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2023年7月10日 (月)

マタイ24:3-14 終末と満了2

 マタイ243-14には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。
「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
5
 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
6
 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。
7
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
8
 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
9
 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。
10
 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
11
 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。
12
 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
13
 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14
 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」(聖書協会共同訳)とあります。

 前回の「終末と満了1」では、3節の、「世の終わるとき」の個所まで記しました。
その時には、マタイ1336-43の個所を取り上げました。黙示録にはもう少し詳しく記されているので、黙示録の個所から取り上げることにします。

 マタイ1339-43には次のように記されています。
39 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り取る者は天使たちである。
40
 毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。
41
 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者たちとを御国から集めて、42 燃え盛る炉に投げ入れる。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
43
 その時、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録の多くの個所は時系列的に記されています。それは7つの封印、そして7番目の封印からは7つのラッパ、そのあとは7つの鉢という順に進んで行きますが、黙示録12-14章は7番目のラッパと1番目の鉢の間に記された挿入句であり、いくつかのテーマについての説明文です。

黙示録1417-20には次のように記されています。
17 また、もう一人の天使が天の神殿から出て来たが、この天使も鋭い鎌を手にしていた。
18
 すると、火をつかさどる権威を持つもう一人の天使が、祭壇から出て来て、鋭い鎌を持つ天使に大声でこう言った。「あなたの鋭い鎌を入れて、地上のぶどうの房を取り入れよ。ぶどうの実は熟している。」
19
 そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ込んだ。
20
 搾り桶は都の外で踏まれた。すると、搾り桶から血が流れ出し、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオン〔三百キロ(リビングバイブル)〕にわたって広がった。”(聖書協会共同訳)とあります。
この個所は、マタイ13章の毒麦の裁きの個所に相当するのではないかと想像します。
この人たちは、もう一度よみがえらせられた後、最後の審判を受け、火の池に入れられることになります。

 ヨハネ528.29には、“・・・。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。”(2017)と記され、
 黙示録2011-15には次のように記されています。
11 また私は、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方を見た。天も地も、その前から逃げて行き、見えなくなった。
12
 また私は、死者が、大きな者も小さな者も玉座の前に立っているのを見た。数々の巻物が開かれ、また、もう一つの巻物、すなわち命の書が開かれた。これらの巻物に記されていることに基づき、死者たちはその行いに応じて裁かれた。
13
 海は、その中にいた死者を吐き出し、死と陰府も、その中にいた死者を吐き出した。死者はおのおの、その行いに応じて裁かれた。
14
 死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
15
 命の書に名が記されていない者は、火の池に投げ込まれた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 マタイ1343aには、“その時、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。”と記されていました。
おそらくここで言われているその人たちは、大患難時代に殉教した人たちでしょう。
反キリストが世界を支配するようになると宗教統制や皇帝礼拝(反キリストへの礼拝)が厳しくなり、経済統制も行われます。
余談になりますが、新生しているキリスト者は反キリストが誰であるかを知らないうちに携挙されます。

 ヘブライ文字やギリシア文字にはアルファベットに数字が配置されています。
ヘブライ語の場合には、アレフは1、ベートは2、・・・・タヴは400というように。
ギリシア語の場合も同様です。アルファは1,ベーターは2、・・・・・オメガは800というように。
おそらく反キリストは、その名前をヘブライ語かギリシア語で書いて計算すると666になるのではないかと思います。

 反キリストを崇拝する人には666が額か手に刻印されます。それ以外の人は売り買いが出来なくなる時代が来るのです。また反キリストの像を拝まない者も殺されます。
再三再四書きますが、携挙された人は、この時代には天にいます。
しかし、まだ地上には、携挙後にイエス様を信じる人もいるのです。
おそらくこの人たちは、殉教することになるのではないかと思います。

 黙示録1311-18には次のように記されています。
11 また私は、もう一頭の獣が地中から上って来るのを見た。この獣には、小羊に似た二本の角があって、竜のように語った。
12
 この獣は、第一の獣が持っていたすべての権威をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、死ぬほどの傷が治った第一の獣を拝ませた。
13
 そして、大きなしるし〔奇跡(リビングバイブル)〕を行って、人々の前で天から地上へ火をも降らせた。
14
 さらに、第一の獣の前で行うことを許された数々のしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣の傷を負ったがなお生きている第一の獣〔反キリスト(筆者挿入)〕の像を造るように、地上に住む人たちに命じた。
15
 第二の獣〔世界統一宗教のリーダー(筆者挿入)〕は、獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。
16
 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
17
 そして、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようにした。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
18
 ここに知恵がある。理解ある者は、獣の数字の持つ意味を考えるがよい。数字は人間を指している。そして、その数字は六百六十六である。”(聖書協会共同訳)とあります。

