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2023年8月

2023年8月31日 (木)

マタイ25:31-46 キリストの地上再臨後における諸国民に対する裁き

 マタイ2531-46には次のように記されています。
31 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
32
 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、33 羊を右に、山羊を左に置く。
34
 そうして、王は右側にいる人たち〔羊にたとえられている人たち(筆者挿入)〕に言う。
『さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。
35
 あなたがたは、私が飢えていたときに食べさせ、喉が渇いていたときに飲ませ、よそ者であったときに宿を貸し、36 裸のときに着せ、病気のときに世話をし、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
37
 すると、正しい人たち〔羊にたとえられている人たち(筆者挿入)〕が王に答える。
『主よ、いつ私たちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、喉が渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。38 いつ、見知らぬ方であられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
40
 そこで、王は答える。
『よく言っておく。この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである。』
 41 それから、王は左側にいる人たち〔山羊にたとえられている人たち(筆者挿入)〕にも言う。
『呪われた者ども、私から離れ去り、悪魔とその使いたちに用意してある永遠の火に入れ。42 あなたがたは、私が飢えていたときに食べさせず、喉が渇いていたときに飲ませず、43 よそ者であったときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、世話をしてくれなかったからだ。』
44
 すると、彼ら〔山羊にたとえられている人たち(筆者挿入)〕も答える。
『主よ、いつ私たちは、あなたが飢えたり、渇いたり、よその人であったり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お仕えしなかったでしょうか。』
45
 そこで、王は答える。『よく言っておく。この最も小さな者の一人にしなかったのは、すなわち、私にしなかったのである。』
46
 こうして、この人たちは永遠の懲らしめを受け、正しい人たちは永遠の命に入るであろう。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 マタイ24.25章は終末に関連した預言や教えが記されています。その最後の内容がこの箇所です。
 この箇所は、キリストが地上に再臨し、キリストの軍勢に敵対した者たちを滅ぼした後、地上に生きている人たちを集めて裁きを行うときの基準が記されていると思います。
キリスト者は、この時には、すでに、天において花婿キリストとの婚宴が終わっています(黙示録196-9)。

 ここに登場した羊とやぎに喩えられた人たちは、大患難時代を生きのびた人たちです。神様の目からご覧になると、大患難時代を生き延びた人たちは二通りに分類されるのです。

 大患難時代は、誰にとっても極度に生きづらい時代です。様々な災害によって死んでいっても不思議ではない時代です。特に、信仰者にとっては特に命がけです(黙示録6979-17135-18)。そのような中に在ってどのような考えor信仰を持ち、生き方をしたのか、ということが問われています。

 31節には、「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。」とあります。
「人の子」とはイエス様のことです。
イエス様は、ご自分を指して、「人の子」とよく言われました。
イエス様が「人の子」とご自分を表現なさる時は、ダニエル713を意識していたことと思います。
 ダニエル71-14には次のように記されています(下記しませんが、この個所の解説はダニエル715-28に記されています)。
1 バビロンの王ベルシャツァルの治世第一年に、ダニエルは夢を見た。それは寝床で頭に浮かんだ幻であった。彼はその夢を書き記し、概要〔直訳「事の始まり」「事の全体」(欄外注)〕を次のように語った。
2
 ダニエルは言った。私は夜、幻を見ていた。すると、天の四方から風が起こり、大海をかき立てた。
3
 海から四頭の大きな獣が上がって来た。それぞれ異なる姿をしていた。
 4 第一の獣〔「獣」は補足(欄外注)〕は獅子のようで、鷲の翼があった。見ていると、その翼はもぎ取られ、地から起こされ、人間のように両足で立たされて、人間の心が与えられた〔バビロンとその王ネブカデネザル{ダニエル232の像の金の頭、ダニエル237.38参照}(筆者挿入)〕。
 5 すると、別の獣が現れた。第二のものは熊に似ていて、片側に立たされ〔横向きに寝ている体の上の方がペルシアを表し、下の方がメディアを表している、ということです(筆者挿入)〕、三本の肋骨をその口の歯の間にくわえていた〔バビロン、エジプト、小アジアを打ち破った(筆者挿入)〕。するとこう語る声がした。「起き上がって、多くの肉を食らえ。」〔ダニエル232の銀の胸と腕、ダニエル239a参照、メド・ペルシア(筆者挿入)〕
 6 この後、私が見ていると、豹のような別の獣〔アレキサンダー大王(筆者挿入)〕が現れた。その背中には四つの鳥の翼があった。また四つの頭〔4人の将軍、アレキサンダー大王の死後、ギリシア帝国は4分割されて治められる。イスラエルは、アレキサンダー大王、次にプトレマイオス朝、次にセレウコス朝の支配下に入る(筆者挿入)〕があって、この獣には支配権が与えられた。
 7 この後、私は夜の幻を見ていた。すると、第四の獣〔ローマ帝国(筆者挿入)〕が現れた。それは恐ろしく、不気味で、異常に強く、大きな鉄の歯があり、食らい、かみ砕き、残り を両足で踏みにじった。これには、前に現れたどの獣とも異なり、十本の角〔携挙後のローマ帝国(筆者挿入)〕があった。
8
 その角〔国家元首たち(筆者挿入)〕を私はよく見ていた。すると、それらの間から、別の小さな角〔反キリスト(筆者挿入)〕が立ち現れ、先の角のうちの三本が、そのせいで抜け落ちた。この角には人間の目のような目があり、口は尊大なことを語った〔黙示録135.6(筆者挿入)〕。
9
 私が見ていると、やがて、王座が据えられ、日の老いたる者〔年を経た方(2017)〕が座した。その衣は雪のように白く、頭髪は羊毛のように清らかである。その王座は 燃える炎、車輪は燃える火。
10
 彼の前から火の川が流れ出た。幾千人〔幾千もの者(2017)〕が彼に仕え、幾万人〔幾万もの者(2017)〕が彼の前に立った。裁く方が座し、書物が開かれた。
11
 私が見ていると、あの角〔反キリスト(筆者挿入)〕が語る尊大な言葉が聞こえたが、私が見ている間に、その獣〔反キリスト(筆者挿入)〕は殺され、死体は破壊されて、燃え盛る火に投げ込まれた〔黙示録1920(筆者挿入)〕。
12
 残りの獣は支配権を奪われた。しかし、時期と時が来るまで、命は延ばされた。
 13 私は夜の幻を見ていた。見よ、人の子のような者が、天の雲に乗って来て、日の老いたる者〔年を経た方2017)〕のところに着き、その前に導かれた
14
 この方に支配権、栄誉、王権が与えられ、諸民族、諸国民、諸言語の者たちすべては、この方に仕える。その支配は永遠の支配で、過ぎ去ることがなく、その統治は滅びることがない。”(聖書協会共同訳)
 この箇所は今から2500年以上前の預言です。私見ですが、このダニエルの幻は、イスラエルと関係した国、或いはこれから関係する国の幻であろうと思います。

 マタイ2531は、イエス・キリスト様が地上に再臨され、そして再臨の時には御使いたちを従え、人間支配の世を終わらせ、王の座、裁きの座に着かれる、ということを語っていると思います。そして、すべての国民をイエス様の前に集めて、裁判を行い、羊飼が羊とやぎとを分けるように、国々の民をより分け、羊に象徴される人たちを右に、やぎに象徴される人たちを左におくのです(32.33)。

 羊の部類に入れられた人たちは、イエス様を信じている人たち{恐らく艱難時代の聖徒たち(39.40)}が空腹のときに、食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねた人たちでした。そのようにした人たちは結局艱難時代にイエス様を信じた人たちではないかと私は想像します。一見、行為によって救われたかのように思ってしまいますが、そのような行為を為せるようにその前にイエス様を信じて救われ、変えられた人たちではないかと想像します。
とは言え、この原則、すなわち信仰の結果出てくる行いと報いの法則は、艱難時代に限定されないだろうと思います。
イエス様は、「わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことはありません。」(マタイ1042・新改訳2017)と語っておられます。
 
 大患難時代には、イエス様を信じたゆえに殺される多くの人達がいます(黙示録69-11)。また大患難時代にイエス・キリストを信じた者は、食料や衣服を買うことが出来ない(黙示録13章)という時代です。まだ未来のことですが、この時代に生きていくためには、イエス様を信じている者同士が助け合わなければ生きていくのが困難な時代であることが分かります。また、ユダヤ人は、獣(反キリストと偽預言者)を信じない故に迫害されるのです(黙示録12.13章)。

 余談になりますが、私たち恵みの時代に救われたキリスト者たちは、行いによらず、イエス様を信じたら直ちに救われ永遠の命を頂いた者たちです。善き行いは救われた後に、内なる御霊によって自然になされていくものです。

 37-40節には、
“37 すると、正しい人たち〔羊にたとえられている人たち(筆者挿入)〕が王に答える。
『主よ、いつ私たちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、喉が渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。38 いつ、見知らぬ方であられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
40
 そこで、王は答える。
『よく言っておく。この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである。』
”とあります。
特に、40節の「この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである。」という箇所を読むと、
使徒91-5の“さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」”(新改訳)という箇所や
エペソ123の「教会〔キリスト者の総体(筆者挿入)〕はキリストのからだであり」(新改訳)などという箇所を思いうかべます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
この箇所を読むと行いによって裁かれていることが分かりますが、その根底には、その行いを生み出す信仰があることが想像できます。
律法が与えられる以前から、また、律法が与えられた後も、また、イエス様が贖いを成就してくださった後も、大患難の時代も、人は、信仰によって神様から祝福を受けていることが聖書には記されていますし、また、神様は信仰列伝をヘブルの記者にヘブル11章で書かせられました。
いつもイエス様に信頼して歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2023年8月30日 (水)

箴言24:19.20 悪を行う者に対して腹を立てるな

 箴言2419.20には次のように記されています。
19 悪を行う者に対して腹を立てるな。悪しき者を羨むな。
20
悪者には将来がなく、悪しき者のともしびは消えるからだ。”(2017)とあります。

 新共同訳は、
19 悪事を働く者に怒りを覚えたり、主に逆らう者のことに心を燃やすことはない。
20
悪者には未来はない。主に逆らう者の灯は消える。”と訳しています。

 19節後半部分の、「羨む」(新改訳2017)、「心を燃やす」(新共同訳)と訳された語の原語は「カーナー」で、嫉妬する、羨ましい、の意です。

 聖書で言う悪しき者の本質は、神を信じない者、神に敵対する者のことです。神を信じないのですから神の御言葉を信ぜず、当然の帰結ですが、神の御言葉に従うことをしません。
ところが、この世における富や権力を獲得するということに関しては、悪しき者に軍配が上がることが多いのです。
それもそのはず、この世の支配者がサタン(悪魔)だからです。
1
ヨハネ519には、“わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者〔ギリシア語原語は「ポネーロス」(筆者挿入)〕の支配下にあるのです。”(新共同訳)と記されています。

 詩篇73篇を記したアサフは、箴言2419.20の内容に含まれるようなことを、アサフの賛歌、として残しています。詩編73篇は次のように記されています。
1 賛歌。アサフの詩。
神はイスラエルに対して、心の清い人に対して、恵み深い。
2
それなのにわたしは、あやうく足を滑らせ、一歩一歩を踏み誤りそうになっていた。
3
神に逆らう者の安泰を見て、わたしは驕る者をうらやんだ。
4
死ぬまで彼らは苦しみを知らず、からだも肥えている。
〔彼らの人生には苦しみもなく、何でもうまくいくのです。顔はつややかで、体は肥えています。(リビングバイブル)〕
5
だれにもある労苦すら彼らにはない。だれもがかかる病も彼らには触れない。
6
傲慢は首飾りとなり、不法は衣となって彼らを包む。
〔そのため、きらきら光る首飾りのダイヤのように高慢をちらつかせ、残忍の糸で織ったかのような服を着ています。(リビングバイブル)〕
7
目は脂肪の中から見まわし、心には悪だくみが溢れる。
8
彼らは侮り、災いをもたらそうと定め、高く構え、暴力を振るおうと定める。
神をあざけり、神を信じる人々を脅(おど)す、その口のきき方は、なんと横柄なことでしょう。(リビングバイブル)〕
9
口を天に置き、舌は地を行く。
〔彼らは天を向こうに回していばり、大手を振って地上を闊歩します。(リビングバイブル)〕
10
(民がここに戻っても/水を見つけることはできないであろう。)
11
そして彼らは言う。
「神が何を知っていようか。いと高き神にどのような知識があろうか。」

12
見よ、これが神に逆らう者。とこしえに安穏で、財をなしていく。
13 わたしは心を清く保ち、手を洗って潔白を示したが、むなしかった。
私が今までしてきたことは、むだだったのでしょうか。きよくあろうと苦しんだ日々は、何だったのでしょう。(リビングバイブル)〕
14
日ごと、わたしは病に打たれ、朝ごとに懲らしめを受ける。
〔わたしは、一日じゅう、打ちたたかれ、朝ごとに懲らしめを受けている。(フランシスコ会訳)〕
15
「彼らのように語ろう」と望んだなら、見よ、あなたの子らの代を裏切ることになっていたであろう。
〔もし、本気でこう口にしたら、私は神の民を裏切ることになったでしょう。(リビングバイブル)〕
 16 わたしの目に労苦と映ることの意味を知りたいと思い計り、17 ついに、わたしは神の聖所を訪れ、彼らの行く末を見分けた。
16.17 主を憎む者どもがこんなに栄えている現実をどう説明したらいいのでしょう。ところが、ある日、神の聖所で瞑想していた時、これらの悪者どもの行き着く先を悟ったのです。(リビングバイブル)〕
18
あなたが滑りやすい道を彼らに対して備え、彼らを迷いに落とされるのを。
〔あの者たちは、なんとすべりやすい道を歩いていることでしょう。突然、神から崖っぷちに追いやられて、足をすべらせ、滅びの底に落ちて行くのです。(リビングバイブル)〕
19
彼らを一瞬のうちに荒廃に落とし、災難によって滅ぼし尽くされるのを。
〔こうして、その幸福も、あっけなく幕切れとなり、永遠の恐怖にのみ込まれるのです。(リビングバイブル)〕
20
わが主よ、あなたが目覚め、眠りから覚めた人が夢を侮るように、彼らの偶像を侮られるのを。
〔彼らの今の暮らしぶりも、つかの間の夢にすぎません。夢から現実の世界に引き戻される人のように、いつかは真実を突きつけられるのです(リビングバイブル)〕
 21 わたしは心が騒ぎ、はらわたの裂ける思いがする。
22
わたしは愚かで知識がなく、あなたに対して獣のようにふるまっていた。
23
あなたがわたしの右の手を取ってくださるので、常にわたしは御もとにとどまることができる。
21-23 こう悟った時、私は動揺しました。自分がどれほど愚かで無知であったかを思い知らされたのです。ああ神よ、私は獣のように見えたことでしょう。しかし、それでもあなたは私を愛し、私の右手をしっかりつかんでくださっています。(リビングバイブル)〕
24
あなたは御計らいに従ってわたしを導き、後には栄光のうちにわたしを取られるであろう。
一生涯、神は知恵と助言を与えて、私を導いてくださることでしょう。そしてついに、私は栄光の天へ入れられるのです。(リビングバイブル)〕
25
地上であなたを愛していなければ、天で誰がわたしを助けてくれようか。
〔天でも、あなた以外に私の神はなく、地上でも、慕わしいのはあなたおひとりです。(リビングバイブル)〕
26
わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが、神はとこしえにわたしの心の岩、わたしに与えられた分。
〔やがて私の体は衰え、気力も弱ります。しかし神は、いつまでも変わらず、心の支えとなってくださいます。永久に私の神でいてくださいます。(リビングバイブル)/
この身も心も尽き果てるでしょう。しかし神は私の心の岩、とこしえに私が受ける割り当ての地。(2017)〕
27
見よ、あなたを遠ざかる者は滅びる。御もとから迷い去る者をあなたは絶たれる。
〔見よ、あなたから遠く離れている者は滅びます。あなたに背き、不実を行う者を、あなたはみな滅ぼされます。(2017/
神をあがめない者は滅びます。神は、ほかの神々に仕える者を滅ぼすからです。(リビングバイブル)/黙示録2011-15、ヨハネ169参照(筆者挿入)〕〕
28
わたしは、神に近くあることを幸いとし、主なる神〔ヘブライ語原語は「アドナイ・ヤハウェ」ヤハウェである(私の)主(筆者挿入)〕に避けどころを置く。わたしは御業をことごとく語り伝えよう。”(新共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様を信じさせてくださり、「イエスは主」と告白させていただけます恵みを感謝します。
御国が来ますように。
御心が天で行われているように地でも行われますように。
天においても地においても全ての者が膝を屈め、「イエスは主である」と礼拝して父なる神様が崇められますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月29日 (火)

詩篇92篇 安息日の賛美/主から安息を与えられたキリスト者は日々主を賛美できる

 詩篇92篇は次のように記されています。
1 賛歌。歌。安息日のために。
2
 いと高き方よ、なんと喜ばしいことか。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に感謝し、あなたの名をほめ歌うことは。
〔主に「感謝します」と言うこと、神々にまさる神に賛美の歌をささげることは、なんとすばらしいことでしょう。(リビングバイブル)〕
3
 朝に、あなたの慈しみを。夜ごとに、あなたのまことを告げ知らせることは。
4
 十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ、琴の調べに乗せて。
5
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、あなたの働きは私を喜ばせる。私はあなたの手の業を喜び歌おう。
6
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、あなたの業はなんと大きく、あなたの計らいはいかに深いことか。
7
 思慮なき者はそれを知らず、愚かな者は悟ろうともしない。
8
 悪しき者が野の草のように茂り、悪事を働く者が皆、花を咲かせても、彼らは永遠に滅ぼされる。
〔悪い者が青草のように萌え出で、不法を行う者がみな花を咲かせても、それは彼らが永久に滅ぼされるためです。(2017)〕
9
 しかし、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ。あなたはとこしえに高きにおられる方。
10
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、あなたの敵は必ず、あなたの敵は必ずや滅び、悪事を働く者は皆、散らされる。
〔神に対して悪を働く者は、滅びに至るのです。(リビングバイブル)〕
11
 あなたは私の角を野牛の角のように上げ、新しい油で私を潤した。
〔しかし、あなたは私を、野牛のように強くしてくださいました。あなたに祝福されて、力がみなぎりました。(リビングバイブル)〕
12
 私の目は敵を見据え、私の耳は悪者の襲来のとどろきを聞く。
〔わたしの目はわが敵の没落を見、わたしの耳はわたしを攻める悪者どもの破滅を聞きました。(口語訳)/敵が刑罰を宣告されて滅ぶ様子を、私はこの目で見ました。(リビングバイブル)〕
13
 正しき人〔神を信じて従う人(リビングバイブル)〕はなつめやしのように茂り、レバノンの杉のようにそびえる。
14
 主の家に植えられ、我らの神の庭で茂る。
〔主の農園に移植され、神ご自身が世話をしてくださるからです。(リビングバイブル)〕
15
 年老いてもなお実を結ぶ。命豊かに、青々として。
16
 そして告げ知らせる、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はまっすぐな方。わが岩、御もとには不正がない」と。
〔こうして告げます。「主は正しい方。わが岩。主には偽りがありません。」(2017)〕”(聖書協会共同訳)とあります。
(口語訳、新改訳、リビングバイブルは、1節を表題としていますので、1節ずつずれていて最後の節は15節になります。)

 私たちキリスト者も、一人一人、救われたことを主に感謝し、救いにあずかった後にも、あの事この事と、主が自分に良くしてくださったことを感謝し、賛美することが出来るでしょう。

 また、主が造られたものの構造を研究している人や学んでいる人は、その精緻さやすばらしさに驚嘆し、創造主なる神ヤハウェ(主)を賛美することでしょう。

 キリスト者個々人は、それぞれの分野において、置かれた立場において、主をほめたたえることが出来るでしょう。

 キリスト者は、主を賛美するために創造されたのです。
詩篇10219を新共同訳は、“後の世代のために、このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」”と意訳しています。
(口語訳、新改訳、リビングバイブルは、18節です。)
リビングバイブルは、“このことを記録にとどめるのは、子孫たちにも神のなさったことをたたえさせ、次の時代の者に主を賛美させるためです。”と意訳しています。

 エペソ(エフェソ)13-67-1213.14にも、キリスト者は、神の栄光をほめたたえることの出来る大いなる恵みが与えられたことと、神を賛美する者とされていることが記されています。

 リビングバイブルは、エペソ13-6を次の様に意訳しています。
3 主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、天上のあらゆる祝福をもって、私たちを祝福してくださいました。それは、私たちがキリストのものとなっているからです。
4
神は、この世界をお造りになる前から、私たちを、ご自分のものとして選んでくださいました。そして、神は私たちを、ご自分の目から見て、何一つ欠点のない、きよい者にしようとお定めになりました。
5
神の御心は、イエス・キリストを遣わし、その死によって、私たちを神の家族の一員として迎えることでした。
6
神こそ、いっさいの賞賛を受けるべきお方です。神は、驚くばかりの恵みと愛とを豊かに注いでくださいました。それは、私たちが、神の最愛のひとり子につながる者となったからです。”とあります。

 リビングバイブルは、エペソ17-12を次の様に意訳しています。
7 神の愛は、そのひとり子の血を流し、私たちの罪を帳消しにしてくださるほど大きいのです。この愛によって私たちは救われました。
8
神は私たちに豊かな恵みをあふれるほど注ぎ、私たちをよく理解し、何が最善であるかを考えた上、
9
キリストを遣わすというご計画を知らせてくださいました。その計画は、はるか昔から神の愛のうちに決定されていたことでした。
10
それは、時が来れば、天でも地でもあらゆるものが、キリストのもとに一つにまとめられるということです。
11
そればかりでなく、神のご計画のままに、神のものとなるように最初から選ばれていた私たちは、神が喜んでくださる存在となっています。
12
なぜ神は、このようになさったのでしょう。それは、最初からキリストを信じ、望みをおいていた私たちが、こんなにもすばらしい恵みを見て、神をほめたたえるためなのです。”とあります。

 リビングバイブルは、エペソ113.14を次の様に意訳しています。
13 このキリストによって、あなたがたも救いを約束する福音を聞き、キリストを信じるようになりました。そして、キリストに属する者であるという証印を、聖霊によって押していただきました。
14
私たちのうちに住まわれる聖霊は、神が約束のものをほんとうに与えてくださるという保証です。私たちに押された聖霊の証印は、神がすでに私たちを買い取り、ご自分のもとに引き取ってくださることを保証するのです。これが、栄光の神をほめたたえる、もう一つの理由です。”とます。

