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2023年9月21日 (木)

申命記30:15-20 命を選びなさい/人の選択、神の予知、神の選び、神の予定

 申命記3015-20には次のように記されています。
15 見よ、私は今日、あなたの前に命と幸い、死と災いを置く。
16
 私が今日あなたに命じているとおり、あなたの神、主を愛し、その道を歩み、その戒めと掟と法を守りなさい。そうすればあなたは生きて、その数は増える。あなたの神、主は、あなたが入って所有する地であなたを祝福される。
17
 しかし、もしあなたが心変わりして聞き従わず、惑わされ、他の神々にひれ伏し、仕えるならば、18 私は今日、あなたがたに宣言する。あなたがたは必ず滅びる。ヨルダン川を渡り、入って行って所有する土地で長く生きることはできない。
19
 私は今日、天と地をあなたがたに対する証人として呼び出し、命と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選びなさい。そうすれば、あなたもあなたの子孫も生きる。
20
 あなたの神、主を愛し、その声を聞いて、主に付き従いなさい。主こそあなたの命であり、主があなたの父祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた土地であなたは長く生きることができる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 リビングバイブルはこの個所を次の様に意訳しています。
15 いいですか、これは生きるか死ぬかの問題です。主に従って生きるか、従わないで死ぬかの、どちらかしかありません。
16
私はきょう、主を愛し、その道に従い、律法を守るようにと命じました。そのとおりにすれば生きることができます。主はあなたと、もうすぐあなたがたのものになる地とを祝福し、大きな国民としてくださるでしょう。
17
しかし、心が離れ、その教えに耳も傾けず、外国の神々を拝んだりすれば、18 今はっきり断言しますが、必ず滅びます。あなたのものになる国で、いつまでもしあわせに生きることはできません。
19
さあ、天と地が証人です。どちらを選びますか。生きることですか、それとも死ぬことですか。祝福ですか、のろいですか。もちろん、あなたのためにも子孫のためにも、生きるほうを選ぶべきです。
20
主はあなたのいのちです。あなたの神、主を愛し、信頼し、ご命令に従いなさい。そうすれば、先祖アブラハム、イサク、ヤコブに約束された地で平安に生きられます。
”とあります。

 一読すれば文章の内容は理解できると思います。
しかし、読んで理解できることと、律法を全うすることとは別です。
神ヤハウェ(主)に「あなたは命を選びなさい。」(19)と言われても、いのちを選んだ人はいなかったのです。
律法を全うできたのは、イエス・キリスト様ただ一人であったのです。

 罪(罪の性質)をもって生まれた人間{詩編515(新改訳・口語訳)新共同訳・聖書協会共同訳は517、ローマ512参照}は、罪を犯さずに生きることはできませんでした。

 父なる神様と御子なるイエス・キリスト様は、新たなる救いの道を備えてくださいました。
 それは、私たちの罪のために死なれ、葬られ、三日目に復活し、弟子たちに現われたキリスト・イエスを信じれば救われる(1コリント153-5)ということでした。

 何と、今日の本文の個所から、「〔主イエス(筆者挿入)〕こそあなたの命」(20)、「あなたは命を選びなさい。」(19)と抜粋することが出来ます。

 ヨハネ316には、“実に神はひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、この世界を愛してくださいました。それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず永遠のいのちを得るためです。”と記されています。

 主イエス様が、私たちの罪のために十字架上で贖いを成し遂げられたことについての預言は、イエス様が十字架につけられる約700年前の預言であるイザヤ53章に記されています。
 ペトロ(ペテロ)は、イザヤ53章を引用して次のように記しました。
22 「この方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は罪を犯さず、その口には偽りがなかった。」
23
 罵られても、罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方に委ねておられました。
24
 そして自ら、私たちの罪を十字架の上で、その身に負ってくださいました。私たちが罪に死に、義に生きるためです。この方の打ち傷によって、あなたがたは癒やされたのです。25 あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり監督者である方のもとへ立ち帰ったのです。”(1ペトロ2章・聖書協会共同訳)とあります。

