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2023年8月 9日 (水)

マタイ24:15-24 終末と満了11 おもにイスラエル人に対する大患難時代についての警告

 マタイ2415-24には次のように記されています。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――
16
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
17
 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
18
 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。
19
 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある。
20
 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
21
 その時には、世の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
22
 神がその期間を縮めてくださらなければ、誰一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。
23
 その時、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
24
 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 15-18節には次のように記されています。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――16 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。17 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。18 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。”とあります。

 主イエス様が語られたダニエル書の預言は、ダニエル927に記されています。
神様が天使ガブリエルにダニエルに伝えなさいと言われた内容が、ダニエル924-27に次のように記されています。
24 あなたの民〔イスラエル(筆者挿入)〕と聖なる都〔エルサレム(筆者挿入)〕について七十週〔1週は7年。70週は490年(筆者挿入)〕が定められている。
それは、背きを終わらせ、罪を封印し、過ちを償い、永遠の義をもたらすためであり、 また幻と預言を封じ、最も聖なるもの〔ヘブライ語原語は「コーデシュ コーデシーム」。諸日本語聖書の訳:文語訳は「至聖者」口語訳は「いと聖なる者」新共同訳は「最も聖なる者」新改訳は「至聖所」フランシスコ会訳は「いとも聖なるもの」(筆者挿入)〕に油を注ぐためである。
25
 あなたはこれを知って、悟れ。エルサレムを復興し再建せよとの言葉が出され〔B.C.445年のエルサレム再建命令。ネヘミヤ21-8(筆者挿入)〕てから、油注がれた君が来られるまでが七週。また六十二週たつと、その苦しみの時代に、広場と堀は再建される。
26
 六十二週の後、油注がれた者〔キリスト(筆者挿入)〕は絶たれ、彼には何も残らない。都と聖所を次の君主の民〔ローマ軍(筆者挿入)〕が破壊する。その終わりに洪水があり、戦いの終わりまで、荒廃が定められている。
27
 一週〔7年(筆者挿入)〕の間、彼は多くの人々と契約を固め、半週の間、いけにえと供え物を廃止する。憎むべきもの〔偶像(筆者挿入)〕の翼の上に荒廃をもたらすものが座し、ついに、定められた破滅が荒廃をもたらすものの上に注がれる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 24節には「あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。それは、背きをやめさせ、罪を終わらせ、咎の宥めを行い、永遠の義をもたらし、幻と預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。」(2017)とあります。

「あなたの民とあなたの聖なる都について」とありますから、これはダニエルが所属する民、即ちユダ、更にはもっと広くイスラエルと聖なる都エルサレムに関する預言です。

「七十週が定められている」とあります。
「七十週」の「週」と訳された語の原語の意味は、「七」、「週」の意があります。ですから「七十の七が定められて(決定されて)いる」とも訳せます。
「七十の七」には日も週も年の単語も続いて書かれてはいません。

主の預言は必ず成就するのですから、七十週(七十の七)をどのように捉えるかということについて、自分の概念だけで決めてしまうことは出来ません。七十週については、25‐27節を読むと理解できます。

主の七十週のご計画は、
①イスラエルが主なる神様に背くことを止めさせること
②イスラエルに罪を終わらせること
③咎の宥めを行うこと
④永遠の義をもたらすこと
⑤主が与えてきたいくつもの幻や数々の預言を成就すること
⑥至聖所に油そそぎを行うこと
であるとあります。

25節については、これまでに、いくつもの解釈の仕方が提出されてきています。私はその中から、ワルバード、ロバート・アンダーソンが提示している内容を受け入れています。以下はそれに従って述べていきます。
 25節には「それゆえ、知れ。悟れ。エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして苦しみの期間である六十二週の間に、広場と堀が造り直される。」(2017)とあります。

「エルサレムを復興し、再建せよとの命令」とは、ネヘミヤ21-8を参考にします。ネヘミヤ21には、「アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月」と年と月が分かるように記されています。「「アルタクセルクセス王の第二十年」はBC445年になります。

25節を口語訳は「それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。」と訳し、
 文語訳は「汝暁り知べし(なんじさとりしるべし)ヱルサレムを建なほせといふ命令の出づるよりメッシヤたる君の起るまでに七週と六十二週ありその街(ちまた)と石垣とは擾亂の間に建なほされん。」と訳し、

リビングバイブルは「さあ、よく聞け!エルサレム再建の命令が出てから、神様に油を注がれた方が来るまで、四十九年に加えて四百三十四年かかる。それは苦しい時代だが、その間にエルサレムの城壁も町並みも再建される。」と訳しています。