 更に、キリスト者は、栄光のからだを与えてくださる神をほめたたえることが出来ます。栄光のからだを与えられることは確定しているからです。
1
コリント1550-54をリビングバイブルは、
50 愛する皆さん。念を押して言います。地上の、血と肉の体は、神の国から閉め出されます。今の私たちの体は死ぬべきもので、永遠に生きることはできません。
51
ここであなたがたに、驚くべき神の奥義を告げましょう。私たちはみな、新しい栄光の体を頂くのです。
52
終わりのラッパが鳴り渡る時、一瞬のうちにそうなるのです。天からラッパの音が響くと、死んでいたすべてのクリスチャンは、たちまち朽ちない新しい体に復活します。次に、まだ生き残っている者もまた、一瞬にして新しい体に変わるのです。
53
なぜなら、地上の死ぬべき今の体は、天上の決して死ぬことのない、永遠に生きる体に変えられなければならないからです。
54
この時、「死は勝利にのみ込まれた」(イザヤ258)という聖書のことばが、現実となるのです。”と意訳しています。

2023年8月28日 (月)

申命記28:69-29:8 律法を守りなさい、律法を守れば栄える/恵みによって救われ恵みによって歩むキリスト者

 申命記2869-298には次のように記されています。
28:69 次に述べるのは、モアブの地〔ヨルダン川の東側の地。地図を参照してください(筆者挿入)〕で、主がモーセに命じてイスラエルの人々と結んだ契約の言葉で、ホレブで結んだ契約〔出エジプト191-248を参照(筆者挿入)〕とは別のものである。
29:1
 モーセはイスラエルのすべての人々を呼び集めて言った。あなたがたはエジプトの地でファラオとそのすべての家臣、その全土に対して、主があなたがたの目の前で行われたことをことごとく見た。
2
 あなたがその目で見たのは大いなる試みで、それらは大いなるしるしと奇跡であった。〔1.2節のエジプトでの奇跡の内容は、出エジプト71-1431に記されています。(筆者挿入)〕
3
 しかし主は今日まで、それを知る心、見る目、聞く耳をあなたがたにお与えにならなかった。
4
 「私は四十年の間、荒れ野であなたがたを導いたが、あなたがたの着ている服は擦り切れず、足の履物もすり減らなかった。
5
 あなたがたはパンも食べず、ぶどう酒も麦の酒も飲まなかった。それは、私が主、あなたがたの神であることを知るためであった。」
6
 あなたがたがこの場所に来たとき、ヘシュボンの王シホンとバシャンの王オグが出て来て、私たちを迎え撃とうとしたが、私たちは彼らを討ち破った。
7
 私たちは彼らの地を取って、ルベン人とガド人、そしてマナセ族の半数に相続地として与えた。〔6.7節の出来事は、民数記2121-2433-353233に記されています。(筆者挿入)〕
8
 あなたがたはこの契約の言葉を守り行いなさい。そうすれば、あなたがたのすることはすべて成功する〔栄える(口語訳、新改訳)〕。”(聖書協会共同訳)とあります。
(口語訳、新改訳は、申命記291-9の個所になります。)

 291に、“モーセはイスラエルのすべての人々を呼び集めて言った。あなたがたはエジプトの地でファラオとそのすべての家臣、その全土に対して、主があなたがたの目の前で行われたことをことごとく見た。”とあります。
聞き手の「あなたがた」と言われている人々の内、出エジプトした時に20歳以上であった人々の中では、ヨシュアとカレブだけが残っていました。その他残っているのは話し手のモーセのみです。
ヨシュアとカレブ以外の人は、主に対する不信の罪のゆえに死んでいたのです。

 2節後半と3節には、“それらは大いなるしるしと奇跡であった。しかし主は今日まで、それを知る心、見る目、聞く耳をあなたがたにお与えにならなかった。”と記されています。

 主なる神様の恵みを知ることが出来るのは、エペソ28に、“あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。”(新改訳第三版)と記されているように、つくづく「恵み」だなと実感します。

 4.5節には、“4 「私は四十年の間、荒れ野であなたがたを導いたが、あなたがたの着ている服は擦り切れず、足の履物もすり減らなかった。5 あなたがたはパンも食べず、ぶどう酒も麦の酒も飲まなかった。それは、私が主、あなたがたの神であることを知るためであった。」”と記されています。

 イスラエル人が生活した荒野では、服や履物を手に入れることは難しかったと思います。
しかし神様は、イスラエル人の着ている服を着続けることが出来るようにし、履物も擦り減らないようにしてくださったのです。
パンについても麦が手に入りません。しかし、神様はマナという食べ物を与えてくださったのです。モーセとヨシュアとカレブは、約40年間もマナを食べたのです。これは完全栄養食であったのかもしれません。
 余談になりますが、これから訪れる大患難時代、神を信じるイスラエル人は荒野に逃げるのですが、その間の3年半の間も、主は荒野に逃げたイスラエル人を養うのです。

 モーセは、主は偉大なお方であり、イスラエルを守り、導き、祝福してくださるお方であるから、「あなたがたはこの契約の言葉を守り行いなさい。そうすれば、あなたがたのすることはすべて成功する。」(8)とイスラエルに語りました。

 私たちキリスト者の場合は、ヤハウェ(主)とイスラエルの間の律法に基づく旧契約とは異なり、主イエス・キリスト様の血による新契約なのです。
 エフェソ(エペソ)17-11には、
:7 私たちはこの御子において、その血による贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。これは、神の豊かな恵みによるものです
8
 神は、この恵みを私たちの上に溢れさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、
9
 御心の秘義〔奥義(口語訳、新改訳)、秘められた計画(新共同訳)、ギリシア語原語は「ムーステーリオン」(筆者挿入)〕を私たちに知らせてくださいました。これは、前もってご自身でお決めになっていた御心によるものであって、
10
 時が満ちるというご計画のためです。それは、天にあるものも地にあるものも、あらゆるものが、キリストのもとに一つにまとめられることです〔こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです(新共同訳)、それは、時が来れば、天でも地でもあらゆるものが、キリストのもとに一つにまとめられるということです(リビングバイブル)〕。
11
 キリストにあって私たちは、御心のままにすべてのことをなさる方のご計画に従って、前もって定められ、選び出されました〔そればかりでなく、神の御計画のままに、神のものとなるように最初から選ばれていた私たちは、神が喜んでくださる存在となっています(リビングバイブル)〕。
12
 それは、キリストに以前から希望を抱いている私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。”(聖書協会共同訳)と記され、
 更に、エペソ28-10には、
8 あなたがたは恵みにより、信仰を通して救われたのです。それは、あなたがたの力によるのではなく、神の賜物〔贈り物(リビングバイブル)〕です。
9
 行いによるのではありません。それは、誰も誇ることがないためです。
10
 私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちは、イエス様を信じ、イエス様の贖いの血潮のゆえに罪赦され、あなたのものとして聖別された者であり、主のご復活のゆえに、私たちは、御霊から霊の誕生をしたものであること、定めの時に霊のからだをも頂いて神の子どもとして完成していただけますことを感謝します。
その他多くの恵みをも感謝し、主キリスト・イエス様の御名でお祈りします。アーメン

2023年8月27日 (日)

マタイ25:14-30 キリスト者の働きと報酬/主は忠実な人を喜ばれる

 マタイ2514-30には次のように記されています。
14 「天の国は、ある人が旅に出るとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。
15
 それぞれの力〔能力(口語訳、新改訳)〕に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて、旅に出た。
 早速、16 五タラントン受け取った者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンもうけた。
17
 同じように、二タラントン受け取った者も、ほかに二タラントンもうけた。
18
 しかし、一タラントン受け取った者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠した。
 19 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
20
 まず、五タラントン受け取った者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。
『ご主人様、五タラントンをお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』
21
 主人は言った。『よくやった。良い忠実な僕だ。お前は僅かなものに忠実だったから、多くのものを任せよう。主人の祝宴に入りなさい〔主人の喜びをともに喜んでくれ(2017)〕。』
22
 次に、二タラントン受け取った者も進み出て言った。『ご主人様、二タラントンをお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』
23
 主人は言った。『よくやった。良い忠実な僕だ。お前は僅かなものに忠実だったから、多くのものを任せよう。主人の祝宴に入りなさい〔主人の喜びをともに喜んでくれ(2017)〕。』
24
 一タラントン受け取った者も進み出て言った。『ご主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集める厳しい方だと知っていましたので、25 恐ろしくなり、出て行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
26
 主人は答えた。『悪い臆病な〔怠け者の(2017)〕僕だ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
27
 それなら、私のお金を銀行に預けておくべきだった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
28
 さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
 29 誰でも持っている人はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。
30
 この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」”(聖書協会共同訳)とあります。

 タラントの譬えといわれるたとえ話です。
この個所から、奉仕と報酬、忠実さと不忠実さの結果、キリストを主としているのかしていないのかの違いによって報いが異なることを教えてくれているように思います。

 主は全知全能の神ですから、一人一人の能力を正しく判別します。
主は、一人一人の能力に従って、色々と異なる御霊の賜物{ギリシア語原語は「カリスマ」(ローマ1261コリント124)}をも与えられました。
誰にでも等しく与えられているものには、時間があります。ルカ1913-27にはミナの譬えが記されていますが、この個所では、全員が1ミナを与えられています。

 一人一人のキリスト者に与えられているものを用いて、主キリストのためにどのような働きをしたのかということが問われている個所です。
この個所は、救いについてではなく、キリスト者の働きと報酬の関係について譬えを用いて語られているのです。

 キリスト者の「働きと報酬の裁き」については、2コリント510に、
“私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。”(2017)と記されています。

 5タラントと2タラント預かった人は、2コリント510に基づけば、善なる行いをした人であり、1タラント預かった人は、悪なる行いをした人であったと言えるでしょう。

 主を愛し、主に対して忠実に励んだ人は、主に喜ばれ、主から相応の報いを与えられ、主を愛さず自己保身のみに生きたところの自分を主としている人はそれ相応の報いを受けるということがわかります。

 主の御恩寵に感謝し、主を愛し、「私は主のものです」といえる人は幸いです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主は私たちに恵みの上にさらに恵みを与えてくださいました。
主の御恩寵に感謝し、主を愛し、与えられているものをもって、喜びをもって、主に仕えていく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
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「わが友 主イェスは」(聖歌493 聖歌総合版511 新聖歌317
“1.わが友 主イェスは 我を見出し 引き寄せた給いぬ 愛の糸もて 御そばに侍(はべ)れば 何をか恐れん 今 主はわがもの 我は主のもの
2.わが友 主イェスは 罪ある我を 贖い給えり 命を捨てて この身と魂をば 主よ取り給え すべては汝(な)がもの 我がものは無し
3.わが友 主イェスは いとも優しく 慰め励まし また守り給う 悩みも剣も 飢えも裸も 引き裂く能(あた)わじ 主より我が身を”
アーメン。

2023年8月26日 (土)

箴言24:15-18 裁いてはいけません、裁かれないためです

 箴言2415-18には次のように記されています。
15 悪しき者よ、正しい人の住まいを狙うな。彼の伏す所を荒らすな。
16
正しい人は七度倒れても、また起き上がり、悪しき者はわざわいでつまずくからだ。
17
あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、心躍らせてはならない。
18
主がそれを見て心を痛め、彼への怒りをやめられるといけない。”(2017)とあります。

 15.16節をリビングバイブルは、
“悪者よ。正しい人に手出しをしてはいけません。正しい人は七度倒れても、そのたびに起き上がることを知らないのですか。しかし悪者は、一度つまずくと滅びるのです。”と意訳しています。

 新共同訳は、
15 神に逆らう者よ、神に従う人の住みかを狙うな。その憩いの場で暴力を振るうな。
16
神に従う人は七度倒れても起き上がる。神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。”と訳しています。

 15節の「悪しき者」(2017)、「悪者」(リビングバイブル)、「神に逆らう者」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーシャー」で、(道徳的に)悪い、邪悪な、神を受け入れない,無信仰の,不信心の,無神論の、罪深い、神に従わない、等の意があり、「人」を付けても使われます。
「正しい人」(2017)、「神に従う人」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ツァディーク」で、正しい(人)、高潔な(人)、公正な(人)等の意があります。

 キリスト者は、主イエス・キリストを信じさせていただいたゆえに義人です。キリストを信じたゆえに義と認められたのです。正しい人とされたのです。
ローマ321.22には、“21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。”(新共同訳)と記されています。

 神を信じ、神に従う人は、その人の内に神である聖霊が住まわれていますから、何度倒れても起き上がることが出来るのです。
神にとって、「もうだめだ」ということはありませんから、キリスト者は、打倒されたときにも主に頼って立ち上がることが出来るのです。
キリスト者といえども、自分で何とかしよう、生まれながらの肉で何とかしよう、とし続けていると、燃え尽き症候群になったり、ダウンしたまま立ち上がれなくなる場合があります。
自分ではどうにもならないときには、主に委ねきることです。
詩篇375には、
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(新改訳)と記されています。
詩篇349には、「味わい、見よ、主の恵み深さを。」(新共同訳)と記されています。(新改訳、口語訳は、8節です。)

 17.18節には、“17 あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、心躍らせてはならない。
18
主がそれを見て心を痛め、彼への怒りをやめられるといけない。”(2017)とあります。

 Bible navi は、この個所の適用注解を次のように記しています。
“ソロモンの父ダビデは、生涯の敵であるサウルの死を喜ぼうとはしなかった。(2サムエル1章)。一方で、エドムの国はイスラエルの敗北を喜び、その態度のゆえに神に罰せられた(オバデヤ12節)。他者の不幸を喜ぶことによって、あなたは復讐者となり、全地においてただ一人の真のさばき主である神の立場に自分を置いているのだ(申命記3235)。”と述べています。

 2サムエル1章には次のように記されています。
17 ダビデは、サウルとその子ヨナタンのために次のような哀歌を詠み、18 「弓」と題して、ユダの人々に教えるよう命じた。これは『ヤシャルの書』に記されている。
19
 「イスラエルよ、かの麗しき者は、お前の高い丘の上で刺し殺された。ああ、勇士らは倒れてしまった。
20
 ガトに知らせるな。アシュケロン一帯で公にするな。さもないと、ペリシテ人の娘たちが喜び、割礼なき者の娘たちが勝ち誇るかもしれない。
21
 ギルボアの山々よ、いけにえに飢えた大地よ、お前たちの上には露も降りるな、雨も降るな。そこには勇士らの盾とサウルの盾が、油も塗られずに打ち捨てられている。
22
 刺し殺された者たちの血を吸うことなく、勇士らの脂をなめずには、ヨナタンの弓は元に戻ることはなく、サウルの剣が空しく納められることもなかった。
23
 サウルとヨナタン、愛され喜ばれた二人。命ある時も、死に臨んでも離れることはなく、鷲よりも速く、獅子よりも強かった。
24
 イスラエルの娘たちよ、サウルのために泣け。お前たちに贅沢な深紅の衣をまとわせ、その衣の上に金の飾りを施してくれた。
25
 ああ、勇士らは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンはあの高い丘の上で刺し殺された。
26
 あなたを思って私は悲しむ。兄弟ヨナタンよ、あなたはまことに私の喜び。あなたの愛は女の愛にもまさってすばらしかった。
27
 ああ、勇士らは倒れた。戦いの器はうせてしまった。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 オバデヤ書は、エドム滅亡の預言書です。
その12節には、“兄弟が不幸に見舞われる日、あなたはただ眺めていてはならない。ユダの人々の滅びの日、あなたは喜んではならない。苦難の日、大口を叩いてはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。
エドム滅亡の預言は、エレミヤ49:7-22にも記されています。

 ルカ637には、「さばいてはいけません。そうすれば、あなたがたもさばかれません。人を不義に定めてはいけません。そうすれば、あなたがたも不義に定められません。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦されます。」(2017)という聖句が記されています。

 主イエス様は、やがてさばきの座に着かれ、裁きを行われます(ヨハネ522.27)が、地上におられたときはどのようであったでしょうか?
十字架につかれる少し前のイエス様の心境を下記します。
41 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて42 言われた。
「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし、それは今、お前の目には隠されている。43 やがて時が来て、お前の敵が周りに柵を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、44 お前とそこにいるお前の子らを地に叩きつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、お前が神の訪れの時を知らなかったからである。」”(ルカ19章・聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを崇めます。
御霊の実は、愛、・・・です。
主を愛し、隣人を愛して、歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月25日 (金)

詩篇91篇 主を愛し主に信頼する人の幸い

 詩篇91篇には次のように記されています。
1 いと高き方の隠れ場に住む者、その人は全能者の陰に宿る。
2
私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に申し上げよう。「私の避け所、私の砦〔わが城(聖書協会共同訳)〕、私が信頼する私の神」と。
3
主こそ、狩人の罠から、破滅をもたらす疫病から、あなたを救い出される。
4
主はご自分の羽であなたをおおい、あなたはその翼の下に身を避ける。主の真実は大盾また砦〔小盾(聖書協会共同訳)、直訳「保護」「防壁」(聖書協会共同訳欄外注)〕。
5
あなたは恐れない。夜襲の恐怖も、昼に飛び来る矢も。
6
暗闇に忍び寄る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。
7
千人があなたの傍らに、万人があなたの右に倒れても、それはあなたには近づかない。
8
あなたはただそれを目にし、悪者への報いを見るだけである。
9
それは、わが避け所、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を、いと高き方を、あなたが自分の住まいとしたからである。
10
わざわいはあなたに降りかからず、疫病もあなたの天幕に近づかない。
11
主が、あなたのために御使いたちに命じて、あなたのすべての道であなたを守られるからだ。
12
彼らはその両手にあなたをのせ〔両手であなたを運び(欄外注)〕、あなたの足が石に打ち当たらないようにする。
13
あなたは獅子とコブラを踏みつけ、若獅子と蛇を踏みにじる。
14
「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出す。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げる。
15
彼がわたしを呼び求めれば、わたしは彼に答える。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い、彼に誉れを与える。
16
わたしは彼をとこしえのいのち〔直訳「長い日々」(欄外注)、長寿を授けて(聖書協会共同訳)〕で満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せる。」”(2017)とあります。

 殺人者、疫病、滅び、大量虐殺、etc.から守られる方法を提示しています。
どのようにしたら、あるいはどのような人が守られるのでしょうか。
9
節には、“それはわが避け所、主を、いと高き方を、あなたが自分の住まいとしたからである。”と記され、また、
14
節には、“「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出す。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げる。”と記されています。

 主に信頼し、主を愛している人が、主によって守られる、と記されています(2.9.14)。

 主は、主に信頼し、主を愛している人を守るために、御使いを遣わして守られる、と11節に記されています。
へブル114には、“御使いはみな、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされている・・。”(2017)と記されています。

 使徒12章には、ペトロ(ペテロ)が、ヘロデ王によって牢屋に入れられたとき、主は天使を遣わしてペトロを救出した例が次のように記されています。
6 ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。
7
 すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロの脇をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
8
 天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、付いて来なさい」と言った。
9
 それで、ペトロは外に出て付いて行ったが、天使のしていることが現実のことだとは分からず、幻を見ているように思えた。
10
 第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門のところまで来ると、門がひとりでに開いたので、外に出て、通りを進んで行くと、突然、天使は離れ去った。
11
 その時、ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」
12
 そうと分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ペトロは主に遣わされた天使によって救出されました。
天使は、主の御命令を果たしたので戻っていきました。

 パウロは、毒蛇であるクサリヘビにかまれても害を受けませんでした。
使徒28章には次のように記されています。
1 私たちが助かったとき、この島がマルタと呼ばれていることが分かった。
2
 島の住民は大変親切にしてくれた。雨が降りだして寒かったので、たき火をたいて、私たち一同を迎えてくれたのである。
3
 パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の毒蛇〔クサリヘビ(欄外注)〕が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。
4
 住民は彼の手に蛇がぶら下がっているのを見て、互いに言った。「この人は人殺しに違いない。海では助かったが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。」
5
 ところが、パウロはその蛇を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。
6
 体が腫れ上がるか、あるいは突然倒れて死ぬだろうと、彼らはパウロの様子をうかがっていた。しかし、いつまで待っても何も起こらないのを見て、考えを変え、「この人は神様だ」と言った。”(聖書協会共同訳)とあります。
(クサリヘビ科の中には、マムシも入っています。ウィキペディアによると、クサリヘビ科の蛇は、いく種類もあり、長いものは3.6m、短いものは20cmということです。)

 ヒゼキヤ王や預言者イザヤが主に祈ったとき、主は主の使いを遣わし、一晩で185000人を殺しました。2列王記18.19章には次のように記されています。
1813 ヒゼキヤ王の治世第十四年に、アッシリアの王センナケリブが、ユダの城壁に囲まれた町すべてに攻め上り、これらを占拠した。/
17
 アッシリアの王は、タルタン、ラブ・サリス、ラブ・シャケを、ラキシュから大軍と共に、エルサレムのヒゼキヤ王のもとに送り込んだ。彼らはエルサレムに向かって上って来た。彼らは上って来て、洗い場に至る大通り沿いにある、上貯水池の水路に現れた。/
19
20 アモツの子イザヤは、ヒゼキヤに人を遣わして言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。アッシリアの王センナケリブについて、あなたが私に祈ったことを私は聞き入れた。/
35
 その夜、主の使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が朝早く起きてみると、皆死体となっていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ダニエル6章には次のような記事が記されています。
20 王は夜が明けるとともに起き出し、急いでライオンの穴に行った。
21
 ダニエルのいる穴に近づくと、王は悲痛な声で叫んで、ダニエルに言った。「生ける神の僕ダニエルよ、お前がいつも仕えているお前の神は、ライオンからお前を救い出すことができたか。」
22
 ダニエルは王に語りかけた。
「王様がとこしえに生き長らえますように。23 私の神が御使いを遣わしてライオンの口を塞いでくださったので、ライオンは私に危害を加えませんでした。神の前に私が無実であることが認められたのです。王様、あなたに対しても私は悪いことをしてはいません。」
24
 そこで、王は大いに喜び、ダニエルを穴から引き出すように命じた。ダニエルは穴から引き出されたが、彼には何の害も認められなかった。自分の神を信頼していたからである。
25
 王は、ダニエルを中傷した者たちを連れて来させ、彼らをその妻子と共にライオンの穴に投げ込むように命じた。彼らが穴の底に達しないうちに、ライオンは彼らに襲いかかり、彼らの骨をことごとくかみ砕いた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 大分前にウェスレー日記の日本語訳を読んだことがありましたが、ウェスレーも天使によって危険を守られた体験を記していました。2000ページくらいあった本なのでどのあたりに書いてあったかは覚えていません。
その他、キリスト教偉人伝のような本を幾冊も読みましたが、それらの中にも天使に助けられた話はありました。
またサンダーシング(スンダルシング)についての本を読んでいたときにも、サンダーシングが天使によって守られたと思われる個所があった様に記憶しています。

 また私が本人から直接聞いた交通事故に遭ったが守られたという話、交通事故に遭われた幾人かのキリスト者の奇跡的な守りの話の中にも、これは天使が遣わされたのではないだろうか、と思わされるものがありました。

 近頃の日本は、大分物騒になってきましたから、私も散歩などで外出するときに、心に引っかかるものを感じるときには、主に、天使を遣わして守ってください、と祈ることもあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
あなたから守ってもらえるような歩みをしていくことが出来ますように。
いつも主を愛し、主に信頼し、主の内に在って、歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月24日 (木)