 666の刻印を受けず、反キリスト礼拝をしなかった人は殺されますが、その人たちは、マタイ1343によると、“その時、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。”と記されている人たちでしょう。
この人たちは、黙示録204に、“・・・。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。”(2017)と記されている人たちでしょう。

 携挙されたキリスト者と、携挙以前に天に帰ったキリスト者で、キリストの空中再臨の時に霊のからだを頂いた者たちの集合体は、キリストの花嫁です。すなわちキリストの空中再臨の時に霊のからだを頂いた人の一人一人がキリストの花嫁を構成している一人一人です。その人たちは、今日書いてきた時代(大患難時代)には地上にはおらず天にいるのです。

 私たちキリスト者が福音をのべ伝えたけれども、携挙までに主イエス様を信じることが出来なかったという人たちも殉教して天に帰ってくる可能性があります。また、大患難時代には世界的な規模で福音が語られ、多くの人たちが救われていくのです。

 黙示録7章には次のように記されています
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。/
13
 すると、長老の一人が私に問いかけた。「この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。」
14
 そこで私が、「私の主よ、それはあなたがご存じです」と答えると、長老は言った。「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
15
 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。
16
 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
いつの時かは分かりませんが、あなたが御子イエス様にお与えになった羊は必ず主イエス様を信じることでしょう。
私たちは福音を伝えることを委ねられていますから、福音を伝えていくことが出来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
4
 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、付いて行く。/
14
 私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。
15
 それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである。私は羊のために命を捨てる。
16
 私には、この囲いに入っていないほかの羊がいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる。”(ヨハネ10章・聖書協会共同訳)
“世から選んで私に与えてくださった人々に、私は御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたは私に与えてくださいました。”(ヨハネ176a・聖書協会共同訳)

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コメント

何故だか「私がメシアだ」と言わなくても「私が正しい」と主張してくる人には警戒してしまいますので、御言葉と現実がリンクしながら、少し混乱気味に学び始めました。混乱気味でしたので、新生しているキリスト者は?等、今まで何度も教えて頂いた所であるにもかかわらず、何度も確認してしまいました。
私はイエス様を信じているのか?と自問自答してしまいました。福音を変化させた人の言葉に違和感を感じてしまう事があり、そのような時は心が固くなってしまいます。それはイエス様からは遠いですね…。この様な場面は克服してゆかねば天の御国に入らないですよね…。
福音を伝えてゆく事などは未だ未だ先の様です。

お教え願います。聖歌と新聖歌の主の祈りの中では「罪」となていますが、マタイ6:12の中では「負い目」(新改訳)、「負債」(口語訳)となっています。「負い目」や「負債」ですと対人的で、自分が気が付いている狭い範囲や程度が軽いような気がします。聖書の原語ではどのように言っているのか教えて下さい。

mitiko様
信じるということは、イエス様に心の中に入っていただくことです。
ヨハネ1:12と黙示録3:20の両方の聖句を参照してください。
イエス様に「私の心の中に入ってください。」とお願いすれば、イエス様は真実な方(アーメンなる方)ですので、必ず、心の中に入ってくださいます。
イエス様を自分から追い出さない限り、イエス様は住んでくださっていますよ。
ヨハネ6:37を読んでみてください。
また、「私は、イエス様を受け入れていないの」?と自分に問いかけてみてください。
イエス様から離れたくないと思っている人は、たいてい救われていますよ。

ツトミー様
マタイ6:12の「負い目」或いは「罪」と訳されている語のギリシア語原語は、「オフェイレーマ」と言います。
原義は、something owedで、morally a fault、 debtの意に使われます。
また、マタイ18:21-35を参考にしてください。

罪と訳されることの多いギリシア語は「ハマルティア」で、その動詞の「ハマルタノー」はもともとは、「的をはずす」の意です。

いえいえ、私は、イエス様を受け入れています。
弱い心をそのまま書いてしまいました…すみません。
それでも助かりました、ありがとうございます。
何故でしょうか?その様な心に取り憑かれてしまいました。様々な物を読んだり、祈ったりしてみました。
神経が人一倍か細く生まれてきた様で、直ぐ不安定になってしまいます。
人一倍か細い分、イエス様を人一倍により頼まなくてはいけないですね。
今、その様に思わされました。気づかせてくださり、ありがとうございます。
短い時間の中で変動が起きる事自体、不安定ですものね…。人一倍祈ります。

マタイ6:12の「負い目」の解説・説明を有難うございました。

黙示録7章
13 すると、長老の一人が私に問いかけた。

「この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。」

14 そこで私が、

「私の主よ、それはあなたがご存じです」

と答えると、長老は言った。

「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。

子羊様
艱難時代の殉教して天に戻ってくる聖徒の聖句なのでしょうね。
その時にならなければ確定はできませんが。
いずれにしても主イエス様の血潮で全く白くして頂けることは(きよめていただけることは)大感謝です。

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