「七週と六十二週」(口語訳)とは「四十九年に加えて四百三十四年」(リビングバイブル)で、合計483年です。{「七週」は77、「六十二週」は627、で「七」の単位は「年」であったのです。}

ダニエル725に「一時と二時と半時の間」という表現がありますが、これは黙示録から1260日であることがわかります(黙示録126)。預言的な一年は360日になっています。

483年×360日=173880日(になり)、太陽暦に直すと、173880(年)÷365.25(日)=476. 0574948665298(年)となります。精密さをきすと更にもうひと手間考慮する必要があるでしょうが省略します。

ネヘミヤ21-8の出来事はニサンの月とあるだけで、何日かとは書いてありません。

“ロバート・アンダーソンは、BC445年のニサンの月の一日(三月十四日)から、AD32年のニサンの月の十日(四月六日)までの期間(新聖書注解抜粋)と述べ、“AD32年のニサンの月の十日はキリストのエルサレム入場の日であった(ワルバート)。(新聖書注解抜粋)とあります。

「メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週ある」(口語訳)とありますが、メシアであるイエス・キリスト様が「君」即ち王としてエルサレムに入場したのは、棕櫚の日曜日(Palm Sunday)です(マタイ211-9

26節には「その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。

「その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。」とあります。
イエス様は、棕櫚の日曜日の週に十字架にお架かりになられたのです。主イエス様は復活され、墓の中にイエス様のお身体はありませんでした(イエス様をまいた布はありましたが)。

六十二週・・・については、「その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。」の文で終了します。何故なら、奥義であった教会時代が始まるからです。パウロは、「教会」「教会とキリストの結婚」「キリストの内住」は奥義であると言っています(エペソ33-11532、コロサイ127)。教会の誕生はキリストの十字架と復活に基づいていました。「教会」は旧約聖書には述べられていないので奥義なのです。 

 「次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。」(2017)という預言は、ローマのティトゥスによって、エルサレムと主の宮(神殿)が破壊されたことを指します。AD70年のことでした。主の経綸の中にあっては、これは教会時代に起こった事でした。

余談になりますが、いちじくは、イスラエルを象徴しています。
マタイ2119には「道端に一本のいちじくの木が見えたので、そこに行って見ると、葉があるだけで、ほかには何もなかった。それでイエスはその木に「今後いつまでも、おまえの実はならないように」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。」(新改訳2017)とあります。

これは経綸上、69週の後を預言していました。イエス様の十字架と復活をもって線が引かれたのです。即ちイスラエルから教会へと神の統治が移ったのです。しかしイスラエルは忘れられたわけではありません。

マタイ2432.33には「32 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。33 同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。」(新改訳2017)とあります。

このいちじくは再建されたイスラエルを指しています。枯れていた(国を失っていた)イスラエルは1948年に再建されたのです。主の再臨(空中再臨と地上再臨)はその後に起こります。

話を元に戻します。
「その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。」とありますが、「洪水」とは大軍勢のことです。

イスラエルには、これからエゼキエル38章に記されている戦争がありますし、キリストの地上再臨の三年半前からキリストの地上再臨までの間、聖所は汚され、最後にはエルサレムは戦場となります{この戦いは最後の一週即ち七十週の後半の、それも最後の方の出来事になります(ゼカリヤ141-3)}。

27節には「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」(新改訳2017)とあります。

「一週の間」とありますが、教会時代は終わり、経綸上イスラエルの七十週の最終週となるのです。ですからキリストの空中再臨によるキリスト者の携挙は、経綸上イスラエルの七十週が始まる前に起こると私は思います。「彼」とは反キリストであり、初めは偽キリスト(偽メシア)として登場するのでしょう。即ち平和をもたらす者として登場するのです。現在のEUではなく、キリストの空中再臨後に十か国から成る連合国から出てくる人物であり(ダニエル723-25)、666{(名前をヘブル語かギリシア語でアルファベットを数字に置き換えると666)ゲマトリア}と言われる人物です(黙示録1318)。この人にはサタンがついています。サタンはこの人にサタンの力を付与します(黙示録131-7)。

この人物は、初め、人望が厚く、イスラエル人はこの人を受け入れます。そして、イスラエルと何かの契約を結ぶのです。それによって、エルサレムの神域にイスラエルは神殿を建てることができるのです。ところが、キリストの地上再臨の三年半前に、この「彼」(反キリスト)は、自分を神とするのです。「いけにえとささげ物をやめさせ」るのです。そして、神殿には恐らく、「忌まわしいもの」即ち「獣の像」が置かれるのでしょう。そして獣の像を拝まない者は殺されるのです(黙示録1314.15)。

「荒らす者が現れる」の「荒らす者」とは神殿を荒らす者、すなわち反キリストのことであろうと思います。

「そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」というのは、キリストの再臨により、反キリストの軍勢は壊滅させられるのです。「荒らす者」=反キリスト=「獣」は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれるのです。