申命記28:15-24 主の律法に従わないイスラエルは呪われる/キリスト者は神からの呪いを受けない

 申命記2815-24には次のように記されています。
15 しかし、もしあなたがあなたの神、主の声に聞き従わず、私があなたに今日命じる戒めと掟のすべてを守り行わないならば、これらのすべての呪い があなたに臨み、あなたに及ぶ。
16
 あなたは町にいても呪われ、野にいても呪われる。
17
 あなたの籠もこね鉢も呪われる。
18
 あなたの胎から生まれる子も、土地の実りも、牛の子も羊の子も呪われる。
19
 あなたは入るときも呪われ、出るときも呪われる。
20
 主はあなたが行う手の業すべてに対し、呪いと混乱と懲らしめを送り、あなたを速やかに滅ぼし、消し去る。これは、あなたが私を捨てて悪を行ったからである。
21
 主はあなたに疫病をまといつかせ、あなたが入って所有しようとする土地から、あなたを絶ち滅ぼす。
22
 主が肺病、熱病、炎症、高熱、剣、立ち枯れ、赤さび病をもって打つと、それらはあなたを追いかけて、あなたを滅ぼす。
23
 頭上の天は銅となり、あなたの下の地は鉄となる。
24
 主は地の雨を埃や塵に変えて天から降らせ、あなたを滅ぼす。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所をリビングバイブルは次の様に意訳しています。
15-19 もし主の言われることを聞かず、法律に従わないなら、あなたは必ずのろわれます。町の中でも外でものろわれ、くだものやパンに不自由し、子どもを授からず、作物の実りも乏しく、牛や羊まで減っていきます。出ていくときも帰って来るときも、良くないことばかり起こります。
20
主が自らのろいをお下しになるからです。混乱に陥り、なすこと全部が失敗して、最後には滅びます。主を捨てて悪を行った結果です。
21
これから占領する地で、主は疫病をはやらせ、難なくあなたを滅ぼしてしまわれます。
22
あなたは、結核、熱病、伝染病、戦争、さらに黒穂病によって打たれます。
23
天は青銅のように堅く閉じて雨を降らせず、地は鉄のように堅くしまり、作物を実らせません。
24
日照りで国土が干上がり、猛烈な砂嵐が荒れ狂って、生き残る者は一人もありません。”とあります。

 更に神の呪いは68節まで続いていきます。

 主に従順であったときのイスラエルは主から祝福を受けました。しかし、主に不従順であったときのイスラエルは主から呪いを受けました。
歴史がそれを証明しています。祝福と呪いの個所もまた預言でもあったのです。

 52.53節の呪いの個所には次のように記されています。
52 彼ら〔敵軍(筆者挿入)〕はあなたのすべての町を包囲し、あなたが頼みとする、全土に高く築いた城壁を打ち崩す。そして、あなたの神、主があなたに与えたすべての地の、すべての町を彼らが包囲すると、53 あなたは、敵の包囲ともたらされた困窮のゆえに、あなたの神、主が与えた、あなたの胎から生まれた子である息子や娘の肉さえ食べるようになる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 このようなことは起こったのでしょうか。
実際に起こったのです。
哀歌410には、“憐れみ深い女たちの手がわが子を煮炊きして、娘であるわが民の破滅の時に自分の食物とした。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 呪いの預言はもっとありますが、もう書くことを止めます。
新生したキリスト者は、この世で苦しんでいるように思われるときであってさえ、祝福を受けているのです。
1
ペテロ39には、“・・。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。”(2017)と記されています。

 キリスト者といえども、様々な苦難に見舞われます。
それについては、どのように考えたらよいのでしょう。
 ローマ5章には次のように記されています。
3 それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し
4
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
5
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。”(2017)とあります。
主キリストに在っては、キリスト者の苦難は益になるのです。

 主に従って歩んでいるキリスト者が別の意味で苦難に見舞われることもあります。
それは、神の国対サタンの王国の戦いの最前線において、キリスト者が神の国の兵士として、神がすばらしいお方であることを証しする役目、神の栄光をあらわす役目を果たすという場合です。
ローマ8章には次のように記されています。
35 誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょう。苦難か、行き詰まりか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。
37
 しかし、これらすべてのことにおいて、私たちは、私たちを愛してくださる方によって勝って余りあります。
38
 私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、39 高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 35.37節のようなキリスト者は、肉体に及ぼされる疼痛、肉体の命の危機、精神的魂的な辛さ、等にあわされても主を愛する愛を明らかにしていくことによって、主がすばらしいお方であることを証しし、サタンに勝利しているのです。

 38.39節をリビングバイブルは、
38 神の愛から私たちを引き離せるものは何一つない、と確信しています。死もいのちにも、そんなことはできません。天使にもできません。地獄の全勢力が結集しても、神の愛から私たちを遠ざけることはできません。恐れも、不安も同様です。
39
あるいは、私たちが空高くのぼっても、海の底深くもぐっても、どこにいようと、神の愛から私たちを引き離すことはできません。”と意訳しています。

 勝利の源泉は、37節に記されているように、「わたしたちを愛してくださる御方によって」です。
聖歌474、聖歌総合版4915節の歌詞には、
「ハレルヤ!主は 世と悪魔にすでに勝ちを得給えば 我らもまた イェスと共に 日々勝ち得て余りあり」とあります。

 神様は、全ての人を愛していますが、キリスト者を別の次元で愛しています。
キリスト者は、なぜそれほどに愛されているのでしょうか。
ヨハネ1627には、「父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。あなたがたがわたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからです。」(2017)という主イエス様が語られた御言葉が記されています。
また、ヨハネ1723には、「・・、私を愛されたように彼らを愛された・・」(2017)と主はキリスト信者への御父の愛を述べています。

 福音宣教のために殺されることがあっても祝福です。
主は次のように語られました。
 マタイ510-12には、
10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。・・・。」(2017)と記され、
 黙示録210には、
「あなたが受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない。見よ。悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあう。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。」(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。」(1ペテロ392017)とあります。
地上において如何なるところを通ろうとも、振り返れば、それは祝福の道であった、と言わせていただけますからありがとうございます。
あなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「主よささぐる」(聖歌296 聖歌総合版277)の3
“われ ゆくては つゆ知らねど ただみむねを 頼りにゆかん あまつ家の門(かど)にて言わん 「主は御心なしませり」と”
アーメン。

2023年8月23日 (水)

マタイ25:1-13 聖霊内住の人が携挙される

 マタイ251-13には次のように記されています。
1 「そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
2
 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
3
 愚かなおとめたち〔思慮の浅い者たち(口語訳)〕は、灯は持っていたが、油の用意をしていなかった。
4
 賢いおとめたち〔思慮深い者たち(口語訳)〕は、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
5
 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆うとうとして眠ってしまった。
6
 真夜中に『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。
7
 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれの灯を整えた。
8
 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。私たちの灯は消えそうです。』
9
 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
10
 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできている五人は、花婿と一緒に祝宴の間に入り、戸が閉められた。
11
 その後で、ほかのおとめたちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。
12
 しかし主人は、『よく言っておく。私はお前たちを知らない』と答えた。
13
 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたはその日、その時を知らないのだから。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 この譬えは、主の空中再臨は何時だかわからないのですから、霊的な意味で、目を覚ましていなさいというものでしょう。主の空中再臨に限らず、いつ地上の命が召されても良いような信仰生活を送りなさい、と応用することも出来ます。
余談になりますが、主の地上再臨は、主の地上再臨の7年前からは分かるようになります。

イエス様がこの譬えを語られた当時のこのような状況を知っておいた方が良いと思い、新聖書注解からユダヤの婚礼に関する記述を転記させていただきます。
 “このたとえに登場するのは、「それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘」である。「そのうち五人は愚かで、五人は賢かった」(2)。「賢い人」と「愚かな人」の対比という点で、この「十人の娘のたとえ」は、「岩の上に建てた家のたとえ」(マタイ724-27)と似ている。
 「十人の娘」は「花婿を出迎える」花嫁の友たちである。ここに見られるユダヤの婚礼は、婚約して約一年後、法的に既に夫婦となっていた両人の夫婦生活が始まることを祝う喜びの祝宴である。
 その婚宴は花婿の家で開かれるのが普通で、花婿は夕方になってから花婿の友と一緒に、花嫁の家に花嫁を迎えに行く。花婿の友が音頭を取り、花嫁の友が美しく着飾り、二人を婚宴の席に導き、盛大な祝宴が開かれる。
 しかし、この譬えでは、花婿の到着が夜中になっており(6)、花婿の到着と同時に「婚礼の祝宴が始まっているので(10)、花嫁の家で婚礼が行われたと思われる(榊原)。
 現在でもパレスチナの婚宴では、この譬えに描かれていることが行われている。
花婿は「花嫁の友」たちが眠っている時に、不意をついてやって来たりする。
その時、先ぶれの男が「そら、花婿だ」と叫ぶことになっている。
しかしその時がいつであるかわからないので、「花嫁の友」たちは何時でも用意していなければならない。
そして、花婿が到着すると戸は閉められ、遅れてきた者は婚宴に出られない(バークレー)。”とあります。

 新聖書注解はバークレーの本から上記の内容を記したのでしょう。
上記の説明について、私はいくつかの疑問を持ちます。
黙示録196-9には次のように記されています。
6 また私は、大群衆の声、大水のとどろき、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。全能者である神、主が王となられた。7 私たちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁〔原語は「グーネー」で直訳すると「妻」(筆者挿入)〕は支度を整え、8 輝く清い上質の亜麻布を身にまとった〔直訳「与えられた」。フランシスコ会訳と塚本訳は「与えられた」(筆者挿入)。〕。この上質の亜麻布とは、聖なる者たちの正しい行いである。」
9
 それから、天使は私に、「書き記せ。小羊の婚礼の祝宴に招かれている者は幸いだ」と言い、また、「これらは、神の真実の言葉である」とも言った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録197の「婚礼」と訳されている語のギリシア語原語は「ガモス」で、nuptials(結婚式や結婚に関することを意味する語)、marriage(結婚、婚姻), wedding(結婚式、婚礼)の意とStrong辞書にあります。
黙示録199の「婚礼の祝宴」と訳されている語の「婚礼」という語のギリシア語原語は「ガモス」です。「祝宴」と訳されている語のギリシア語原語は「ディプノン」です。

 マタイ2510の「祝宴」(聖書協会共同訳)、「婚礼の祝宴」(2017)と訳されている語は、ギリシア語では「ガモス」となっています。ガモスは、marriage(結婚、婚姻), wedding(結婚式、婚礼)のです。

 上記のバークレーの説明では、乙女たちは、花嫁の友達であるとしています。
キリストの花嫁とは、教会であり、教会とは、多くのキリスト者の集合体です。
それ故、私は、このマタイ25章の個所の乙女は、教会を構成するキリスト者を指しているのではないかと思います。

1-4節には、「1 そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
2
 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
3
 愚かなおとめたちは、灯は持っていたが、油の用意をしていなかった。
4
 賢いおとめたちは、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。」とあります。

 天の国〔天の御国(新改訳)、the kingdom of heavenNKJV)〕というのは、神様が支配されている国と捉えることが出来ますから、地上に在っては教会を指しているとも言えます。

教会の中には、油を用意している人即ち聖霊を宿している人と、油を用意していない人即ち聖霊を宿していないか聖霊を消してしまっている人(1テサロニケ519)がいるとも取れるたとえです。

イエス様は、「あなた方は世の光である」(マタイ514・口語訳)、すなわち「あなた方は世にあってキリストが語られた言動をする人である」(筆者の解釈)と語られましたが、聖霊によって光を輝かしている人と、聖霊によってではなく、肉の努力によって光らしいものを輝かしている人とがいるのかも知れません。

「思慮の浅い者たち」と「思慮深い者たち」を分けたものは、油(聖霊)を持っているかどうかでした。更に油(聖霊)が容器〔キリスト者のからだ(筆者の解釈)〕にいっぱいに満たされていれば幸いなことです。

5節には、「ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆うとうとして眠ってしまった。」とあります。

私たちの時代は、イエス様が再臨について語られてから、すでに2000年近くになります。

世界の教会内を見渡すと、再臨があると信じている人たちと、再臨はないと考えている人たちがいることが分かります。中には、黙示録の出来事の多くはすでに終わっていると考えている人たちもいます。

また、再臨は信じているが、イエス様がなかなか来ないということで、キリストの再臨と言われてもピンとこない人や、まだまだ来ないのではないかという人もいることでしょう。

ところが、イエス様の空中再臨は神のラッパの響きと共に突然起こるのです(1テサロニケ416)。ラッパは、6節の「そら、花婿だ。迎えに出よ」と呼ぶ声に似ています。しかし、油を用意しておかなかった人たちは間に合いませんでした。

油に喩えられている聖霊は、人から分けてもらうことは出来ないのです。
聖霊は新生したときに与えられ、聖霊は内住してくださるものだからです。
旧約時代は、預言者であっても、聖霊は内住するのではなく、その人の上にとどまったのです。新約の恵みの大きさに驚嘆します。

10節には、「愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできている五人は、花婿と一緒に祝宴の間に入り、戸が閉められた。」とあります。

イエス様の空中再臨の時、用意のできていた人は携挙されるのですが、聖霊が内住してくださっておられない人は携挙されないのです。そして、携挙は一度しかないのです。
携挙の前の神のラッパの響きの時に、肉の体から霊の体に変えられます。その奇跡をなさるのは聖霊です。
ローマ811には、“もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊〔御霊(口語訳、新改訳)〕によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。”(新共同訳)と記され、
 1コリント1552には、“終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。”(2017)と記されています。

「ご主人様、ご主人様、開けてください。」(11)即ち、「イエス様、イエス様、私も入れてください。」と言っても、「わたしはお前たちを知らない。」(12)と言われている人もいます。

この譬えで主イエス様が語りたかったことは、10人の乙女が花嫁か花嫁の友かについてではなく、油を準備して光を灯し続け(内住の御霊に導かれた歩みをして)いつ主が迎えに来られてもよいように準備していなさいということだと思います。

イエス様を信じた人に関して言えば、両親から受け継いだ古き人はキリスト共に十字架につけられたのです{ローマ63.4、ガラテヤ219又は20(聖書によって節が異なります)}。そして、復活のキリストに合され新しい人とされたのです(ローマ64.5.11、コロサイ39.10)。命の観点からいえば、神の霊によって霊を誕生させて頂いたのです(ヨハネ36)。そして更に1コリント617には、“主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。”(2017)と記されています。
また、その人の内には聖霊が遣わされ(ヨハネ1416.17)、聖霊が住んでくださっておられるのです。即ち油を持っているのです。キリストをよみがえらせた方の霊が住んでいる人は、キリストの空中再臨の時、死ぬべき体をも栄光の且つ永遠の体に変えて頂けるのです(ローマ811)。それも一瞬のうちにです(1コリント1551.52)。それはマタイ172のイエス様の変貌のようにでしょう。御霊を持っている者はキリストの空中再臨時の神のラッパが鳴った時、キリストに似たものに変えられるのです(1ヨハネ32)。
 1ヨハネ32.3には次のように記されています。
2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
3
キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつも聖霊に満たされた歩みをさせていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月22日 (火)

箴言24:13.14 知恵を食した人の望みは絶たれない

 箴言2413.14には次のように記されています。
13 わが子よ、蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。
14
知恵もあなたのたましい〔ネフェシュ(筆者挿入)〕には同じだと知れ。それを見つけるなら、あなたには将来があり、あなたの望みが断たれることはない。”(2017)とあります。

 13節の、「おいしい」(2017)と訳されている語を、聖書協会共同訳は「実に良い」と訳し、口語訳は「良い」と訳しています。
このように訳されているヘブライ語原語は「トーブ」で、英語では、goodで、「良い」を始めとして、それに属する多くの意味に用いられています。

 14節の「知恵」と訳されている語のヘブライ語原語は「ホクマー」です。
「知恵の意味と用法」についてキリスト教辞典は次の様に述べています。
“「知恵」の辞典的意味は、「物事の理を悟り適切に処理する能力」である。ヘブル人にとっての知恵は、“すぐれた知的能力”“特殊な技能”の意味で、理論的なものというより実践的知識や能力を指す。それは実効的技術、問題を解決する方法や物事を秩序立てて正しい計画を立て、統制する能力である。従って、特に宗教的倫理的なものに限られない。 (1旧約聖書の中で「知恵」と訳されている名詞〈ヘ〉ホクマーは150回ほど出てくるが、それは一般的、包括的知恵の意味である。動詞(〈ヘ〉ハーカム)は「賢い」「賢く行動する」の意味で、生活経験から来る態度や考え方を表している(箴言9:9「知恵を得る」)。幕屋の建築ですぐれた能力を発揮したベツァルエルは「知恵のある者」であり(出エジプト28:3,31:3,6)、偶像製造者の知恵(イザヤ40:20「巧みな」)、泣き女の知恵(エレミヤ9:17「巧みな」)、航海者(詩篇107:27「分別」)や指導者(申命34:9)の知恵もある。巧みな知恵は、ずる賢さとして神から厳しくとがめられている場合もある(エゼキエル28:17)。またヨナダブの巧みな助言(サムエル13:3)も知恵であった。知恵は、経験や訓練を通して、あるいは神の啓示によって与えられた、特別な知識または能力(士師5:29でもある。 (2)「知恵」の類似語としては、(a)「知識」(〈ヘ〉ダアス)経験を通して得られた生活に役立つ知識(出エジプト31:3)、(b)「悟り」(〈ヘ〉ビーナー、テブーナー)洞察する力(イザヤ11:2)、(c)「訓戒」(〈ヘ〉ムーサール)自発的服従を求める注意や警告(箴言1:2)、(d)「分別」(〈ヘ〉オルマー)、「思慮」(〈ヘ〉メジッマー)利口で、よく考えて計画工夫する能力(箴言1:4「分別」、22:3「利口な」)、(e)「理解」(〈ヘ〉レカフ)真理を把握する知力(箴言1:5)、(f)「思慮」(〈ヘ〉ハスケール)賢く振舞う実践的な知恵(箴言1:3)、(g)「正義」(〈ヘ〉ツェデク)法廷的な意味での正しい行動(箴言1:3)、(h)「公義」(〈ヘ〉ミシュパートゥ)倫理的意味でのおきて(箴言1:3)、(i)「指導」(〈ヘ〉タフブロートゥ)軍事的統率力(箴言1:5)、などがある。”と記されています。

 旧約聖書には、「知恵」を擬人化して御子を暗示したものとして記している箴言8章のような個所があります。
 また、新約聖書の1コリント1章には次のような箇所があります。
18 十字架の言葉は、滅びゆく者には愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です。
19
 それは、こう書いてあるからです。「私は知恵ある者の知恵を滅ぼし、悟りある者の悟りを退ける。」〔イザヤ2914からの引用(筆者挿入)〕
20
 知恵ある者はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
21
 世は神の知恵を示されていながら、知恵によって神を認めるには至らなかったので、神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになりました。
22
 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、23 私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、24 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
25
 なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
30
 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのです。キリストは、私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。
〔しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにありますキリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。(2017)〕”(聖書協会共同訳)と記されています。

 今回は、知恵を、神の知恵であるキリストと捉えて考えたいと思います。
キリストを心にお迎えし、キリストに愛され、キリストを愛する人にとって、キリストはこの上なく良いものであり、主キリストと一つ霊とされている霊(1コリント617)は永遠であり(ヨハネ1126)、その人には未来があり、その人の希望(福音が与える希望)は断たれることはないのです(箴言2414)。
「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」(ヨハネ637・新改訳初版~第三版)と語られたお方は神なのです{ヨエル232の「主」は「ヤハウェ」(新改訳、口語訳/新共同訳は35)→使徒221、ローマ109}。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
御子であり、救い主であり、主であるキリスト・イエス様を心にお迎えさせて頂けた恵みを心から感謝します。
御名をほめたたえつつ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月21日 (月)

詩篇90 永遠なる神とはかない人間の肉体/永遠の命と第二の死

 詩篇90篇には次のように記されています。
1 祈り。神の人モーセの詩。
わが主〔アドナイ(筆者挿入)〕よ、あなたは代々に我らの住まい。
2
 山々がまだ生まれず、あなたが地と世界を生み出される前から、いにしえからとこしえまであなたは神。
3
 「人の子らよ、帰れ」とあなたは言い、人を塵に帰らせる。
4
 まことに、あなたの目には、千年といえど過ぎ去った一日のよう。夜回りの一時にすぎない。
5
 あなたは人を死の眠りに落とされる。人は朝に萌え出づる草のよう。
6
 朝には咲き誇り、なお萌え出づるが、夕べにはしおれ、枯れ果てる。
7 あなたの怒りに私たちは消え入り、あなたの憤りに恐れおののく。
8
 あなたは私たちの過ちを御前に、隠れた行いを御顔の光にあらわにされる。
9
 私たちの日々はあなたの激しい怒りに、ことごとく過ぎ去り、私たちは吐息のように年月を終える。
10
 私たちのよわいは七十年、健やかであっても八十年。誇れるものは労苦と災い。瞬く間に時は過ぎ去り、私たちは飛び去る。
11
 あなたの怒りの力を誰が知りえよう。あなたを畏れるほどに、その激しい怒りを知っていようか。
12
 残りの日々を数えるすべを教え、知恵ある心を私たちに与えてください。
13
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、帰って来てください。いつまでなのですか。あなたの僕らを憐れんでください。
14
 朝には、あなたの慈しみに満たされ、すべての日々を楽しみ、喜ぶことができますように。
15
 あなたが私たちを苦しめた日々と、私たちが災いを見た歳月に応じて、私たちを喜ばせてください。
16
 あなたの業があなたの僕らに、輝きがその子らに現れますように。
17
 我らの神、わが主の麗しさが、私たちの上にありますように。私たちの手の働きを私たちの上に確かなものにしてください。私たちの手の働きを力あるものにしてください。”(聖書協会共同訳)とあります。

 2-6.10節をリビングバイブルは次の様に訳しています。
2 大地が造られ、山が生まれる前から、あなたは神であられました。あなたには初めも終わりもないのです。
3
あなたのひと言で、人は土に帰ります。
4
千年の昔も、あなたにとっては昨日のことにすぎず、ほんのひと時のようです。
5.6
私たちは流れの速い潮に乗って、見る間に過ぎ去り、一夜の夢のように、あわただしく消えていきます。朝のうちは青々と生い茂っていても、夕暮れには刈られてしおれる草のようです。
10
人生は七十年、中には八十まで生きる人もいるでしょう。しかし、一番良い時期でも、人生はむなしく、苦しみに満ちています。しかも、月日は矢のように過ぎて、私たちは、たちまち帰らぬ身となるのです。”とあります。

 永遠なる神とはかない人の一生の対比を読むことが出来ます。
「ヤハウェ(主)」(詩篇9013)には、永遠にして自存、の意があります(出エジプト313-15)。
青少年~熟年の世代で、充実した生活を送ることの出来ている人々は、一部の人たちを除いて5.6節のように感じる人はいないでしょう。
というか、そのように考えなくてよいように生きてきたのではないかと思います。

 しかし、キリスト者の中には、幼少のころから、人は死んだらどうなるのだろう、と真剣に考えさせたれた人も結構います。「考えさせられた」と書いたのは、私の発想では、主がそのような思いを持たせてくださったのではないかと考えるからです。

