« 詩篇105:1-8a ご自分の契約をとこしえに覚えておられる主 | トップページ | 黙示録1:1-8 序文とあいさつ3/4.5節aのみ(恵みと平安の与え主であられる三一の主なる神) »

2023年12月 8日 (金)

箴言27:2 自己称賛ではなく他者から称賛されなさい/神様からほめられた人

 箴言272を、
2017
は“自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分の唇でではなく、よその人によって。”と訳し、
新共同訳は“自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではなく、異邦人にほめてもらえ。”と訳し、
リビングバイブルは“自分で自分をほめるより、人からほめられるようにしなさい。”と意訳しています。

 「よその人」(2017)、「異邦人」(新共同訳)、「人(他人)」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「ノクリー」という語で、それらのどの意もあります。

 新共同訳のように訳すと、イスラエル国は、他の国の人から称賛されなさい、と捉えることもできるのではないかと思います。

 個々人についていえば、2017訳やリビングバイブル訳のようになるのでしょう。

 ここに書かれている箴言は、読めば理解できる文章なので、ここでは、主なる神様からほめられた人たちの話を少し記そうと思います。

1.主なる神様に義とされる前の人の祈り
ルカ18章に次のようなイエス様のたとえ話が載っています。
10 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。
11
 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でなく、また、 この徴税人のような者でないことを感謝します。
12
 私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』
 13 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人の私を憐れんでください。』
14
 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。誰でも、高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

 すべての人は罪人ですから、自分の行いで神様から義と認めてもらうことはできません。自分の行いで自分を義と認めてもらうためには、一つの罪さえも犯してはならない(神様のみ旨に反することを一つも行ってはならない)のです。
ヤコブ210には“律法全体を注意深く守っていても、一点でもつまづけば、その人はすべてを破ったものとなるのです。”(リビングバイブル)と記されています。

 主の御前に「神様、罪人の私を憐れんでください。」と出た人は受け入れられました。

2.主の御言葉に絶対的な信頼を置く人は主に称賛されます。
 マタイ8章に次のような事例が記されています。
5 さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近寄り、懇願して、
6
 「主よ、私の子が麻痺を起こし、家で倒れてひどく苦しんでいます」と言った。
7
 そこでイエスは、「私が行って癒やしてあげよう」と言われた。
8
 すると、百人隊長は答えた。
「主よ、私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません。ただ、お言葉をください。そうすれば、私の子は癒やされます9 私も権威の下にある人間ですが、私の下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、僕に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
10
 イエスはこれを聞いて驚き、付いて来た人々に言われた。「よく言っておく〔原語を直訳すると「アーメン。あなたがたに言う」(筆者挿入)〕。イスラエルの中でさえ、これほどの信仰は見たことがない
11
 言っておくが、東から西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に宴会の席に着く。
12
 しかし、御国の子らは、外の暗闇に放り出され、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
13
 そして、百人隊長に言われた。「行きなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどその時、その子は癒やされた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主の御言葉を疑うことなく信じる人は、主を信じている人です。
主の御言葉を重んじている人は、主を重んじている人です。
その人は主から称賛を受けます。
 1サムエル230には“主は言われる。・・・。わたしを重んずる者をわたしは重んじ、わたしを侮る者をわたしは軽んずる。”(新共同訳)とあり、
 詩篇9114-16には、
14 「彼はわたしを慕う者だから、彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。
15
彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え、苦難の襲うとき、彼と共にいて助け、彼に名誉を与えよう。
16
生涯、彼を満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」”(新共同訳)と記されています。

3.主の御命令に従う人を主は称賛してくださいます。
 ルカ19章に次のような主イエス様の譬えが記されています。
11 人々がこれらのことに聞き入っていると、イエスは続けて一つのたとえを話された。ご自身がエルサレムに近づいて来られたのに〔エルサレムに近づかれたので(口語訳)〕、人々は神の国がすぐにも現れるものと思っていたからである。
12
 それで、イエスは言われた。
「ある身分の高い人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へと旅立つことになった。
13
 そこで、十人の僕を呼んで十ムナ〔「ミナ」(口語訳、新改訳)〕の金を渡し、『私が帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。/
15
 さて、彼が王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。
16
 最初の者が進み出て、『ご主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。
17
 主人は言った。『よくやった。良い僕だお前はごく小さなことに忠実だったから、十の町を支配させよう。』”(聖書協会共同訳)とあります。

その他にも、主が称賛してくださる事柄はあります。
主を愛し、主に信頼して歩む者を主は称賛してくださるのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主を愛し、主に信頼し、主を愛するゆえに主の御言葉を守り、主を愛するゆえに主にお仕えしていく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

« 詩篇105:1-8a ご自分の契約をとこしえに覚えておられる主 | トップページ | 黙示録1:1-8 序文とあいさつ3/4.5節aのみ(恵みと平安の与え主であられる三一の主なる神) »

箴言」カテゴリの記事

日毎の恵み17」カテゴリの記事

コメント

自己満足に陥らないようにとか、自分勝手な解釈で生きないようにとか、警告?忠告のようなことですよね。
聖書を学ばせてもらう中で、初めは全くわからずにおりましたが、段々と少しずつ理解していく中で、何処か慣れが出てきていたりしている事を思いました。
ヤコブ2:10の「律法全体を注意深く守って」という様な感じで、保身的に生きていた所があり、守っていれば大丈夫と、行いには気をつけますが内心、心の奥底では他者に対して批判めいた事を思っていたりするのに、それを神様にも隠そうとしていました。神様は全てご存知であるのに。
心底から、もっと謙虚な気持ちで、ありのままに謙遜な気持ちでありたいと思いました。
そして、疑うことなく、恐れることなく主を信じて歩んでゆく事ができますよう切に願い導いていただけますよう祈り求めます。
私の知っている身近な人に、これを成し遂げようとしている方は、主からの恵みをふんだんに受け取られています。その人の努力(自力ではない事が見受けられるので真似しようとしますが…その忠誠心は真似できませんので)ではなく、御聖霊の働きによるのだと思います。
私は時に主を消してしまったりして、後から…という事や、御言葉を守りきれていない事を自覚します。導いていただけますよう祈り求めます。

身近に、きよい歩みをしていこう、という人がいることは幸いですね。
1テサロニケ4:3には「実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。」(新共同訳)と記されていますものね。

アーメン。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 詩篇105:1-8a ご自分の契約をとこしえに覚えておられる主 | トップページ | 黙示録1:1-8 序文とあいさつ3/4.5節aのみ(恵みと平安の与え主であられる三一の主なる神) »

カテゴリー

2024年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