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2023年9月16日 (土)

マタイ26:14-25 ユダの裏切り/サタンに心を支配されないように

 マタイ2614-16には次のように記されています。
14 その時、十二人の一人で、イスカリオテのユダと言う者が、祭司長たちのところへ行き、
15
 「あの男をあなたがたに引き渡せば、幾(いく)らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払った。
16
 その時から、ユダはイエスを引き渡そうと、機会をうかがっていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 続くマタイ26:17-25には次のように記されています。
“17 除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。
18 イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「私の時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」 と言っています。』」
19 弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。
20 夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。
21 一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「よく言っておく。あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている。」
22 弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさか私のことでは」と代わる代わる言い始めた。
23 イエスはお答えになった。「私と一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、私を裏切る。
24 人の子は、聖書に書いてあるとおりに去って行く。だが、人の子を裏切る者に災いあれ。生まれなかったほうが、その者のためによかった。」
25 イエスを裏切ろうとしていたユダが、「先生、まさか私のことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」 ”(聖書協会共同訳)とあります。

 並行記事が記されているヨハネ13章には次のように記されています。
1 過越祭の前に、イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた。
2
 夕食のときであった。すでに悪魔は、シモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた/
18
 ・・・。私〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は、自分が選んだ者を知っている。しかし、『私のパンを食べている者が、私を足蹴(あしげ)にした』という聖書の言葉は実現しなければならない。
2017はこの個所を「わたしは、あなたがたすべてについて言っているのではありません。わたしは、自分が選んだ者たちを知っています。けれども、聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かって、かかとを上げます』と書いてあることは成就するのです。」と訳しています。(筆者挿入)〕
19
 事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『私はある』ということを、あなたがたが信じるためである。
2017は、「わたしが『わたしはある』である」と訳し、この聖句は、イエスの神性を表している、と欄外に注釈を加えています。(筆者挿入)〕/
21
 イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、証しして言われた。「よくよく言っておく。あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている。」
22
 弟子たちは、誰のことを言われたのか察しかねて、顔を見合わせた。
23
 イエスのすぐ隣には、弟子の一人で、イエスの愛しておられた者〔ヨハネ1926202217.20参照(筆者挿入)〕が席に着いていた。
24
 シモン・ペトロはこの弟子に、誰について言っておられるのかと尋ねるように合図した。
25
 その弟子が、イエスの胸元に寄りかかったまま、「主よ、誰のことですか」と言うと、
26
 イエスは、「私がパン切れを浸して与えるのがその人だ」とお答えになった。それから、パン切れを浸して取り、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
27
 ユダがパン切れを受けるやいなや、サタンが彼の中に入った。イエスは、「しようとしていることを、今すぐするがよい」と言われた。
28
 座に着いていた者は誰も、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。
29
 ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。
30
 ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所は、3年半の間、主イエス様と寝食を共にしてきたイスカリオテのユダが、主イエス様を銀貨30枚で祭司長たちに売る場面です。
 主イエス様は、イスカリオテのユダについて、詩篇419(新共同訳、聖書協会共同訳は、10節)の聖句を引用し、「わたしのパンを食べている者が、わたしに向かって、かかとを上げます」という言葉が成就するのだ、と語られました(ヨハネ1318)。

 続くヨハネ1319には、「事が起こる前に、今からあなたがたに言っておきます。起こったときに、わたしが『わたしはある』であることを、あなたがたが信じるためです。」(2017)と記されています。

 「わたしは『わたしはある』である」という宣言は、私は神である、という宣言です。
主イエス様が11弟子に、ご自分が神である、ということを自ら教えられたのです。

 「わたしは『わたしはある』である」という聖句が最初に出てくる個所は出エジプト3章です。そこには次のように記されています。
13 モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」
14
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
〔神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」(2017)〕
15
神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名これこそ、世々にわたしの呼び名。”(新共同訳)とあります。

 余談になりますが、
ヘブライ語は、子音字の単語からできています。子音字につける母音記号の付け方で読み方が変わります。「主」という語は英語のアルファベットに置き換えると「YHW(V)H」となります。YHW(V)Hに母音記号を付けて読む場合、ヤハウェ、ヤハヴェ、ヤーヴェ―、ヤーウェー、イェホバー、等と読むのです。Hにはハ行として使う場合と「―」というように伸ばす使い方があります。私は、「ヤハ(あるいは、ヤー)、YHWHはとこしえの岩(神にたとえている。守り)だから」(イザヤ263)という聖句が好きなので、「ヤハ」から「ヤハウェ」とさせていただいています。主は、心の中まで、すべて見通されるお方なので、読み方が多少異なってもすべてその人の本心を察してくださいます。

