らを廃虚に落とされる。
19
 何ということか。瞬く間に彼らは恐ろしい目に遭い、恐怖のうちに滅びうせる。
20
 彼らは、目覚めの際の夢のよう。わが主よ、あなたは起き上がり、彼らのはかない姿を軽んじられる。
21
 私の心は痛み、はらわたの裂ける思いがする。
22
 私は愚かで物を知らず、あなたと共にありながら獣のようだった。
23
 しかし、私は常にあなたと共にある。あなたは右の手を捕らえてくださる。
24
 あなたの計らいは私を導き、やがて栄光のうちに私を引き上げてくださる。
25
 天では、あなたのほかに誰が私を助けてくれようか。地には、あなたのほかに愛するものは何もない。
26
 この身も心も朽ちるが、神はとこしえにわが心の岩、わが受くべき分。
27
 見よ、あなたから遠ざかる者は滅びる。あなたは背く者を絶たれる。
28
 しかし私には、神に近くあることこそが幸い。私は主なる神〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕を逃れ場とし、あなたの業をことごとく語り伝えよう。”(聖書協会共同訳)とあります。

 聖く歩もうとしているのに、あるいは聖く歩んでいるのに災いに遭うのはどうしてなのでしょう。
霊の世界がわからないと、その答えは出てきません。

 ヨブ記1.2章には次のように記されています。
11 ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は完全で、正しく、神を畏れ、悪を遠ざけていた。
2
 彼には七人の息子と三人の娘があった。
3
 また、彼は羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百軛(くびき)、雌ろば五百頭の家畜を持ち、僕(しもべ)も非常に多かった。この人は東の人々の中で最も大いなる人であった。
4
 息子たちはそれぞれ自分の日に、その家で祝宴を催し、使いを送って三人の姉妹たちをも呼び寄せ、食事を共にするのが常であった。
5
 その祝宴が一巡りする度に、ヨブは使いを送って子どもたちを聖別し、朝早く起きて、彼らの数に相当する焼き尽くすいけにえを献げた。「もしかすると子どもたちは罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。
6
 ある日、神の子らが来て、主の前に立った。サタンもその中に来た。
7
 主はサタンに言われた。「あなたはどこから来たのか。」サタンは主に答えた。「地を巡り、歩き回っていました。」
8
 主はサタンに言われた。「あなたは私の僕ヨブに心を留めたか。地上には彼ほど完全で、正しく、神を畏れ、悪を遠ざけている者はいない。」
 9 サタンは主に答えた。
「ヨブが理由なしに神を畏れるでしょうか。10 あなたは彼のために、その家のために、また彼のすべての所有物のために周りに垣根を巡らしているではありませんか。あなたが彼の手の業を祝福するので、彼の家畜は地に溢れています。11 しかし、あなたの手を伸ばして、彼のすべての所有物を打ってごらんなさい。彼は必ずや面と向かって、あなたを呪うに違いありません。」
 12 主はサタンに言われた。
「見よ、彼のすべての所有物はあなたの手の中にある。ただし、彼には手を出すな。」サタンは主の前から出て行った。
13
 ヨブの息子、娘が長兄の家で食事をし、ぶどう酒を飲んでいた日のことである。
14
 ヨブのもとに使者がやって来て言った。「牛が畑を耕し、その傍らで雌ろばが草を食んでおりますと、15 シェバ人が襲いかかって、これを奪い、若者たちを剣で打ち殺しました。私一人が、あなたにお知らせするために逃れて来たのです。」
16
 彼がまだ話している間に、別の者がやって来て言った。「神の火が天から降り、羊と若者たちを焼き尽くしました。私一人が、あなたにお知らせするために逃れて来たのです。」
17
 彼がまだ話している間に、別の者がやって来て言った。「カルデア人が三隊に分かれて、らくだを襲い、これを奪い、若者たちを剣で打ち殺しました。私一人が、あなたにお知らせするために逃れて来たのです。」
18
 彼がまだ話している間に、別の者がやって来て言った。「あなたのご子息、ご息女がたはご長男の家で食事をされ、ぶどう酒を召し上がっておられました。
19
 その時、大風が荒れ野の方から吹いて来て、家の四隅を打ち、それが若者たちの上に倒れ、皆様は亡くなられました。私一人が、あなたにお知らせするために逃れて来たのです。」
20
 ヨブは立ち上がり、上着を引き裂いて、頭をそり、地に身を投げ、ひれ伏して、21 言った。「私は裸で母の胎を出た。また裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の名はほめたたえられますように。」
22
 このような時でも、ヨブは罪を犯さず、神を非難しなかった。
 2:1 またある日、神の子らが来て、主の前に立った。サタンもまたその中に来て、主の前に立った。
2
 主はサタンに言われた。「あなたはどこから来たのか。」サタンは主に答えた。「地を巡り、歩き回っていました。」
3
 主はサタンに言われた。「あなたは私の僕ヨブに心を留めたか。地上には彼ほど完全で、正しく、神を畏れ、悪を遠ざけている者はいない。あなたは私を唆(そそのか)し、理由なく彼を滅ぼそうとしたが、彼はなお完全であり続けている。」
 4 サタンは主に答えた。「皮には皮を、と言います。人は自分の命には、すべてを差し出します。
5
 あなたの手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってごらんなさい。彼は必ずや面と向かって、あなたを呪うに違いありません。」
 6 主はサタンに言われた。「では、彼をあなたの手に委ねる。ただし、彼の命は守れ。」
7
 サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫れ物で彼を打った。
8
 ヨブは土器のかけらを取って体をかきむしり、灰の中に座った。
9
 彼の妻は言った。「あなたは、まだ完全であり続けるのですか。神を呪って死んでしまいなさい。」
10
 しかし、ヨブは彼女に言った。「あなたは愚かな者が言うようなことを言う。私たちは神から幸いを受けるのだから、災いをも受けようではないか。」このような時でも、ヨブはその唇によって罪を犯さなかった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主に対して誠実に生きていたヨブは、サタン(悪魔)の神に対する敵対心のゆえにトラブルの渦中に放り込まれたのでした。
私たちにも同様なことは起こりえます。というかよく起こるのです。サタンには、敵対する者、という意があり、神に対して、神につく者に対して敵対するのです。

