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2024年2月

2024年2月29日 (木)

黙示録12:13-16 大患難時代の中にあっても神ヤハウェ(主)を信じているイスラエル人は守られる

 黙示録1213-16には次のように記されています。
13 竜は、自分が地上へ投げ落とされたと知ると、男の子を産んだ女の後を追った。
14
 しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである。女は蛇から逃れ、そこで一年と二年と半年の間、養われることになっていた。
15
 蛇は、女の後ろに水を口から川のように吐き出して、彼女を押し流そうとした。
16
 しかし、大地が女を助けた。大地は口を開けて、竜が吐き出した川を飲み干したのである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 13節には“竜は、自分が地上へ投げ落とされたと知ると、男の子を産んだ女の後を追った。”とあります。

 「竜」とは悪魔(サタン、創世記3章に出てくる蛇)のことです。
黙示録129には“この巨大な竜、いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者は、地上に投げ落とされた。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。”(聖書協会共同訳)と記されています。
「その使いたち」というのは堕天使たちで、悪しき霊(悪霊)です。

 悪魔悪霊は、地上に投げ落とされた、とあります(黙示録129)。
悪魔悪霊が地上に投げ落とされる前は、悪魔(サタン)は、空中の権威を持ち(エペソ22)、世を支配していたのです(1ヨハネ519)。

 悪魔悪霊を空中の権威者から没落させたのは誰でしょうか、というか、主なる神の命令を受けて悪魔悪霊と戦ったのは誰でしょうか?
黙示録127.8には次のように記されています。
“さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその天使たちが竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちもこれに応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ミカエルは、イスラエルが大患難時代に入ると、イスラエルの守護天使長として神ヤハウェ(主)から遣わされるのです。
ダニエル121には次のように記されています。
“その時、大天使長ミカエルが立つ。あなたの民の子らの傍らに立つ者として。国が始まって以来、その時までなかった苦難の時が来る。しかし、その時にはあなたの民、かの書物に記録が見いだされたすべての者は救われる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 携挙された私たちキリスト者はすでに地上にはいませんが、大患難時代の地上は大変なことになっています。
イスラエル大迫害が起こる中でも、神ヤハウェ(主)は、彼を信じている人たちを守るのです。
黙示録1214-16に、
14 しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである。女は蛇から逃れ、そこで一年と二年と半年の間、養われることになっていた。
15
 蛇は、女の後ろに水を口から川のように吐き出して、彼女を押し流そうとした。
16
 しかし、大地が女を助けた。大地は口を開けて、竜が吐き出した川を飲み干したのである。”と記されています。

 この個所を私なりに解釈して訳すと次のようになります。
14a.b しかし主は、イスラエルに、主が用意されたボツラの地(エドムの都市、イスラエルの南南東、現ヨルダン領)へと速やかに移動することができるようにされた。
(ボツラの地の預言については、イザヤ631-6を参照)
15.16
サタンは、荒れ野に逃れていくイスラエルの民に対して大軍勢を遣わしたが、主が御業を行い、大きな地割れを起こし、サタンの軍勢を地の中に落としてしまわれた。{コラの時のように(民数記1630-33参照)}
14c
イスラエルは悪魔(サタン)から逃れ、その荒野で3年半の間、神である主によって養われる。(出エジプトしたイスラエルの民が荒野で養われたように)」(私的解釈訳)

 神ヤハウェ(主)に守られるイスラエルの人たちは、主イエス様が、次のように語られた内容を信じた人たちなのだろうと思います。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つ〔7年の大患難時代の中間に起こる(筆者挿入)〕のを見たら――読者は悟れ――
16
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
17
 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
18
 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。
19
 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある。
20
 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
21
 その時には、世の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
22
 神がその期間を縮めてくださらなければ、誰一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。”(マタイ24章・聖書協会共同訳)と記されている内容です。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
恵みの時代に主キリスト・イエス様を信じた人は携挙されて大患難時代を地上で過ごさずに天で過ごすようになりますからありがとうございます。
また、大患難時代においても、主なる神様を信じるイスラエル人は、地上において、あなたが守り養われますから御名を賛美します。
あなたのご計画は一つ一つ成就していくことを覚え、嬉しく思います。
御名をほめたたえつつ私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6 主を尋ね求めよ、見いだすことができるうちに。主に呼びかけよ、近くにおられるうちに。
7
 悪しき者はその道を捨て、不正な者は自らの思いを捨てよ。主に立ち帰れ、そうすれば主は憐れんでくださる。私たちの神に立ち帰れ、主は寛大に赦してくださる。
8
 私の思いは、あなたがたの思いとは異なり、私の道は、あなたがたの道とは異なる。――主の仰せ。
9
 天が地よりも高いように、私の道はあなたがたの道より高く、私の思いはあなたがたの思いより高い。
10
 雨や雪は、天から降れば天に戻ることなく必ず地を潤し、ものを生えさせ、芽を出させ、種を蒔く者に種を、食べる者に糧を与える。
11
 そのように、私の口から出る私の言葉も空しく私のもとに戻ることはない。必ず、私の望むことをなし、私が託したことを成し遂げる。”(イザヤ55章・聖書協会共同訳)

2024年2月28日 (水)

黙示録19:17-21 キリストの地上再臨に伴う裁き/キリストに付き従うキリストの花嫁はこの状況を見ます・救いは恵みと信仰による

 黙示録1917-21には次のように記されています。
17 また私は、一人の天使が太陽の中に立っているのを見た。この天使は大声で叫び、空高く飛んでいるすべての鳥にこう言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。
18
 王の肉、将校の肉、権力者たちの肉を食らえ。また、馬とそれに乗る者の肉、あらゆる自由人、奴隷、小さな者や大きな者たちの肉を食らえ。」
19
 私は、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢と戦うために、集まっているのを見た。
20
 しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、偽預言者は、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者を惑わしたのである。獣も偽預言者も、生きたまま硫黄の燃え盛る火の池に投げ込まれた。
21
 残りの者たちは馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるまで食べた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 19節に“私は、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢と戦うために、集まっているのを見た。”とありますが、主に敵対する王たちの軍勢は、第6の鉢が注がれたことに伴って集められた軍勢です。

 黙示録1612-16には次のように記されています。
12 第六の天使が、その鉢の中身を大河ユーフラテスに注ぐと、水が涸れ、日の昇る方角からやって来る王たちの道ができた。
13
 また私は、竜の口から、獣の口から、そして偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。
14
 これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。/
16
 汚れた三つの霊は、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に王たちを集めた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 悪の三位一体からなるサタン及び反キリストと偽預言者は、もとより神であられ、そして人ともなられた御子キリストと戦うために、世界の王たちとその全軍をメギドの丘{ハル(丘)・メギドーンorメギドー}に招集したのです。全人類の神への敵対はここに極まるのです。
 脱線しますが、
おそらく、ハルマゲドン(エスドラエロンorイズレエルの谷)からエルサレムに向けて進軍するのだろうと思います(ゼカリヤ122-9)。
エスドラエロンについて、聖書辞典は次の様に述べています。
“エスドラエロン 聖書の「イズレエルの谷」のことで、ヘブル語イズレエルから出たギリシヤ名であり、旧約外典のユデト書1:8,3:9,4:6,7:3に出てくる。
 エスドラエロンはヨルダン峡谷に次ぐ大平原で、カルメル山脈を底辺とし、タボル山を頂点とする一辺およそ33キロの正三角形の平野である。面積はおよそ250平方キロメートルで、キション川によってうるおされている豊かな地域である。イズレエルとは、「神が種を蒔いてくださる」という意味である。イズレエルの町とメギドの町とが、キション川をはさんであり、聖書ではイズレエルの谷(ヨシ17:16)ともメギドの平地(35:22)とも呼ばれている。
 ヨシ17:16によれば、ここはイスラエル人が侵入した当時は、鉄の戦車を持ったカナン人の領地であった。この地はマナセ族の領地とされたが、占領できず、カナン人はそこに住み通した(士1:27)。キションの谷でのデボラとシセラとの戦いの結果、パレスチナの北側はイスラエルのものとなった(士4‐5章)。ギデオンの活躍によって、この地の東の端に陣取っていたミデヤン軍は敗走し、平野の東側が確保された(士7章。ペリシテ人がサウルの王国を二分させようとしてシュネムに陣を敷いた時(サム28:4)、イスラエル人はイズレエルにある泉のほとりに陣を敷いた(Ⅰサム29:1)。サウルの死後も、この地はイスラエル人の領地として残った。ティグラテ・ピレセル3世の遠征(前734―732年)の結果、イズレエル平野はアッシリヤの支配下に入り、メギドが首都とされた。アッシリヤの衰退後、前609年、ヨシヤ王はメギドでパロ・ネコを迎え撃とうとして戦死した(23:29)。バビロニヤおよびペルシヤ時代の状況は明白ではない。マカベア12:49には、「大平野」と記されている。新約聖書では、ハルマゲドン(「メギドの山」の意味)という名で、この地域のことが記されている(黙16:16)。”とあります。

 話を元に戻します。
しかし、主キリスト様の力あることばによって主に敵対する王たちと全軍は滅ぼされてしまいます。
主なる神のことばは生きていて力があり、両刃の剣よりも鋭(するど)いのです(黙示録1915、へブル412)。

 主の裁きのことばによって殺された人たちの肉は、鳥たちの大宴会のための御馳走となります。

17.18節には、
“・・、一人の天使が太陽〔光(リビングバイブル)。ギリシア語原語は「へ―リオス」で、太陽、光、の意があります(筆者挿入)〕の中に立っているのを見た。この天使は大声で叫び、空高く飛んでいるすべての鳥にこう言った。
「さあ、神の大宴会に集まれ。王の肉、将校の肉、権力者たちの肉を食らえ。また、馬とそれに乗る者の肉、あらゆる自由人、奴隷、小さな者や大きな者たちの肉を食らえ。」”と記されています。

 主の来臨はどのようにしてわかるのかということを、ユダヤ人たちに教えるために、主はオリーブ山の説教では、次のように語られました。
23 その時、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
24
 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業(わざ)を行い、できれば、選ばれた人たち〔イスラエルの残りの者(筆者挿入)〕をも惑わそうとするからである。
25
 あなたがたには前もって言っておく。
26
 だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、出て行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
27
 稲妻が東から西へひらめき渡るように〔「突然、一瞬のうちに」の意でしょう(筆者挿入)〕、人の子もそのように来るからである。
28
 屍〔再臨のキリスト様に敵対した軍隊の屍(筆者挿入)〕のある所には、禿鷲(はげわし)が集まるものだ。」”(マタイ2423-28・聖書協会共同訳)と記されています。

 第一の獣(黙示録131-8)と言われる反キリスト、第二の獣(黙示録1311-16)と言われる偽予言者は、禿鷲の餌になるのではなく、別の裁かれ方をします。
 20節には“・・、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、偽預言者は、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者を惑わしたのである。獣も偽預言者も、生きたまま硫黄の燃え盛る火の池に投げ込まれた。”と記されています。

 これをもって、「神がいるなら、悪人たちを地上から除いてみろ。」と言う人たちの要求は満たされるのです。
しかし、そのように主なる神様に挑発的に語った人たち自身が、神の目から見ると悪人であったということが明らかになるのです。
まことの神を敬わないこと、まことの神を礼拝しないことが罪であり、キリストを信じないことが罪だからです(黙示録147、ヨハネ169)。

 実は、新生させていただいた私たちキリスト者も、新生させていただく前は、神に敵対して歩んでいたのです。
 ローマ5章には次のように記されています。
6 キリストは、私たちがまだ弱かった頃、定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました
7
 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のためなら、死ぬ者もいるかもしれません。
8
 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。
9
 それで今や、私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
10
 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
11
 それだけでなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしています。このキリストを通して、今や和解させていただいたからです。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
罪人であった私たち、不敬虔な者であった私たち、あなたに敵対していた私たちの為に、主イエス・キリスト様は、私たち罪人のすべての罪を身代わりに負ってくださり、義なる神の裁きを私たちに代わって受けてくださいました。
まことに感謝にたえません。
主イエス様の十字架と復活のゆえに、主イエス様を信じさせていただけた私たちは、罪を赦され、義とされ、神の子どもとされ、永遠の命を与えられて、歩ませて頂けていますことを感謝します。
キリストの空中再臨の時には、肉の体から霊の体に変えられて天に引き上げていただけますからありがとうございます。
三一の主なる神様に感謝し、御名をほめたたえ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月27日 (火)

箴言28:2 よき指導者のいる国or集団は幸いです/御霊に満たされて

 箴言282を、
聖書協会共同訳は“地に反乱が起こると高官が多くなるが、分別と知識のある人によるならば安定が続く。”と訳し、
2017
は“国に背きがあるときは、首長が多くなるが、判断力と知識のある一人の人により、安定は続く。”と訳し、
リビングバイブルは“国民が平気で悪いことをするようになると、政府は簡単に倒れますが、良識と分別のある指導者がいれば、国は安全です。”と意訳しています。

 Bibleナビは次の様に適用注解しています。
“政府や社会が長く安定するには、知恵と知識のある指導者が必要であり、彼らを見つけることは困難である。
人のわがままさはすぐに他者に影響を及ぼす。
会社から盗む、利己的な雇用人は、会社の生産性を台なしにする。
運転する前に飲酒する利己的な運転手は、道路を、安全ではなくする。
姦淫を犯している利己的な配偶者はいくつかの家庭を台なしにする。
人々が、自分の行動が他者に与える影響についてほとんど考慮せずに自分のためだけに生きるとき、その結果として道徳は退廃し、国全体を堕落させる。
あなたは問題の一部となっているだろうか、それとも解決の一部となっているだろうか。”と述べています。

 「世界は二人のために」という歌謡曲が1967年に発売されました。
その歌詞に、当時の私は驚きました。その歌詞の中には次のような文言があります。
“二人のため 世界はあるの”というものです。
そしてこの歌詞は何度も繰り返されていくのです。

 また、同じ歌手が「いいじゃないの 幸せならば」という歌謡曲を歌って大ヒットしたのです。

 どちらも1970年以前の歌謡曲です。
どちらも大ヒットしましたが、大ヒットした理由は、人の中に、自分さえよければそれで良い、という利己的、という罪の性質を持っていたからなのだろうと思います。

 現代は、益々利己的になっているのかもしれません。
そして政治家も利己的になったら、その国はどうなるのでしょう。
そのような政治家が多くなったら世界はどうなるのでしょう。

 話を変えますが、
2
テモテ31-5には、
1 このことを知っておきなさい。終わりの日には困難な時期〔時代(口語訳、新改訳)〕がやって来ます。
2
 その時、人々は、自分自身を愛し、金に執着し、見栄を張り、思い上がり、神を冒瀆し、親に逆らい、恩を知らず、神を畏れなくなります。
3
 また、情けを知らず、和解せず、人をそしり、自制心がなく、粗暴になり、善を好まず、4 人を裏切り、向こう見ずになり、気が変になり〔「思い上がり」(新共同訳、2017)、「慢心する者」(新改訳初版~第三版)、「高言をする者」(口語訳)、「傲慢なる者」(文語訳)〕、神よりも快楽を愛し、5 見た目は敬虔であっても、敬虔の力を否定するようになります。・・・。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 5aには“見た目は敬虔であっても、敬虔の力を否定するようになります。”とあります。
別の言い方をすると、「神を信じているように見えるけれども、神を信じること及び聖句を信じることができないので、その実を得ることができない。それ故、敬虔の力を否定する。」というように捉えることもできるのではないかと思います。

 2テモテ31-9を読むと、この個所が地上の教会を構成しているものを対象に記されていることがわかります。
すなわち、この世の罪が教会に入ってきて、それが暴れまわるのです。その背後には悪しき霊の働きがあるのでしょう。

