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2023年8月23日 (水)

マタイ25:1-13 聖霊内住の人が携挙される

 マタイ251-13には次のように記されています。
1 「そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
2
 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
3
 愚かなおとめたち〔思慮の浅い者たち(口語訳)〕は、灯は持っていたが、油の用意をしていなかった。
4
 賢いおとめたち〔思慮深い者たち(口語訳)〕は、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
5
 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆うとうとして眠ってしまった。
6
 真夜中に『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。
7
 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれの灯を整えた。
8
 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。私たちの灯は消えそうです。』
9
 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
10
 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできている五人は、花婿と一緒に祝宴の間に入り、戸が閉められた。
11
 その後で、ほかのおとめたちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。
12
 しかし主人は、『よく言っておく。私はお前たちを知らない』と答えた。
13
 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたはその日、その時を知らないのだから。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 この譬えは、主の空中再臨は何時だかわからないのですから、霊的な意味で、目を覚ましていなさいというものでしょう。主の空中再臨に限らず、いつ地上の命が召されても良いような信仰生活を送りなさい、と応用することも出来ます。
余談になりますが、主の地上再臨は、主の地上再臨の7年前からは分かるようになります。

イエス様がこの譬えを語られた当時のこのような状況を知っておいた方が良いと思い、新聖書注解からユダヤの婚礼に関する記述を転記させていただきます。
 “このたとえに登場するのは、「それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘」である。「そのうち五人は愚かで、五人は賢かった」(2)。「賢い人」と「愚かな人」の対比という点で、この「十人の娘のたとえ」は、「岩の上に建てた家のたとえ」(マタイ724-27)と似ている。
 「十人の娘」は「花婿を出迎える」花嫁の友たちである。ここに見られるユダヤの婚礼は、婚約して約一年後、法的に既に夫婦となっていた両人の夫婦生活が始まることを祝う喜びの祝宴である。
 その婚宴は花婿の家で開かれるのが普通で、花婿は夕方になってから花婿の友と一緒に、花嫁の家に花嫁を迎えに行く。花婿の友が音頭を取り、花嫁の友が美しく着飾り、二人を婚宴の席に導き、盛大な祝宴が開かれる。
 しかし、この譬えでは、花婿の到着が夜中になっており(6)、花婿の到着と同時に「婚礼の祝宴が始まっているので(10)、花嫁の家で婚礼が行われたと思われる(榊原)。
 現在でもパレスチナの婚宴では、この譬えに描かれていることが行われている。
花婿は「花嫁の友」たちが眠っている時に、不意をついてやって来たりする。
その時、先ぶれの男が「そら、花婿だ」と叫ぶことになっている。
しかしその時がいつであるかわからないので、「花嫁の友」たちは何時でも用意していなければならない。
そして、花婿が到着すると戸は閉められ、遅れてきた者は婚宴に出られない(バークレー)。”とあります。

 新聖書注解はバークレーの本から上記の内容を記したのでしょう。
上記の説明について、私はいくつかの疑問を持ちます。
黙示録196-9には次のように記されています。
6 また私は、大群衆の声、大水のとどろき、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。全能者である神、主が王となられた。7 私たちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁〔原語は「グーネー」で直訳すると「妻」(筆者挿入)〕は支度を整え、8 輝く清い上質の亜麻布を身にまとった〔直訳「与えられた」。フランシスコ会訳と塚本訳は「与えられた」(筆者挿入)。〕。この上質の亜麻布とは、聖なる者たちの正しい行いである。」
9
 それから、天使は私に、「書き記せ。小羊の婚礼の祝宴に招かれている者は幸いだ」と言い、また、「これらは、神の真実の言葉である」とも言った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録197の「婚礼」と訳されている語のギリシア語原語は「ガモス」で、nuptials(結婚式や結婚に関することを意味する語)、marriage(結婚、婚姻), wedding(結婚式、婚礼)の意とStrong辞書にあります。
黙示録199の「婚礼の祝宴」と訳されている語の「婚礼」という語のギリシア語原語は「ガモス」です。「祝宴」と訳されている語のギリシア語原語は「ディプノン」です。

 マタイ2510の「祝宴」(聖書協会共同訳)、「婚礼の祝宴」(2017)と訳されている語は、ギリシア語では「ガモス」となっています。ガモスは、marriage(結婚、婚姻), wedding(結婚式、婚礼)のです。

 上記のバークレーの説明では、乙女たちは、花嫁の友達であるとしています。
キリストの花嫁とは、教会であり、教会とは、多くのキリスト者の集合体です。
それ故、私は、このマタイ25章の個所の乙女は、教会を構成するキリスト者を指しているのではないかと思います。

1-4節には、「1 そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
2
 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
3
 愚かなおとめたちは、灯は持っていたが、油の用意をしていなかった。
4
 賢いおとめたちは、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。」とあります。

 天の国〔天の御国(新改訳)、the kingdom of heavenNKJV)〕というのは、神様が支配されている国と捉えることが出来ますから、地上に在っては教会を指しているとも言えます。

教会の中には、油を用意している人即ち聖霊を宿している人と、油を用意していない人即ち聖霊を宿していないか聖霊を消してしまっている人(1テサロニケ519)がいるとも取れるたとえです。

