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2023年10月14日 (土)

マタイ27:1・2、11-14 ユダヤの宗教指導者たちによってピラトに引き渡されたイエス様とその後の裁判の途中経過/真理とは

 マタイ271.211-14には次のように記されています。
1 夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺すために協議した。
2
 そして、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。/
11
 さて、イエスは総督の前に立たれた。
総督がイエスに、「お前はユダヤ人の王なのか」と尋問すると、
イエスは、「それは、あなたが言っていることだ」と言われた。
12
 しかし、祭司長たちや長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。
13
 すると、ピラトは、「聞こえないのか。あんなにお前に不利な証言をしているのに」と言った。
14
 しかし、総督が非常に不思議に思うほどに、イエスはどんな訴えにも一言もお答えにならなかった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 宗教指導者である祭司長たちと民の長老たちは、主イエス様を殺したかったのです。そこで、イエス様をローマによって死刑にしてもらおうとしたのです。
彼らが主イエス様を死刑にすることができなかった理由は、ローマ帝国から死刑執行の権利を取り上げられていたからです。

 ユダヤの宗教指導者たちが、主イエス様を死に値するとした罪は、冒涜の罪でした。

 マタイ26章には次のように記されています。
63 ・・・。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」
64
 イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。だが、私は言っておく。あなたがたは間もなく人の子が力ある方の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」
65
 そこで、大祭司は衣を引き裂いて言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。66 どう思うか。」
人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 しかし、冒涜の罪という宗教的な罪状では、ローマの法廷において死刑にすることはできません。
ローマに反逆する何かしらの政治的な理由があれば死刑にできる可能性がありますが。

 11節で、総督ピラトがイエスに、「お前はユダヤ人の王なのか」と尋問しています。
私はユダヤ人の王である、とイエス様がいえば、ピラトは、イエス様に死刑を言い渡すことができたのでしょう。

 ヨハネの福音書はこのところをもう少し詳しく記述しています。ヨハネ18章には次のように記されています。
 “33 そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前はユダヤ人の王なのか」と言った。
34
 イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのか。それとも、ほかの者が私について、あなたにそう言ったのか。」
35
 ピラトは答えた。「私はユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前を私に引き渡したのだ。一体、何をしたのか。」
36
 イエスはお答えになった。「私の国は、この世のものではない。もし、この世のものであれば、私をユダヤ人に引き渡さないように、部下が戦った ことだろう。しかし実際、私の国はこの世のものではない。」
37
 ピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「私が王だとは、あなたが言っていることだ。私は、真理について証しをするために生まれ、そのために世に来た。真理から出た者は皆、私の声を聞く。」
38
 ピラトは言った。「真理とは何か。」
38
 ピラトはこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て来て言った。「私はあの男に何の罪も見いだせない。39 ところで、過越祭には、誰か一人をあなたがたに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 ルカによる福音書23章にはさらに詳しく次のように記されています。
1 そこで、議員たちは皆立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。
2
 そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っております。」
3
 そこで、ピラトがイエスに、「お前はユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることだ」とお答えになった。
4
 ピラトは祭司長たちと群衆に、「この男には何の罪も見つからない」と言った。
5
 しかし、彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 宗教指導者たちや民の長老たちは、偽りの証言をし、罪なき者を殺そうとするという十戒で禁止されている条項を破っているのです。そこまでして彼らは主イエス様を亡き者にしたかったのです。

 ルカ18章に記されているピラトの考えは次のようでした。
13 ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、14 言った。
「あなたがたは、この男が民衆を惑わしているとして私のところに連れて来た。私はあなたがたの前で取り調べたが、訴えているような罪はこの男には見つからなかった。
15
 ヘロデもそうだった。それで、我々のもとに送り返してきたのだ。この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 Bible navi は、“宗教指導者たちはピラトの前に立ち、彼らがイエスを逮捕した罪とは異なる罪でイエスを告発した。彼らはイエスを冒涜(神であると主張したこと)で逮捕したが、ローマ人にとってその告発はどうでもよいものであった。それで宗教指導者たちは、民に税を払わないようにけしかけることや、王であると主張することや、暴動を引き起こすというような、ローマ政府の利害に関係する罪でイエスを告発しなければならなかった。これらの告発は真実ではなかったが、宗教指導者たちはイエスを殺すと決意しており、そのために偽証や殺人を禁じる戒め(出エジプト2013.16)を破った。”とまとめています。

 話は変わりますが、偽証や殺人を禁じる戒め(出エジプト2013.16)を破って主イエス様を死刑にしようとした宗教指導者たちや民の長老たちは、キリストの千年王国の後にもたれる白い御座の裁き(最後の審判)の時に、主イエス様の前に立たせられるのです。その結果は、黙示録2015に記されています。