 しかしパウロは次のように証ししました。
ローマ833-35.37-39には次のように記されています。
33 誰が神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。
34
 誰が罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右におられ、私たちのために執り成してくださるのです。
35
 誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょう。苦難か、行き詰まりか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。
37
 しかし、これらすべてのことにおいて、私たちは、私たちを愛してくださる方によって勝って余りあります。
38
 私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、39 高いもの〔「高い所にいるもの」(新共同訳)〕も深いもの〔低い所にいるもの(新共同訳)〕も、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 詩篇73篇の詩聖は、ヤハウェ(主)を信じていました。
詩聖は、ヤハウェ(主)を信じてはいても、妬みの罪の泥沼に入り込みました(3.21)。しかし、そのようなときにも、主は絶えずともにいてくださり、詩聖の右手をしっかりとつかんでくださっていました(23)。さらに、詩聖は、神を信じない者の最後も教えられました(17-19.27)。それとともに、主を信じる者の幸いを詩聖は主に教えられたのです(23.24.26)。そして結局は、主とともにいることが幸せなのであるということを悟らせていただいたのです(25-26.28)。

 前述したヨブも主から復活の啓示を与えられました。
ヨブ1925-27には、
25 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。26 私の皮がこのように剝ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。27 この方を私は自分自身で見る。私自身の目がこの方を見る。ほかの者ではない。”(2017)と記されています。
 26節を、口語訳は、“わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。”と訳し、リビングバイブルは、“この肉体が朽ち果てたのち、私は新しい肉体で神を見る。”と訳しています。

 新約時代の私たちは、もっと詳しく教えていただいているのです。
なんと幸いなことでしょうか。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
この世においては頻繁に悪魔悪霊との戦いがありますが、私たちの主であるキリスト・イエス様は、天においても地においても一切の権威を持っておられる方ですから主に在って勝利させていただけますから感謝です。
いつも主と共に歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「世の波風いかに荒れて」(聖歌474 聖歌総合版491)の5
“ハレルヤ!主は 世と悪魔に すでに勝ちを得給えば 我らもまたイェスとともに 日々勝ち得て余りあり 主の安き 主の安き 我は内に今もてり 主の安き 主の安き 我は内に今もてり”

2023年7月 7日 (金)

申命記18:9-14 自分から悪しき霊の世界に入っていかないように

 申命記189-14には次のように記されています。
9 あなたの神、主の与える地に入ったならば、そこの諸国民の忌むべき慣習を見習ってはならない。
10
 あなたの中に、自分の息子や娘を火にくぐらせる者、占い師、卜占する者、まじない師、呪術師、11 呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。
12
 これらのことを行う者をすべて、主は忌み嫌われる。この忌むべきことのゆえに、あなたの神、主は、諸国民をあなたの前から追い出される。
13
 あなたは、あなたの神、主と共にあって、全き者でなければならない。
14
 あなたが追い出そうとしているこれらの国民は卜占する者や占い師の言うことを聞いているが、あなたの神、主は、あなたがそうすることをお許しにならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 日本でも、10.11節に記されているようなことを行う人は一定数いると思います。そのようなことを行う人(占い師、口寄せ、霊媒、etc.)が存在できるのは、人々が、将来自分に起こることを知りたいと思う人がいるからでしょう。また自分の幸福のためには子どもさえも犠牲にする人たちもいるからでしょう。

 10節に、“自分の息子や娘を火にくぐらせる者”とあります。
ミルコム(モレク)やケモシュといった偶像神には、生きたままの幼児を火で焼くいけにえとして捧げたのです。
驚くべきことに、これをイスラエルで行うことを許したのはソロモン王でした(1列王記115-8)。ソロモンが最初に許可した場所はオリーブ山でした。やがて、イスラエルもユダもこのようなことをも含め、偶像礼拝を含めた不信の罪のために、ヤハウェ(主)に裁かれ、北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ(2列王記177-23)、ユダはバビロンに滅ぼされるのです。その罪と経緯は、2列王記211-16241-418-20251-21に記されています。

 1列王記111-11には次のように記されています。
1 ソロモン王はファラオの娘をはじめとして、モアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。
2
 これらの国民について、主はかつてイスラエルの人々に、「あなたがたは彼らと結婚してはならない。また彼らもあなたがたと結婚してはならない。 さもなければ、必ずやこれらの国民が、あなたがたの心をその神々へと向けさせるだろう」と言われた。だがそれにもかかわらず、ソロモンはこうした者たちを愛して離れることがなかった。
3
 彼には多くの妻、すなわち、七百人の王妃と三百人の側室がいた。この女たちが彼の心を誤らせたのである。
4
 ソロモンが年老いたとき、女たちは彼の心を、他の神々へと向けさせた。彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主に対して誠実ではなかった。
5
 ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべきものミルコムに付き従って行った。
6
 ソロモンは、主の目に悪とされることを行い、父ダビデと異なり、主に従い通すことはなかった。
7
 その頃ソロモンは、モアブの憎むべきものケモシュと、アンモン人の憎むべきものモレクのために、エルサレムに面した山に高き所を設けていた。
8
 また、あらゆる外国の女たちのためにも同じようなことをしたので、彼女たちは自分の神々に香をたき、いけにえを献げていた。
9
 ソロモンの心がイスラエルの神、主から離れて行ってしまったので、主はソロモンに怒りを発せられた。主はかつて二度ソロモンに現れ、10 このことについて、「他の神々に従ってはならない」と命じられていた。しかし彼は主が命じられたことを守らなかったのである。
11
 そこで主はソロモンに言われた。「あなたはこのようなことをして、私が命じた契約と掟を守らなかった。それゆえ私は、必ずあなたの王国を引き裂き、あなたの家臣に分け与える。
12
 ただ、あなたが生きている間は、あなたの父ダビデに免じてそうしないでおく。私が王国を引き裂くのは、あなたの息子の代である。
13
 ただし、王国すべてを引き裂くというのではない。わが僕ダビデに免じ、また私が選んだエルサレムに免じて、あなたの息子には一つの部族を与えることにする。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 モレク(ミルコム)について聖書辞典は次のように述べています。
“モレク (〈ヘ〉molek) ヘブル語の「王」(〈ヘ〉メレク)に、「恥ずべきもの」(〈ヘ〉ボーシェス)の母音をつけて発音させたもの。
偶像の総称で、「恥ずべき王」という意味かと思われる。
特に、アモン人の神(11:7)を指す。ミルコムとも(11:33)、モロクとも呼ばれた(使7:43)。
モレクの神殿は、エルサレムの南西にあるベン・ヒノムの谷(エレ32:35)の、トフェテ(エレ7:31)に築かれていた。それはソロモンによって建てられたもので、異教徒の妻たちのために建てられたのかもしれない(11:8)。具体的には、オリーブ山の南端と考えられ、それは「破壊の山」とも呼ばれた(Ⅰ列11:7,Ⅱ23:13)。
そこに雄牛の頭を持った青銅の像が、手を突き出して立っており、モレクの信者たちは、その手の上に子供をのせ、下から火をたいていけにえとした(レビ18:21)。
モレクの祭司たちは、太鼓をたたき続けて、子供の叫び声を消し、両親の悲しみを和らげたと言う。
レビ記は、はっきりとモレク礼拝を禁じ、小児のいけにえを禁じているが(レビ20:2‐5)、偶像礼拝と共に受け継がれ、ユダの王ヨシヤの宗教改革で排除されるまで続けられた。イスラエルはその歴史の中で、この小児人身犠牲という、きわめて異教的で、罪悪的、非人道的儀式を何回も取り入れた。聖書の中ではユダの王アハズによって行われ(Ⅱ列16:3)、その後、マナセ王も父ヒゼキヤ王が取り壊した高き所を築き直し、ベン・ヒノムの谷で、この悪習慣を繰り返した(21:6)ことが記されている。彼らは、神が「わたしの子どもたち」と言われる幼児たちを、偶像モレクにいけにえとしてささげて「食べさせた」のである(エゼ16:20‐21)。
北王国イスラエルの滅亡後サマリヤに移住させられたセファルワイム人の神々として、アデラメレクとアナメレクの名があげられている(Ⅱ列17:31)が、アナメレクの「アナ」は「アヌ」に通じ、バビロンの空の神と考えられ、アデラメレクの「アデラ」も「主人」の意味を持つと思われ、どちらも子供を火で焼いて、人身犠牲をするところから、「メレク」は「モレク」の変形とされ、何らかの関係があるものと考えられている。”と記しています。