 「人生は七十年、中には八十まで生きる人もいるでしょう。」と10節にありますが、日本人の感覚では、1970年から1980年の頃であればモーセのように感じたことでしょう。平均寿命は時代によって変化しています。2022年に75歳の人に平均余命を加えた年数を厚労省の表で見ると、男性は約87.5歳、女性は約91歳となっています。
ただし健康寿命(2021年版)は、男性72.6歳、女性75.5歳となっています。
今のような医療のなかったモーセの時代で考えると、モーセの詩は健康寿命を考えると現代でも当てはまります。
(健康寿命の定義は「健康上の問題により、日常生活を制限されることなく暮らせる期間」のことを指します。日常生活を制限されることのない状態は、「介護が必要な状態にならないこと」と「自分の身の世話は、自分ですることができる」といった内容です。)
平均すると上記のような統計になります。

 一般的には、老年期に入り、体のあちらこちらが不具合になり、診察を受けると、その原因は「加齢でしょう」と言われるようになると、目の前に「死」が垂れ下がってきます。それを打ち消すべく旅行に行ったり、運動をしたり、カラオケに行ったり、というような人もいることでしょう。
しかし、また、死の恐怖が襲ってくるのです。

 伝道者の書(コヘレトの言葉)117-121.6-8をリビングバイブルには次のように訳しています。
117 生きていることは実にすばらしいことです。
8
長生きしている人は、一日一日を存分に楽しみなさい。ただし永遠と比べたら、地上のことはみな空しいことを覚えておきなさい。
9
若い人よ。若いことは実に素晴らしいことです。若い日を存分に楽しみなさい。したいことは何でもしなさい。欲しいものは何でも手に入れなさい。しかし、自分のしたことはみな、神の前で申し開きをしなければならないことを覚えておきなさい。
10
だから、悲しみと痛みとを取り除きなさい。しかし、これから長い人生が待ち受けている若い日にも、人は過ちを犯してしまうことを忘れてはいけません。
12
1 若い日を夢中で楽しむあまり、あなたの造り主を忘れてはいけません。生きていることを楽しむ余裕などない逆境の時がくる前に、神を信じなさい。
6
もう一度いいます。あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えなさい。銀色のいのちのひもが切れ、金の器が壊(こわ)れ、水がめが泉のそばで壊れ、滑車が井戸のそばで壊れてしまう前に。
7
やがて、ちりは元の地に帰り、たましい〔ヘブライ語原語は「ルーアハ」で霊{ここではいのちの息、の意でしょう}(筆者挿入)〕は、これを授けてくださった神のもとに帰ります。〔イエス・キリストを信じていない人の魂は「よみ」に行きます。新約時代、新生した人の霊と魂は「天」の主の元にいきます。旧約時代、神ヤハウェ(主)を信じて従った人の魂は黄泉の良い所{(アブラハムの懐)ルカ1622}に行ったのです。(筆者挿入)〕
8
伝道者は言います。すべて何もかもむなしい、と。”とあります。

 しかし、新約時代に入ると、キリストの十字架と復活が完了していますから、イエス・キリストを信じた人には永遠の命が与えられます(ヨハネ316.36640)。
永遠の命を与えられた人は、第二の死(黙示録2011-156参照)を受けることはありません。

 主イエス様は言われました。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」(ヨハネ1125.262017)と。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様に大感謝をささげます。
父御子御霊に代々御稜威(みいつ)と御栄とがありますように。
ハレルヤ!
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月20日 (日)

申命記28:1-14 イスラエルが主に従った場合のイスラエルへの祝福/キリスト者の祝福は?

 申命記281-14には次のように記されています。
1 もしあなたがあなたの神、主の声に必ず聞き従い、今日私が命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを、地上のすべての国民の上に高く上げてくださる。
2
 あなたがあなたの神、主の声に聞き従うとき、これらすべての祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶ。
3
 あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。
4
 あなたの胎から生まれた子も、土地の実りも、家畜の産むもの、牛の子も羊の子も祝福される。
5
 あなたの籠もこね鉢も祝福される。
6
 あなたは入るときも祝福され、出るときも祝福される。
7
 主はあなたに立ち向かう敵をあなたの前で打ち負かされる。彼らは一つの道から攻めて来るが、あなたの前から七つの道へ逃げて行く。
8
 主はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたの手の業に祝福を定められ、あなたの神、主があなたに与えられた地であなたを祝福される。
9
 あなたがあなたの神、主の戒めを守り、その道を歩むとき、主はあなたに誓われたとおり、あなたを聖なる民として立てられる。
10
 地のすべての民は、あなたが主の名で呼ばれるのを見て、あなたを恐れる。
11
 主は、あなたに与えると先祖に誓われた土地で、あなたの胎から生まれた子、家畜の産むもの、土地の実りを豊かにされる。
12
 主は恵みの倉である天を開いて、あなたの地に季節に応じて雨を降らせ、あなたの手の業すべてを祝福される。あなたは多くの国民に貸すようになるが、借りることはない。
13
 私が今日守り行うように命じる、あなたの神、主の戒めに聞き従うとき、主はあなたを頭として、尾とすることはない。あなたは常に上にあって、下になることはない。
14
 あなたは、今日私が命じるすべての言葉から右にも左にもそれてはならず、他の神々に従って、これに仕えてはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 一読すればわかるように、イスラエルが主に従った場合のイスラエルへの祝福は地上的なものです。

 キリスト者への祝福について考えてみます。
キリスト者は、主を愛し主に従った歩みをしたからと言って、物質的に豊かな祝福を必ずしも受けるとは限りません。
多くの苦難の中で、キリストを信じたテサロニケの信徒たちについて、パウロは次のように記しています。
1
テサロニケ16には、“あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。”(2017)と記され、
2
テサロニケ14には、“ですから私たち自身、神の諸教会の間であなたがたを誇りに思っています。あなたがたはあらゆる迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。”(2017)とあります。
キリストに従い続けたパウロはどうであったでしょうか?
2
コリント1224-27には、
24 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、25 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。26 何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、27 労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。”(2017)と記されています。

 キリスト者が主から祝福を受けるということは、必ずしも旧約時代のように、物質的なものではないということがわかります。
パウロは、同じ手紙の中で、次の様にも書いています。
“私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。”(2コリント4172017)と。
私にとっては、パウロの受けた苦難は、耐えられないほどのものですが、パウロは、「私たちの一時の軽い苦難」と言っています。
さらにパウロは、「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」(2コリント4182017)と語りました。

 キリスト者が与えられた祝福は、天にあるものです。
エペソ13には、“・・・。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
教会に来る方の中には、この世の祝福のみを求めてくる方もいますが、そのような求め方をしていると、やがて絶望することになる場合もあることを覚えます。
この世の祝福を求めてきた方が、霊的な祝福を求めるように変えられていきますように。
また、そのような方の旧約聖書の読み方を変えていただけますように。
これからは食料品の値段がさらに高くなっていく時代です。
この世のことだけに目を留めているクリスチャンは、失望してしまうかもしれません。
この世のことだけに心を用いるクリスチャンの霊的な目が開かれ、明確に新生させていただいて、天上にあるものを求めて歩ませていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3 主イエスは、ご自身の神としての力によって、命と敬虔とに関わるすべてのものを、私たちに与えてくださいました。それは、私たちをご自身の栄光と力ある顕現とで召された方を、私たちが〔「私たちが」は補足(欄外注)〕知ることによるのです。
〔私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。(2017)〕
4
 この栄光と力ある顕現によって、私たちには尊く大いなる約束が与えられています。それは、あなたがたがこの約束によって、世の欲にまみれた腐敗を免れ、神の本性〔神のご性質(新改訳)〕にあずかる者となるためです。
5
 こういうわけで、あなたがたは力を尽くして、信仰には徳を、徳には知識を、6 知識には節制を、節制には忍耐を、忍耐には敬虔を、7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
8
 これらのものが備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、怠惰な者、実を結ばない者とはならず、私たちの主イエス・キリストを知るようになるでしょう。
9
 これらを備えていない者は、目が塞がれ、近くのものしか見えず、自分が以前の罪から清められたことを忘れているのです。
10
 ですから、きょうだいたち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするようにいっそう努めなさい。これらのことを行っているなら、 決して過ちを犯すことはありません。
11
 こうして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるのです。”(2ペトロ1章・聖書協会共同訳)

2023年8月19日 (土)

マタイ24:45-51 忠実な僕と不忠実な僕/常に心の目を覚まして主に仕えよう

 マタイ2445-51には次のように記されています。
45 「主人から、時に応じて食べ物を与えるようにと、家の使用人たちを任された忠実で賢い僕は、一体誰であろうか。
46
 主人が帰って来たとき、そのように働いているのを見られる僕は幸いである。
47
 よく言っておくが、主人は彼に全財産を任せるに違いない。
 48 しかし、それが悪い僕で、主人は遅れると思い、49 仲間を叩き始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。
50
 もしそうなら、その僕の主人は、全く思いもよらない日と時に帰って来て、51 彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 並行記事であるルカ1241-48には次のように記されています。
41 そこでペトロが、「主よ、このたとえは私たちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、
42
 主は言われた。
「主人から、時に応じて穀物を配分するようにと、召し使いたちを任された忠実で賢い管理人は、一体誰であろうか。43 主人が帰って来たとき、そのように働いているのを見られる僕は幸いである。44 確かに言っておくが、主人は彼に全財産を任せるに違いない。
45
 しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、男女の召し使いを叩いたり、食べたり飲んだり、酔ったりし始めるならば、46 その僕の主人は、全く思いもよらない日と時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。47 主人の思いを知りながらそのとおりに用意もせず、働きもしなかった僕は、ひどく叩かれる。48 しかし、知らずにいて打たれるような働きをした者は、叩かれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 またマルコ1333-37には次のように記されています。
33 「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたは知らないからである。34 それはちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに責任を与えてそれぞれに仕事を託し、門番には目を覚ましているようにと、言いつけるようなものである。35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴く頃か、明け方か、あなたがたには分からないからである。36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
37
 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」”(聖書協会共同訳)とあります。

「主よ、このたとえは私たちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」(ルカ1241)とペテロはイエス様に質問しました。マルコの福音書の方では、はっきりと「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(マルコ1337)と記されています。

主イエス様とキリスト者の関係は、愛においては夫と妻との関係を持ちつつ、働きに関しては主人としもべの関係です。主は忠実なしもべを喜ばれます(マタイ2521.23、ルカ1917)。

愛の観点からいえば、主を愛しているならば、愛の故に夫である主に対して忠実であろうと思います。愛する人の為に忠実であることは苦痛ではありません。

主イエス様という夫は、妻であるキリスト者に対していつも愛にあふれた忠実さを示しています。

イエス様は、マタイ2445-51&ルカ1241-48の中で、ペテロの質問に答えて、上に立てられている者たちに対する報いと警告を語られました。
①主に忠実なものは、忠実であった故に、良き報酬を受ける(マタイ2442-44)。
②主に不忠実であり、主にゆだねられた主のしもべたちを主のみ旨とは反対に、肉に属し悪霊に属するようなあり方で好き勝手に扱うようなしもべは、報酬としてお仕置きを受ける(マタイ2445-48)、というものです。

 今日の個所は、一見すると上に立てられた者に対することだけのように読んでしまいますが、キリスト者は全員が天においてキリストの裁きの座に立たされます(2コリント510)。ですから、全てのキリスト者が主に対して忠実であるか不忠実であるかを問われるのです。
私は、何をしたらよいのかわからない、という方もいるかもしれません。
少しの助けになるかもしれませんので、ローマ12章の聖句を記しておきます。
3 ・・・、あなたがた一人一人に言います。分を越えて思い上がることなく、神が各自に分け与えてくださった信仰の秤〔直訳「物差し」(欄外注)〕に従って、慎み深く思うべきです。
4
 一つの体の中に多くの部分があっても、みな同じ働きをしているわけではありません。
それと同じように、5 私たちも数は多いが、キリストにあって一つの体であり、一人一人が互いに部分なのです。
6
 私たちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、7 奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に、教える人は教えに、8 勧める人は勧めに専念しなさい。分け与える人は惜しみなく分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。”(聖書協会共同訳)とあります。

 それでも、自分がどうしたらよいのか、よくわからないという方のために、すこし加筆します。
キリスト者は、主を賛美するご奉仕が出来ます(エペソ16.12.14)。
キリスト者はとりなしの祈りをする祭司の働きが出来ます。
主と兄姉に仕えることは奉仕です。
使徒9章に記されているドルカスは、奉仕をしなければならない、と考えたのではなく、姉妹たちを愛する愛のゆえに、自分の出来ることをしたのです(使徒936-41)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
主を愛し、主を愛する故に主にお従いし、主に仕える者であらせてください。
そのような日々を送らせていただきつつ、主が迎えに来てくださる日を待つ者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月18日 (金)

箴言24:11.12 主の福音を語ろう

 箴言2411.12には次のように記されています。
11 死に渡されるために捕らえられた者を救い出し、殺されようとしてよろめき歩く者を助け出せ。
12
あなたが「そのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それをご存じないだろうか。人の行いに応じて、報いをされないだろうか。”(2017)とあります。

 箴言2411.12をリビングバイブルは「無実の罪で死刑を宣告された人を助けなさい。その人が殺されるのを、黙って眺めてはいけません。『全く知らなかった』ととぼけても、神の目はごまかせません。神はそれぞれの行いにふさわしく報いるのです。」と意訳しています。

 リビングバイブルの訳は、裁判における場合を言っているのだろうと思います。
冤罪(無実の罪)によって罰せられることがないように、捜査機関も裁判関係者も裁判に呼ばれた証人も神ヤハウェ(主)の御前に正しく歩むべきことを教えているように思います。

 真実を知っているのに、その真実を述べないと、真実を知っている人が主に裁かれることになるのでしょう。
良いことでも悪いことでも蒔いたものは刈り取るor報いを受けることになるのですから(ガラテヤ672コリント510)。

 聖書協会共同訳は“11 死に捕らえられた人を助け出せ。殺戮を前におびえる人への〔助けを(訳者補足)〕惜しむなら、12 たとえ『知らなかった』と言っても、心を見極める方はそれを調べる。あなたの魂を見守る方は知っていて、人間の行いに応じて報い返されるだろう。”と訳しています。

 口語訳聖書は、“11 死地にひかれゆく者を助け出せ、滅びによろめきゆく者を救え。12 あなたが、われわれはこれを知らなかったといっても、心をはかる者はそれを悟らないであろうか。あなたの魂を守る者はそれを知らないであろうか。彼はおのおのの行いにより、人に報いないであろうか。”と訳しています。

 魂的に捉えると、福音を知らずに滅びに向かっている人に福音を提供しなさい、と言われているようにも思えます。
新約聖書の中には次のような聖句があります。
 マタイ28章には、
16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスの指示された山に登った。
17
 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
18
 イエスは、近寄って来て言われた。
「私は天と地の一切の権能を授かっている。19 だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、20 あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

 パウロは、弟子のテモテに次のように語りました。2テモテ4章には、
1 神の前で、そして生きている者と死んだ者とを裁かれるキリスト・イエスの前で、その出現と御国とを思い、私は厳かに命じます。
2
 御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを続けなさい。忍耐と教えを尽くして、とがめ、戒め、勧めなさい。
3
 誰も健全な教えを聞こうとしない時が来ます。その時、人々は耳触りのよい話を聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、4 真理から耳を背け、作り話へとそれて行くようになります。5 しかしあなたは、何事にも身を慎み、苦しみに耐え、福音宣教者の働きをなし、自分の務めを全うしなさい。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 ペテロ(ペトロ)は、全てのキリスト者に向けて次のように語りました。1ペテロ3章に、
14 たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。
15
むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。」(2017)と記されています。

 キリスト者は、最低限、証しすることが求められているように思えます。
一方、強迫的に魂を救わなければならない、となってしまっている人もいます。
主イエス様でも、全ての魂を救えたわけではないのです。
神様は、人に、自由意思を与えたからです。
神様は、最後の最後は、天使をも用いて、永遠の福音をすべての人に伝えるのです(黙示録146.7)。
キリスト者は、イエス・キリストの福音を伝えます。
天使の語る福音には、イエス・キリストによる贖いが入っていません。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
個人的になりますが、主の導きに従って、福音を語る者であらせてください。
主が、福音を語る対象者を与えてくださいますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月17日 (木)

詩篇87篇 永遠の神の都とキリスト者

 詩篇87篇には次のように記されています。
1 コラの子たちの詩。賛歌。歌。
主が礎を築いた都は聖なる山々の上にある。
2
 主はヤコブのすべての住まいにまさってシオンの門を愛される。
3
 神の都よ、あなたの栄光が語られる。〔セラ
4
 「私はラハブとバビロンを、私を知る者として挙げる。見よ、クシュと共に、ペリシテとティルスも。この者はそこで生まれたと。」
5
 シオンについては、「この者もあの者もそこで生まれた」と言われる。これを堅く据えるのはいと高き方。
6
 主はもろもろの民を数え上げる。「この者はそこで生まれた」と記すときに。〔セラ
7
 歌う者も踊る者も言う。「私の泉〔源(みなもと){新共同訳}〕はすべてあなたの内にある」と。”(聖書協会共同訳)とあります。

 201544日の小生のブログには、以下のように記しました。
“この詩は預言詩であると思います。
ダビデが攻め取ったシオンの要害は、エブス人の町でした。そして、ダビデは、シオンをダビデの町としました。(2サムエル56.7
シオンはエルサレムの別名としても使われています。
ダビデの時代に、神の箱はダビデの町シオンにおかれたのです。

その後、エルサレムと呼ばれる地域は拡大しました。
ソロモンの神殿は、ダビデの町の北側にあったアラウナの打ち場(ダビデが買い取っていた)に建てられました。
イエス様が地上におられた時代のエルサレムは、その時よりも広い地域になっていました。
 やがて、キリストの1000年王国が訪れます。
その時代のイスラエルの土地や聖所、神殿はエゼキエル40章以降に記されています。
また、ゼカリヤ1416には、「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。」(新改訳)と記されています。
その時代、教えはシオンから出るのです。(イザヤ21-3
そして1000年間の平和が訪れます。(イザヤ24

 千年王国の後、天のエルサレムが地に降りて来ます。(黙示録211.2
この新エルサレムの門は12の門からなっています。(黙示録2112
新エルサレムの大きさは、12000スタディオン、注解付新改訳の注によると2220kmの立方体になります。(黙示録2116
 新エルサレムはキリストの花嫁であり(黙示録219.10)、高価な宝石のように美しく、かつ透き通っているのです(黙示録2111)。また、光り輝いています。光の源は、父なる神様と御子なのです(黙示録2122.23)。

ペテロは、1ペテロ24.5で「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」(新改訳)と記しています。

アダムは土で造られました。キリスト者は、生ける石、と呼ばれています。やがて天のエルサレムで見るキリスト者は神の光をよく通す宝石の様な石となっていると喩えられています。

地上にあっても、魂がきよめられると、霊の内におられる主の光が透過していくことでしょう。そして霊的には美しく見えることでしょう。”と。

 今回は、この文章に少し付け加えたいと思います。
5-7
節を2017は次のように訳しています。
5 しかしシオンについてはこう言われている。「この者もあの者もこの都で生まれた。いと高き方ご自身がシオンを堅く建てられる」と。
6
主が「この者はこの都で生まれた」と記して、国々の民を登録される。セラ
7
歌う者も踊る者も「私の泉はみなあなたにあります〔わたしの源はすべてあなたの中にある(新共同訳)〕」と言う。”と。

 新生したキリスト者の霊の源と天のシオンの関係について、ガラテヤ426-31には次のように記されています。
26 他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です
27
なぜなら、次のように書いてあるからです。「喜べ、子を産まない不妊の女よ、喜びの声をあげて叫べ、産みの苦しみを知らない女よ。一人取り残された女が夫ある女よりも、多くの子を産むから。」
28
ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。
29
けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、〔神の霊(筆者挿入)〕によって生まれた者を迫害したように、今も同じようなことが行われています。
30
しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になっては ならないからである」と書いてあります。
31
要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。”(新共同訳)とあります。

 ヨハネ33には、「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(2017)という主イエス様の御言葉が記されています。
「新しく」と訳されている語のギリシア語原語は「アノーセン」という語で、上から、第一から、新たに再び、等の意があります。

 詩篇875.6を読むと、へブル1222-24を思い出す人も多いのではないかと思います。へブル12:12-14には、
12 しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、13 天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、14 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
天のエルサレムでの生活を待ち望んでいます。
その時まで、与えられた地上での歩みを主に在って1日1日有意義に過ごしていくことが出来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月16日 (水)

申命記27:9.10 主の民と律法

 申命記279.10には次のように記されています。
9 ついで、モーセとレビ人の祭司たちとは、すべてのイスラエル人に告げて言った。静まりなさい。イスラエルよ。聞きなさい。きょう、あなたは、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の民となった。
10
あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に聞き従い、私が今日あなたに命じる主の命令と掟を行いなさい。”(2017)とあります。

 少し前の申命記2617-19には次のように記されています。
16 今日、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、これらの掟(おきて)と法(ほう)を行うように、あなたに命じておられる。あなたはそれを、心を尽くし、魂を尽くして守り行わなければ ならない。
17
 今日あなたは、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を神とし、主の道を歩み、その掟と戒めと法を守り、その声に聞き従います」と明言したので、
18
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕も、今日あなたに向かってこう宣言された。「あなたに告げたように、あなたは主の宝の民となり、すべての戒めを守る。
19
 主はあなたに賛美と名声と誉れを与えて、主が造られたすべての国民の上に高く上げる。あなたは、主があなたに告げたように、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の聖なる民となる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 申命記2617によると、旧約の民は、「ヤハウェを神とし、主の道を歩み、その掟と戒めと法を守り、その声に聞き従います」と明言〔誓約(2017)〕した、とあります。
 それを受けて、“モーセとレビ人の祭司たちとは、すべてのイスラエル人に告げて言った。静まりなさい。イスラエルよ。聞きなさい。きょう、あなたは、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の民となった。あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に聞き従い、私が今日あなたに命じる主の命令と掟を行いなさい。”(申命記279.10)と語ったのです。

 しかし旧約の民は、これらの律法を完全には守り行うことが出来なかったのです。
旧約の民は、自力で、律法を守ることが出来ると考えたのではないかと思います。
人は、堕罪したアダムのゆえに生まれながらに罪の性質を持って生まれてきているということを考えもしなかったのではないかと思います。

 パウロは、ローマ7章で次のように述べています。
5 私たちが肉にあったときは、律法による罪の欲情が五体の内に働き、死に至る実を結んでいました。/
7
 では、何と言うべきでしょうか。律法は罪なのか。決してそうではない。だが、律法によらなければ、私は罪を知らなかったでしょう。律法が「貪るな」と言わなかったら、私は貪りを知らなかったでしょう。
8
 しかし、罪は戒めによって機会を捉え、私の内にあらゆる貪りを起こしました。律法がなければ罪は死んでいたのです。
9
 私は、かつては律法なしに生きていました。しかし、戒めが来たとき、罪が生き返り、
10
 私は死にました。命に導くはずの戒めが、私にとっては死に導くものとなりました。
11
 罪が戒めによって機会を捉え、私を欺き、その戒めによって私を殺したのです。
12
 実際、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖なるもの、正しいもの、善いものです。
13
 それでは、善いものが私に死をもたらすものとなったのでしょうか。決してそうではない。罪は罪として現れるために、善いものによって私に死をもたらしました。こうして、罪は戒めによってますます罪深いものとなりました。”(聖書協会共同訳)とあります。
パウロに限らず、アダムの末裔である私たち人間は、一人として律法を守り切ることなどできません。