 箴言282を聖書協会共同訳は“地に反乱が起こると高官が多くなるが、分別と知識のある人によるならば安定が続く。”と訳しています。
これを地上の地域教会にあてはめることもできるでしょう。
地上の地域教会も、「霊的な知恵と知識と主イエス様に対する信頼に満たされた、すなわち聖霊に満たされた人によるリーダーシップによって安定する。」と捉えることもできるのではないかと思います。

 コロサイ23には“知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。”(新共同訳)と記されています。

 「御霊に満たされた」と書きましたが、御霊の実についてガラテヤ522.23は、“御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実〔「忠信」(文語訳)「忠実」(口語訳)。ギリシア語原語は「ピスティス」で、信仰、真理、真実、信頼、確信、・・等の意があります(筆者挿入)〕、柔和、自制です。”(2017)と記しています。
御霊は「真理の御霊」とも言われるように、真理を教えてくださる神の霊です。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たち一人一人のキリスト者を聖霊に満たしてくださり、聖霊の実を、豊かに実らせる者とならせてください。
成長させるのは神様なのですからよろしくお願いします。
感謝して、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月26日 (月)

詩篇106:27 主に背き続けると他国に散らされることになる/罪を赦され交わりを回復させていただく方法

 詩篇10627には“また、国々の間でその子孫を倒し、もろもろの地に散らすと誓った。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 北イスラエル王国の民はアッシリアによって他の国々に移されました(2列王記171-18、特に6節)。ただし、捕囚として連れて行かれたのは、イスラエル王国の民の全員ではありません(2歴代誌159参照)。
南イスラエル王国(ユダ王国)はバビロンに敗北し、バビロンに捕囚となりました(2列王記251-21)。

 捕囚となった北イスラエルの民の内の多くの人々のその後のいきさつは定かではありません。
 
 バビロンに捕囚になったユダヤ人たちは、B.C.538年に解放され、バビロンにとどまった人たちもいましたが、ユダの地に帰還した人たちもいました。
 その後、主イエス様が降誕され、イエス様こそ、メシアであり、救い主であると御自身で証しされたのに、ほとんどのユダヤ人たちは、その証言を受け入れず、イエス様を十字架につけたのです。
ユダヤの民は、イエス様をメシアとして受けいれることをしなかったので、ローマによって紀元70年に滅ぼされ、離散させられました。

 離散の憂き目にあった原因は、主なる神に背き続けたことによります。
イスラエルの民はいきなり他国に散らされたのではありませんでした。
このような罰を受けることは、神様とイスラエルの間の契約の中の条項にあったのです。

 簡単に言えば、主に従えば祝福され、主に不従順を続ければ裁かれる、という契約の中の一部です。
祝福と呪いについて、申命記よりも先に記されたレビ記26章を見ることにします。

 まず、主に従えば祝福されるという契約内容を見てみます。
レビ261-12には次のように記されています。
“1 あなたがたは自分のために偶像や彫像を造ってはならない。また、石柱を立ててはならない。あなたがたの地に石像を置いて、それにひれ伏してはならない。私は主、あなたがたの神である。
2
 私の安息日を守り、私の聖所を畏れなさい。私は主である。
3
私の掟に従って歩み、戒めを守り行うなら
4
 私は季節に応じて雨を降らせる。大地は実りをもたらし、野の木は実を結ぶ
5
 脱穀はぶどうの摘み取りまで続き、ぶどうの摘み取りは種蒔きまで続く。パンを食べて満ち足り、安らかにこの地に住むことができる
6
 私が地に平和を与えるので、あなたがたは脅かされることなく憩う。また私は悪い獣を地から滅ぼす。剣があなたがたの地を襲うことはない。
7
 あなたがたが敵を追うと、敵はあなたがたの剣に倒れる。
8
 あなたがたは五人で百人を、百人で万人を追う。敵はあなたがたの剣に倒れる。
9
 私はあなたがたを顧み、多くの子どもを与え、数を増し加えて、あなたがたと契約を立てる。
10
 古い穀物は食べきれず、新しい穀物を前にして運び出される。
11
 私の住まいをあなたがたの中に置く。私はあなたがたを心から嫌うことはない。
12
 あなたがたの間を巡って、あなたがたの神となり、あなたがたは私の民となる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主に従えば、主の臨在、平和、子孫繁栄、食物の満たし、もし戦うようなことがあっても必ず勝利する、等の約束が与えられたのです。

 新約の民であるキリスト者は、霊的な意味で、上記の祝福を受けますし、それ以上の祝福も約束されています。

 レビ記26章の呪いの条項は、5段階に激しくなります。
その段階の個所を列挙すると、
14-17節 ②18-20節 ③21-22節 ④23-26節 ⑤27-39節、と段階を踏むごとに厳しくなります。一段階上がるごとに、“七倍の懲らしめor七倍の災いor七倍の罰、を加える”と記されています(18212428)。

 詩篇10627の聖句は、⑤の個所に出てくるものです。
レビ2627-39には次のように記されています。
26 私がパンの蓄えを絶つとき、十人の女が一つのかまどでパンを焼いて、秤で量ってパンを配るようになる。食べても満たされることはない。
27
 それでもまだ私に聞き従わず、逆らって歩むなら、
28
 私は激しい憤りであなたがたに逆らって歩み、その罪に七倍の懲らしめを加える。
29
 あなたがたは自分の息子の肉を食らい、娘の肉を食(は)む。
30
 私はあなたがたの高き所を破壊し、香の祭壇を倒す。あなたがたの偶像の残骸の上にあなたがたの死骸を置き、私はあなたがたを忌み嫌う。
31
 あなたがたの町を廃虚とし、聖所を荒らし、宥(なだ)めの香りを嗅ぐことはない。
32
 私が地を荒らすと、そこにいるあなたがたの敵はそれを見て驚く。
33
 私はあなたがたを諸国民の中に追い散らし、背後で剣を抜く。地は荒れ果て、町は廃虚と化す。
34
 その荒廃の期間に、地は安息を享受する。あなたがたが敵の地にいる間、地は安息して、安息年を享受する。
35
 あなたがたが住んでいた間、安息年では得られなかった安息を、その荒廃の期間に享受する。
36
 あなたがたのうちの残りの者に対し、私は敵の地で、その心を臆病にする。揺れる木の葉の音さえ、彼らを追い立てる。彼らは剣で追われるかのように逃げ惑い、追う者もいないのに倒れる。
37
 追う者もいないのに、剣で追われるように逃げ惑い、仲間どうしでつまずく。あなたがたには敵に向かって立ち上がる力はない。
38
 諸国民の間で滅び、敵の地があなたがたを食い尽くす。
39
 あなたがたのうちの残りの者は、敵の地で自分の過ちのゆえに朽ち果て、先祖の過ちのゆえに衰え果てる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 次に、申命記4章には次のように記されています。
25 もしあなたが子や孫をもうけ、その地で年を取り、堕落してあらゆる形の彫像を造り、あなたの神、主の目に悪とされることを行い、主を怒らせるならば、
26
 私は今日あなたがたに対して、天と地を証人として呼び出す。あなたがたは、ヨルダン川を渡って行って所有する地から取り去られ、たちまち滅び去る。あなたがたはそこで長く生きることはできない。必ずや滅ぼされる。
27
 主は、あなたがたをもろもろの民の中に散らされる。しかし、主が追いやる先の国々で僅かな者は残される。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主は契約を守る神です。
この契約の中には、主に立ち返る方法も記されています。
レビ2640-45には次のように記されています。
40 彼らは背信の罪を犯した先祖の過ちと、また私に逆らって歩んだ自らの過ちを告白するようになる。
41
 だが、私は彼らに逆らって歩み、彼らを敵の地へ導く。その時、その割礼のない心もへりくだり、過ちの償いをするようになる。
42
 そこで私は、ヤコブとの契約、イサクとの契約、アブラハムとの契約を思い起こして、かの地のことを思い出す。
43
 かの地は彼らから捨てられ、荒廃している間に、その安息を享受する。彼らは自らの過ちの償いをしなければならない。私の法を拒み、私の掟を心から嫌ったからである。
44
 しかし彼らが敵の地にいるときでさえ、私は彼らを拒まず、嫌わず、滅ぼさず、彼らとの契約を破りはしない。私は主、彼らの神である
45
 私は彼らの先祖との契約を思い起こす。私は、彼らの神となるために、諸国民の目の前で彼らをエジプトの地から導き出した。私は主である。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 キリスト者も罪を告白することなく、罪の中にとどまり続けると、神様との間に隔てが出来、神様がわからなくなってしまいますし、御言葉も虚しく感じるようになり、また、御言葉に対する信頼も起こらなくなってしまします。

 キリスト者の場合の対処法は、1ヨハネ19に記されていますが、ここでは1ヨハネ15-10の聖句を下記します。
5 私たちがイエスから聞いて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。
6
 神と交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、私たちは偽りを述べているのであり、真理を行ってはいません。
7
 しかし、神が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
8
 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にありません。
9
 私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正〔「不義」(口語訳、2017、新共同訳)〕から清めてくださいます。
10
 罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉は私たちの内にありません。”(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
あなたを愛し、あなたに信頼し、あなたに従って歩む者であらせてください。
罪を犯してしまったときには、御聖霊によってすぐに教えてくださり、罪を示されたら、すぐに告白し、きよめていただいて、あなたといつも親しく歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月25日 (日)

黙示録11:1-13 二人の主の預言者が大患難時代の前半の1260日の間、預言する

 黙示録111-13には次のように記されています。
1 それから、私に杖のような物差しが与えられた。そして、こう告げられた。「立って神の神殿と祭壇とを測り、また礼拝している者たちを数えなさい。
2
 しかし、神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。測ってはならない。そこは異邦人に与えられたからである。彼らは、四十二か月の間、この聖なる都〔エルサレム(筆者挿入)〕を踏みにじるであろう。
3
 私は、私の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。」
4
 この二人の証人とは、大地の主の前に立っている二本のオリーブの木、また二つの燭台である。
5
 この二人に害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。
6
 この二人には、預言をしている間、雨が降らないように天を閉じる力がある。また、水を血に変える力があって、望むままに何度でも、あらゆる災いを地にもたらすことができる。
7
 二人がその証しを終えると、一頭の獣が底なしの淵〔ギリシア語原語は「アブソス」、英語では、abyss(bottomless) pit{筆者挿入}〕から上って来て二人と戦って勝ち、彼らを殺す。
8
 彼らのなきがらは、ソドムやエジプトにたとえられている大きな都〔エルサレム(筆者挿入)〕の大通りにさらされる。彼らの主も、その都で十字架につけられたのである。
9
 さまざまな民族、部族、言葉の違う民、国民から成る人々は、三日半の間、二人のなきがらを眺め、それを墓に納めることを許さないであろう。
10
 地上に住む人々は、彼らのことで喜び祝い、贈り物を交わすであろう。この二人の預言者が、地上に住む人々を苦しめたからである。
11
 三日半の後、命の息が神から出て、この二人に入った。彼らが足で立ち上がると、これを見た人々は大いに恐れた。
12
 天から大きな声がして、「ここに上って来なさい」と言うのを、二人は聞いた。そして、雲に包まれて天に上った。彼らの敵もそれを見た。
13
 その時、大きな地震が起こり、都の十分の一が倒れ、この地震のために七千人が死に、生き残った人々は恐れを抱いて天の神に栄光を帰した。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この二人の証人の映像を全世界の人が見、また言葉を聞くことになるのでしょう。
現在すでに、そのような技術は可能になっています。
神なる主が、二人の証人を立てる理由の第一は、イスラエル人に対するものなのであろうと思います。
この預言者二人が活動する期間は、7年の大患難時代の前半です。
この時には、今は建っていませんが、エルサレムの神域にイスラエルの第三神殿が建つのです。
 脱線しますが、
第一神殿はソロモンが建てた神殿で、バビロンによって破壊されました。第二神殿は、バビロン捕囚から解放された後に建てられた神殿です。その神殿はヘロデによりさらに立派にされましたが、A.D.70年にローマにより破壊されました。第三神殿は、携挙後に立つ神殿で、神殿建築が可能になるためには、聖書預言より考えると、反(偽)キリストの登場が必要なのです(ダニエル922-27、特に27節)。
主イエス様は、ダニエル927を前提として、「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』〔獣の偶像{黙示録13章参照}(筆者挿入)〕が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。・・・・。」(マタイ2415-212017)と語られました。
このように、主イエス様の御言葉からも、大患難時代には神殿が建っていることがわかります。

 二人の預言者は、獣、おそらく反キリスト(大患難時代後半に全世界を支配する者)によって殺されるのです(黙示録117131-7参照)。
二人の預言者は、殺された後、エルサレムの大通りでさらし者とされますが、三日半の後、復活して天に昇っていくのです(黙示録118-12)。その時に、大地震が起こり、エルサレムの建物の十分の一が倒壊し、7000人が死にます(黙示録1113)。

 主に立てられた二人の預言者は、かつてモーセやエリヤが行ったような奇跡を行います。
5.6
節には“この二人〔の預言者(筆者挿入)〕に害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。この二人には、預言をしている間、雨が降らないように天を閉じる力がある。また、水を血に変える力があって、望むままに何度でも、あらゆる災いを地にもたらすことができる。”と記されています。

 主なる神様が、二人の預言者を立てられた第一の目的は、ご自身に立ち返るご自身の民{選民。ヤハウェ(主)を信じるイスラエルの民}を救う為の一環であるのでしょう。主なる神様は、大患難を通してでも選民を救おうとされているのです。

 大患難時代前半は、異邦人の中からも「イエスは、神の御子でありキリスト(油注がれた者)であり、自分の救い主であり、自分の主である」と証言する人たちがたくさん殉教して救われる時代でもあります(黙示録69-1179-17)。

 大患難時代にキリストを信じ、その信仰を告白する人の大多数は殉教するのです。
また、大患難時代が始まって、それほど経たないうちにも飢饉や疫病、戦争、殺し合いによって地上の四分の一の人がよみに下るのです(黙示録63-8)。よみに下る人は救われずによみに下るのです。殉教する人の魂は天に行きます(黙示録69)。
大患難時代に殉教して天に帰ってきた人たちが地上で体験したことは、飢え、飲料水の不足、太陽の炎熱、苦しみの涙、血を流す殺され方、・・等々です(黙示録616.17176)。

 大患難時代にキリストを信じ、その信仰を告白する人の大多数は殉教するのです、と前述しましたが、生きたまま、救われる人たちもいます。マタイ2531-46に記されている中の羊グループに入れられた人たちです。羊グループの人たちも、飢えや渇き、天変地異や酷暑や寒冷、絶えざる身の危険等々の中で、選民を助けてきた人たちです。この人たちは永遠の命に入るのです。

 最も幸いなのは、大患難時代に入る前に、主イエス様を自分の救い主として、自分の主として信じて、大患難時代を通過することなく携挙の恵みにあずかることです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは聖なるお方であり、万物の創造者です。
あなたは義なるお方であると共に愛なるお方であることを今日の個所からも教えていただけますからありがとうございます。
ハレルヤ!
あなたの御名を賛美します。
感謝しつつ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月24日 (土)

黙示録19:11-16 世から悪を取り除く再臨のキリスト/天上の体を戴いているキリスト者は主に従っていく

 黙示録1911-16には次のように記されています。
11 それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。
12
 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。
13
 この方は血染めの衣を身にまとい、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
14
 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い上質の亜麻布を身にまとい、この方に従っていた。
15
 この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。そして、この方はぶどう酒の搾り桶を踏む。そのぶどう酒には、全能者である神の怒りが込められている。
16
 この方の衣と腿(もも)には、「王の王、主の主」という名が記されていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イエス・キリスト様がこの世に肉体を持って現れたとき、初めはバプテスマのヨハネによって「世の罪を取り除く神の子羊」と紹介されました(ヨハネ129)。

