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2023年12月

2023年12月31日 (日)

詩篇105:16-23 主がヨセフをエジプトに遣わす4/すべてに時あり。主に信頼して歩む

 詩篇10516-23には次のように記されています。
“16
 主はその地に飢饉を呼び、パンの蓄えをことごとく絶った。
17
 主は一人の人を彼らより先に送った。ヨセフが奴隷として売られたのだ。
18
 人々はヨセフの足を足枷で痛めつけ、首には鉄の首輪をはめた。
19
 主の言葉が実現する時まで主の仰せが彼を試した。
20
 王は人を送って彼を解き放ち、もろもろの民の支配者が彼を自由にした。
21
 王は彼を王宮の頭とし、すべての財産を管理する者とした。
22
 それは高官らをヨセフの思いのままにするため。ヨセフは長老たちに知恵を授けた。
23
 イスラエルはエジプトに入り、ヤコブはハムの地に寄留した(聖書協会共同訳)とあります。

 前回は、献酌官長と料理長とヨセフをテーマに記しました。

 創世記4020-411には次のように記されています。
4020 三日目はファラオの誕生日であったので、ファラオはすべての家臣のために祝宴を催した。そして、家臣の集まる真ん中で献酌官長の頭と料理長の頭を上げさせた。
21
 ファラオは、献酌官長をその献酌の仕事に戻したので、彼は杯をファラオの手に献げるようになった。
22
 しかし、料理長は木に掛けた。ヨセフが彼らに解き明かしたとおりである。
23
 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。/
41:1
 それから二年たって、ファラオは自分がナイル川のほとりに立っている夢を見た。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨセフは、献酌官長に次の様に言っていたのです。
14 そこで、あなたが幸運に恵まれたときには、私を思い出し、どうか私に慈しみを示してください。ファラオに私のことを話し、この獄から私が出られるようにしてください。15 私は実はヘブライ人の地からさらわれて来たのです。またここでも、私が地下牢に投げ込まれるようなことは何もしていないのです。」(創世記40章・聖書協会共同訳)と記されています。

 しかし献酌官長は、ヨセフのことを知らせませんでした。
41:1
には「それから二年たって」と記されています。
ヨセフは献酌官長の夢を解き明かしてあげた(それが可能であったのは神様の霊によることです)のに、そして献酌官長に自分の救出を頼んだのに、献酌官長はヨセフのことを忘れ、ヨセフは二年間も獄の中に留め置かれたのです。

 ヨセフが普通の人であれば、やけを起こした(自暴自棄になった)ことでしょう。
そして神様に文句を言ったかもしれません。
神様がヨセフに、「すべてに時あり」ということを教えられたかどうかは聖書に記されていませんが、私たちキリスト者は主から与えられた聖書を通して学ばせていただいています。

 また献酌官長を通して、多くの人は、自分のことで精一杯or自分さえよければ他人はどうでもよい、というようにはなはだ自己中心的であることを覚えます。たまにはいつも他者の幸せを考えに入れるような人もいますが。

 実は、献酌官長がヨセフのことを知らせなかったことにも神ヤハウェ(主)のご配慮があったのだということをその後の展開から教えられます。
神様のなさることは時にかなってうるわしいのです。

 ファラオが献酌官長を基の職に戻してから2年が経ちました。
その時、ファラオは意味のある夢を見ました。
しかし、その夢を解き明かせる者がエジプトの魔術師や賢者の中にはいなかったのです。
献酌官長は、その時、ヨセフのことを思い出し、ファラオにヨセフのことを話しました。
ヨセフはファラオに呼び出されました。
ヨセフはファラオの夢を解き明かすとともに、夢の中の凶事に対する対策をもファラオに語ったのでした。
その結果、ファラオは、ヨセフを牢から出しただけではなく、エジプトの宰相にしたのです。
ファラオはヨセフを神の霊の宿っている人だと認識したゆえです。
(以上は創世記411-45のダイジェストです)

この時、ヨセフは30歳になっていました。ヨセフは17歳の時に奴隷にされたのです。

 詩編10517b-21には次のように記されていました。
17 ・・・。ヨセフが奴隷として売られたのだ。
18
 人々はヨセフの足を足枷で痛めつけ、首には鉄の首輪をはめた。
19
 主の言葉が実現する時まで主の仰せが彼を試した。
20
 王は人を送って彼を解き放ち、もろもろの民の支配者が彼を自由にした。
21
 王は彼を王宮の頭とし、すべての財産を管理する者とした。”と。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
ローマ828には“神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる”(口語訳)と記されています。
また伝道者の書3章には、
1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
11
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。”(新改訳初版~第三版)と記されています。
罪の性質を持って生まれた人間が自己中心的であることは自然なことです。
私たちは、いかなる状況に置かれようとも、主に信頼し、主の御業を見させていただきながら、主が天に召してくださる時まで、この地上生涯を歩み続けていく者であらせてください。
私たちの言動を通して、私たちの提示する福音のことばを通して救われる人が起こされますように。
主をほめたたえる人が起こされますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月30日 (土)

エゼキエル38章 イスラエルが危機に瀕する戦争/神ヤハウェ(主)は御自身が聖(被造物とはかけ離れた偉大な存在)であることを証明する

 エゼキエル381-9には次のように記されています。
1 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の言葉が私〔エゼキエル(筆者挿入)〕に臨んだ。
2
 「人の子よ、メシェクとトバルの頭である指導者、マゴグの地のゴグにあなたの顔を向け、彼に向かって預言して、3 言いなさい。
主なる神〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。メシェクとトバルの頭である指導者ゴグよ、私はあなたに立ち向かう。
4
 私はあなたの向きを変え、顎に鉤を掛け、あなたとその全軍、馬と騎兵を連れ出す。彼らは皆、完全に武装し、大盾と小盾を持ち、剣を取る大部隊である。
5
 ペルシア、クシュ、プトが彼らと共におり、皆、盾と兜を身に着けている。
6
 ゴメルとその全軍、北の果てのベト・トガルマとその全軍、それに多くの民があなたと共にいる。
7
 備えをせよ。あなたも、あなたのもとに集められる全部隊も備えをせよ。あなたは彼らの見張りとなれ。
8
 多くの日々を経た後、あなたは呼び出され、終わりの年〔「年」と訳されている原語は複数形(筆者挿入)〕に、剣による荒廃から立ち直った地に侵入する。長らく廃虚であったイスラエルの山々に、多くの民の中から集められた者がいる。彼らはもろもろの民の中から連れ出され、皆安らかに住んでいる。
9
 あなたは嵐のように上って来て、地を覆う雲のようになる。あなたとあなたの全軍、それにあなたと共にいる多くの民も。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イスラエルは、1948514日に再建されましたが、イスラエルが国として存在するようになったのは、AD70年にローマに滅ぼされて以来のことです。イスラエルは約1900年弱、国として存在しなかったのです。

 少し古い外務省の記述ですが、
“世界における一人当たりのGDP2018年)について記すと、イスラエルは23位(アメリカの一人当たりのGDP 2/3)。ちなみに日本は26位で、中国は70位です(2018年)。
現代のイスラエルは、高度な技術力を背景としたハイテク・情報通信分野及びダイヤモンド産業を中心に経済成長を続けており,基本的には輸出を志向する産業構造となっている。これまでは,死海周辺で産出される臭素等を除きエネルギー・鉱物資源には恵まれていなかったが,近年,排他的経済水域内において,大規模な天然ガス田の開発が進められ,2013年には一部で生産が開始されている。と記されています。

 さて、このイスラエルに敵が攻め込む本当の理由は何なのでしょうか?
それは、イスラエルの財産を略奪するためなのです。
 エゼキエル3810-13には次のように記されています。
10 主なる神はこう言われる。その日になると、あなたの心に思いが浮かぶ。あなたは悪い計画を企て、11 そして言う。
『私は無防備な集落の地に攻め上り、人々が安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らは皆、城壁もなく、かんぬきも門も設けずに住んでいる』と。
12
 あなたは、略奪し、強奪するため、今は人の住むようになった廃虚に、そして諸国民の中から集められて今は家畜と財産を得て地の中心〔神様がいう地の中心とはイスラエルです(筆者挿入)〕に住むようになった民に、手を上げようとしている。
13
 シェバとデダン、タルシシュの商人たち、およびそのすべての村はあなたに言う。『あなたは略奪するために来たのか。あなたが部隊を集めたのは強奪するためか、銀と金を運び去るためか、家畜と財産を奪うためか、大いに略奪するためか』と。(聖書協会共同訳)とあります。

 イスラエルの財産を武力によって略奪しようとする国々はどこなのでしょうか?
それは、エゼキエル382-6に、メシェク、トバル、マゴグ、ペルシア、クシュ、プテ、ゴメル、ベト(ベテ)・トガルマ等の軍隊+多くの国々の民と述べられています。

 これらの軍隊を統率する人は一体だれでしょうか?
それは北の果ての国のトップで、その人を主(ヤハウェ)は、「大首長」&「ゴグ」と呼んでいます(2)。

 2-6節に記されている国々は古代名で記されていますが、現代名に置き換えると、ロシア、トルコ、イラン、スーダン、リビア、+多くの民(おそらくフーシー派、ヒズボラ、その他イランやロシアの配下にある民兵組織等)などであろうと思います。

 エゼキエル3815.16には次のように記されています。
“15
 あなた〔ゴグ(筆者挿入)〕と、共にいる多くの民が北の果ての自分の地からやって来る。彼らはすべて馬〔恐らく戦車や軍用車両及び軍馬(筆者挿入)〕に乗る者たちであり、大部隊で、大軍である。
16
 あなたはわが民イスラエルに向かって、地を覆う雲のように上って来る。それは終わりの日〔「日」と訳されている語のヘブライ語原語「ヨーム」は複数形。日の他、年、期間等の意もあります。(筆者挿入)〕に起こる。私はあなたをわが地に連れて来る。ゴグよ、それは、私が諸国民の目の前で、あなたを通して自らが聖なる者であることを示すとき、彼らが私を知るようになるためである。

イスラエルに対してこの戦争を起こすのは、ヤハウェ(主)であると4節、16節に記されています。
この書き方は、主がこの戦争を許可するということであろうと思います。
それはイスラエルを攻撃する国々が、イスラエルを攻撃したがっているからです。

 主は何故この戦争を許可なさるのでしょうか?
それは、イスラエルが主(ヤハウェ)を知るためであり、
また、主及び地上の主の民であるイスラエルに敵対する国々に裁きを下し、主がおられることを示すためです。

 終末の時代、イスラエルは、二段階{イスラエルの神を知ること、メシア(キリスト)を知ること}で救いに至るようです。
第一段階が、エゼキエル38.39章の預言に記されている出来事(特にエゼキエル38233922.28.29)。
第二段階は、キリストの地上再臨です(ゼカリヤ12章)。
そのようにしてまことのイスラエル{イェシュア(イエス)をハマシアハ(メシア=キリスト)と信じるイスラエル人}は皆救われるのです(ローマ1126)。

 一方、新生したキリスト者は既に救われています。その人は神の子どもであり(1ヨハネ31.2)、永遠のいのちを持っているのです(ヨハネ33611261ヨハネ12513参照)。

 現代が終末であると仮定します。
ロシアは、イスラエルが天然ガスをヨーロッパに輸出することを快く思わないでしょう。イランとトルコはイスラエルと大いに敵対しています。イランはしばしばイスラエルを地図から消すと豪語しています。リビアはロシア及びトルコと軍事的関係があります。スーダンはロシアと関係を持っています。
ロシア、トルコ、イランは既にイスラエルのすぐ北のシリアにそれぞれの軍事基地を用意しています。
ヒズボラやフシー派、ハマスなどの武器はイランが、イスラエルを攻めさせる為に供与しているものです。
これが現状です。

 イスラエルとハマスは現在戦争状態です。
引き続きエゼキエル38章の預言が成就するのか、イスラエルとハマスの戦争が落ち着いてからしばらくしてエゼキエル38章の預言が成就するのか、それは私には分かりません。

 いずれにしても、私たちキリスト者は、いつ主が迎えに来られても良いように準備しておくことが大切なのです。
携挙は一瞬です。
携挙はキリストの空中再臨の時に起こります。その時、新生している人の体はあっという間に霊の体に代えられ、天に引き上げられるのです。自分自身で何かをすることは出来ません。すべて主の御業です。私たちに出来ることは、主をほめたたえること、主に大感謝をささげることぐらいです。

 この戦争はヤハウェ(主)が、イスラエルに敵対する国々をイスラエルに侵攻させるものです。
繰り返しになりますが、4節に「私〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなた〔ロシアのトップ(筆者挿入)〕の向きを変え、顎に鉤を掛け、あなたとその全軍、馬と騎兵を連れ出す」(聖書協会共同訳)と記され、16節には「ゴグよ、わたしはおまえに、わたしの地を攻めさせる」(2017)と記されていますから。
それは神ヤハウェ(主)が、それらの国々に裁きを行うと共に、イスラエル人を覚醒させるためです。
この戦いにアメリカは参戦しません。イスラエルを助ける国はどこもないのです。
イスラエルも、これらの敵の国々に対しては、対抗しきれません。
 
 誰がイスラエルを助けてくれるのでしょうか?
それは、神ヤハウェ(主)です。

 エゼキエル3818-23には次のように記されています。
18 ゴグがイスラエルの土地に向かってやって来る日になると、わが憤りが激しく燃え上がる――主なる神〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。
19
 私は、妬みと激怒の火をもって語る。その日には必ず、イスラエルの土地に大地震が起こる。20 海の魚、空の鳥、野の獣、地の上を這うすべてのもの、および地の面にいるすべての人間は、私の前に震える。山々は覆され、崖は崩れ、城壁はすべて地に倒れる。
21
 私はすべての私の山に剣を呼び寄せ、ゴグへと向かわせる――主なる神の仰せ。人の剣はそれぞれ互いに向けられる〔敵国連合軍による同士討ち(筆者挿入)〕。
22
 私は疫病流血をもって彼を裁く。彼とその軍隊、および彼と共にいる多くの民〔多くの国々の民(新改訳)。「民」と訳されている語のヘブライ語原語は複数形で、人々、国々、部族等の意があります(筆者挿入)〕の上に、豪雨硫黄を降らせる。
23
 多くの国民の前で、私は自らが偉大であり聖なる者であることを示し、私を知らせる。こうして、彼らは私が主であることを知るようになる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 エゼキエル3820には、地震の結果が、「海の魚、空の鳥、野の獣、地面を這うすべてのもの、地上のすべての人間は、わたしの前で震え上がり、山々はくつがえり、崖は落ち、すべての城壁は地に倒れる。」(2017)と記されています。
イスラエルに攻め込んだ兵士たちは、巨大地震に腰を抜かすのです。大きな余震もたくさんあるでしょう。兵士たちは気が動転してしまいます。地震で死ぬ者もかなりいるのかも知れません。

 大地震で気が動転してしまったと思われる兵士たちは、同士討ちを始めるのです。
エゼキエル3821には、「わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々〔イスラエルの山々(筆者挿入)〕でゴグを攻めさせる──神である主〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。剣による同士討ちが起こる。」(2017)と記されています。

 ゴグを攻めるのは、主が力を与えたイスラエル軍かも知れません(私の想像)が、イスラエルを攻める連合軍のイラン(かつてのペルシア帝国)はシーア派、トルコ(かつてのオスマン帝国)はスンニ派です。この両者はイスラム教における覇権争いを、軍事的に始めるのかも知れません。
いずれにしてもイスラエルに攻め込んだ連合軍は、大地震後統率が取れずハチャメチャになるのです。

 主の裁きは、地震だけではありません。エゼキエル3822.23には、「わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼とともにいる多くの国々の民の上に豪雨、雹、火、硫黄を降らせる。わたしは、わたしが大いなる者であること、わたしが聖であることを示し、多くの国々の見ている前でわたしを知らせる。そのとき彼らは、わたしが主であることを知る。」(2017)と記されています。

 イスラエルに攻め込んだ兵士たちは、疫病にやられて体力は弱り、疫病で死ぬ者、武器で殺される者(流血)がたくさん出るのでしょう。

 それだけではありません。
2017
訳のように捉えると、イスラエルに攻め込んだ国々の本国の上に、豪雨、雹、火、硫黄が降ってくるのです。
作物は雹に打たれ、また作物も住人も大洪水にやられ、更に恐らく火山の噴火が起こるのでしょう。もともと経済が苦しくなって物を分捕るために(13)イスラエルに攻めてきたのです。
貧しくなっている国々は、大洪水や火山の噴火で立ち直れなくなるのでしょう。これらの国々〔ロシアや軍事力のあるイスラム諸国(筆者挿入)〕が力を落とすとサタンの力を与えられている反キリストを要するヨーロッパが世界に君臨してくるのだと思います。
アメリカには、経済界にも政界にも、携挙を信じているキリスト者たちがいますから、アメリカは携挙後には力を失うでしょう。

 エゼキエル38章の戦争は大きな戦争です。メディアは第三次世界大戦勃発、と報道するかもしれません。そして、そこには戦死、疫病、飢饉、飢え、病死が伴うのです。

 この戦争が、携挙前なのか、携挙後なのかについては、私には分かりません。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは「わたしは初めから既に、先のことを告げ、まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り、わたしは望むことをすべて実行する。」(イザヤ4610・新共同訳)と語られました。
いい加減なマスコミの解説報道よりも100%実現するあなたの御言葉を与えて頂いておりますことを感謝します。
私たちは、この戦争云々ということではなく、いつ主が迎えに来られても良いように、日々、主と共に歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月29日 (金)

黙示録1:12.16.20、2:1-7 主イエス様はまことの光、イエス様を宿す者は世の光、イエス様はイエス様との愛の関係を持っている者の中におられる 

 黙示録112.16.20には次のように記されています。
12 私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、/
16 
また、右手には七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が突き出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。/
20
 あなたは、私の右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、その秘められた意味はこうだ。すなわち、七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。”(聖書協会共同訳)とあります。

 12節には“私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え”とあります。
「七つの金の燭台」とは、黙示録120の解説で「七つの教会」であることがわかります。
この燭台は、メノーラーとは異なります。メノーラーは7枝の燭台です。

 一つ一つの地方教会が主の光を頂いて世の光として輝かせて頂くのです。また、一人一人のキリスト者も世の光です。

 主イエス様は、「あなたがたは、世の光です。」(マタイ5142017)と言われ、また、「わたし(イエス)は、世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(ヨハネ8122017)と言われました。
更に、ヨハネ1章には次のような聖句が記されています。
4 この方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕にはいのちがあった。このいのち〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は人の光であった
5
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
9
すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。”(2017)とあります。
ですから、イエス様がいなくなってしまうと自動的に闇になります。
主イエス様がいてくだされば光があります。
主イエス様に内住していただくための鍵は主への愛であると主は教えてくださいました。
「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ14232017)と記されています。

 ヨハネ12章には次のような聖句が記されています。
35 そこで、イエスは彼らに言われた。「もうしばらく、光はあなたがたの間にあります。闇があなたがたを襲うことがないように、あなたがたは光があるうちに歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのか分かりません。
36
自分に光があるうちに、光の子どもとなれるように、光を信じなさい。」イエスは、これらのことを話すと、立ち去って彼らから身を隠された。/
46
わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれも闇の中にとどまることのないようにするためです。”(2017)とあります。

 主を信じ、主を愛するようにさせていただけることは幸いなことです。もし、愛のうちを歩まなかったらどうなるのでしょう。
愛のうちを歩まないと燭台を取り去られることもあるというのです。

 1620節には「七つの星」とあり、その意味は「七つの教会の天使たち」と記されています。
天使の象徴として、聖書の中では「星」が使われています。
主キリスト・イエス様は、天使をも支配しているのです。

 黙示録21-7には次のような聖句が記されています。
1 エフェソ〔エペソ(口語訳、新改訳)〕にある教会の天使〔御使い(口語訳、新改訳)。ギリシア語原語は「アンゲロス」で、使者、天使、等の意があります。岩波訳は「使い」と訳しています。(筆者挿入)〕に、こう書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方〔主キリスト・イエス(筆者挿入)〕が、こう言われる。
2
 「私は、あなたの行いと労苦と忍耐を知っている。また、あなたが悪しき者たちに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者たちを試し、その偽りを見抜いたことも知っている。
3
 あなたはよく忍耐して、私の名のゆえに忍び、疲れ果てることがなかった。
4
 しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めの愛を離れてしまった
5
 それゆえ、あなたがどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。悔い改めないなら私はあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけよう
6
 しかし、あなたには良いところもある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。私もそれを憎んでいる。
7
 耳のある者は、霊〔「御霊」(口語訳、新改訳)。ギリシア語は、ト・プニューマで、the Spirit(筆者挿入)〕が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園〔ギリシア語原語は「パラディソス」で、パラダイス、園(その)(筆者挿入)〕にある命の木の実を食べさせよう。」』”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主を愛し、主に在る兄姉方を愛し、世の光として歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月28日 (木)

箴言27:8 キリスト者の幸せは主の内にある

 箴言27.8を、
聖書協会共同訳は“巣からさまよい飛ぶ鳥のように、自分の場所からさまよい歩く人がいる。”と訳し、
新改訳初版~第三版は“自分の家を離れてさまよう人は、自分の巣を離れてさまよう鳥のようだ。”と訳し、
新改訳2017は“自分の巣を離れてさまよう鳥のように、人は自分の家を離れてさまよう。”と訳し、
口語訳は“その家を離れてさまよう人は、巣を離れてさまよう鳥のようだ。”と訳しています。

 クリスチャンホームの子どもとして生まれ、あるいは幼少のころから他の宗教やこの世の惑わしを知る前から教会生活をしてきた人の中には、明確な悔い改めと主イエス様への回心を経験したという感じがないにもかかわらず、主イエス様を信じている、という人もいます。
しかしそのような人の場合でも、やがて自我が芽生え、自分の道を自分で選択できるようになると、主イエス様と共に歩むのではない道を歩みたくなって、主との交わりが減少し、教会生活からも遠のき、この世を謳歌するというような人も出てきます。

 この世に魅せられる人は、主イエス様よりも、1ヨハネ216に記されているような、生まれながらの人、すなわち新生していない人や、肉の人が求めるものに心が引き付けられます。
 1ヨハネ216には次のような聖句が記されています。
「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、見栄を張った生活は、御父から出たものではなく、世から出たものだからです。」(聖書協会共同訳)とあります。
「見栄を張った生活」の個所を、新改訳は「暮らし向きの自慢」と訳し、新共同訳は「生活のおごり」と訳しています。

 肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢の方に心が向いていますと、詩篇73篇を書いた詩聖のある期間の心の状態のようになります。
主を信ぜず、それどころか主に大いに逆らって歩んでいるにもかかわらず、この世で大成功を収めている人を羨ましく思うのです。
見ているところ、すなわち心の関心のある所が、この世なのです。

 詩編73篇の詩聖は神ヤハウェ(主)の御前にきよく歩もうとしていました。
 
“私は心を清く保ち、手を洗って潔白を示した。日ごと、私は打たれ、朝ごとに懲らしめを受けた。”(13.14抜粋・聖書協会共同訳)と記しています。
13.14
節をリビングバイブルは“私が今までしてきたことは、むだだったのでしょうか。きよくあろうと苦しんだ日々は何だったのでしょう。神に従う生活から得たものは、苦しみと災いだけです。しかもそれは、来る日も来る日も、朝から晩まで私につきまとうのです。”と訳しています。

 詩聖はきよく歩むべき努力をしていましたが、疲れてしまったのでしょうか、主に目を留めるべきところを、そうはしないで、主を信じていないこの世の成功者たちに目を留めたのです。
 2-12
節には次のように記されています。
2 それなのに私は、危うく足を滑らせ今にも歩みを踏み誤るところだった。
3
 悪しき者の安泰を見て驕り高ぶる者を妬んだ。
4
 彼らには苦しみがなく〔「実に彼らの死には苦痛がなく」(2017)、「死ぬまで彼らは苦しみを知らず」(新共同訳)〕、体も肥えて健やかである。
5
 人間の負うべき労苦もなく〔「だれにもある労苦すら彼らにはない」(新共同訳)、「ほかの人々のように悩むことがなく」(口語訳)〕、人々のように打たれることもない。
6
 それゆえ、高慢が首を飾り、暴虐〔ヘブライ語原語は「ハーマース」で、暴力、乱暴、強姦・・・等の意(筆者挿入)〕の衣が彼らを包む。
7
 過ちは脂肪の中からにじみ出て、悪だくみは心に溢れている。
8
 彼らは嘲り、悪意をもって語り、高飛車に暴言を吐く。
9
 彼らは口を天に置き、舌は地を這う。
〔リビングバイブルは「彼らは天を向こうに回していばり、大手を振って地上を闊歩します。」と意訳しています。(筆者挿入)〕
10
 それゆえ、民はここに帰り、彼らの言葉を水のように貪る。
2017は「それゆえこの民はここに帰り、豊かな水は彼らに汲み尽くされる」と訳し、
リビングバイブルは「その影響は神を信じる人々にも及び、多くの混乱ととまどいをもたらしました」と意訳しています。(筆者挿入)〕
11
 彼らは言う。「神がどうして知っていようか。いと高き方に何の知識があろうか。」
12
 見よ、これが悪しき者。とこしえに安穏に財をなしてゆく。”(聖書協会共同訳)とあります。

