« 箴言23:13-16 苦しみにあったことは私にとって幸いでした | トップページ | 申命記18:1-8 レビ人と祭司に関する規定 »

2023年7月 2日 (日)

マタイ24:1.2 神殿崩壊の予告/キリスト者は主の宮

 マタイ241.2には次のように記されています。
1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。
2
 イエスは言われた。「このすべての物に見とれているのか。よく〔原語は「アーメン」(筆者挿入)〕言っておく。ここに積み上がった石は、一つ残らず崩れ落ちる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所の並行個所であるマルコの福音書にはこの質問をしたのは一人の人だと記されています。
1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんと見事な石、なんと立派な建物でしょう。」
2
 イエスは言われた。「この大きな建物に見とれているのか。ここに積み上がった石は、一つ残らず崩れ落ちる。」”(マルコ13章・聖書協会共同訳)とあります。

 神殿崩壊の原因は628日のブログに記しましたが、再度述べますと、それは御子であるイエス様をユダヤ人たちが受け入れなかったからです。マタイ2337-39を塚本訳は次のように訳しています。〔( )内は訳者の挿入です〕
37 ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。
38
そら、『お前たちの町は(宮もろとも神に)見捨てられ(て荒れ果て)るのだ。』
39
お前たちに言っておく、お前たちが(わたしを迎えて)、『主の御名にて来られる方に祝福あれ。』と言う時まで、わたしを見ることは今後決してないであろう。」”と記されています。

 エルサレム神殿の崩壊は、ユダヤ人の多くが神のことばであるキリスト、神のひとり子であるキリスト、すなわち神を受け入れなかったからですが、人間の目にはどのように映るのでしょう。

 ウィキペディアは「エルサレム攻囲戦」について次のように記しています。
“エルサレム攻囲戦(エルサレムこういせん、英語: Siege of Jerusalem)は、西暦70年にエルサレムを巡って起こった攻城戦。ユダヤ属州のユダヤ人とローマ帝国の間に起こったユダヤ戦争(第一次ユダヤ戦争)の決戦になった。この戦いでローマ軍は、ユダヤ人の叛乱軍が66年以来立て籠もっていたエルサレムを陥落させ、市街のほか、聖地であるエルサレム神殿も破壊された。一部のユダヤ人はマサダ砦に逃れ、73年に玉砕するまで戦い続けた。
 エルサレムの喪失で本拠地を失ったユダヤ民族は各地に離散した。神殿の崩壊した日は民族の悲劇の日とされ、今でもティシュアー・ベ=アーブと呼ばれる悲しみの記念日とされている。神殿の破壊を描いた絵画や、題材にした文学も現代まで数多く創作された。”とあり、

 また、「エルサレム攻囲戦」についてもう少し詳しく次のように記しています。
“過越の祭の数日前である70年の414日に、ティトゥス率いるローマ軍のエルサレム攻囲戦が開始された。ティトゥスは第5軍団マケドニカ、第12軍団フルミナタ、第15軍団アポリナリスの3つの軍団を市の西面に、第10軍団フレテンシスを市の東のオリーブ山に配置し、エルサレムを包囲していた。ティトゥスはエルサレムに対し水と食糧の供給を絶つ兵糧攻めを行った。ティトゥスは過越の祭でエルサレムに来る巡礼には入市を認めたが、一方で彼らが市から出ることは認めなかったため、市内の人口は増え続け食糧不足は深刻になった。
 ユダヤ人は当初は有利に戦ったが、エルサレム市内ではシカリウス派を率いるシモン・バル・ギオラ、熱心党を率いるエルアザル・ベン・シモン、ギスカラのヨハネといった指導者が並立して争いを繰り広げ、一つにまとまることがなかった。またユダヤ人側には規律、訓練、戦いの準備が欠けていたことも攻囲戦にあたっての弱みになった。