 サドカイ派の人たちは、現代の唯物主義の人たちに似ているところがあります。
聖書辞典は、サドカイ派の人たちについて次のように述べています。
“サドカイ人はエルサレムの神殿を中心とする祭司家系に連なる裕福な上流階級であった。その起源については、ダビデ、ソロモンの時代に、エブヤタルの失脚に伴って、祭司の指導者として活躍したツァドク(Ⅰ列1:38‐39)に由来するという説や、ヘブル語のツァッディーク(義なる者)という形容詞に由来するという説があるが、はっきりしたことは分らない。サドカイ派が歴史上姿を現すのは、アンティオコス・エピファネスの時代(前175―163年)に彼のヘレニズム化に反対して立ち上がったマカベア家(ハスモン家)によって古い祭司系譜が一掃され、マッタティヤの子シモンが大祭司になった時からである。このマカベア家の宗教的、政治的な立場を支持する党派としてサドカイ派が登場し、また、一方では民衆の宗教的指導者として厳密な律法の遵守を説くパリサイ派との間に政治と宗教を巡る主導権争いが、紀元70年のエルサレム陥落まで続くのである。さかのぼって前63年にローマがパレスチナを支配するようになり、さらにヘロデ大王が前37年にエルサレムの王位につくと、マカベア家の政治的指導性は失われ、その後大祭司とサドカイ人はローマとヘロデの圧制に苦しむことになる。ヨセフォスによれば、ヘロデの時からエルサレム滅亡まで28人の大祭司が替ったと言う。このことは、大祭司とそれを支持するサドカイ人の力があなどりがたいものであり、ローマが、お気に入りの大祭司によってユダヤを支配しようとしたことをも意味している。/
彼ら〔サドカイ派の人々(筆者挿入)〕は、復活はないと主張していた(マタ22:23,マコ12:18,ルカ20:27,使4:1‐2,23:8)。これらの箇所に加えて、ヨセフォスの証言によれば、彼らは肉体のよみがえり、未来における罰と報い、御使いや霊の存在を拒否していたことが明らかである。サドカイ派はパリサイ人と違って「モーセ五書」に中心をおき、五書に記された律法にのみ最終権威を認めたので、そこに書かれていない復活論や、死後の生命のような教理を否定したと思われる。しかし同時に、彼らは宗教的指導者であると共に、政治の指導者でもあったので(使4:1,5:17,23:6‐8)、初代教会の主張する復活論に教理的に反対するのみならず、彼らの力が増大すれば、政治的な混乱を招き、自分たちの立場が危うくなることを恐れて、激しく反対したものと考えられる。彼らの関心は主として世俗的なことであり、古い形の宗教的教義を固守はしたが、宗教上の問題には真の関心を寄せなかったと言える。”(抜粋)と記しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは宗教指導者たちや民の長老たちの心の中の思いを予知し、彼らの悪を用いて、キリストによる贖いのご計画をたて、それを成就してくださいましたことを覚えます。
あなたは、人々や悪魔悪霊の悪をも用い、それをも善のために用いて、あなたの愛の御業が遂行されていくことを覚えます。
私たちは主イエス・キリスト様が十字架につけられたことによって、罪の赦しを受けました。
それは、主イエス・キリスト様が私たちの罪を身代わりに負ってくださったからです。
父なる神様と御子イエス様に感謝します。
主イエス様の御名によって感謝してお祈りします。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<追記>
主イエス様は、ピラトに「私は、真理について証しをするために生まれ、そのために世に来た。真理から出た者は皆、私の声を聞く。」と言いました(ヨハネ1837)。
それに対してピラトはイエス様に「真理とは何か。」(ヨハネ1838)と言ったのです。
この個所で「真理」と訳されているギリシア語原語は「アレーセイア」です。
 「アレーセイア」について聖書辞典は次のように述べています。
“アレーセイアは、だいたい〔ヘブライ語の(筆者挿入)〕エメスと同じく、神に属する真理、神の真実とそれへの人間の信頼を表現している。アレーセイアは語源的には覆われた覆いが取り除かれてあらわにされたものを意味している。
 以下、アレーセイアの意味するところを3つほど記そう。
 (1)真理は救いのために啓示された神のみこころとしての「福音そのもの」を意味している。パウロはガラテヤの教会を脅かしていた福音のユダヤ主義的折衷が真理そのものに背くものと見抜き、「福音の真理があなたがたの間で常に保たれる」(ガラ2:5)よう勧めている。「真理はイエスにある」(エペ4:21)。このイエスにある真理に私たちを導いてくださるのは「真理の御霊」(ヨハネ14:17,15:26,16:13)である聖霊である。さらに、この救いを宣べ伝える教会の正しい教義が真理と呼ばれ(ヘブ10:26,Ⅱペテ1:12)、教会が「真理の柱また土台」(テモ3:15)と呼ばれている。
 (2)もう少し広い意味でこの真理ということばが用いられている。それは創造において啓示された神の御旨としての自然啓示である。霊的に死んでいる人間は「不義をもって(この)真理をはばみ」(ロマ1:18)、「神の真理を偽りと取り代えて」(1:25)、自らを神の前に弁解の余地のないものにしてしまっている。特に神の真理がこれを阻む人間の不義との対照で示されている。
 (3)虚偽と欺きに対する、キリストにある人間の真実を意味している(ロマ9:1,Ⅱコリ7:14)。以上のように、聖書において啓示されている真理は、本来、神のものであり、キリストにあって神からいただくものであり、真理の源泉は神である(コリ13:8)。”(抜粋)と記しています。

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コメント

神様を差し置いて主張することや、間違えていると思っているのに、その間違いを伝えられないこと等は、たくさん私の中にも生まれます。
神様を主導とした生き方をしてゆく事ができます様、祈ります。

肉の力でがんばらないで、主に導かれ、主から力を与えられた件についてから事を行えばよいですよ。
仰られているように、まずは祈ることですね。

はい。ありがとうございます。
仰る通りまだまだ、肉が出てしまいます。
時間の経過と共に次第に変えていただけるという事ですよね。
更に、祈り求めます。

お祈りしながら導かれたことを果たしていけば良いと思いますよ。
参考 マタイ25:14-17、19-23

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