 パウロは、主イエス様を信じることによって救われるという、救われる方法を次のように記しています。
9 口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
10
 実に、人は心で信じて義とされ口で告白して救われるのです
11
 聖書には、「主を信じる者は、誰も恥を受けることがない」と書いてあります。
12
 ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
13
 「主の名を呼び求める者は皆、救われる」のです。”(ローマ10章・聖書協会共同訳)とあります。

 またパウロは次のようにも書いています。
8 あなたがたは恵みにより、信仰を通して救われたのです。それは、あなたがたの力によるのではなく、神の賜物〔贈り物(筆者挿入)〕です。
9
 行いによるのではありません。それは、誰も誇ることがないためです。
10
 私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです。”{エフェソス(エペソ)2章・聖書協会共同訳}とあります。

 救いを求める人の多くは、善い行いをすることによって救われようとします。
しかし、人は、主が良しと認めるような善い行いをするようなことは出来ないのです。
常に神様を愛し、神様を自分よりも第一とし、隣人に対しては自分と同じように愛するということなどできるでしょうか(マタイ2236-40参照)。特に主イエス様を信じる前の人が(主イエス様を信じた後もなかなか難しいものです)。愛の行為については、1コリント134-7にあらましが記されています。

 話を変えます。
命と幸い、死と災い、のどちらを選ぶかは、その人自身の選択にかかっているのです。
 申命記3015.19を抜粋して下記します。
15 見よ、私は今日、あなたの前に命と幸い、死と災いを置く。
19
・・・、命と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選びなさい。・・・。”とあります。

 神様は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます(1テモテ2:4)。
しかし、救いか、滅びかの選択権は人の側にあります。
神様が人に自由意思を与えられましから、人は選択権を持っているのです。

 キリストの福音が個々人に提供されたとき、主キリスト・イエス様を自分の救い主として選択する人を、父なる神様は、天地創造の前から予知し、予知した人をキリストのうちに選び、キリストの血によって、御前で聖い者として整えるというご計画をたてられたのです(創世記126.27、申命記30191ペテロ12、エペソ14.5、ローマ829.30参照)。

 ヨハネ524には、「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕のことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」(2017)と記され、
 ヨハネ640には、「わたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕の父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」(2017)と記されています。

 ヨハネ318には、“御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。”(2017)と記されています。
 生まれながらに、イエスはキリスト(油注がれた者。メシア)であり、神のひとり子であり、主であり、救い主であると信じている人はいません。
すなわち、人とはアダムの堕罪のゆえに、生まれながらに裁かれている(罪定めされている)者なのです。しかし、ある時点で、主イエス様を信じたことにより、罪赦され裁きにあうことがなくなるのです。それどころか、義とされ、永遠の命にあずかり、神の子どもとされ、やがては霊のからだをいただき、天に移された後、花婿キリストとの結婚式があるのです。

 聖書の御言葉を信じない人にとってはおとぎ話のように思えることでしょう。
しかし、聖書の御言葉を信じ、キリスト・イエス様を信じる人にとっては、上記した祝福受けることになるのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
御父が御子イエス様による救いの計画をたてられ、御子イエス様は贖いとなって私たちが救われるための準備を成就してくださいました。
私たちが救いを探究しているときに、聖霊様は光を当ててくださり、罪を示し、救い主を示してくださいました。
三一の神様に感謝します。
御名が世々限りなくほめたたえられますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

そうなんですよね。イエス様を信じようとした訳ではなく、導かれていたのです。不思議なんです。信じる事へと導いてくださったのです。
感謝しかありません。
自力となりがちなので、それはやはり学ばせていただいている中で、日々の中で修正、矯正していただいているのだと思います。
感謝を忘れずに、日々、祈り求めます。
ローマ10章の9節前にコロンがありました。
また、細かな所をすみません。

教えてくださりありがとうございました。
助かります。

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