ユダヤ人の反撃でローマ軍に多数の死者が出ると、ティトゥスはユダヤ人の元指導者で歴史家のヨセフス・ベン・マタティア(フラウィウス・ヨセフス)をエルサレムを守るユダヤ人たちの元へ送り交渉を行わせた。しかしユダヤ人らは矢を放って交渉人たちを追い払い、さらに反撃を行った。ティトゥスはこの際の奇襲攻撃によりすんでのところで捕まるところであった。
 5月半ば、ティトゥスは新たに築かれた第3城壁を破城槌で破壊し始め、第2城壁同様に突破口を開いた。その後、攻撃を神殿の丘のすぐ北にあるアントニウス要塞へと向けた。ローマ兵は市街地に入り、熱心党らユダヤ人と戦いながら町の通りで戦った。熱心党には犠牲者を多く出さないよう神殿への退却が命令された。この戦いの後、フラウィウス・ヨセフスは交渉に再度失敗し、ローマ軍もアントニウス要塞攻略のための攻城塔建設に失敗している。市内の水や食糧など必要物資はますます少なくなったが、食糧徴発部隊が市の内外をこっそり行き来して物資を運んでおり、途中でローマ軍に対する攻撃も行った。彼らの出入りを阻止するため、ティトゥスは新たな壁の建設を始め、攻城塔の建設も再開させた。
 その後ローマ軍は何度もアントニウス要塞の城壁に突破口を開けようとしたが失敗し、最後には夜間の奇襲攻撃を行って眠る守備兵を倒し、ついに要塞を陥落させた。要塞は神殿を見下ろすように建っており、神殿攻撃の絶好の地点であった。破城槌による城壁攻撃は進まなかったが、戦闘中にローマ兵が燃える棒を神殿の城壁の上にばら撒いたことにより、城壁自体が炎上した。
 ヘロデ大王が築いた巨大なエルサレム神殿(第二神殿)をどうするかについては、フラウィウス・ヨセフスによればティトゥスには当初破壊する意思はなく、そのままローマ皇帝やローマの諸神に捧げる神殿へと作り変えるつもりだったと考えられている。しかし神殿に移り始めた火の勢いは留まることを知らず、8月末に完全に倒壊した。この日は奇しくも、ソロモン王の建てた最初のエルサレム神殿が破壊されたティシュアー・ベ=アーブの日であった。このとき焼け残った神殿の壁の一部が、現代ユダヤ人にとっても聖地の「嘆きの壁」である。
 火はさらに住宅地区へも燃え広がった。ローマ兵は市街地でのユダヤ人たちの抵抗を抑えていった。ユダヤ人たちのうち一部は秘密のトンネルで市内を脱出し、一部はさらに市街地の城壁で囲まれた一角に立て篭もった。この抵抗によりローマ軍の勢いは停止し、また攻城塔を造る羽目になった。
 エルサレム市をローマ軍が完全に制圧したのは97日のことであった。ユダヤ戦争はこの後、エルサレムから逃亡したユダヤ人勢力を各地でローマ軍が掃討する段階に入った。”とあります。