 次に、イエス・キリスト様の地上生涯の最終局面の初めにおいて(十字架にかかられる週の日曜日)、主イエス様は、柔和な王として子ろばに乗ってエルサレムに入場され、宮に入られました(マルコ111-1-11)。
これはゼカリヤ99の預言の成就であるとマタイ214.5に次のように記されています。
4 それは、預言者を通して言われたことが実現するためであった。
5
 「シオンの娘に告げよ。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。へりくだって、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録1911-16に記されている御方は、再臨のキリストです。
再臨のキリストは、子羊としてではなく、ころばに乗った柔和で平和なイエス・キリストとしてでもなく、裁き主として白馬に乗って登場されるのです。

 裁きについて、主イエス様は、何度か語られましたが、その中の一つであるヨハネ1248には、「わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことば、それが、終わりの日にその人をさばきます。」(2017)という主イエス様の御言葉が記されています。

 再臨のキリスト・イエス様の裁きは、主の御口から出る裁きの言葉です(黙示録1915)。
主はことばによって、無から有を作りました(創世記1章)。そして主は、ことばによって万物を保ってor支えておられます(へブル13)。
神のことばには力があるのです(へブル412)。
主キリスト様が、裁くために発することばは、何と強力なことでしょうか。
主に敵対する諸国の民は、主のことばで打ち倒されるのです(黙示録1915)。

 11-16節には、主がどのような御方であるかが、次のように記されています。
忠実な御方(11)、真実な御方(11)、正義をもって裁かれ、戦われる御方(11)、神のことばと呼ばれる御方(13)、王の王、主の主という立場の御方(16)、その他、他者に知られていない本性をお持ちの御方(12)、とあります。

 話を変えますが、
聖書の神様を信じようとしない人の中には、「神がいるなら、なぜこの世の悪を終わらすことができないのだ。」とか、「神がいるならこの戦争をすぐに終わらせることもできるはずだ。」という人がいます。

 このように言われる人が、ビックリするようなことが起こるのです。
それは、そのような時が来るからです。
主イエス様は、一瞬にして悪者どもを裁かれます。
もし、今現在、主が裁かれるとしたら、地上にいるキリスト者の肉体も直ちに死ぬのです。
肉体の中に罪が宿っているからです{ローマ718-20、詩篇515(新改訳、口語訳、新共同訳は7節)}。
キリストの地上再臨の裁きは、キリスト者が霊の体を頂いた後に行われるのです。
神様は英知をもって、裁きの時を定めておられるのです。

 「神がいるなら、この世の悪を終わらせてみよ。」と言っている人は、裁かれてしまうのです。
創造主なる神を認めず、救い主なる神を心にお迎えしなかったからです。
キリストを信じないことは罪なのです(ヨハネ169)。
未だキリストを信じていな人は、自分の救いのためにキリストを求め、キリストを信じて、罪を赦され、永遠の命を頂いてほしいと思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様の救いにあずからせていただけましたことを感謝します。
まだ主イエス様の救いにあずかっていない人が大勢いますが、願わくは、その人たちがへりくだって罪を認め、主イエス様を心にお迎えすることができますように。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
バプテスマのヨハネの証言(ヨハネ331-36・リビングバイブル)
31 あの方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は天から来られた方で、ほかのだれよりも偉大なお方です。地から出た者は、地上のことしかわかりません。
32
あの方は、見たこと聞いたことをあかしされますが、それを信じる人はなんと少ないことでしょう。
33
そのあかしを信じれば、神が真理の源であることがわかります。
34
神から遣わされたあの方は、神のことばをお話しになります。神の御霊が無限に注がれているからです。
35
父なる神はこの方を愛し、万物をこの方にお与えになりました。
36
この方は神の御子なのです。この方に救っていただけると信じる者はだれでも、永遠のいのちを得ます。しかし、この方に従わない者は、天国を見ることはできないばかりか、神の怒りがその人の上にとどまるのです。」

2024年2月23日 (金)

箴言28:1 神を畏れている人は他のものを恐れない

 箴言281を、
聖書協会共同訳は“悪しき者は追う者もいないのに逃げるが、正しき者は若獅子のように自信に満ちている。”と訳し、
2017
は“悪しき者は、追う者もいないのに逃げるが、正しい人は若獅子のように頼もしい。”と訳し、
リビングバイブルは“悪者は追われもしないのに逃げ回りますが、神様を恐れる人にこわいものはありません。”と訳し、
新共同訳は“神に逆らう者は追う者もないのに逃げる。神に従う人は若獅子のように自信がある。”と訳しています。

 「悪しき者」(聖書協会共同訳、2017)、「悪者」(リビングバイブル)、「神に逆らう者」(新共同訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーシャ」で、不正、悪、神を恐れない、・・等の意があります。

 「自信に満ちている」(聖書協会共同訳)、「頼もしい」(2017)、「こわいものはありません」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「バータフ」で、頼みになる、勇敢な、自信がある、・・・等の意があります。

 サウルが王であった時代、少年ダビデやサウルの子のヨナタンはその様な人、すなわち「神に従う人は若獅子のように自信があるor頼もしい」と言える人たちであったと思います。
二人とも神ヤハウェ(主)を信じて、常識的には戦えそうもないと思えたような敵に勝利しました。

 ダビデは、サムエルを通して主に油を注がれた後、巨人ゴリアテ(ゴリアト)と戦い勝利したのです。
 ダビデが登場する前のイスラエル軍とゴリアテ(ゴリアト)との関係が1サムエル171-11に次のように記されています。
1 ペリシテ人は戦いに備えて軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集結し、ソコとアゼカの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。
2
 サウルとイスラエルの兵士も集結し、エラの谷に陣を敷いてペリシテ人との戦いに備えた。
3
 ペリシテ人は一方の山に陣取り、イスラエル人はもう一方の山に陣取って、谷を挟んで相対峙した。
4
 時にペリシテ人の陣営から一人の戦士が進み出た。その名をゴリアトと言い、ガト出身で、背丈は六アンマ半〔三メートル近く(リビングバイブル)〕に及んだ。
5
 頭には青銅の兜をかぶり、身には青銅で五千シェケル〔57kg(筆者挿入)〕の重さのあるうろことじの鎧を着て、6 足には青銅のすね当てを着け、肩には青銅の投げ槍を背負っていた。
7
 槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、穂先は鉄六百シェケル〔7kg(筆者挿入)〕あった。彼の前を盾持ちが進んだ。
8
 ゴリアトは立ち止まると、イスラエルの戦列に向かって叫んだ。
「どうしてお前たちは戦列を整えて出て来るのか。私はペリシテ人、お前たちはサウ ルの家来ではないか。お前たちの中から誰か一人を選んで、私の方へ下りて来させよ。9 もしその者が私と戦って、打ち負かすことができたなら、我々はお前たちの奴隷となろう。しかし、もし私がその者を打ち負かしたなら、お前たちは 奴隷となって、我々に仕えるのだ。」
10
 そのペリシテ人は続けて言った。
「私は今日、イスラエルの兵士たちに戦いを挑む。相手を一人出せ。一騎打ちだ。」
11
 サウルとすべてのイスラエル人は、このペリシテ人の言葉を聞いておののき、恐れた。”(聖書協会共同訳)とあります。
ゴリアテのこの威嚇は40日に及びました。
ですからイスラエル軍は、40日間、脅され続けていたのです。

 そこに登場したのが少年ダビデでした。
ダビデがこの場に登場する前に、神ヤハウェ(主)は、サムエルを用いて、ダビデに油を注いでいました(1サムエル161-13)。
1
サムエル1613aには“サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼〔ダビデ(筆者挿入)〕に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。”(新共同訳)と記されています。

 話を元に戻します。
ダビデは、父親から、イスラエル軍にいる兄たちに食料を届けるように言われました。
ダビデは、その所に行き、初めてゴリアテ(ゴリアト)を見、ゴリアトの言葉を聞いたのです(1サムエル1717-1923)。

 その後色々とありましたが、ダビデはゴリアトと戦うことをサウルによって許可されました。
 ダビデとゴリアトの戦いの様子が1サムエル1741-51に次のように記されています。
41 ペリシテ人は盾持ちを先に立て、一歩一歩ダビデに近づいて来た。
42
 彼は眼を据えてダビデを見たが、ダビデが容姿端麗で、血色の良い少年だったので侮った。
43
 そのペリシテ人はダビデに言った。
「私は犬か。杖を持って私に向かって来るとは。」
そして自分の神々によってダビデを呪い、44 ダビデに言った。
「さあ掛かって来い。お前の肉を空の鳥、野の獣にくれてやろう。」
45
 ダビデはそのペリシテ人に言った。
「お前は剣や槍や投げ槍で私に向かって来るが、私はお前が挑戦したイスラエルの戦列の神〔戦陣の神(2017)〕、万軍の主の名によって、お前に立ち向かう
46
 今日、主はお前を私の手に渡される。私はお前を討ち、その首をはね、今日、ペリシテ軍の屍(しかばね)を空の鳥と地の獣に与える。全地はイスラエルに神がおられることを知るだろう。
47
 主が救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主の戦いである。主はお前たちを我々の手に渡される。」48 すると、そのペリシテ人は立ち上がり、ダビデと戦おうとして近づいて来た。ダビデはすぐさまそのペリシテ人に立ち向かうため戦いの場へ走った。
49
 ダビデは袋に手を入れて石を取り出すと、石投げひもを使ってペリシテ人目がけて飛ばし、その額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。
50
 こうしてダビデは石投げと一個の石でそのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。ダビデの手には一振りの剣もなかった。
51
 ダビデは走って行って、そのペリシテ人の傍らに立ち、彼の剣を奪い、鞘を払って、とどめを刺し、首を切り落とした。ペリシテ人たちは彼らの勇士が死んだのを見て、逃げ出した。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨナタンも主にあって勇敢な人でした。
1
サムエル141-15には次のように記されています。
1 ある日のこと、サウルの子ヨナタンは彼の武器を持つ従者に言った。
「さあ、向こう岸にいるペリシテ人の本隊のところに渡って行こう。」
ヨナタンはこのことを父に知らせなかった。
2
 その頃サウルはギブアの外れ、ミグロンのざくろの木陰にいた。彼と共にいた兵はおよそ六百人であった。
3
 そこにはエフォドを身に着けたアヒヤもいた。アヒヤはイ・カボドの兄弟アヒトブの子であり、イ・カボドはシロで主の祭司を務めたエリの子ピネハスの子である。兵もヨナタンが出て行ったことを知らなかった。
4
 ヨナタンがペリシテ人の本隊のところへ渡って行こうとした渡しは、こちら側にも、向かい側にも切り立った岩があり、向かいの岩はボツェツと呼ばれ、こちら側の岩はセンネと呼ばれていた。
5
 一つの岩はミクマスに面して北側に、他はゲバに面して南側にあった。
6
 ヨナタンは武器を持つ従者に言った。「さあ、あの無割礼の者たちの本隊のところへ渡って行こう。恐らく主は我々に味方してくださるであろう。主が救いをもたらすのに、人数の大小は問題ではない。」
7
 武器を持つ従者はヨナタンに言った。
「あなたの思いどおりになさってください。お供します。私はあなたと一心同体です。」
8
 ヨナタンは言った。
「よし。ではあの者たちのところへ渡って行って、我々の姿を見せよう。9 もし彼らが、『お前たちのところへ着くまでじっとしていろ』と言うなら、そこに立ち止まって、上って行くのはよそう。10 しかし、もし、彼らが『我々のところに上って来い』と言うなら、我々は上って行こう。それこそ、主が彼らを我々の手に渡してくださるしるしだ。」
11
 こうして、二人はペリシテ人の本隊に向かって姿を現した。すると、ペリシテ人は言った。「見ろ、ヘブライ人が身を隠していた穴から出て来たぞ。」
12
 先陣の兵士たちは、ヨナタンとその武器を持つ従者に向かって言った。
「上って来い。思い知らせてやろう。」
ヨナタンは武器を持つ従者に言った。
「私に続いて上りなさい。主は彼らをイスラエルの手に渡された。」
13
 ヨナタンは両手両足を使ってよじ上り、武器を持つ従者もその後に続いた。ヨナタンの前にペリシテ人は倒され、武器を持つ従者がその後からとどめを刺した。
14
 ヨナタンと武器を持つ従者が最初に討ち取った者はおよそ二十人で、それは一軛の牛が一日で耕す畑の半分ほどの場所で行われた。
15
 このため、恐怖が陣営でも野でも兵士全体に広がり、さらには、本隊も遊撃隊も恐怖に襲われた。地は震え、恐怖は極みに達した。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちキリスト者の戦いは霊の戦いです(エペソ612)が、主に信頼して戦い、勝利をおさめる者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月22日 (木)

詩篇106:24-26 主の約束を信ぜず、主に信頼する者たちの証言を信じない民/主の約束を信じない者ではなく主を信じて歩む者

 詩篇10624-26には次のように記されています。
24 ところが彼らは愛すべき地を侮(あなど)り、御言葉を信じず、25 天幕でつぶやき、主の声に聞き従わなかった。
26
 主は彼らに向かって手を上げ、荒れ野で彼らを倒すと誓った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所は、民数記13.14章に記されているカナンの地を偵察してきた者たち12人の内、不信仰者10人の言葉を受け入れたイスラエルの民の状態と、それにたいする神ヤハウェ(主)の裁きについて記されています。

 24.25節には“ところが彼らは愛すべき地を侮り、御言葉を信じず、25 天幕でつぶやき、主の声に聞き従わなかった。”とあります。

聖書協会共同訳、新共同訳が「愛すべき地」と訳した個所を、2017は「尊い地」、新改訳初版~第三版と口語訳は「麗しい地」と訳しています。そのように訳されているヘブライ語原語は「エレツ(地) ヘムダー」で、「ヘムダー」には、喜ばせる、楽しませる、快い、高価な、貴重な、愛しい、・・・等の意があります。

 神様は、カナンの地を「愛すべき地」「麗しい地」「尊い地」と言われたのですが、荒野を旅しているイスラエルのほとんどの民は、その言葉を信ぜず、さげすんだのです。

 上述したように、「麗しい地」とはカナンの地のことで、エジプトにおいて神様がモーセに現れ、モーセを召し、モーセを派遣するにあたって最初に約束された地なのです。
 出エジプト37-10には、
“7
 主は言われた。「私は、エジプトにおける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに知った。
8
 それで、私は降って行って、私の民をエジプトの手から救い出し、その地から、豊かで広い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘト人〔ヒッタイト人(2017)〕、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、そしてエブス人の住む所に導き上る
9
 今、イスラエルの人々の叫びが私のもとに届いた。私はエジプト人が彼らを虐げているのを目の当たりにした。
10
 さあ行け。私はあなたをファラオのもとに遣わす。私の民、イスラエルの人々をエジプトから導き出しなさい。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 8節に記されてある地は、神様がアブラハムに与えると約束した地であり、創世記1513-1618-21には、神様がアブラハムに次のように語られたことが記されています。
「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。ここに戻って来るのは、四代目の者たちである。それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。」/
「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、カイン人〔ケニ人(新改訳)〕、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人〔ヒッタイト人(2017)〕、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える。」(新共同訳)とあります。
この契約は、更にアブラハムの子孫のイサク、ヤコブに継承されていったのです。

 10624-26の箇所は、前述しましたが、民数紀13.14章に記されています。
この出来事は、エジプトを出て2年目に入ってからのことだろうと思います。

 神様は、イスラエルの部族長達12人にカナンの地を探らせよ、とモーセに命じました。(民131.2
部族長たち斥候は偵察に40日間を費やしました(民1317-25)。

 部族長たち斥候の報告の中で良かった内容は、「そこはまことに乳と蜜の流れる地でした。これがそこの果実です。」(民1327・聖書協会共同訳)というものであり、「これがそこの果実です。」と見せた物は、民1323に「彼らはエシュコルの谷まで行き、一房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒で担いで二人で運んだ。また、ざくろといちじくも取った。」(聖書協会共同訳)と記されている大きなブドウやザクロ、イチジクであったのです。

 12人の部族長たちの内の10人が、それに加えて語った内容は次に記すように不信仰に満ちた大変悪い内容でした。
「・・・、その地に住む民は強く、町は城壁に囲まれ、とても大きいのです。私たちはそこでアナク人〔巨人で強い(筆者挿入)〕の子孫さえも見ました。ネゲブの地にはアマレク人が住み、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人が住み、海辺とヨルダンの岸辺にはカナン人が住んでいます。」(民1328.29・聖書協会共同訳)と記されています。
斥候の12人の内の10人は、恐らく、とてもその地を征服することなど出来ないよ、というような表情や態度でモーセと全ての民に対して語ったのでしょう。

 これに対して、神様が約束された御言葉を信じ、神様に信頼している二人の部族長であるカレブとヨシュア(ホセア)のうちのカレブが、不信仰に満ちた部族長たちの言葉に反対して、「私たちはぜひとも上って行くべきです。そこを手に入れましょう。私たちには必ずできます。」(民1330・聖書協会共同訳)と語ったのです。

 しかし、斥候として行った内の不信仰な10人の部族長たちは、「いや、あの民に向かって上ることなどできません。彼らは私たちよりも強いからです」(民数記1331・聖書協会共同訳)と言いました。
そして、偵察した地について、イスラエルの人々の間に悪い噂を広めて「私たちが偵察のために行き巡った地は、そこに住もうとする者を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民は皆、巨人だった。私たちはそこでネフィリムを見た。アナク人はネフィリムの出身なのだ。私たちの目には自分がばったのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。」(民1332.33・聖書協会共同訳)と言って、カレブの言葉を打ち消し、カナンの地には巨人がいて私達を打ち滅ぼしてしまうと不信仰の種を全員に撒き散らしたのです。

 この報告を聞いたイスラエルの民はどのような反応をしたのでしょうか?
神様を信頼したのか、或いは、不信仰の種を大きく成長させたのか?