 しかし、詩聖は次の内容を悟ったのです。
24
節には“一生涯、神は知恵と助言を与えて、私を導いてくださることでしょう。そしてついに、私は栄光の天へ入れられるのです。”(リビングバイブル)とあり、
18-20
節には“18 あの者たちは、なんとすべりやすい道を歩いていることでしょう。突然、神から崖っぷちに追いやられて、足をすべらせ、滅びの底に落ちて行くのです。19 こうして、その幸福も、あっけなく幕切れとなり、永遠の恐怖にのみ込まれるのです。20 彼らの今の暮らしぶりも、つかの間の夢にすぎません。夢から現実の世界に引き戻される人のように、いつかは真実を突きつけられるのです。”(意訳・リビングバイブル)とあります。

 主に逆らう者に対する裁きについて、黙示録の第6の封印が開かれたときの様子が次のように記されています。
12 また、小羊が第六の封印を解いたとき、私が見ていると、大地震が起きた。太陽は毛織の粗布のように暗くなり、月は全体が血のようになって、13 天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようであった。
14
 天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
15
 地上の王、高官、将校、富める者、力ある者、また、すべての奴隷も自由人も洞穴や山の岩間に身を隠した。
16
 そして、山と岩に向かって言った。「私たちの上に覆いかぶさって、玉座におられる方の顔と小羊の怒りから、私たちをかくまってくれ。
17
 神と小羊の大いなる怒りの日が来たのだ。誰がそれに耐えられようか。」”(黙示録6章・聖書協会共同訳)とあります。

 また黙示録184-11には次のように記されています。
4 また私は、天からもう一つの声がこう言うのを聞いた。
「わが民よ、この女から離れよ。その罪に加担し、その災いに巻き込まれないようにせよ。5 彼女の罪は積み重なって天まで届き、神はその不義を覚えておられる。6 彼女がしたとおりに、彼女に報復せよ。その行いに応じ、倍にして返せ。彼女が注いだ杯に、その倍を注いでやれ。7 彼女が驕り高ぶり贅沢をほしいままにしていたのと同じだけの苦しみと悲しみを与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。
『私は、女王の位にあり、やもめではないから、決して悲しい目に遭いはしない。』
8
 それゆえ、一日の内に、さまざまな災いが、死と悲しみと飢えが、彼女を襲う。そして、彼女は火で焼き尽くされる。彼女を裁く神は、力ある主だからである。」
9
 彼女と淫らなことをし、贅沢をほしいままにした地上の王たちは、彼女が焼かれる煙を眺め、胸を打って嘆き悲しみ、10 彼女の苦しみを見て恐れ、遠くに立ってこう言う。
「災いだ、災いだ、大いなる都、強大な都バビロン。お前は一瞬のうちに裁かれた。」
11
 地上の商人たちは、彼女のために嘆き悲しむ。も はや彼らの商品を買う者が誰もいないからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 最後の裁きは、黙示録2011-15に次のように記されています。
11 また私は、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方を見た。天も地も、その前から逃げて行き、見えなくなった。
12
 また私は、死者が、大きな者も小さな者も玉座の前に立っているのを見た。数々の巻物が開かれ、また、もう一つの巻物、すなわち命の書が開かれた。これらの巻物に記されていることに基づき、死者たちはその行いに応じて裁かれた。
13
 海は、その中にいた死者を吐き出し、死と陰府も、その中にいた死者を吐き出した。死者はおのおの、その行いに応じて裁かれた。
14
 死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
15
 命の書に名が記されていない者は、火の池に投げ込まれた。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちキリスト者は、旧約時代には奥義であったことも今や開かれ、かつ、聖霊が上に留まるというだけではなく、私たち主を信じる者の内に住んでくださっておられますから感謝します。
日々の主との交わりは、私たちの心を満たし、私達に力を与え、慰めの必要なときには私たちに慰めを与えてくださいます。
御父を礼拝するときには、霊と真理によって礼拝するのです、とイエス様は言われましたが、真理の御霊は、日々真理を教えてくださいます。
さらに更に、数多くの恵みを与えられつつ主に在って歩ませていただけます恵みを感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月27日 (水)

詩篇105:16-23 主がヨセフをエジプトに遣わす3/束縛の境遇の中にあっても主がともいてくださる/(「聖」について)

 詩篇10516-23には次のように記されています。
16 主はその地に飢饉を呼び、パンの蓄えをことごとく絶った。
17
 主は一人の人を彼らより先に送った。ヨセフが奴隷として売られたのだ。
18
 人々はヨセフの足を足枷で痛めつけ、首には鉄の首輪をはめた。
19
 主の言葉が実現する時まで主の仰せが彼を試した。
20
 王は人を送って彼を解き放ち、もろもろの民の支配者が彼を自由にした。
21
 王は彼を王宮の頭とし、すべての財産を管理する者とした。
22
 それは高官らをヨセフの思いのままにするため。ヨセフは長老たちに知恵を授けた。
23
 イスラエルはエジプトに入り、ヤコブはハムの地に寄留した。(聖書協会共同訳)とあります。

 前回のこの個所では、ヨセフがポティファルの妻の偽りによって牢に入れられたところまでを記しました。今回はその続きを記します。

 創世記3921-23には次のように記されています。
21 しかし、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はヨセフと共におられ、慈しみを示し、牢獄長の目に適うようにされた。
22
 牢獄長は、牢獄にいる囚人をすべてヨセフの手に任せ、そこでなされることはすべて、ヨセフが取りしきるようになった。
23
 牢獄長は、ヨセフの手に任せたことには何ら目を配る必要がなかった。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がヨセフと共におられたからである。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、彼のなす事が順調に運ぶようにされた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨセフが牢獄の中にいるときにも、ヤハウェ(主)はヨセフとともにおり、ヨセフを祝福したのです。
またヤハウェ(主)は、ヤハウェ(主)のご計画を行われ、それと共に、後にヨセフに遂行させようとしているための訓練を、監獄の中で、ヨセフに行われたのです。

 その後、ヨセフが入っている監獄にファラオの献酌官長と料理長が送られてきました。
 創世記401-4には次のように記されています。
1 これらのことの後、エジプト王の献酌官と料理人が主君であるエジプト王に過ちを犯した。
2
 ファラオは、この二人の宮廷の役人、献酌官長と料理長に対して憤り、
3
 親衛隊長の屋敷にある監獄に入れた。そこはヨセフがつながれている牢獄であった。
4
 親衛隊長は彼らをヨセフに委ねたので、ヨセフは彼らの世話をした。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主が共にいてくださるヨセフは献酌官と料理長の夢を解き明かしました。
創世記405-23には次のように記されています。
5 牢獄につながれていたエジプト王の献酌官と料理人は、二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢にはそれぞれ意味が隠されていた。
6
 朝になって、ヨセフが二人のところに行って見ると、彼らは困惑していた。
7
 ヨセフは、主人の屋敷にある監獄に自分と一緒に入れられていたファラオの宮廷の役人に尋ねた。
「どうして今日は、そんなに顔色が悪いのですか。」
8
 彼らは答えた。
「私たちは夢を見たのですが、それを解き明かしてくれる人がいないのです。」
ヨセフは、「解き明かしは神によることではありませんか。どうぞ話してみてください
と言った。
 9 献酌官長はヨセフに自分の見た夢を話し、彼に言った。
「夢の中で、一本のぶどうの木が目の前にありました。10 そのぶどうの木には三本のつるがあり、それが芽を出し、花を咲かせ、ぶどうの房が熟しました。
11
 私の手にはファラオの杯がありましたので、私はぶどうを取って、ファラオの杯に搾り、その杯をファラオの手に献げました。」
12
 ヨセフは言った。
「その解き明かしはこうです。三本のつるは三日のことです。
13
 三日のうちに、ファラオはあなたの頭を上げて、元の仕事に戻してくれるでしょう。あなたは先に献酌官であったときの慣例に従って、ファラオの杯を、その手に献げるでしょう。14 そこで、あなたが幸運に恵まれたときには、私を思い出し、どうか私に慈しみを示してください。ファラオに私のことを話し、この獄から私が出られるようにしてください。15 私は実はヘブライ人の地からさらわれて来たのです。またここでも、私が地下牢に投げ込まれるようなことは何もしていないのです。」
 16 料理長は、ヨセフの解き明かしが良かったのを聞いて言った。
「私も夢を見たのですが、なんと三つのパン籠が私の頭の上にあったのです。17 いちばん上の籠には、料理人がファラオのために作ったあらゆる料理がありました。しかし鳥が私の頭の上で、籠からそれをついばんでいたのです。」
18
 ヨセフは答えた。「その解き明かしはこうです。三つの籠は三日のことです。19 三日のうちに、ファラオはあなたの頭を上げて切り離し、あなたを木に掛けます。そして、鳥があなたの肉をついばむでしょう。」
 20 三日目はファラオの誕生日であったので、ファラオはすべての家臣のために祝宴を催した。そして、家臣の集まる真ん中で献酌官長の頭と料理長の頭を上げさせた。
21
 ファラオは、献酌官長をその献酌の仕事に戻したので、彼は杯をファラオの手に献げるようになった。
22
 しかし、料理長は木に掛けた。ヨセフが彼らに解き明かしたとおりである。
23
 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 献酌官長と料理長は、ファラオを毒殺や誤って毒入りのものを口に入れさせないための任務を持っている重要な働きを任務としていました。ですから逆に彼らは、ファラオを毒殺しようとすれば最もそれを行いやすい立場にいたのです。
これらの役職は、ファラオに信頼されて着任できるものであったと思います。

 現代でも、学校給食を学校で調理している場合には、児童生徒にそれを食べさせる前に、学校長がまず食べるようです。

 余談になりますが、地域教会を破壊するために、異端の教会などから人が派遣され、派遣された人は、派遣先の教会で信用を勝ち取るために、良き働きをし、その人が、役職に就けられた後、内側からその地域教会を分裂させ破壊していく、という手法をとることがあるそうでが、それはサタンの手口の一つです。
教会を分裂させるために遣わされた人は、そのとき悪魔悪霊の手先になっている人です。気を付ける必要があります。
 「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。」(1テモテ315・新共同訳)とあるように、異端の人の持っている偽りを見極めて役職に就任させることの無いようにする必要があります。

 話しを元に戻します。
献酌官長と料理長が意味のある夢を見たことの中に、神ヤハウェ(主)を信じていない人の中にも働く主の働きを見ることができるように思います。
主がこの二人に、同じ日に、近未来に起こる夢を見させたのだろうと私は思います。
そして、ヨセフに働いている主が、その夢の意味を、ヨセフを通して明らかにしたのです。
献酌官長と料理長、及びヨセフを用いて、神ヤハウェ(主)は、ご自身のご計画を進めておられるのだろうと私には思えます。また、主は、人間個々人に対して、無理やり何かを行わせているのではなく、その人のありようを用いているのだろうと思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
語弊があるかもしれませんが、ヨセフがすばらしいとかいうのではなく、この個所を読むと、あなたの聖性を見させられます。
あなたのご計画は着々と進んで行きます。
私たちは土の器ですが、内には主が宿っておられます。
神の宮として、あなたに在ってふさわしい歩みをすることができますようお導き下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追加
<聖>(ヘブライ語原語の「コーデシュ」)について:基本的な意味は、栄光(明るい、輝かしい、等の意)と分離(聖が神の属性として用いられる時、神がすべての被造物から隔絶していること、悪や罪からも全く分離していること、等の意)です。
 聖書辞典の中に、聖のまとめとして、
“このように聖いという語は、神が罪との分離を保たれるという特性を指すだけでなく、神のために聖別された人や事物にも用いられている。これらのもの自体が聖いとか聖さを達成したというのではなく、神御自身がその愛のゆえに被造物に近づき関係を持たれるのであり、その関係によってのみ聖いとされるのである聖とは、神および神と関係あるものとそうでないものとの区別を表す。イスラエルの民は全体としても個人としても倫理的に善でもなく完全でもなかったにもかかわらず、神の招きに応じて神との関係を持ったゆえに聖なるものと呼ばれたのである(申7:6)。それは新約聖書にも貫かれている原理である。すなわち倫理的水準による聖俗善悪の区分ではなく、神との関係による信仰で事がなされるかどうかが重要なことなのである(ロマ14:23)。こうして神の聖はキリストを信じる信仰を持つ者に与えられペテ1:15‐16,Ⅱペテ1:4)、神を知り神との関係に生きる者は、「後の状態」、すなわちキリストが再臨してキリストのありのままの姿を見る時にその実体においても「キリストに似た者」として完全に聖なるものとされる望みを持っている。この望みを抱いている者は、「キリストが清くあられるように、自分を清く」するという、イエスへの応答をもって生きるのである(Ⅰヨハ3:1‐3)。”と記されています。

2023年12月26日 (火)

マタイ24:3ー8と黙示録6:1-8の違い

 マタイ243-8には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。
5
 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
6
 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。
7
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
8
 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 並行記事のルカ217-11には次のように記されています。
7 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、それが起こるときには、どんな徴があるのですか。」
8
 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、付いて行ってはならない。
9
 戦争や騒乱があると聞いても、おびえてはならない。こうしたことは、まず起こるに違いないが、それですぐに終わりが来るわけではない。」
10
 そしてさらに、言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がる。
11
 また、大地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や天から大きな徴が現れる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録61-8には次のように記されています。
1 また、小羊が七つの封印の一つを解いたとき、私が見ていると、四つの生き物の一つが、雷鳴のような声で「行け」と言うのを聞いた。
2
 そして見ていると、白い馬が現れ、それに乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上になお勝利を得ようとして出て行った。
3
 小羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が「行け」と言うのを聞いた。
4
 すると、火のように赤い馬が現れた。それに乗っている者には、人々が互いに殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取る力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた。
5
 小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が「行け」と言うのを聞いた。そして見ていると、黒い馬が現れた。それに乗っている者は、手に秤を持っていた。
6
 私は、四つの生き物の間から出る声のようなものを聞いた。「小麦一コイニクスを一デナリオン、大麦三コイニクスを一デナリオンとする。オリーブ油 とぶどう酒を損なってはならない。」
7
 小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物が「行け」と言うのを聞いた。
8
 そして見ていると、青白い馬が現れた。それに乗っている者の名は「死」と言い、これに陰府が従っていた。彼らには、剣と飢饉と死〔「死病」(新改訳、フランシスコ会訳)「疫病」(塚本訳)。ギリシア語原語は「サナトス」で死(筆者挿入)〕と地の獣とによって、地上の四分の一で人々を殺す権威が与えられた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 マタイによる福音書とルカによる福音書の中に記されている終末のしるしを列挙すると次のようになります。
①偽メシアの出現
②戦争
③戦争のうわさ
④民族間の対立
⑤国家間の対立
⑥あちらこちらでの飢饉
⑦あちらこちらでの地震
⑧疫病
⑨その他

 メシアとは「油注がれた者」の意です。
元来、油を注ぐというのは、祭司の聖別や王の即位の時に行われるものでした。
 旧約時代の祭司を除くメシア像は、王的メシアのイメージでした。
バビロン捕囚から帰還したイスラエルの民は、それぞれの時代当時の帝国に支配されていましたから、メシアを「救済者」の意味で用いるようになりました。また、ダビデ系の王としての救済者を待望して用いられた称号でした。
主イエス様の初臨の時にも人々は「ダビデの子のイエス様」と主イエス様に声を掛けました。

 さて、上記箇条書きの中で、①~③の個所はユダヤにおいて、すでに起きている可能性があります。
それはユダヤ戦争です。
特に第二次ユダヤ戦争、バル・コクバの乱とも言われますが、その時には、メシアとしてたてられた者もいたのです。
第一次ユダヤ戦争と言われることが起きたときに、神殿は燃え落ちました。その後、多くのユダヤ人たちは世界各地に散らされていったのですが、イスラエルの地に残った人々もいました。

 第二次ユダヤ戦争についてウィキペディアは次の様に記しています。
“第一次ユダヤ戦争の後もユダヤ人たちの反ローマ感情と独立願望は高まっていた。115年から117年にかけて皇帝トラヤヌス率いるローマ軍がパルティア戦争で東に動いた隙をついて、ユダヤ本国だけでなく、キレナイカ・エジプト・キプロス・メソポタミアなどのディアスポラのユダヤ人たちも、東地中海各地で同時多発蜂起を起こしている(キトス戦争(英語版) )。こういったユダヤ人の鬱憤が指導者を得ることで爆発したのがバル・コクバの乱であった。
 その頃、シメオンという男が自分こそはユダヤ民族を救う救世主(メシア)であると言い始めた。これに対して当時のユダヤ教の精神的指導者ラビ・アキバ・ベン・ヨセフが支持を表明したことから人々の期待が一気に高まる。当時のユダヤ教思想の中に救世主待望論が持たれ続けていたのである。その救世主は政治的な指導者であり、人々を異民族の支配から解放してくれる人物であると人々は疑わなかった、と言われる(福音書には、イエス・キリストに政治的な指導者であることを求める人々に対し、それをたとえ話の形で否定するイエスの姿が描かれている)。シメオンは「星の子」(バル・コクバ)というメシア称号を自称するようになる
 きっかけは130年のハドリアヌス帝の巡幸であった。彼は精力的に帝国領内を巡ったが、70年のエルサレム攻囲戦でローマ軍に破壊されたまま荒れ果てていたエルサレムにも足を伸ばした。彼はユダヤ人たちに同情し、エルサレムの再建・修復を約束した。しかし、自分たちの聖地エルサレムが「アエリア・カピトリナ」という名前に変えられること、およびその計画にエルサレム神殿跡地にユピテル神殿を立てることも含まれていることが判明するとユダヤ人の怒りが爆発した。また、モーセ以来、神との契約のしるしであった割礼を時代遅れの野蛮行為として禁止しようとしたことなどもユダヤ人には耐えられないことであった。
 ラビ・アキバの尽力によって最高法院も反乱の実行を計画。第一次ユダヤ戦争の問題点を徹底的に研究した上で、バル・コクバをリーダーとして対ローマ反乱に踏み切った。
 「イスラエルの復興」
当初、この反乱計画はスムーズに進行し、各地でローマ軍の守備隊を打ち破り、ユダヤの支配権を取り戻すことに成功した。2年半にわたって、バル・コクバは政治的指導者の座に収まり、ラビ・アキバが宗教的指導者となるユダヤ的支配構造が確立された。彼らは「イスラエルの復興」を宣言し、コインを鋳造し、神殿の再建を計画した。 
 しかし、不意打ちを食らったローマ軍も決して事態を静観していなかった。ハドリアヌス帝はブリタンニアから勇将ユリウス・セウェルスを召喚し、ドナウ川流域に駐留していた軍団を与えてユダヤへと出動させていた。ユダヤ人は意気盛んで戦闘は困難であったが、ローマ軍団は着々とユダヤ各地を再征服していき、ついに135年にエルサレムを陥落させることに成功した。
 バル・コクバは戦死し、ラビ・アキバは首謀者として捕らえられ処刑された。多数のユダヤ人の死と完全に廃墟となったエルサレム、荒れ果てたユダヤ全土を残して反乱は終結した。
 「戦後処理」
ハドリアヌス帝はユダヤの不安定要因はユダヤ教とその文化にあると考え、その根絶を図った。ユダヤ暦の廃止が命じられ、ユダヤ教指導者たちは殺害された。律法の書物は神殿の丘に廃棄され、埋められた。さらにエルサレムの名称を廃して「アエリア・カピトリナ」とし、ユダヤ人の立ち入りを禁じた。紀元4世紀になって初めてユダヤ人は、決められた日のみに神殿跡の礎石(いわゆる嘆きの壁)の前に立つことを許された。ハドリアヌス帝は徹底的にユダヤ的なものの根絶を目指し、属州ユダヤの名を廃して、属州「シリア・パレスティナ」とした。これはユダヤ人の敵対者ペリシテ人の名前からとったものである。現代まで続くパレスティナの名前はここに由来している。”(抜粋)と述べています。

 主キリスト・イエス様の昇天後から約100年余までの間に、ユダヤにおいて大きな戦争が2度あったことがわかりますし、偽メシアも現れたのでした。

 しかし、上記の箇条書きの①~⑧の出来事はまた、終末のしるしとも考えられます。
聖書の預言の中には二重預言として捉えることの出来るものもありますから。
マタイやルカの終末預言の内容というものは、黙示録61-8に記されている内容に似ています。

 黙示録61-8に記されている内容を箇条書きにすると次の様になります。
①偽メシアの出現
②戦争
③殺し合い
④飢饉
⑤死病(疫病)

 確かにマタイ24章やルカ21章の世の終わりのしるしと似ているので、人によっては、もう黙示録の封印が開かれたのではないだろうか、という人もいるのです。

 人間界にも霊界にも黙示録に記されている封印を開くことの出来る者は、主キリスト・イエス様を除いてはいないのです。
 黙示録51-5には次のように記されています。
1 また私は、玉座におられる方の右の手に巻物を見た。その表と裏に文字が記されており、七つの封印がしてあった。
2
 また一人の力ある天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者は誰か」と大声で叫んでいるのを見た。
3
 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開き、見ることのできる者は誰もいなかった。
4
 この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者が誰一人見つからなかったので、私は激しく泣き出した。
5
 すると、長老の一人が私に言った。「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデのひこばえ〔若枝(口語訳)〕が勝利を得たので、七つの封印を解き、この巻物を開くことができる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 七つの封印のある巻物に記されている内容は、第五の封印が解かれたときに記されている内容の他はみな裁きの内容です。第五の内容も読み方によっては殉教者を産み出す者たちへの裁きが隠れています。すなわち、後になって主は、殉教者の訴えに従って裁きを行われるのです。
特に第六の封印が開かれると主イエス様を信じていない人たちが次のように言うのです。
15 地上の王、高官、将校、富める者、力ある者、また、すべての奴隷も自由人も洞穴や山の岩間に身を隠した。16 そして、山と岩に向かって言った。
「私たちの上に覆いかぶさって、玉座におられる方の顔と小羊の怒りから、私たちをかくまってくれ。17 神と小羊の大いなる怒りの日が来たのだ。誰がそれに耐えられようか。」”(黙示録6章・聖書協会共同訳)と記されています。

 大患難時代は、携挙の後に来ますから、新生したキリスト者は、子羊(主イエス・キリスト)が開くことの出来る巻物が開かれる前に携挙されますので、黙示録6章に記されている巻物の1-4の封印が解かれた内容と、マタイ245-7に記されていることが似ているとはいえ、同じではないのです。
マタイ245-7の出来事を私たちは見ること知ることができますが、まだ大患難時代には入っていません。
黙示録の第2-4の封印が開かれると、地上の四分の一の人が死ぬのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちが祈りに覚えている人々が救われますようにと切に願いつつ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月25日 (月)

黙示録1:9-11 黙示録の送り先は教会です

 黙示録19-11には次のように記されています。
9 私は、あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっているヨハネである。私は、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。
10
 主の日、私は霊に満たされ、後ろの方でラッパのような大きな声を聞いた。
11
 その声は言った。「あなたが見ていることを巻物に記し、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録に記されている内容の送り先は、地上のキリスト教会でした。
11
節に「あなたが見ていることを巻物に記し、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」と記されていますから。

 これらの教会は、当時のローマ帝国内のアジア州にありました。
これら7つのエクレシア{教会(集会)}は、現在はトルコ共和国のアジア側、アナトリア半島(小アジア)にある地域教会でした。
これらの教会は、①当時存在した教会であると共に、啓示されている内容を読むと、②教会歴史における教会についての、ある時代区分を象徴するような内容でもあり、更に③すべての教会時代(恵みの時代)における教会は、これらの7つのどれかに当てはまるような性質のものでもあり、かつ個々人に当てはまるものでもありました。
さらに言えることは、エクレシア以外の人に宛てて与えられたものではないということです。
ですから、御父が御子に与えられた人以外で、正しく理解することの出来る人はいないということなのかもしれません。

 「御父が御子に与えられた人」に関する関連聖句の一部を下記します。
ヨハネ10章には次のように記されています。
1 「よくよく言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。
2
 門から入る者が羊飼いである。
3
 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す
4
 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、付いて行く
5
 しかし、ほかの者には決して付いて行かず、逃げ去る。その人の声を知らないからである。」
6
 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
7
 イエスはまた言われた。「よくよく言っておく。私は羊の門である。〔命に至る門は御子キリストです{マタイ713}(筆者挿入)〕
8
 私より前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。
9
 私は門である。私を通って入る者は救われ、また出入りして牧草を見つける。
10
 盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。私が来たのは、羊が命を得るため、しかも豊かに得るためである
11
 私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる
12
 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――
13
 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
14
 私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている
15
 それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである。私〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は羊〔御父が御子に与えてくださった人(筆者挿入)〕のために命を捨てる。
16
 私には、この囲いに入っていないほかの羊がいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる〔こうして、羊は一人の羊飼い〔主キリスト(筆者挿入)〕に導かれ、一つの群れになる(新共同訳)〕。/
22
 その頃、エルサレムで神殿奉献記念祭〔「宮清めの祭り」(2017)。1マカバイ記459参照。1マカバイ記1-5章全部を読むともっとよくわかります。(筆者挿入)〕が行われた。冬であった。
23
 イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。
24
 すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。
「いつまで私たちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」
25
 イエスはお答えになった。
「私は言ったが、あなたがたは信じない。私が父の名によって行う業が、私について証しをしている。26 しかし、あなたがたは信じない。私の羊ではないからである。27 私の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らを知っており、彼らは私に従う28 私は彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、また、彼らを私の手から奪う者はいない。29 私に彼らを与えてくださった父は、すべてのものより偉大であり、誰も彼らを父の手から奪うことはできない30 私と父とは一つである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 「教会」と訳されているギリシア語原語は「エクレシア」です。
呼ぶ、招集する、の意がありますが、キリスト教では、会衆、教会、集会、などと訳されています。
誰が召集するのでしょうか?
主なる神様です。