 パウロは律法の役割についてどのように述べたのでしょう。
聖書辞典の律法の項の担当執筆者は、J.マーレイの書を基に次のように記しています。
 律法とは、
A.罪を知らせる(ロマ3:20,7:7)。
B
.罪を増し加える(ロマ5:20)。
C
.霊的なものである(ロマ7:14)。
D
.行う義務がある(ガラ5:3)。
E
.人をのろいのもとにおく(ガラ3:10,13)。
F
.義とすることはできない(ガラ3:11)。
G
.キリストに導く養育係である(ガラ3:24)。
したがって律法はキリストにおける究極的完成を目標としている。すなわち人間に代って律法の命じるすべてのことをなし遂げたキリストは、律法ののろいからすべての人を解放したのである(ロマ5:19,ガラ3:11,13)。
キリストを信じる者は義とされて律法に死に、律法は彼に対して死んだものとなる(ガラ2:19)。
信者〔キリスト者(筆者挿入)〕は御霊によって律法ののろいから自由にされる(ガラ5:1)が、それは無律法主義者となることではない。
彼ら〔キリスト者(筆者挿入)〕はモーセの律法にではなく、キリストの律法に支配される(コリ7:19,ガラ6:2)。
彼ら〔キリスト者(筆者挿入)〕は愛のゆえに命令を守り、キリストを通して隣人を愛するのである(ロマ13:9.参照ヨハ3:16)。
信者〔キリスト者(筆者挿入)〕はキリストと霊的に一体とされ、律法を実現する(ロマ3:31)。
したがって、律法を支持し、キリストの律法に服することは信者の義務である。「義認の賜物は服従の使命にかりたてる」”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
恵みによって救われる道を備えてくださいましたことを感謝します。
エペソ28には、“あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。”(新改訳初版~第三版)とありますが、何とか救われたいと願ったときに、信仰も与えられたのだなー、とつくづく思います。
感謝しつつ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月15日 (火)

マタイ24:31.36-44 終末と満了14/キリストの空中再臨と携挙

 マタイ2431.36-44には次のように記されています。
31 人の子は、大きなラッパの響きとともに天使たちを遣わし、天の果てから果てまで、選ばれた者を四方から呼び集める。/
36
 「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
37
 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
38
 洪水になる前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
39
 そして、洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気が付かなかった。人の子が来る場合も、このようである。
40
 その時、畑に二人の人がいれば、一人は取られ、一人は残される。
41
 二人の女が臼を挽いていれば、一人は取られ、一人は残される。
42
 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が来られるのか、あなたがたには分からないからである。
43
 このことをわきまえていなさい。家の主人は、盗人が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に忍び込ませたりはしないだろう。
44
 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 31節をリビングバイブルは、“ラッパが高らかに鳴り響く中で、わたしは天使たちを遣わします。天使たちは、天と地の果てから果てまで行き巡り、選ばれた者たちを集めるのです。”と意訳しています。

 天と地の両方から選びの民が集められるのはキリストの空中再臨に伴う携挙の時です。
まず御父は、御子であり、主であるキリスト・イエス様に、キリストの空中再臨の時が来たことを知らせるのでしょう。
私たちの主であるキリスト・イエス様は、大きなラッパの響きとともに天使たちを遣わすのです。そして、天使たちは、天と地の果てから果てまで行き巡り、選ばれた者たちを集めるのです。

 1コリント1551-54には、
50 きょうだいたち、私はこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできません。また、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐこともありません。
51
 ここで、あなたがたに秘義〔奥義(口語訳、新改訳)〕を告げましょう。私たち皆が眠りに就くわけではありません。しかし、私たちは皆、変えられます。
52
 終わりのラッパの響きとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴り響くと、死者は朽ちない者に復活し、私たちは変えられます〔霊のからだを与えられます(筆者挿入)〕。
53
 この朽ちるものは朽ちないものを着、この死ぬべきものは死なないものを必ず着ることになるからです。
54
 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利に呑み込まれた。」〔イザヤ258、ホセア1314参照(筆者挿入)〕”(聖書協会共同訳)と記され、
 1テサロニケ414-17には、
14 私たちは、イエスが死んで復活されたことを確かなことと信じています。ですから、イエスが帰って来られる時、すでに死んで世を去ったすべてのクリスチャンを、神が共に連れて来てくださると信じてよいのです。
15
私は主から直接聞いたとおりを伝えるのですが、主が再び来られる時、私たちがまだ生きていたとしても、すでに墓の中にいる人たちをさしおいて主にお会いすることは、断じてありません。
16
主は、大号令と、天使長の声〔天使長は天使たちに命令を発するのでしょう(筆者挿入)〕と、神の召集ラッパの響きと共に、天から下って来られます。その時、まず最初に復活して〔霊のからだが与えられて(筆者挿入)〕主にお会いできるのは、すでにこの世を去っているクリスチャンです。
17
それから、なお生きて地上に残っている私たちが、いっしょに雲に包まれて引き上げられ、空中で主とお会いするのです。そして、いつまでも主と共に過ごすことになります。”(リビングバイブル)と記されています。
 脱線しますが、続く1テサロニケ418には、“ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。”(2017)と記されています。

 携挙は、携挙の準備が整うと起こるのです。
マタイ2437-39には、
37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
38
 洪水になる前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
39
 そして、洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気が付かなかった。人の子が来る場合も、このようである。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 ノアの箱舟に、入るべき人や動物が入った後、神様が箱舟の戸を閉めたのです。
創世記7章には次のように記されています。
13 まさにその日、ノアは、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、そして息子たちの三人の妻と一緒に箱舟に入った。
14
 彼らと共に、それぞれの種類のあらゆる獣、それぞれの種類のあらゆる家畜、それぞれの種類のあらゆる地を這うもの、それぞれの種類のあらゆる鳥、あらゆる小鳥、あらゆる翼あるもの、15 すなわち、命の息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ、ノアのもとに来て箱舟に入った。
16
 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。神がノアに命じられたとおりであった。そこで主は、その後ろの戸を閉じられた。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 ルカ17章では、ノアのときだけではなく、ロトの時のことも次の様に記されています。
26 ノアの時にあったようなことが、人の子の時にも起こるだろう。
27
 ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が来て、一人残らず滅ぼしてしまった。
28
 ロトの時にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、29 ロトがソドムから出て行った日に、火と硫黄が天から降って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ロトの話を詳しく知るためには、創世記1816-1929を読む必要があります。
ロトの場合も、主の御言葉を信じた3人の者だけが助かったのです。
ロトの奥さんは、世に未練があったために滅びました(創世記1926)。
ロトの二人の娘を娶(めと)る婿たちは、神のことばを信じなかったので滅びました(創世記1914)。

 主の御怒りの日が始まる前に、キリストの空中再臨があります。
そして、キリストの空中再臨の時に携挙されるのです。
地上に残される人は、これらのことを見ることが出来ません。
携挙された人の服を見ることはできるでしょうが(このように推測できるのはヨハネ205-7によります)。

 黙示録3102017は、“あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったので、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には、わたしもあなたを守る。”と訳していますが、
直訳すると、前田訳のように、
“なんじはわが忍耐のことばを守ったから、わたしもなんじを試みの時から守ろう。それは地に住むものを試みるために、全世界にのぞもうとしている。”と訳すことが出来ます。

 前田訳の様に訳せる理由は、1テサロニケ415-59を読めばわかります。
特に、1テサロニケ59には、
神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。”(2017)と記されています。
神の御怒りは、黙示録6.8.9.16章、1919-203.7-10に記されています。そしてその後今の天地は滅ぼされ、最後の審判に移るのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
イエス・キリスト様の十字架と復活を感謝します。
イエス・キリスト様の贖いの血潮に感謝します。
携挙していただけますことを感謝します。
あなたの御名が崇められ、賛美されますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月14日 (月)

マタイ24:29.28 終末と満了13 キリストの再臨2

 マタイ2429には、
“「それらの日に起こる苦難の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の諸力〔別訳「万象」(欄外注)、「諸力」と訳されている語のギリシア語原語は「デュナミス」(力)の複数形です。〕は揺り動かされる。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 このような預言は、旧約聖書にも記されており、ヨエル2章には、
10 地はその前で震え、天も揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。11 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はご自分の軍隊の先頭に立って声をあげられる。その陣営は非常に大きく、主のことばを行う者は強い。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられるだろう。/
31
主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。”(2017)とあります。

 黙示録612-17の第6の封印が開かれた個所には次のように記されています。
12 また、小羊が第六の封印を解いたとき、私が見ていると、大地震が起きた。太陽は毛織の粗布のように暗くなり〔太陽は黒布で覆われたように暗くなり(リビングバイブル)〕、月は全体が血のようになって、13 天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようであった〔そして、星が地上に落ちたのです。まるで、いちじくの青い実が、大風にばらばらと振り落とされるようでした(リビングバイブル)、多くの隕石が落ちてきたのかもしれません(筆者挿入)〕。
14
 天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
15
 地上の王、高官、将校、富める者、力ある者〔身分の高い人(リビングバイブル)〕、また、すべての奴隷も自由人も洞穴や山の岩間に身を隠した。16 そして、山と岩に向かって言った。
「私たちの上に覆いかぶさって、玉座におられる方の顔と小羊の怒りから、私たちをかくまってくれ。17 神と小羊の大いなる怒りの日が来たのだ。誰がそれに耐えられようか。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 マタイ2429の中には、“星は天から落ち”とありますが、
黙示録613にも、“天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようであった。”(聖書協会共同訳)とあり、
黙示録810.11の第3のラッパの災いの時には、
10 第三の御使いがラッパを吹いた。すると、天から、たいまつのように燃えている大きな星が落ちて来て、川の三分の一とその水源の上に落ちた。
11
この星の名は「苦よもぎ」と呼ばれ、水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。”(2017)と記されています。

 また、マタイ2429の中には、“たちまち太陽は暗くなり”ともありますが、
黙示録612以外にも、黙示録1610.11には、
10 第五の御使いが鉢の中身を獣の座に注いだ。すると、獣の王国は闇におおわれ、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。
11
そして、その苦しみと腫れもののゆえに天の神を冒瀆し、自分の行いを悔い改めようとしなかった。”(2017)と記されています。

 また、マタイ2429の中には、“天の諸力は揺り動かされる”とありますが、天の諸力を堕天使集団と仮定すると、黙示録127-9には、
7 さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその天使たちが竜〔悪魔{サタン}(筆者挿入)〕に戦いを挑んだのである。竜とその使いたち〔堕天使集団(筆者挿入)〕もこれに応戦したが、8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。
9
 この巨大な竜、いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者は、地上に投げ落とされた。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 イザヤ24章には次のように記されています。
17 地に住む者よ。恐怖と落とし穴と罠があなたに臨む。
18
 恐怖の叫びから逃れる者は落とし穴に落ちる。落とし穴の中から這い上がる者は罠に捕らえられる。天の水門は開かれ、地の基は震え動く。
19
 地は裂けに裂け、地は破れに破れ、地は揺れに揺れる。
20
 地は酔いどれのようによろめき、仮小屋のように揺れ動く。地の背きは地の上に重く、地は倒れて再び起き上がることはない。〔地のそむきの罪と大地震との関連性を想起させます(筆者挿入)〕
21
 その日になると、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は罰する。天上では天上の軍勢を、大地の上では大地の王たちを。
22
 彼らは、囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、長い月日がたった後、罰せられる。
23
 月は辱められ、太陽は恥じる。シオンの山において、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が王となられ、エルサレムにおいて、長老たちの前にその栄光を現されるからだ〔キリストの千年王国時代のことでしょう(筆者挿入)〕。”(聖書協会共同訳)とあります。

マタイ24:28には、“屍〔「死体」(口語訳、新改訳)〕のある所には、禿鷲が集まるものだ。”(聖書協会共同訳)とあります。
この個所を読むと、黙示録19章を思い浮かべます。黙示録19章には次のように記されています。
11 それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方〔再臨のキリスト(筆者挿入)〕は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。
12
 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。
13
 この方は血染めの衣を身にまとい、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
14
 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い上質の亜麻布を身にまとい、この方に従っていた。
15
 この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。そして、この方はぶどう酒の搾り桶を踏む。そのぶどう酒には、全能者である神の怒りが込められている。
〔この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。(2017)〕
16
 この方の衣と腿(もも)には、「王の王、主の主」という名が記されていた。
17
 また私は、一人の天使が太陽の中に立っているのを見た。この天使は大声で叫び、空高く飛んでいるすべての鳥にこう言った
さあ、神の大宴会に集まれ18 王の肉、将校の肉、権力者たちの肉を食らえ。また、馬とそれに乗る者の肉、あらゆる自由人、奴隷、小さな者や大きな者たちの肉を食らえ。」
19
 私は、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢と戦うために、集まっているのを見た。
20
 しかし、獣〔反キリスト(筆者挿入)〕は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、偽預言者は、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者を惑わしたのである。獣も偽預言者も、生きたまま硫黄の燃え盛る火の池に投げ込まれた。
21
 残りの者たちは馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるまで食べた。”(聖書協会共同訳)とあります。
17.18.21
節には、鳥が死体を食べることが預言されています。この戦いはエルサレムを中心とするユダヤの地で行われます(ゼカリヤ12章)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを崇めます。
あなたは罪が満ちたときには、その裁きをなさるお方です。
しかし、あなたは愛のお方であられ、決定的な裁きをなさる前に、救いの道をイエス・キリスト様によって開いてくださいました。
見ずに信じる者は幸いである、と言われている時代に救いにあずからせていただきました恵みを感謝します。
神の子どもとして、キリストの花嫁として、ふさわしくお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月13日 (日)

マタイ24:22-31 終末と満了12キリストの再臨1

 マタイ2415-18には次のように記されています。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――
16
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
17
 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
18
 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。
15-18
節については、89日のブログに記しました。

 15節から「ヤコブにも苦難の時」(エレミヤ307)と言われている大患難時代が始まるのです。そして、19節の「それらの日」へと繋がるのです。そして、その苦難からの解放はメシア(キリスト)の地上再臨によらなければ成就しないのです。メシアの来臨にはフェイクニュースが伴います。
 マタイ2419-27.30には次のように記されています。
19 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある。
20
 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
21
 その時には、世の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
22
 神がその期間を縮めてくださらなければ、誰一人救われない。しかし、神は選ばれた人たち〔この文脈ではユダヤ人のことです(筆者挿入)〕のために、その期間を縮めてくださるであろう。
23
 その時、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
24
 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。〔2テサロニケ29-12参照(筆者挿入)〕
25
 あなたがたには前もって言っておく。
26
 だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、出て行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

マタ 24:27.30には、“27 稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子もそのように来るからである。/30 その時、人の子の徴が天に現れる。そして、その時、地上のすべての部族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。”(聖書協会共同訳)と記されています。
この節に関連する他の聖書個所の預言を見ることにします。
 ゼカリヤ12章には、再臨のメシア(キリスト)は、十字架の跡がわかるように再臨されると記されています。一応12章全部を下記します。
1 託宣。イスラエルに対する主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の言葉。天を広げ、地の基を据え、人の霊をその中に造られた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。
2
 私はエルサレムを杯(さかずき)とし、周囲のすべての民をよろめかす。エルサレムが包囲されるとき、ユダも同様になる。
3
 その日になると、私はエルサレムをすべての民にとって石の重しとする。それを担ぐ者は皆、深い傷を負う。地上のすべての国民は、エルサレムに向かって集まる〔エルサレムの包囲の前にハルメギド{ハルマゲドン}という場所に全世界の軍を招集します。黙示録1612-16参照。その後にエルサレムに向けて進軍します。(筆者挿入)〕。
4
 その日には、私はすべての馬を打って慌てさせ、乗り手を狂わせる――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。そしてユダの家の上に目を開いて、もろもろの民の馬をすべて打ち、目を見えなくする。
5
 ユダの首長たちは心の中で言う。「エルサレムの住民は、彼らの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕によって私の力となる。」
6
 その日、私はユダの首長たちを薪(たきぎ)で燃える火鉢のように、また麦束で燃える松明(たいまつ)のようにする。その火は左右に燃え広がり、周りにいるすべての民を焼き尽くす。こうしてエルサレムは、その場所エルサレムにそのままとどまる。
7
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は初めにユダの天幕を救われる。それは、ダビデの家の誉れとエルサレムの住民の誉れをユダ以上に大きくしないためである。
8
 その日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はエルサレムの住民を守られる。その日、彼らの中の弱い者もダビデのようになる。そしてダビデの家は、彼らの前で神のように、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使いのようになる。
9
 その日になると、私はエルサレムに攻めて来る諸国民をすべて滅ぼす。
10
 私はダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。
彼らは、自分たちが刺し貫いた者のことで私を見て、独り子の死を嘆くように嘆き、初子の死を悼むように悼む。
彼らは、自分たちが突き刺した者、わたし{ヤハウェ(主)すなわちキリスト(筆者挿入)}を仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。(2017)〕
11
 その日、エルサレムでは、メギドの平野におけるハダド・リモンの嘆きのように、その嘆きは大きくなる。〔エルサレムの住民によるヨハネ169の罪の悔い改め。(筆者挿入)〕
12
 この地は氏族ごとにそれぞれ嘆く。
ダビデの家の氏族は彼らだけで嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。
ナタンの家の氏族は彼らだけで嘆き、 その妻たちも彼女たちだけで嘆く。
13
 レビの家の氏族は彼らだけで嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。
シムイの氏族は彼らだけで嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。
14
 残りの氏族もすべて氏族ごとにそれぞれ嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。”(聖書協会共同訳)とあります。
 続くゼカリヤ131には、“その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。”(2017)と記されています。

 この出来事によって、ローマ1126.27に記されていることが起こるのでしょう。
ローマ11章には、“26 こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。
27
これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。”(2017)と記されています。

 悔い改めて、イエシュア(イエス)をメシア(キリスト)と信じた契約の民、すなわち選びの民(ヤコブの子孫)であるイスラエル人は救われるのです。

 エレミヤ31章には次のように記されています。
31 その日が来る――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。私はイスラエルの家、およびユダの家と新しい契約を結ぶ。
32
 それは、私が彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に結んだ契約のようなものではない。私が彼らの主人であったにもかかわらず、彼らは私の契約を破ってしまった――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。
33
 その日の後、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。私は、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心に書き記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。
34
 もはや彼らは、隣人や兄弟の間で、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を知れ」と言って教え合うことはない。小さな者から大きな者に至るまで、彼らは皆、私を知るからである ――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。私は彼らの過ちを赦し、もはや彼らの罪を思い起こすことはない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 このときのキリストの再臨は、キリストの地上再臨です。
このことが起こる前に天において、花婿キリストと花嫁教会(恵みの時代に救われて天に挙げられたキリスト者の総体)は、結婚式を済ませています(黙示録196-8)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
あなたのご計画は成就しますから御名を崇めます。
私たち主に在るキリスト者は、あなたの現われの時を待ち望んでいます。
とともに、あなたが迎えに来てくださるまでは、あなたの導きに従い、御聖霊の助けを頂いて歩んでまいります。
今日も主を賛美しながら歩むひと日とさせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月12日 (土)

箴言24:10 苦難の内にあればあるほど主とともに

 箴言2410を諸日本語訳聖書は次のように訳しています。
聖書協会共同訳は、“苦難の日には心が萎え、力が弱まる。”と訳し、
フランシスコ会訳は、“もし、お前が悩みの日に挫けるなら、お前の力はほんとうに弱い。”と訳し、
口語訳は、“もしあなたが悩みの日に気をくじくならば、あなたの力は弱い。”と訳し、
リビングバイブルは、“逆境のとき苦しみに耐えられないような者は弱虫です。”と訳し、
新改訳は、“もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。”と訳しています。

 「気落ちする」(新改訳)、「心が萎える」(聖書協会共同訳)、「気がくじける」(口語訳、フランシスコ会訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーファー」です。

 「気」という単語が出てきますが、生まれつきのように思える気力旺盛な人がいる一方、何につけてもやる気のない人、気力の湧かない人というような人もいます。

 また、劣等感、恨み、怒り、等をバネに気力を充実させている人もいますし、愛する者のために、あるいはまた何かの使命を持っているゆえに気力をupさせている人もいます。

 それだけではなく、悪しき霊との交わりによって、悪しき思いを実現するために気力の充実している人もいますし、恐ろしいことに反キリストのように、悪魔(サタン)から力を与えられて気力の充実する人もこれから出てきます。
黙示録13章には、反キリストについての記述の一端が次のように記されています。
1 また私は、一頭の獣〔反キリスト(筆者挿入)〕が海から上って来るのを見た。その獣には十本の角と七つの頭があり、角には十の王冠、頭には神を冒涜する名があった。
2
 私が見たこの獣は豹に似ていて、足は熊のようで、口は獅子のようであった。竜〔サタン(筆者挿入)〕この獣〔反キリスト(筆者挿入)〕に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた
3
 獣は頭の一つに死ぬほどの傷を受けたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。
4
 竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。「誰がこの獣と比べられよう。誰がこの獣と戦うことができようか。」
5
 この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。
6
 そこで、獣は口を開いて神を冒涜し、神の名とその幕屋、天に住む者たちを冒涜した。
7
 獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 聖書には、反キリストだけではなく、各時代の帝国に君臨している堕天使長の記述があります。
ダニエル10章には、ペルシア帝国、ギリシア帝国についての記述が次のように記されています。
12 彼は私に言った。「ダニエルよ、恐れるな。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだった最初の日から、あなたの言葉は聞かれているからだ。私はあなたの言葉のゆえにやって来た。
13
 ペルシアの王国の天使長〔「君」(文語訳、口語訳、新改訳)。堕天使の長、すなわちサタン(筆者挿入)〕が私の前に二十一日間立ち塞がったが、見よ、偉大な天使長の一人ミカエルが私を助けるために来た。そこで、私はペルシアの王たちのもとに彼を残した。
14
 私は、終わりの日にあなたの民に起こることをあなたに悟らせるために来た。その日についてなお幻がある。」/
19
 彼は言った。「恐れるな、愛される者よ。あなたは安らいで、強くあれ。強くあれ。」彼〔神の使者である霊的存在者(筆者挿入)〕に語りかけられ、私〔ダニエル(筆者挿入)〕は力を取り戻して、言った。「主よ、 お話しください。あなたは私を力づけてくださいました。」
20
 そこで、彼は言った。「なぜ私があなたのところに来たか、分かるか。今、私はペルシアの天使長と戦うために帰る。私が出て行くと、ギリシアの天使長〔堕天使の長、すなわちサタン(筆者挿入)〕がやって来る。”(聖書協会共同訳)とあります。