 偶像神には、悪しき霊が宿っているのです。
1コリント1019-21には次のように記されています。
19 私は何を言おうとしているのでしょう。偶像に献げた肉とは何であるとか、偶像とは何であるとか、言おうとしているのでしょうか。
20
 そうではなく、彼らが偶像に献げる物は、神ではなく悪霊に献げている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってほしくありません。
21
 主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方にあずかることもできません。”(聖書協会共同訳)とあります。

 占い関係もすべて悪しき霊が関与します。
占いをする者等の言うことが良く当たる場合には、その人に預言の悪霊がついているのです。
 使徒1616に、「ある時、わたしたちが、祈り場に行く途中、占いの霊〔ギリシア語原語は、「プニューマ プーソーン」で、悪の霊、占いの霊、ニシキヘビの霊、等の意があります(筆者挿入)〕につかれた女奴隷に出会った。彼女は占いをして、その主人たちに多くの利益を得させていた者である。」(口語訳)と記されています。
占いにどんどんはまり込むとニシキヘビに巻かれて殺されるような感じを受けないでしょうか。
サタン(悪魔)は、光の天使に変装することもあれば(2コリント1114)、人を自分に引き込むために、真理を織り混ぜて偽りを言う偽りの父です(ヨハネ844)。
本文に戻ると、「これらのことを行う者をすべて、主は忌み嫌われる。この忌むべきことのゆえに、あなたの神、主は、諸国民をあなたの前から追い出される。」(12)と記されています。
そして、14節には、「あなたが追い出そうとしているこれらの国民は卜占する者や占い師の言うことを聞いているが、あなたの神、主は、あなたがそうすることをお許しにならない。」とはっきり記されているのです。

主が主を信じる者に求めているのは、「あなたの神、主の前にあなたは全き者〔ヘブライ語原語は、「ターミーム」で、非のうちどころのない、完全、誠実、真実等の意です(筆者挿入)〕でなければならない。」(13)ということです。
即ち、主に対して誠実でなければならない、或いは、三一の神以外を自分の主とするようなことがあってはならない、ということでしょう。
キリスト者として別の言い方をすると、、キリストの愛に深く心を打たれ、花婿である主イエスを一途に愛し、主イエスを愛する故に主に従う(エペソ522-32参照)、ということになるでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたを畏れ敬い、あなたを愛して、あなたに従い続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月 6日 (木)

マタイ24:3-14 終末と満了1

 マタイ243-14には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。
「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
5
 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
6
 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。
7
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
8
 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
9
 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。
10
 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
11
 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。
12
 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
13
 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14
 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 3
節前半には、“イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。”とあります。

 マタイの福音書では、「弟子たち」と書いてありますが、この弟子たちとは、12弟子全員ではなく、マルコ133によると、ペテロ(ペトロ)、ヤコブ、ヨハネ、アンデレであることがわかります。
ペテロとアンデレは兄弟です(ヨハネ140)。
ヤコブとヨハネは兄弟です(マルコ537)。
さらにペテロとヨハネとヤコブは12弟子の中でも特別でした(マルコ535-43、特に37節;マタイ171-8、特に1節;マルコ1432-42、特に33節)。

 ヤコブは12使徒の中で最初に殉教を許された人でした{(使徒121-2A.D.44年}。
ペテロは、12弟子(使徒)たちの中でも代表的存在でした(マタイ161617241821、ルカ1241)。

 ヨハネは、イエス様が十字架上におられるときに、イエス様から母マリアを託された人です。
ヨハネ1926.27には、“イエスは、母とそばに立っている愛する弟子〔ヨハネ(筆者挿入)〕を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」と言われた。それから、その弟子に「ご覧なさい。あなたの母です」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分のところに引き取った。”(2017)と記されています。
マリアには、ヨセフとの間に子供たちがいたのです。
マタイ1355.56には、“この人は大工の息子ではないか。母はマリアといい、弟たちはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。妹たちもみな私たちと一緒にいるではないか。”(2017)と記されています。