 イスラエルの民の反応、言動が民数記141-4に次のように記されています。
“1
 全会衆は声を上げて叫び、民はその夜、泣き通した。
2
 イスラエルの人々は皆、モーセとアロンに向かって不平を言い、全会衆が彼らに言った。
「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。この荒れ野で死んでいたらよかったのに。3 どうして、主は私たちをこの地に連れて来て、剣に倒れさせようとするのだろうか。私たちの妻も幼子も奪われてしまうだろう。エジプトに帰ったほうがましではないか。」
4
 そして互いに「さあ、頭を立てて、エジプトへ帰ろう」と言い合った。(聖書協会共同訳)とあります。
 
 イスラエルの民は、1年少し前に、神様が行なったエジプトに対する10の災いを見、更に、紅海の海水を左右に分けて渡らせてくださったことを体験し、荒野に入ってからは、神様が、マナを与え続けて下さっておられること、肉を食べたいと言ったらウズラを驚くほど多く飛んで来させられて与えてくださったこと等々と、わずかの間に驚くべき神様の御業を体験していました。
更に雲の柱、火の柱の中に神様が臨在され、守り導いてくださっておられる、ということも体験してきているのです。

 しかし、イスラエルの民は、10人の族長たちから、巨人ネフィリムに滅ぼされてしまうだろう、との話を聞き、不信仰で一杯になってしまったのです。

 それに対して、ヨシュアとカレブはイスラエルの民を神様に対する信仰に立たせようと励ましました。
 民147-9には、「私たちが偵察のために行き巡った地は、実に良い地でした。もし、私たちが主の御心に適うなら、主は私たちをあの地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる地を私たちに与えてくださるでしょう。ただ、主に逆らってはなりません。その地の民を恐れてもなりません。彼らは私たちの餌食にすぎないのですから。彼らを守るものは彼らから離れ去り〔彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。(2017)〕私たちには主が共におられます。彼らを恐れてはなりません。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 ヨシュアとカレブの励ましを聞いて、イスラエルの民は、信仰に立つどころか二人を石で打ち殺そうといいだしたのです(民1410)。

 この出来事に対して神様は次のように次のように語られました。
「この民はいつまで私を侮るのか。私が彼らのうちに行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまで私を信じないのか。私は疫病で彼らを打ち、彼らを捨てて、あなたを彼らよりも大いなる強い国民としよう。」(民1411.12・聖書協会共同訳)と記されています。

 詩篇の今日の個所には記されていませんが、神様の御言葉に対してモーセはとりなしの祈りをしました。
その祈りによって、出エジプトを果たし荒野を歩んできたイスラエルの民が直ちに滅びるということはなくなりました。
しかし、10人の斥候は疫病で死にました(民1437)。
またイスラエルの民の不信仰のゆえに、イスラエルは40年の間、荒野の生活を送らねばならなくなりました。そして、その間に20歳以上のイスラエルの民は、ヨシュアとカレブを除いて死に絶えたのです。
カナンの地に入っていくことの出来た者は、ヨシュアとカレブ、及びこの時点で、20歳未満のイスラエルの民でした。

 結局神様は、斥候として12人を使わされましたが、神様に対する信頼、不信頼に応じて個々に扱われたのです。

 キリスト者は、イエス・キリスト様を信じて救われ、永遠のいのちを与えられたのです。救いに与らせて頂いた後もすベてにおいて主に信頼して歩めたら幸いです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
ヨシュアとカレブのように主に信頼して歩んでいくことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月21日 (水)

黙示録9:12-21 人類の三分の一が死ぬ災い(第6のラッパ)

 黙示録912-21には次のように記されています。
12 第一の災いが過ぎ去った。見よ、この後、さらに二つの災いがやって来る。
13
 第六の天使がラッパを吹いた。すると、神の前にある金の祭壇の四本の角から一つの声が聞こえた。
14
 その声は、ラッパを持っている第六の天使に向かいこう言った。
「大河ユーフラテスのほとりにつながれている四人の天使〔堕天使(筆者挿入)〕を解き放ちなさい。」
15
 すると四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放たれた。彼らはその年、その月、その日、その時間のために備え置かれていたのである。
16
 騎兵の数は二億、私はその数を聞いた。
17
 私は幻の中で馬とそれに乗っている者たちを見たが、その様子はこうであった。彼らは、火の赤、青玉の青、硫黄の黄色の胸当てを着けており、馬の頭は獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄を吐いていた。
18
 その口から吐く火と煙と硫黄、この三つの災いで人間の三分の一が殺された。
19
 馬の力はその口と尾にあって、尾は蛇に似て頭があり、この頭で害を加えるのである。
20
 これらの災いに遭っても殺されずに生き残った人々は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、悪霊や、金、銀、銅、石、木で造った、 見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝むことをやめなかった。
21
 また彼らは、自分たちの犯した殺人やまじない、淫行や盗みについても、悔い改めようとしなかった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 巻物の第2から第4の封印が開かれたとき、その時に地上にいる四分の一の人が死にます(黙示録63-8)。
6の封印が開かれたときにもかなりの人がなくなるかもしれません。天変地異が起こりますから。(黙示録612-17
そして、第七の封印が開かれ、今回の第6のラッパがなるとその時の三分の一の人が亡くなるのです。
 第6のラッパが吹かれたときの災いは、第二の災いです。
18
節には“その口から吐く火と煙と硫黄、この三つの災いで人間の三分の一が殺された。”と記されています。
悪霊イナゴの時と同じように、今回も繋がれていた悪霊が解き放たれて起きる災いなのだろうと思いますが、悪霊によるものであれば、人間には、火と煙と硫黄が害を為して、その時の人口の三分の一が死んだとしかわからないでしょう。

 余談になりますが、ロシア、イラン、スーダン、リビア、トルコ等がイスラエルに攻めてくるというエゼキエル38.39章の預言における、主の裁きの道具は、大地震、同士討ち、疫病、豪雨、雹、火と硫黄、を用いると記されています。

 話しを元に戻します。
この災い(火と煙と硫黄による災い)に遭っても死なない人たちもいます。
しかし、せっかく生き残ったのに、神に立ち返ることをしないのです。
20.21
節には“これらの災いに遭っても殺されずに生き残った人々は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、悪霊や、金、銀、銅、石、木で造った、 見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝むことをやめなかった。また彼らは、自分たちの犯した殺人やまじない、淫行や盗みについても、悔い改めようとしなかった。”と記されています。
この災いによって生き残った人たちは回心すればよかったのです。

 今の恵みの時代、日本では、求めれば聖書を手にすることができ、罪とは何かを教えられ、どうしたら救われるのかを教えて頂いているのに、神様の恵みを受けようとはせず、光より闇を愛している人が大勢います。
残念なことです。
主イエス様は、イエス様を信じないこと、イエス様に信頼しないことが罪であり、それを教えてくれるのは聖霊であると語られました(ヨハネ168.9)。主イエス様を信じ、主イエス様に信頼し続けて歩むとき、罪々は離れていきます。主イエス様に信頼する人は、主イエス様が語られた御言葉にも信頼するはずです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
同じ災いに遭っても、「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」(詩篇119712017)と言う人もあれば、光の方には来ず闇を愛し続ける人もいます。
使徒ヨハネは「悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。」(ヨハネ3202017)と記しています。
私たちキリスト者がどうして救われたのか、本当に神様の恵み以外のものではありません。
ありがとうございます。
私たちは、あなたをほめたたえる者として存在しています(エペソ16.12.14)。
絶えず、すべてのことをあなたに感謝し、あなたを賛美しつつ歩む者であらせてください。
生きていると色々なことが起こります。
人間的な思いでは、とても感謝できないような場合でも、あなたは、あなたのご計画に従って召された人々のためには、すべてのことを益としてくださいます(ローマ828)から感謝します。
目先の幸いとは思えない事柄にとらわれることなく、しかしそれについても主にあって熟考しつつ、常に主がもたらしてくださる最終的な祝福を望みつつ歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月20日 (火)

黙示録19:5-9 子羊である花婿キリストと花嫁教会との婚礼と婚宴

 黙示録195-9には次のように記されています。
5 また、玉座から声がして、こう言った。
「すべて神の僕たちよ。神を畏れる者たちよ。小さな者も大きな者も、私たちの神をたたえよ。」
6
 また私は、大群衆の声〔大群衆の声のような(2017)〕、大水のとどろき〔大水のとどろきのような(2017)〕、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。全能者である神、主が王となられた。
7
 私たちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。
小羊の婚礼〔ギリシア語原語は「ガモス」(筆者挿入)〕の日が来て、花嫁〔ギリシア語原語は「グネー」で妻の意もあり(筆者挿入)〕は支度を整え、8 輝く清い上質の亜麻布を身にまとった。この上質の亜麻布とは、聖なる者たちの正しい行いである。」
9
 それから、天使は私に、「書き記せ。小羊の婚礼の祝宴〔ギリシア語原語は「デイプノン(祝宴) ガモス」(筆者挿入)〕に招かれている者は幸いだ」と言い、また、「これらは、神の真実の言葉である」とも言った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 携挙から結婚式までには約7年あるのではないかと思います。
その理由の一部として次のようなことをあげておきます。
①キリストの千年王国における祭司としての働きの整えのための準備期間
レビ833には、“また、あなたがたの任職の期間が終了する日までの七日間〔7のヨミーム。「ヨミーム」は「ヨーム」の複数形(筆者挿入)〕は、会見の天幕の入り口から出てはならない。あなたがたを祭司職に任命するには七日を要するからである。”(2017)と記されていますから。〔「七日」の「日」と訳されている語のヘブライ語原語「ヨーム」は、「日」の他「年」という意で訳される場合もあります。
②大患難時代は前半の三年半(1260日)+後半の三年半(1260日、一時と二時と半時)という前半と後半の7年間からなっています(黙示録113126、ダニエル725、ダニエル127、黙示録1214)。
③ダニエル927 「一週」〔「一週」は「七年」とも訳せます。Strong辞書に「シャーバー」は、“literally sevened, that is, a week (specifically of years): - seven, week.”とあります(筆者挿入)〕
④携挙された人は地上における7年間の御怒り(神の怒り、天罰)の期間(7つの封印がしてある巻物の裁きの期間)を地上で生活しません。携挙された人は、大患難時代を天で過ごします。
1
テサロニケ59には“神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。”(2017)とあり、
1
テサロニケ110をリビングバイブルは“・・・この神の子こそ、神が死者の中から復活させたイエスであり、罪に対する神の恐るべき怒りから救い出してくださる、唯一の救い主なのです。”と意訳しています。

 キリストの花嫁とは霊的な教会です。
エペソ522-33には夫と妻の在り方について述べていますが、その本質は花婿キリストと花嫁教会のことを次の様に言っています。
24 教会がキリストに従うように、妻〔ギリシア語原語は「グネー」(筆者挿入)〕もすべてにおいて夫に従いなさい。
25
・・・キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をささげられたように・・・妻を愛しなさい。/
32
この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。”(2017)と記されています。

 バプテスマのヨハネの言葉に次のようなものがあります。
「花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。」(ヨハネ3292017

 婚礼について、聖書辞典には次のような記述があります。
“婚礼 〈ギ〉ガモス。ヨハ2:1‐2で「婚礼」と訳されている。ほかに「結婚」(ヘブ13:4)、「婚姻」(黙19:7)とも訳される。聖書には、ユダヤで結婚式がどのような内容で、どう運ばれたかという記述はきわめて少ない。
 一般にユダヤでは結婚式は春の麦刈り後と秋のぶどうの収穫の後に行われた。挙式当日の夕刻、花婿は冠をいただき、盛装し、贈物を持って友人や兄弟が打ち鳴らす太鼓や楽器と共に花嫁の家に行く(雅3:11,イザ61:10)。花嫁も盛装し、友人に取り巻かれ、迎えに来た花婿と共に、行列の到着を待ち受ける花婿の実家に向かう。婚宴は盛大に、普通1週間続き、ある場合は2週間に及ぶこともあった。婚宴に招待されることは名誉であり、これを拒絶することは非常に失礼なことであった。名士や友人、隣人だけでなく、貧しい人々を招待する場合もあった(マタ22:3‐9)。”とあります。

 9節には“それから、天使は私に、「書き記せ。小羊の婚礼の祝宴〔ギリシア語原語は「デイプノン(祝宴) ガモス」(筆者挿入)〕に招かれている者は幸いだ」と言い、また、「これらは、神の真実の言葉である」とも言った。”(聖書協会共同訳)とありますが、花嫁は、婚宴に人々を招く側です。
艱難時代の聖徒の中には、私たちが携挙される前に祈り続けて来た人たちもいると思います。おそらくその人たちも婚礼の祝宴にお招きできるのでしょう。そのように思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは恵みの上に恵みを、祝福の上に祝福を与えてくださっておられるお方です。
いくら感謝しても感謝しきれません。
ハレルヤ
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月19日 (月)

箴言27:23-27 主に委ねられている物に対する管理責任/神の約束と人の責任

 箴言2723-27には次のように記されています。
23 あなたの羊の様子をよく知り、群れに心を向けよ。
24
 富はとこしえに続くものではなく、冠も代々に継がれるものではない。
25
 草を刈り取ると、また青草が伸び、山々の牧草は集められる。
26
 小羊はあなたの衣服に、雄山羊は畑の代価になる。
27
 雌山羊の乳は、あなたの食物、家族の食物に十分で、あなたに仕える若い女たちを養う。”(聖書協会共同訳)とあります。

 リビングバイブルは次の様に意訳しています。
23.24 財産はすぐなくなり、王位はいつまでも続きはしません。だから収入や、家畜の状態を知っておきなさい。
25-27
牧草を刈り取り、二番草も刈り取ったあと、山の草を集めなさい。そうすれば、子羊の毛もやぎの乳も十分に取れ、家族の生活に困りません。”とあります。

 Bible navi の適用注解は、この個所に関して次のように述べています。
“人生は不確かであるゆえに、私たちはみな、将来の備えにさらに熱心にならなければならない。見通しをもって行動し、家庭、家族、仕事に対して責任を持って注意を払うべきである。
土地と群れを持つ農夫のような、信頼できる管理人となるべきである。先のことを考えることは、神の民にとって、選択肢ではなく義務なのだ。”とあります。