 黙示録は、使徒ヨハネに、キリストが御使いを遣わして啓示したものであり、キリストは、御父から黙示録に記されている内容を与えられたのです。なぜヨハネに与えられたかというとキリスト者にその内容を示す為でした。(黙示録11参照)

 ヨハネが黙示録を与えられた時はどのような状態にあった時でしょうか?
それは、ヨハネが迫害されパトモス島に島流しにされていた時です。

 パトモス島について聖書辞典は次の様に記しています。
“エーゲ海スポラデス群島に属する火山岩の小島。エペソの南西約100キロ、ロドス島の西方に位置する。南北約16キロ、東西9キロで細長く湾曲した形をしている。地表は岩が露出して荒れており、穀物や果実の栽培には適さない。古くはドーリア人やイオニア人が住んだことがあるが、ローマ時代には罪人の流刑地とされていた
 使徒ヨハネは迫害を受けて、この島に流刑となっている間に、神から啓示と幻を与えられ、ヨハネの黙示録を書いた(黙1:9)。
 ヨハネがこのパトモス島に流されたのは、ローマによる迫害の時代である。その時期は、ネロの時代(紀元54―68年在位)ではなく、ドミティアヌスの治世下(81―96年在位)と思われる。
 現在、島の南半分は聖ヨハネ修道院の管轄下にあり、ヨハネが幻を見たとされる「黙示の洞穴」が設定されている。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
黙示録を与えてくださり感謝します。
その真意を十分に知ることができますように真理の御霊がご教示ください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月24日 (日)

箴言27:7 貧しいものは幸い

 箴言277を、
リビングバイブルは“腹がいっぱいだと、どんなごちそうもまずく感じますが、腹がすいていると何でもおいしく食べられます。”と意訳し、
2017
は“満ち足りている者は蜂の巣の蜜も踏みつけ、飢えている者には苦い物もみな甘い。”と訳し、
聖書協会共同訳は“満ち足りている者は極上の蜜をも踏みつけるが、飢えている人には苦いものもみな甘い。”と訳し、
新共同訳は“飽き足りている人は蜂の巣の滴りも踏みつける。飢えている人には苦いものも甘い。”と訳しています。

 「空腹は最上の調味料である」とローマ帝国時代の哲学者キケロが語ったと言われますが、箴言277の聖句はキケロの時代意よりも1000年くらい前のものです。

 肉体的なことではなく霊的な意味を考えてみたいと思います。
マタイ53には、“Blessed are the poor in spirit: for theirs is the kingdom of heaven.”(KJV,NIV)と記されています。

spirit」と訳されている語のギリシア語原語は「プニューマ」で「霊」です。

 多くの日本語訳聖書は「心」と訳していますが、前田訳は“さいわいなのは霊に貧しい人々、天国は彼らのものだから。”と訳しています。

 心が貧しいというと、知性感情意思のすべてが貧しいということになりますが、知性感情意思等は豊かである方が幸いであると私は思います。
一例をあげると、誰かが悲しんでいるのに、悲しんでいる人に共感できないと、「・・・、泣いている者たちとともに泣きなさい。」(ローマ12152017)というような聖句に従うことはできないでしょう。

 多くの日本語訳聖書のように「心の貧しい」という訳ではなく、英語訳聖書や前田訳のように「霊において貧しい」という訳を基に考えてみたいと思います。

 20211215日の当ブログを再掲させていただきます。この時には次のように記しておきました。
“ マタイ53に、「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」(聖書協会共同訳)と記され、「心の貧しい人々」について、欄外注に、“直訳「霊において貧しい人々」”と記されています。

この聖句については今までにも幾度か述べてきていますがさらに詳しく記していきます。

当ブログの2015911日 で述べた内容は、以下のようでした。
3節に「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(口語訳)とあります。
 新改訳は、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」と訳しています。
 日本語の聖書で、「心」と訳している語のギリシア語の原語は"πνεῦμα"(プニューマ)で、英語では普通は"spirit"、「霊」です。
 NKJVは、"Blessed are the poor in spirit, For theirs is the kingdom of heaven."と訳しています。

「貧しい」と訳されている語のギリシア語原語は、「プトーコス」で、“beggar”(物乞い、乞食、物もらい)、貧乏人、非常に貧乏な人等の意があります。「プトーコス」の意味としてStrong辞書に最初に出てくるのは、beggarです。
ですから、この聖句の前半部分を、「幸いですor祝福されています 霊の中で物乞いしている人は」と訳すこともできます。

今回は、「幸いですor祝福されています 霊の中で物乞いしている人は」という浅学非才な小生の訳に従って書いていきます。
 「心」について、デジタル大辞泉には、“人間の理性・知識・感情・意志などの働きのもとになるもの。また、働きそのものをひっくるめていう。”と記されています。

「理性」については、“物事を正しく判断する力。また、真と偽、善と悪を識別する能力。”と記されています。理性のこの解説を聖書の翻訳原語でいうと「良心」ということもできると思います。
 2サムエル2410を、新改訳2017は、ダビデは、民を数えた後で、良心のとがめを感じたと訳しています。
この箇所で「良心」と訳された語のヘブライ語原語は、「レブ」で「心」です。
日本語訳聖書の内、「良心」と訳しているのは、新改訳、リビングバイブル、聖書協会共同訳です。口語訳、新共同訳、フランシスコ会訳、文語訳は、「心」と訳しています。  
 新約聖書の中で、「良心」という語が出てくる有名な聖句に、“彼らは、律法の命じる行いが自分の心に記されていることを示しています。彼らの良心も証ししていて、彼らの心の思いは互いに責め合ったり、また弁明し合ったりさえするのです。”(ローマ2152017)というものがありますが、この文章から考えると、「良心」は「心」に包含されているように思います。
「心」のギリシア語原語は「カルディア」です。
「良心」のギリシア語原語は「スネイデーシス」です。

「心が貧しい」というと、良心が貧しく、知性、感情、意志も貧しい、という様に、私には感じられます。
良心がほとんど無く、知性が暗く、感情が希薄で、意志薄弱の人は幸いでしょうか、神に祝福されているでしょうか。と、私などは考えてしまします。

そこで今回は前述したように、「幸いですor祝福されています 霊の中で物乞いしている人は」という浅学非才な小生の訳に従って書いていきます。

先ずは、「霊」について考えてみます。
人によっては、アダムの堕罪の時に、霊は死んだ、と表現する人たちがいます。
ところが、「霊」は人の肉体を生かしています。「霊」が体から離れると人の肉体は死にます。
 ヤコブ226には、からだが霊〔ギリシア語原語は「プニューマ」(筆者挿入)〕を欠いては死んでいる・・・2017)と記されています。
 また、ルカ8章には次のような記述があります。
49 イエスがまだ話しておられるとき、会堂司の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」
50
これを聞いて、イエスは答えられた。「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われます。」
51
イエスは家に着いたが、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、そしてその子の父と母のほかは、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。
52
人々はみな、少女のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてよい。死んだのではなく、眠っているのです。」
53
人々は、少女が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。
54
しかし、イエスは少女の手を取って叫ばれた。「子よ、起きなさい。」
55
すると少女の霊が戻って、少女はただちに起き上がった。それでイエスは、その子に食べ物を与えるように命じられた。
56
両親が驚いていると、・・・。2017)と記されています。

人の肉体を生かしている霊は、「いのちの息」とも言われます。「いのちの息」の語のヘブライ語原語は、「ネシャマー」で、「霊」と訳される場合もあります。
参照聖句として、イザヤ5716には次のように記されています。
“わたしは、永遠に争うことはなく、いつまでも怒ってはいない。わたしから出た霊〔「ルーアハ」(筆者挿入)〕が衰え果てるからだ。わたしが造ったいのちの息〔「息」はネシャマー(筆者挿入)〕が。”(2017)とあります。
〔わたしが造った「霊」とも言うことができます→ゼカリヤ121参照(筆者挿入)〕

創世記27には、“And the LORD God formed man of the dust of the ground, and breathed into his nostrils the breath〔原語は「ネシャマー」即ち「息」(筆者挿入)〕 of life; and man became a living soul〔原語は「ネフェシュ」即ち「魂」(筆者挿入)〕.”KJV)とあります。
 聖書には「死者の霊」という語が記されています。
イザヤ14章は13章から続くヤハウェ(主)がイザヤに見させたもの、語ったものです。
その中に、“よみは、下界で、おまえが来るのを迎えようとざわめき、死者の霊たち、地のすべての指導者たちを揺り起こし、国々のすべての王を、その王座から立ち上がらせる。”とあります。(イザヤ1492017
 また、ヤハウェ(主)がイザヤに語らせた預言の箇所に次のようなものがあります。
“あなたの死人は生き返り、私の屍は、よみがえります。覚めよ、喜び歌え。土のちりの中にとどまる者よ。まことに、あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。”(イザヤ26192017)とあります。〔イザヤ26章は、キリスト者に与えられた預言ではありません。キリスト者の霊が肉体から出た後、その霊は直ちに天に行きます。(筆者挿入)〕
 イザヤ261には、その日、ユダの地でこの歌が歌われる。2017)と記されています。
 神様から義人と言われたヨブは、“死者の霊たち、水に住む者たちは、その底で、もだえ苦しむ。”(ヨブ2652017)と述べています。
 箴言2116は、悟りの道から迷い出る者は、死者の霊たちの集会の中で休む。(新改訳第三版)と記し、悟りとは何を指しているのかについて、ヤハウェ(主)はエレミヤに、「誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を知っていることを。」(エレミヤ9242017)と語っています。

キリストの内に無い人の霊は、無いと思っている人がいますが、上記の聖句からも、そうではないことが分かります。

ゼカリヤ121は次のように記されています。
“宣告。イスラエルについての主のことば。天を張り、地の基を定め、人の霊をそのうちに造られた方、主の告げられたことば。”(2017)とあります。
キリストの復活以前の旧創造の人たち(アダム系列の人たち)の霊について、ヤハウェ(主)は、人の霊を造った、と語っておられます。

人がキリストの救いにあずかるとアダムの堕罪前の状態に戻ったという人がいますが、それは違います。何が違うのでしょう。霊が違うのです。

さて、キリストの復活後の人の霊は?
1.キリスト様を信じていない人の霊は、キリストの復活以前の旧創造の人たち(アダム系列の人たち)の霊です。
2.キリスト様を信じた人の霊は、新しく生まれた、と使徒ヨハネも使徒ペテロも述べています。主イエス・キリスト様の公生涯の間、常に主のそばにいて主から教えを受けたこの二人が残した聖句を下記します。

ヨハネ3章に次のように記されています。
1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
2
ある夜、イエスのもとに来て言った。
「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
3
イエスは答えて言われた。
「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
4
ニコデモは言った。
「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
5
イエスはお答えになった。
「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
6
肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
7
『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。(新共同訳)とあります。
3
節と7節の「新たに」と訳されている語のギリシア語原語は「アノーセン」で、上から、新しく、再び等の意があります。
 イエス様の御言葉を合わせると、上から新しく、そして霊から生まれなければ神の国を見、神の国に入ることができない、ということになります。
キリスト者の霊は、造られた霊ではなく神の霊から生まれた霊です。

ペテロは次のように記しています。
“私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。”(2017)とあります。
 キリストの復活以前には、新しく生まれるということはなかったようです。

本論に戻ります。
イエス様を信じ、霊の誕生をさせて頂けたといっても、その霊は赤ちゃんです。
神の子どもである霊の赤ちゃんは、霊の乳即ち御言葉を求めるのです。
それだけではありません。神様ご自身を求めるのです。
主と交わる者は主と一つの霊となるのです(1コリント617)。
また、主を慕う赤ちゃんは、主に満たされたいのです。
神のひとり子であられるイエス様が人にもなられたときの聖霊との関わりはどのようであったのでしょうか?
ヨハネ334には、神が遣わした方は、神のことばを語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからである。2017)と記されています。
キリスト者も、「御霊に満たしてください」と祈るのです。
「幸いですor祝福されています 霊の中で物乞いしている人は」とあるように。

更に、恵みによって信仰から信仰へと進ませて頂き、恵みから恵みへと進ませて頂き、主の愛を豊かに感じ取れるようになった人は、益々主を愛することでしょう。
そのような人は、私の霊を専有してください、と、愛の動機から言うでしょう。
パウロはそのような人であったのではないかと想像します。
「生きているのはもはや私ではありません。キリストが私〔新生した私は霊(筆者挿入)〕の内に生きておられるのです。」とパウロは証しています。
パウロは、生まれながらの肉体を自分とは捉えていませんでした。
唯物論者や唯脳論者にとっては、「私」というのは、物質ですが、新生した者にとって、「私」、は肉体ではなく「霊」なのです。
パウロは次のように述べています。

1 たとえ私たちの地上の住まいである幕屋〔「肉体」=霊の入れ物(筆者挿入)〕が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。
2
私たちはこの幕屋〔肉のからだ(筆者挿入)〕にあってうめき、天から与えられる住まい〔霊の体(筆者挿入)〕を着たいと切望しています。
3
その幕屋を脱いだとしても、私たちは裸の状態でいることはありません。
4
確かにこの幕屋〔地上の肉体(筆者挿入)〕のうちにいる間、私たちは重荷を負ってうめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。死ぬはずのものが、いのちによって呑み込まれるために、天からの住まい〔霊の体(筆者挿入)〕を上に着たいからです。
5
そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。神はその保証として御霊を下さいました。
6
ですから、私たちはいつも心強いのです。ただし、肉体を住まいとしている間は、私たちは主から離れているということも知っています。
7
私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。
8
私たちは心強いのですが、むしろ肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っています。
9
そういうわけで、肉体を住まいとしていても、肉体を離れていても、私たちが心から願うのは、主に喜ばれることです。2コリント51-92017)と記されています。

ペテロも同じようなことを述べています。
「私たちの主イエス・キリストが示してくださったように、私はこの幕屋〔肉体(筆者挿入)〕を間もなく脱ぎ捨てることを知っています。」(2ペテロ1142017)とあります。 
霊が肉体から出ていく時、イエス様やステパノはどのように祈ったでしょうか?
 イエス様は、「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」(ルカ23462017)と祈り、
ステパノは、「主イエスよ、私の霊をお受けください。」(使徒7592017)と祈りました。
新生した人の本体は、上から新しく誕生させて頂いた霊であり、この霊は、主と一つにされている霊であり、永遠のいのちを持っている霊です(ヨハネ33.61ペテロ13、ヤコブ1181コリント6171ヨハネ511.13、ヨハネ1126)。

 霊の中で、主が満ち満ちてくださることを、ひたすら求める者の心は豊かになることでしょう。

 「祝福されています。霊の中で〔主に、満ち満ちてくださいと(筆者挿入)〕乞い求める人は。天の御国〔原語の意味→天の王国、天の支配(筆者挿入)〕はその人のものだからです。」(筆者訳)とも訳すこともできるのではないかと思います。

 イエス様は、「みこころが天で行われるように、地でも〔「私の内でも」とも祈れます(筆者挿入)〕行われますように。」(マタイ6102017)と祈るようにと教えてくださいました。”と記しました。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様の霊が私の霊の中で充満してくださいますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月23日 (土)

詩篇105:16-23 主がヨセフをエジプトに遣わす2/苦難の中にあってヨセフとともにおられた主(主と共なる歩み)

 詩篇10516-23には次のように記されています。
16 主はその地に飢饉を呼び、パンの蓄えをことごとく絶った。
17
 主は一人の人を彼らより先に送った。ヨセフが奴隷として売られたのだ。
18
 人々はヨセフの足を足枷で痛めつけ、首には鉄の首輪をはめた。
19
 主の言葉が実現する時まで主の仰せが彼を試した。
20
 王は人を送って彼を解き放ち、もろもろの民の支配者が彼を自由にした。
21
 王は彼を王宮の頭とし、すべての財産を管理する者とした。
22
 それは高官らをヨセフの思いのままにするため。ヨセフは長老たちに知恵を授けた。
23
 イスラエルはエジプトに入り、ヤコブはハムの地に寄留した。”(聖書協会共同訳)とあります。

 12/19のブログでは、ヨセフがファラオの役人で親衛隊長であるポティファルに売り飛ばされたところまででした。
それは、詩篇10517の“ヨセフが奴隷として売られたのだ。”と記されている個所になります。

 奴隷として売られたヨセフをヤハウェ(主)は見捨てませんでした。
それどころか、主はヨセフと共にいて、ヨセフを祝福し、その結果としてポティファルも祝福されたのです。
 創世記391-6には次のように記されています。
1 さて、ヨセフはエジプトに連れて来られた。ファラオの役人で親衛隊長のエジプト人ポティファルは、ヨセフを連れて来たイシュマエル人の手から彼を買い取った。
2
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がヨセフと共におられたので、事は順調に運び、彼はエジプト人の主人の家にいることになった。
3
 主人は、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が彼と共におられ、彼のなすことすべてにおいて事を順調に運ばせているのを見た。
4
 ヨセフは主人に気に入られ、彼に仕えるようになった。主人は家の管理をヨセフに任せ、財産をすべて彼の手に委ねた。
5
 主人が家の管理と、財産をすべてヨセフに任せてからというもの、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の祝福は、家に、畑に、 財産のすべてに及んだ
6
 主人は、財産のすべてをヨセフの手に任せきりにして、彼がいるので自分が食べる物のほかは何も気を遣うことはなかった。ヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ところが詩篇10518には“人々はヨセフの足を足枷で痛めつけ、首には鉄の首輪をはめた。”と記されているのです。
何があったのでしょうか?
 創世記397-20には次のように記されています。
7 これらのことの後、主人の妻は〔体格も良く顔も美しい(筆者挿入)〕ヨセフに目をつけて言った。「私と寝なさい。」
8
 しかし、ヨセフは拒んで、主人の妻に言った。
「ご存じのように、ご主人は私がいるので、家のことには何も気を遣わず、財産のすべてを私の手に委ねられました。9 この家では、私より上に立つ者はおりませんし、私に禁じられているものは何一つありません。ただ、あなたは別です。あなたはご主人の妻ですから。一体どうしてそのように大それた悪事を働き、神に罪を犯すことができましょう。」
10
 彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、彼は彼女のそばで寝ることも、一緒にいることも聞き入れはしなかった。
11
 その日もいつものように、ヨセフが仕事をしようと家に入ると、中には家の者が誰もいなかった。
12
 主人の妻はヨセフの服をつかんで言った。「私と一緒に寝なさい。」
ヨセフは服を彼女の手に残し、外へ逃げ出した。
13
 彼女は、ヨセフが服を自分の手に残したまま外へ逃げたのを見て、14 家の者を呼び寄せて言った。
「見てごらん。主人がヘブライ人の男を連れて来たから、私たちが弄(もてあそ)ばれるのです。あの男が私と寝ようと私のところに来たので、私は大声で叫びました。15 私が声を上げて叫んだのを聞いて、男は私のそばに服を残したまま外へ逃げて行きました。」
16
 彼女は、主人が家に帰って来るまで、その服をそばに取っておいた。
17
 そして、主人に同じことを語った。
「あなたが私たちのところに連れて来たあのヘブライ人の僕は、私のところにやって来て私を弄(もてあそ)ぼうとしました。18 しかし、私が声を上げて叫んだので、服を私のそばに残したまま、外へ逃げました。」
19
 主人は、「あなたの僕が私にこんなことをしたのです」と告げる妻の言葉を聞いて怒った。
20
 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人がつながれている牢獄に入れた。彼はこうして、牢獄にいることになった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨセフは主がともにおられたので、罪を犯さずに済みました。
しかし、主はポティファルの妻の行動を止めては下さいませんでした。
どうして止めてくださらなかったのでしょう。
その理由は幾年もたってから分かるのですが、それまでは分かりません。
ヨセフが罪を犯さなかったのに、ヨセフは罪人とされ、罪人扱いされたのです。

 話は変わりますが、主イエス様は、なにも罪を犯さなかったのに十字架につけられたのです。ある意味、ヨセフは主イエス様の予型でした。
 イエス様の場合、イエス様の側に立って物事を考えると、主イエス様が十字架につかれたのは、主イエス様が、私たち人間の罪のすべてを身代わりに負って、十字架上で義なる神の裁きを受けるためであったのです。それゆえに主イエス様を信じた私たちキリスト者は主なる神様のもとに帰れたのです。
 1ペテロ222-25には次のように記されています。
22 「この方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は罪を犯さず、その口には偽りがなかった。」
23
 罵(ののし)られても、罵り返さず、苦しめられても脅(おど)すことをせず、正しく裁かれる方に委ねておられました。
24
 そして自ら、私たちの罪を十字架の上で、その身に負ってくださいました。私たちが罪に死に〔罪を離れ(新改訳)〕、義に生きるためです。この方の打ち傷によって、あなたがたは癒やされたのです。
25
 あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり監督者である方のもとへ立ち帰ったのです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 話を元に戻します。
ひどい目にあったヨセフはどうなったのでしょう。
神様に悪たれをついても不思議ではありません。
しかしヨセフは主と共に歩んだのです。
創世記3921には“しかし、主はヨセフとともにおられ、・・・”(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
悪環境、悪状況の中にあっても、主がともにおられる幸いを、主が与えてくださいますから御名を崇めて感謝します。
いかなる状況の中にあってもただ主を崇め、ただ主に頼り、主が与えてくださっておられる約束を心に留め、主を賛美しつつ歩み続ける者であらせて下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ただ主を」(聖歌520 聖歌総合版538 新聖歌427
“1.ただ主を崇めて ただ主に仕えん ただ主を頼りて ただ主を仰がん
(折り返し)* たたえよ ただ主(しゅ)を 主(しゅ)は救い主(ぬし) きよめ主(ぬし) 癒し主(ぬし) 王の王 主の主
2.主(しゅ)こそ 救い主(ぬし) 神の子羊 わが義 わが聖き わが力なれ *
3.主(しゅ)こそ きよめ主(ぬし) わが内きよめ 御霊の御神の住まいとし給う *
4.主(しゅ)こそ癒し主(ぬし) 主を生かしたる霊をもて 死ぬべき我が身を生かす*
5.主こそ来るべき王の王 主の主 わが花婿なれ われは恋慕う *

2023年12月22日 (金)

マタイ24:3-7 戦争と戦争のうわさを聞く/再建されたイスラエル国における戦争

 マタイ243-7には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。
「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
イエスはお答えになった。
「人に惑わされないように気をつけなさい。
5
わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
6
戦争の騒ぎや戦争のうわさ〔戦争と戦争のうわさ(口語訳)〕を聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
7
民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。”(新共同訳)とあります。

 終末時代の預言の中に上記の下線部分の出来事があります。
聖書の聖句、特に一人一人に語り掛けられている聖句を自分のこととして捉えることは大切ですが、それとともに主が語られた預言については主の意図を正しく把握することも大切であると思います。

 終末時代の再終末である最後の7年間、すなわち大患難時代を主が与えられている理由は、
①悪の一掃(いくら神の救いが提供されても神の下に戻ることがなくサタンの配下にいることを選ぶ者や悪魔悪霊に対する対処)、
②イスラエルの民の国としての救い{イェシュア(イエス)がハマシアハ(メシア=キリスト)とイスラエル人が信じることによる救い}、
③イスラエル人以外の人々(異邦人)で、大患難時代に、イエスがキリストであると信じる人々の救い(艱難時代の聖徒)、
④その他
とあります。

 新生したキリスト者は携挙されますから大患難時代の前に天に挙げられますが、自分はキリスト者(クリスチャン)だと思っていても新生していない人は、大患難時代を経験することになります。携挙によって新生していたのかそうではなかったのかがはっきりしますが、新生していないにもかかわらずクリスチャンであると思っていた携挙に取り残された人たちは、おそらく殉教覚悟で、イエスがキリストであることを表明するのでしょう。大患難時代にイエスがキリストであると命を懸けて信仰告白した人は永遠の命を頂けるのです(黙示録79-17204)。

 さて、今日の本論は、終末時代の戦争と戦争のうわさについてです。
多くの人は、第一次世界大戦、第二次世界大戦のことを語ります。
第一次世界大戦の参戦国は、その当時イギリス帝国内or帝国下に置かれていた現代では独立国家となっている国々を一つと数えても約30か国ぐらいです。世界大戦と名付けられていますが、参戦していない国々も多くありました。
 なお、第二次世界大戦の参戦国は約40か国になります。

 聖書の預言は、おもにイスラエルに関連したものです。
日本国に関連した預言がどこにあるでしょうか。
イスラエルに関する預言とイスラエルとの関連から、その時々がどのような時代であるのかがわかるようになっているのが聖書預言であろうと思います。
その観点から、イエス様が語られた戦争と戦争のうわさについて考えてみると、戦争と戦争のうわさというのは、今までの中東戦争とこれから起こる戦争のことが第一義的なのではないかと思います。

 イスラエルが関連した中東戦争を、日本大百科全書ニッポニカは次の様にまとめています。
1948年のイスラエル国家成立で始まったアラブ諸国とイスラエルとの間の武力衝突。アラブ・イスラエル紛争ともいう。これまでに大規模な戦闘局面は第一次中東戦争194849、パレスチナ戦争)、第二次中東戦争1956、スエズ戦争)、第三次中東戦争1967、六日戦争)、第四次中東戦争1973、ラマダーン戦争、イスラエル側ではヨーム・キップール戦争とよぶ)の4回を数えるが、それ以外の時期も戦闘はさまざまな形でほぼ連続して行われた。”(抜粋)と記しています。
更に、ウィキペディアの中東戦争の項目をご覧いただければ幸いです。