 イエス様の公生涯最後の過越しの食事(最後の晩餐)の用意のために、イエス様に遣わされたのは、ペテロとヨハネでした(ルカ228)。
最後の晩餐の席で、イエス様の隣の席で食事をしていたのはヨハネでした。
ヨハネ1323には、“弟子の一人がイエスの胸のところで横になっていた。イエスが愛しておられた弟子である。”(2017)と記されています。

 新訳聖書の最後の書である「αποκαλυψις(アポカルプシス)」を書くように導かれたのはヨハネでした。
アポカルプシスとは、開示、啓示、・・・の意です。日本語訳聖書の多くは黙示録と訳しています。

 3節後半部分には、「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」と、4人の弟子たちは主イエス様に尋ねたと記されています。

 「そのことはいつ起こるのですか。」という質問は、マタイ2337-242に次のように記されている個所との兼ね合いの内容を心に留めて質問したのではないかと思います。マタイ2337-242には次のように記されています。
 “23:37 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めんどりが雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
38
 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。
39
 言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うまで、今から後、決して私を見ることはない。
24
1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。
2
 イエスは言われた。「このすべての物に見とれているのか。よく言っておく。ここに積み上がった石は、一つ残らず崩れ落ちる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 イエス様や弟子たちが見ていた神殿は、第二神殿でした。
第一神殿は、ソロモンの神殿です。
第三神殿もあります。それは、携挙の後に立てられ、キリストの地上再臨の三年半前に反キリストによって汚される神殿です。
それは、イエス様が“それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら・・”(マタイ24152017)と言われた、「聖なるところ」です。この預言は、ダニエル927の“彼〔反キリスト(筆者挿入)〕は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。”(2017)と預言された個所に基づいています。

 弟子たちは、「あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」とも質問しました。
「世の終わり」について主イエス様は、マタイ13章では次の様にも譬えで語っておられます。
36 それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちが御もとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。
37
 イエスはお答えになった。
「良い種を蒔く者は人の子、38 畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。
39
 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り取る者は天使たちである。
40
 毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。
41
 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者たちとを御国から集めて、42 燃え盛る炉に投げ入れる。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
43
 その時、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」”(2017)と記されています。

 新生して聖霊が与えられているキリスト者は、キリストの空中再臨の時に携挙されていますから、その人たち(神の子どもであり、キリストの花嫁)は、第三神殿が立つのを見ることもなく、反キリストを見ることもなく、その前に霊のからだを与えられ、天の神の王国で生活しているのです(1テサロニケ413-17、ヨハネ141-3、マタイ1343)。
まさしく「見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ2029)と主が語られたように、主イエス様を信じた人たちです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたは、「わたしは初めから既に、先のことを告げ、まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り、わたしは望むことをすべて実行する。」(イザヤ4610・新共同訳)と明言されるお方ですから御名を崇めて賛美します。
人が様々な回避策を練ったとしても、あなたのみ旨だけがなることを覚えます。
箴言1921に、「人の心には多くの計らいがある。〔ヘブライ語聖書には、「しかし」という語が入っています。(筆者挿入)〕主の御旨のみが実現する。」(新共同訳)と記されているように。ハレルヤ。
益々、主を愛し、主に信頼し、主に従って歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月 5日 (水)

箴言23:17.18 人をうらやむな、キリスト者の将来には驚くべき祝福が待っている

 箴言2317.18には次のように記されています。
17 心で罪人を妬むことなどせず、日夜、主を畏れよ。18 そうすれば、未来もあり、希望が絶たれることもない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 BIBLE naviはこの個所の適用注解として、
“神の律法に対する責任に妨げられずに成功している者たちに嫉妬することはたやすい。ある期間、彼らは、神が望んでおられることには何の注意も払わずに栄えているように思えるが、彼らに未来はないのだ。神に従う者たちには、神は希望と素晴らしい未来を約束してくださる。たとえ地上でそれが達成できなくても。”と述べています。

 主なる神様が、キリスト者に最終的に用意して下さったものとは、今の世界、今の宇宙が主によって滅ぼされ、新天新地においてとこしえに主と共に生活するということです。

 将来、キリスト者(新生している人)に主が用意しておられる内容は、
1.キリストの空中再臨に伴う携挙{(突然のことなのでいつ起こるかわかりません。この時に霊のからだを頂けます。)マタイ24361コリント1552、1テサロニケ413-17
2.天におけるキリストの裁きの座における裁き{(キリスト者の救い、永遠の命は確定しています。報いのための裁定)2コリント510、マタイ2514-30、ルカ1911-27、ヨハネ3361126
3.花婿キリストと花嫁教会(恵みの時代に新生させていただいたキリスト者の総体)との婚礼、それに続く婚宴(黙示録196-9
4.キリストに従って地上再臨する(黙示録1914、ユダ14.15節)
5.キリストの千年王国時代が始まり、キリストと共に1000年間統治する(マタイ13432テモテ212a、黙示録2226.273211テサロニケ417b
6.現在の宇宙の崩壊とその後の新天新地の創造(2ペテロ3713、イザヤ65176622a、マタイ2435a、黙示録211
7.新天新地における聖なる都エルサレムにおいて御父及び御子と共にとこしえに住む(黙示録211-225

 キリスト者は、この世にあっては旅人であり寄留者です。
1
ペテロ211には、“愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。”(2017)と記されています。
また、へブル1222には、“ ・・あなたがたは、シオンの山に近づいているのです。そこは生ける神の都、天にあるエルサレムであり、無数の天使たちが楽しげに集う所です。”(リビングバイブル)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
私たちキリスト者にとっての地上生活は、寄留者としての生活であり、私たちの永遠の住まいは、イエス様が、「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」(ヨハネ142.32017)と語られたように天のエルサレムですから感謝します。
いつも主イエス様に心を留めながら地上の日々を歩みつづけていけますように。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(へブル122a2017)と勧められているように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月 4日 (火)

詩篇73:1-12 まことの神を信じていない者でもこの世で成功し、主を信じる者たちを見下している者は大勢いる/キリスト者は霊的祝福に目を向ける

 詩篇731-3には次のように記されています。
1 賛歌。アサフの詩。
神はなんと恵み深いことか、イスラエルに、心の清い者たちに。
2
 それなのに私は、危うく足を滑らせ、今にも歩みを踏み誤るところだった。
3
 悪しき者の安泰を見て、驕り高ぶる者を妬んだ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 3節を新共同訳は、“神に逆らう者の安泰〔原語は「シャローム」(筆者挿入)〕を見て、わたしは驕る者をうらやんだ。”と訳しています。