 Bible navi のこの個所の適用注解に疑問を持つ人もいるかもしれません。
そのような人は次のような諸聖句を持ち出すかもしれません。

 主イエス様は次の様に語られたことがマタイ6章に記されています。
25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また体のことで何を着ようかと思い煩うな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
26
 空の鳥を見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。まして、あなたがたは、鳥よりも優れた者ではないか。
27
 あなたがたのうちの誰が、思い煩ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。
28
 なぜ、衣服のことで思い煩うのか。野の花がどのように育つのか、よく学びなさい。働きもせず、紡ぎもしない。
29
 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
30
 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
31
 だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。
32
 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたがたに必要なことをご存じである。
33
 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。〔リビングバイブルは「神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。」と意訳しています。(筆者挿入)〕
34
 だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である。」〔リビングバイブルは「明日のことを心配するのはやめなさい。神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生きなさい。」と意訳しています。(筆者挿入)〕”(マタイ6章・聖書協会共同訳)という主イエス様の御言葉です。

 またへブル135には“金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。”(新共同訳)と記されています。

 1テモテ68には“食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。”(新共同訳)と記されています。

 またピリピ4章には、パウロの体験と勧めが次のように記されています。
11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。
12
私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
19
また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。〔わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって{キリスト・イエスの中で(筆者挿入)}満たして下さるであろう。(口語訳)〕”(2017)とあります。

 また“だれに対しても、何の借りもあってはいけません。”(ローマ138a2017)というような聖句もあります。

 ルカ16章に次のような主イエス様の御言葉があります。
9 そこで、私は言っておくが、不正の富〔あてにならない富=この世の富(筆者挿入)〕で友達を作りなさい。そうすれば、富がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。
10
 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
11
 だから、不正の富について忠実でなければ、誰があなたがたに真実なものを任せるだろうか。
12
 また、他人のものについて忠実でなければ、誰があなたがたのものを与えてくれるだろうか。
13
 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を疎(うと)んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 「不正の」と訳されている語のギリシア語原語は「アディコス」で、不正な、不公平な、という意の他に、あてにならない、裏切りをする、等の意もあります。
私は、この世の富は「あてにならない富」であると思っています。
もし広範囲な大地震、大洪水、火災、その他の大災害に襲われたとしたら、この世の富はあてにならない富だと思うと思います。
特に黙示録に記されている神の怒り(御怒り)が発動されたら、この世の富はあてになりません。
高度なインフレになれば、お金の価値は大暴落します。
株や債券も大暴落すれば大損失をこうむります。
この世の富は、あてにならない富なのです。 
しかし、主イエス様は、この世の富に対しても忠実に、またこの世の富を主のために上手に用いるように、と勧めているように思います。

 肉体を持っている間は、この世で生きていかなければなりません。
いくらこの世の富があてにならないとしても、主が与えてくださった能力や様々なものを用いて自活し(2テサロニケ36-12)、また上手に管理して生活していく必要があるのです。
罪が入ってくる前から、神様は、アダムに仕事を与えています(創世記128215)。

 しかし、収入の道が途絶えたとしても、主が養ってくださるという約束があります{フィリピ(ピリピ)419
ただし、収入の道が途絶えたのでないにもかかわらず、すなわち仕事をすれば収入が得られるという状態にある場合には、仕事をして糧を得る必要があるでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主の内にある者として、主に在ってふさわしい生活をしていくことができますように。
あなたが私たちを地上に置かれている間、あなたは何らかの方法で私たちの必要を満たしてくださいますから感謝します。
天にあるもの、地にあるもののすべてを保有しておられますあなたの御名を賛美します。
いつでもあなたに信頼して歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月18日 (日)

詩篇106:19-23 金の子牛事件/主に在りて生きる

 詩篇10619-23には次のように記されています。
19 彼らはホレブで子牛を造り、鋳物の像に向かってひれ伏した。
20
 自分たちの栄光を、草を食(は)む牛の像と取り替え、
21
 自分たちを救った神、エジプトで大いなる業(わざ)を行った方を忘れた。
22
 ハムの地で奇しき業を、葦の海で恐るべき業を行った方を忘れた。
23
 主は言われた、「彼らを滅ぼそう」と。
しかし、主に選ばれたモーセは、主の前で破れ目に立ち、滅ぼそうとする主の憤りをそらせた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ホレブとシナイについて、聖書辞典は次のように述べています。
“ホレブ (〈ヘ〉horeb) 「乾燥した場所」という意味。モーセが神から律法を与えられた山(申4:10‐15,5:2,Ⅰ8:9)。この山は神の山と呼ばれ(出3:1,18:5)、エリヤもここで神から啓示を受けた(19:8)。ホレブとシナイは、聖書の中で特に区別されずに使われているように思われる。たとえばホレブは出17:6,1:6,Ⅰ8:9,19:8,Ⅱ5:10.シナイは出19:11,24:16,31:18,レビ7:38,25:1,33:2,5:5など。これについて、ホレブは山脈名、シナイは頂上名、あるいは、ホレブは北方の低い山脈部分でシナイは南方の高い頂上の部分を指す、またはホレブはシナイ山の低い部分、などと区別する人もあれば、両者は全く同じ山を指していると考える者もいる。後者の中には、別の山だとする特別な理由はないゆえに同じ山であるとする人と、それぞれの固有の呼称を用いた別の資料が反映されているだけで、結局は同じ山のことであるとする者がいる。”とあります。

 この出来事は、出エジプト記32章に次のように記されています。
“1
 モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民はアロンのもとに集まって言った。
「さあ、私たちに先立って進む神々を私たちのために造ってください。私たちをエジプトの地から導き上った人、あのモーセがどうなったのか、分からないからです。」
2
 アロンは彼らに言った。「あなたがたの妻、息子、娘の金の耳輪を外し、私のところに持って来なさい。」
3
 すると民は皆、耳にある金の輪を外し、アロンのところに持って来た。
4
 アロンは彼らの手からそれを受け取り、のみで型を彫り、子牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これがあなたの神だ。これがあなたをエジプトの地から導き上ったのだ」と言った。
5
 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築き、「明日は主の祭りである」と宣言した。
6
 彼らは翌朝早く起き、焼き尽くすいけにえを献げ、会食のいけにえを献げた。民は、座っては食べて飲み、立っては戯れた。(聖書協会共同訳)とあります。

 この出来事の少し前に何があったかというと、イスラエルの民に十戒{原語の直訳は「十の言葉」(出エジプト3428、申命記413)}が与えられたのです。それはエジプトを出てから3ヶ月と少ししかたっていない頃でした(出エ191)。
 十戒の初めで神様は、
“1
 それから神は、これらすべての言葉を告げられた。
2
 「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
3
 あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない。
4
 あなたは自分のために彫像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水にあるものの、いかなる形も造ってはならない。(出エジプト記・聖書協会共同訳)と語られたのです。

 神様の御命令(律法)は、その後も続きました。
その後で、イスラエルの民はみな声を一つにして答えて、「主が語られた言葉をすべて行います」(出エジプト243)と言ったのです。

 その少し後にモーセはシナイ山に上り、40日間留まったのです。
イスラエルの民は指導者モーセのいない40日間を待つことが出来ませんでした。
そして、前記したように「さあ、私たちに先立って進む神々を私たちのために造ってください。私たちをエジプトの地から導き上った人、あのモーセがどうなったのか、分からないからです。」(出エ321・聖書協会共同訳)とアロンに言い、アロンも金の子牛を造ったのです。

 エジプトに神様が下された10の災い、また紅海の水が分かれて、イスラエルの民は海底を歩いて渡れたこと、しかし、イスラエルの民を追ってきたエジプトの軍勢は主によって海水が戻されたので皆おぼれ死んだこと等を体験しました。
 その後、神様がイスラエルに十戒を基本とする様々な律法を授けてくださり、イスラエルの民は、「(主との契約を)みな行います。」と答えました(出エジプト243)。
それからいくらもたたない内に、モーセがシナイ山に登って帰って来ないからという理由で、神様に約束した十戒の第1と2の戒めを破ったのです。

 シナイ山において、モーセに様々な教えを授けていた神様は、イスラエルの民が金の子牛の前に祭壇を築き、焼き尽くすいけにえ(全焼のいけにえ)をささげ、会食のいけにえ(交わりのいけにえ、和解のいけにえ)をささげて、飲み食いし、戯れたのを見ました。
そこで主は、モーセに次のように言われたのです。
“7
 ・・・。「急いで下(くだ)りなさい。あなたがエジプトの地から導き上った民は堕落してしまった。8 彼らは早くも私の命じた道からそれて、子牛の鋳像を造り、これにひれ伏し、いけにえを献げ、『イスラエルよ、これがあなたの神だ。これがあなたをエジプトの地から導き上ったのだ』と言っている。」
9
 ・・。「私はこの民を見た。なんとかたくなな民だろう。
10
 私を止めてはならない。私の怒りは彼らに対して燃え、彼らを滅ぼし尽くす。しかし、私はあなたを大いなる国民とする。」(出エジプト32章・聖書協会共同訳)と記されています。

 この神様の御言葉に対してモーセは、主に対する愛と民に対する愛の故に、主に次の様に嘆願しました。
“11
・・・。「主よ、なぜあなたの怒りがご自分の民に燃えるのですか。大いなる力と強い手によってあなたがエジプトの地から導き出された民ではありませんか。
12
 どうしてエジプト人に、『あの神は悪意をもって彼らを導き出し、山の上で彼らを殺し、地の面から滅ぼし尽くした』と言わせてよいでしょう。
燃える怒りを収め、ご自分の民に下す災いを思い直してください。
13
 あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたは彼らに自ら誓い、『私はあなたがたの子孫を増やして空の星のようにする。また、私が約束したこの地をすべて、あなたがたの子孫に与え、とこしえにこれを受け継がせる』と告げられました。主よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から連れ出されたご自分の民に向かって、どうして、あなたは御怒りを燃やされるのですか。」(出エジプト記・聖書協会共同訳)と記されています。

 モーセのこの嘆願の祈りを聞いた主は、その民に下すと仰せられた災いを思い直されたのです(出エジプト3214)。

 翌日のことが出エジプト3230-35に次のように記されています。
“30
 翌日になって、モーセは民に言った。
「あなたがたは大きな罪を犯した。今私は、主のもとに登って行く。もしかすると私は、あなたがたの罪のために贖いをすることができるかもしれない。」
 31 モーセは主のもとに戻って言った。
「ああ、この民は大きな罪を犯しました。自分のために金の神々を造ったのです。32 今もし彼らの罪をお赦しくださるのであれば……
しかし、もしそれがかなわないなら、どうぞあなたが書き記された書〔おそらく「いのちの書」(筆者挿入)〕から私を消し去ってください。」
 33 主はモーセに言われた。「私に罪を犯した者は誰でも、私の書から消し去る。
34
 しかし今、私があなたに告げた所に民を導きなさい。その時、私の使いがあなたの先を行く。裁きの日に、私は彼らの罪を罰する。」
35
 主は民を打たれた。アロンが造った子牛に対して彼らが行ったことのためである。(出エジプト32章・聖書協会共同訳)とあります。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは主なる神です。
あなたの代わりに偶像を礼拝してしまうことがありませんように。
偶像礼拝を物質的にではなく霊的に捉えると、あなた以外を第一とすること自体が偶像礼拝であることを覚えます。
主イエス様が、「まず神の国と神の義とを求めなさい。」(マタイ633・聖書協会共同訳)と命じられたように、いつもあなたを第一とした歩みをし続けていくことが出来ますように。
パウロは聖霊によって、「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現わすためにしなさい。」(1コリント10312017)と述べましたが、少なくともあなたに感謝し、あなたを賛美して歩む者であらせて下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・
(コロサイ35.6“5 だから、地上の体に属するもの、すなわち、淫らな行い、汚れた行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかなりません。6 これらのことのために、神の怒りが不従順の子らの上に下るのです。(聖書協会共同訳) 
(ガラテヤ524.25)“24 キリスト・イエスに属する者は〔「キリスト・イエスのものとなった人たちは」(新共同訳)〕、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。25 私たちは霊によって生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか〔If we live in the Spirit, let us also walk in the Spirit.(KJV)〕。”(聖書協会共同訳)

2024年2月17日 (土)

黙示録8:13-9:11 死にたいほど苦しいのに死ぬことの出来ない5か月間/信仰と希望と愛の内に生きる

 黙示録813-912には次のように記されています。
8:13 また、見ていると、一羽の鷲が空高く飛びながら、大声でこう言うのを私は聞いた。「災いあれ、災いあれ、災いあれ、地に住む者たちに。なおも三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに。」
9:1
 第五の天使がラッパを吹いた。すると、私は、一つの星が天から地上に落ちるのを見た。この星には、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられた。
2
 その星が底なしの淵の穴を開くと、大きな炉から出るような煙が立ち上り、太陽も空も穴から出る煙で暗くなった。
3
 その煙の中から、ばった〔ほとんどの日本語訳聖書は「イナゴ」(筆者挿入)〕の群れが地上へ出て来た。これらのばったには、地上のさそりが持っているような力が与えられた。
4
 ばったは、どんな地の草も青草も木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印のない者には害を加えてもよい、と言い渡された。
5
 殺してはならないが、五か月の間、苦しめることは許されたのである。ばったの与える苦痛は、さそりが人を刺したときのような苦痛であった。
6
 その間、人々は死を求めても与えられず、死を切に望んでも、死のほうが逃げて行く。
7
 そのばった〔ほとんどの日本語訳聖書は「イナゴ」(筆者挿入)〕の姿は出陣の用意の整った馬に似て、頭には金の冠のようなものを着け、顔は人間の顔のようであった。
8
 髪は女の髪のようで、歯は獅子の歯のようであった。
9
 胸には鉄の胸当てのようなものを着け、その羽音は、多くの馬に引かれて戦場へとひた走る戦車のとどろきのようであった。
10
 また、さそりのような尾と針があり、その尾には、五か月の間、人に害を加える力があった。
11
 ばった〔ほとんどの日本語訳聖書は「イナゴ」(筆者挿入)〕は、底なしの淵の天使を王として戴いている。その名は、ヘブライ語でアバドンと言い、ギリシア語ではアポリオンと言う。
12
 第一の災いが過ぎ去った。見よ、この後、さらに二つの災いがやって来る。”(聖書協会共同訳)とあります。

 災いが更に3つあると天使は言います(黙示録813)。
この3つの災いは、厳しい御怒り(神の怒り=罰)です。
その最初のものが、第五のラッパが吹かれたときに登場する悪霊バッタorイナゴによる災害です。

 「バッタ」or「イナゴ」と訳されている語のギリシア語原語は「アクリス」で、どちらの意もあります。

 「底なしの淵」(黙示録91.2.11)とは、悪しき霊が閉じ込められている獄でしょう。
ルカ826-39、特に31節を参照してください。
1.2
節の「底なしの淵」というギリシア語原語は、「フレアル(穴) アブソス(底なし、奈落の底、地獄)」という2語からなるギリシア語です。11節の方は「アブソス(底なし、奈落の底、地獄)」のみです。

 主は、神であり人となられたイエス・キリストを信じない者たちへの裁きを執行するために、悪霊たちが暴れ回ることを許可したのであろうと思います(黙示録94)。

 「フレアル アブソス」(底なしの淵)の天使の名は、「ヘブライ語でアバドンと言い、ギリシア語ではアポリオンと言う。」(11)と記されています。
アバドン、アポリオンは「破壊者」という意です。これはサタン(悪魔)のことです。
この天使は、ギリシア語聖書では「ホ アンゲロス」と記され、英語にすると、the angelで、定冠詞付きです。
「天使」と記されていますが、「明けの明星」(ヘブライ語で「ヘイレル」英語で「ルシファー」)と呼ばれる元大天使であり、堕罪した天使です(イザヤ1412-15参照)。