 今後、イスラエルが巻き込まれる大きな戦争は、エゼキエル38章に記されている戦争です。この戦争については、また別の日に記すことにしますが、この戦争は、ロシア、イラン、トルコ、リビア、スーダンがイスラエルに攻め込む戦争で、その時にイスラエルを助ける国は無いのです。
イスラエルの敵国軍が、イスラエルに攻め込むときの様子は、エゼキエル389に、“おまえ〔「ゴグ」≒ロシア(筆者挿入)〕は嵐のように攻め上り、おまえと、おまえの全部隊、それに、おまえにつく多くの国々〔イラン、トルコ、リビア、スーダン等(筆者挿入)〕の民は、地をおおう雲のようになる。”(2017)と記され、その軍勢の多さにはビックリします。
イスラエルの敵国側のこの戦争の目的は、イスラエルの財産を略奪するためです(エゼキエル3813)。

 この戦いにおいては、イスラエル軍だけで敵国連合軍に勝利することはできないのです。
それでは誰が、イスラエルに勝利をもたらすのでしょうか?
イスラエルに勝利をもたらすのは、エゼキエル38章に、神である主(アドナイ・ヤハウェ)です、と記されています。
ヤハウェ(主)がイスラエルを救うのです。
どのようにして救うのでしょう。

 エゼキエル3818-22には次のように記されています。
18 ゴグ〔ロシア(筆者挿入)〕がイスラエルの土地に向かってやって来る日になると、わが憤りが激しく燃え上がる――主なる神〔アドナイ・ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。
19
 私は、妬みと激怒の火をもって語る。その日には必ず、イスラエルの土地に大地震が起こる。
20
 海の魚、空の鳥、野の獣、地の上を這うすべてのもの、および地の面(おもて)にいるすべての人間は、私の前に震える。山々は覆され、崖は崩れ、城壁はすべて地に倒れる。
21
 私はすべての私の山に剣を呼び寄せ、ゴグへと向かわせる――主なる神の仰せ。人の剣はそれぞれ互いに向けられる〔同士討ちを引き起こさせる(筆者挿入)〕。
22
 私は疫病流血をもって彼を裁く。彼とその軍隊、および彼と共にいる多くの民〔多くの国々の民(新改訳)〕の上に、豪雨硫黄を降らせる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 このことによってイスラエルはヤハウェ(主)が助けてくださったのだということを肝に銘じるのです(エゼキエル3823)。

 新生したキリスト者ではない人々はサタン(悪魔)の配下にありますから(1ヨハネ519、エペソ21.2)、知ってか知らずかヤハウェ(主)に敵対して、選民であるイスラエルを悪く言いますが、まことの神ヤハウェ(主)は実力行使をもって、ご自身が聖なるものであることを証明するのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様を自分の心に受け入れない人は、主なる神様のみ旨を知って納得するということができませんし、更にサタンの働きを理解できていませんから、サタンの思惑を知ることもなく、人間同士を見て、多くの場合、イスラエルが悪いとなってしまいますが、あなたのみ旨は着々と進んでまいりますから御名を崇めて賛美します。
御父が「今花嫁を迎えに行きなさい」と主イエス様に言われたときに、携挙が起こりますから感謝します。
あなたのご計画の一つ一つが成就していくことを眺めさせていただきつつ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月21日 (木)

黙示録1:1-8 序文とあいさつ5/8節のみ(主なる神は永遠のお方)

 黙示録11-8には次のように記されています。
“1
 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。
2
 ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。
3
 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。
4
 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、玉座の前におられる七つの霊から、5 また、真実な証人にして死者の中から最初に生まれた方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにあるように。
 私たちを愛し、その血によって罪から解放してくださった方に、6 私たちを御国の民〔直訳「王国とし」(欄外注)〕とし、またご自分の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
 7 見よ、この方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る。ことに、彼を突き刺した者たちは。地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
 8 今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」(聖書協会共同訳)とあります。

 今日は8節の“今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」”という個所です。
リビングバイブルは次のように意訳しています。
“今も昔も存在し、やがて来られる全能の主なる神が、こう言われます。「わたしは、あらゆることの初めであり、終わりである。」(イザヤ414)”と記しています。

 イザヤ4142017は“だれが、最初から代々の人々に呼びかけてこれらをなし、これらを行ったのか。主であるわたしだ。わたしは初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。”と記しています。

 神は三位一体のお方です。
神は、実体(本質)において唯一でありつつ、ペルソナ(位格)においては、父と子と聖霊の三位格の存在のお方です。
「神は霊です」(ヨハネ424

 「私はアルファであり、オメガである。」というのを日本語で表現すると、「私は『あ』であり、『ん』である。」となりますから、なんだか、永遠のお方ではないような感じを持つ人もいるかもしれませんが、この表現は永遠性を表している表現と捉えるべきなのでしょう。
神は、過去においても、現在においても、未来においても存在するお方です。
聖句として神が「永遠」であることを明示している個所の一つに、イザヤ4028があり、“あなたは知らないのか。聞いたことがないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は測り知れない。”(2017)と記されています。

 御子は、御父から生まれたゆえ同質です。御子は御父の内にありましたから永遠の昔から存在していたのです。
聖霊も御父と同質であり、同時に聖霊は、御父及び御子と等しい一位格です。
位格の違いは、働きの担当の違いでもあります。

 黙示録18の聖句は“今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」”とあります。
ここに記されているお方とは、神を表していますが、「やがて来られる方」という条件を付ければ、まずは神であられる再臨のキリストと解釈することができるでしょう。

 新天新地における新エルサレムは、天から下ってきます(黙示録212)。そして、新エルサレムには御父も御子もおられます。
それ故、新天新地の時代には、御父も「やがて来られる方」に該当するでしょう。

 イエス様が語られた御父と御子と聖霊とキリスト者の関係聖句を一つ下記します。
17 この方は、真理の霊〔「聖霊」のこと(筆者挿入)〕である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、それを受けることができない。しかし、あなたがたは、この霊を知っている。この霊〔聖霊(筆者挿入)〕あなたがたのもとにおり、これからも、あなたがたの内にいるからである。/
20
 かの日には、私〔主キリスト・イエス(筆者挿入)〕が父の内におりあなたがたが私〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕の内におり、私〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕があなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。/
23
 ・・・。私を愛する人は、私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私とはその人のところに行き、一緒に住む。」(ヨハネ14章・聖書協会共同訳)

 新生させていただいた人は、三一の神を愛しているはずです。
また主イエス様は「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13342017)と語られました。

 この愛のうちを歩んでいる人には、御父と御子と御聖霊が住んでくださるのです、とイエス様が教えてくださったのだと思います。
ヨハネ1423を新改訳は“イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。”と訳しています。
 下線部分のギリシア語原語は「カイ」で、多くの場合は、andalso、の意で用いられますが、その他、both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet、等の意でも文脈の中で適当と思われる意に用いられます。

 下線部分を口語訳は、そして、と訳しています。
リビングバイブルは次のように意訳しています。
“イエスはお答えになりました。「わたしを愛し、わたしのことばを守る人にだけ、わたしは自分を現わすのです。父もまた、そういう人を愛してくださいます。わたしたちはその人のところに来て、その人といっしょに住みます。”と記しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
三一の主なる神様を愛し、主に在る兄姉方を愛して歩むことは、何という祝福の道を歩んでいることでしょうか。
主と共なる歩みに勝るものはありません。
いかなる状況、環境の中にあっても主を愛し、兄姉を愛して歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月20日 (水)

箴言27:6 愛する者の誠実と憎んでいる者の不誠実/アーメンな御方であるまことの神と人を滅ぼそうとするこの世の神(サタン)

 箴言276を、
2017
は“愛する者が傷つけるのは誠実による。憎む者は多くの口づけでもてなす。”と訳し、
聖書協会共同訳は“愛する人の与える打ち傷は真実。憎む者の口づけは偽り。”と訳し、
口語訳は“愛する者が傷つけるのは、まことからであり、あだの口づけするのは偽りからである。”と訳し、
リビングバイブルは“敵にうわべだけ親切にされるより、友に傷つけられるほうがましです。”と意訳しています。

 「愛する者(人)」(2017、口語訳、聖書協会共同訳)、「友」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「アーハブ」で、どちらの意もあります。

 「誠実」(2017)、「真実」(聖書協会共同訳)、「まこと」(口語訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「アーマン」で、それらのどの意味もあり、更に、信心深い、信頼できるもの、永久的なもの、・・・等の意もあります。アーマンの母音記号を変えるとアーメンになります。

 この個所の聖句を読むと、普通は人間同士にあてはめて読むことであろうと思います。自分を愛してくれている、愛のゆえに忠告してくれる人の忠告を、重くとらえることは大切なことです。

 ここではおもに、主なる神様とサタンに焦点を当てて記していきます。
主なる神様は、人を愛するゆえに10のことば(十戒)を与えてくださいました。
また、キリスト者にしていただいた後にも、主なる神様は、使徒たちを通して、聖く歩むべき道筋を示してくださいました。
主が与えてくださる聖なる御言葉は、心を痛めることもありますが、主の御言葉と共に働くご聖霊による造り変えによって、その御言葉の如くに生きることができるようにされた後は、すがすがしさや嬉しさが満ち溢れ、主なる神様への感謝が自然に湧(わ)き起こるものと思います。
主なる神様は、本当に良いことをしてくださる神様です。

 一方、サタン(悪魔)とその手下たちの悪霊は、人を永遠の滅びへと導くために様々なことをします。
個々人の罪の性質の弱い所を知っている悪魔悪霊は、その人が肉的に喜ぶようなものを与えるのです。
お金の好きな人、権力を欲しがる人、性的なことで頭がいっぱいの人、偶像の大好きな人、すぐに争いを起こすような人、・・・その他、色々な人がいますが、その人その人に合わせて、その人が肉的に喜ぶものを提供してくれるのです。そして、益々人を堕落させ、まことの神様から遠ざけさせ、自分と同じ場所へと引き込むのです。
この世の神であるサタン(1ヨハネ519)は、まことの神とまことの神が造られた人を憎んでいるにもかかわらず、人の肉性が喜ぶものを人に与えて、人を滅びへと向かわせるのです。→(黙示録2011-15

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちを愛してくださっておられるあなたの、私たちへの叱責は、あなたの愛の御思いからであり、悪魔悪霊が与える肉性へのごちそうは悪しき思いからくる偽りであることを覚えます。
主イエス様は、「悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。」(ヨハネ8442017)と教えてくださいました。
感謝します。
また、対人関係の中における場合でも、愛してくれている人からの耳や心に痛む忠告を真摯に受け止め、同時にその忠告を神のみ旨と照らし合わせ、神のみ旨に合致するものであれば、へりくだって受け入れ、主に喜ばれる歩みをする者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月19日 (火)

詩篇105:16-22a 主がヨセフをエジプトに遣わす1/「えっ、ヨセフは奴隷として売られたのに」

 詩篇10516-22aには次のように記されています。
16 主はその地に飢饉を呼び、パンの蓄えをことごとく絶った。
17
 主は一人の人を彼らより先に送った。ヨセフが奴隷として売られたのだ。
18
 人々はヨセフの足を足枷で痛めつけ、首には鉄の首輪をはめた。
19
 主の言葉が実現する時まで、主の仰せが彼を試した。
20
 王は人を送って彼を解き放ち、もろもろの民の支配者が彼を自由にした。
21
 王は彼を王宮の頭とし、すべての財産を管理する者とした。
22
 それは高官らをヨセフの思いのままにするため。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨセフはヤコブとラケルの子で、ヤコブの男子の子の中では11番目の子です。
またヨセフは、ヤコブが愛するラケルの最初の子です。ヨセフの誕生は、創世記3022-24に記されています。

 ヨセフは、ヤコブの愛するラケルの第一子ですから、ヤコブに寵愛されて育ちました。
 創世記371-3には次のように記されています。
1 ヤコブは父が身を寄せていた地、カナンの地に住んでいた。
2
 ヤコブの歴史は次のとおりである。ヨセフは十七歳の時、兄弟と一緒に羊の群れを飼っていたが、彼はまだ若く、側女(そばめ)ビルハの息子たちやジルパの息子たちと一緒であった。彼は兄弟の悪い噂を父に告げることがあった。
3
 イスラエル〔「ヤコブ」に神が名づけた別称(筆者挿入)〕はヨセフをどの息子よりもかわいがっていた。年を取ってからの子だったからである。それで、彼には長袖の上着を作ってやった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨセフに関することは、創世記30.33.35.37.39-50章に記述されています。
また、キリスト者の最初の殉教者ステファノの説教の中で、ヨセフに関しては、次の様に語られています。
9 この族長たちはヨセフを妬んで、エジプトへ売り飛ばしました。
しかし、神はヨセフと共におられ、10 あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。
そしてファラオは、彼をエジプトと王家全体とをつかさどる宰相に任命したのです。
11
 ところが、エジプトとカナンの全土に飢饉が起こり、大きな苦難が襲い、私たちの先祖は食糧を手に入れることができなくなりました。
12
 ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まず私たちの先祖をそこに遣わしました。
13
 二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分の身の上を明かし、ファラオもヨセフの一族のことを知りました。
14
 そこで、ヨセフは人を遣わして、父ヤコブと七十五人の親族一同を呼び寄せました。」(使徒7章・聖書協会共同訳)と記されています。

 また、ヨセフは、へブル(ヘブライ)11章の信仰列伝の中の一人にも加えられて記されています。

 ヨセフは17歳の時に夢を見ました。
その夢は、ヨセフの両親と兄弟たちがヨセフにひれ伏している、という内容でした。
 創世記37章に次のように記されています。
5 あるとき、ヨセフが夢を見て、それを兄弟に話すということがあった。すると彼らは以前にも増してヨセフを憎むようになった
6
 ヨセフは彼らにこう言った。
「聞いてください。私はこんな夢を見ました。
7
 私たちが畑の中で麦の束を結わえていると、いきなり私の束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まり、私の束にひれ伏しました。」
8
 兄弟はヨセフに言った。
「お前が我々を治めるというのか。お前が我々を支配するというのか。」
彼らはその夢の話のゆえに、ヨセフを以前にも増して憎むようになった。
9
 ヨセフはまた別の夢を見て、それを兄弟に話した。
「私はまた夢を見ました。すると、日と月と十一の星が私にひれ伏していたのです。」
10
 ヨセフはこれを父と兄弟に話したので、父はヨセフをとがめて言った。
「お前が見たその夢は一体何なのだ。私やお母さん、兄弟たちがお前にひれ伏すとでもいうのか。」
11
 兄弟はヨセフを妬んだが、父はこのことを心に留めた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨセフの兄弟たちは、ヨセフを妬み、ヨセフに悪感情を持っていました。
ヨセフの兄弟たちがヨセフに悪感情を持つに至った大きな理由を聖書は3つ挙げています。
①ヨセフに対するヤコブのひいき:“ヨセフの兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼〔ヨセフ(筆者挿入)〕を愛しているのを見て、彼を憎み、穏やかに話すことができなかった。”(創世記3742017
②ヨセフの2度にわたる夢:“ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。”(創世記3752017
③ヨセフの告げ口:“・・・。ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた。”(創世記3722017
と記されています。

 ヨセフに対する悪感情は、ヨセフを殺してしまおう、というところまで燃え上がりました。
 創世記3712-20には次のように記されています。
12 さて、兄弟〔ヨセフの兄弟たち(筆者挿入)〕はシェケムで父の羊の群れを飼うために出かけていた。
13
 イスラエルはヨセフに言った。
「兄弟はシェケムで羊の世話をしているはずだ。さあ、お前は兄さんたちのところに行って来なさい。」
ヨセフが、 「はい、分かりました」と答えると、
14
 父は言った。「出かけて行って、兄さんたちは無事か、羊の群れは無事かを見て、知らせてくれ。」
父はヨセフをヘブロンの谷から送り出し、ヨセフはシェケムにやって来た。
15
 ヨセフが野原をさまよっていると、ある人がヨセフと出会い、「何を捜しているのですか」と尋ねた。
16
 「兄弟を捜しているのです。どこで羊の群れを世話しているか教えてください。」ヨセフがこう言うと、
17
 その人は答えた。「ドタンへ行こうと話しているのを聞きましたが、もうここから出かけてしまいました。」ヨセフは兄弟の後を追って行き、ドタンで彼らを見つけた。
18
 兄弟〔ヨセフの兄弟たち(筆者挿入)〕は遠くにヨセフを認めると、まだ近づいて来ないうちに彼を殺そうと謀った
19
 彼らは互いに言った。「見ろ、あの夢見る者がやって来るぞ。20 さあ、彼を殺して、穴の一つに投げ込もう。悪い獣が食い殺したと言えばよい。あの男の夢がどうなるか、見てみよう。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 兄弟たちのヨセフ殺人計画を聞いた兄弟たちの長兄であるルベンは、それを食い止めようとしました。
 創世記3721.22には次のように記されています。
21 これを聞いたルベンは、彼らの手からヨセフを救い出そうとして言った。「命を取るのはやめておこう。」
22
 ルベンはさらに言った。「血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ込めばよい。彼に手を下してはならない。」
それは、彼らの手からヨセフ を救い出し、父のもとに帰すためであった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 そこで兄弟たちは、ヨセフを穴に投げ込んだのでした。兄弟たちは、ヨセフを穴に投げ込んだ後、食事をとりました。
 創世記3723-25aには次のように記されています。
23 ヨセフが兄弟のところにやって来ると、彼らはヨセフが身に着けていた衣服、長袖の上着を剥ぎ取り、24 彼を捕まえて穴に投げ込んだ。穴は空で、そこに水はなかった。
25
その後、彼らは座って食事をした。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ユダはヨセフを売り飛ばそう、と兄弟に持ちかけました。そして、ルベンはその場にいなかったのですが、ルベンを除く兄弟たちは、それに賛同したのです。ヨセフは奴隷として売られたのでした。
 創世記3725-28には次のように記されています。
25 それから、腰をおろして夕食にしたのですが、ふと気がつくと、遠くかららくだの一隊がやって来るのが見えました。樹脂や香料、薬草類をギルアデからエジプトに運ぶ、イシュマエル人の隊商のようでした。
26.27
「おい、見ろよ。」ユダが叫びました。「イシュマエル人が来るぞ。ヨセフのやつを売り飛ばすってのはどうだろう。殺すのは、どう考えても気持ちのいいもんじゃない。自分たちの手で殺したりすれば、あとでいやな思いをするだろう。虫の好かないやつだけど、やっぱり弟なんだからな。」
みな賛成しました。
28
そこで、隊商がそばまで来ると、ヨセフを井戸から引き上げて、銀貨二十枚で彼を売りました。ヨセフはエジプトへ連れて行かれることになってしまったのです。”(リビングバイブル)とあります。

 その後のルベン、ヨセフを売り飛ばした兄弟たち、父親のヤコブ、売られたヨセフについて、創世記3729-36には次のように記されています。
29 ルベンが穴に戻ってみると、穴の中にヨセフはいなかった。ルベンは自分の衣服を引き裂き、30 兄弟のところに戻って言った。
「あの子がいない。私は、この私はどうしたらいいのだ。」
 31 だが彼ら〔ヨセフを売り飛ばした兄弟たち(筆者挿入)〕はヨセフの上着を取り、雄山羊を殺して、その血に上着を浸した。32 それから、長袖の上着を父のもとに持ち帰って言った。
「こんなものを見つけましたが、あなたの息子の上着かどうか、確かめてください」
 33 父は確かめて言った。「息子の上着だ。悪い獣に食われてしまったのだ。ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。」
34
 ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、幾日もその子のために嘆き悲しんだ。35 息子や娘が皆、父を慰めようとやって来たが、ヤコブは慰められることを拒んで言った。「嘆き悲しみつつ、わが子のもとに、陰府へと下って行こう。」こうして、父はヨセフのために泣いた。
 36 あのミデヤン人たちは、ヨセフをエジプトで、ファラオの役人で親衛隊長であったポティファルに売り渡した。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨセフはルベンを除く兄弟たちの悪感情のゆえに奴隷として売り飛ばされたのでした。
ヨセフは、悪感情を抱かれるようなことをしていた、とも言えます。
彼らの父ヤコブの偏愛もこのようなことを引き起こす引き金になったのです。

 しかし、神様は、それらの悪をも用いて、それを善に変えることの出来るお方です。
この後、神様はカナンやエジプトに飢饉を起こしますが、神様はその時に大いにヨセフを用いるのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちが地上生活を送っているときに、世の常識では好ましくないと思われるようなところを、あなたは、私たちに通らせることがあります。
しかしそれも恵みであることを覚えます。
あなたは、この世の人が、悪しき事、と考えるすべての事柄をも含めて、後に振り返ると、それは良かったのだ、と納得させていただけることをしてくださいますから、御名を崇めて賛美します。
悪しきことと思えるようなことの中に置かれている時でも、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」(ローマ828・口語訳)という聖句に立脚して歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月18日 (月)

黙示録1:1-8 序文とあいさつ5/7節のみ(キリストの地上再臨)

 黙示録11-8には次のように記されています。
1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。
2
 ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。
3
 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。
4
 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、玉座の前におられる七つの霊から、5 また、真実な証人にして死者の中から最初に生まれた方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにあるように。
 私たちを愛し、その血によって罪から解放してくださった方に、6 私たちを御国の民〔直訳「王国とし」(欄外注)〕とし、またご自分の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
 7 見よ、この方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る。ことに、彼を突き刺した者たちは。地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
 8 今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」(聖書協会共同訳)とあります。

 今日は7節の“見よ、この方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る。ことに、彼を突き刺した者たちは。地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。”という個所です。

 「ことに、彼を突き刺した者たちは。」とありますが、主イエス・キリスト様を突き刺した者はローマ人すなわち異邦人でした。そのように仕向けたのは多くのユダヤ人たちでした。
しかし主イエス様の側からからいうと、主イエス様は、御父を愛し、私たちを愛されるゆえに、私たちの罪のために、ご自身が身代わりとなって、ご自分から十字架にかかってくださったのです。そして十字架上で死んで罪の贖いを成し遂げられたのです。

 7節はキリストの地上再臨とそれに基づく地上の人たちの状態が記されています。
新生したキリスト者の総体すなわち花嫁である教会は、携挙の時に天に引き上げられていますから、キリストの地上再臨時の前には、天の王国で花婿キリストとの結婚式と披露宴を済ませています(黙示録195-9)。
ハレルヤ!
ですから、新生しているキリスト者は、キリストの地上再臨を嘆くことはありません。
それどころか、キリストの再臨によって地上の悪は一掃され、サタンはギリシア語で「アビュソス」、英語では「アビス」、日本語聖書では「底知れぬ所」or「底なしの淵」に1000年間閉じ込められるのです。
そしてキリストの再臨後、キリストの千年王国が始まっていくのです。ハレルヤ!