 余談になりますが、第一神殿であるソロモンの神殿が主に捨てられた時の、主に捨てられた原因と神殿破壊について2歴代誌3611-20は次のように記しています。
11 ゼデキヤは二十一歳で王位につき、十一年間エルサレムで統治した。
12
 彼は自分の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目に悪とされることを行い、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の言葉を告げる預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。
13
 彼はまた、神にかけて彼に誓わせたネブカドネツァル王に反逆し、強情になってその心をかたくなにし、イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に立ち帰らなかった。
14
 祭司長たちと民のすべても諸国民のあらゆる忌むべきことに倣って背信の罪を重ね、エルサレムで主が聖別された神殿を汚した。
15
 先祖の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はその民と住まいを憐れみ、彼らに御使い〔「使者」(2017)〕を日々繰り返し遣わされたが、16 民は神の使いを弄(もてあそ)び、その言葉を侮り、預言者を嘲笑した。それゆえ、民に対する主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の憤りは、もはやとどめようがなくなるまでになった。
17
 主はカルデア人の王を彼らに向かって攻め上らせた。王は若者たちを聖所の中で剣にかけて殺し、若者もおとめも、弱った老人も容赦しなかった。 主はすべての者を彼の手に渡された。
18
 彼は神殿の大小のあらゆる祭具、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿の宝物、王とその高官たちの宝物、それらすべてをバビロンに運び去った。
19
 カルデア人は、神殿を火で焼き、エルサレムの城壁を破壊し、宮殿を焼き払い、貴重な器すべてを粉々にした。
20
 彼はまた、剣を免(まぬが)れた生き残りの者をバビロンに連れ去った。この人々は、ペルシアの王国が統治するようになるまで、バビロンの王とその息子たちの僕となった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 エルサレムの崩壊は、地上の神の民が主を捨てたからでした。
レビ26章には次のように記されています。
14 しかし私に聞き従わず、これらの戒めをすべて守らないなら、15 しかも、私の掟をないがしろにし、私の法を心から嫌い、私の戒めをすべて守らず、私の契約を破るなら、/
27
 それでもまだ私に聞き従わず、逆らって歩むなら、28 私は激しい憤りであなたがたに逆らって歩み、その罪に七倍の懲らしめを加える。
29
 あなたがたは自分の息子の肉を食らい、娘の肉を食(は)む。
30
 私はあなたがたの高き所を破壊し、香の祭壇を倒す。あなたがたの偶像の残骸の上にあなたがたの死骸を置き、私はあなたがたを忌み嫌う。
31
 あなたがたの町を廃虚とし、聖所を荒らし、宥めの香りを嗅ぐことはない。
32
 私が地を荒らすと、そこにいるあなたがたの敵はそれを見て驚く。
33
 私はあなたがたを諸国民の中に追い散らし、背後で剣を抜く。地は荒れ果て、町は廃虚と化す。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨハネ169には、“罪とは私〔キリスト(筆者挿入)〕を信じないことです。”(リビングバイブル)と記されています。
そして、ローマ95には、“キリストは万物の上にあり、とこしえにほむべき神です。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
神の民が神様を捨てたことによって、神様は、神様が民と交わるために建てさせた神殿をも棄てられたことを覚えます。
キリスト者の場合は、キリスト者自身が神の神殿です。
私たちキリスト者を神様が住みやすいようにきよめてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ただ主(しゅ)を崇めて」(聖歌520 聖歌総合版538 新聖歌427)の3節には次のようにあります。
“主(しゅ)こそ きよめ主(ぬし) わが内(うち)きよめ 御霊の御神の住まいとし給う たたえよ ただ主(しゅ)を 主(しゅ)は救い主(ぬし) きよめ主(ぬし) 癒し主(ぬし) 王の王 主(しゅ)の主(しゅ)”

« 箴言23:13-16 苦しみにあったことは私にとって幸いでした | トップページ | 申命記18:1-8 レビ人と祭司に関する規定 »

マタイによる福音書」カテゴリの記事

日ごとの恵みⅩⅢ」カテゴリの記事

コメント

マルコ福音書は13章でよかったでしょうか。

〝ユダヤ人らは矢を放って交渉人たちを追い払い、さらに反撃を行った。ティトゥスはこの際の奇襲攻撃によりすんでのところで捕まるところであった。〟

信じようとしなかった時の私を振り返り思うと、イエス様を信じないという事は本当に罪である事を実感します。信じる事ができてもなお、イエス様を見失いそうになる様な私ですが、それでもイエス様は私を救ってくださいます。感謝しかありません。私の器をきよくして、イエス様が心地よく住んでくださるよう切に願い祈ります。

教えてくださりありがとうございます。
付け加えておきました。

ご対応くださり、ありがとうございます。
マルコ福音書を付け加えてくださっている所が、マタイ福音書の方となっております。
私はとてもそそっかしい人間なので、先程記載しておいて、何も文を載せずにすみません。引用文であろうから、トミーさんが変換違いをしている訳ではないと思ったり、迷いの内に送っておりました。
〝ユダヤ人らは・・奇襲攻撃によりすんでのところで・・〟という箇所は、寸前の所で捕まる所であったという事ですよね。些細な事です。慌てて送ってしまいました、すみません。

何度も有難うございました。
助かります。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 箴言23:13-16 苦しみにあったことは私にとって幸いでした | トップページ | 申命記18:1-8 レビ人と祭司に関する規定 »

カテゴリー

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