 アサフ及びアサフ族について、聖書辞典から抜粋すると次のように記されています。
“〔アサフは(筆者挿入)〕レビ人ゲルショム族でベレクヤの子(Ⅰ歴6:39)。ダビデ時代、神の箱がオベデ・エドムの家からダビデの町に運び込まれた時、歌うたいとして抜擢された(15:19)。先見者とも呼ばれている(29:30)。
 彼の子孫はアサフ族と呼ばれ、神殿礼拝における賛美の職務を継承した(35:15,ネヘ11:22)。
 バビロン捕囚からの帰還者リストにはアサフ族の歌うたいとして128人が登録されている(エズ2:41)。事実、神殿再建の際には、民の先頭に立って賛美の務めを果した(エズ3:10‐11)。
 詩50,78‐83篇題目に「アサフの賛歌」とつけられているのは、彼らに起源があるものと思われる。これらの詩篇ではヤハウェではなく、エローヒームが神名として使われているのが特徴的である。”と述べています。

 1節に、“神はなんと恵み深いことか、イスラエルに、心の清い者たちに。”とあります。
人はどのような事柄を体験して、「神は恵み深い」と思うのでしょうか。
ある人は、財産に恵まれ、健康に恵まれ、自分の望むことを達成し、社会的に高い地位を得、この世で成功者となったことを体験して、神は恵み深い、と考えるかもしれません。
 しかし、主は、主を信じない人に対して、「たとい彼が生きながらえる間、自分を幸福と思っても、またみずから幸な時に、人々から称賛されても、彼はついにおのれの先祖の仲間に連なる。彼らは絶えて光を見ることがない。人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。」(詩編4918-20・新共同訳)と語られることでしょう。
 また主イエス様は、聖書に記されている主の御言葉を信じることが出来ずに死んだ裕福な人の例を語られました。それはルカ1619-31に記されています。よみの苦しみの場所に行った金持ちは律法に記されていることを心に留めることの出来ない人でした(ルカ1627-31)。

 まことの神を信じないで成功した悪しき者についての記述が、詩篇734-12に次のように記されています。
4 彼〔「悪しき者」(聖書協会共同訳)、「神に逆らう者」(新共同訳)〕らには苦しみがなく〔別訳「死ぬまで苦しみがなく」(欄外注)〕、体も肥えて健やかである。
5
 人間の負うべき労苦もなく、人々のように打たれることもない。
6
 それゆえ、高慢が首を飾り、暴虐の衣が彼らを包む。
7
 過ちは脂肪の中からにじみ出て、悪だくみは心に溢れている。
8
 彼らは嘲り、悪意をもって語り、高飛車に暴言を吐く。
9
 彼らは口を天に置き、舌は地を這(は)う。
10
 それゆえ、民はここに帰り、彼らの言葉を水のように貪る。
11
 彼らは言う。「神がどうして知っていようか。いと高き方に何の知識があろうか。」
12
 見よ、これが悪しき者。とこしえに安穏に財をなしてゆく。”(聖書協会共同訳)とあります。

 「悪しき者」と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーシャー」で「悪しき者」ですが、神ヤハウェ(主)に対する悪しき者の基本は、神ヤハウェ(主)を、まことの神と認めず、信じない者のことですから、「神に逆らう者」と新共同訳のように訳すのもありだと思います。

 この世の支配権は悪魔(サタン)が持っています。
おそらく、それは、堕罪した人たちが、まことの神である主を信ぜず、すなわち主の御言葉を信ぜず、サタンの言うことを信じるからでしょう。
1
ヨハネ519には、「私たちは〔キリスト者は(筆者挿入)〕神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にある・・。」(2017)と記されていることに合致します。
サタンについて、主イエス様は、「この世を支配する者」(ヨハネ1231)と語っておられます。サタンが逮捕されてサタンの牢に入れられるのは黙示録202.3の個所ですからキリストの地上再臨後になります。

 サタン(悪魔)は人を豊かにすることが出来ます。
サタンは、イエス様に、“・・・、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。”(マタイ48.9・新共同訳)のです。

 4-12節には、神ヤハウェ(主)を信ぜずとも、この世で財を成し、健康にも恵まれ、権力をほしいままにしているような人が描写されています。

 今まで幾度となく述べてきましたが、キリスト者に与えられた祝福は霊的なものです。
エペソ13には、“神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(新改訳第二版)と記されています。
キリスト者は、神の御性質に〔神の本性(新共同訳)〕あずかる者とされ(2ペテロ142017)、永遠の命を与えられ(ヨハネ336)、神の子どもとされているのです(1ヨハネ32)。神の子どもですから、神様は地上の必要も満たしてくださるのです(ピリピ419)。
そしてやがては、天においてキリストとの結婚式を迎えるのです。ハレルヤ!

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
常にあなたを畏れ敬い、あなたを愛し、あなたがキリスト者に対して与えて下さった約束を信じて歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月 3日 (月)

申命記18:1-8 レビ人と祭司に関する規定

 申命記181-8には次のように記されています。
1 レビ人である祭司、レビ族のすべての者には、イスラエルのような割り当て地や相続地がない。それで、彼らは主への火による献げ物を相続分として食べることができる。
2
 同胞の中には、彼の相続地はない。主の語られたとおり、主が彼の相続地である。
3
 祭司が民から、牛でも羊でも、いけにえを屠る民から受け取ることのできるものは次のとおりである。肩と両頬と胃は祭司に与えられる。
4
 穀物、新しいぶどう酒、新しいオリーブ油の初物、および羊毛の初物も、彼に与えられる。
5
 あなたの神、主が全部族の中から彼を選び、彼とその子らを主の名によっていつまでも仕えるようにと立てられたからである。
6
 レビ人は望むままに、彼が寄留している、イスラエルのすべての人々のどの町からもやって来て、主が選ぶ場所に移ることができる。
7
 彼は、主の前に立っているレビ人、すなわち自分のすべての兄弟と同じように、彼の神、主の名によって仕えることができる。
8
 先祖の財産を売って得たものとは別に、取り分は取り分として、彼らは食べることができる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1.2節には、“レビ人である祭司、レビ族のすべての者には、イスラエルのような割り当て地や相続地がない。それで、彼らは主への火による献げ物を相続分として食べることができる。
2
 同胞の中には、彼の相続地はない。主の語られたとおり、主が彼の相続地である。”とあります。