 関連個所の中からからゼカリヤ121,10-14を下記します。
121 託宣。イスラエルに対する主の言葉。天を広げ、地の基を据え、人の霊をその中に造られた主の仰せ/
12
10 私はダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが刺し貫いた者のことで私を見て、独り子の死を嘆くように 嘆き、初子の死を悼むように悼む
11
 その日、エルサレムでは、メギドの平野におけるハダド・リモンの嘆きのように、その嘆きは大きくなる。
12
 この地は氏族ごとにそれぞれ嘆く。ダビデの家の氏族は彼らだけで嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。ナタンの家の氏族は彼らだけで嘆き、 その妻たちも彼女たちだけで嘆く。
13
 レビの家の氏族は彼らだけで嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。シムイの氏族は彼らだけで嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。
14
 残りの氏族もすべて氏族ごとにそれぞれ嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 11節の「ハダド・リモン(ハダデ・リモン)」について、聖書辞典の解説を下記します。
“ハダデ・リモン (〈ヘ〉hadad rimmon) 〔ヘブライ語「הֲדַדְרִמּוֹן」。右から読みます(筆者挿入)〕
ゼカ12:11では、終りの日のエルサレムの悔改めの嘆きが「メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きい」と言われている。
609年エジプトの王ネコ2世との戦いでヨシヤ王が死んだメギドの平地(35:20‐25)の地名と思われ、その死を悼む深い嘆きを指すと考えられる。
〔また(筆者挿入)〕雷神、嵐の神として祭られている地方神の名と思われ、また、この悲しみはタンムズの祭(エゼ8:14)を指すとも思われる〔偶像神の祭り(筆者挿入)〕。
〔その他(筆者挿入)〕ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を毎年4日間歌う行事(士11:37‐40)との関連性ははっきりしない。”と述べています。

 12-14節に記されているように、イスラエル人一人一人が再臨のキリストを見て、大いなる悔い改めをするのです。
ローマ1126.27に記されている“こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。”(2017)ということが成就する時なのです。

 キリストの再臨以前、イスラエルにおいて毎年行われていた大贖罪日(贖いの日)がイスラエル民族全体として実体化されたのです。
レビ記2326-32には次のように記されています。
26 主はモーセに告げられた。
27
 「第七の月の十日、この日は贖いの日で、聖なる集会を開きなさい。身を慎み、主への火による献げ物を献げなさい。28 この日には、どのような仕事もしてはならない。この日は、あなたがたの神、主の前であなたがたのために贖いがなされる。
29
 この日、身を慎まない者は誰であれ、その一族から絶たれる。
30
 私はこの日に労働する者を民の中から絶つ。31 どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたがどこに住もうとも、代々にわたって守るべきとこしえの掟である。32 この日は、あなたがたには完全な安息の日でなければならない。その月の九日の夕暮れから身を慎まなければならない。夕暮れから夕暮れまで安息しなさい。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたのご計画は一つ一つ実行されていきますから御名を賛美します。
主こそ賛美されるべきお方です。ハレルヤ!
「御国が来ますように」と祈り続けて来た多くの聖徒たちは大喜びすることでしょう。
ハレルヤ!
あなたの御名をほめたたえつつ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月17日 (日)

エゼキエル36:24.33-38 主に集められ人口が増加し豊かさを増していくイスラエル/終末を考えるときには、イスラエルの建国と主のイスラエルへの祝福は欠かせません

 エゼキエル36:24.33-38には次のように記されています。
24 私は諸国民の中からあなたがた〔イスラエルの民(筆者挿入)〕を連れ出し、全地〔すべての国々(2017)〕から集め、あなたがたの土地〔イスラエルの地(筆者挿入)〕に導き入れる。/
33
 主なる神はこう言われる。私があなたがたをすべての過ちから清める日に、私は町に人を住まわせ、廃虚は建て直される。
34
 荒れたままにされていた地〔イスラエルの地(筆者挿入)〕は、そこを通るすべての人の目に荒れ果てた地としか見えなかったが、耕されるようになる。
35
 そこで人々は、『荒れ果てていたこの地がエデンの園のようになった。廃虚と化し、荒れ果て破壊された町に城壁が築かれ、人の住む所となった』 と言う。
36
 こうして、あなたがたの周りに残された諸国民は、主である私が破壊された所を建て直し、荒廃させられた所に植物を植え直したことを知るようになる。主である私がこれを語り、これを行う。
37
 主なる神はこう言われる。私は再び、イスラエルの家の求めに応じて、彼らのためにこれを行う。私は羊の群れのように人を増やす。
38
 聖なる羊の群れのように、定めの祭りの時にエルサレムに溢れる羊の群れのように、廃虚の町は人の群れで満たされる。こうして、彼らは私が主であることを知るようになる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 終末預言のジャンルで、何故イスラエルのことばかりを書くのでしょうか?
その理由は、終末と再興されたイスラエル国とは密接な関係を持っているからです。
主イエス・キリスト様は、キリストの再臨の前には神殿が建っていること、神殿に偶像がおかれること、神に対する信仰を持っているイスラエルの民が迫害されることを語られました。

 マタイ24章に次のように記されています。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――
16
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
17
 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
18
 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。
19
 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある。
20
 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい〔この聖句により、この個所がイスラエルに対して記されていることがわかります(筆者挿入)〕。
21
 その時には、世の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
22
 神がその期間を縮めてくださらなければ、誰一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。”(聖書協会共同訳)とあります。

 22節の「選ばれた人たち」とは、キリストのからだであり、キリストの花嫁である教会を形成している新生したキリスト者のことではありません。
新生したキリスト者は、この出来事の前にはすでに天に移されています。

 15節の「預言者ダニエルが語った、あの恐るべきものが聖所に立つ」(リビングバイブル)と主イエス様が語られた内容は、ダニエル927の預言聖句と関係があります。

 ダニエルの質問に対して、神ヤハウェ(主)は、ガブリエルをダニエルに遣わして、ダニエルに次の事柄を伝えさせました。
余談になりますが、キリスト者であるにもかかわらず、自分にもガブリエルが遣わされないかな、と思う人もいるかもしれません。新生しているキリスト者には神である聖霊が遣わされ、内に住んでくださっておられるのです。キリスト者は破格の祝福を受けているのです。聖霊は真理を教えてくださる神の霊でもあります。

 ダニエル920-27には次のように記されています。
20 私〔ダニエル(筆者挿入)〕はなお語り、祈り、私の罪と私の民イスラエルの罪とを告白し、また、私の神の聖なる山〔エルサレム(筆者挿入)〕について、私の神である主の前に嘆願を献げていた。
21
 私がまだ祈り語っていたとき、先に幻で私が見たあの人、ガブリエルが飛んで来て、私に触れた。夕べの供え物の頃であった。
22
 彼は私に理解させようとして、こう言った。
「ダニエルよ、今、あなたに悟りを授けるために出て来た。23 あなたが嘆願を始めたとき、御言葉が現れたので〔一つの命令が出たので(リビングバイブル)〕、私はそれを伝えるために来た。あなたは〔神に(筆者挿入)〕愛される者。この言葉を悟り、この幻を理解せよ。
 24 あなたの民〔イスラエルの民(筆者挿入)〕と聖なる都〔エルサレム(筆者挿入)〕について、七十週〔1週は7年で490年(筆者挿入)〕が定められている。
それは、背き〔主なる神に対するそむき(筆者挿入)〕を終わらせ〔すなわち「イエス・キリストを信じさせ」(筆者挿入)」、罪を封印し、過ちを償い、永遠の義をもたらすためであり、 また幻と預言を封じ、最も聖なるものに油を注ぐためである。
 25 あなたはこれを知って、悟れ。
エルサレムを復興し再建せよとの言葉が出されてから、油注がれた君が来られるまでが七週。また六十二週たつと、その苦しみの時代に広場と堀は再建される。
25節の訳は、口語訳が良いと私は思います。口語訳は「それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来る{メシアなるキリストのエルサレム入場(棕櫚の日曜日の出来事){筆者挿入}〕まで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しか も不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。」と訳しています。(筆者挿入)}
26
 六十二週の後、油注がれた者は絶たれ、彼〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕には何も残らない。都と聖所を次の君主の民が破壊する〔「やがて来たるべき君主の民{ローマ帝国軍(筆者挿入)}が町と聖所を破壊する」(新改訳初版~第三版)〕。その終わりに洪水があり〔神の民は、まるで洪水に会ったように、一気に押し流されてしまう(リビングバイブル)〕、戦いの終わりまで、荒廃が定められている。
A.D.70年にエルサレム陥落。キリストの復活後のペンテコステの日に教会誕生。教会時代はこの預言には記されていません。教会時代はキリストの空中再臨に伴う携挙で終わり、その後、27節の預言が動き出します。ダニエルに語られた預言の解釈はイスラエルの民とエルサレムについてですから。(筆者挿入)〕
27
 一週の間〔70週目の間(筆者挿入)〕、彼〔「反キリスト」。かつてのローマ帝国内から出てくる人物(筆者挿入)〕は多くの人々と契約を固め〔神の民イスラエルと七年間に及ぶ条約を締結する(筆者挿入)〕、〔しかし(筆者挿入)〕半週の間、いけにえと供え物を廃止する。憎むべきもの〔反キリストの像(筆者挿入)〕の翼の上に荒廃をもたらすもの〔反キリスト(筆者挿入)〕が座し、ついに、定められた破滅が、荒廃をもたらすものの上に注がれる。」〔それから3年半後に反キリストは再臨のキリストによって裁かれる(筆者挿入)〕”(聖書協会共同訳)とあります。

 ダニエル927の預言の出来事は、新生したキリスト者が携挙された後になります。
新生したキリスト者が天に挙げられると、反キリストが出てきます(2テサロニケ21-8参照)。
イスラエル国と反キリスト(時の世界支配者)の条約が締結されるということがダニエル927に記されていますから、終末預言におけるイスラエル国の存在は大切なのです。

 エゼキエル3624.33-38には、神ヤハウェ(主)が、イスラエルの民をイスラエルの地に集めること。イスラエルの地が作物を産出していくこと。イスラエルの人口が増加し、豊かな国となっていくことが預言されています。

 イスラエルの人口の推移
1948
年にイスラエルは独立宣言をしました。
1960
年の人口は、約211万人でした。
2022
年の人口は、約955万人となっています。
 イスラエルの穀物生産量の推移
1961
年は、171600トンでした。
2021
年は、268,284トンでした。
1983
年は、437,100トンで最高でした。

 名目GDPの推移
1960
年は、2,598,500,000ドルでした。
2022
年は、522,033,446,211ドルでした。

 2022年の一人当たりの名目GDPは日本より高くなっています。

 

人口

GDP

イスラエル

9,550,600人

522,033,446,212ドル

日本

125,124,989人

4,231,141,201,863ドル


<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは、あなたの御言葉を必ず実行されますから御名を崇めます。
様々な聖書預言から携挙の時が近くまで来ているのではないかと想像します。
主を待ち望む者は、主が聖くあるように自らをきよくするとあります。
日々主に整えて頂きつつ主を待ち望む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・
 “・・・・、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。”(1ヨハネ32.32017
 “ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。”(ローマ121.22017
 “主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。”(イザヤ4031抜粋・2017

2023年12月16日 (土)

箴言27:5 自己愛と他者への善の愛

 箴言275を、
2017
は“あからさまに責めるのは、ひそかに愛するより良い。”と訳し、
口語訳は“あからさまに戒めるのは、ひそかに愛するのにまさる。”と訳し、
リビングバイブルは“愛するあまり、悪いことをしても何も注意しないより、しかるときははっきりしかるほうが良いのです。”と意訳しています。

 好きでもない、また愛してもいない人の落ち度を責めるのは容易なことです。
しかし、大好きな人、失いたくない人の落ち度を責めるのは、容易なことではありません。責められた人or忠告を受けた人が、自分から離れてしまう可能性もあるからです。

 好きな人に対しては、注意しないで、自分が我慢しておこう、見ても見ないふりをしておこう、ということはよくあることではないでしょうか。
まさしくそれは自己愛のかたまりでしょう。

 1コリント137には“〔愛は、(筆者挿入)〕すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。”(新共同訳)と記されています。
その聖句に逃げ込んで、注意すべき時にも、愛の故に何も言わない、と自己愛を正当化しようとすることもあります。

 1コリント137をリビングバイブルは、
「愛は、どんな犠牲を払っても誠実を尽くし、すべてを信じ、最善を期待し、すべてを耐え忍びます。」と意訳しています。

 主イエス様は、愛するゆえに、是々非々をはっきりと言いました。
しかしそれは愛に裏打ちされたものでした。そのことのゆえに人から憎まれることがあっても。
主イエス様の愛を体験している人は、主イエス様に厳しく忠告されても、その忠告が愛からであると感じ取ることができるでしょう。

 パウロがコリント教会の人たちに「私は、あなたがたのたましいのために、大いに喜んで財を費やし、自分自身を使い尽くしましょう。私があなたがたを愛すれば愛するほど、私はますます愛されなくなるのでしょうか。」(2コリント12152017)と述べている個所があります。
愛を受け取る側の感受性と愛していることを実感させる側の間にミスマッチがあった例なのでしょうね。

 礼拝説教でも、愛をもって地獄を語る説教をすることは難しいことでしょう。
唯物主義者、魂はないという唯脳主義者の人に対しては、地獄のあることを納得してもらうことの難しさもありますが。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
御父も御子イエス様も愛をもって真理を語ってくださいますから感謝します。
あなたの愛を大きく感じさせていただけるゆえに、あなたの忠告も愛からのものであると感じ取ることができます。
そのような恵みを感謝します。
愛を感じてもらえる忠告などなかなかできない者ですから憐れんでください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月15日 (金)

詩篇105:12-15 人間的に見たら理不尽とも思える主の守り

 詩篇10512-15には次のように記されています。
12 彼らが数少なく、数えるに足らず、その地に寄留していた頃
13
 国から国へ、一つの王国から他の民へと歩いて行った。
14
 主は、彼らを虐げることを誰にも許さず、彼らのゆえに王たちを懲らしめた
15
 「わが油注がれた者たちに触れるな。わが預言者たちに害を加えるな。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 神ヤハウェ(主)のみ旨or経綸を考えに入れない人間同士の倫理基準で考えたとしたら、主に在る者に相対した者に対するヤハウェ(主)の、事の善悪を超えた理不尽とも思える行動を、アブラム(アブラハム)、イサク、ヤコブの例から考えてみたいと思います。
まさに神ヤハウェ(主)は、詩篇10514.15に、“主は、彼らを虐げることを誰にも許さず、彼らのゆえに王たちを懲らしめた。「わが油注がれた者たちに触れるな。わが預言者たちに害を加えるな。」”ということを実行された事例です。
それは神の経綸(ご計画)の故でもあったのでしょう。

 私たちキリスト者に対してのローマ828の「神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となる」(文語訳)という聖句を思い浮かべます。
「凡てのこと相働きて益となる」ためには、神ヤハウェ(主)が万事を益となるようにして下さるのでなければ不可能なことです。

 創世記129-132には次のように記されています。
129 アブラムはさらに旅を続け、ネゲブへと移って行った。
10
 ところが、その地で飢饉が起こった。その飢饉がひどかったので、アブラムはエジプトへ下って行き、そこに身を寄せようとした。
11
 エジプトに近づいたとき、アブラムは妻のサライに言った。「あなたが美しい女だということを私はよく知っている。
12
 エジプト人があなたを見れば、『この女はあの男の妻だ』と言って、私を殺し、あなただけを生かしておくだろう。
13
 だからあなたは、自分のことを私の妹だと言ってほしいのだ。そうすれば、あなたのお陰で私は手厚くもてなされ、命は助かるだろう。」
14
 アブラムがエジプトに入ると、エジプト人は彼の妻を見て、大層美しいと思った。
15
 ファラオの高官も彼女を見て、ファラオに彼女のことを褒めそやした。そこでサライはファラオの宮廷に召し入れられた。
16
 彼女のお陰でアブラムは手厚くもてなされ、羊と牛に雄ろば、男女の奴隷に雌ろば、そしてらくだなどを得た。
17
 ところが主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオとその宮廷に恐ろしい災いを下された。
18
 ファラオはアブラムを呼びつけて言った。
「あなたは何ということをしたのか。なぜ、彼女が妻であると告げなかったのか。19 なぜ、彼女を妹であると言ったのか。だからこそ私は彼女を妻として召し入れたのだ。さあ今すぐ、あなたの妻を連れて行きなさい
。」
20
 ファラオは家臣に命じ、彼とその妻、その持ち物すべてを送り出した。
 131 アブラムは妻を伴い、すべての持ち物を携え、エジプトからネゲブへと上って行った。ロトも一緒であった。
2
 アブラムは家畜や銀と金に恵まれ、大変に裕福であった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 サラはアブラハムの父の子ですが、アブラハムとは母親が異なるのです。すなわち腹違い(異母)の妹でした。

 アブラハムは、また同じようなことを繰り返しました。創世記20章には次のように記されています。
1 アブラハムはそこからネゲブの地に移って行き、カデシュとシュルの間に住んだ。
ゲラルに滞在していたとき、2 アブラハムは自分の妻サラのことを、「彼女は妹です」と言っていた
それでゲラルの王アビメレクは人を遣わしてサラを召し入れた
3
 するとその夜、神が夢の中でアビメレクのもとに来て言われた。「あなたは、召し入れた女のゆえに死ぬことになる。彼女は夫のある身なのだ。」
4
 しかしアビメレクは彼女に近づいていなかったので言った。
「主よ、あなたは正しい民でも殺されるのですか。5 『彼女は妹です』と言ったのは、彼ではありませんか。また彼女自身も、『彼は兄です』と言いました。それで私は、正しい心と汚れのない手で、このことを行ったのです。」
6
 すると神は夢の中で言われた。「私も、あなたが正しい心でこのことを行ったことを知っている。だから私も、あなたが私に対して罪を犯すことのないように引き止めて、彼女に触れさせなかったのだ。7 さあ、あの人の妻を返しなさい。彼は預言者であるから、あなたのために祈り、命を救ってくれるだろう。しかし、もし返さなければ、あなたとあなたに連なる者は皆、必ず死ぬと覚悟しなさい。」
8
 アビメレクは次の朝早く起きて、すべての家臣を呼び集め、これらすべての出来事を語り聞かせた。すると一同は非常に恐れた。
9
 アビメレクはアブラハムを呼んで言った。「あなたは何ということをしたのか。私があなたにどんな罪を犯したというのか。あなたは私と私の王国に大きな罪をもたらした。あなたはしてはならないことを私にしたのだ。」
10
 アビメレクはさらに、「一体あなたは何を考えて、このようなことをしたのか」とアブラハムに向かって言った。
11
 するとアブラハムは言った。「この地には、神を畏れるということが全くありませんので、人々は妻のゆえに私を殺すだろうと思ったのです。12 それに実際、彼女は私の父の娘で、妹でもあるのです。ただ母の娘ではないので、彼女は私の妻となることができたのです。13 神が私を父の家からさすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『こうしてくれると助かる。行く先々で、私のことを兄と言ってくれないか』と頼んだのです。」
14
 そこでアビメレクは、羊と牛、男女の奴隷をアブラハムに与え、妻のサラを返した。
15
 アビメレクは、「あなたの前に広がっているのは私の土地だ。好きな所に住みなさい」と言い、16 サラにはこう言った。「私は、銀一千シェケルをあなたの兄に与える。それは、あなたと一緒にいるすべての人に対してあなたの無罪の証しとなり、これであなたの疑いはすべて晴れる。」
17
 アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクと妻、および侍女たちを癒やされたので、彼女たちは子を産むようになった。
18
 主は、アブラハムの妻サラの件で、アビメレクの家の女たちの胎をすべて堅く閉ざしておられたからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 アブラハムの子イサクも同じようなことをしてしまいますが、大事に至らなかったのは主の御介入があったからでしょう。創世記267-14には次のように記されています。
7 あるとき、土地の人々がイサクに妻のことを尋ねた。彼は、「彼女は私の妹です」と答えた。リベカが美人であったので、土地の人々がそれを理由に自分を殺すかもしれないと思い、妻だと言うのを恐れたからである。
8
 イサクの滞在が長くなった頃、ペリシテ人の王アビメレクがふと窓ごしに下を見ると、イサクが妻のリベカと戯れていた。〔下線部分に、主の関与があると思います(筆者挿入)〕
9
 アビメレクはイサクを呼び寄せて言った。「彼女は、本当はあなたの妻ではないか。それなのにどうして、『彼女は私の妹です』などと言ったのか。」
イサクが、「私は、彼女のことで殺されはしないかと思ったからです」と答えると、
10
 アビメレクは言った。「何ということをしてくれたのだ。もう少しで、民の誰かがあなたの妻と寝るところであった。あなたは私たちに過ちを犯させようとしたのだ。」
11
 そしてアビメレクは、すべての民に命じた。「この男とその妻に害を加える者は必ず死ななければならない。」
12
 さて、イサクはその土地で種を蒔き、その年には百倍の収穫を得た。主が彼を祝福されたので、13 彼は豊かになり、ますます栄え、大変裕福になった。
14
 イサクが羊の群れ、牛の群れ、そして多くの僕を持つようになった
ので、ペリシテ人は彼を妬むようになった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イサクの子のヤコブの場合にも色々とありましたが、その中の創世記3122-29には次のように記されています。
22 ヤコブが逃げたことがラバンに知らされたのは、三日目のことであった。
23
 ラバンは一族の者を引き連れ、七日の道のりを後から追いかけ、ギルアドの山地で追いついた。
24
 すると神はその夜、夢の中でアラム人ラバンに現れて言われた。「ヤコブとは、事の良し悪しを論じないように注意しなさい。」
25 ラバンがヤコブに追いついたとき、ヤコブは山地に天幕を張っていた。そこで、ラバンも親類の者と一緒にギルアドの山地に天幕を張った。
26
 ラバンはヤコブに言った。「何ということをしたのか。私を欺き、娘たちを剣で捕らえた捕虜のように引き連れて行くとは。
27
 なぜ、隠れて逃げ、私を欺いて知らせなかったのか。私は、タンバリンと琴をもって、喜び歌って送り出してやったのに。
28
 孫や娘たちに別れの口づけもさせず、全く愚かなことをしてくれたものだ。
29
 私はお前たちをひどい目に遭わせることもできるが、夕べ、お前たちの父の神が、『ヤコブとは事の良し悪しを論じないように注意しなさい』と言われたのだ。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなた御恩寵のゆえに御名を崇めます。
あなたは、か弱き者をも顧みてくださり、その弱さの中に力を表してくださり、すべてのことを働かせて益としてくださるお方ですから御名を崇めて賛美します。
あなたの聖なる御名をほめたたえ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月14日 (木)

詩篇83篇 イスラエルの独立宣言と第一次中東戦争

 詩篇83篇には次のように記されています。
1 歌。賛歌。アサフの詩。
2
 神よ、沈黙しないでください。神よ、押し黙らないでください。静まり返らないでください。
3
 御覧ください。あなたの敵が騒ぎ立ち、あなたを憎む者は頭をもたげました。
4
 彼らはあなたの民に陰謀を巡らし、あなたにかくまわれている人たちに悪だくみを働いています。
5
 彼らは言います。
「さあ、彼ら、国民(くにたみ)を滅ぼそう。イスラエルの名が再び思い起こされることのないように。」
〔「さあ、彼らの国を消し去って、イスラエルの名が、もはや覚えられないようにしよう。」(2017)〕
6
 彼らは共謀し。あなたに逆らって契約を結びます。
7
 それは、天幕に住むエドム人、イシュマエル人、モアブ、ハガル人、8 ビブロス〔ゲバル(2017)〕、アンモン、アマレク、ペリシテ、それにティルス〔ツロ(2017)〕に住む者。9 アッシリアも加わり、ロトの子らの片腕となりました。〔セラ/
13
 彼らは言いました。「神の牧場を我らのものにしよう。」
14
 わが神よ、彼らを風に転がる枯れあざみのように、風に舞うわら屑のようにしてください。
15
 林を焼く火のように、山々を焦がす炎のように。16 あなたの嵐によって彼らを追いやり、あなたのつむじ風によって彼らをおののかせてください。
17
 主よ、彼らの顔を恥にまみれさせ、あなたの名を求めさせてください。
18
 いつまでも彼らが恥を受け、おののき、辱められて、滅びますように。
19
 こうして彼らは知るようになります。あなたの名は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕、あなただけが全地の上におられるいと高き方であることを。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1948514日に、イスラエルは独立宣言をし、独立しました。

翌日の515日、イスラエルの周辺国は、イスラエルを抹殺する為に戦争を起こしたのです。その当時のイスラエルは、今とは違い甚だ軍備の整っていない状態でした。
ウィキペディアの「中東戦争」の項目の中に次のような文章(抜粋)があります。
1948514日、イスラエルが独立を宣言すると、パレスチナ〔聖書が言うところの「イスラエルの地」(筆者挿入)〕の内戦はすぐさま国家間の戦争と化した。翌515日にはイスラエル独立に反対する周辺アラブ諸国(エジプト、サウジアラビア、イラク、トランスヨルダン、シリア、レバノン)がパレスチナへ進軍し、パレスチナ人側に立ってイスラエルと戦闘を始めた。アラブ側の兵力は約15万以上、イスラエル側の兵力は3万弱といわれている。”と述べられています。
イスラエルは兵力的には不利でしたが、神様の助けによって勝利したのです。

 イスラエルを攻撃した国々は、エジプト、トランスヨルダン、シリア、レバノン、イラクが当初から攻撃を開始し、その後、サウジアラビア、イエメン、モロッコも参戦してきたのです。

 詩篇835-9を再掲しますと、
5 彼らは言います。
「さあ、彼ら、国民(くにたみ)を滅ぼそう。イスラエルの名が再び思い起こされることのないように。」〔「さあ、彼らの国を消し去って、イスラエルの名が、もはや覚えられないようにしよう。」(2017)〕
6
 彼らは共謀し。あなたに逆らって契約を結びます。
7
 それは、天幕に住むエドム人、イシュマエル人、モアブ、ハガル人、8 ビブロス〔ゲバル(2017)〕、アンモン、アマレク、ペリシテ、それにティルス〔ツロ(2017)〕に住む者。9 アッシリアも加わり、ロトの子らの片腕となりました。(聖書協会共同訳)と記されています。

これらの人々と現代の人々or国々の関係を下記すると次のようになると思います。
「エドム人」:パレスチナ人、ヨルダン人
「イシュマエル人」:サウジ人、イシュマエルはアラブの父
「モアブ人」:パレスチナ人、中央ヨルダン人
「ハガル人」:エジプト人
「ゲバル」:ヒズボラ、レバノン人
「アンモン」:パレスチナ人、北ヨルダン人
「アマレク」:シナイ地域のアラブ人
「ペリシテ」:ハマス
「ツロ」:ヒズボラ、南レバノン
「アッシリア」:シリア、北イラク
 詩篇83篇に登場する国々、或いは民は、第一次中東戦争において、イスラエルを無きものにしようとした国々に思えます。
これらの国々は、「さあ、彼らの国を消し去って、イスラエルの名が、もはや覚えられないようにしよう。」(詩篇8352017)と言っていた国々です。

 しかし、主の預言は成就していくのです。
国家としてのイスラエルが、この時に滅びてしまったとしたら、聖書に記されている数多くの終末預言は成就しません。
ということは、聖書は信じるに値しない書である、ということになってしまうのです。
もしそのようであったとしたら、私たちキリスト者の救いの聖句も価値のないものになってしますのです。

