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2023年8月 3日 (木)

マタイ24:3-14 終末と満了8 最後まで耐え忍ぶ者は救われる人たちに該当する人1/救われるイスラエル人

 マタイ243-14には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。5 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。6 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。9 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。10 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。11 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。14 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣(の)べ伝えられる。それから、終わりが来る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 13節には、“しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。”と記されています。
最後まで耐え忍んで救われる人たちは大きく分けて2種類の人たちでしょう。
その1は、イスラエル人の残りの者です。(その2は明日アップします)
その人たちは、獣や獣の像を拝まず、666の刻印を受けなかった人たちで、キリストの再臨時にイエシュア(イエス)がハマシアハ(メシア)であると悟り悔い改めるイスラエル人たちです。
 ローマ11章には次のような文章があります{様々な日本語訳聖書の中から塚本訳を選んで下記します。( )内は著者の挿入です}。
25 兄弟たちよ、この秘密を知らずにいてもらいたくない、あなた達(異教人諸君)が、自分は賢い(からこの特権を得た)などとうぬぼれることのないために。一部のイスラエル人が頑なになって(キリストを信ぜずに)いるのは、異教人〔多くの日本語訳聖書は「異邦人」と訳出(筆者挿入)〕が(信仰に)入って定数に満ちるまでであり26 こうして(イスラエル人は異教人が妬ましくなり、悔改めて信仰に入り、)イスラエル人全部が救われる、ということである。
(聖書に)書いてあるとおりである。『シオンから救済者が来て、ヤコブ(の子孫)から不信心を遠ざけるであろう〔「であろう」という訳は、未完了形であって不確実な未来というわけではありません(筆者挿入)〕。27 ──これが彼らと立てる私の契約である、』『彼らの罪をわたしが取り除くその時に。』〔イザヤ5920.21参照(筆者挿入)〕
28
(思えば不思議な神の計画である。)彼らは、福音の点から言えば、あなた達(の救い)のために(福音をしりぞけて神の)敵になっており、(神の)選びの点から言えば、先祖たち(に対する契約)のお蔭で(今もなお神に)愛される者である。
29
神の賜物も招待も、(一旦与えられた以上は永遠に)取り消されないからである。
30
すなわち、かつては神に不従順であったあなた達が、今はこの人たちの不従順によって(神に)憐れみを施されたと同じに、31 この人たちも今はあなた達の受ける憐れみに対して不従順になっているが、これは今(すぐにも)憐れみを施されるためである。32 つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。”(塚本訳)とあります。

 パウロはイザヤ:5920.21を引用しました。それはキリストの地上再臨に関連した預言の文章の中の聖句です。イザヤ5917-21を聖書協会共同訳は次のように記しています。
17 主は正義を鎧として身に着け〔主は義をよろいのように着て(2017)〕、救いの兜を頭にかぶり、報復の衣を身にまとい、妬みの上着〔復讐と激しい怒りの衣(リビングバイブル)〕で身を包まれた。
18
 主は仕業に応じて報い、敵対する者には憤りを、敵には報復を、島々にも報復を返される。
19
 西では主の名を畏れ、東では主の栄光を畏れる。主は激しい流れのようにやって来る。主の息吹がそれを押し流す〔その中で主の息が吹きまくっているからだ(2017)〕。
20
 贖い主がシオンに来る。ヤコブのうちで、背きの罪から立ち帰る者のもとに来る――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。
21
 これが彼らと結ぶ私の契約である――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる。あなたの上にある私の霊、あなたの口に置いた私の言葉は、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、その子孫の子孫の口からも、今より、とこしえに離れることはない――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる。”とあります。

