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2023年9月 2日 (土)

詩篇93篇 御子であられるキリストが王となられた

 詩篇93篇には次のように記されています。
1 主は王となられた。主は威厳をまとい、力の衣を身に帯びておられる。世界は固く据えられ決して揺らぐことはない。
2
 王座はいにしえより固く据えられ、あなたはとこしえよりおられる。
3
 主よ、潮は上げた。潮は声を上げた。潮はとどろきを上げる。
〔リビングバイブルは、「大海も鳴りとどろいて、あなたを賛美しています。」と訳しています。(筆者挿入)〕
4
 主は大水のどよめきにまさり、大波にまさり、勢いがあり、威勢があり、高みにおられる。
5
 あなたの定めは確かであり、聖なることはあなたの家にふさわしい。主よ、日の続くかぎり。
〔リビングバイブルは、「そのおきては不変で、その支配の原理は、きよさです。」と意訳しています。(筆者挿入)〕”(聖書協会共同訳)とあります。
 1.3.4.5節の「主」は、「ヤハウェ」です。

 出エジプト313-15には、
13 モーセは神に言った。「今、私がイスラエルの子らのところに行き、『あなたがたの父祖の神が、あなたがたのもとに私を遣わされた』と言えば、彼らは『その名は何か』と私に聞くでしょう。私は彼らに何と答えればよいのでしょうか。」
14
神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」
15
神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエルの子らに、こう言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、あなたがたのところに私を遣わされた』と。これが永遠にわたしの名である。これが代々にわたり、わたしの呼び名である。”(2017)と記されています。

 出エジプト313-15より、ヤハウェ(主)は、「ある」というお方ですから、永遠に存在し、自存のお方であることがわかります。

 新約聖書では、「主」はイエス・キリストです。
キリスト者ならば誰でも知っています。

 さて、キリスト・イエスはヤハウェ(主)なのでしょうか。
キリスト・イエスは神ヤハウェ(主)なのです。

 ゼカリヤ12章には次のように記されています。
1 宣告。イスラエルについての主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。天を張り、地の基を定め、人の霊をそのうちに造られた方、主の告げられたことば。
2
「見よ。わたしはエルサレムを、その周りのあらゆる民をよろめかせる杯とする。エルサレムが包囲されるとき、ユダについてもそうなる。
3
その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。
〔世の終わりの最終戦争の状況です(筆者挿入)〕/
〔主の地上再臨が起こります(筆者挿入)〕
8
その日、主はエルサレムの住民をかくまう。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになって、彼らの先頭に立つ主の使いのようになる。
9
その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。
10
わたし〔「ヤハウェ(主)」のこと(筆者挿入)〕は、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。”(2017)とあります。

 新改訳2017訳のヨエル2章には、次のように記されています。
27 あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕であり、ほかにはいないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。/
32
しかし、主〔ヘブライ語原語は「ヤハウェ」(筆者挿入)〕の御名を呼び求める者は、みな救われる。”とあります。
(新改訳、口語訳、文語訳、リビングバイブルの、ヨエル232を聖書協会共同訳、新共同訳は、ヨエル35としています。)

 ペテロは、ペンテコステの日(五旬節の日)に聖霊に満たされてメッセージを語りました(使徒2章)。
そこで語られたメッセージの中に、“しかし、主〔ギリシア語原語は「キュリオス」(筆者挿入)〕の御名を呼び求める者は、みな救われる。”(使徒2212017)とありますが、その個所は、ペテロのその前の引用個所(使徒217-21)から、ヨエル228-32(特に32節)であることがわかります(新共同訳等は、31-5)。

 パウロもヨエル232を引用して、「主の御名を呼び求める者はみな救われる」(2017)と語りました。

 出エジプトの民を導いたのはヤハウェ(主)でした。
出エジプト1321.22には、
“主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。”(2017)とあります。

 さて、今日の本文に戻ります。
2
節には、“王座はいにしえより固く据えられ、あなたはとこしえよりおられる。”とありますが、1節を聖書協会共同訳は、「主は王となられた。」と訳しています。ヘブライ語聖書の原文は「ヤハウェ マラク」なので、「主 王」とだけあります。口語訳も同じような意味合いで、「主は王となり、」と訳していますが、新改訳初版~第三版は「主は、王であられ」と訳し、新改訳2017は「主こそ王です」と訳し、新共同訳は「主こそ王」と訳しています。

 聖書協会共同訳は、1節を、“主は王となられた。主は威厳をまとい、力の衣を身に帯びておられる。世界は固く据えられ決して揺らぐことはない。”と訳し、
5
節は、“あなたの定めは確かであり、聖なることはあなたの家にふさわしい。主よ、日の続くかぎり。”と訳されています。

 私は、この詩篇93篇は、キリストの千年王国を統治するキリストの預言詩ではないだろうかと想像します。(いろいろな捉え方はありますが。)

 5節の最後には、「日の続く限り」とありますが、新天新地の時代になると、もう夜はありません(黙示録225)。日にちを数えることはなくなるでしょう、永遠なのです。キリストの千年王国時代には、太陽も月もあります。

「日の続く限り」の個所のヘブライ語は、「レオーレク ヨーミーム」で、直訳すると、日々の長さに、となり、日々の期間に、日々のとこしえに、とも訳せます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
主イエス様が、全世界を統治なさる時が待ち遠しいです。
今の世界は、偽りや不正や暴虐が横行し、聖書の神のことばが軽視されるどころか、わざと反対のことをするような時代です。
あなたは、罪が満たされると裁きを行われますが、その前に携挙してくださいますから感謝します。
あなたの御心がなりますように。
あなたは御心を行ってくださいますから御名を賛美します。
主を待ち望みつつ私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

主である神様が、イスラエルの民を選ばれたから、エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民を救い出してくださったのですものね。
感覚的に、逆な感じで捉えがちだと思い、改めさせていただきました。
今あるものの中から選ばれるという感覚に慣れているので、イスラエルが神様を呼んで…という感覚になりそうですが、逆ですものね…。全ては神様がお造りになられ、その中に私達はいる…。説明がし難いですが、感覚的に世の中、逆が横行している様に思いました。(他の方がどの様に捉えていらっしゃるかは分かりませんが…)
もっと、神様…主を主軸に生きることを心がけたいと思いました。
人に気を使ったり、人と合わせたり…。その様なことに力を向け生きている事が多い気がしました。もっと心を自由に、そしてもっと主であるイエスに目を向けて愛してゆきたいと思いました。私の主はイエス様です。なのに、私は愛ある行いが足りていません…。悔い改めます。

“もっと、神様…主を主軸に生きることを心がけたいと思いました。”→
アーメン。
ハレルヤ!

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