 しかし、終末預言は成就し続けています。
エゼキエル37章には次のような預言があります。
1 主の手が私〔エゼキエル(筆者挿入)〕に臨んだ。主はその霊によって私を連れ出し、平野のただ中に私を置いた。そこには骨が満ちていた。
2
 主は私にその周囲を行き巡らせた。すると、その平野にはおびただしい骨があり、それは枯れ果てていた。
3
 主は私に言われた。「人の子よ、この骨は生き返ることができるか。」
私は言った。「主なる神よ、あなたはご存じです。」
4
 主は私に言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
5
 主なる神はこれらの骨にこう言われる。今、私はあなたがたの中に霊を吹き込む。するとあなたがたは生き返る。
6
 私はあなたがたの上に筋を付け、肉を生じさせ、皮膚で覆い、その中に霊を与える。するとあなたがたは生き返る。こうして、あなたがたは私が主であることを知るようになる。」
7
 私は命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。地響きがし、骨と骨とが近づいた。
8
 私が見ていると、それらの上に筋ができ、肉が生じ、皮膚がその上を覆ったが、その中に霊はなかった。
9
 主は私に言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言え。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹いて来い。これら殺された者の中に吹きつけよ。すると彼らは生き返る。」
10
 私が主が命じられたように預言すると、霊が彼らの中に入った。すると彼らは生き返り、自分の足で立ち、おびただしい大軍となった。
11
 主は私に言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの家のすべてである彼らは、『我々の骨は枯れ、我々の望みはうせ、我々は滅びる』と言っている
12
 それゆえ、預言して彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。私の民よ、私はあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げ、イスラエルの地に導き入れる
13
 私の民よ、私があなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓から引き上げるとき、あなたがたは私が主であることを知るようになる。
14
 私があなたがたの中に霊を与えると、あなたがたは生き返る。私はあなたがたを自分の土地に安住させる。その時、あなたがたは主である私がこれを語り、行ったことを知るようになる――主の仰せ。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 この預言は、多くのイスラエル人たちがホロコーストによって殺され、望みの無いような状態であったにもかかわらず、その後、イスラエルは国として再建され、国力を増していることの預言であろうと思われます。

 主イエス様は言われました。
「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」(マタイ517.182017)と記されています。
 主イエス様は次のようにも言われました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネ1462017)と。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは「わたしは初めから既に、先のことを告げ、まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り、わたしは望むことをすべて実行する。」(イザヤ4610・新共同訳)と言われるお方です。
私たちに対するあなたの御約束は確かなものですから御名を崇めて感謝します。
いつもあなたの御言葉に信頼して歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月13日 (水)

黙示録1:1-8 序文とあいさつ4/5節b-6節のみ(主は信じる者を罪から解放し、御国の民とし、祭司としてくださった)

 黙示録11-8には次のように記されています。
1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。
2
 ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。
3
 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。
4
 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、玉座の前におられる七つの霊から、5 また、真実な証人にして死者の中から最初に生まれた方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにあるように。
 私たちを愛し、その血によって罪から解放してくださった方に、6 私たちを御国の民〔直訳「王国とし」(欄外注)〕とし、またご自分の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
 7 見よ、この方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る。ことに、彼を突き刺した者たちは。地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。  
 8 今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」(聖書協会共同訳)とあります。

 5b-6節を、
 2017は“5 ・・・。私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、
6
また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。”と訳し、

 リビングバイブルは“5・・・。このイエス・キリストは、死者の中から最初に復活された方であり、二度と死ぬことのない方です。この方は、地上のどの王よりもはるかに偉大で、私たちに変わらぬ愛を注ぎ、罪から解放するために、自分の血を流してくださいました。
6
またこの方は、私たちを神の国の民として集め、父なる神に仕える祭司としてくださいました。イエス・キリストが永遠にほめたたえられますように。そのご支配が永遠に続きますように。アーメン。”と意訳しています。

 新共同訳は“5 ・・・・・。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、6 わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。”と訳しています。

 5b2017は“私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、”と訳しています。
ギリシア語聖書を直訳すると、(イエス・キリストは、)「私たちを愛し、ご自身の血の中で私たちの罪々を洗った」(私訳)と訳せると思います。
すぐに思い出されるのは、イザヤ118の“──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる──たとえ、あなたがたの罪〔原語は複数形「罪々」(筆者挿入)〕が緋のように赤くても、雪のように白くなる。”(2017)という聖句です。

6節を新共同訳は“わたしたちを王〔複数形(筆者挿入)〕とし、御自身の父である神に仕える祭司〔複数形(筆者挿入)〕としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。”と訳しています。

 「私たちを王とし」(新共同訳)、「私たちを王国とし」(2017)、「私たちを御国の民とし」(聖書協会共同訳)、「私たちを神の国の民とし」(リビングバイブル)と訳されている個所の、王、王国、御国の民、について、ギリシア語聖書には「バシリュース」(王,国王,君主)という語と「バシレイアン」(王国)という語の両方があるようです(私の知れる範囲では)。

 1ペテロ29を、
2017
は、“・・、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。・・・。”と訳し、
聖書協会共同訳は“・・あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。・・・。と訳し、
新共同訳は“あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。”と訳しています。
「王である」(2017)、「王の」(聖書協会共同訳)、「王の系統を引く」(新共同訳)と訳されている語のギリシア語原語は「バシレイオス」で、王位をもつ、王者らしい、堂々たる、王族の、 王家の、等の意があります。

 キリストの王国とは、キリストの支配領域と支配を表しますから、現時点の神の経綸では、それはキリストのからだとキリストのからだを構成する新生したキリスト者の総体ということになると思います。そして新生したキリスト者の中にはキリストがおられるのです。
エペソ122.23には“・・、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。”(2017)と記されています。

 私たち(キリスト者全体)は王国であり、一人一人のキリスト者は王国の民です、と言えるのではないかと思います。

 脱線しますが、エペソ(エフェソ)1章後半のパウロの祈りがすばらしいので、それも下記します。
15 こういうわけで、私も、主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖なる者たちに対する愛とを聞いて、16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
17
 私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、あなたがたに知恵と啓示の霊を与えてくださいますように。そして、あなたがたが神を深く知ることができ、18 心の目が照らされ、神の招きによる希望がどのようなものか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか、19 また、私たち信じる者に力強く働く神の力が、どれほど大きなものかを悟ることができますように。
20
 神は、この力ある業をキリストの内に働かせ、キリストを死者の中から復活させ、天上においてご自分の右の座に着かせ、21 この世だけでなく来るべき世にある、すべての支配、権威、権力、権勢、また名を持つすべてのものの上に置かれました。
22
 また、すべてのものをキリストの足元に従わせ、すべてのものの上に立つ頭としてキリストを教会に与えられました。
23
 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方が満ちておられるところです。”(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
パウロの祈りを自分自身にあてはめて祈ります。
「あなたが、私に対して、知恵と啓示の霊の働きをさらに豊かにしてくださり、さらに神を深く知ることができ、より一層心の目が照らされ、神の招きによる希望がどのようなものか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか、また、私たち信じる者に力強く働く神の力が、どれほど大きなものかを悟ることができますように。」と祈ります。
あなたは、御心にかなう祈りを聞いてくださいますから感謝します。
また私たちキリスト者に対して、「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」(2017)と記されています。
あなたと御子キリスト様の御業を、栄誉を、伝え続けていく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月12日 (火)

箴言27:3.4 不機嫌と妬みの害/まことの神様に不従順であった者をも救ってくださる神様

 箴言273.4には次のように記されています。
3 石は重く、砂も重しとなる。無知な者の悩みはこれらのものよりもなお重い。
4
 憤りは残忍、怒りは洪水。妬みの前に誰が耐ええよう。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所を2017は、
3 石は重く、砂にも重みがある。しかし、愚か者の苛(いら)立ちはどちらよりも重い。
4
憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前には、だれが立ちはだかることができるだろうか。”と訳し、
 リビングバイブルは、
3 神に背く者は、思いどおりにならないと腹を立て、手のつけようがありません。
4
怒られるよりも、嫉妬されるほうがこわいものです。”と意訳しています。

 3節を単純に直訳すると新改訳2017のようになると思いますが、ヘブライ語の「エヴィール」の捉え方次第で聖書協会共同訳のようにもリビングバイブルのようにも訳せるように思えます。

 ヘブライ語の「エヴィール」は、愚か者、思慮の無い、・・・という類の意味です。
 ヘブライ語の「カアス」は、怒り、立腹、激怒、悩み、困却、・・等の意があります。
後半部分の「無知な者の悩み」(聖書協会共同訳)、「愚か者の苛立ち」(2017)、「神に背く者は思い通りにならないと腹を立て」(リビングバイブル)と訳されている個所のヘブライ語単語は「カアス エヴィール」の二語からなっています。

 イライラしている人のそばにいると、そこの空気感は重いですね。
そのようなところにいても、いら立っている人の心を変えて、明るくすることができる人は幸いですね。

 リビングバイブルは「神に背く者は、思いどおりにならないと腹を立て」と意訳していますが、裁きのときに、神様の御前に立たされたら、もっとも愚かなことは、神様に背くことであったと誰もが認識できるでしょう。
最大の罪は、まことの神を神としないことですから。
 イエス様は、
「その方〔聖霊(筆者挿入)〕が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと」(ヨハネ168.9・新共同訳)と言われました。
御子キリストは神ですが、父なる神を正しく知る方法は、キリストを通してであると聖書に記されています。

 主イエス様のうちには、すべての知恵と知識の宝が隠されているのです(コロサイ23)。
 イライラせずに、思い悩むことなく生きていくためには、イエス様に委ねて生きることです。また主イエス様は知恵や知識を与えてくださいます。

 4節には“憤りは残忍、怒りは洪水。妬みの前に誰が耐ええよう。”(聖書協会共同訳)と記されています。
 少し読み方を変えますが、残忍なほどの憤りや洪水のようにあふれ出るような怒りよりも妬みの方が怖い、という意で考えたいと思います。

 誰かを妬むこと、誰かに妬まれることは、怖いものであることを教えてくれています。
誰かを妬めば、自分の罪が自分をダメにします。
人に妬まれて、いつも死にそうな目にあわされた人に、サウルに妬まれたダビデがいます。
 1サムエル18章には、
6 さて、ダビデがペリシテ人を討って、軍勢と共に帰って来たとき、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、タンバリンを打ち、喜びの声を上げ、三絃琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた。
7
 女たちは楽を奏で、歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」
8
 これを聞いてサウルは激怒し、不快の念に駆られて言った。
「ダビデには万と言い、私には千と言う。あとは王位を与えるだけか。」
9
 この日以来、サウルはダビデに猜疑心を募らせた。
10
 次の日、神からの悪い霊がサウルに激しく降り、彼は家の中でわめき叫んだ。ダビデはいつものように琴を手にして奏でた。
サウルは槍を手にして、11 「ダビデを壁に突き刺してやる」と言って、槍を投げた。しかし二度ともダビデは身をかわした。”(聖書協会共同訳)と記されています。
その後もダビデはサウルが死ぬまで命を狙われ続けたのです。

 人の妬みは、妬みを持つ人にサタンが働くときの足掛かりとなります。そして、サタンは、その人を益々妬むようにさせるのです。

 人も天使も神様によって造られた被造物です。
おそらく被造物の中で、最初に神様を妬んだのは大天使ヘイレルであったのでしょう(イザヤ1412-14)。
ヘブライ語の「ヘイレル」を英語では「ルシファー」と言います。堕天使の長であるサタンがイザヤ1412でヤハウェ(主)から言われていた名前です。
ヘイレルは被造物でありながら神ヤハウェ(主)を妬んだのではないかと思います。
 イザヤ14章には次のように記されていますから。
12 ああ、お前は天から落ちた。明けの明星〔「ヘイレル」(筆者挿入)〕、曙の子〔「ベン シャハール」(筆者挿入)〕よ。お前は地へと切り倒された。諸国民を打ち倒した者よ。
13
 お前は心の中で言った。
『私は天に上り、神の星々〔天使たち(筆者挿入)〕より上に王座を高く据えよう。そして、北の果てにある集会の山に座し、14 雲の頂に登り、いと高き方のようになろう』と。”(聖書協会共同訳)とあります。
 続く15節には、「しかし、お前は陰府〔シェオール(筆者挿入)〕へと、そ〔陰府(筆者挿入)〕の穴の底へと落とされる。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 ヘイレルはアダムの妻であるエバを誘惑する以前に堕罪し、サタン{(神に)敵対する者}となっていました。
そして神のことばが成就しないように、成就しないようにと働き続けて来ましたし、現在も働いているのです。

 私は、救いにあずかる前は聖書が大嫌いでした。
その理由は、聖書に神が主権者であるという旨が書かれてあるからです。
私の主人は私でなければ気に入らなかったからです。
まさしく私は、エペソ2.1-3に該当する者であったのです。
 エペソ21-3には次のように記されています。
1 さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、
2
かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者〔サタン(筆者挿入)〕、すなわち、不従順の子ら〔神に対して不従順である人たち(筆者挿入)〕の中に今も働いている霊〔神に敵対する霊=悪しき霊(筆者挿入)〕に従って歩んでいました。
3
私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒り〔神の怒り(筆者挿入)〕を受けるべき子らでした。”(2017)とあります。

 しかし、続くエペソ24-10には次のように記されています。
4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、5 背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。
あなたがたが救われたのは恵みによるのです。
6
神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。
7
それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。
8
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
9
行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
10
実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私のような、まことの神様に感謝することもない自分勝手な者をも救ってくださりありがとうございました。
あなたを愛し、あなたに従い続ける歩みをとこしえに続けていく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月11日 (月)

詩篇105:8-11 イスラエルの地は神の契約に基づく相続の地

 詩篇1058-11には次のように記されています。
8 主は心に留められる。主の契約をとこしえに。命じた言葉を幾千代に。
9
 アブラハムと結んだ契約を。イサクに対する誓いを。
10
 主はそれをヤコブのための掟、イスラエルのための永遠の契約として立て、11 言われた。
「私はあなたにカナンの地を与え、あなたがたの相続地とする」と。”(聖書協会共同訳)とあります。

 リビングバイブルはこの個所を次のように意訳しています。
8.9 たとえ何千年を経たのちでも、主はお約束を忘れず、アブラハムやイサクと結んだ契約を守ります。
10.11
そして、その契約をヤコブに再確認しました。「カナンの地を相続させよう」という、イスラエルへの約束です。”と記しています。

 この個所には、イスラエルに与えられる土地についての主の契約が記されています。
ですから主がイスラエルに約束された地は、イスラエルのものなのです。
現在の地球はキリストの千年王国時代終了まで用いられますが、イスラエルに対してたてられた土地の契約はその時まで続くのです。

 現代において、聖書も神ヤハウェ(主)も信じていない人々の中には、イスラエル人たちがパレスチナの地に入植したことが、中東における様々なトラブルの原因であるかのように考えています。
(「パレスチナ」の地という表現は人間がつけたものです。神ヤハウェ(主)は、カナンの地、約束の地、イスラエルの地などという表現を使います)
神ヤハウェ(主)を知らない人は、地球をも含めた宇宙やその中に生きている全てのものも主のものであることを知りませんし信じません。
そもそも宇宙は神の創造によるものであり(創世記1章)、神が保持しておられるので、この宇宙は保たれているのです(へブル13)。

 コロサイ116.17には次のように記されています。
16 ・・、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ〔霊の世界の王座も主権も支配も権威もすべて(リビングバイブル)〕、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。
17
御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。”(2017)とあります。
 へブル13には“御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。・・・。”(2017)と記されています。

 さて神ヤハウェ(主)が、アブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた契約を下記します。

 創世記15章にはアブラム(後のアブラハム)に与えられた契約が次のように記されています。
7 主は言われた。「私はこの地をあなたに与えて、それを継がせるために、あなたをカルデアのウルから連れ出した主である。」/
13
 主はアブラムに言われた。
「あなたはこのことをよく覚えておきなさい。あなたの子孫は、異国の地で寄留者となり、四百年の間、奴隷として仕え、苦しめられる。14 しかし、あなたの子孫を奴隷にするその国民を、私は裁く。その後、彼らは多くの財産を携えてそこから出て来る。15 あなた自身は良き晩年を迎えて葬られ、安らかに先祖のもとに行く。16 そして、四代目の者たちがここに戻って来る。それまでは、アモリ人の悪が極みに達していないからである。」/
18
 こうしてその日、主はアブラムと契約を結んで言われた。
「あなたの子孫にこの地を与える。エジプトの川からあの大河ユーフラテスに至るまで の、19 カイン人、ケナズ人、カドモニ人、20 ヘト人、ペリジ人、レファイム人、21 アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を与える。」”(聖書協会共同訳)とあります。

また、創世記171-8には次のように記されています。
1 アブラムが九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた。
「私は全能の神である。私の前に歩み、全き者でありなさい。2 そうすれば、私はあなたと契約を結び、あなたを大いに増やす。」
3
 アブラムがひれ伏すと、神は語りかけた。
4
 「これがあなたと結ぶ私の契約である。あなたは多くの国民の父となる。
5
 あなたの名はもはやアブラムとは呼ばれず、アブラハムがあなたの名となる。あなたを多くの国民の父とするからである。
6
 私はあなたを多くの子孫に恵まれる者とし、諸国民を興す者とする。こうして王となる者たちがあなたから出るであろう。
7
 私はあなたと、あなたに続く子孫との間に契約を立て、それを代々にわたる永遠の契約とする。私が、あなたとあなたに続く子孫の神となるためである。
8
 私はあなたが身を寄せている地、カナンの全土を、あなたとあなたに続く子孫にとこしえの所有地として与える。こうして私は彼らの神となる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 創世記261-3にはイサクに対する神の契約が次のように記されています。
1 さて、この地に飢饉が起こった。アブラハムの時代にあった先の飢饉とは別の飢饉である。そこで、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのもとへ行った。
2
 その時、主がイサクに現れて言われた。
「エジプトに下って行ってはならない。私があなたに示す地に住み、3 その地に滞在しなさい。私はあなたと共にいて、あなたを祝福する。私はこれらの地をすべて、あなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓った私の誓いを果たす4 私はあなたの子孫を空の星のように増やし、これらの地をすべてあなたの子孫に与える。”(聖書協会共同訳)とあります。

 創世記2813-15にはヤコブに対する神ヤハウェ(主)の契約が次のように記されています。
13 すると、主がそばに立って言われた。
「私は主、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神である。今あなたが身を横たえているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。
14
 あなたの子孫は地の塵のようになって、西へ東へ、北へ南へと広がってゆく。そして地上のすべての氏族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
15
 私はあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにしてもあなたを守り、この土地に連れ戻す。私はあなたに約束したことを果たすまで、決してあなたを見捨てない。」”(聖書協会共同訳)とあります。

更に、創世記359-12にはヤコブ(イスラエル)に対する神ヤハウェ(主)の御言葉が次のように記されています。
9 ヤコブがパダン・アラムから戻って来たとき、神は再び彼に現れ、祝福して、10 言われた。
「あなたの名はヤコブである。だがあなたの名はもはやヤコブとは呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる。」神はこうして、彼をイスラエルと名付けられた。
11
 神はまた彼に言われた。
「私は全能の神である。産めよ、増えよ。あなたから一つの国民、そして諸国民の集まりが起こり、あなたから王たちが出る。12 私は、アブラハムとイサクに与えた土地をあなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 元来、主が造られた全てのものは主のものです。
申命記1014には“見よ。天と、もろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである。”(2017)と記されています。

 カナンの地、すなわちイスラエルの地も、元来は神の所有物であり、その地をイスラエルに相続させたのです。イスラエルの地は、神ヤハウェ(主)からイスラエルが相続した地なのです。それはキリストの千年王国においても変わりません。

 キリスト者の相続地は天国です。
主イエス様は「さいわいなのは霊に貧しい人々、天国は彼らのものだから。」(マタイ53・前田訳)と言われました。
マタイ532017は「心の貧しい者〔直訳「霊において貧しい者」(欄外注)〕は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」と訳しています。

 マタイ53を、2015.9.11にアップしたトミーの聖書理解のブログには次のように記しておきました。
“ 3節に「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(口語訳)とあります。
新改訳は、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」と訳しています。
日本語の聖書で、「心」と訳している語のギリシア語の原語は"πνεῦμα"(プニューマ)で、英語では普通は"spirit"、「霊」です。
NKJV
は、"Blessed are the poor in spirit, For theirs is the kingdom of heaven."と訳しています。
 ルカ620には、「貧しいものは幸いです。神の国はあなたがたのものだから。」(新改訳)とあって、「心の」という語が入っていません。物質的、経済的に貧しいものが幸いと言っているのでないことを多くの人は理解すると思います。
 ウェスレアン聖書註解によると、“バビロニヤ捕囚以後は、「貧しい者」ということばは、富んでいて邪悪で貧者を抑圧する世俗的な人間と対比して、敬虔な人たちを表す語法として、しばしば使われている。したがって、マタイの福音書とルカの福音書の言っていることは、同じ意味である。”とあります。
 ギリシア語聖書の語順で考えると、「祝福された者よ、霊における乞食は、」というようになります”と。

 新生させていただいた人の霊は、主キリストの霊と結ばれている(一つとなっている){1コリント617}のです。新生させていただいた霊は、神から生まれた霊であり(ヨハネ33.5.6)、「主イエス様、もっともっと私を満たしてください。」というのです。新生させていただいた霊はキリストの充満を求める方向へと行くのです。
パウロは自分の証しとしてガラテヤ219.20に次のように記しました。
 2017は「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」と訳し、
 新共同訳は「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」と訳し、
 聖書協会共同訳は「私は神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のために ご自身を献げられた神の子の真実によるものです。」と訳しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは恵みによって私たちに神の王国を相続させてくださいました。
何と大きな恵みでしょう。
ありがとうございます。
益々、主の霊に満たされて歩ませていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・
ローマ814-17
14 神の霊に導かれる者は、誰でも神の子なのです。
15
 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、子としてくださる霊を受けたのです。この霊によって私たちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
16
 この霊こそが、私たちが神の子どもであることを、私たちの霊と一緒に証ししてくださいます。
17
 子どもであれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。”(抜粋・聖書協会共同訳)

2023年12月10日 (日)

イザヤ66:7-9 イスラエルの建国

 イザヤ667-9には次のように記されています。
7 彼女は産みの苦しみが臨む前に産み、陣痛が始まる前に男の子を産んだ。
8
 誰がこのようなことを聞き、誰がこのようなことを見ただろうか。一つの国が一日の苦しみで生み出され、一つの国民が一度に生まれるだろうか。だが、シオンは産みの苦しみが臨むやいなや、その子どもたちを産んだ。
9
 私が胎を開かせておきながら産ませずにおくことがあろうか――主は言われる。産ませる者である私が胎を閉ざしたりするだろうか――あなたの神は言われる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 20世紀におけるイスラエル国家の建国はまさに上記の聖句の預言のようでした。
7-9
節をリビングバイブルは次のように意訳しています。
7.8 こんなに不思議なことを見聞きした者が、いるでしょうか。
まだ産みの苦しみの前に、一日のうちに、突然、イスラエルの国が産み落とされるのです。陣痛が始まると同時に、赤ん坊が生まれ、国家が出現するのです。
9
「わたしは胎を開かせておきながら、産ませないことがあろうか」と、あなたの神である主は言います。
そんなことは、天地がひっくり返っても、あるはずがありません。”と記しています。

 第一次世界大戦まで、パレスチナを含むアラブ地方は、オスマントルコ帝国の領土でした。
オスマントルコ帝国はドイツ側について、イギリスやフランスと戦争しましたが、ドイツ側は敗れたのです。そして、旧オスマントルコの支配地域は、イギリスとフランスで共同統治することになりました。
その後、第二次世界大戦が勃発しました。
第二次世界大戦によってイギリスは国力が低下し、イギリスは第二次大戦後にパレスチナを統治する余力を失いました。そこでイギリスはパレスチナを国連(国際連合)の判断に任せたのです。
その結果国連総会で、パレスチナの分割が決定されたのです。
パレスチナの56%の地域に「ユダヤ国家」を、43%の地域に「アラブ国家」を建設し、両者にとっての聖地エルサレムを「国際管理地区」にしようという提案がなされたのでした。19471129日のことでした。
それを受けて、イスラエルは、1948514日午後4時、テルアビブのテルアビブ美術館で、初代イスラエル首相ダヴィド・ベングリオンが、イスラエルの建国を宣言したのです。

 イスラエルの建国は、イスラエルが戦争で国土を勝ち取ってイスラエルの建国を成し遂げたのではなく、国連の決議を基にするものでした。

 主なる神様を信じない、聖書預言を信じない人がこの出来事を見ると、そのように流れていくのは自然なことだと捉えることでしょう。

 イザヤ668には“まだ産みの苦しみの前に、一日のうちに、突然、イスラエルの国が産み落とされるのです。”(リビングバイブル)と預言されていました。
主なる神様を信じている人は、見えない神様の御計画と働きを見ていくのです。

 伝道者の書(コヘレトの言葉)3:1、11には次のように記されています。
1 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
11
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
イスラエルに起こる多くのことは、あらかじめあなたが預言という形で与えてくださっておられますから感謝します。
イスラエルを見るとき、神ヤハウェ(主)が存在し、働いておられるということを信じることができます。
私の場合には、罪とか救いとかを理解体験する前に、聖書預言の真実性により聖書を信じさせていただけた者であることを思い返すことができます。
願わくは、終末預言を読んで聖書を信じ、救われる人が起こされますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月 9日 (土)

黙示録1:1-8 序文とあいさつ3/4.5節aのみ(恵みと平安の与え主であられる三一の主なる神)

 黙示録11-8には次のように記されています。
1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。
2
 ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。
3
 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。
4
 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、
玉座の前におられる七つの霊から、
5
 また、真実な証人にして死者の中から最初に生まれた方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにあるように。
私たちを愛し、その血によって罪から解放してくださった方に、6 私たちを御国の民とし、またご自分の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
7
 見よ、この方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る。ことに、彼を突き刺した者たちは。地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
8
 今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」(聖書協会共同訳)とあります。