 上記のキリストの地上再臨を黙示録19章は次のように記しています。
11 それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。
12
 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。
13
 この方は血染めの衣を身にまとい〔黙示録126→イザヤ631-3参照(筆者挿入)〕、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
14
 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い上質の亜麻布〔黙示録198参照(筆者挿入)〕を身にまとい、この方に従っていた〔ユダの手紙14.15節(筆者挿入)〕。
15
 この方の口からは、鋭い剣〔「鋭い剣」とは、おそらく「さばきのことば」{エペソ617参照}(筆者挿入)〕が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。そして、この方はぶどう酒の搾り桶を踏む。そのぶどう酒には、全能者である神の怒りが込められている。
16
 この方の衣と腿(もも)には、「王の王、主の主」という名が記されていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イザヤ5920に、“贖い主がシオンに来る。ヤコブのうちで、背きの罪から立ち帰る者のもとに来る――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。”とありました。
主に立ち返る人々は、イスラエルの三分の一の人たちです。
ゼカリヤ13章には次のように記されています。
8 この地のどこでもこうなる、と主は言われる。三分の二は死に絶え、三分の一が残る。
9
この三分の一をわたしは火に入れ、銀を精錬するように精錬し、金を試すように試す。彼がわが名を呼べば、わたしは彼に答え、「彼こそわたしの民」と言い、彼は、「主こそわたしの神」と答えるであろう。”(新共同訳)とあります。

 主に立ち返る人々とは、ヘブライ語で、「イエシュアがハマシアハ」、すなわちイエスがキリスト、であると悟って悔い改める人たちのことです。
 ゼカリヤ12章には次のように記されています。
1 託宣。イスラエルに対する主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の言葉。天を広げ、地の基を置き、人の霊をその内に造られる主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる/
10
わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ
11
その日、エルサレムにはメギド平野におけるハダド・リモンの嘆きのように大きな嘆きが起こる。
12
大地は嘆く。各氏族は各氏族だけで、ダビデの家の氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、ナタンの家の氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、13 レビの家の氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、シムイの氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、14 その他の氏族はそれぞれの氏族だけで、その女たちは女たちだけで嘆く。”(新共同訳)とあります。

 大患難時代{ヤコブにも苦難の時(エレミヤ307)}は、イスラエルの救いに必要なのです。ゼカリヤ139を読むとわかります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
イスラエル人であってもイエス様を主と信じない人たちは救われず、イエス様を主と信じる人たちが救われることを教えられます。
イエス様を救い主、主、と信じさせていただけましたことを感謝します。
願わくは、私たちが救われてほしいと願っている人たちが、イエスがキリストであるということを悟ることが出来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

ローマ11:29〝神の賜物も招待も、(一旦与えられた以上は永遠に)取り消されない〟という御言葉を胸に刻み、最後迄耐え忍び、信じ続けて歩むことができますよう、導いていただきたいと改めて思いました。(精錬していただけますように…です〟
ローマ11章の26節の(イスラエル人は異教人が妬ましくなり、悔改めて信仰に入り、)という箇所の異教人が妬ましくなったからというのは、他人を見て我がふり直せといった感じでしょうか?
お祈りの中のお言葉を、すみません。
〝私たちが救われてほしいと・・悟ることが出来ますように。〟と書かれていた祈りのお言葉を読み…身近なある方が、他の宗教を信仰しています。キリスト教を否定せずにその宗教を遠巻きにすすめてくるのです。執拗に…。
忍耐の尾が切れてしまう時もあり、自分を責めてしまうので、都度、祈ります。
関係を断ち切りたい気持ちにもなりますが、忍耐に忍耐を重ね対応してゆこうと思いました。
ありがとうございました。

“ローマ11章の26節の(イスラエル人は異教人が妬ましくなり、悔改めて信仰に入り、)という箇所の異教人が妬ましくなったからというのは、他人を見て我がふり直せといった感じでしょうか?”→
パウロはそれに近い感じで書いているのだと思います。

“キリスト教を否定せずにその宗教を遠巻きにすすめてくるのです。執拗に…。”→
この人は、あなたをその人が属している宗教へと獲得するためにキリスト教を否定しないだけのことであって、目下のところ、キリストを信じようとは思っていないと思います。
ですから、煩わしかったら、距離をとっても良いのですよ。

少しだけ、聖書の捉え方ができているのかと自信に繋がりますね…。ありがとうございます。

そうです、全くキリストを信じていないのです。なので勧誘が増すたびに焦りが出てきてしまっていました。(祈っているのに…となってしまっていましたし)
私とは違う意見を伺えると、状況が冷静に見えてきますね。ありがとうございます。

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