 ヨハネは、これらの映像を見ましたが、地上の人々には、悪霊は見えないと思います。
ですから、ここに記されている事象だけを体験するのでしょう。
 その内容は、死にたいほどの苦痛を味わい続けるが死ぬことができない、というものです。これが5か月間も続くのです。(5.6
おそらく、未知の病、として報道されるのではないかと思います。 

 この害を受ける者は「額に神の刻印のない者」に対してです。
4
節に「額に神の刻印のない者には害を加えてもよい」と記されています。
このようなところからも、この災いは、神の御怒りであることがわかります。

 話は変わりますが、1テサロニケ59には、
“神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。”(2017)と記されています。

 1テサロニケ5章には、携挙される者たちについて、「〔あなたがたは、(筆者挿入)〕御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったから」次のように生きなさい、という勧めが8-22節に次のように記されています。
 “8 ・・、わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。
9
神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。
10
主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。
11
ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。
12
兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として〔主にあって(2017)〕導き戒めている人々を重んじ、
13
また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい。
14
兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。
15
だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。
16
いつも喜んでいなさい。
17
絶えず祈りなさい。
18
どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
19 “
〔神の霊(筆者挿入)「御霊」(口語訳、新改訳〕の火を消してはいけません。
19節を2017は「御霊を消してはいけません」と訳しています。新生した人の内から御霊はいなくならないので、新共同訳は「霊の火」と解釈して訳したのではないかと推測します。(筆者挿入)〕
20
預言を軽んじてはいけません。
21
すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。
22
あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。”(新共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたがキリスト・イエスにおいて私たちに望んでおられるように、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝し、平和を保ち、悪に対して悪を返さず善を行い、主にある者を重んじ、弱いものを助け、気落ちしている者を励まし、怠けている者たちを立ち返らせ、信仰と希望と愛をもって歩んでいくことができますようお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・
<追記>
続く1テサロニケ523.24には、
“どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。
また、あなたがたの霊〔プニューマ(筆者挿入)〕と心〔新改訳は「魂」=プシュケー(筆者挿入)〕と体〔ソーマ(筆者挿入)〕とを完全に守り、私たちの主イエス・キリストが来られるとき、非の打ちどころのない者としてくださいますように。
あなたがたをお招きになった方は、真実な方で、必ずそのとおりにしてくださいます。”(聖書協会共同訳)と記されています。

2024年2月16日 (金)

黙示録19:1-4 主の僕らの殉教時に流された血に対する主の復讐に対して天では賛美が湧き起る

 黙示録191-4には次のように記されています。
1 その後、私は、大群衆のどよめきのようなものが、天でこう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。救いと栄光と力は、私たちの神のもの。2 その裁きは真実で正しい。神は、淫らな行いで地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、僕たちの流した血の復讐を彼女になさったからである。」
3
 また、こうも言った。
「ハレルヤ。彼女が焼かれる煙は世々限りなく立ち上る。」
4
 そこで、二十四人の長老と四つの生き物とはひれ伏して、玉座におられる神を礼拝して言った。
「アーメン、ハレルヤ。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 携挙されたキリスト者は、黙示録6-18章には出てきません。
その間、携挙されたキリスト者は天の神の王国にいるのです。
イザヤ2620には「さあ、私の民よ。あなたの部屋に入り、うしろの戸を閉じよ。憤りが過ぎるまで、ほんのしばらく身を隠せ。」(2017)と記されています。

 イザヤ2620.21には次のように預言されています。
20 さあ、私の民よ、自分の部屋に入れ。背後の戸を閉めて、しばらくの間、隠れよ。憤りが過ぎ去るまで。
21
 見よ、主はその住まいを出て、その地に住む者の悪を罰せられる。地はそこで流された血をあらわにし、もはやそこで殺された者を隠そうとはしない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 天にいる大群衆は、「ハレルヤ。救いと栄光と力は、私たちの神のもの。2 その裁きは真実で正しい。神は、淫らな行いで地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、僕(しもべ)たちの流した血の復讐を彼女になさったからである。
ハレルヤ。彼女が焼かれる煙は世々限りなく立ち上る。」と賛美するのです。

 長老たちとは、携挙されたキリスト者の代表たちであろうと想像します。
おそらく携挙された者たちは、艱難時代の聖徒の賛美を、天の四つの生き物と共に聞くのです。
そして、玉座におられる神に「アーメン、ハレルヤ。」と言って、礼拝するのです。


 ここに登場する大群衆は、大患難時代に殉教した人たちであると思います。
黙示録79-17には、この個所の大群衆と思われる人々について、次のように記されています。
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。
10
 彼らは声高らかに言った。
「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
 また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が、世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」/
14
〔白い衣を身にまとった(筆者挿入)〕「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。
この個所に登場する「長老たち」とはキリスト者の代表ではないかと想像します。

 黙示録192に記されている「大淫婦」とは、大患難時代前半に力を振るう、世界統一宗教のリーダーであろうと思います。
この者は、イエスがキリストであると信じ告白する者の血を流して、それに酔いしれているのです(黙示録176)。
脱線しますが、少し前のこと、ISISは、キリスト者の首を切って、血を流していたのを映像で見ました。大淫婦もそのようなことをするのでしょう。
艱難時代の聖徒は、非常に多いですから、大淫婦は、ギロチンのようなもので、次々と主イエスの証人を殺すのかもしれません。想像ですが。

 黙示録171-6には、大淫婦についての説明が次のように記されています。
1 さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、私に語りかけた。
「ここへ来なさい。大水〔異邦人世界(筆者挿入)〕の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。
2
 地上の王たちは、この女と淫らなことをし、地上に住む人々は、彼女の淫行のぶどう酒に酔いしれている。」
3
 それから天使は、霊に満たされた私を荒れ野に連れて行った。すると私は、深紅の獣〔世界統治者(筆者挿入)〕の上に座っている一人の女〔大淫婦、すなわち全世界の宗教指導者(筆者挿入)〕を見た。この獣は、神を冒瀆する数々の名で覆われ、七つの頭と十本の角を持っていた〔世界を支配していた(筆者挿入)〕。
4
 女〔大淫婦。時の宗教界のリーダー(筆者挿入)〕は紫と深紅の衣をまとい、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分の淫行の汚れに満ちた金の杯を手に持っていた。5 その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、淫らな女や地上の忌まわしい者たち〔偶像礼拝者たち(筆者挿入)〕の母」という名である。
6
 私は、この女〔大淫婦(筆者挿入)〕が聖なる者の血と、イエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見て、私は非常に驚いた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 霊的な姦淫とは、本来はキリストやキリストの父なる神を崇拝していたものが、他の神々すなわち悪しき霊たちと交わりを持つ、ということです。
 使徒ヨハネは、何故、大淫婦を見て驚いたのでしょうか。
おそらく、元キリスト教会のトップの座にあったような人が大患難時代の世界統一宗教のリーダーになり、その上、イエス様を信じる者の血を流し、その血に酔いしれていたからかも知れません。

 大淫婦と呼ばれていますから、この者は、使徒412の「この方〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(2017)というような聖句を捨て去っているのです。
ヨハネ169には、罪とは、キリスト・イエスを信じないことですよ、と記されています。
しかし、これを霊的に理解し、信じることができるのは聖霊によるのです(ヨハネ1681コリント123)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは私達新生したキリスト者を携挙してくださり、また、携挙された者たちは、大患難時代を体験しませんが、大患難時代にもあなたを証しする数多くの人々を備えておられることを覚えます。
常に、主の御名が崇められますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月15日 (木)

箴言27:23 主に在る兄姉たちに心を向ける/兄姉たちのために祈りましょう

 箴言2723を、
2017
は“あなたの羊の様子をよく知り、群れを心に留めておけ。”と訳し、
聖書協会共同訳は“あなたの羊の様子をよく知り、群れに心を向けよ。”と訳しています。

 箴言2723-27は、神の民は地上の生活においても良き管理人である必要がありますよ、と教えてくれている個所ですが、今日は23節のみを取り上げて、それを霊的に捉えてみようと思います。

 ペテロは、主イエス様に「わたしの子羊を飼いなさい。」(ヨハネ21152017)、「わたしの羊を牧しなさい〔羊の世話をしなさい(聖書協会共同訳)〕。」(ヨハネ21162017)、「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネ21172017)と言われました。

 箴言2723には「あなたの羊」とありますが、霊的に捉える場合には、主があなたに委ねておられる主のひつじ、or主から委ねられた羊、ということになります。
キリストを信じている人で子供がいる人であれば、その子供は、主から委ねられたひつじと考えることもできるでしょう。

 ヨハネ2115.17の「飼う」と訳されている語のギリシア語原語は「ボスコ―」で、食べ物を与える、餌をやる、養う、・・等の意があります。
ヨハネ2116の「牧す」(2017)、「世話をする」(聖書協会共同訳)と訳されている語のギリシア語原語は「ポイマイノー」で、世話をする、看護する、番をする、食物を与える、養う、統治する、・・等の意があります。
{「統治する」についてですが、主はペテロを通して「群れの模範になりなさい」(1ペテロ532017)と教えらておられています。}

 現在の地域教会の制度では、普通は、その(ポイマイノーの)ような立場の人が立てられています。
しかし、それと共に、聖書の中には、「知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い」(コロサイ3162017)というような聖句や、「兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容でありなさい。」(1テサロニケ5142017)というように、一般信徒に対しても記されているのです。

 とはいえ、このように記されているからと言って、気になったことを何でも言ってよいというわけではありません。
言うことの出来る状態というものがあります。
忠告できる人は、愛に満たされ、主に整えられている状態にある人、ということになります。

 主イエス様は言われました。
「兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、どうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。」(マタイ74.52017)と記されています。
きよくされていない人の忠告は害になる可能性があることを教えられます。

 またパウロは、愛がなければむなしい、と述べています。
「・・・愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。・・・愛がないなら、私は無に等しいのです。・・・愛がなければ、何の役にも立ちません。」(1コリント131-32017)と記されています。

 話が変わりますが、キリスト者ならば、誰にでもできることがあります。
それは聖徒たち(主に在る兄姉たち)のために祈ることです。
エペソ(エフェソ)618には「すべての聖徒〔原語は複数形。すべてのがついているので「聖徒」で良いのですが(筆者挿入)〕のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」(2017)と記されています。

 主イエス様の羊は、御父から与えられた羊です。
ヨハネ1027-29には次のように記されています。
27 私の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らを知っており、彼らは私に従う。
28
 私は彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、また、彼らを私の手から奪う者はいない。
29
 私に彼らを与えてくださった父は、すべてのものより偉大であり、誰も彼らを父の手から奪うことはできない〔異本による(欄外注)〕。
29節を2017は「わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。」と訳しています。(筆者挿入)〕”(聖書協会共同訳)と記されています。

 キリストにある兄姉たちは、互いに御言葉により養いあい、祈り合い、悪魔の獅子的な攻撃や誘惑から互いに守られるようにして、共に主に在って歩み続けることが大切であることを教えられます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主に整えて頂いて、主に在って、主が望んでおられるような歩みをし続けていくことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月14日 (水)

詩篇106:16-18 主の主権を認めず主に立てられた者であるモーセを妬んだものへの裁き

 詩篇10616-18には次のように記されています。
16 彼らは宿営でモーセを、主の聖なる者アロンを妬んだ。
17
 地が開いてダタンを呑み込み、アビラムの仲間を覆った。
18
 火が彼らの仲間のうちで燃え上がり、炎が悪しき者を焼き尽くした。”(聖書協会共同訳)とあります。

 16節に“彼らは宿営でモーセを、主の聖なる者アロンを妬んだ。”とあります。
「彼ら」とは、コラ、ダタン、アビラム、オンという人々とその人たちに従う神の主権を認めない人々です。

 詩篇10616に記されている“彼らは宿営でモーセを、主の聖なる者アロンを妬んだ。”という内容は、民数記161-3に次のように記されています。
1 レビの子ケハトの子であるイツハルの子コラは、ルベンの一族であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレトの子オンと組み、2 会衆の指導者、すなわち会衆の中から指名された二百五十人の名のあるイスラエルの人々と共に、モーセに反逆した。
3
 彼らはモーセとアロンに逆らって結集し、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。会衆全体、その全員が聖なる者であり、その中に主がおられるのだ。それなのに、なぜあなたがたは主の会衆の上で思い上がっているのか。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 コラたちが語った言葉のうち、「会衆全体、その全員が聖なる者であり、その中に主がおられるのだ。」という内容は正しいものでした。
しかし、コラたちが語った内容には間違いも含まれていました。
それは「あなたがたは分を越えている。/あなたがたは主の会衆の上で思い上がっている。」という部分です。

 モーセとアロンを立てたのは神ヤハウェ(主)でした。
モーセとアロンは自分たちがイスラエルの会衆のリーダーや大祭司になりたくてなったのではありませんでした。

 詩篇10616からすると、コラたちは、モーセとアロンを妬んだのです。
妬みという罪によって、コラたちはモーセとアロンを攻撃したのです。
これの更に恐ろしいところは、神の主権を認めない、というところにあります。

 その後の様々なやり取りとその後の経過は民数記164-50に記されています。
その中からモーセの言葉を少し下記しておきます。
「レビの子らよ、聞きなさい。9 イスラエルの神はあなたがたをイスラエルの会衆から取り分け、ご自身に近づかせ、主の幕屋の仕事をさせ、会衆の前に立たせて彼らに仕える者とされた。あなたがたはそれでも足りないのか。主はあなたを、そしてあなたの兄弟であるレビの子らをすべてご自身のそばに近づけられたのだ。それなのに、あなたがたは祭司職をも求めるのか。それだから、あなたとあなたの仲間は皆、主に逆らって集まったのか。あなたがたは、アロンを何と思って、彼に対して不平を言うのか。」(民数記168-11・聖書協会共同訳)と記されています。

 「レビの子らよ」とありますが、コラはレビの子孫でした。
レビには、ゲルション、ケハト(ケハテ)、メラリの三人の子供がいました。
コラはレビのひ孫になります{レビーケハテーイツハルーコラ(出エジプト616.18.21)}。
モーセもコラと同じレビからは四代目になります{レビーケハテーアムラムーモーセ(出エジプト616.18.20)}。コラもモーセも祖父は同じケハテでした。コラとモーセはケハテの孫同士であったのです。

コラが属するケハト(ケハテ)族の任務は、祭司エルアザルの監督下にあって(民数記332)、「契約の箱、供え物の机、燭台、祭壇、それらに用いられる聖なる祭具、幕、およびそれにかかわる仕事をすること」(民数記331・新共同訳)でした。

 

レビ族のコラは、ルベン族のダタンとアビラムとオンと共謀して、モーセとアロンに反逆しました(1)。ダタンとアビラムとオンがルベン族であることはヘブライ語聖書で読むとよくわかります。