ヤコブ(父はイサク、祖父はアブラハム)の子の内には12人の男子がいました。12人の内の一人にレビがいました。そのレビを祖とするのがレビ部族です。レビ部族には、カナンの地における割り当ての地が与えられませんでした。土地が与えられれば、与えられた地からの産物で生活することができますが、レビ部族の人はそのような方法で生きていくことは出来なかったのです。

 レビ人はどうなってしまうのでしょうか。
2
節の後半部分に記されているように、ヤハウェ(主)がレビ人の相続地であったのです。それゆえ1節の後半部分には、“彼らは主への火による献げ物を相続分として食べることができる。”と記されています。

リビングバイブルは、2節を、“主のものはみな頂けるのですから、相続地を受ける必要はありません。それが主の御約束です。”と訳しています。

どうしてレビ人は神様のものを頂けるのでしょうか。

5節をリビングバイブルは、“主はすべての部族の中からレビ人を、代々主に仕える者としてお選びになったのです。”と記しています。

 3.4節には、祭司〔レビ人である祭司(1節)〕、がいただける分を次のように記しています。
3 祭司が民から、牛でも羊でも、いけにえを屠る民から受け取ることのできるものは次のとおりである。肩と両頬と胃は祭司に与えられる。
4
 穀物、新しいぶどう酒、新しいオリーブ油の初物、および羊毛の初物も、彼に与えられる。”とあります。

6-8節をリビングバイブルは、“レビ人はイスラエルのどこに住んでいようと、いつでも聖所に来てかまいません。そこで仕えているほかのレビ人と全く同様に、彼らの神、主の御名によって仕事ができます。そして同じように、いけにえやささげ物の分配も受けられます。貧しいからではなく、受ける権利があるからです。”と訳しています。

新約の時代になって、パウロは、1コリント913.14に、「あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。」(新共同訳)と記しました。

教会時代においては、福音を宣べ伝える人たちは、教会員が主なる神様に捧げた物の中から生活の資を受ける権利があると、パウロは述べています。

 新約聖書では、キリスト者は全員が祭司であると次の様に記されています。
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の祭司〔王である祭司(2017)〕、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現〔栄誉(2017)〕を、あなたがたが広く伝えるためです。」(1ペトロ29・聖書協会共同訳)とあります。

 余談になりますが、キリスト者は、全員が祭司の働きをします。
少なくともとりなしの祈りをし、福音を伝えるでしょう。
新約のキリスト者は明確に主を相続したのです。主がその人の内に住んでくださっておられるのですから。
キリストの内にはすべての霊的な知恵と知識の宝が隠されているのです(コロサイ23)。
キリスト者とは、新生したものです。新生は霊における話です(ヨハネ33.61ペテロ13、ヤコブ118)。
新生した人の魂は、新しく生まれたのではなく救われたのです(1ペテロ18.9
キリスト者がまとっている肉体は、何も新しくなっていませんし、救われてもいません。体は、キリストの現われの時(空中再臨の時)に霊のからだとして頂けるのです。
地上のからだは衰えるのです(2コリント416)。

 教職者は、主に在って教会に仕えて、主から肉の糧を頂きますが、一般信徒は祭司でもありますが、主に在って主に導かれた仕事をすることによって肉の糧を頂きます(1テサロニケ411.122テサロニケ310)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたのみ旨に従って生活する者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月 2日 (日)

マタイ24:1.2 神殿崩壊の予告/キリスト者は主の宮

 マタイ241.2には次のように記されています。
1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。
2
 イエスは言われた。「このすべての物に見とれているのか。よく〔原語は「アーメン」(筆者挿入)〕言っておく。ここに積み上がった石は、一つ残らず崩れ落ちる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所の並行個所であるマルコの福音書にはこの質問をしたのは一人の人だと記されています。
1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんと見事な石、なんと立派な建物でしょう。」
2
 イエスは言われた。「この大きな建物に見とれているのか。ここに積み上がった石は、一つ残らず崩れ落ちる。」”(マルコ13章・聖書協会共同訳)とあります。

 神殿崩壊の原因は628日のブログに記しましたが、再度述べますと、それは御子であるイエス様をユダヤ人たちが受け入れなかったからです。マタイ2337-39を塚本訳は次のように訳しています。〔( )内は訳者の挿入です〕
37 ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。
38
そら、『お前たちの町は(宮もろとも神に)見捨てられ(て荒れ果て)るのだ。』
39
お前たちに言っておく、お前たちが(わたしを迎えて)、『主の御名にて来られる方に祝福あれ。』と言う時まで、わたしを見ることは今後決してないであろう。」”と記されています。

 エルサレム神殿の崩壊は、ユダヤ人の多くが神のことばであるキリスト、神のひとり子であるキリスト、すなわち神を受け入れなかったからですが、人間の目にはどのように映るのでしょう。

 ウィキペディアは「エルサレム攻囲戦」について次のように記しています。
“エルサレム攻囲戦(エルサレムこういせん、英語: Siege of Jerusalem)は、西暦70年にエルサレムを巡って起こった攻城戦。ユダヤ属州のユダヤ人とローマ帝国の間に起こったユダヤ戦争(第一次ユダヤ戦争)の決戦になった。この戦いでローマ軍は、ユダヤ人の叛乱軍が66年以来立て籠もっていたエルサレムを陥落させ、市街のほか、聖地であるエルサレム神殿も破壊された。一部のユダヤ人はマサダ砦に逃れ、73年に玉砕するまで戦い続けた。
 エルサレムの喪失で本拠地を失ったユダヤ民族は各地に離散した。神殿の崩壊した日は民族の悲劇の日とされ、今でもティシュアー・ベ=アーブと呼ばれる悲しみの記念日とされている。神殿の破壊を描いた絵画や、題材にした文学も現代まで数多く創作された。”とあり、