 サタンの王国には階級があります。
エフェソ611.12には、“悪魔の策略に対してしっかりと立つことができるように、神の武具を身につけなさい。12なぜなら、わたしたちにとっての戦いは、血と肉からなる人間相手のものではなく、支配の霊や権威の霊に対するもの、いわば、この闇の世界の権力者たちに対するものであり、天の者たちの間にいる、邪悪な霊に対するものだからです。”(フランシスコ会訳)と記されています。
聖書協会共同訳は、12節を、“私たちの戦いは、人間に対するものではなく、支配、権威、闇の世界の支配者、天〔ギリシア語原語は「エプラニオス」で、その原義は、「空の上」で、天、空、の意でも使われます。(筆者挿入)〕にいる悪の諸霊に対するものだからです。”と記しています。

 目には見えなくても、これらの諸霊が憑(つ)いている神に敵対している人たちは気力旺盛なのです。

 私たち、キリスト者は、キリストに在って、また父なる神によって強くされる必要があります。
パウロは、弟子のテモテに、「私の子よ、キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」(2テモテ212017)と述べています。
またパウロは、「私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」(コロサイ1292017)と証しています。
旧約聖書の中にも、有名な聖句があります。
28 あなたは知らないのか。聞いたことはないのか。
主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は究め難い。29 疲れた者に力を与え、勢いのない者に強さを加えられる。
30
 若者も疲れ、弱り、若い男もつまずき倒れる。
31
 しかし、主を待ち望む者は新たな力を得、鷲のように翼を広げて舞い上がる。走っても弱ることがなく、歩いても疲れることはない。”(イザヤ40章・聖書協会共同訳)とあります。

 キリスト者は、主に在って霊的に強められ、気力を充実させていただき、精神的に強くされるのです。
パウロでさえ恐れるときもあったのです。
使徒189.10には次のように記されています。
9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。10 私はあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、私の民が大勢いるからだ。」”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
キリストに在って強められつつ歩む日常であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・
「日々主はそばにいまし」(勝利Ⅱ80 新聖歌349
“1.移り行く時の間も 悩みに勝つ力 父より受けし我は心に恐れ無し 愛に満てる御神は恵みを日々与え 悩み苦しむときも憩いと安き給う
2.日々主はそばにいまし わが身を憐れみて すべての重荷を負い 慰め助けたもう 力は日ごとに 汝が(なが)求めに従いて 増し加わらんと 主は我に誓い給う
3.悩み激しきときも 主の約束頼み 安けく過行くため 主よ 御言葉給え 疲れしときに助け 御手にすがる我を 常に導き給え 御国に入(い)る日まで”

2023年8月11日 (金)

詩篇86:14-17、11-13 心を常に主に向ける者

 主に敵対し、主を信じる者に敵対する者からの攻撃に対して、主による救いを願う主の信者の祈りの内容が、14-17節に次の様に記されています。
 聖書協会共同訳は、
14 神よ〔エロヒーム(筆者挿入)〕、傲慢な者が私に逆らって立ち、荒ぶる者の群れが私の命を狙っています。彼らは自分の前にあなたを置くことをしません。
15
 わが主よ〔アドナイ(筆者挿入)〕、あなたは憐れみ深く、恵みに満ちた神。怒るに遅く、慈しみとまことに富む方。
16
 私を顧み、憐れんでください。あなたの僕(しもべ)に力を与え、あなたの仕え女(つかえめ)の子を救ってください。
17
 恵みのしるしを私に現してください。私を憎む者たちはそれを見て恥じ入るでしょう。主よ、あなたは私を助け、慰めてくださいます。”と訳し、
 リビングバイブルは、
14 ああ神よ。思い上がった者たちが、公然と向かって来ます。神を退ける横暴な者が、私のいのちをねらっています。
15
しかし主よ。あなたはあわれみ深くてやさしく、短気を起こさず、恵みと真実にあふれています。
16
ですから、あなたのしもべである私をあわれみ、力を与えて救い出してください。
17
私をお心にかけてくださっているというしるしを、見せてください。私が神から助けられ慰められていることを知ったら、私を憎む者たちは恥を見ることでしょう。”と意訳しています。

 この詩は、旧約時代の聖徒であり、信仰の勇者であった「ダビデの祈り」とあります。ダビデは、殺されそうな目に幾たびも遭遇しましたが、主の助けによって助けられ続け、天寿を全うして召された人です。
新約時代においてもこのような「救ってください」という祈りは数多くのキリスト者によってささげられてきたことと思います。
新約時代においては、このような場合、肉体の命が守られるとは保証されていません。
主イエス様は次のように言われました。
「・・・。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ1633・新共同訳)
「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ1028・新共同訳)
記されています。

 新約時代の聖徒であるキリスト者は、肉体の死に直面したとき、死から助け出されるようにと祈った場合、肉体の死から助け出されるとは限りません。
何故でしょう?
私にはよくわかりませんが、主が良しとすることをされるのでしょう。
ただ言えることは、
新生したキリスト者は、すでに永遠の命を持っているということです。
「生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」(ヨハネ11262017)と主イエス様は語られました。
新生したキリスト者の霊と魂は永遠です。
また、体についても、肉の体への復活ではなく、新生したキリスト者は、滅びることなく、力強く、栄光ある霊のからだを、キリストの空中再臨の時に与えられるのです(1コリント1542-44,521テサロニケ416.17)。

 脱線しますが、新生したキリスト者を殺した者は、大変なことになります。
1
コリント317には、“もし、だれかが神の宮〔神殿(新改訳初版~第三版・新共同訳)〕を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。”(2017)と記されています。
また、新生したキリスト者は、この世の終わりには、キリストとともに裁きの座に着くのです。
黙示録204には、“また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。”(2017)と記され、
1
コリント62.3には、“聖徒たちが世界をさばくようになる・・。世界があなたがたによってさばかれる・・。・・。私たちは御使い〔天使(新共同訳)〕たちをさばくようになります。・・・。”(2017)と記されています。

 話を元に戻します。
ダビデは、主に、助けを求める祈りをし、主が助けてくださるお方であることを賛美しました。
 12.13節には次のように記されています。
12 わが神、主よ。心を尽くしてあなたに感謝を献げ、とこしえにあなたの名を崇めます。
13
 あなたの慈しみは私を越えて大きく、私の魂を深い陰府から救い出してくださいました。”(聖書協会共同訳)とあります。

 キリスト者の場合も、様々な困難に遭遇しますが、主は、キリスト者の魂をいつも救い続けてくださいます。
というか、主イエス様を信じさせていただいたキリスト者の魂は、すでに救われているのです(1ペテロ18.9)。

 11節には、「主よ、あなたの道を示してください。私はあなたのまことの内を歩みます。私の思いを一つにし、あなたの名を畏れる者にしてください。」(聖書協会共同訳)とあります。
ダビデは、いつも主を畏れ敬い、主の御教えに従って歩みたいと願っていたのでしょう。
 BIBLE navi は次のような適用注解を記しています。
“・・この祈りは、みなぎる霊的な力のかすかな光をとらえている。「あなたの道を私に教えてください」、「私の心を一つにしてください」という二つの願いが述べられている。それぞれの願いが、神を中心とした目的を持つ。祈っているその人が「あなたの真理〔まこと(聖書協会共同訳)〕の内を歩み」、「御名を恐れる〔畏れる(聖書協会共同訳)〕」という目的である。どれだけ神を知り、神に従っているかにかかわらず、私たちは、神に、私たちの認識と従順を高めてくださるよういつも願うことが出来る。イエスは、これらの願いを、祝福に関する6つ目の聖句で繰り返した。「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」(マタイ58)。この祈りを記憶に刻み込み、頻繁に使おう。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
いつも主イエス様に心を留めて歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月10日 (木)

申命記23:2-9 主の会衆(集会)に加わることのできない者/主イエス・キリストを信じる者はだれでも救われる

 申命記232-9には次のように記されています。
2 睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆〔集会(新改訳)〕に加わることはできない。
3
混血の人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても主の会衆に加わることはできない。
4
アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない。
5
それは、かつてあなたたちがエジプトから出て来たとき、彼らがパンと水を用意して旅路で歓迎せず、アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇って、あなたを呪わせようとしたからである。
6
あなたの神、主はバラムに耳を傾けず、あなたの神、主はあなたのために呪いを祝福に代えられた。あなたの神、主があなたを愛されたからにほかならない。
7
あなたは生涯いつまでも彼らの繁栄や幸福を求めてはならない。
8
エドム人をいとってはならない〔忌み嫌ってはならない(2017)〕。彼らはあなたの兄弟である。エジプト人をいとってはならない〔忌み嫌ってはならない(2017)〕。あなたはその国に寄留していたからである。
9
彼らに生まれる三代目の子孫は主の会衆に加わることができる。”(新共同訳)とあります。
(口語訳、新改訳は、1-8節になります。)

 「主の集会」or「主の会衆」と訳されている語のヘブライ語原語は「カーハール ヤハウェ(主)」です。
70
人訳聖書では、ヘブライ語の「カーハール」をギリシア語の「エクレーシア(エクレシア)」と訳しています(聖書辞典を参照)。

 エクレシアは、日本語訳聖書では「教会」と訳しています。
マタイ1618には、「・・・。私は・・・私の教会を建てる。・・。」というイエス様の御言葉があります。教会はキリストのからだ(エペソ123)でありキリストの花嫁(エペソ532)です。「私の教会」と訳されている語のギリシア語原語は、モウ テーン エックレーシアン、です。「モウ」はmy 「テーン」は定冠詞 です。

 2節には、“睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆〔集会(新改訳)〕に加わることはできない。”(新共同訳)とあります。
(口語訳、新改訳、リビングバイブルは1節になります)
「睾丸のつぶれた者、陰茎を切り取られた者」(新改訳)とは「去勢された男子」(口語訳)です。

2節の条項は、「去勢」がカナンの異教的慣習の一つであったからであろうと、考える者もいる。と新聖書注解は述べています。

私たちは、「去勢」している人として、聖書の中に、「宦官」の語があちこちに出てくるのを見ます。宦官は高官でもありました。

イザヤ561-5には次のように記されています。
1 主はこう言われる、「あなたがたは公平を守って正義を行え。わが救の来るのは近く、わが助けのあらわれるのが近いからだ。
2
安息日を守って、これを汚さず、その手をおさえて、悪しき事をせず、このように行う人、これを堅く守る人の子はさいわいである」。
3
主に連なっている異邦人は言ってはならない、「主は必ずわたしをその民から分かたれる」と。宦官もまた言ってはならない、「見よ、わたしは枯れ木だ」と。
4
主はこう言われる、
わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には5 わが家のうちで、わが垣のうちで、むすこにも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名を与える(口語訳)とあります。

イザヤ561に「わが救い」とありますが、これは主イエス様の贖いによってもたらされた救いであろうと思います。イエス様は、「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」(ヨハネ1232・新共同訳)と言われました。イエス様の贖いの成就の後、エチオピア人の宦官が救われたのです。
 使徒827-39には次のように記されています。
27 そこで、彼〔ピリポ(筆者挿入)〕は立って出かけた。すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、28 その帰途についていたところであった。彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書〔イザヤ53章(筆者挿入)〕を読んでいた。
29
御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。
30
そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。
31
彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。
32
彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、
「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、また、黙々として、毛を刈る者の前に立つ小羊のように、口を開かない。33 彼は、いやしめられて、そのさばきも行われなかった。だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、彼の命が地上から取り去られているからには」。
34
宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。
35
そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。
36
道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。
37
〔これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。〕{37節の〔 〕内は異本による(欄外注)}
38
そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。
39
ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。(口語訳)と記されています。

 新約(新契約)時代は、「睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者」(2)も「混血の人」(3)も「アンモン人とモアブ人」(4)も「エドム人」(8)も「エジプト人」(8)も、悔い改めて、イエス・キリストを主と信じるなら救われてキリストの教会の一員とされるのです。
 ローマ10章には次のように記されています。
9 口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
10
 実に、人は心で信じて義とされ、口で告白して救われるのです。
11
 聖書には、「主を信じる者は、誰も恥を受けることがない〔失望させられることがない(新改訳)〕」と書いてあります。
12
 ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
13
 「主の名を呼び求める者は皆、救われる」のです。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
御名を崇めます。
主の贖いのゆえに、主を信じる者はだれでも救いにあずかることが出来ますからありがとうございます。
この大いなる恵みを備えてくださいましたことを感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月 9日 (水)

マタイ24:15-24 終末と満了11 おもにイスラエル人に対する大患難時代についての警告

 マタイ2415-24には次のように記されています。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――
16
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
17
 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
18
 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。
19
 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある。
20
 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
21
 その時には、世の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
22
 神がその期間を縮めてくださらなければ、誰一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。
23
 その時、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
24
 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 15-18節には次のように記されています。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――16 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。17 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。18 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。”とあります。

 主イエス様が語られたダニエル書の預言は、ダニエル927に記されています。
神様が天使ガブリエルにダニエルに伝えなさいと言われた内容が、ダニエル924-27に次のように記されています。
24 あなたの民〔イスラエル(筆者挿入)〕と聖なる都〔エルサレム(筆者挿入)〕について七十週〔1週は7年。70週は490年(筆者挿入)〕が定められている。
それは、背きを終わらせ、罪を封印し、過ちを償い、永遠の義をもたらすためであり、 また幻と預言を封じ、最も聖なるもの〔ヘブライ語原語は「コーデシュ コーデシーム」。諸日本語聖書の訳:文語訳は「至聖者」口語訳は「いと聖なる者」新共同訳は「最も聖なる者」新改訳は「至聖所」フランシスコ会訳は「いとも聖なるもの」(筆者挿入)〕に油を注ぐためである。
25
 あなたはこれを知って、悟れ。エルサレムを復興し再建せよとの言葉が出され〔B.C.445年のエルサレム再建命令。ネヘミヤ21-8(筆者挿入)〕てから、油注がれた君が来られるまでが七週。また六十二週たつと、その苦しみの時代に、広場と堀は再建される。
26
 六十二週の後、油注がれた者〔キリスト(筆者挿入)〕は絶たれ、彼には何も残らない。都と聖所を次の君主の民〔ローマ軍(筆者挿入)〕が破壊する。その終わりに洪水があり、戦いの終わりまで、荒廃が定められている。
27
 一週〔7年(筆者挿入)〕の間、彼は多くの人々と契約を固め、半週の間、いけにえと供え物を廃止する。憎むべきもの〔偶像(筆者挿入)〕の翼の上に荒廃をもたらすものが座し、ついに、定められた破滅が荒廃をもたらすものの上に注がれる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 24節には「あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。それは、背きをやめさせ、罪を終わらせ、咎の宥めを行い、永遠の義をもたらし、幻と預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。」(2017)とあります。

「あなたの民とあなたの聖なる都について」とありますから、これはダニエルが所属する民、即ちユダ、更にはもっと広くイスラエルと聖なる都エルサレムに関する預言です。

「七十週が定められている」とあります。
「七十週」の「週」と訳された語の原語の意味は、「七」、「週」の意があります。ですから「七十の七が定められて(決定されて)いる」とも訳せます。
「七十の七」には日も週も年の単語も続いて書かれてはいません。

主の預言は必ず成就するのですから、七十週(七十の七)をどのように捉えるかということについて、自分の概念だけで決めてしまうことは出来ません。七十週については、25‐27節を読むと理解できます。

主の七十週のご計画は、
①イスラエルが主なる神様に背くことを止めさせること
②イスラエルに罪を終わらせること
③咎の宥めを行うこと
④永遠の義をもたらすこと
⑤主が与えてきたいくつもの幻や数々の預言を成就すること
⑥至聖所に油そそぎを行うこと
であるとあります。

25節については、これまでに、いくつもの解釈の仕方が提出されてきています。私はその中から、ワルバード、ロバート・アンダーソンが提示している内容を受け入れています。以下はそれに従って述べていきます。
 25節には「それゆえ、知れ。悟れ。エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして苦しみの期間である六十二週の間に、広場と堀が造り直される。」(2017)とあります。

「エルサレムを復興し、再建せよとの命令」とは、ネヘミヤ21-8を参考にします。ネヘミヤ21には、「アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月」と年と月が分かるように記されています。「「アルタクセルクセス王の第二十年」はBC445年になります。

25節を口語訳は「それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。」と訳し、
 文語訳は「汝暁り知べし(なんじさとりしるべし)ヱルサレムを建なほせといふ命令の出づるよりメッシヤたる君の起るまでに七週と六十二週ありその街(ちまた)と石垣とは擾亂の間に建なほされん。」と訳し、

リビングバイブルは「さあ、よく聞け!エルサレム再建の命令が出てから、神様に油を注がれた方が来るまで、四十九年に加えて四百三十四年かかる。それは苦しい時代だが、その間にエルサレムの城壁も町並みも再建される。」と訳しています。

「七週と六十二週」(口語訳)とは「四十九年に加えて四百三十四年」(リビングバイブル)で、合計483年です。{「七週」は77、「六十二週」は627、で「七」の単位は「年」であったのです。}

ダニエル725に「一時と二時と半時の間」という表現がありますが、これは黙示録から1260日であることがわかります(黙示録126)。預言的な一年は360日になっています。

483年×360日=173880日(になり)、太陽暦に直すと、173880(年)÷365.25(日)=476. 0574948665298(年)となります。精密さをきすと更にもうひと手間考慮する必要があるでしょうが省略します。

ネヘミヤ21-8の出来事はニサンの月とあるだけで、何日かとは書いてありません。

“ロバート・アンダーソンは、BC445年のニサンの月の一日(三月十四日)から、AD32年のニサンの月の十日(四月六日)までの期間(新聖書注解抜粋)と述べ、“AD32年のニサンの月の十日はキリストのエルサレム入場の日であった(ワルバート)。(新聖書注解抜粋)とあります。

「メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週ある」(口語訳)とありますが、メシアであるイエス・キリスト様が「君」即ち王としてエルサレムに入場したのは、棕櫚の日曜日(Palm Sunday)です(マタイ211-9

26節には「その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。

「その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。」とあります。
イエス様は、棕櫚の日曜日の週に十字架にお架かりになられたのです。主イエス様は復活され、墓の中にイエス様のお身体はありませんでした(イエス様をまいた布はありましたが)。

六十二週・・・については、「その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。」の文で終了します。何故なら、奥義であった教会時代が始まるからです。パウロは、「教会」「教会とキリストの結婚」「キリストの内住」は奥義であると言っています(エペソ33-11532、コロサイ127)。教会の誕生はキリストの十字架と復活に基づいていました。「教会」は旧約聖書には述べられていないので奥義なのです。 

 「次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。」(2017)という預言は、ローマのティトゥスによって、エルサレムと主の宮(神殿)が破壊されたことを指します。AD70年のことでした。主の経綸の中にあっては、これは教会時代に起こった事でした。

余談になりますが、いちじくは、イスラエルを象徴しています。
マタイ2119には「道端に一本のいちじくの木が見えたので、そこに行って見ると、葉があるだけで、ほかには何もなかった。それでイエスはその木に「今後いつまでも、おまえの実はならないように」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。」(新改訳2017)とあります。

これは経綸上、69週の後を預言していました。イエス様の十字架と復活をもって線が引かれたのです。即ちイスラエルから教会へと神の統治が移ったのです。しかしイスラエルは忘れられたわけではありません。

マタイ2432.33には「32 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。33 同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。」(新改訳2017)とあります。

このいちじくは再建されたイスラエルを指しています。枯れていた(国を失っていた)イスラエルは1948年に再建されたのです。主の再臨(空中再臨と地上再臨)はその後に起こります。

話を元に戻します。
「その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。」とありますが、「洪水」とは大軍勢のことです。

イスラエルには、これからエゼキエル38章に記されている戦争がありますし、キリストの地上再臨の三年半前からキリストの地上再臨までの間、聖所は汚され、最後にはエルサレムは戦場となります{この戦いは最後の一週即ち七十週の後半の、それも最後の方の出来事になります(ゼカリヤ141-3)}。

27節には「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」(新改訳2017)とあります。

「一週の間」とありますが、教会時代は終わり、経綸上イスラエルの七十週の最終週となるのです。ですからキリストの空中再臨によるキリスト者の携挙は、経綸上イスラエルの七十週が始まる前に起こると私は思います。「彼」とは反キリストであり、初めは偽キリスト(偽メシア)として登場するのでしょう。即ち平和をもたらす者として登場するのです。現在のEUではなく、キリストの空中再臨後に十か国から成る連合国から出てくる人物であり(ダニエル723-25)、666{(名前をヘブル語かギリシア語でアルファベットを数字に置き換えると666)ゲマトリア}と言われる人物です(黙示録1318)。この人にはサタンがついています。サタンはこの人にサタンの力を付与します(黙示録131-7)。

この人物は、初め、人望が厚く、イスラエル人はこの人を受け入れます。そして、イスラエルと何かの契約を結ぶのです。それによって、エルサレムの神域にイスラエルは神殿を建てることができるのです。ところが、キリストの地上再臨の三年半前に、この「彼」(反キリスト)は、自分を神とするのです。「いけにえとささげ物をやめさせ」るのです。そして、神殿には恐らく、「忌まわしいもの」即ち「獣の像」が置かれるのでしょう。そして獣の像を拝まない者は殺されるのです(黙示録1314.15)。

「荒らす者が現れる」の「荒らす者」とは神殿を荒らす者、すなわち反キリストのことであろうと思います。

「そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」というのは、キリストの再臨により、反キリストの軍勢は壊滅させられるのです。「荒らす者」=反キリスト=「獣」は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれるのです。

黙示録1911-21には、
11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方〔再臨のキリスト(筆者挿入)〕は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。12 その目は燃える炎のようであり〔裁きの時の目(筆者挿入)〕、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。13 その方は血に染まった衣をまとい〔イザヤ631-6、これはボツラ(ペトラ)に逃れていたユダヤ人を救うために敵と戦ったため(筆者挿入)〕、その名は「神のことば」と呼ばれていた。14 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て〔黙示録198を指していればキリストの花嫁(筆者挿入)〕、白い馬に乗って彼に従っていた。
15
この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた〔主キリスト様のことばは一言で人に命を与えることができるし命を奪うこともできる(筆者挿入)〕。鉄の杖で彼らを牧する〔義による支配であろうと思います(筆者挿入)〕のは、この方である(黙示録125)。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。16 その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。17 また私は、一人の御使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛んでいるすべての鳥たちに言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。18 王たちの肉、千人隊長の肉、力ある者たちの肉、馬とそれに乗っている者たちの肉、すべての自由人と奴隷たち、また小さい者や大きい者たちの肉を食べよ。」(マタイ24819 また私は、獣と地の王たちとその軍勢(黙示録1612-16)が集まって、馬に乗る方とその軍勢に戦いを挑むのを見た。20 しかし、獣〔反キリスト(筆者挿入)〕は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。21 残りの者たちは、馬に乗っている方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が彼らの肉を飽きるほど食べた。(新改訳2017)と記されています。

