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2023年9月19日 (火)

箴言25:7bー10 覆水盆に返らず

 箴言257b-10には次のように記されています。
7 あなたがその目で見たことを、8 性急に争いの場に持ち出すな。
後に友人に辱められ、あなたが何か事を起こさないために。
9
 自分のことは友人であっても争え。
だが他人の秘密を漏らしてはならない。10 それを聞く者があなたを蔑まないために。あなたは悪評を元には戻せない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所をリビングバイブルは8-10節として次の様に意訳しています。
“かっとなって、よく考えもせずに人を訴えてはいけません。
引っ込みがつかなくなり、おまけに裁判にも負けたらどうするのでしょうか。
そんな恥をかかないためにも、まず二人だけでよく話し合いなさい。
第三者に告げ口して、陰口をたたいたといって責められないためです。
口に出してしまったことばを取り消すことはできません。”とあります。

 言葉を発してしまった後に、「アーぁ、あんな事、言わなければよかったな。」と思ったことはないでしょうか。
私は何度もあります。

 イエス様は、人の内にあるものが、人を汚すのだ、ということを教えられました。
マルコ715.20-23には次のように記されています。
15 外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。人の中から出て来るものが、人を汚すのです。/
20
・・・。人から出て来るもの、それが人を汚すのです。
21
内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。
淫らな行い、盗み、殺人、22 姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、23 これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。”(2017)とあります。

 ヤコブの手紙3章には次のように記されている箇所があります。
2 私たちは皆、度々過ちを犯します。言葉で過ちを犯さないなら、その人は体全体を制御することのできる完全な人です。
8
 しかし、舌を治めることのできる人は一人もいません。舌は、制することのできない悪で、死をもたらす毒に満ちています。
9
 私たちは舌で、父なる主をほめたたえ、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪っています。
10
 同じ口から、賛美と呪いが出て来るのです。私のきょうだいたち、このようなことがあってはなりません。
11
 泉の同じ穴から、甘い水と苦い水が湧き出るでしょうか。
12
 私のきょうだいたち、いちじくの木がオリーブの実をつけたり、ぶどうの木がいちじくの実をつけたりすることができるでしょうか。塩水が甘い水を生むこともありません。13 あなたがたの中で、知恵があり分別があるのは誰ですか。その人は、知恵に適(かな)う柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。
14
 しかし、あなたがたが心の内に、苦々しい妬みや利己心を抱いているなら、誇ったり、真理に逆らって嘘をついたりしてはなりません。
15
 そのような知恵は、上から降(くだ)って来たものではなく、地上のもの、自然のもの〔肉に属するもの(口語訳)〕、悪魔から出たものです。
16
 妬みや利己心のあるところには、無秩序とあらゆる悪い行いがあるのです。
17
 しかし、上からの知恵〔「知恵」のギリシア語原語は「ソフィア」。「上からの知恵」とは神の知恵(筆者挿入)〕は、何よりもまず、清いもので、さらに、平和、公正、従順なものです。また、憐れみと良い実りに満ち、偏見も偽善もありません。
18
 義の実は、平和をもたらす人たちによって平和のうちに蒔かれます。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主イエス様は次のようにも語りました。
15 「きょうだいがあなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところでとがめなさい。言うことを聞き入れたら、きょうだいを得たことになる。
16
 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の人の証言によって確定されるようになるためである。
17
 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい〔教会があなたを支持してもなお、相手がそれを受け入れないなら、教会はその人と交わるのをやめなさい。(リビングバイブル)〕。”(マタイ18章・聖書協会共同訳)とあります。

 私たちの心がきよめられれば、悪い言葉は出てこなくなります。
ダビデは次のように祈りました。
12 誰が知らずに犯した過ちに気付くでしょうか。隠れた罪から私を解き放ってください。
14
 あなたの僕を傲慢から引き離し、これに支配されないようにしてください。その時、私は全き者となって、多くの背きの罪から解き放たれるでしょう。
15
 私の口が語ることと心の思いとが、御前で喜ばれますように。主よ、わが大岩、わが贖い主よ。」(詩篇19篇・聖書協会共同訳)と記されています。

 私たちキリスト者は、他者と話す前に、その問題を主イエス様と話すことが出来ます。
主イエス様と話していると、自分の過ちや、対処の仕方、物事の考え方を教えてくださいますから、当該問題を口から発する前に、解決する場合もかなりあると思います。
覆水盆に返らず、となる前に、まずは主イエス様と会話することの重要性を覚えます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつでも、どんなことでも、主イエス様と会話することが許されていますから感謝します。
常に主に導かれて歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

主イエス様と話すことが出来る恵みに感謝します。
私は「アーぁ」なんて何回所か…ではなくて多々です。気をつけているにもかかわらず…なんて多々です。(声が出なくなればいいなんて思った時もあったりするほどで、失礼な思考を持っていたと反省するばかりです)
自分では暴言を吐いたつもりはなくても、相手側から暴言だと突き詰められた事もあります。
なので、慎重にしているのに…と、何度も自分を責めた事でしょう。
イエス様を信じた辺りから、聖書を学び出した辺りからは、亀の歩みですが変わってきている様に思います。多分、ですね?そう思いたいですね。
色々言われても耐えます。(その分、身近で大切な人に当たってしまう事が増えたかもしれないです。それもいけない事ですね)そして、イエス様に嘆きます。

振り返ってみれば最近は心がザワザワする事がかなり減りました。身近に愛する人、家族のことはやはり乱される事はありますが、その他の事で「カッ」と内心思っても祈る事が出来てきている気もします。(他の方とは比にならない話で、あくまでも私自身の過去と今での話ですけれども)
誰かに相談する時も、慎重にならないといけないと、今日は特に思いました。
相談前に冷静になる事や、相手の目線に立つ事は必要不可欠な事ですね。
大切であればある程、慎重になる必要があると思いました。傷付け合うなんて嫌ですものね。
神様は愛し合うためにイエス様を送ってくださったのですから、イエス様に倣った生き方を目指したいと改めて思いました。
マタ18:15-17は、私は幼い頃から叱られる事が多々あり(今日書いていて私はとても問題児でありますね笑)、やはり皆の前で叱責された時の恥ずかしさから、「怒られない様に、見つからない様にしよう」という思いになりました。その頃は、まだまだ子供で神様もボンヤリしておりましたので、そんな内から湧いてきた悪ばかりでしたね。それでも、その時の経験を活かして冷静な時は人前で曝け出す様な事は気をつけています。
ただ…冷静さを失っている時や内から悪が芽生えている時ですよね…。これは気をつけていても、今日のお題ではないですが…。日々、祈り続けるしかありません。導いてくださいます様に切に願い祈り求めます。

イエス様が働いてくださっておられる証しをありがとうございました。
ハレルヤ!

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