 17節には“地が開いてダタンを呑み込み、アビラムの仲間を覆った。”と記されています。
 これは民数記1620-33に次のように記されています。
20 主はモーセとアロンに告げられた。
21
 「あなたがたはこの会衆のただ中から離れなさい。私は即座に彼らを滅ぼす。」
22
 二人はひれ伏して言った。
「神よ、すべての肉なるものに霊〔ルーアハ(筆者挿入)〕を与えられる神よ。あなたは一人が罪を犯すと、全会衆に怒りを下されるのですか。」
23
 主はモーセに告げられた。
24
 「会衆に告げて、コラ、ダタン、アビラムの住まいの周囲から離れよと言いなさい。」
25
 モーセは立ち上がり、ダタンとアビラムのところに行った。イスラエルの長老たちも後に付いて行った。
26
 彼は会衆に言った。
「この悪い人々の天幕から離れなさい。彼らのものには一切触れてはならない。彼らのすべての罪のために、あなたがたが滅びることのないように。」
27
 彼らはコラ、ダタン、アビラムの住まいの周囲から離れた。ダタンとアビラムも妻、子、幼子たちと一緒に天幕から出て来たが、その入り口に立っていた。
28
 モーセは言った。
「これらすべてのことを行うために、主が私を遣わされたのであって、私の考えではないことを、あなたがたは次のことによって知るだろう。29 もしこの者たちが普通の人の死に方で死に、普通の人の運命に会うならば、主が私を遣わされたのではない。30 だが、もし主が全く新しいことをなされて、大地が口を開き、彼らと彼らに属するものをすべて呑み込み、彼らが生きたまま陰府に落ちるなら、この者たちが主を侮ったことをあなたがたは知るであろう。」
31
 彼がこれらのすべての言葉を語り終えるやいなや、彼らの足元の大地が裂けた。
32
 地はその口を開き、彼らとその家族、コラに属するすべての者たちとすべての持ち物を呑み込んだ。33 彼らと彼らに属するものはすべて生きたまま陰府に下り、地がそれを覆った。彼らはこうして会衆のうちから滅び去った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 18節には“火が彼らの仲間のうちで燃え上がり、炎が悪しき者を焼き尽くした。”とあります。
民数記1635には“火が主のもとから出て、香を献げた二百五十人を焼き尽くした。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 詩編106篇には記されていませんが、民数記の、聖書協会共同訳と新共同訳及びフランシスコ会訳は176-15、口語訳と新改訳は1641-50には更に次のような内容が記されています。
6 翌日、イスラエル人の全会衆は、モーセとアロンに対して「あなたがたは主の民を殺した」と不平を言った。
7
 会衆はモーセとアロンに逆らって集結し、会見の幕屋の方を向いた。すると、雲がそれを覆い、主の栄光が現れた。
8
 モーセとアロンが会見の幕屋の前に来ると、9 主はモーセに告げられた。
10
 「この会衆から離れなさい。私は即座に彼らを滅ぼす。」
彼ら二人はひれ伏した。
11
 モーセはアロンに言った。
「火皿を取り、それに祭壇から取った火を入れ、香を載せ、急いで会衆のもとに行って、彼らのために贖いをしなさい。 主の前から怒りが出て、疫病が広まり始めたのだ〔主の前から激しい御怒りが出て来て、神の罰がもう始まっている(2017)〕。」
12
 アロンがモーセの言ったとおりにそれを取り、集まっている人々の中へ走って行くと、民の間に疫病〔神の罰(2017)〕が広まり始めていた。アロンが香をたき、民のために贖いをし、13 死んだ者と生きている者との間に立つと、疫病〔主の罰(2017)〕は治まった。
14
 この疫病〔この主の罰(2017)〕による死者は、コラの出来事で死んだ者たちを除き、一万四千七百人であった。
15
 アロンは会見の幕屋の入り口にいるモーセのもとに帰った。疫病〔主の罰(2017)〕はこうして治まった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 「疫病」(聖書協会共同訳)、「罰」(2017)と訳されている語のヘブライ語原語は「ネゲフ」で、どちらの意もあります。

 地上の地域教会においては、主の主権に従って行動する者と、人間的な主義主張や感情によって行動する、ヒューマニズム的な者の間に分裂の起こることがあります。その時にどちらを選択するのか、神主権の立場に立つのか、人間主権の立場に立つのか、個々人の選択に任されています。選択の結果は当人が負うことになります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつも三一の神を主と仰ぎ、主の主権のもとに日々歩んでいく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月13日 (火)

黙示録8:1ー12 ラッパの裁き1-4

 黙示録81.2には次のように記されています。
1 小羊が第七の封印を解いたとき、天は半時間ほど静寂に包まれた。
2
 そして私は、七人の天使が神の前に立っているのを見た。彼らには七つのラッパが与えられた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 天使たちも携挙された聖徒達も、第一の封印から第六の封印が地上において執行されたのを見たかどうかは分かりませんけれど、天使たちや携挙された聖徒達は第一の封印から第六の封印に記されていた内容を知っていたでしょう。
天にいる者たちは、御子であり、子羊である主イエス・キリスト様が、七つの封印の巻物を開いたのを知っているのですから。
天にいる者たちは、義なる神様が、義なるゆえに、罪を裁くときが来たという時にその裁き(御怒り)を発動するのを見るのです。

 話は変わりますが、キリスト者は、恵みの時代に、御父の御愛とイエス・キリストの恵みと御聖霊の私たちに対する関与のゆえに、救いにあずかった者たちです。
三一の神様は、神の本性として、聖であり、愛であり、義であり、・・・・・等々であるのです。
ほとんどのキリスト者は、キリストを肉眼では見ずに、キリストを信じた者たちです。
主イエス様は、トマスに対して、見ずに信じる者の幸いを語りました。それはトマスにだけではなく、すべての人に語られたのです。(ヨハネ2029

 天にいる者たちは、神様が義を執行なさるときの厳粛さを知ったことでしょう。
それ故、黙示録81に記されている静寂が天で起きたのではないかと想像します。
黙示録81には、“小羊が第七の封印を解いたとき、天は半時間ほど静寂に包まれた。”と記されています。

 これまでにも、折に触れて、神ヤハウェ(主)は義の執行をなさいましたが、神ヤハウェ(主)の愛の御性質のゆえに、忍耐の限りを尽くして寛容であられたのです。
そして父なる神の究極の愛と義を、私たちは、御父が、最愛の御子に、私たちの罪をすべて負わせ、十字架上で罪に対する罰を執行なさったというところに見ることができます。

 それから約2000年が経ちますが、その間、神は、忍耐と寛容の限りを尽くしてきたのです。
そして、現代、大きな地震が、あちらこちらで発生し、スペイン風邪やコロナ感染症も発生し、二度の世界大戦とその後の民族間の戦いや国家間のいざこざや気象の異常とそれに伴う災害を見てきました。
これらのことは、大患難時代に入るともっと激しいものになる、ということを教えるためのものでもあると私は思います。

 主は、キリスト者たちに対しても、サタンの働く領域の拡張を許可したように思えます。
一人一人のキリスト者が主としっかり結びついいていないと大変な時代に来ていることを教えてくれています(1ペテロ58)。
そのような中にあって、真理から迷い出た兄姉がいるならば、そのような兄姉を連れ戻すようにとも勧められています(ヤコブ519.20)。

 黙示録83-12には次のように記されています。
3 また、もう一人の天使が来て、金の香炉を手に持って祭壇のそばに立ち、たくさんの香を受け取った。すべての聖なる者たちの祈りに添えて、玉座の前にある金の祭壇の上に献げるためである。
4
 香の煙は、聖なる者たちの祈りと共に天使の手から神の前に立ち上った。
5
 それから、天使が香炉を取り、それに祭壇の火を満たして地上へ投げつけると、雷鳴、轟音、稲妻、地震が起こった。
6
 さて、七つのラッパを持つ七人の天使がラッパを吹く用意をした。
7
 第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火が生じ、地に投げ入れられた。地の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、青草もすべて焼けてしまった。
8
 第二の天使がラッパを吹いた。すると、火の燃え盛る大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、9 海に住む生き物の三分の一が死に、船の三分の一が壊された。
10
 第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明(たいまつ)のように燃えている大きな星が、天から降って来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。
11
 この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んでしまった。
12
 第四の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が撃たれ、それらの三分の一が暗くなり、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 地上に住んでいる人は、天上の出来事を見ることはできません。
地上に住んでいる人たちにわかることは、雹と火によって地上に火災が起こるということです。広範囲の山火事もあちらこちらで起こるのでしょう(7)。地上の三分の一が火災で焼けるのですから。

 また、大きな災いを引き起こす何かが海に落ちてきて、海が荒れ狂い、海上の船の三分の一が破壊され、魚など、海の生物の三分の一が死ぬということが起きるのです(8.9)。
 
 それに加えて、大きな隕石でしょうか、分かりませんが、それが水源に落ち、その水を飲んだ人がたくさん死ぬというのです(10.11)。

 更に、地球温暖化と騒いでいた人たちが、温暖化と言わなくなります。
実は、天地を保持しているのは、主イエス様なのです(へブル13、コロサイ117)。
天体が打たれて、明るさが三分の一減少するのです。太陽の光が三分の二になってしまうのですから、気温も下がることでしょう。
しかし、この後、炎熱で焼かれるときも来るのです(黙示録169)。

 携挙されているキリスト者はこれらの御怒りが執行されているとき、天において、おそらく、キリストの地上再臨後に備えての準備訓練を受けているのではないかと思います(レビ833参照)。私の想像ですが。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは聖であられ、愛なるお方であられると共に義なるお方です。
あなたの恵み深さを益々味わい、あなたを賛美し、あなたとの豊かな交わりの内に日々を過ごすことができますように。
私たちが救われてほしいととりなしている人々が、恵みの時代にイエス様をキリストとして認め、主キリスト・イエス様を心にお迎えし、救われることができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月12日 (月)

黙示録5:6-14 御父と御子への礼拝/地上の大患難時代、携挙された人たちは天で色々な準備があることでしょう

 黙示録56-14には次のように記されています。
6 また私は、玉座およびそれを囲む四つの生き物と、長老たちとの間に、小羊が屠られたような姿で立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。
7
 小羊は進み出て、玉座におられる方の右の手から巻物を受け取った。
8
 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老はおのおの、竪琴と、香で満たされた金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。
9
 そして、彼らは新しい歌を歌った。
「あなたは、巻物を受け取り、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、その血により、神のために、あらゆる部族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から人々を贖い、10 彼らを私たちの神に仕える御国の民、また祭司となさったからです。彼らは地上を支配するでしょう。」
11
 また、私は見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は千の幾千倍、万の幾万倍であった。
12
 天使は大声でこう言った。
「屠られた小羊こそ、力、富、知恵、権威、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。」
13
 また私は、天と地、地の下と海にいるすべての造られたもの、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。
「玉座に座っておられる方と小羊に、賛美、誉れ、栄光、そして力が世々限りなくありますように。」
14
 四つの生き物は「アーメン」と唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録5章前半部分には次のように記されていました。
1 また私は、玉座におられる方の右の手に巻物を見た。その表と裏に文字が記されており、七つの封印がしてあった。
2
 また一人の力ある天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者は誰か」と大声で叫んでいるのを見た。
3
 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開き、見ることのできる者は誰もいなかった。
4
 この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者が誰一人見つからなかったので、私は激しく泣き出した。
5
 すると、長老の一人が私に言った。「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデのひこばえ〔「ダビデの根」(2017)、「ひこばえ」は若枝(筆者挿入)〕が勝利を得たので、七つの封印を解き、この巻物を開くことができる。」”(聖書協会共同訳)と。

 7つの封印のある巻物を開くことの出来る者を使徒ヨハネは見つけることができませんでした。
しかし、9.10節には、7つの封印のある巻物を開くことの出来る資格が次の様に記されています。
「あなたは、巻物を受け取り、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、その血により、神のために、あらゆる部族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から人々を贖い、10 彼らを私たちの神に仕える御国の民、また祭司となさったからです。彼らは地上を支配するでしょう。」とあります。
というわけで、7つの封印のある巻物を開くことができるお方は、ただ一人イエス・キリスト様だけであったのです。

 11-14節には天での礼拝のみならず地と地の下と海にいるすべての造られた者の礼拝の風景が、リビングバイブルには次のように記されています。 
11 それからまた、私は幻によって、王座と生き物と長老たちとの回りで歌う、数えきれない天使たちの声を聞きました。
12
彼らは大声で、「小羊こそ、ささげられるためにふさわしい方。殺された小羊こそ、力と、富と、知恵と、強さと、誉れと、栄光と、祝福とを受けるにふさわしい方」と歌っていました。
13
それからまた、私は、天地のすべての者、地下や海中に眠る死者全員の叫び声を聞きました。
「祝福と誉れと栄光と力とが、王座に座っておられる方と小羊とに、永遠にありますように。」
14
すると、四つの生き物は「アーメン」と言い、二十四人の長老はひれ伏して礼拝しました。”とあります。

 フィリピ(ピリピ)2章にも次のような聖句がありました。
6 キリストは、神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず
7
 かえって自分を無にして、僕(しもべ)の形をとり、人間と同じ者になられました〔人間と同じようになられました(2017)。姿が人間と同じようであっても罪の性質(原罪)を持っていませんでした(筆者挿入)〕。
人間の姿で現れ、8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
9
 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
10
 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが膝をかがめ、11 すべての舌が、
「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神が崇められるためです
。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 携挙された人たちが黙示録の中で、次に登場する章は19章になります。
黙示録6章からは、封印の巻物が開かれ、神の御怒りが注ぎだされていきます。
また、大患難時代は、主なる神様が、サタンの働きを大いに許可されるので悪魔的な時代になります。

 次に携挙されたキリスト者が黙示録に登場するのは、19章の花婿キリストとの婚姻の場面です。
そして、それに続く場面は、キリストの地上再臨において、キリストの後ろについて行く場面になります。
 
 その間には何があるのでしょう。
おそらくキリストの裁きの座における報酬の裁定があります(2コリント5101コリント310-151コリント45参照)。

 想像ですが、地上での大患難時代の7年間は、天上では、キリストの地上再臨後についての様々なレクチャーや私たちの整えの時でもあるのではないかと思います(レビ833は予表ではないかと思います)。
 レビ833には“また、あなたがたの任職の期間が終了する日までの七日間は、会見の天幕の入り口から出てはならない。あなたがたを祭司職に任命するには七日を要するからである。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは私たちの為に良きご計画をたててくださっておられますからありがとうございます。
地上にあっては、あなたが、天に召してくださるまでの間、あなたに従って歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月11日 (日)

箴言27:22 神様の御言葉を受け入れない者は真理に至らない

 箴言2722を、
聖書協会共同訳は“無知な者を穀物と共に臼に入れ、杵でついても、無知は彼から離れない。”と訳し、

2017
は“愚か者を臼に入れ、きねでこれを麦と一緒についても、その愚かさは彼から離れない。”と訳し、

リビングバイブルは“神の教えに背く愚か者につける薬はありません。”と意訳しています。

 「無知な者」(聖書協会共同訳)、「愚か者」(2017)と訳されている語のヘブライ語原語は「エヴィール」で、ひねくれた、正道を踏み外している、邪悪な、愚かな(者)等の意があります。

 「エヴィール」には、「正道を踏み外している」という意味もあるので、リビングバイブルは「神の教えに背く愚か者」と訳したのかもしれません。

 後半部分の「無知」(聖書協会共同訳)、「愚かさ」(2017)と訳されている語のヘブライ語原語は「イヴェレト」で、愚かさ、愚劣、痴態、軽薄、等の意があります。

 どんなにIQが高くても、あるいはこの世でもてはやされるような学者であっても、神の御言葉に価値を見出さない者は、真理に対して無知であるとつくづく思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
1
コリント127-29に“・・、神は知恵のある者を恥じ入らせるために、この世で愚かとみなされているものを選び出し、また、神は強いものを恥じ入らせるために、この世で弱いとみなされているものを選び出されました。神は、この世で取るに足らないもの、軽んじられているもの、つまり、無に等しいものを選び出されました。それは、何らかの場を得ているものを、無力なものにするためでした。これは、いかなる人間も神の前で誇ることのないようにするためでした。”(フランシスコ会訳)と記されていることを痛感します。
聖書を信じさせていただけたこと、創造主なる神を信じさせていただけたこと、イエス・キリスト様を信じることによって救われるということを信じさせていただけたこと、聖霊を信じさせていただけたこと、更に三一の神様との豊かな交わりを持たせていただけるようにしていただけたこと等の計り知れない恵みを感謝します。
あなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月10日 (土)

詩篇106:13-15 私たちの必要をへりくだって主に求め、貪欲に陥ることなく、与えていただいたら主に感謝することを忘れないように

 詩篇10613-15を、聖書協会共同訳は、
13 しかし彼らはたちまち主の業を忘れ去り、その計らいを待たず、14 荒れ野で激しい欲望を起こし、砂漠で神を試みた。
15
 主は彼らの願いをかなえたが、彼らの魂を痩せ衰えさせた。”と訳し、

 2017は、
13 しかし、彼らはすぐに、みわざを忘れ、主のさとしを待ち望まなかった。
14
彼らは荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた。
15
そこで、主は彼らにその欲するものを与え、彼らのいのちを衰えさせた。”と訳しています。