この箇所については様々な解釈があり、私が述べたのとは異なる解釈も多々ありますが、私が現在信じているところに従って述べさせて頂きました。

ダニエル924に「あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。」とあるように、この箇所はイスラエル人以外に宛てては書かれていません。大患難はアブラハム、イサク、ヤコブの血筋にあるイスラエル人が救われるためには必要であると主なる神様は考えておられます(エレミヤ301-9)。救われるためには、どなたがメシア(キリスト)であるのかを知ること、即ち十字架に架かられたイェシュア(イエス)がメシア(キリスト)であったことを受け入れる必要があるのです。イスラエルは、エゼキエル38章の預言の戦争で、ヤハウェこそ万軍の主であることを身を持って体験します(エゼキエル3823)。そして、キリストが地上に再臨される時、イスラエルは、イェシュア(イエス)こそがメシア(キリスト)であると知り、悔い改めるのです(ゼカリヤ1210-14)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
大患難時代は、イスラエル人が救われるためには必要なものであると、あなたは愛をもって、その期間を備えられたことを覚えます。
恵みの時代に救いにあずからせていただけることはなんという幸いでしょうか。
私のような弱い人間はただただ感謝です。
あなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月 8日 (火)

マタイ24:15-18 終末と満了10 キリストの地上再臨の3年半前の頃に起こる出来事と似て非なる出来事(ルカ21:20-24)

 マタイ2415-18には次のように記されています。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――
16
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
17
 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
18
 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ルカ2120-24には次のように記されています。
20 「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
21
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。ユダヤの中心部にいる人々は、そこを退きなさい。地方にいる人々はユダヤに入ってはならない。
22
 書かれていることがことごとく実現する懲罰の日だからである。
23
 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある。この地には大きな苦難があり、この民には神の怒りが下るからである。
24
 人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる異邦人のもとへ連れて行かれる。異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏みにじられる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 ルカ2122に記されている預言はエルサレムがAD70年のローマ軍の攻撃によって壊滅させられた時のものであると思います。それは、24節の「異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏みにじられる。」という箇所からそのように思えるのです。

 22節には、「書かれていることがことごとく実現する懲罰の日だからである。」とあります。

「フラウィウス・ヨセフスは、この攻囲戦で「110万人」が死に(そのほとんどはユダヤ人)、97千人が捕虜となり奴隷にされた」(ウィキペディア「エルサレム攻囲戦(70年)」と記していますが、キリスト者はAD70年の神殿滅亡時には逃げ延びていたとエウセビオスの「教会史」に記されてあると新聖書注解は記しています。この時、イエス様のこの時の預言の他に神様からの啓示があった(エウセビオスの教会史)とのことです。

 ルカ2120の預言の前に、ルカ1334.35の箇所でも、イエス様は、「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった〔望まなかった(2017)〕。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される〔おまえたちの家は見捨てられる(2017)〕。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」(新改訳第二版)と語られたとあります。

 また、ルカ1941-44には、
41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、42 言われた。
「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(新改訳第二版)とあります。

 また、ルカ1146-51には、
46 しかし、イエスは言われた。
「おまえたちもわざわいだ。律法の専門家たち。人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本さわろうとはしない。
47
わざわいだ。おまえたちは預言者たちの墓を建てている。しかし、おまえたちの父祖たちが彼らを殺しました。
48
したがって、おまえたちは父祖たちがしたことの証人となり、同意しているのです。彼らが預言者たちを殺し、おまえたちが墓を建てているのだから。
49
だから、神の知恵もこう言いました。
『わたしは預言者たちや使徒たちを彼らに遣わすが、彼らは、そのうちのある者を殺し、ある者を迫害する。50 51 それは、アベルの血から、祭壇と神の家との間で殺されたザカリヤの血に至るまでの、世の初めから流されたすべての預言者の血の責任を、この時代が問われるためである。そうだ。わたしは言う。この時代はその責任を問われる。』
50.51節を新共同訳は、「こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。」と訳し、2017も聖書協会共同訳も同じような意で訳しています(筆者挿入)〕(新改訳第二版)と記されています。

 エルサレム崩壊と多くの死者、多くの奴隷とされた人々、・・・・。
なんと痛ましいこと、と私たちは感じますが、これは神様によるさばきであると幾たびも預言されていたのです。

これが、一般の歴史書となると、神様は出てきませんから、例えばウィキペディアのユダヤ戦争の記事などを見ると、
“開戦までの経緯
ヘロデ大王の死後、ユダヤ属州はローマの総督によって直轄されていたが、大王の孫であったアグリッパ1世は巧みにローマ側にすりよって、41年にユダヤの統治を委ねられた。このアグリッパ1世が44年に病死すると、再びユダヤ地方はローマの直轄地となった。当時のローマ帝国は基本的に被支配民族の文化を尊重し、統治者としてバランスのとれた巧みな統治政策を示しているが、多神教文化であった地中海世界の中で、一神教を奉ずるユダヤは特殊な文化を持った地域であったため、支配されていたユダヤ人のローマへの反感は日増しに高まった。
 開戦
フラウィウス・ヨセフスによると、「ユダヤ戦争」が勃発した発端はカイサリアにおけるユダヤ人の殺害であったという。即ち、当時のユダヤ属州総督フロルスがエルサレムのインフラ整備のための資金として神殿の宝物を持ち出したことにあったといわれている。これをきっかけにエルサレムで過激派による暴動が起こった。ユダヤ側の指導者は、シモン・バル・ギオラ(Simon Bar-Giora)、ギスカラのヨハネ(John of Gischala)、エルアザル・ベン・シモン(Eleazar ben Simon)らと伝えられるが、いずれも強硬派・原理主義者に属した点も事態過激化への呼び水となった。
 フロルスは暴動の首謀者の逮捕・処刑によって事態を収拾しようとするが、逆に反ローマの機運を全土に飛び火させてしまう。シリア属州の総督が軍団を率いて鎮圧に向かうも、反乱軍の前に敗れてしまう。事態を重く見たネロ帝は将軍ウェスパシアヌスに三個軍団を与えて鎮圧に向かわせた。
ウェスパシアヌスは息子ティトゥスらと共に出動すると、エルサレムを攻略する前に周辺の都市を落として孤立させようと考え、ユダヤの周辺都市を各個撃破していった。このガリラヤ攻略戦のさなかに投降してきたユダヤ人武将こそがヨセフスであった。こうしてウェスパシアヌスらはユダヤ軍を撃破しながら、サマリアやガリラヤを平定し、エルサレムを孤立させることに成功した。
 エルサレム陥落
詳細は「エルサレム攻囲戦 (70)」を参照
68
4月、ガリア・ルグドゥネンシス属州総督であったガイウス・ユリウス・ウィンデクスによる反乱が発端となって、同年6月にネロが自殺。69年には4人のローマ人が次々と皇帝に即位(「4皇帝の年」)した他、ゲルマニアでガイウス・ユリウス・キウィリスを首謀者とした反ローマの反乱が勃発する等、ローマは大混乱に陥った。ウェスパシアヌスもエルサレム攻略を目前にして、ローマへ向かった。ローマ軍の司令官不在のまま、ユダヤ戦争は一旦、戦線膠着状態となった。
 6912月にアウルス・ウィテッリウスが殺害され、唯一のローマ皇帝としてローマ帝国を掌握したウェスパシアヌスは懸案のエルサレム陥落を目指して、ティトゥスを攻略に向かわせた。70年、ユダヤ人たちは神殿やアントニウス要塞に拠って頑強に抵抗したが、圧倒的なローマ軍の前に敗北し、エルサレム神殿はユダヤ暦第68日、9日、10日に火を放たれて炎上し、エルサレムは陥落した。エルサレムを舞台とした叛乱は鎮圧され、ティトゥスはローマへと凱旋した。このとき、つくられたのがフォロ・ロマーノに今も残るティトゥスの凱旋門である。そこにはエルサレム神殿の宝物を運ぶローマ兵の姿が刻まれている。”となるのです。

 歴史を紐解くと、神様抜きで歴史が語られていますが、預言されていた出来事も預言されていなかった出来事も、神様の観点から書かれたとしたら、ずいぶんと感じが変わって読めるのではないか、或いは、出来事の結果を見て神様のご判断は如何なるものであったのかということに思いをはせることが出来ます。

どうして日本は第二次世界大戦で敗戦したのか、どうしてアメリカはベトナムで負けたのか、等々、神様のご判断があったのでしょう。人間はそれとは異なる答えをいくつも出しますが。

歴史という語は、英語ではhistoryですが、ご存じのように、His(神の)storyなのです。

 ルカ2120-22の、
20 エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
21
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。ユダヤの中心部にいる人々は、そこを退きなさい。地方にいる人々はユダヤに入ってはならない。
22
 書かれていることがことごとく実現する懲罰の日だからである。」(聖書協会共同訳)とイエス様が言われた御言葉を覚えていた人は、新約時代の預言者が同じことを告げた時、その預言は事実だと信じてエルサレムの包囲が解かれたわずかの間に逃げ出すことが出来たのです。

 キリストの地上再臨の3年半前に、エルサレム神殿に偶像が据えられ、さらに大患難時代の最終戦争時に、エルサレムは世界の軍隊に囲まれ攻撃されると預言されています。それについては明日の当ブログの、マタイ2415-22において記します。

ルカは、終末預言の最後に、「まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」(ルカ2132-36・新改訳第二版)というイエス様のおことばを記しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
主を愛し、主に在って祈り、主に在って歩ませていただく日々を送らせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月 7日 (月)

箴言24:7-9 心をきよめていただくこと、及びサタンに所を得させないことの重要性

 箴言247-9には次のように記されています。
7 愚か者には知恵は珊瑚のよう〔別訳「高価すぎる」(欄外注)〕。彼は町の門で、口を開くことができない。
8
悪事を働こうと企む者は、陰謀家と呼ばれる。
9
愚かなはかりごとは罪。嘲る者は人に忌み嫌われる。”(2017)とあります。

 「町の門」について、聖書辞典は、“城壁外で働く人々のため、普通、門は朝早く開かれ、夕方に閉じられる(ヨシ2:5,ネヘ7:3)。その内側にある広場では商売が行われ(7:1,18)、雑談などの個人的な交わりだけでなく、公的相談や会議が行われ{創23:10,18,ルツ4:1‐12,Ⅰ22:10,69:12〔(新共同訳、聖書協会共同訳は詩6913)(筆者挿入)〕}、裁判が開かれた(申21:19,22:15,25:7,Ⅱサム15:2,ヨブ5:4,31:21,イザ29:21,アモ5:10,12,15)。”(抜粋)と述べています。

 7節を、新共同訳は、“無知な者に知恵は高尚すぎる。城門で口を開くべきではない。”と訳しています。
この聖句の応用として、考えさせられる事柄があります。
人前で話をする必要のある場合、自分の専門分野以外の話を例話として話したとき、話者は間違いを語ってしまうことがあります。話者の中には、専門分野外の科学分野や医療分野の話題を織り交ぜることがときにありますが、聞いている人の中にその専門家がいたとしましょう。話された内容が間違っていると、間違いに気づいた専門分野の人は、そのあとの話を聞くことが出来なくなってしまうという場合もあります。
専門性の高い例話は、気を付けないといけないと思わされます。

 リビングバイブルは、7節を、“神に背く者に、知恵は手に負えません。だから、知恵を助言者に選ぶことが出来ないのです。”と訳しています。
リビングバイブルの訳者がこのように訳した元の文章を知らないので、私にはこの訳の出てくる理由がわかりませんが、リビングバイブルの訳文から、次の様に思わされました。
「神に背く者、その人は神との交わりを持っていないので、神の知恵を真の意味では理解することが出来ません(1コリント211-14参照)。神を信じていない人は、その人の内に聖霊、またキリストの霊(ローマ89)がおられないのですから、神の知恵を助言者に選ぶことはできないのです(コロサイ23)。」と。

 8節と9節には、“8 悪事を働こうと企む者は、陰謀家と呼ばれる。9 愚かなはかりごとは罪。嘲る者は人に忌み嫌われる。”と記されています。
 BIBLE navi は、8節に対する適用注解として次のよう述べています。
“悪を企てるのは、悪をなすのと同じくらい間違っている。なぜなら、あなたの考えがあなたの行いを決定づけるからだ。野放しの誤った願望は罪へとつながる。神は、罪から離れたきよい心を望んでおられ、悪を企てることは心の中に罪深い思いを入れる。「ならば、すでに計画してしまったのでそれを実行しよう」というべきだろうか。そうではない。あなたは態度において罪を犯したが、まだ他人を傷つけてはいないのだ。その道の途中で立ち止まり、神に、あなたを赦し、違う道に置いてくださるようお願いしよう。”とあります。

BIBLE navi の適用注解を読んだとき、マタイ526を思い起こしました。
マタイ521-26には次のように主イエス様の御言葉が記されています。
21 あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。
22
 しかし、私は言っておく。きょうだいに腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。きょうだいに『馬鹿』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』 と言う者は、ゲヘナの火に投げ込まれる。
23
 だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、きょうだいが自分に恨みを抱いていることをそこで思い出したなら、24 その供え物を祭壇の前に置き、まず行って、きょうだいと仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。
25
 あなたを訴える人と一緒に道を行くときには、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡 し、あなたは牢に投げ込まれるに違いない。
26
 よく言っておく。最後の一クァドランス〔「コドラント」(20171コドラントは1デナリの64分の11デナリは当時の1日分の労賃に相当(2017欄外注)〕を支払うまで、決してそこから出ることはできない。」(聖書協会共同訳)とあります。

確かに、悪しき思い、悪しき感情は、心にあるうちにきよめていただくことが大切ですね。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
心の中に悪しき思いや感情が沸いたときには、すぐに主の前に告白することが出来ますように。
また、悪しき感情や悪しき思いがサタンからの場合も多々ありますが、霊を見分ける賜物によってすぐに見分けることが出来ますように。
いつもあなたの御前を歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月 6日 (日)

詩篇86:8-10 苦難の中にあっても主を賛美する者

 詩篇868-10には次のように記されています。
8 わが主よ、神々のうちに、あなたに並ぶ神はなく、あなたの業(わざ)に並ぶべきものはありません。
9
 わが主よ、あなたが造られた国々の民は皆来て御前にひれ伏しその名を崇めます。
10
 まことに、あなたは大いなる方、奇(く)しき業をなさる方。あなただけが神。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この詩は、ダビデによる、とあります。
8-10節だけを読むと、神への賛美の詩、であると思えてしまいますが、このときのダビデは、命を狙われているという危急の時でした。

 それは、14.1.2節を読むとわかります。次のように記されています。
14 神よ、傲慢な者が私に逆らって立ち、荒ぶる者の群れが私の命を狙っています。彼らは自分の前にあなたを置くことをしません。/
1
 ・・。主よ、私に耳を傾け、答えてください。私は苦しむ者、貧しい者です。
2
 私の魂を守ってください。私は忠実な者です。あなたの僕を、あなたに信頼する僕を救ってください。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ダビデの命が風前のともしびであるように思える状況の中で、ダビデは、8-10節のような内容を主に祈っているのです。その内容は主への賛美だけではなく、ダビデの信仰告白でもあります。
 
 2017訳は、聖書協会共同訳とは少し異なったところがありますので2017訳も下記します。(ヘブライ語聖書を読むとどちらにも訳せます)
8 主よ、神々のうちであなたに並ぶ者はなく、あなたのみわざに比べられるものはありません。
9
主よ、あなたが造られたすべての国々は、あなたの御前に来て伏し拝み、あなたの御名をあがめます。
10
まことにあなたは大いなる方、奇(くす)しいみわざを行われる方。あなただけが神です。”と記されています。

 なおリビングバイブルは、次の様に意訳しています。
8 異教の神々の中に、あなたのような方はいません。あのような奇蹟を行なうことのできる神々はいません。
9
あなたがお立てになった国々は、目の前でひれ伏し、聖なる御名をたたえるでしょう。
10
あなたは偉大で、すばらしい奇跡を行います。あなただけが神です。”とあります。

 8-10節を読むと、この世の最後に宣教される天使の宣教の言葉を思い起こします。
黙示録146.7には、
6 また私は、もう一人の御使いが中天を飛ぶのを見た。彼は地に住む人々、すなわち、あらゆる国民、部族、言語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携えていた。
7
彼は大声で言った。「神を恐れよ。神に栄光を帰せよ。
〔神を畏れ、その栄光をたたえなさい。(新共同訳)〕
神のさばきの時が来たからだ。天と地と海と水の源を創造した方を礼拝せよ。」”(2017)と記されています。
この内容は、永遠の福音です。
アダム以来、神を畏れ敬い、神の栄光をほめたたえてきた人は敬虔な人であり、神ヤハウェ(主)に喜ばれた人たちでした。

 新約時代の私たちは、神の子であり油注がれた{メシア(キリスト)}お方であるイエシュア(イエス)の福音というありがたい福音を私たちは聞いたのです。
その福音の中核は、「聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれ、また、葬られ、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられた(1コリント153.4)「神の御子、キリスト・イエスの御名を呼び求める者(信じる者、心に受けいれる者)はみな救われる」(ローマ1013)。すなわち「永遠の命を頂ける」(ヨハネ316.36)という内容です。
御子を心にお迎えするのですから、それはそれは驚くべき恵みを得てしまうのです。エペソ13には、「天にあるすべての霊的祝福」が与えられた、と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
私たちも色々な困難に直面しますが、ダビデのように、いいえ、それ以上の恵みを与えられているのですから、いつも主を賛美しながら地上の日々を歩む者としてお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「山行くも海ゆくも」(新聖歌338 聖歌総合版753)の2.3
“2.闇夜にも 嵐にも 見失う(みうしのう)ことなき 御光はイェスご自身 恐れ迷うことなし
(折り返し部分 *)
栄(さかえ)もて御光は わが内にみなぎる ハレルヤ イェス君(きみ)を たたえつつ行(ゆ)かまし
3.御光の照る道を 天つ家(あまつや)を目当てに 喜びに満たされて 歌いつつ行(ゆ)かまし *”

2023年8月 5日 (土)

申命記22:22-23:1 不品行や姦淫を嫌われる主

 申命記2222-23:1には次のように記されています。
2222 ある人が夫のいる女と寝ているのを見つけられたならば、その女と寝た男もその女も、二人とも死ななければならない。こうしてあなたは、イスラエルの中から悪を取り除きなさい。
 23 ある男と婚約した処女の娘がいて、別の男が町の中で彼女に目をつけ、彼女と寝たならば、24 二人を町の門のところに引き出し、石で打ちなさい。彼らは死ななければならない。町の中で娘が助けを求めて叫ばず、男は隣人の妻を辱めたからである。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除きなさい。
 25 しかし、ある男が野において、婚約している娘と出会い、彼女を力ずくで捕まえて、彼女と寝た場合、彼女と寝たその男だけが死ななければならない。
26
 その娘には、何もしてはならない。娘には、死に当たる罪はない。これは男が隣人に向かって襲いかかり、これを殺したのと同じである。
27
 野で彼が彼女と出会ったとき、娘は叫んだが、救う者がいなかったからである。
 28 もしある男が婚約していない処女の娘と出会い、捕まえてこれと寝て、二人が見つけられたなら、29 娘と寝たその男は、娘の父親に銀五十シェケルを支払い、娘を自分の妻としなければならない。娘を辱めたのであるから、生涯、彼女を去らせることはできない。
23
1 誰も父の妻をめとって、父を辱めてはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。
(聖書協会共同訳、新共同訳、フランシスコ会訳が、231としている個所を、口語訳、文語訳、新改訳、リビングバイブルは、2230としています。)

 内容的には一読すればわかる内容です。

 
創世記127.28に、“27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、・・・。」”(口語訳)と記されているように、神ヤハウェ(主)は、男女の性的交わりによって子孫を残すことを祝福されました。

 また創世記2章には次のように記されています。
18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
21
そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
22
主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
23
そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男〔ヘブライ語は「イーシュ」(筆者挿入)〕から取ったものだから、これを女〔ヘブライ語は「イシャー」(筆者挿入)〕と名づけよう」。
24
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
25
人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。”(口語訳)とあります。

 マタイ193-9には、上記の24節の聖句を基にした主イエス様の御言葉が入っている文章が次のように記されています。
:3 ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「どんな理由であれ、夫が妻を離縁することは許されているでしょうか〔律法にかなっているでしょうか(2017)〕」と言った。
4
 イエスはお答えになった。「あなたがたは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
5
 そして、こうも言われた。「こういうわけで、人は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる。
6
 だから、もはや二人ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
7
 彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」
8
 イエスは言われた。「あなたがたの心がかたくななので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。
9
 言っておくが、淫らな行いのゆえでなく妻を離縁し、他の女と結婚する者は、姦淫の罪を犯すことになる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 6節の「一体」と訳されている語のギリシア語原語は、「サルクス ミア」で、英語にすると、one flesh、となります。(新改訳初版は、「一心同体」と訳しているので、あえて載せました。新改訳2017は「一体」となっています。)

 1テサロニケ4章には次のように記されています。
3 神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。淫らな行いを避け、4 おのおの気をつけて、自分の体を聖なるものとして尊く保ちなさい。
5
 神を知らない異邦人のように情欲に溺れてはなりません。
6
 このようなことで、きょうだいを踏みつけたり、欺いたりしてはなりません。私たちが以前、あなたがたに告げ、また厳しく命じたように、主はこれらすべてのことについて正しく裁かれるからです。
7
 神は私たちを汚れた生き方へではなく、聖なる生き方へと招かれました。
8
 ですから、これらの命令を拒む者は、人を拒むのではなく、ご自分の聖霊をあなたがたに与えてくださる神を拒むことになるのです。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
あなたは、健全なる性的交わりと罪的な性的交わりについて教えてくださっておられます。
1
コリント51を読むと、教会内にみだらな行いが入っていたことが記されています。
全世界の教会が聖く保たれていきますように。
主にある聖なる歩みをしていくあなたの子どもたちであらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月 4日 (金)

マタイ24:3-14 終末と満了9 最後まで耐え忍ぶ者は救われる人たち、に該当する人2/救われる異邦人

 マタイ24:3-14には次のように記されています。
“3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。5 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。6 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。9 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。10 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。11 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。14 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣(の)べ伝えられる。それから、終わりが来る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 13節には、“しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。”と記されています。
最後まで耐え忍んで救われる人たちは大きく分けて2種類の人たちでしょう。
その1は、イスラエル人の残りの者です。
その人たちは、獣や獣の像を拝まず、666の刻印を受けなかった人たちで、キリストの再臨時にイエシュア(イエス)がハマシアハ(メシア)であると悟り、悔い改めるイスラエル人たちです。
神ヤハウェ(主)を信じているイスラエル人は、キリストの地上再臨前の1260日間は、ボツラにおいて主に守られます(黙示録12:6、イザヤ63:1-6)。

今日は、その2の、最後まで耐え忍んで救われる異邦人たちについて、思いめぐらしたいと思います。

 異邦人(イスラエル人ではない人)の中には、獣(反キリスト)を礼拝せず、獣の像(反キリストの像)をも拝まず、666(売買に必要な獣の刻印)の印をも受けずに、キリストの地上再臨を迎える人たちがいます。666の刻印を受けないと食料品や生活に必要な物も買うことが出来なくなるのです(黙示録13:17)。