 4.5aをリビングバイブルは次のように意訳しています。
4 ヨハネから、アジヤ州にある七つの教会の、愛する皆さんへ。
今も昔も存在し、やがて来られる神から、またその王座の前におられる七つの霊から、5 さらに、私たちにすべての真理を忠実に示してくださるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたに注がれますように。”と記しています。

 2017はこの個所を、
4 ヨハネから、アジアにある七つの教会へ。今おられ、昔おられ、やがて来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、5 また、確かな〔あるいは「信頼できる」(欄外注)〕証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。”と記しています。

 聖書協会共同訳はこの個所を、
4 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方〔異本「来られる神」(欄外注)〕から、玉座の前におられる七つの霊から、5 また、真実な証人にして死者の中から最初に生まれた方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにあるように。”と記しています。

 4節の「アジア」とは、現トルコ共和国のアジア側の地で、日本や中国等を含めた現代のアジアと呼ばれているアジアとは異なります。
「アジア州」とは、古代ローマ帝国の一つの州です。
7
つの教会は一つの都市にあったのではなく、それぞれの7つの都市にありました(聖書地図等をご覧ください)。

 4節には「今も昔も存在し、やがて来られる神」(リビングバイブル)とあります。
「今も昔も存在される神」とは、父なる神のことを言っているのだと思います。この表現から、神は永遠であるということを読み取ることができます。

 また神の第二位格である御子は「今も昔も存在し、やがて来られる神」です。
御子は永遠の神であられ、再臨なさるお方です。

 「王座の前におられる七つの霊」とは聖霊(霊なる神)のことです。「七」は完全数です。
聖霊が7つおられるというのではなく、聖霊は神の第三位格の神であり、この「7」という数字は、神の遍在や活動における完全数と捉え、神はあらゆるところにおられ、全てのものを見通し、どこでも活動できる、ということを暗示しているように思います。

 5aの中には“また、真実な証人にして死者の中から最初に生まれた方、地上の王たちの支配者、イエス・キリスト・・”(聖書協会共同訳)とあります。

 神でありながら人となられたキリストは、忠実、真実な神の証人でした(福音書参照)。
またキリストは、死者の中から最初によみがえられた方でした。
そしてキリストは、地上の王たちの支配者、すなわち王の王、主の主であるのです。キリストの千年王国の時代になると誰でもそれを知ることができるようになります。

 使徒ヨハネは、三一の主なる神から、「恵みと平安があなたがたにあるように」と、祈りつつ、あいさつの文言を記しました。
このような挨拶の文言は聖書の中では珍しいものですが、私は素晴らしいものだと思います。

 多くのあいさつの文言は「父なる神と御子から」となっていますから。
 ローマ17には“私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。”(2017)とあり、
 1コリント13には“私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。”(2017)とあり、
 2コリント12には“私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。”(2017)とあり、
 ガラテヤ13には“私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。”(2017)とあり、
 エペソ12には“私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。”(2017)と記され、
 ピリピ12には“私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。”(2017)と記され、
 コロサイ12には“コロサイにいる聖徒たち、キリストにある忠実な兄弟たちへ。私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたにありますように。”と記され、
 1テサロニケ11には“パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたにありますように。”(2017)と記され、
 2テサロニケ12には“私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。”(2017)と記され、
 1テモテ12には“父なる神と私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。”(2017)と記され、
 2テモテ12には“父なる神と、私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。”(2017)と記され、
 テトス14には“父なる神と、私たちの救い主キリスト・イエスから、恵みと平安がありますように。”(2017)と記され、
 ピレモン13には“私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。”(2017)と記され、
 1ペテロ12には“父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。”(2017)と記され、
 2ペテロ12には“神と、私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。”(2017)と記され、
 2ヨハネ3節には“父なる神と、その御父の子イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安が、真理と愛のうちに、私たちとともにありますように。”(2017)と記され、
 ユダ2節には“あわれみと平安と愛が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。”(2017)と記されています。

 再掲しますが、
黙示録14.5aには“今おられ、昔おられ、やがて来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
三一の主なる神様は、恵みと平安を与えてくださいますが、さらに、三一の主なる神様との豊かな交わりは、より一層の恵みと平安を体験することができるように思います。
そのことをあなたはペテロを通して「神と、私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」と教えてくれています。
常にあなたとの間に溝がなく、豊かな交わりを頂きつつ歩み続けることができますように。
御父が御顔をそむけたくなるような言動をしてしまったときには、ただちにその罪を告白してきよめられ、三一の主との親しい交わりを回復させていただけますように。
恵みとまことに富んでおられます私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月 8日 (金)

箴言27:2 自己称賛ではなく他者から称賛されなさい/神様からほめられた人

 箴言272を、
2017
は“自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分の唇でではなく、よその人によって。”と訳し、
新共同訳は“自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではなく、異邦人にほめてもらえ。”と訳し、
リビングバイブルは“自分で自分をほめるより、人からほめられるようにしなさい。”と意訳しています。

 「よその人」(2017)、「異邦人」(新共同訳)、「人(他人)」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「ノクリー」という語で、それらのどの意もあります。

 新共同訳のように訳すと、イスラエル国は、他の国の人から称賛されなさい、と捉えることもできるのではないかと思います。

 個々人についていえば、2017訳やリビングバイブル訳のようになるのでしょう。

 ここに書かれている箴言は、読めば理解できる文章なので、ここでは、主なる神様からほめられた人たちの話を少し記そうと思います。

1.主なる神様に義とされる前の人の祈り
ルカ18章に次のようなイエス様のたとえ話が載っています。
10 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。
11
 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でなく、また、 この徴税人のような者でないことを感謝します。
12
 私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』
 13 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人の私を憐れんでください。』
14
 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。誰でも、高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

 すべての人は罪人ですから、自分の行いで神様から義と認めてもらうことはできません。自分の行いで自分を義と認めてもらうためには、一つの罪さえも犯してはならない(神様のみ旨に反することを一つも行ってはならない)のです。
ヤコブ210には“律法全体を注意深く守っていても、一点でもつまづけば、その人はすべてを破ったものとなるのです。”(リビングバイブル)と記されています。

 主の御前に「神様、罪人の私を憐れんでください。」と出た人は受け入れられました。

2.主の御言葉に絶対的な信頼を置く人は主に称賛されます。
 マタイ8章に次のような事例が記されています。
5 さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近寄り、懇願して、
6
 「主よ、私の子が麻痺を起こし、家で倒れてひどく苦しんでいます」と言った。
7
 そこでイエスは、「私が行って癒やしてあげよう」と言われた。
8
 すると、百人隊長は答えた。
「主よ、私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません。ただ、お言葉をください。そうすれば、私の子は癒やされます9 私も権威の下にある人間ですが、私の下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、僕に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
10
 イエスはこれを聞いて驚き、付いて来た人々に言われた。「よく言っておく〔原語を直訳すると「アーメン。あなたがたに言う」(筆者挿入)〕。イスラエルの中でさえ、これほどの信仰は見たことがない
11
 言っておくが、東から西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に宴会の席に着く。
12
 しかし、御国の子らは、外の暗闇に放り出され、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
13
 そして、百人隊長に言われた。「行きなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどその時、その子は癒やされた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主の御言葉を疑うことなく信じる人は、主を信じている人です。
主の御言葉を重んじている人は、主を重んじている人です。
その人は主から称賛を受けます。
 1サムエル230には“主は言われる。・・・。わたしを重んずる者をわたしは重んじ、わたしを侮る者をわたしは軽んずる。”(新共同訳)とあり、
 詩篇9114-16には、
14 「彼はわたしを慕う者だから、彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。
15
彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え、苦難の襲うとき、彼と共にいて助け、彼に名誉を与えよう。
16
生涯、彼を満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」”(新共同訳)と記されています。

3.主の御命令に従う人を主は称賛してくださいます。
 ルカ19章に次のような主イエス様の譬えが記されています。
11 人々がこれらのことに聞き入っていると、イエスは続けて一つのたとえを話された。ご自身がエルサレムに近づいて来られたのに〔エルサレムに近づかれたので(口語訳)〕、人々は神の国がすぐにも現れるものと思っていたからである。
12
 それで、イエスは言われた。
「ある身分の高い人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へと旅立つことになった。
13
 そこで、十人の僕を呼んで十ムナ〔「ミナ」(口語訳、新改訳)〕の金を渡し、『私が帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。/
15
 さて、彼が王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。
16
 最初の者が進み出て、『ご主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。
17
 主人は言った。『よくやった。良い僕だお前はごく小さなことに忠実だったから、十の町を支配させよう。』”(聖書協会共同訳)とあります。

その他にも、主が称賛してくださる事柄はあります。
主を愛し、主に信頼して歩む者を主は称賛してくださるのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主を愛し、主に信頼し、主を愛するゆえに主の御言葉を守り、主を愛するゆえに主にお仕えしていく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月 7日 (木)

詩篇105:1-8a ご自分の契約をとこしえに覚えておられる主

 詩篇1051-8aには次のように記されています。
1 主に感謝し御名を呼び求めよ。そのみわざを諸国の民の間に知らせよ。
2
主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざを語れ。
3
主の聖なる御名を誇りとせよ。主を慕い求める者たちの心よ、喜べ。
4
主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。
5
主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。その奇跡と御口のさばきを。
6
主のしもべアブラハムの裔よ。主に選ばれた者、ヤコブの子らよ。
7
この方こそ、私たちの神、主。そのさばきは全地にわたる。
8a
主はご自分の契約をとこしえに覚えておられる。”(2017)とあります。

 この個所は1歴代誌168-14に記されている内容とほぼ同じです。
「ほぼ同じ」と書いたのは、一か所異なるからです。
それは詩篇1056の「アブラハム」と記されている個所が、1歴代誌1613では「イスラエル」となっているところです。

 この詩は、神の箱をしかるべきところに運び入れた記念すべき時に、ダビデの命令によって神ヤハウェ(主)に献げられたものです。
1
歴代誌1617には次のように記されています。
1 人々は神の箱を運び込んで、ダビデがそのために張った天幕の真ん中にそれを置き、神の前に全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。/
7
その日、その時、初めてダビデはアサフとその兄弟たちを任命して、このように主に感謝をささげさせた。”(2017)とあります。
1
歴代誌16章では、この7節の後から、詩篇1051以降とほぼ同じ内容の詩が始まるのです。

 神の箱(契約の箱、主の契約の箱)について、その製作に関する啓示から製作、神の箱の安置の変遷までを学ぼうとすると出エジプト記から歴代誌までを読む必要があります。そのダイジェストと言っては主に叱られるかもしれませんが、主の契約の箱に関する説明のダイジェスト版を聖書辞典から抜粋して下記します。

 “契約の箱 「主の箱」(ヨシ3:13)、「神の箱」(サム3:3)、「主の契約の箱」(申10:8)、「神の契約の箱」(士20:27)、「あかしの箱」(出30:6)とも呼ばれる。
 十のことば(十戒)を刻んだ2枚の石の板が納められている直方体の箱である(参照申10:1‐5)。
 アカシヤ材で作られ、長さ2キュビト半(約111メートル)、幅と高さ1キュビト半(約67センチ)であった。
箱は内側も外側も純金で覆われ、箱のまわりには金の飾り縁があり、四隅の基部には運搬用の棒を差し込むための黄金製の環が取りつけられていた。
箱のふたは純金で作られた板で「贖いのふた」と呼ばれた。
その両端に、翼を伸べて「贖いのふた」を覆い、互いに向き合って顔が「贖いのふた」に向かうように2つの金のケルビムが作られた(出25:10‐22)。
 「契約の箱」と呼ばれたのは、その箱に納められた2枚の石の板に刻まれた十のことば(十戒)が、主とイスラエルとの契約の基礎をなす神のことばであったことによる。ヘブ9:4によると、契約の箱には契約の2つの板のほか、マナの入った金のつぼと芽を出したアロンの杖も納められていた(参照出16:33‐34,17:10)。
 契約の箱の意義は、それが納められた幕屋の至聖所で(出26:34)ケルビムと結合されている点に見出される。ケルビムは神の臨在の象徴であるから、契約の箱の置かれた至聖所は、イスラエルの神である主が御自身のしもべに御旨を啓示される会見の場であった(モーセに対して25:22,30:36,アロンに対してレビ16:2,ヨシュアに対してヨシ7:6)。こうして契約の箱は民を導く神の臨在の象徴として用いられた。 
 それはシナイで神がモーセに命じられた通りに作られてから(出25:8以下)、荒野の旅において(民10:33)、ヨルダン渡河において(ヨシ3章)、民の先頭に立って進んだ。ヨシュアは契約の箱をギルガルに運び、さらにシロに移した(ヨシ18:1)。一時ベテルに運ばれたこともあったが(士20:27)、サムエルの時代までシロに安置されていた(サム1:3,3:3)。しかしペリシテ人との戦いで契約の箱がエベン・エゼルの戦場に持ち出された時、イスラエルは打ち負かされて契約の箱をペリシテ人に奪われてしまった(サム4章)。ところがペリシテ人はこの箱のために主によって7か月も災害に悩まされ、その箱を返還せざるを得なくなった(Ⅰサム5‐6章)。契約の箱は神の現臨を象徴するものであったから、不用意に中を見たり、手でふれたりするなら死をもって罰せられた(サム6:19,Ⅱサム6:6‐7)。契約の箱は再びイスラエルの手に戻ってキルヤテ・エアリムに運ばれ、そこに安置された(サム7:1‐2)。ダビデは契約の箱をキルヤテ・エアリムからエルサレムの天幕の中に移して安置し(サム6章)、アブシャロムの反乱の時もそれを持ち出すのを許さなかった(サム15:24‐29)。その箱が、新しく造営されたエルサレム神殿に、荘厳な儀式と共に安置されたのは、ソロモンの治世においてである(Ⅰ列8章)。その後、南王国ユダの王ヨシヤの宗教改革の時に契約の箱が聖所に再び安置されたとある以外(35:3)、この箱についての言及は見られない。”と述べられています。

 この箇所の勧めや教えは、私達キリスト者にとっても全く同じです。
A)感謝:「主に感謝し」(1
B)祈り:「御名を呼び求め」(1)、「主とその御力を尋ね求め、絶えず御顔を慕い求め」(4
C)思い巡らしと主の御業の再確認:「そのすべてのくすしい御業に思いを潜(ひそ)めよ」(2・新改訳初版~第三版)、「主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきを」(5
D)主を賛美すること:「主に歌え、主にほめ歌を歌え」(2
E)宣教:「主のみわざを諸国の民の間に知らせよ。」(1)、「そのすべての奇(くす)しいみわざを語れ」(2
F)主を崇めること(主を聖とすること):「主の聖なる御名を誇りとせよ」(3
G)主に在って兄弟姉妹の心を喜ばせること:「主を慕い求める者の心を喜ばせよ」(3・新改訳初版~第三版)
H)主との絶えざる交わり:「絶えず御顔を尋ね求めよ。」(4
(I)キリスト者のアイデンティティー:「主のしもべ、アブラハムのすえよ。主に選ばれた者、ヤコブの子らよ。」(6
キリスト者は、キリストの血の故に罪赦され、聖とされ、義とされ、永遠の命を頂いた者であり、更に神の子どもとされ、キリストの花嫁とされ、神の家族とされ、永遠の住まいが備えられている者であると共に、働きにおいては、キリストのしもべであるということ。
J)神は主権者、審判者:「この方こそ、私たちの神、主。そのさばきは全地にわたる。」(7) 
K)主の契約の上に立脚する:「主はご自分の契約を、とこしえに覚えておられる。」(8
聖書の約束とは異なる自分の感情に支配されるのではなく、主の約束の上にしっかりと立つことによって揺らがない者になります。よく自分を見つめて「自分はダメだ」と絶望する人がいますが、元来、人のうちには救いに至る良きものは何もないのです。
御子イエス・キリストを信じる者は永遠の命を持っているのです(ヨハネ647)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
ヨハネ114.16には「ことば〔御子イエス・キリスト(筆者挿入)〕は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。」(2017)と記されていますが、新生したキリスト者は、大なり小なりこのようなことを経験させていただいていますから御名を崇め感謝します。
父なる神様と御子なるイエス様を益々賛美させていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が、世々限りなくあるように。」(黙示録5132017
アーメン

2023年12月 6日 (水)

エゼキエル36:8-12 イスラエルの地の回復

 エゼキエル368-12には次のように記されています。
8 しかし、あなたがたイスラエルの山々よ、あなたがたは枝を出し、わが民イスラエルのために実を結ぶ。彼らの帰還が近いからである。
9
 私はあなたがたへと向かい、あなたがたを顧みる。あなたがたは耕され、種を蒔かれる。
10
 私はあなたがたの上に、すべてイスラエルの家の人口を増やす。町には人が住み、廃虚は建て直される。
11
 私はあなたがたの上に人と家畜を増やす。彼らは増えて、多くの子を生む。私はあなたがたを昔のように人の住む所とし、初めの時よりも栄えさせる。こうして、あなたがたは私が主であることを知るようになる。
12
 私はあなたがたの上に人々を、すなわちわが民イスラエルを歩ませる。彼らはあなたを所有し、あなたは彼らの所有となる。あなたは二度と彼らに子を失わせることはない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この聖書個所は19世紀以降についての預言であると思います。
イスラエルは1948年に再建国されましたが、それ以降は、イスラエルの地からイスラエル人が絶えることはないからです。
エゼキエル3612には“私〔ヤハウェ(主){筆者挿入}〕はあなたがた〔イスラエルの地(筆者挿入)〕の上に人々を、すなわちわが民〔ヤハウェ(主)の民{筆者挿入}〕イスラエルを歩ませる。彼らはあなた〔イスラエルの地(筆者挿入)〕を所有し、あなたは彼らの所有となる。あなたは二度と彼らに子を失わせることはない。”と記されていますから。

 神ヤハウェ(主)は、イスラエルの地をパレスチナとは呼びません。
イスラエルの地をパレスチナと呼ぶようになった経緯を聖書辞典は次のように述べています。
“「パレスチナ」という名称は、一般には西アジヤの南西部の、地中海に面した、ユダヤ人が居住していた地域を指している。この名称はペリシテ人の地という意味の語に由来しており、それが「パレスチナ」となったのである。したがって、この名称は本来はペリシテ人が住んでいた、ユダヤの海岸平野の南部の地域を指すことばであった(参照イザ14:29,31)。しかし、前5世紀のギリシヤの歴史家ヘロドトスは、『歴史』2:104において、パレスチナのシリヤ人は割礼の風習をエジプト人から学んだと述べている。この場合の「パレスチナ」は、本来のペリシテ人の住んでいた地域よりももっと広範囲な、内陸部をも含めた地域を指していると考えられる。このようにして、この語はしだいに本来の意味よりも広い地域を指す語となっていった。

 

さらに時代が下って紀元132年にバル・コクバがローマに対する反乱を起したが、ローマ軍によって鎮圧され、皇帝ハドリアヌスはエルサレムをローマの都市として再建し、エリア・カピトリナと命名すると同時に、ユダヤ人をこの町から締め出した。それと同時にユダヤをシリヤ・パレスチナと改称し、ユダヤ人を追放して、異邦人をその地に居住するようにさせた。この時代になると、「パレスチナ」はユダヤ一帯を指す語となった。”(抜粋)と記しています。

 現代において、パレスチナ人と呼ばれている人たちは民族的にはアラブ人です(ウィキペディア「パレスチナ人」の項)。
一方、聖書に登場するペリシテ人は、アモス97に“わたし〔ヤハウェ(主){筆者挿入}〕は、・・・、ペリシテ人をカフトルから、・・・連れ上ったではないか。”(2017)と記されています。
カフトルとは、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典によると“古代ミノア文明の中心地クレタ島の旧約聖書における呼称。ヒッタイト語のカプタラ,エジプト語のケフチウ (クレタ人) と同一視される。フィリスチア人 (ペリシテ人) はこのカフトルより渡来し,カナンの海岸地帯にパレスチナの呼称を与えた。”と記されています。

 ゼパニヤ25には“わざわいだ、海辺に住む者たち、クレタ人の国。主のことばはおまえたちに向けられている。「ペリシテ人の地、カナンよ。わたしはおまえを消し去って、住む者がいないようにする。」”(2017)と記されています。

 ペリシテ人は、アラブ人ではなくクレタ島の出身であると、ヤハウェ(主)は語っておられます。

 またイスラエルの地をパレスチナと呼ばれることを決定づけたのは、ローマ皇帝ハドリアヌスです。

 話を本題に戻します。
神ヤハウェ(主)は、イスラエルが再建国(1948年)される前に、まず荒れ果ててしまっているイスラエルの土地を整えると言われました。
8
節には“しかし、あなたがたイスラエルの山々よ、あなたがたは枝を出し、わが民イスラエルのために実を結ぶ。彼らの帰還が近いからである。”と記されています。

 8節は神ヤハウェ(主)の天地創造の順番を思い起こします。
創造主なる神様は、人を造る前に人の生存に適した環境をまず作られました(創世記1章)。

 神ヤハウェ(主)は、イスラエルの土地を良いものにした後に、イスラエルの民を世界各地から集め繫栄させていったのです。
9-12b
には次のように記されています。
9 私〔ヤハウェ(主){筆者挿入}〕はあなたがたへと向かい、あなたがた〔イスラエルの地(筆者挿入)〕を顧みる。あなたがたは耕され、種を蒔かれる。
10
 私はあなたがたの上に、すべてイスラエルの家の人口を増やす。町には人が住み、廃虚は建て直される。
11
 私はあなたがたの上に人と家畜を増やす。彼らは増えて、多くの子を生む。私はあなたがたを昔のように人の住む所とし、初めの時よりも栄えさせる。こうして、あなたがたは私が主であることを知るようになる。
12
 私はあなたがたの上に人々を、すなわちわが民イスラエルを歩ませる。彼らはあなたを所有し、あなたは彼らの所有となる。”とあります。

 イスラエルの人口の推移をネットで検索すると、1950年は約128万人、2022年は約955万人となっていました。

 どのようにしてイスラエルの民はこの地から断ち滅ぼされないで守られるのでしょう。
主イエス様は、大患難時代におけるイスラエルの地への攻撃について次のように語られました。
「そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たち〔主を信じるイスラエル人たち(筆者挿入)〕のために、その日数は少なくされます。」(マタイ2421.222017)と記されています。(新生しているキリスト者は、この時、天の神の王国にいます)

 またゼカリヤ129には“その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。”(2017)と記されています。

 どのようにして主イエス様は敵を駆逐するのでしょう。
おそらく主が語られる言葉によるのでしょう(その時が来ないとわかりませんが)。神である主は、想像を絶する莫大なエネルギーをこめて言葉を発することができますから{主が一声、「山よ、移れ」と言えば山は移り、「嵐よ、静まれ」と言えば静まるのです。「あなたの命はそれまで」と言われたらいのちの息(霊)は抜け出るのです。その反対も可能ですが(ルカ854.55)}。主のことばには権威があり力があるのです(マタイ2818、へブル412)。

 黙示録19章には次のように記されています。
11 それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。
12
 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。
13
 この方は血染めの衣を身にまとい、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
14
 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い上質の亜麻布を身にまとい、この方に従っていた。
15
 この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。そして、この方はぶどう酒の搾り桶を踏む。そのぶどう酒には、全能者である神の怒りが込められている。
16
 この方の衣と腿には、「王の王、主の主」という名が記されていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 2コリント62には“神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。”(2017)と記されています。
キリストの空中再臨に伴う携挙によって「恵みの時」は終了します。

 黙示録6章~19章、2011-15は、裁きのとき、主の御怒りの日です。
黙示録612-17には次のように記されています。
12 また、小羊が第六の封印を解いたとき、私が見ていると、大地震が起きた。太陽は毛織の粗布のように暗くなり、月は全体が血のようになって、13 天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようであった。
14
 天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
15
 地上の王、高官、将校、富める者、力ある者、また、すべての奴隷も自由人も洞穴や山の岩間に身を隠した。
16
 そして、山と岩に向かって言った。「私たちの上に覆いかぶさって、玉座におられる方の顔と小羊の怒りから、私たちをかくまってくれ。
17
 神と小羊の大いなる怒りの日が来たのだ。誰がそれに耐えられようか。」”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
「今は恵みの時」と言われている期間の間に主イエス様を信じて救われていく人が起こされていきますように。
特にキリスト者が祈っている人々が主を求め、主の御救いにあずかっていきますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

<追伸>
今日から三日間は検査入院のためコメントを頂いても返信はできませんのでよろしくお願いします。
ブログは入院中の分も用意してありますので更新されます。

2023年12月 5日 (火)

黙示録1:1-8 序文とあいさつ2/2.3節のみ(この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されていることを守る者たちの幸い)

 黙示録11-8には次のように記されています。
1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。
2
 ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。
3
 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。
4
 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、玉座の前におられる七つの霊から、5 また、真実な証人にして死者の中から最初に生まれた方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにあるように。
私たちを愛し、その血によって罪から解放してくださった方に、6 私たちを御国の民とし、またご自分の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
7
 見よ、この方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る。ことに、彼を突き刺した者たちは。地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
8
 今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 2節を2017は、
“ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。”と記しています。

 「自分が見たすべてのこと」と記されている中の「見る」という語のギリシア語原語は「エイド―」で、原義は「見る」ですが、「知る」の意にも使用されます。
使徒ヨハネは、見る以外にも音や言葉も聞きました。また、主イエス様が触れても下さったのです(黙示録117)。すなわちヨハネは、自分が知ったすべてのことを証ししたのです。
「すべてのこと」とありますが、ヨハネが知った事柄の中で、「書き記すな」(黙示録1042017)と言われた事柄もありました。その事柄については、ヨハネは知ることができましたが、わたしたちには啓示されませんでした。

