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2023年7月25日 (火)

箴言24:1.2 キリスト者は御国の民

 箴言241.2には次のように記されています。
1 悪い者たちを羨んではならない。彼らとともにいることを望んではならない。
2
彼らの心は暴行を企み、唇は邪悪を語るからだ。”(2017)とあります。

 この個所を、リビングバイブルは次のように意訳しています。
1 神を信じない人々をうらやんではいけません。仲間になろうと思ってもいけません。
2
彼らは毎日毎日、人に乱暴し、だますことに明け暮れているのです。”とあります。

 聖書で「悪い者たち」というのは、ヤハウェ(主)であるまことの神を信ぜず、また、信じないのですから主の教えに従おうともしない人たちのことです。

 2節の後半には、「唇は邪悪を語るからだ」とあります。
キリスト者は、日々聖書に反する言葉を、この世の報道や人々の会話やコメンテーターから聞かされているのです。これはキリスト者の心に対する大いなる暴力です。

 この個所を読むと詩篇73篇を思い出します。
詩篇73篇の前半部分には次のように記されています。
1 賛歌。アサフの詩。神はなんと恵み深いことか。イスラエルに、心の清い者たちに。
2
 それなのに私は、危うく足を滑らせ、今にも歩みを踏み誤るところだった。
3
 悪しき者〔ヤハウェ(主)を信ぜず、従わない者(筆者挿入)〕の安泰を見て、〔ヤハウェ(主)と他者に対して(筆者挿入)〕驕り高ぶる者を妬んだ。
4
 彼らには苦しみがなく、体も肥えて健やかである。
5
 人間〔原語は「エーノーシュ」で(死を免れない)人間(筆者挿入)〕の負うべき労苦もなく、人々のように打たれることもない。
4.5節の筆者の意訳:「神を信じない者たちは、神の教えを気にかけることもなく、それでも順風満帆で、美味しい物をたらふく食べ、病気にもならず、経済的にも豊かで、権力も手にしている。」(筆者挿入)〕
6
 それゆえ、高慢が首を飾り、暴虐の衣が彼らを包む。
7
 過ちは脂肪の中からにじみ出て、悪だくみは心に溢れている。
〔「かれら肥ふとりてその目とびいで心の欲にまさりて物をうるなり」(文語訳)〕
8
 彼らは嘲り、悪意をもって語り、高飛車に暴言を吐く。
〔「神をあざけり、神を信じる人々を脅(おど)す、その口のきき方は、なんと横柄なことでしょう。」(リビングバイブル)〕
9
 彼らは口を天に置き、舌は地を這う。〔彼らは天を向こうに回していばり、大手を振って地上を闊歩します。(リビングバイブル)〕
10
 それゆえ、民はここに帰り、彼らの言葉を水のように貪る。〔その影響は神を信じる人々にも及び、多くの混乱ととまどいをもたらしました。(リビングバイブル)〕
11
 彼らは言う。「神がどうして知っていようか。いと高き方に何の知識があろうか。」
12
 見よ、これが悪しき者〔原語は「ラーシャー」で「不敬虔な者」の意もあります(筆者挿入)〕。とこしえに安穏に財をなしてゆく。”(聖書協会共同訳)とあります。

 11.12節を読むと、不敬虔なものが、「いと高き方に何の知識があろうか。」と言っているのをみます。

さて、キリスト者は御国の民(天国の民)です。そして、この世に遣わされている者です。
この世においては、地の塩(マタイ513)、世の光(514)であり、キリストの福音のために遣わされている者です。
キリスト者が求めるものは、この世の財や権力ではなく、滅びゆくたましいの救いのために主に在って労することであり、神の子どもとしてふさわしい神の御性質です(2ペテロ14)。また、キリストの花嫁としてふさわしいキリストへの愛と従順です。
 この世の生活は、主が面倒を見てくださるということを信じましょう。
マタイ633には、「神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。」(リビングバイブル)とイエス様の御言葉が記され、
ピリピ419には、「神は、キリスト・イエスが成し遂げてくださったことによるご自身の栄光の富の中から、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださる方です。」(リビングバイブル)というパウロの言葉が記されています。

 キリスト者の最終的な祝福は、この世の言葉で表現できる範囲を超えている素晴らしいものです(黙示録21.22章)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
新生したキリスト者は御国の民ですから、この世にふさわしい者としてではなく、御国にふさわしい者としてお整え下さい。
あなたの喜ばれる歩みをしていく者としてお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

〝この世の報道や人々の会話やコメンテーターから聞かされている〟とトミーさんが書かれている様に、私もその様に感じますので、ほぼテレビは見ません。社会情勢や事件等はSNSを通して見たりしますが、その他の物には興味がなくなりました。(他者との会話についてゆけない時が生じるという問題はおきます)混乱も薄れます。
詩篇73:2を読み、私は歩みを踏み誤りそうになった時、イエス様を信じるという方向に導いてくださったのだと思えます。
イエス様を信じてからは、よりマスメディア等からは遠のき、世のものに対しては熱中できなくなってきて「これでいいのかな?」という不安になる時もあります。
今日の学びの中で、言葉が不得手なのでどの様な表現が適切なのかわかりませんけれども、安心感を感じました。
詩篇73 篇を読むと、イエス様が「耐えなさい」と言ってくださっている事に繋がるのかな?とも思いました。
キリストの花嫁として相応しく、キリストへの愛と従順。目指しながらも挫折的な感じに思ったり…でも、その様な時こそ主に縋ったり。
創世記で男のあばらから女をつくられた記事より、神様は人間は夫婦になるのを喜ばれる事なのだと思っています。ご年配の方等、ご夫婦で一緒に礼拝しにくる姿には憧れます。
記載してくださっているマタ6:33やピリ4:19を読めば、神様が必要なものを与えてくださるのですものね。信じて歩みます。

ハレルヤ!

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