 この獣が力を振るえるのは1260日(42ヶ月)と定められています(黙示録13:5)。
黙示録13:5をリビングバイブルは、“竜〔悪魔(サタン){筆者挿入}〕は獣〔反キリスト=キリストの地上再臨前の世界支配者(筆者挿入)〕に、主をののしるようにけしかけ、四十二か月間、地上を思うままに支配する権威を与えました。”と訳しています。

 獣礼拝や獣の像礼拝及び666の刻印に関して記されている黙示録13:11-18を塚本訳で下記します。{塚本訳の( )内は、訳者の挿入部分です。}
“11 また私はもう一つ(他)の獣〔偽預言者{筆者挿入}〕が地から上って来るのを見た。それには仔羊に似た二つの角があって、竜のように語った。
12 そして第一の獣〔反キリスト=大患難時代の世界支配者{筆者挿入}〕の(有つ)凡ての権力を彼(に代わってそ)の前に行い、地とそこに住む者とをして、致命の傷を癒された(かの)第一の獣を拝ませる。
13 彼〔偽預言者{筆者挿入}〕は(驚くべき)大きな徴をする──天から火を(呼び、)地に、人々の(目の)前に降らせる(ようなことをすらする)。
14 また(第一の)獣の前で行うことを許された(種々の)徴によって、地に住む者を惑わし、剣の傷を受けて(死んだようになり、再び)生き(返っ)た(かの) 獣(を崇めるために、そ)の像を作るように地に住む者に言う。
15 且つ彼はその獣の(生命の)息を吹き入れて獣の像に口を利かせ、また獣の像を拝まない者をば誰でも殺すことを許された。
16 そして小さい者も大きい者も、金持ちも貧乏人も、自由人も奴隷も、悉くその右手かあるいは額に印をつけさせ、17 【そして】その獣の印かあるいはその(獣の)名の数をつけている者でなければ売買が出来ないようにする。
18 ここに知恵が(蔵されて)ある。理知ある者は(この)獣の数をかぞえよ。それは人間の数である。(人の名である。)そして(その人の名を数うれば、)その数は六百六十六!”と訳出しています。

 黙示録13:1-10も塚本訳で下記します。
“1 また私は十の角と七つの頭とを有った(一匹の)獣〔反キリスト{筆者挿入}〕が海から上って来る〔「この世の世界から出てきた」という意{筆者挿入}〕のを見た。その角には十の冠が被されて居り〔この時代の世界は10か国連合のようになっています。その上に君臨するのが反キリストです。{筆者挿入}〕、またその頭には(神を)涜す名が記されてあった。
2 私が見たその獣は豹に似ていた〔ギリシア帝国のアレクサンドロスのような特質を持ち{筆者挿入}〕。またその足は熊の足のよう〔ペルシア帝国のクロスのような特質を持ち{筆者挿入}〕、その口は獅子の口のようであった〔ローマ帝国の皇帝のような力を持った{筆者挿入}〕。そして(すでに天から落とされた)竜〔サタン(悪魔){筆者挿入}〕が、自分の(有っている) 権能と、自分の王座と、大なる権力とをそれに与えた。
3 またその一つの頭は(剣で)打たれて死んだようであったけれども、(不思議にも)その致命の傷が癒されたのを私は見た〔キリストの復活のまねごと{筆者挿入}〕。すると全地の人々は獣の(癒された)ことを(見て)驚き、4 竜を拝んだ〔サタン礼拝{筆者挿入}〕。彼が獣にその権力を与えた(ためにこんな不思議が行われたと思うた)からである。そして獣を(も)拝んで言うた、「誰がこの獣のように偉いか。誰が彼と戦うことが出来るか。」
5 するとその獣に、大言(壮語)し、(神に向かって)涜言をいう口が与えられ、また四十二か月の間それを実行する権力が与えられた。
6 そこで彼は口を開き、神に向かって涜言をいうた──その御名と、(天にある)その天幕、(すなわち)天に住む人々とを涜した。
7 また彼は聖徒達〔艱難時代にイエスをキリストと信じた人たち{筆者挿入}〕と戦争をして〔に戦いを挑んで{2017}〕これに勝つことを許され、且つ凡ての種族と民と国語と国〔全世界{筆者挿入}〕とを支配する権が与えられた。
8 かくて凡て地に住む者、宇宙開闢の時からその名を屠られた仔羊の生命の書に記されていなかった者は、彼を拝むであろう。
9 (聞く)耳あらば(私の言を)聴け──
10 牢屋に行かねばならぬならば(素直に)牢屋に行け。剣で他人を殺すならば、自分が剣で殺されねばならぬであろう。ここに聖徒の忍耐と信仰がある!”と訳出しています。

 ゼカリヤ14:16-21には、キリストの地上再臨時に死を免れ、キリストの千年王国に入ってくる異邦人についての記述が次のように記されています。
“16 エルサレムを攻めたあらゆる国民のうち生き残った者は皆、毎年上って来て万軍の主なる王を礼拝し、仮庵祭を祝う。
17 地上の諸氏族のうちで、万軍の主なる王を礼拝するためにエルサレムに上って来ない者の上には、雨が降らない。
18 もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、仮庵祭を祝うために上らない諸国民に主が打つのと同じ疫病が、彼らの上に臨む。
19 これがエジプトへの刑罰となり、仮庵祭を祝うために上って来ないすべての国民への刑罰となる。
20 その日には、馬の鈴にも「主の聖なるもの」と刻まれ〔直訳「とあり」(欄外注)〕、主の神殿の鍋も、祭壇の前にある鉢のようになる。
21 エルサレムとユダの鍋も、すべて万軍の主の聖なるものとなる。いけにえを献げる者は皆やって来て、鍋を取り、それで煮る。その日には、万軍の主の神殿に、もはや商人〔あるいは「カナン人」(欄外注)〕はいなくなる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 またイザヤ2:2.3には、
“2 終わりの日に主の家の山は、〔地殻変動により(筆者挿入)〕山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。〔キリストの千年王国時代に入ると(筆者挿入)〕国々はこぞって川の流れのようにそこ〔エルサレム(筆者挿入)〕に向かい、
3 多くの民は来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に登ろう。主はその道を私たちに示してくださる。私たちはその道を歩もう」と。教えはシオンから、主の言葉はエルサレムから出るからだ。”(聖書協会共同訳)と、キリストの千年王国には国々の多くの民がエルサレムにやってくることが記されています。

上記の文章を読むと、異邦人であっても、肉体を持ったままキリストの千年王国に入れる人たちがいるということがわかります。
この人たちは子孫を残していきますので、キリストの千年王国時代には人口が増大します。
なおキリスト者はキリストの空中再臨の時に霊のからだを与えられており、子をもうけることはありません。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
千年王国に肉体を持ったまま入ってくる人の基準がどのようなものであるかについて、ある程度のことは教えられていますが、私にとって、詳しくは分からない部分もあります。
いずれにしても、主がご自身のみ旨に基づいて決定されていきますから御名を崇めます。
私たちは、キリストの千年王国の時には霊のからだで過ごすことが出来るようになっていますからありがとうございます。
御国が来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月 3日 (木)

マタイ24:3-14 終末と満了8 最後まで耐え忍ぶ者は救われる人たちに該当する人1/救われるイスラエル人

 マタイ243-14には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。5 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。6 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。9 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。10 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。11 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。14 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣(の)べ伝えられる。それから、終わりが来る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 13節には、“しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。”と記されています。
最後まで耐え忍んで救われる人たちは大きく分けて2種類の人たちでしょう。
その1は、イスラエル人の残りの者です。(その2は明日アップします)
その人たちは、獣や獣の像を拝まず、666の刻印を受けなかった人たちで、キリストの再臨時にイエシュア(イエス)がハマシアハ(メシア)であると悟り悔い改めるイスラエル人たちです。
 ローマ11章には次のような文章があります{様々な日本語訳聖書の中から塚本訳を選んで下記します。( )内は著者の挿入です}。
25 兄弟たちよ、この秘密を知らずにいてもらいたくない、あなた達(異教人諸君)が、自分は賢い(からこの特権を得た)などとうぬぼれることのないために。一部のイスラエル人が頑なになって(キリストを信ぜずに)いるのは、異教人〔多くの日本語訳聖書は「異邦人」と訳出(筆者挿入)〕が(信仰に)入って定数に満ちるまでであり26 こうして(イスラエル人は異教人が妬ましくなり、悔改めて信仰に入り、)イスラエル人全部が救われる、ということである。
(聖書に)書いてあるとおりである。『シオンから救済者が来て、ヤコブ(の子孫)から不信心を遠ざけるであろう〔「であろう」という訳は、未完了形であって不確実な未来というわけではありません(筆者挿入)〕。27 ──これが彼らと立てる私の契約である、』『彼らの罪をわたしが取り除くその時に。』〔イザヤ5920.21参照(筆者挿入)〕
28
(思えば不思議な神の計画である。)彼らは、福音の点から言えば、あなた達(の救い)のために(福音をしりぞけて神の)敵になっており、(神の)選びの点から言えば、先祖たち(に対する契約)のお蔭で(今もなお神に)愛される者である。
29
神の賜物も招待も、(一旦与えられた以上は永遠に)取り消されないからである。
30
すなわち、かつては神に不従順であったあなた達が、今はこの人たちの不従順によって(神に)憐れみを施されたと同じに、31 この人たちも今はあなた達の受ける憐れみに対して不従順になっているが、これは今(すぐにも)憐れみを施されるためである。32 つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。”(塚本訳)とあります。

 パウロはイザヤ:5920.21を引用しました。それはキリストの地上再臨に関連した預言の文章の中の聖句です。イザヤ5917-21を聖書協会共同訳は次のように記しています。
17 主は正義を鎧として身に着け〔主は義をよろいのように着て(2017)〕、救いの兜を頭にかぶり、報復の衣を身にまとい、妬みの上着〔復讐と激しい怒りの衣(リビングバイブル)〕で身を包まれた。
18
 主は仕業に応じて報い、敵対する者には憤りを、敵には報復を、島々にも報復を返される。
19
 西では主の名を畏れ、東では主の栄光を畏れる。主は激しい流れのようにやって来る。主の息吹がそれを押し流す〔その中で主の息が吹きまくっているからだ(2017)〕。
20
 贖い主がシオンに来る。ヤコブのうちで、背きの罪から立ち帰る者のもとに来る――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。
21
 これが彼らと結ぶ私の契約である――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる。あなたの上にある私の霊、あなたの口に置いた私の言葉は、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、その子孫の子孫の口からも、今より、とこしえに離れることはない――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる。”とあります。

 上記のキリストの地上再臨を黙示録19章は次のように記しています。
11 それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。
12
 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。
13
 この方は血染めの衣を身にまとい〔黙示録126→イザヤ631-3参照(筆者挿入)〕、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
14
 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い上質の亜麻布〔黙示録198参照(筆者挿入)〕を身にまとい、この方に従っていた〔ユダの手紙14.15節(筆者挿入)〕。
15
 この方の口からは、鋭い剣〔「鋭い剣」とは、おそらく「さばきのことば」{エペソ617参照}(筆者挿入)〕が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。そして、この方はぶどう酒の搾り桶を踏む。そのぶどう酒には、全能者である神の怒りが込められている。
16
 この方の衣と腿(もも)には、「王の王、主の主」という名が記されていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イザヤ5920に、“贖い主がシオンに来る。ヤコブのうちで、背きの罪から立ち帰る者のもとに来る――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。”とありました。
主に立ち返る人々は、イスラエルの三分の一の人たちです。
ゼカリヤ13章には次のように記されています。
8 この地のどこでもこうなる、と主は言われる。三分の二は死に絶え、三分の一が残る。
9
この三分の一をわたしは火に入れ、銀を精錬するように精錬し、金を試すように試す。彼がわが名を呼べば、わたしは彼に答え、「彼こそわたしの民」と言い、彼は、「主こそわたしの神」と答えるであろう。”(新共同訳)とあります。

 主に立ち返る人々とは、ヘブライ語で、「イエシュアがハマシアハ」、すなわちイエスがキリスト、であると悟って悔い改める人たちのことです。
 ゼカリヤ12章には次のように記されています。
1 託宣。イスラエルに対する主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の言葉。天を広げ、地の基を置き、人の霊をその内に造られる主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる/
10
わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ
11
その日、エルサレムにはメギド平野におけるハダド・リモンの嘆きのように大きな嘆きが起こる。
12
大地は嘆く。各氏族は各氏族だけで、ダビデの家の氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、ナタンの家の氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、13 レビの家の氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、シムイの氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、14 その他の氏族はそれぞれの氏族だけで、その女たちは女たちだけで嘆く。”(新共同訳)とあります。

 大患難時代{ヤコブにも苦難の時(エレミヤ307)}は、イスラエルの救いに必要なのです。ゼカリヤ139を読むとわかります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
イスラエル人であってもイエス様を主と信じない人たちは救われず、イエス様を主と信じる人たちが救われることを教えられます。
イエス様を救い主、主、と信じさせていただけましたことを感謝します。
願わくは、私たちが救われてほしいと願っている人たちが、イエスがキリストであるということを悟ることが出来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月 2日 (水)

箴言24:5.6 知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れている 

 箴言245.6には次のように記されています。
リビングバイブルは、
5 知恵のある人は力のある人より強く、知恵は力より優れています。
6
戦いに出かけるときは、知恵のある人の意見を聞いてからにしなさい。助言する人が大ぜいいれば安心です。”と意訳し、
2017
は、
5 知恵のある男は力強い。知識のある人は力を増す。
6
あなたはすぐれた指揮のもとに戦いを交え、多くの助言者によって勝利を得る。”とほぼ直訳的に訳しています。

 おそらく5.6節は、戦いを念頭に置いて語られた箴言なのだろうと思います。
5
節前半部分の「知恵のある男は力強い。」とある中の「男」のヘブライ語原語は「ゲベル」で、「勇敢なor勇気のある男」の意ですが、「ゲベル」を「人」と訳す場合もあります。
「知恵があって勇気のある男」は力強いですね。
ダビデを思い起こします。

 5節後半部分の「人」のヘブライ語原語は「イーシュ」で、男、人の意で用いられます。
5
節後半部分には、「知識のある人は力を増す。」とあります。
ソロモンは戦いに出ることはありませんでしたが、こちらのタイプであったろうと思います。

 私の使用しているヘブライ語聖書は、6節冒頭に「キー」(原因、理由を表す意の単語)という単語が記されています。KJVNIVでは、6節冒頭に、for、と訳出しています。

 forを入れて訳すと、5.6節は、
5 知恵があり勇気もある男は力強い。知識のある人は力を増す。6 それ故、あなたはすぐれた指揮のもとに戦いを交えなさい。多くの助言者によって勝利を得るからだ。」と捉えることが出来るのではないかと思います。

 戦争ではなく、研究分野や実業の世界、政治の世界、etc.でも同じことがいえると思います。その場合には男性も女性も関係ありません。

 さて、人は年を取ります。
知恵があり、勇敢であった男性ダビデも老人になったときには、自分で自分の体を温めることも難しくなり、体を温めてもらわなければ体が温まらなくなりました。
 1列王記11-4には次のように記されています。
1 ダビデ王は多くの日を重ねて年を取り、いくら服を着せても暖まらなかった。
2
 そこで家臣は王に言った。「王様のために若いおとめを探し出し、御前にはべらせ、お世話をさせましょう。彼女が添い寝をすれば、王様は暖かくなられるでしょう。」
3
 家臣は美しい娘を探し求めて、イスラエル領内をくまなく探し回り、ついにシュネム人のアビシャグを見つけ、王のもとに連れて来た。
4
 娘はこの上なく美しかった。彼女は王の世話をして仕えたが、王が彼女を知ることはなかった。”(聖書協会共同訳)とあります。
現代では、様々な暖房器具があるので、添い寝をしてもらう必要はありません。

 恵みの時代(新約の時代)はありがたいものです。
誰しも高齢になれば、体力は低下し、自分で自分の世話をすることが出来れば上出来です。その上、にこやかでいつも天への希望をもって生活することが出来れば。

 6節の最後の部分に、「勝利を得る」とありますが、このように訳されている語のヘブライ語現原語は「テシューアー」という語で、救う、救助する、が原義で、助け、安全、勝利、救出、解放、等の意にも用いられます。
この個所を、NIVは、victory、と訳していますが、KJVは、safety、と訳しています。

 神の知恵、神の知識は、キリストの内に在ります。
コロサイ23には、“知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。”(新共同訳)と記されています。
高齢になり、体も思うようにならなくなり、この世に希望を見出すことが出来ないような状態になっても、キリスト様が内住してくださり(コロサイ127)、キリストの内に置かれている人(1コリント130・新改訳、口語訳、岩波訳、聖書協会共同訳、文語訳等)は幸いです。
その人は、主に助けられ、主から知恵と知識を頂き、霊と魂においては、勝利者として生き生きと生きることが出来るのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
地上にあって、主に在って歩める幸いなる恵みとともに、肉の体を脱ぎ捨てた後には、あるいは霊の体に変えられた後には、私たちの霊と魂は大いなる開放を頂いて歩むことが出来るようになりますからありがとうございます。
大いなる恵みを与えてくださっておられますあなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で、感謝しつつ祈ります。アーメン。

2023年8月 1日 (火)

詩編86:1-7 苦難の日の祈り/恵みの中に生かされているキリスト者

 詩編861-7には次のように記されています。
1 祈り。ダビデの詩。主よ〔ヤハウェ(筆者挿入)〕、私に耳を傾け、答えてください。私は苦しむ者、貧しい者です。
2
 私の魂〔ネフェシュ(筆者挿入)〕を守ってください。私は忠実な者です。あなたの僕(しもべ)を、あなたに信頼する僕を救ってください。あなたこそわが神。
3
 わが主よ、私を憐れんでください。私は日夜あなたを呼び求めます。
4
 あなたの僕の魂を喜ばせてください。わが主よ、私の魂はあなたを仰ぎ見ます。
5
 わが主よ、あなたは恵み深く、赦しを与える方。あなたを呼ぶすべての者に慈しみに富んでおられます。
6
 主よ〔ヤハウェ(筆者挿入)〕、私の祈りに耳を傾け、嘆き願う私の声を聞いてください。
7
 苦難の日に私はあなたを呼び求めます。あなたは必ず答えてくださいます。”(聖書協会共同訳)とあります。

詩篇第三巻は、73篇から89篇迄が収められていますが、表題に「ダビデ」が登場するのはこの詩のみです。

7節に、「苦難の日に私はあなたを呼び求めます。あなたは必ず答えてくださいます。」とあります。
 ダビデが神ヤハウェ(主)に信頼して生活してきたことがよくわかります。
ダビデは、おそらく子供のころから主に信頼して歩んできたのだろうと思います。
私がそのように思うのは、1サムエル1734-37の、ダビデがサウル王に語ったことばです。それは次のように記されています。
「僕(しもべ)は、父の羊を飼う者です。獅子や熊が出て来て群れの中から羊を奪い取ることがあります。そのときには、追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻します。向かって来れば、たてがみをつかみ、打ち殺してしまいます。わたしは獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにしてみせましょう。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから〔生ける神の陣をそしったのですから(2017)〕。・・・獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません〔私を救い出してくださいます(2017)〕。」(新共同訳)とあります。
信仰から信仰へと進ませてくださる神様ですから、ダビデがまだ小さかった頃は、このような祈りではなく、自分の身の回りの事柄に対する祈りであっただろうと思います。主が祈りに応えてくださる経験の中で、どんどん祈りの難易度レベル(信じ切れるレベル)も上がっていったのだろうと思います。
ダビデは、多くの苦難を通ってきましたが、いつも主に信頼し、祈り、助け出されてきました。そして、いつも主を崇めたのです。

ダビデは、神様を、恵み深い方であり、寛容な方であり、主なる神様を呼び求める全ての者に恵み豊かなお方であると信じていました(5)。その神様を自分の個人的な神様とし、神様との人格的な交わりの内に、神様を信頼し、神様に祈ったのです(2)。その結果、神ヤハウェ(主)は、いつもダビデに恵みを施したのだろうと思います。

苦難の日には、ダビデは1日中神様に祈り求めていました(3)。
私達も、苦しいときは、「絶えず祈りなさい。」(1テサロニケ517)と言われなくても、苦しみの故に絶えず祈ってしまうのではないでしょうか。それ故、苦しみも、恵みであることが分かります。苦しみが与えられた故に、神様から離れることなく、祈るということについてのみことばを実行する者とされ、更には苦しみの中にある人の気持ちを理解することが出来るようにされるのですから。とはいえ、苦しみからは少しでも早く脱出させて頂きたいものです。

2節に、「私は忠実な者です。」(聖書協会共同訳)とあります。
この個所を、口語訳は、「わたしは神を敬う者です。」と訳し、
新改訳は、「私は神を恐れる者です。」と訳し、
新共同訳は、「わたしはあなたの慈しみに生きる者」(新共同訳)」と訳し、
岩波訳は、「私は忠実なのです。」と訳しています。

新聖書注解には、“「神を恐れる者」{(ヘ)ハーシード}は契約に忠誠な民のことであり、「聖徒」とも訳すことが出来る。」”と記されています。

私達キリスト者は、キリストの血による新しい契約に生きる者、神を畏れ敬う者、神の慈しみに生きる者です。
新生したキリスト者の父は、至高の神ヤハウェ(主)なのです。
「神よ」、「ヤハウェ(主)よ」と祈れるだけではなく、そのお方を「天のお父様」と呼んで祈ることが出来る者とされているのです。個人的な直接的な交わりです。それはキリストを信じたことの故にもたらされたのでした。
 ヨハネ1626.27には、「・・、あなたがたはわたしの名によって求めます。あなたがたに代わってわたしが父に願う、と言うのではありません。父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。あなたがたがわたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからです。」(2017)という主イエス様の御言葉が記されており、
ヨハネ1723には、「わたしは彼らのうちにいて、あなた〔「父なる神」のこと(筆者挿入)〕はわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。」(2017)という主イエス様の御言葉が記されています。

詩篇119159には、「主よ。あなたの恵みによって、私を生かしてください。」(新改訳)、「主よ、あなたのいつくしみにしたがって、わたしを生かしてください。」(口語訳)という祈りがありますが、私達キリスト者は既に恵みによって生かされている者です。

 恵みによって生かされていても苦難にはあいます。
「・・・世にあっては苦難があります。・・・」(ヨハネ16332017)と主イエス様が語られていますから。

 苦難にあっても恵み豊かな主イエス様の内に在って生かされている者、それがキリスト者です。
ヨハネ114には、“この方は恵みとまことに満ちておられた。”(2017)と主イエス様について記されており、
1
コリント130には、“・・あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。”(新改訳初版~第三版)とキリスト者は、キリストの内に在るということが記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
いかなるときにも、天のお父様に、キリスト・イエス様の御名の中で、聖霊の導きを頂いて祈ることの出来る恵みを与えられていますことを感謝します。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
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“晴れたる朝も 我(われ)主にすがらん 嵐の夜は すがり祈りせん 絶えず 主イェスの手によりすがらん 静けき昼も 風吹く夜も”(「われは幼子」の3節・聖歌490 聖歌総合版508

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