 話を元に戻します。
イスカリオテのユダについて:
イスカリオテのユダは、主にかかとをあげるように主によって仕組まれたのでしょうか?
私は、そうではないと思います。
詩篇419の聖句は、神の予知であると捉えます。
イスカリオテのユダの中にサタンが入るまでの、イスカリオテのユダの心の変遷をたどってみます。
ヨハネ132には、“・・、悪魔(サタン)は・・、ユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。”(2017)とあり、
ヨハネ1327には、“・・サタンが彼(イスカリオテのユダ)に入った。”(2017)とあります。

 イスカリオテのユダは、サタンが働きやすい心の状態の中にありました。
ヨハネ12章には次のように記されています。
1 過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。
2
 イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に席に着いた人々の中にいた。
3
 その時、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足を拭った。家は香油の香りでいっぱいになった。
4
 弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った
5
 「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
6
 彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。自分が盗人であり、金入れを預かっていて、その中身をごまかしていたからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イスカリオテのユダの心は、主イエス様に向いていたのではなく、お金に向いていたのです。

 サタンは、イスカリオテのユダの心に、イエス様を裏切ろうという思いを入れたのです(ヨハネ132)。
イスカリオテのユダが、主イエス様からパンを受け取った時、イスカリオテのユダは、主イエス様を祭司長たちに売ることを決心したのです。悪しきことを意志すると、サタンは入ってくることが出来ます。
ヨハネ1327には、“・・サタンが彼(イスカリオテのユダ)に入った。”(2017)と記されています。

 少し話が飛びますが、サタンがその人から抜けるとどうなるのでしょうか?
マタイ27章には次のように記されています。
3そのあと、イエスを売り渡したユダは、イエスが〔死刑を〕宣告されたと知り、後悔して銀三十枚を祭司長たちと長老たちとに返して4言った、
「俺は罪なき血を売り渡して、罪を犯した」。
しかし彼らは言った、「そんなことはわれわれの知ったことか。お前が勝手に始末せよ」。
5
そこで彼は、銀貨を神殿に投げ入れ、立ち去った。そして行って、首をくくっ〔て果て〕た。”{(岩波訳)/〔 〕内は訳者挿入}とあります。

 予定と予知の違いをイスカリオテのユダから学ぼうと思います。
聖書辞典は、イスカリオテのユダについて、
“「ユダは自分のところへ行くために脱落して行きました」(使1:25)ということばと、「滅びの子が滅びた」(ヨハネ17:12)ということばをどのように調和すべきだろうか。ユダは神に強制されて滅びの子になったのではなく、神のあわれみを積極的に拒んだのである。私たちは神の召命の誠実さを疑うべきではない。また主の予知は、ユダが強制されて裏切者にならなければならなかったという予定を意味していない。ユダは決してキリストの真の弟子ではなかったのである。”(抜粋)と述べています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主は、私たちキリスト者を、こよなく愛してくださっておられます。
ありがとうございます。
とこしえに主を愛し、主に従い続ける私たちであらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

奥深い学びをありがとうございます。
私はまだまだ、ヨハ13:26-28の様な出来事を石橋を叩く様に確認してしまっていましたが、今日、予知と予定をアップしてくださり学ぶことで、矯正され続けてゆける事がありがたい事なのだと思いました。
お金ではなく心、主に従い続けてゆける者であり続けたいと切に願い祈り求めます。
表現の仕方がわかりませんが、《信じる》という見えないものは、神様からのものである事を同時に教えてくださっていて、何か起きている実際の出来事も、全て神様のご計画の内である事も学びます。(直ぐ、「ダメだ…」と思い自力発想が出がちですので)
主を信じて歩むという事。どの様な生活なのだろう?とボンヤリしていたものが、形付いてきている様な気がします。終わりなき信仰の道。永遠ですね。

〝「わたしは『わたしはある』ある」という聖句が最初に出てくる個所は出エジプト3章で・・〟のある』とあるの間に「で」が抜けているのかな?と思いましたが、その前の「わたしは」は、わたしがの様な気もします。
又々細かな所をすみません。

訂正すべき個所は、一応、「で」を入れておきました。
この個所のヘブライ語を英訳すると、I AM WHO(あるいはTHAT) I AM、となります。
これを日本語に訳せばよいのです。
色々と訳してみてください。
いずれにしても神様が、私は永遠に存在する者ですよ、と教えてくれています。

いつもありがとうございます。
私は最近思うのは、神様だけが「ある」存在なのかと思いました。被造物は無いわけではないのですが…。説明しにくいですけれども。
今、教えて頂くと、神様は人によって変化するという事でもあるのかな?と思いました。
神様は唯一の三位一体の神様なのですが、個々人によってご対応してくださるので…。
言葉に表せませんね。ありがとうございます!

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