黙示録1911-21には、
11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方〔再臨のキリスト(筆者挿入)〕は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。12 その目は燃える炎のようであり〔裁きの時の目(筆者挿入)〕、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。13 その方は血に染まった衣をまとい〔イザヤ631-6、これはボツラ(ペトラ)に逃れていたユダヤ人を救うために敵と戦ったため(筆者挿入)〕、その名は「神のことば」と呼ばれていた。14 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て〔黙示録198を指していればキリストの花嫁(筆者挿入)〕、白い馬に乗って彼に従っていた。
15
この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた〔主キリスト様のことばは一言で人に命を与えることができるし命を奪うこともできる(筆者挿入)〕。鉄の杖で彼らを牧する〔義による支配であろうと思います(筆者挿入)〕のは、この方である(黙示録125)。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。16 その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。17 また私は、一人の御使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛んでいるすべての鳥たちに言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。18 王たちの肉、千人隊長の肉、力ある者たちの肉、馬とそれに乗っている者たちの肉、すべての自由人と奴隷たち、また小さい者や大きい者たちの肉を食べよ。」(マタイ24819 また私は、獣と地の王たちとその軍勢(黙示録1612-16)が集まって、馬に乗る方とその軍勢に戦いを挑むのを見た。20 しかし、獣〔反キリスト(筆者挿入)〕は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。21 残りの者たちは、馬に乗っている方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が彼らの肉を飽きるほど食べた。(新改訳2017)と記されています。

この箇所については様々な解釈があり、私が述べたのとは異なる解釈も多々ありますが、私が現在信じているところに従って述べさせて頂きました。

ダニエル924に「あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。」とあるように、この箇所はイスラエル人以外に宛てては書かれていません。大患難はアブラハム、イサク、ヤコブの血筋にあるイスラエル人が救われるためには必要であると主なる神様は考えておられます(エレミヤ301-9)。救われるためには、どなたがメシア(キリスト)であるのかを知ること、即ち十字架に架かられたイェシュア(イエス)がメシア(キリスト)であったことを受け入れる必要があるのです。イスラエルは、エゼキエル38章の預言の戦争で、ヤハウェこそ万軍の主であることを身を持って体験します(エゼキエル3823)。そして、キリストが地上に再臨される時、イスラエルは、イェシュア(イエス)こそがメシア(キリスト)であると知り、悔い改めるのです(ゼカリヤ1210-14)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
大患難時代は、イスラエル人が救われるためには必要なものであると、あなたは愛をもって、その期間を備えられたことを覚えます。
恵みの時代に救いにあずからせていただけることはなんという幸いでしょうか。
私のような弱い人間はただただ感謝です。
あなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

理解にはほど遠く、時間がかかりましたが、それでも理解ができたとは言えずにおります。
膨大な年月がかかる事は理解できた気がします。
神様のなさることは、やはり人知を超えている事は理解できたと思います。
どの様なことにも忍耐を持って取り組み、神様のなさるときを待つことの重要性を改めて学びました。
そして、奥義を大切に。教会時代の恵みに改めて感謝します。
マタ24:24〝24 偽メシアや偽預言者が現れ・・惑わそうとするからである〟と記されているように惑わされることのありませんよう切に願い祈ります。
〝ダニエル7:25に「一時と二時と半時の間」という表現がりますが、・・〟という箇所の「あ」が抜けていました。細かくてすみません。
私は数字に弱いので、質問ですが、〝483年×360日=173880日(になり)、太陽暦に直すと、173880(年)÷365.25(日)=476. 0574948665298(年)・・〟という箇所の173880(年)は173880(日)ではないですか?

“ダニエル7:25に「一時と二時と半時の間」という表現がありますが、これは黙示録から1260日であることがわかります(黙示録12:6)。預言的な一年は360日になっています。
483年×360日=173880日(になり)、太陽暦に直すと、173880(年)÷365.25(日)=476. 0574948665298(年)となります。精密さをきすと更にもうひと手間考慮する必要があるでしょうが省略します。”
360日というのは、ダニエル書や黙示録に記されている預言において用いられているものです。
しかし、現代使用されている暦は、1年が365日であり、かつ4年に一度はうるう年なので、その年に1日が加えられる、という太陽暦を用いています。ですから、太陽暦に換算すると、上記のような式になるということです。

トミーさんが計算式で、173880(日)と出してくださっているので 、太陽暦に直しても173880日で、173880年ではないですか?
とてつもない年数なので、ただ驚くばかりですし、私には数えきれない日数ですけれども。
いつも詳わしく教えてくださり、ありがとうございます。

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