« エゼキエル38章 イスラエルが危機に瀕する戦争/神ヤハウェ(主)は御自身が聖(被造物とはかけ離れた偉大な存在)であることを証明する | トップページ | 2024年 新年のご挨拶 皆様の上に天父よりの御祝福が豊かでありますように »

2023年12月31日 (日)

詩篇105:16-23 主がヨセフをエジプトに遣わす4/すべてに時あり。主に信頼して歩む

 詩篇10516-23には次のように記されています。
“16
 主はその地に飢饉を呼び、パンの蓄えをことごとく絶った。
17
 主は一人の人を彼らより先に送った。ヨセフが奴隷として売られたのだ。
18
 人々はヨセフの足を足枷で痛めつけ、首には鉄の首輪をはめた。
19
 主の言葉が実現する時まで主の仰せが彼を試した。
20
 王は人を送って彼を解き放ち、もろもろの民の支配者が彼を自由にした。
21
 王は彼を王宮の頭とし、すべての財産を管理する者とした。
22
 それは高官らをヨセフの思いのままにするため。ヨセフは長老たちに知恵を授けた。
23
 イスラエルはエジプトに入り、ヤコブはハムの地に寄留した(聖書協会共同訳)とあります。

 前回は、献酌官長と料理長とヨセフをテーマに記しました。

 創世記4020-411には次のように記されています。
4020 三日目はファラオの誕生日であったので、ファラオはすべての家臣のために祝宴を催した。そして、家臣の集まる真ん中で献酌官長の頭と料理長の頭を上げさせた。
21
 ファラオは、献酌官長をその献酌の仕事に戻したので、彼は杯をファラオの手に献げるようになった。
22
 しかし、料理長は木に掛けた。ヨセフが彼らに解き明かしたとおりである。
23
 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。/
41:1
 それから二年たって、ファラオは自分がナイル川のほとりに立っている夢を見た。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨセフは、献酌官長に次の様に言っていたのです。
14 そこで、あなたが幸運に恵まれたときには、私を思い出し、どうか私に慈しみを示してください。ファラオに私のことを話し、この獄から私が出られるようにしてください。15 私は実はヘブライ人の地からさらわれて来たのです。またここでも、私が地下牢に投げ込まれるようなことは何もしていないのです。」(創世記40章・聖書協会共同訳)と記されています。

 しかし献酌官長は、ヨセフのことを知らせませんでした。
41:1
には「それから二年たって」と記されています。
ヨセフは献酌官長の夢を解き明かしてあげた(それが可能であったのは神様の霊によることです)のに、そして献酌官長に自分の救出を頼んだのに、献酌官長はヨセフのことを忘れ、ヨセフは二年間も獄の中に留め置かれたのです。

 ヨセフが普通の人であれば、やけを起こした(自暴自棄になった)ことでしょう。
そして神様に文句を言ったかもしれません。
神様がヨセフに、「すべてに時あり」ということを教えられたかどうかは聖書に記されていませんが、私たちキリスト者は主から与えられた聖書を通して学ばせていただいています。

 また献酌官長を通して、多くの人は、自分のことで精一杯or自分さえよければ他人はどうでもよい、というようにはなはだ自己中心的であることを覚えます。たまにはいつも他者の幸せを考えに入れるような人もいますが。

 実は、献酌官長がヨセフのことを知らせなかったことにも神ヤハウェ(主)のご配慮があったのだということをその後の展開から教えられます。
神様のなさることは時にかなってうるわしいのです。

 ファラオが献酌官長を基の職に戻してから2年が経ちました。
その時、ファラオは意味のある夢を見ました。
しかし、その夢を解き明かせる者がエジプトの魔術師や賢者の中にはいなかったのです。
献酌官長は、その時、ヨセフのことを思い出し、ファラオにヨセフのことを話しました。
ヨセフはファラオに呼び出されました。
ヨセフはファラオの夢を解き明かすとともに、夢の中の凶事に対する対策をもファラオに語ったのでした。
その結果、ファラオは、ヨセフを牢から出しただけではなく、エジプトの宰相にしたのです。
ファラオはヨセフを神の霊の宿っている人だと認識したゆえです。
(以上は創世記411-45のダイジェストです)

この時、ヨセフは30歳になっていました。ヨセフは17歳の時に奴隷にされたのです。

 詩編10517b-21には次のように記されていました。
17 ・・・。ヨセフが奴隷として売られたのだ。
18
 人々はヨセフの足を足枷で痛めつけ、首には鉄の首輪をはめた。
19
 主の言葉が実現する時まで主の仰せが彼を試した。
20
 王は人を送って彼を解き放ち、もろもろの民の支配者が彼を自由にした。
21
 王は彼を王宮の頭とし、すべての財産を管理する者とした。”と。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
ローマ828には“神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる”(口語訳)と記されています。
また伝道者の書3章には、
1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
11
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。”(新改訳初版~第三版)と記されています。
罪の性質を持って生まれた人間が自己中心的であることは自然なことです。
私たちは、いかなる状況に置かれようとも、主に信頼し、主の御業を見させていただきながら、主が天に召してくださる時まで、この地上生涯を歩み続けていく者であらせてください。
私たちの言動を通して、私たちの提示する福音のことばを通して救われる人が起こされますように。
主をほめたたえる人が起こされますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

« エゼキエル38章 イスラエルが危機に瀕する戦争/神ヤハウェ(主)は御自身が聖(被造物とはかけ離れた偉大な存在)であることを証明する | トップページ | 2024年 新年のご挨拶 皆様の上に天父よりの御祝福が豊かでありますように »

詩編」カテゴリの記事

日毎の恵み17」カテゴリの記事

コメント

人が生きる中での事は全ては神様のなさる事である事を再認識させていただきました。ありがとうございます。
様々な出来事で悩んだり考えたりしますが、日の終わりにはまた神様に委ね眠りにつく。その様な日々を送っておりますが、以前でしたら解決をしてゆくという自力がありました。今もその様な発想は湧いたりしてしまいます。兄姉のお話を聞いていると、その様な事すらもなくなるそうで、私はまだまだ…と思いながらも、主は色々な事を与えてくださいます。忍耐をする事の中である事を、最近ようやく実感している所です。
「神のなさる事は時にかなって美しい」とても好きな聖句です。神様を信じて、そして神様の御旨に従った歩みをしてゆくことができますよう祈り求めます。
また、細かな所ですが、創世記40:20-23、41:1の箇所が創世記40:20-41:1となっていました。
2023年も学ばせて頂けたことに感謝いたします。1日のスタートから学ぶ事は私の糧となっています。ありがとうございます。(コメントを読んでくださりありがとうございます)
また、次年もよろしくお願いいたします。
トミーさんのお身体も心配してしまいますが、それすらも神様の御旨のうち、と思い日々祈り続けます。ありがとうございました。

何時もお祈りくださりありがとうございます。
創世記40:20-41:1というような書き方もあるので、今回はそのままにしておきます。
懲りずに、違っていると思うところをまた指摘してくださいね。
よろしくお願いします。

そうなんですね。教えてくださりありがとうございます。また、よろしくお願いいたします。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« エゼキエル38章 イスラエルが危機に瀕する戦争/神ヤハウェ(主)は御自身が聖(被造物とはかけ離れた偉大な存在)であることを証明する | トップページ | 2024年 新年のご挨拶 皆様の上に天父よりの御祝福が豊かでありますように »

カテゴリー

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