 また、「エルサレム攻囲戦」についてもう少し詳しく次のように記しています。
“過越の祭の数日前である70年の414日に、ティトゥス率いるローマ軍のエルサレム攻囲戦が開始された。ティトゥスは第5軍団マケドニカ、第12軍団フルミナタ、第15軍団アポリナリスの3つの軍団を市の西面に、第10軍団フレテンシスを市の東のオリーブ山に配置し、エルサレムを包囲していた。ティトゥスはエルサレムに対し水と食糧の供給を絶つ兵糧攻めを行った。ティトゥスは過越の祭でエルサレムに来る巡礼には入市を認めたが、一方で彼らが市から出ることは認めなかったため、市内の人口は増え続け食糧不足は深刻になった。
 ユダヤ人は当初は有利に戦ったが、エルサレム市内ではシカリウス派を率いるシモン・バル・ギオラ、熱心党を率いるエルアザル・ベン・シモン、ギスカラのヨハネといった指導者が並立して争いを繰り広げ、一つにまとまることがなかった。またユダヤ人側には規律、訓練、戦いの準備が欠けていたことも攻囲戦にあたっての弱みになった。

ユダヤ人の反撃でローマ軍に多数の死者が出ると、ティトゥスはユダヤ人の元指導者で歴史家のヨセフス・ベン・マタティア(フラウィウス・ヨセフス)をエルサレムを守るユダヤ人たちの元へ送り交渉を行わせた。しかしユダヤ人らは矢を放って交渉人たちを追い払い、さらに反撃を行った。ティトゥスはこの際の奇襲攻撃によりすんでのところで捕まるところであった。
 5月半ば、ティトゥスは新たに築かれた第3城壁を破城槌で破壊し始め、第2城壁同様に突破口を開いた。その後、攻撃を神殿の丘のすぐ北にあるアントニウス要塞へと向けた。ローマ兵は市街地に入り、熱心党らユダヤ人と戦いながら町の通りで戦った。熱心党には犠牲者を多く出さないよう神殿への退却が命令された。この戦いの後、フラウィウス・ヨセフスは交渉に再度失敗し、ローマ軍もアントニウス要塞攻略のための攻城塔建設に失敗している。市内の水や食糧など必要物資はますます少なくなったが、食糧徴発部隊が市の内外をこっそり行き来して物資を運んでおり、途中でローマ軍に対する攻撃も行った。彼らの出入りを阻止するため、ティトゥスは新たな壁の建設を始め、攻城塔の建設も再開させた。
 その後ローマ軍は何度もアントニウス要塞の城壁に突破口を開けようとしたが失敗し、最後には夜間の奇襲攻撃を行って眠る守備兵を倒し、ついに要塞を陥落させた。要塞は神殿を見下ろすように建っており、神殿攻撃の絶好の地点であった。破城槌による城壁攻撃は進まなかったが、戦闘中にローマ兵が燃える棒を神殿の城壁の上にばら撒いたことにより、城壁自体が炎上した。
 ヘロデ大王が築いた巨大なエルサレム神殿(第二神殿)をどうするかについては、フラウィウス・ヨセフスによればティトゥスには当初破壊する意思はなく、そのままローマ皇帝やローマの諸神に捧げる神殿へと作り変えるつもりだったと考えられている。しかし神殿に移り始めた火の勢いは留まることを知らず、8月末に完全に倒壊した。この日は奇しくも、ソロモン王の建てた最初のエルサレム神殿が破壊されたティシュアー・ベ=アーブの日であった。このとき焼け残った神殿の壁の一部が、現代ユダヤ人にとっても聖地の「嘆きの壁」である。
 火はさらに住宅地区へも燃え広がった。ローマ兵は市街地でのユダヤ人たちの抵抗を抑えていった。ユダヤ人たちのうち一部は秘密のトンネルで市内を脱出し、一部はさらに市街地の城壁で囲まれた一角に立て篭もった。この抵抗によりローマ軍の勢いは停止し、また攻城塔を造る羽目になった。
 エルサレム市をローマ軍が完全に制圧したのは97日のことであった。ユダヤ戦争はこの後、エルサレムから逃亡したユダヤ人勢力を各地でローマ軍が掃討する段階に入った。”とあります。

 余談になりますが、第一神殿であるソロモンの神殿が主に捨てられた時の、主に捨てられた原因と神殿破壊について2歴代誌3611-20は次のように記しています。
11 ゼデキヤは二十一歳で王位につき、十一年間エルサレムで統治した。
12
 彼は自分の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目に悪とされることを行い、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の言葉を告げる預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。
13
 彼はまた、神にかけて彼に誓わせたネブカドネツァル王に反逆し、強情になってその心をかたくなにし、イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に立ち帰らなかった。
14
 祭司長たちと民のすべても諸国民のあらゆる忌むべきことに倣って背信の罪を重ね、エルサレムで主が聖別された神殿を汚した。
15
 先祖の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はその民と住まいを憐れみ、彼らに御使い〔「使者」(2017)〕を日々繰り返し遣わされたが、16 民は神の使いを弄(もてあそ)び、その言葉を侮り、預言者を嘲笑した。それゆえ、民に対する主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の憤りは、もはやとどめようがなくなるまでになった。
17
 主はカルデア人の王を彼らに向かって攻め上らせた。王は若者たちを聖所の中で剣にかけて殺し、若者もおとめも、弱った老人も容赦しなかった。 主はすべての者を彼の手に渡された。
18
 彼は神殿の大小のあらゆる祭具、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿の宝物、王とその高官たちの宝物、それらすべてをバビロンに運び去った。
19
 カルデア人は、神殿を火で焼き、エルサレムの城壁を破壊し、宮殿を焼き払い、貴重な器すべてを粉々にした。
20
 彼はまた、剣を免(まぬが)れた生き残りの者をバビロンに連れ去った。この人々は、ペルシアの王国が統治するようになるまで、バビロンの王とその息子たちの僕となった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 エルサレムの崩壊は、地上の神の民が主を捨てたからでした。
レビ26章には次のように記されています。
14 しかし私に聞き従わず、これらの戒めをすべて守らないなら、15 しかも、私の掟をないがしろにし、私の法を心から嫌い、私の戒めをすべて守らず、私の契約を破るなら、/
27
 それでもまだ私に聞き従わず、逆らって歩むなら、28 私は激しい憤りであなたがたに逆らって歩み、その罪に七倍の懲らしめを加える。
29
 あなたがたは自分の息子の肉を食らい、娘の肉を食(は)む。
30
 私はあなたがたの高き所を破壊し、香の祭壇を倒す。あなたがたの偶像の残骸の上にあなたがたの死骸を置き、私はあなたがたを忌み嫌う。
31
 あなたがたの町を廃虚とし、聖所を荒らし、宥めの香りを嗅ぐことはない。
32
 私が地を荒らすと、そこにいるあなたがたの敵はそれを見て驚く。
33
 私はあなたがたを諸国民の中に追い散らし、背後で剣を抜く。地は荒れ果て、町は廃虚と化す。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨハネ169には、“罪とは私〔キリスト(筆者挿入)〕を信じないことです。”(リビングバイブル)と記されています。
そして、ローマ95には、“キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
神の民が神様を捨てたことによって、神様は、神様が民と交わるために建てさせた神殿をも棄てられたことを覚えます。
キリスト者の場合は、キリスト者自身が神の神殿です。
私たちキリスト者を神様が住みやすいようにきよめてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ただ主(しゅ)を崇めて」(聖歌520 聖歌総合版538 新聖歌427)の3節には次のようにあります。
“主(しゅ)こそ きよめ主(ぬし) わが内(うち)きよめ 御霊の御神の住まいとし給う たたえよ ただ主(しゅ)を 主(しゅ)は救い主(ぬし) きよめ主(ぬし) 癒し主(ぬし) 王の王 主(しゅ)の主(しゅ)”