 黙示録101-7には次のように記されています。
1 また私は、もう一人の力強い天使が雲を身にまとい、天から降って来るのを見た。頭には虹を戴き、顔は太陽のようで、足は火の柱のようであり、2 手には開かれた小さな巻物を持っていた。そして、右足で海を、左足で地を踏まえて、3 獅子がほえるような大声で叫んだ。
天使が叫ぶと、七つの雷がそれぞれの声で語った
4
 七つの雷が語ったとき、私はそれを書き留めようとした。すると、天から声がして、「七つの雷が語ったことは秘めておけ。それを書き留めてはならない」と言うのを聞いた
5
 すると、海と地の上に立っているのを、私が見たあの天使が、右手を天に上げ、6 世々限りなく生きている方、天とそこにあるもの、地とそこにあるもの、海とそこにあるものを造られた方にかけて誓った。
「もはや時がない。7 第七の天使がラッパを吹き鳴らすとき、神の秘義〔奥義(口語訳、新改訳)〕が成就する。それは、神がご自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 3節を2017は、「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。」と記しています。

 黙示録は教会宛に書かれたものです。
それは黙示録14a.11に次のように記されていますから。
4 ヨハネから、アジアにある七つの教会へ。/
11
・・。「あなたが見たことを巻物に記して、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアに送りなさい。」”とあります。

 ここに記されている7つの教会は、小アジア地方、すなわち現トルコのアジア側のアナトリア半島と呼ばれる地域にありました。
この地域にある教会宛に記されたものが、現代に生きている私たちキリスト者にどのような関係があるのかということについては後日記していきます。

 3節には「この預言のことばを朗読する者・・は、幸いである。」と記されています。
ギリシア語聖書には、“マカリオス ホ アナギノースコー”と記されています。
語順に従って日本語に訳すと「幸いなるかな。それを読む者。」と訳せると思います。
現代の日本人は聖書を買えば(もらう場合もあるでしょうが)、黙示録を読むことができます。
ただし主イエス様を信じていない人(主イエス様を心にお迎えしていない人)にとっては、荒唐無稽な書であると感じ、主イエス様が意図されていることとはかけ離れた解釈をすることになる可能性があります。適切な説明を聞いても「そうかなー?」となるのです。
黙示録を読んで理解するために必要なことは、主イエス様を信じて新生させていただき、真理の御霊を内に宿し、真理の御霊に教えて頂いている人ということになるでしょう。
クリスチャンだと自称しながらも真理の御霊を宿していない人は、聖句を字義どおりに解釈すればよい所も、そうすることができないのです。

 主イエス様を信じている人にとって、黙示録を読むことはとても益になります。

 3節には「そこ〔黙示録(筆者挿入)〕に書かれていることを守る者たちは、幸いである。」とも記されています。
特に、黙示録2-3章は諸教会宛に記されています。
そこに記されている内容を自分に適用して読み、叱責に心を留め、告白すべき罪があれば主に告白して主にきよめていただくことは幸いなことです(1ヨハネ19)し、また、励ましを受ける聖句、力を与えられる聖句等もありがたいものです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたが与えてくださった聖書をそのまま信じることを得させてくださり感謝します。
多くの人は、私のような者を変人扱いしたり、知識の乏しい者だ、ファンダメンタリストだ、と言いますが、主は「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」(ルカ12322017)と語ってくださっておられますから感謝します。
あなたの御言葉をあなたの御言葉として100%信じて歩み続ける者として引き続き祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月 4日 (月)

箴言27:1 明日のことを誇らず、明日のことを思い煩わず

 箴言271には“明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないのだから。”(2017)と記されています。

 「明日も今日と同じようなものだ」と無意識のうちに思いながら日々の生活を送っている人も数多くいることでしょう。聖書の中にも、そのような人が登場します。

聖書に記されているいくつかの個所を下記します。
 イザヤ5612には「さあ、酒を手に入れよう。強い酒を浴びるように飲もう。明日も今日と同じこと。いや、もっとすばらしいにちがいない。」(新共同訳)と記されています。
 この個所をリビングバイブルは“彼らはこう言った。「さあ、酒を手に入れ、宴会を開こう。みんなで酔っ払うのだ。これこそ生きがいというものだ。さあ、浴びるほど飲もう。明日は今日よりもっとすばらしいことがあるかもしれない。」”と意訳しています。

 詩篇10篇には次のような箇所があります。
2 悪しき者は高ぶり、苦しむ人を追い回している。彼らが、自らの謀(はかりごと)に陥りますように。
3
 悪しき者は自らの野望を誇り、貪欲な者は主をたたえながらも〔主を呪い(口語訳、新改訳)〕侮っている。
4
 悪しき者は鼻高々で神を尋ね求めず、「神などいない」とあらゆる謀(はかりごと)をたくらむ。
5
 その道は常に栄え、あなたの裁きは彼からは高く離れてある。彼は敵対する者すべてを吹き倒す。
6
 彼は心の中で言う。「私は代々に揺らぐことなく、災いに遭うはずがない」と。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 主イエス様が、「愚かな金持ちの譬え」を次のように語ったことが、ルカ12章に次のように記されています。
13 群衆の一人が言った。「先生、私に遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」
14
 イエスはその人に言われた。「誰が私を、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
15
 そして、群衆に向かって言われた。「あらゆる貪欲に気をつけ、用心しなさい。有り余るほどの物を持っていても、人の命は財産にはよらないからである。」
16
 そこで、イエスはたとえを話された。
「ある金持ちの畑が豊作だった。17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らし、18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊し、もっと大きいのを建て、そこに穀物や蓄えを全部しまい込んで、19 自分の魂にこう言ってやるのだ。「魂よ、この先何年もの蓄えができたぞ。さあ安心して、食べて飲んで楽しめ。」』
20
 しかし、神はその人に言われた。『愚かな者よ、今夜、お前の魂は取り上げられる。お前が用意したものは、一体誰のものになるのか。』
21
 自分のために富を積んでも、神のために豊かにならない者はこのとおりだ。」”(聖書協会共同訳)と記されています。 

 人間は、日々の生活の中で、「明日も今日と同じようなもの」という生活を送っていきますが、一瞬先の自分の状態がどのようになるのか、自分の置かれる立場がどのようになるのか、世界の情勢がどのようになるのかを知ることができません。

 ヤコブは次のように述べています。
13 さて、「今日か明日、これこれの町へ行って一年滞在し、商売をして一儲けしよう」と言う人たち、14 あなたがたは明日のことも、自分の命がどうなるかも知らないのです。あなたがたは、つかの間現れ、やがては消えてゆく霧にすぎません。
15
 むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生きて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。”(ヤコブ4章・聖書協会共同訳)と記されています。

 新生したキリスト者は、いつこの世を去ることがあっても、それは父なる神の王国に帰ることですから本当に安心して生活できます。
そのことは明らかなことですが、地上にあっては、一瞬先のことも定かではないというのが現実です。

 しかし主は、私たち一人一人の将来についてすべてご存知です。
御父は、私たちの髪の毛の本数さえご存知あると主イエス様が語られました。
マタイ1030には「あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。」(2017)と記されています。

 私たち人間は、キリスト者であっても、明日何が起こるのかということについて分からないようにされています。
それは主に信頼して歩むためなの訓練の意もあるのでしょう。

 「明日を守られるイエス様」という賛美歌があります。日本語の歌詞にはいくつかありますが、そのうちの一つを下記します。
“1.明日はどんな日か 私は知らない 晴か 嵐か 曇になるか 私は明日を心配しない イェスが私を守られるから
(折り返し) * 明日は 私には分からないけど 明日を守られるイェスがおられる
2.日々の歩みは 日々に明るく 肩の重荷は次第に軽い 輝く太陽 涙乾かし 仰ぐ空には虹の架け橋 *
3.明日はどんな日か 私は知らない どんな道筋が 先にあるかも だけど私は心配しない イェスがおられる私のそばに *”
この讃美歌をご存知ない方はユーチューブで聞いてみてください。前述しましたように、ユーチューブの中には異なる歌詞のものもあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
“あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主によって人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は転んでも倒れ伏すことはない。主がその人の腕を支えておられるからだ。”(2017)と詩篇37篇に記されています。
主を愛し、主に信頼し続ける生涯を歩ませてください。
あなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月 3日 (日)

詩篇104:31-35 頌栄

 詩篇10431-35には次のように記されています。
31 主の栄光がとこしえにあるように。主がご自分の業を喜ばれるように。
32
 主が地を見ると、地は震え、山々に触れれば、それらは煙を吐く。
33
 私は命のあるかぎり、主に向かって歌い、長らえるかぎり、わが神をほめ歌う。
34
 私の思いが御旨に適うように。私は主によって喜ぶ。
35
 罪人は地から消えうせ、悪しき者はもはやいない。私の魂よ、主をたたえよ。ハレルヤ。”(聖書協会共同訳)とあります。

31節を2017は“主の栄光がとこしえにありますように。主がご自分のみわざを喜ばれますように。”と訳し、多くの日本語訳聖書もその様な意で訳していますが、
リビングバイブルは“主をいつまでもほめたたえなさい。主は、ご自分の手のわざを喜んでおられるのです。”と意訳しています。

 主の御業を覚えるとき、私たちキリスト者は、33節に「私はいのちの限り主に歌い、生きるかぎり私の神をほめ歌います。」(2017)とあるように主を賛美することと思います。
33
節を口語訳は「わたしは生きるかぎり、主にむかって歌い、ながらえる間はわが神をほめ歌おう。」と訳し、
リビングバイブルは「私は息を引き取るその時まで、主をたたえ続けます。」と訳しています。

 旧約時代の詩聖は、新約時代の聖徒のように、死後の永遠の世界に関してあまり啓示されていませんでしたから、このような祈りになるのでしょうが、キリスト者が天に帰った後には、キリスト者は地上にいるときよりもますます主を賛美するのでしょう。

 黙示録58-14には携挙されたキリスト者たちの賛美が含まれている個所が次のように記されています。
8 〔子羊が(筆者挿入)〕巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老はおのおの、竪琴と、香で満たされた金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。
9
 そして、彼らは新しい歌を歌った。
「あなたは、巻物を受け取り、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、その血により、神のためにあらゆる部族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から人々を贖い、10 彼らを私たちの神に仕える御国の民、また祭司となさったからです。彼らは地上を支配するでしょう。」
11
 また、私は見た。そして、玉座と生き物と長老たち〔おそらくキリスト者の代表(筆者挿入)〕との周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は千の幾千倍、万の幾万倍であった。12 天使は大声でこう言った。
「屠られた小羊こそ、力、富、知恵、権威、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。」
13
 また私は、天と地、地の下と海にいるすべての造られたもの、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。
「玉座に座っておられる方と小羊に、賛美、誉れ、栄光、そして力が、世々限りなくありますように。」
14
 四つの生き物は「アーメン」と唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。”(聖書協会共同訳)とあります。

 また艱難時代に殉教した聖徒たちの天での賛美が含まれている個所が、黙示録79-17に次のように記されています。
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。10 彼らは声高らかに言った。
「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
 また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」
13
 すると、長老の一人が私に問いかけた。「この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。」
14
 そこで私が、「私の主よ、それはあなたがご存じです」と答えると、長老は言った。
「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で 洗って白くしたのである。15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。
17
 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭(ぬぐ)ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 「聖なる我らの主」(聖歌479 聖歌総合版496 新聖歌479)という聖歌があります。
この聖歌の3節は、
“世界の王なる主 祝(いわ)わまし 歌わまし 御国に帰りなば いよいよ高らかに 白妙(しろたえ)の衣(きぬ)まとい 棕櫚(しゅろ)の葉を手に取り 聖なる我らの主 歌え喜びもて”という歌詞で、天に帰ってから、益々主を賛美する様子が歌われています。

 32節には、「主が地に目を注がれると地は震え、山々に触れられるとそれは煙を上げます。」(2017)とあります。
これは出エジプト19章を覚えてのことだろうと思います。
 現代の科学では、地震や火山の噴火は自然現象として片付けますが。地震も火山の噴火も神様の御支配のもとにあることが分かります。神様は万物を創造された時に、それらに関する一般的な法則も定めたことと思います。分かり易いところでは、太陽や月の運行状況とか、地球の自転など。宇宙に散らばる多くの恒星や惑星や衛星の運行も恐らく同様なのでしょう。地震を引き起こす原因の一つのプレートのずれも、大きなずれを一瞬にして修正しようとすれば大きな地震が起きるでしょうし、ずれを少しずつ修正するように神様がご配慮くだされば、小さな揺れで済むのだろうと思います。

 これから起こる地震や火山の噴火などの預言の一つにエゼキエル38.39章があります。その中に次のような箇所があります。
“38
18 ゴグがイスラエルの地を攻めるその日、──神である主の御告げ──わたしは怒りを燃え上がらせる。
19
わたしは、ねたみと激しい怒りの火を吹きつけて言う。その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる
20
海の魚も、空の鳥も、野の獣も、地面をはうすべてのものも、地上のすべての人間も、わたしの前で震え上がり、山々はくつがえり、がけは落ち、すべての城壁は地に倒れる。
21
わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる。──神である主の御告げ──彼らは剣で同士打ちをするようになる。
22
わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる
23
わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」(新改訳初版~第三版)と。

 34節には、「どうか、わたしの思いが主に喜ばれるように」(口語訳)、
「私の心の思いがみこころにかないますように。」(2017)とありますが、この様な願いを持っている人、この様に祈る人を御聖霊はその様に変えてくださいますから感謝です。

 35節には、「どうか、罪びとが地から断ち滅ぼされ、悪しき者〔主に逆らう者(新共同訳)〕が、もはや、いなくなるように。」(口語訳)とあります。
このことは、キリストの地上再臨の時に行われ、更に、キリストの千年王国の最後にも行われます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
地上を歩むときも、天に帰ってからも、いつも主をほめたたえながら歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年12月 2日 (土)

終末預言2 聖書に記されている「主の日」という用語について

 聖書で使われてる「主の日」についての概念を学ぼうと思います。
キリスト教辞典には次のように記されています(担当執筆者は大山武俊氏です)。
“しゅのひ、キリストのひ 主の日、キリストの日 〈英〉Day of the Lord Day of Christ。「主の日」(〈ヘ〉yom YHWH)、「キリストの日」(〈ギ〉hemera tou kuriou)。
 1
.旧約聖書における「主の日」。
 旧約聖書における「主の日」とは、主が圧倒的な力を持って直接介入される時を指す用語である
 戦場でのイメージを思い浮べてみるとわかりやすい。
ある町が敵軍に包囲されて滅亡寸前の時、町が王に援軍を求め、王が圧倒的な力を持って助けに来た場合、王は敵を撃滅し、追い払い、町を助ける。その日は味方にとっては歓喜の日、祝福と平和の日、敵にとっては破滅の日となる。〔一例として、イザヤ36.37章。特に3736(筆者挿入)〕
実は、イスラエルの本当の王は神御自身なのである。
イスラエルが苦戦している時に神は助けて下さる。
出エジプトの時の神のみわざを見よ(出エジプト8:22,14:13,14)。
 このように歴史上すでにしばしば「主の日」は到来しており(アモス5,6章、オバデヤ15,16節)、アモスは、イスラエルやユダさえも「主の日」のさばきから逃れることはできないと預言した
 しかし「主の日」は本来、主が来られる終末の時を意味している
それゆえに旧約聖書では「終わりの日」(イザヤ2:2,エレミヤ23:20,48:47,ホセア3:5,ミカ4:1)とも言われ、
また「その日」(イザヤ11:10,エレミヤ33:15,ヨエル1:15)とも呼ばれている

 主の日には主が直接介入されるので、全宇宙は従来の枠組み(パラダイム)が大変動を起して、新しい枠組みを形成する(今日でも世界大戦や革命が終了すると同様なことが起るのと似ている)。
 主の日の到来によって以下の事態が生じる。
1)聖霊の授与(ヨエル2:28,29)〔文語訳、口語訳、新改訳、リビングバイブルは(ヨエル2:28,29)、新共同訳、フランシスコ会訳、聖書協会共同訳は(ヨエル31.2)となります(筆者挿入)〕。
2)敵対する諸国民に対するさばき(ゼカリヤ14章)。
3)イスラエルの栄光の日(アモス9:11‐15)。
4)平和の確立(イザヤ2:2以下)。
5)新天新地の確立(イザヤ65:17)。
 2.新約聖書における「主の日」。
 新約聖書においては、キリストの誕生、みわざ、苦難、復活という一連の神の働きのうちに、ある意味で「主の日」の到来を見ることができる
「しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです」(ルカ11:20)。「『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」(同17:21)。
 しかし、キリストが神の栄光をもって再び来られる再臨の日こそ、真の意味で「その日」であり(マタイ24:36)、「キリストの日」である(ピリピ1:6,10)。この日がいつ来るかは誰にもわからない(マタイ24:36)が、種々の前兆(偽キリスト、戦争、地震、偽預言者、不法、背教など)が現れる(マタイ24:3以下、テサロニケ2:2以下)。
〔“しかし・・・Ⅱテサロニケ22以下”までの上記文章では、キリストの空中再臨と地上再臨の捉え方がはっきりしていません。キリストの空中再臨の時の年月日は全く分かりませんが、キリストの地上再臨の時は分かるのです{ダニエル927参照}。マタイ2436、ピリピ16.10はキリストの空中再臨の時です。(筆者挿入)〕
 前兆は混乱を特徴としており、旧秩序の崩壊を示す(ノアの洪水の前にも大きな混乱があったのを思い起させる)。その後、旧創造が完全に神の意思に従う新創造が完成するのである。
それは、(1)救いの完成の日(ピリピ1:6,10,11)。
2)最後の審判の日、神の怒りの日(マタイ10:15,ローマ2:5,16,Ⅱペテロ3:7)。
3)復活の日(ヨハネ6:39)。
4)悪魔の最終的敗北の日(黙示録20章である。終末論、再臨。
 〔参考文献〕『新聖書辞典』いのちのことば社、1985Evangelical Dictionary of TheologyBaker1984New Concise Bible Dictionary IVP1989。”と述べています。

 主の日とは、①主の現れの日であり、②主が何らかのことを行われる日であり、②と一部ダブりますが、③主の裁き(御怒り)の日であり、④主の救いの日でもあります。

 ①主の現れの日について
キリストの空中再臨は、主の現れの日、とも言えます。
1
ペテロ113には“ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。”(2017)と記され、
コロサイ34には“あなたがたのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現れます〔霊のからだが与えられること(筆者挿入)〕。”(2017)と記されています。

 ②主が何らかのことを行われる日(裁きを除く)
 黙示録110には“私〔ヨハネ(筆者挿入)〕は主の日に御霊に捕らえられ、私のうしろにラッパのような大きな声を聞いた。”(2017)とありますが、この主の日とは、主の御復活の日である日曜日かあるいは主の現われた日の意でしょう。「御霊に捕らえられ」という個所を直訳すると「霊の中に存在し、あるいは置かれた」となります。
 また、新天新地の創造もここに入るでしょう。

 ③主の裁きの日(御怒りの日)
これは、アダムの堕罪における処罰に始まり、ノアの時代の大洪水、ロトの時代のソドムとゴモラへの裁き、・・・・・・とたくさんあり、これから後に行われるものとしては、大患難時代の裁き、千年王国時代の最後の裁き、今の宇宙が消滅した後に行われる最後の審判(白い御座の裁き)等があります。

 ④主の日は救いの日でもあります。
御怒りの日は、主に在る人たちを救い出す日でもあります。

 「主の日」という用語は、色々な場合に使われることがわかります。
今回の、トミーの聖書理解のブログの「終末預言」では、「主の日」はおもに裁きの日として用いていきます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様は「見ずに信じる者は幸いです。」と語られました。
大患難時代の状況を見、その状況を聖書と照らし合わせてから主イエス・キリスト様を救い主として、そして主として信じるのではなく、大患難時代の状況を見る前に主イエス・キリスト様を信じさせていただけましたことを感謝します。
私たちが祈っている人たちの中には、大患難時代に主イエス様を信じ、殉教して天に帰ってくる人たちもいるかもしれません。
もしそのような人たちがいるとしたら、どうかその人たちを強め、その人たちが天を仰ぎ見て、殉教してでも主のもとに帰ってくることができますように。
すべてをお委ねして私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
 黙示録6章“9 小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神の言葉のゆえに、また、自分たちが立てた証しのゆえに殺された人々の魂を、祭壇の下に見た。
10
彼らは大声でこう叫んだ。「聖なるまことの主よ、あなたはいつまで裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
11
すると、彼らの一人一人に白い衣が与えられ、それから、「あなたがたと同じように殺されようとしているきょうだいであり、同じ僕である者の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と告げられた。”(聖書協会共同訳)
 黙示録7章“9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。
10
彼らは声高らかに言った。「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」
13
すると、長老の一人が私に問いかけた。
「この白い衣を身にまとった者たちは誰か〔誰だかわかりますか(リビングバイブル)〕。またどこから来たのか。」〔どこから来たか知っていますか(リビングバイブル)〕
14
そこで私が、「私の主よ、それはあなたがご存じです」と答えると、長老は言った。「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
15
それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。
16
彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。
17
玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)
以上は艱難時代の聖徒の預言です。
新生したキリスト者は恵みの時代の聖徒です。

2023年12月 1日 (金)

黙示録1:1-8 序文とあいさつ1/1節のみ

 ヨハネの黙示録11-8には次のように記されています。
1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。
2
 ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。
3
 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。
4
 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。
今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、玉座の前におられる七つの霊から、5 また、真実な証人にして死者の中から最初に生まれた方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにあるように。
私たちを愛し、その血によって罪から解放してくださった方に、6 私たちを御国の民とし、またご自分の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
7
 見よ、この方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る。ことに、彼を突き刺した者たちは。地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
8
 今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 1節には、“イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。”と記されています。

 「黙示」と訳されている語のギリシア語原語は「アポカルプシス」という語で、開示、暴露、発覚、啓示、・・・等の意がありますが、文脈上、神様が教えてくださったものですから、「イエス・キリストの啓示」ということになるかと思います。

 更に“この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。”と記されています。

 「すぐにも起こるはず」と書いてありますが、これが書かれてから1900年以上たっています。
「すぐに」と訳されている語のギリシア語原語は「エン ターコス」で、短い(時間)中で、の意になりますから、「すぐに」ということです。

 「すぐに起こる」というのは、父なる神様が「今がその時である」と言われたら、すなわち預言されている事柄の実行にGOサインを出したら、「すぐに起こる」ということだろうと思います。

 携挙の時は、天使も主イエス様も知らない、と主イエス様が語られました。すなわち、父なる神様が「今がその時である」とGOサインを出されるときを誰も知らないのです。このGOサインは御父の専権事項です。

 マタイ24章に主イエス様の御言葉が次のように記されています。
36 「その日、その時〔キリストの空中再臨に基づく携挙の時(筆者挿入)〕は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである
37
 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
38
 洪水になる前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
39
 そして、洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気が付かなかった。人の子が来る場合〔花婿キリストが花嫁教会(新生しているキリスト者の総体)を迎えに来る時{マタイ251-13参照}、すなわちキリストの空中再臨に伴う携挙の時(筆者挿入)〕も、このようである。/
42
 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が来られるのか、あなたがたには分からないからである/
44
 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 キリストの空中再臨の直前に、父なる神様が、「今がその時である」という意のことばを語られるのだろうと思います。すると神のラッパが吹かれます。

 1コリント1552には“終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。”(2017)と記され、御父が定められているときに、すでに天に帰っていたキリスト者と新生した地上にいるキリスト者は霊の体に変えられるのです。

 横道に逸れますが、天の神の王国で生活するには「霊のからだ」が必要です。
 1コリント15章には、
40 また、天上の体もあれば、地上の体もあります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。/
42
 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものに復活し、43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものに復活し、弱いもので蒔かれ、力あるものに復活し、44 自然の体で蒔かれ、霊の体に復活します。”(聖書協会共同訳)とあります。
(「霊のからだ」と訳されている語のギリシア語原語は「ソーマ プニューマティコン」で「霊のからだ」です。新改訳聖書は「御霊のからだ」と訳していますが、元訳、文語訳、口語訳、新共同訳、聖書協会共同訳、リビングバイブル新版、前田訳、塚本訳は「霊のからだ」と訳しています。)

 キリストがご自身の花嫁を迎えに来られる時、すなわちキリストの空中再臨の時の状況が、1テサロニケ416.17には次のように記されています。
16 すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちが まず復活し、17 続いて生き残っている私たちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に出会います。こうして、私たちはいつまでも主と共にいることになります。”(聖書協会共同訳)とあります。

 霊の体に変えられた後は、霊のからだを持った状態で、永遠に主と共にいるのです。
ハレルヤ!

 黙示録(啓示録)は、だれに宛てて記されているのでしょうか?
それは、未信者たちにではなく、キリストのしもべたちに宛てて書かれているのです。すなわちキリスト者に与えられているのです。携挙されるキリスト者は、大患難時代を通過しませんが、黙示録には6-19章の中に大患難時代の預言が記されています。それもまた大切な意味があるのでしょう。

 黙示録は、父なる神様が、私たちの主であるキリスト・イエス様に与え、主キリスト・イエス様が使徒ヨハネに天使を遣わして明らかにしたものです。とはいえ文章を読んでいくと使徒ヨハネに直接主キリスト・イエス様が現れ語られている個所もあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは創世記から黙示録迄を私たちに与えてくださいました。
感謝、感謝、感謝です。
黙示録に何が書かれているのかを教えてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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