イエス様は、「あなた方は世の光である」(マタイ514・口語訳)、すなわち「あなた方は世にあってキリストが語られた言動をする人である」(筆者の解釈)と語られましたが、聖霊によって光を輝かしている人と、聖霊によってではなく、肉の努力によって光らしいものを輝かしている人とがいるのかも知れません。救われていなくても、ともしびすなわち神のことば(詩篇119:105参照)を知っている人は多くいます。

「思慮の浅い者たち」と「思慮深い者たち」を分けたものは、油(聖霊)を持っているかどうかでした。更に油(聖霊)が容器〔キリスト者のからだ(筆者の解釈)〕にいっぱいに満たされていれば幸いなことです。

5節には、「ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆うとうとして眠ってしまった。」とあります。

私たちの時代は、イエス様が再臨について語られてから、すでに2000年近くになります。

世界の教会内を見渡すと、再臨があると信じている人たちと、再臨はないと考えている人たちがいることが分かります。中には、黙示録の出来事の多くはすでに終わっていると考えている人たちもいます。

また、再臨は信じているが、イエス様がなかなか来ないということで、キリストの再臨と言われてもピンとこない人や、まだまだ来ないのではないかという人もいることでしょう。

ところが、イエス様の空中再臨は神のラッパの響きと共に突然起こるのです(1テサロニケ416)。ラッパは、6節の「そら、花婿だ。迎えに出よ」と呼ぶ声に似ています。しかし、油を用意しておかなかった人たちは間に合いませんでした。

油に喩えられている聖霊は、人から分けてもらうことは出来ないのです。
聖霊は新生したときに与えられ、聖霊は内住してくださるものだからです。
旧約時代は、預言者であっても、聖霊は内住するのではなく、その人の上にとどまったのです。新約の恵みの大きさに驚嘆します。

10節には、「愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできている五人は、花婿と一緒に祝宴の間に入り、戸が閉められた。」とあります。

イエス様の空中再臨の時、用意のできていた人は携挙されるのですが、聖霊が内住してくださっておられない人は携挙されないのです。そして、携挙は一度しかないのです。
携挙の前の神のラッパの響きの時に、肉の体から霊の体に変えられます。その奇跡をなさるのは聖霊です。
ローマ811には、“もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊〔御霊(口語訳、新改訳)〕によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。”(新共同訳)と記され、
 1コリント1552には、“終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。”(2017)と記されています。

「ご主人様、ご主人様、開けてください。」(11)即ち、「イエス様、イエス様、私も入れてください。」と言っても、「わたしはお前たちを知らない。」(12)と言われている人もいます。

この譬えで主イエス様が語りたかったことは、10人の乙女が花嫁か花嫁の友かについてではなく、油を準備して光を灯し続け(内住の御霊に導かれた歩みをして)いつ主が迎えに来られてもよいように準備していなさいということだと思います。

イエス様を信じた人に関して言えば、両親から受け継いだ古き人はキリスト共に十字架につけられたのです{ローマ63.4、ガラテヤ219又は20(聖書によって節が異なります)}。そして、復活のキリストに合され新しい人とされたのです(ローマ64.5.11、コロサイ39.10)。命の観点からいえば、神の霊によって霊を誕生させて頂いたのです(ヨハネ36)。そして更に1コリント617には、“主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。”(2017)と記されています。
また、その人の内には聖霊が遣わされ(ヨハネ1416.17)、聖霊が住んでくださっておられるのです。即ち油を持っているのです。キリストをよみがえらせた方の霊が住んでいる人は、キリストの空中再臨の時、死ぬべき体をも栄光の且つ永遠の体に変えて頂けるのです(ローマ811)。それも一瞬のうちにです(1コリント1551.52)。それはマタイ172のイエス様の変貌のようにでしょう。御霊を持っている者はキリストの空中再臨時の神のラッパが鳴った時、キリストに似たものに変えられるのです(1ヨハネ32)。
 1ヨハネ32.3には次のように記されています。
2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
3
キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつも聖霊に満たされた歩みをさせていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

がんじがらめに考えがちな私には、今日の〝花嫁の友〟という捉え方で少し楽になりました。準備ができてないと思ってしまう時が多いので…。
〝イエス様の空中再臨の時、用意のできていた人は携挙されるのですが、聖霊が内住してくださっておられない人は携挙されないのです。そして、携挙は一度しかないのです。〟この、一度きりしかない所に怯えていたり、日々の生活だできているのだろうか?と常に問いかけすぎていたらする事は、信じていないという事に等しいですものね。もっと主を信じ、自分をも信じたいと思いました。(オドオドしすぎてました笑)
宿っている聖霊を輝かせて地上生活を送ってゆけるよう切に祈り求めます。

新生させていただいた人は、聖霊様が住んでおられますから大丈夫です。
キリストは、永遠の昔から「神」です(昨日のブログの最後の個所)。
神にとって不可能なことはないのですから一切の心配はいりません。
救いや新生は、自分の様々な善行とは一切関係がありません。
イエス様という大船に乗っていれば、ノアと同じです。

アーメン。

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