2023年7月 1日 (土)

箴言23:13-16 苦しみにあったことは私にとって幸いでした

 箴言2313-16
 2017
は、
13 子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。むちで打っても、死ぬことはない。
14
あなたがむちでその子を打つなら、その子のいのちをよみから救い出すことができる。
15
わが子よ。もし、あなたの心に知恵があれば、私の心も喜び、
16
あなたの唇が公正を語るなら、私の心は喜びに躍る。”と訳し、
 聖書協会共同訳は、
13 若者を諭すことをためらってはならない。杖(つえ)で打っても死にはしない。
14
 あなたが彼を杖で打てば、その魂は陰府から助け出される。
15
 子よ、あなたの心が知恵を得れば、私の心も喜ぶだろう。
16
 あなたの唇が公平なことを語れば、私のはらわたは喜び躍る。”と訳しています。

 この個所が、子育てに関連したことを記していることは、だれの目にも明らかだと思いますが、現代の先進国と言われる国々においては、杖や鞭で打つと、幼児虐待、児童虐待、ということになるでしょう。

 新約聖書によると、
エペソ64には、“父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。”(2017)と記され、
コロサイ321には、“父たちよ、子どもたちを苛立たせてはいけません。その子たちが意欲を失わないようにするためです。”(2017)と記されています。

 霊の父は、霊の子どもたちをどのように扱うのでしょうか。
このことについては、今までにいくたびも書いてきているので、今回は少し異なる観点から書くことにします。
 1コリント11章には、主のみからだをわきまえないで主の晩餐にあずかる信者はどうなるのかということについての記述が次のように記されています。
27 従って、ふさわしくないしかたで、主のパンを食べ、主の杯を飲む者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。
28
 人は自分を吟味したうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。
29
 主の体をわきまえないで食べて飲む者は、自分に対する裁きを食べて飲むことになるのです。
30
 あなたがたの間に、弱い者や病人が大勢おり、また死んだ者も少なくないのは、そのためです。
31
 もし私たちが、自分をわきまえていれば、裁かれることはなかったでしょう。
32
 しかし、私たちが裁かれているのは、主によって懲らしめを受け、この世と共に罪に定められることがないためなのです。”(聖書協会共同訳)とあります。
この個所を読むと、主の厳しさと主の慈しみの両方を心に留めることが出来ます。

 マタイ7章には、主の御教えに従う人の堅固さと主の御教えを聞いてもそれを行わない人の危うさについて次の様に記されています。
24 「そこで、私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
25
 雨が降り、川が溢れ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
26
 私のこれらの言葉を聞いても行わない者は皆、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に似ている。
27
 雨が降り、川が溢れ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」”(聖書協会共同訳)とあります。
主の御教えに従っている人は、この世の嵐に遭遇したとしても安定しているが、主の御教えに従っていない人は、この世の嵐に遭遇した時に打倒されてしまうことがあると教えてくれています。

 詩篇119篇を書いた詩聖は次のように、証しを含めつつ祈りをささげたことを記しています。
71 苦しみに遭ったのは私には良いことでした。あなたの掟を学ぶためでした。
72
 あなたの口から出る律法は私には良いもの。幾千の金や銀にまさります。
73
 御手が私を造り、堅く立ててくださいました。私に悟らせ、あなたの戒めを学ばせてください。
74
 あなたを畏れる人たちは私を見て喜びます。あなたの言葉を私が待ち望んでいるからです。
75
 主よ、私は知っています。あなたの裁きは正しく、真実のうちに私を苦しめたことを。
76
 あなたの僕への仰せのとおり、どうか、あなたの慈しみが私の慰めとなりますように。
77
 あなたの憐れみが私を訪れ、私を生かしてくださいますように。あなたの律法は私の喜びです。
78
 傲慢な者らが恥じ入りますように。彼らは偽りによって私を迷わせました。しかし、私はあなたの諭しに思いを巡らします。”(聖書協会共同訳)とあります。

 また、主は主の御言葉に忠実なものを喜んでくださいます。
マタイ2521.23には、“主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」”(2017)と記されています。

<お祈り>
あなたの御名をほめたたえます。
あなたの御訓練は、あなたの愛の現れであることをも学ばせていただけますことを感謝します。
できるだけあなたの御心を痛ませないですむように整えてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「神の子なるイェス」(聖歌592 聖歌総合版630 新聖歌342)の34節の歌詞は次の様になっています。
“3.されどいくたびも 主を苦しめ 畏(かし)こき御旨(みむね) 我は裂(さ)きぬ
4.すべて主は赦し 前の如く 御胸に抱き愛したもう
(折り返し部分)
わが内に主はいます くすしくも妙なり わが内にいます主は 来るべき王なり”

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