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2024年1月16日 (火)

マタイ24:6-8 携挙以前に世界に平和は訪れるだろうか

 マタイ246-8には次のように記されています。
6 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。
7
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
8
 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 現在はロシアとウクライナの戦争、イスラエルとハマス、イスラエルとヒズボラ、それにフーシー派が参加し、ハマス、ヒズボラの背後にはイランがいます。

東アジア、東南アジアについても覇権主義国の影響が不安定化をもたらしています。
日本もお隣の出方によっては、あるいはそれ以外の何かがあれば、被害を受けるかもしれない状態です。
また米中の覇権争いもあれば、ロシアとイランと北朝鮮は軍事協力をしています。
そのほかの地域でも色々とあるでしょう。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、と主が語っておられるのですから。

 戦争嫌いの私としては、いやだなー、という気分です。
クリスチャンの多くは、平和のための祈りをささげていることでしょう。
その平和は、いつ訪れるのでしょうか。

 今がひっ迫している終末期であると仮定したら、現在以降では、平和は2回訪れることが聖書からわかります。
一つは反キリスト(偽キリスト)による極めて短期間のものであり、もう一つは再臨のキリストによるもので、1000年間続きます(黙示録207-10)。

 偽(反)キリストによる平和は、短いものです。
1
テサロニケ53には、
“人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。”(2017)と記され、
 黙示録62には、
“私は見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた〔矢は持っていない(筆者挿入)〕。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得るために出て行った。”(2017)という個所から分かります。

 キリスト者が祈っている平和のための祈りは必ず答えられます。
それは、キリストが地上再臨されることによって平和になるからです。
それ以前には、戦争、飢饉、疫病、地上の獣によって、死ぬことになるというときもあるのです。
 黙示録67.8には、
“小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物が「行け」と言うのを聞いた。そして見ていると、青白い馬が現れた。それに乗っている者の名は「死」と言い、これに陰府が従っていた。彼らには、剣と飢饉と死と地の獣とによって、地上の四分の一で人々を殺す権威が与えられた。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 子羊とは、キリストのことです。
子羊(キリスト)のみが開くことの出来る封印されている巻物(黙示録51-5)は神の裁きの巻物です(黙示録612.16.17参照)。

 剣と飢饉と死と地の獣とによって、地上の四分の一で人々が死ぬというのは、主の裁きなのです。

 マタイ59に「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」(2017)という主イエス様が語られた御言葉が記されています。
ここに記されている「平和をつくる者」とは、この世の地上の平和のことを言っているのでしょうか?
この世の一定期間の平和なら、神の子ではない様々な人々が、これまでにもつくりあげてきました。反キリストもつくります。
キリスト者ではない人たちが、この世に平和をもたらしたら、その人たちは神の子と呼ばれるのでしょうか。もしそうであるとすれば、その人たちにはキリストの福音は必要ないのです。キリストを信じなくても神の子とされるのです。果たしてそのようなことはあるのでしょうか。
平和をつくるという行いによって、神の子とされることになってしまします。

 マタイ59の「平和」は、「神との平和」のことを意味して主は語られたのではないかと思います。
 ローマ51.2には、
“こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。”(2017)と記されています。

 「神との平和」をつくりだしてくださった方はイエス・キリスト様です。
それは他の誰もなしえないことでした。そして、イエス・キリストの救いにあずかった人たちも、福音を伝えることによって神との平和を人々にもたらす役割を担っているのです。「平和をつくりだす者」と訳されているギリシア語原語は複数形だからです。

 主がこの世の中の戦争を許可しているかぎり、戦争はなくなりません。
それどころか、黙示録67.8では、主が、裁きとして戦争を導入しているのです。
何故でしょう?
何故、戦争が起こるのでしょう?
それは人の罪の故であり、その罪が実行されることを、主が許可されたからでしょう。

 もし、この世に戦争がないという意味での平和が続き、人々がキリスト・イエスを主としないで死んでいったとしたら、その人たちの死後の世界は平和ではありません(黙示録2011-15)。
罪を持ったまま死ぬことになるのですから。
イエス・キリストを信じないことは罪なのですから(ヨハネ169)。
イエス・キリストをどのように信じるのでしょう。
召使いのようなお助けマンとして信じるのでしょうか、イエス・キリストを万物の主として信じるのでしょうか、更に自分の主として信じるのでしょうか。

 ローマ109には、“自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。”(口語訳)と記されています。
「イエスは主である」と告白したら、殺されるというような場面でも、「イエスは主です」と告白することができますか、と問われています。
それができるとしたら、その人は、聖霊によってその告白に導かれているのでしょう。
1
コリント123には、「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。」(口語訳)と記されています。

 戦争が怖いから、戦争は悲惨だから、ということで、平和運動をする人たちは数多くいるでしょう。しかし、そのことをしている多くの人たちは地上のことだけを考えているのです。

 まだ成就していない聖書の預言は、それぞれの預言が成就する時が来れば、成就することでしょう。
 主が次のように語っておられるからです。
8 私の思いは、あなたがたの思いとは異なり、私の道は、あなたがたの道とは異なる。――主の仰せ。
9
 天が地よりも高いように、私の道はあなたがたの道より高く、私の思いはあなたがたの思いより高い。
10
 雨や雪は、天から降れば天に戻ることなく、必ず地を潤し、ものを生えさせ、芽を出させ、種を蒔く者に種を、食べる者に糧を与える。
11
 そのように、私の口から出る私の言葉も空しく私のもとに戻ることはない。必ず、私の望むことをなし、私が託したことを成し遂げる。”(イザヤ55章・聖書協会共同訳)と記されています。
 また次のようにも記されています。
“私は、終わりのことを初めから、まだなされていないことを昔から告げてきた。「私の計画は実現し、その望みをすべて実行する」と。”(イザヤ46:10・聖書協会共同訳)と記されています。

 イザヤ24b.cには、“彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。”(2017)と記されているのは、キリストの再臨の結果です。
この文の前に記されているイザヤ24aには“主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。”(2017)と記されています。
このことは主の再臨がなければ実現しないのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは創造主です。
あなたは万物の保持者です。
あなたは聖なるお方、すなわち被造物とは一線を画しておられる立場のお方です。
三一の主なる神様以外は被造物です。
今は被造物である人間の多くが三一の神を主としないで自分を主としています。
しかし、そのような人はその刈り取りもすることになることを覚えます。
今がどのようなときかを覚え、聖なるお方の内に自分自身を置かせていただき、主を愛し、主に従い続ける歩みをする者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

イエス様が主であるという事を告白する事は大切ですね。そのタイミングであったりシチュエーションであったりを間違えると大変なことが起きるのでは?と思ってしまいますが…。
この聖句を今現在の身近な段階で行われていると捉えると、人間同士、時を超えて同じ感じなのかと思いました。そうすると、8節の産みの苦しみの始まりと記されていますから、私が今現在出来るのは、苦しみながらも平和になる様に努めること、イエス様の到来を待ち望み、祈ることだけなのだと思いました。平和や神様の預言は人には分からない未知なものなのでしょうね。
今、与えられる事を精一杯に取り組む事、罪を告白する事、導いてくださいますよう祈ります。
イザヤ書46章は10節ですね?

昨日は、十時から使えなくなりましたので、コメントを書けませんでした。
イザヤ46章は10節です。

そうですよね、使えなくなっていましたよね。ありがとうございます。

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