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2023年12月 5日 (火)

黙示録1:1-8 序文とあいさつ2/2.3節のみ(この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されていることを守る者たちの幸い)

 黙示録11-8には次のように記されています。
1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。
2
 ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。
3
 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。
4
 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、玉座の前におられる七つの霊から、5 また、真実な証人にして死者の中から最初に生まれた方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにあるように。
私たちを愛し、その血によって罪から解放してくださった方に、6 私たちを御国の民とし、またご自分の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
7
 見よ、この方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る。ことに、彼を突き刺した者たちは。地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
8
 今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 2節を2017は、
“ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。”と記しています。

 「自分が見たすべてのこと」と記されている中の「見る」という語のギリシア語原語は「エイド―」で、原義は「見る」ですが、「知る」の意にも使用されます。
使徒ヨハネは、見る以外にも音や言葉も聞きました。また、主イエス様が触れても下さったのです(黙示録117)。すなわちヨハネは、自分が知ったすべてのことを証ししたのです。
「すべてのこと」とありますが、ヨハネが知った事柄の中で、「書き記すな」(黙示録1042017)と言われた事柄もありました。その事柄については、ヨハネは知ることができましたが、わたしたちには啓示されませんでした。

 黙示録101-7には次のように記されています。
1 また私は、もう一人の力強い天使が雲を身にまとい、天から降って来るのを見た。頭には虹を戴き、顔は太陽のようで、足は火の柱のようであり、2 手には開かれた小さな巻物を持っていた。そして、右足で海を、左足で地を踏まえて、3 獅子がほえるような大声で叫んだ。
天使が叫ぶと、七つの雷がそれぞれの声で語った
4
 七つの雷が語ったとき、私はそれを書き留めようとした。すると、天から声がして、「七つの雷が語ったことは秘めておけ。それを書き留めてはならない」と言うのを聞いた
5
 すると、海と地の上に立っているのを、私が見たあの天使が、右手を天に上げ、6 世々限りなく生きている方、天とそこにあるもの、地とそこにあるもの、海とそこにあるものを造られた方にかけて誓った。
「もはや時がない。7 第七の天使がラッパを吹き鳴らすとき、神の秘義〔奥義(口語訳、新改訳)〕が成就する。それは、神がご自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 3節を2017は、「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。」と記しています。

 黙示録は教会宛に書かれたものです。
それは黙示録14a.11に次のように記されていますから。
4 ヨハネから、アジアにある七つの教会へ。/
11
・・。「あなたが見たことを巻物に記して、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアに送りなさい。」”とあります。

 ここに記されている7つの教会は、小アジア地方、すなわち現トルコのアジア側のアナトリア半島と呼ばれる地域にありました。
この地域にある教会宛に記されたものが、現代に生きている私たちキリスト者にどのような関係があるのかということについては後日記していきます。

 3節には「この預言のことばを朗読する者・・は、幸いである。」と記されています。
ギリシア語聖書には、“マカリオス ホ アナギノースコー”と記されています。
語順に従って日本語に訳すと「幸いなるかな。それを読む者。」と訳せると思います。
現代の日本人は聖書を買えば(もらう場合もあるでしょうが)、黙示録を読むことができます。
ただし主イエス様を信じていない人(主イエス様を心にお迎えしていない人)にとっては、荒唐無稽な書であると感じ、主イエス様が意図されていることとはかけ離れた解釈をすることになる可能性があります。適切な説明を聞いても「そうかなー?」となるのです。
黙示録を読んで理解するために必要なことは、主イエス様を信じて新生させていただき、真理の御霊を内に宿し、真理の御霊に教えて頂いている人ということになるでしょう。
クリスチャンだと自称しながらも真理の御霊を宿していない人は、聖句を字義どおりに解釈すればよい所も、そうすることができないのです。

 主イエス様を信じている人にとって、黙示録を読むことはとても益になります。

 3節には「そこ〔黙示録(筆者挿入)〕に書かれていることを守る者たちは、幸いである。」とも記されています。
特に、黙示録2-3章は諸教会宛に記されています。
そこに記されている内容を自分に適用して読み、叱責に心を留め、告白すべき罪があれば主に告白して主にきよめていただくことは幸いなことです(1ヨハネ19)し、また、励ましを受ける聖句、力を与えられる聖句等もありがたいものです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたが与えてくださった聖書をそのまま信じることを得させてくださり感謝します。
多くの人は、私のような者を変人扱いしたり、知識の乏しい者だ、ファンダメンタリストだ、と言いますが、主は「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」(ルカ12322017)と語ってくださっておられますから感謝します。
あなたの御言葉をあなたの御言葉として100%信じて歩み続ける者として引き続き祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

信じる事は出来ても行いが伴わないのは、真理の霊を内に宿する事ができていないのだと思いました。それでは自称に過ぎないな…と思い、黙示録2-3章を読みました。悔い改める事ばかりかと思いましたが、異なっていました。
同じ思いである方と常に身近にいる事も必要であると思いました。単独では気付けない事、合っているのかな?と不安になる事があったりします。教会に属しているから…というだけの判断は、目に見えるものであり、目に見えないものを信じて歩む、日々生きてゆく事を改めて思いました。
最初の頃を思い出さなければ異なった方へ進んでしまう弱さがあると思いました。
今日は振り返る事を与えてくださり、ありがとうございます。
常に主は共にいてくださり、見ていてくださる事。感謝です。

私たちは、地上にいる間は、何かしら悔い改めることがありますよね。
示されたら、そのようにしていけば良いのですから、日々主に導かれて歩んでいきましょう。

思い詰めてしまいそうになりました。
ありがとうございます。主に導かれて歩みます。

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