 リビングバイブルは、
13 しかし、たちまち元に戻ってしまったのです。彼らは神を無視して行動し、14 もっとおいしいものを食べたいと注文をつけました。こうして、もはや赦されることがない時点まで、神の忍耐を試したのです。
15
主は彼らの欲しがるものを与えましたが、彼らの心を空虚にしました。”と意訳しています。

 13節の「計らい」(新共同訳、聖書協会共同訳)、「さとし」(新改訳)と訳されている語のヘブライ語原語は「エーツァー」で、助言、忠告、勧告、思慮分別、計画、方法、・・・等の意があります。

 出エジプトしたイスラエルの民は、エジプトで、主の十の御業を見、紅海での出来事を体験したにもかかわらず、神様の助言、神様の御教え、神様の導きを無視し、肉の欲望に駆られて大失敗をしたのです。

 出エジプト171-7には次のように記されています。
1 イスラエル人の全会衆は、主の命によりシンの荒れ野を出発し、旅を重ねて、レフィディムに宿営した。しかし、そこには民の飲む水がなかった。
2
 民はモーセと言い争いになり、「飲み水をください」〔「水はどこだ! 水をくれーっ!」(リビングバイブル)〕と言った。
モーセは彼らに言った。「なぜあなたがたは私と言い争うのか。なぜ主を試すのか。」
3
 しかし、民はそこで水を渇望し、モーセに対して不平を述べた。
「私たちをエジプトから上らせたのは何のためだったのですか。私や子どもたちや家 畜を渇きで死なせるためだったのですか。」
4
 そこでモーセは主に叫んだ。「私はこの民をどうすればよいのでしょうか。彼らは今にも私を石で打ち殺そうとしています。」
5
 主はモーセに言われた。「民の前を通り、イスラエルの長老を何名か一緒に連れて行きなさい。ナイル川を打ったあなたの杖も手に取って行きなさい。
6
 私はホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたがその岩を打つと、そこから水が出て、民はそれを飲む。」
モーセはイスラエルの長老たちの目の前でそのとおりに行った。
7
 そして、モーセはその場所をマサとメリバと名付けた。イスラエルの人々が、「主が私たちの間におられるのかどうか」と言って、モーセと言い争い、主を試したからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 もし、イスラエルの民が神様やモーセと争うことなく、自分たちは、神様によって生かされている者であることを自覚し、へりくだって水を求めればよかったのに、と思います。そして、水が与えられたら、神様に感謝し、神様をほめたたえればよかったのに、と思います。

 また民数記11章には次のような記事が記されています。
1 民は主の耳に届くほど激しい不平を漏らした。主はそれを聞いて怒りに燃え、主の火が彼らに対して燃え上がって宿営の端を焼き尽くした。
2
 民がモーセに向かって叫びを上げたので、モーセが主に祈ると火は鎮まった。
3
 そのため、その場所はタブエラ〔「燃える」の意(欄外注)〕と呼ばれた。主の火が彼らに対して燃え上がったからである。
4
 民の一部の輩が飢えと渇きを覚え、イスラエルの人々も再び泣いて言った。
「誰が私たちに肉を食べさせてくれるのだろうか。5 エジプトにいた頃、ただで食べていた魚が忘れられない。きゅうりもすいかも、葱も玉葱もにんにくも。
6
 今では、私たちの魂は干上がり、私たちの目に入るのは、このマナのほかは何もない。」/
・・・・・・7-30節は聖書でお読みください。・・・・・・・・・・
31
 さて、主のもとから風が起こり、海の方からうずらを運んで来て、宿営の周囲に落とした。それは一方の側に約一日の道のり、他方の側に約一日の道のりがあり、地面より二アンマ〔90cm(筆者挿入)〕ほどの高さに積み重なっていた。
32
 民は立ち上がり、終日終夜、さらに翌日も一日中、うずらを集めた。最も少ない者でも十ホメルを集めた。彼らは自分たちのために、宿営の周りにそれらを広げておいた。
33
 だが、その肉がまだ彼らの歯の間にあって、かみ切られていないうちに、主の怒りが民に対して燃え上がり、主は非常に激しい災いで民を打たれた。
34
 そのため、その場所はキブロト・ハタアワ〔「その欲望の墓」(筆者挿入)〕と呼ばれた。貪欲な人々をそこに葬ったからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちが生きていけるのは主の恵みのおかげです。
主イエス様は、「日ごとの糧を与えてください」と祈るようにと教えてくださいました。
私たちの必要な物は、すべてあなたが与えてくださるからこそ、私たちが得ることができることを覚えます。
イザヤ4015には“〔「神ヤハウェ(主)にあっては」(筆者挿入)〕見よ、国々は革袋からこぼれる一滴のしずく、天秤の上の塵と見なされる。島々は埃ほどの重さも持ちえない。”(新共同訳)と記されています。
私たちはいと小さなものです。
本当は、誰も、自分で自分を養うことも出来ないのです。
そのことをわからせるために、大患難時代には大きな飢饉もやってくるのでしょう。
私たちが、あなたの愛の対象であるゆえに、あなたによくして頂いていることを決して忘れることがありませんように。
貪欲に陥ることなく、常にあなたに対してへりくだり、あなたに感謝し、あなたを賛美しつつ歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「主の御稜威と」(讃美歌7 新聖歌7
“1.主のみいつと 御栄(みさかえ)とを 声の限り たたえて 全き愛と 低き心 御座に供え ひれ伏す”

2024年2月 9日 (金)

黙示録7章 大患難時代の144000人の伝道者とイエスをキリストと信じ告白して殉教し天に迎えられた数え切れない艱難時代の聖徒達

 黙示録71-8には、大患難時代前期に起こされた144000人の伝道者が次のように記されています。
1 この後、私は地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、地の四隅から吹く風〔アネモス(筆者挿入)〕を押さえ、地にも海にもどの木にも吹きつけないようにしていた。
2
 また私は、別の天使が生ける神の刻印を携え、日の出る方から上って来るのを見た。その天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に向かって大声で叫んで、3 言った。
「私たちが神の僕の額に刻印を押すまでは、大地も海も木々も損なってはならない。」
4
 私は、刻印を押された人々の数を聞いた。それはイスラエルの子らの全部族の中から刻印を押された人々であり、十四万四千人であった。
5
 ユダ族の中から一万二千人が刻印を押され、ルベン族の中から一万二千人、ガド族の中から一万二千人、6 アシェル族の中から一万二千人、ナフタリ族の中から一万二千人、マナセ族の中から一万二千人、7 シメオン族の中から一万二千人、レビ族の中から一万二千人、イッサカル族の中から一万二千人、8 ゼブルン族の中から一万二千人、ヨセフ族の中から一万二千人、ベニヤミン族の中から一万二千人が刻印を押された。”(聖書協会共同訳)とあります。

 12部族といっても、この中にダン族は入っていません。
何故、ダン族が入れてもらえなかったのでしょう。
私の想像では、ダン族は、ヨシュアの時代に神ヤハウェ(主)から与えられた相続地の中の一部を神ヤハウェ(主)への信頼によって獲得することができなかったことと、神ヤハウェ(主)から与えられたのではない土地を、そこに住んでいる人たちを殺して獲得したこと、また偶像礼拝の中心地の一つとなったことが挙げられるのかな、と思います。
この文に記した関連聖書個所は、ヨシュア1940-48、士師記17.18章、1列王記1225-31です。

 また、マナセ族とヨセフ族という表記があります。
ヨセフの子どもはマナセとエフライムなのですが、黙示録75-8にはエフライム族がなくヨセフ族となっています。
マナセとエフライムの父ヨセフの、エジプトに売られた後の歩みを見ると、主と共に歩んだ姿勢を見て取れます。
しかし、エフライムはそうではありませんでした。
モーセの後継者であるヨシュアはエフライム族の出身でしたが、イスラエル12部族が北と南に分裂した後の北王国イスラエルの初代王はエフライム出身のヤロブアムでした。この背教者ヤロブアムはエフライム族であったのです。
ヤロブアムは北イスラエル王国に偶像を導入した人であり、主の祭りの日を勝手に変更した人であり、レビ人を排して、レビ人以外を祭司としてたてた人です。
そして、北イスラエル王国の多くの人たちは、偶像礼拝に走ったのです。
関連聖書個所として、1列王記1225-1362列王記175-18を挙げておきます。

 黙示録74-8に記されている人たちは、神に守られ、大患難時代に伝道者として世界伝道をするのです。
これらの人々は、携挙前には分かりませんが、携挙後に、世界の様々な地から任命されるのでしょう。
世界の様々な地に住んでいるこれらの人々は、それぞれが住んでいる国の言語で福音を宣教することになるのでしょう。
その福音宣教の結果救われた人々や、携挙前に、自分はクリスチャンだと思っていたが実は新生していなかったので、携挙されなかったという人たちの中から、数え切れないほどの人たちが殉教して天に召されるのです(黙示録79)。

 艱難時代の聖徒の様子が、黙示録79-17に次のように記されています。
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。
10
 彼らは声高らかに言った。
「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
 また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が、世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」
13
 すると、長老の一人が私に問いかけた。
「この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。」
14
 そこで私が、「私の主よ、それはあなたがご存じです」と答えると、長老は言った。
「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で 洗って白くしたのである。15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 いつも同じようなことを書きますが、キリストの空中再臨時に携挙された人たちは、ここに記されている艱難時代の聖徒とは異なります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちが福音を伝えても、なかなかイエス様を受け入れない人や、主に「救ってください」と祈り続けているにもかかわらず、なかなか救われない人たちを、今日の個所の大群衆の中に見出すかもしれません。
たゆむことなく祈り続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「聖なる我らの主」(聖歌479 聖歌総合版496 新聖歌24
“1.聖なる我らの主 ほめまつれ 拝しまつれ 救いを受けし者 み子とせられし者 海原(うなばら)は手をたたき 山々皆踊る 
*(折り返し) 聖なる我らの主 歌え 喜びもて
2.くすしく妙なる主 証しせよ 言い広めよ 御業は多いなり 比(くら)ぶるものあらじ 天使たちは声合わせ 聖徒たちはひれ伏す *
3.世界の王なる主 祝(いわ)わまし 歌わまし 御国に帰りなば いよいよ高らかに 白妙(しろたえ)の衣(きぬ)まとい 棕櫚(しゅろ)の葉を手にとり *”

2024年2月 8日 (木)

黙示録5:1-7 御怒りが記されている巻物を開くのにふさわしいお方

 黙示録51-7には次のように記されています。
1 また私は、玉座におられる方の右の手に巻物を見た。その表と裏に文字が記されており、七つの封印がしてあった。
2
 また一人の力ある天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者は誰か」と大声で叫んでいるのを見た。
3
 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開き、見ることのできる者は誰もいなかった。
4
 この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者が誰一人見つからなかったので、私は激しく泣き出した。
5
 すると、長老の一人が私に言った。「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を解き、この巻物を開くことができる。」
6
 また私は、玉座およびそれを囲む四つの生き物と、長老たちとの間に、小羊が屠られたような姿で立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。
7
 小羊は進み出て、玉座におられる方の右の手から巻物を受け取った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1節の「玉座に座っておられる方」とは父なる神です。
内側にも外側にも文字が書き記され、かつ七つの封印のある巻物は、大患難時代に開かれていく巻物で、その巻物の中には、おもに神の裁き(御怒り)が記されています。

 一人の力ある天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者は誰か」と大声で叫んだのですが、この巻物を開く資格を持っている者を使徒ヨハネは見ることができませんでした(2.3)。
巻物を開くことの出来る者がいなかったので、使徒ヨハネは激しく泣きました(4)。

 一人の長老が、ヨハネに次の様に語り掛けました。
「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を解き、この巻物を開くことができる。」と(5)。

「ひこばえ」(新共同訳、聖書協会共同訳)と訳されている単語を、岩波訳、新改訳、塚本訳は「根」と訳しています。
口語訳は「若枝」と訳しています。
「ひこばえ」とは、(根・茎の基部から出る)芽や若枝のことです。
人としてのイエス・キリストはダビデの子孫ですから、ダビデのひこばえor若枝です。
その観点から、マタイ11は“アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。”(2017)と記しています。またこのことは創世記やサムエル記に約束されていたことでした。
またイザヤ111.2には、“エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊である。”(2017)と預言されていました。
エッサイはダビデの父でした。

「ダビデの根」としての神の御子は、ダビデの創造者です。
私の参考にしているギリシア語聖書は「リザ」となっていて、「根」です。

 主イエス様は次の様に言われたこともありました。
41 ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。
42
 「あなたがたはメシアのことをどう思うか。誰の子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、
43
 イエスは言われた。「では、どうしてダビデが、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのか。
44
 『主は、私の主に言われた。「私の右に座れ。私があなたの敵をあなたの足台とするときまで。」』〔詩篇1101からの引用(筆者挿入)〕
45
 このように、ダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」
46
 これには誰一人、言葉を返すことができず、その日からは、もはや、あえて質問する者はなかった。”(マタイ22章・聖書協会共同訳)と記されています。

 御子イエス・キリストは、神としては根であり、肉の体の系図(マリアの系図、ヨセフの系図)としてはひこばえです。
 黙示録2216には、主イエス様の御言葉として「わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(2017)と記されています。

この巻物を開くことができる資格を持っている者は、罪の世界に来て罪を犯すことなく歩み、さらに、ご自身の肉において全世界の罪の贖いを成し遂げ、死んで葬られ、しかし、死に打ち勝ち、悪に打ち勝って復活されたイエス・キリストしかいませんでした。なぜなら、巻き物に記されている多くの内容は、罪に対する神のさばき(御怒り)であったからです。罪に対して憐れみを示し、その罪を贖い、罪を犯したことのない者だけが罪を裁くことができるのではないかと思います。

アダムの子孫として生まれた私たちは、マタイ71-4の、
次の主イエス様の御言葉を心に留めなければならない者だからです。
1 人を裁くな。裁かれないためである。
2
 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量られる。
3
 きょうだいの目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある梁に気付かないのか。
4
 きょうだいに向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に梁があるではないか。
5
 偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、きょうだいの目からおが屑を取り除くことができる。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 しかし私たちキリスト者もやがてさばきの座に着いて裁きを行うときが来るのです。
本当に厳粛なことです。

さて、5節には「ユダ族の獅子」とあります。
ユダ族の獅子はキリストの表徴であり、敵に対する強力な武者であるキリストを描写しています。
ヨシュア515に記されている「主(ヤハウェ)の軍の将」と自己紹介されたお方は御子ではないかと思います。
 
 1ヨハネ22には“彼〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。”(口語訳)と記されています。
 黙示録56.7では、罪の贖いを成し遂げられた子羊(イエス・キリスト)だけが、巻物を受け取るのにふさわしいお方であると次の様に記されています。
“また私は、玉座およびそれを囲む四つの生き物と、長老たちとの間に、小羊が屠られたような姿で立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。小羊は進み出て、玉座におられる方の右の手から巻物を受け取った。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたの御愛と主イエス様の贖いと聖霊様の交わりを感謝し、とこしえに父、御子、御霊に御栄がありますようにと祈ります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ただ主を崇めて」(聖歌520 聖歌総合版538
“2.主こそ救い主 神の子羊 わが義 わが聖き わが力なれ 
*(折り返し) たたえよ ただ主を 主は救い主 きよめ主 癒し主 王の王 主の主
5.主こそ来るべき 王の王 主の主 我が花婿なれ 我はこいしとう *”

2024年2月 7日 (水)

箴言27:21 人は他者の賞賛の言葉によってテストされ、また精錬される

 箴言2721を、
 聖書協会共同訳は“銀の精錬にはるつぼ、金には炉。人は賛美する口によって精錬される。”と訳し、
 2017は“銀にはるつぼ、金には炉があるように、人は他人の称賛によって試(ため)される。”と訳し、
 新共同訳は“銀にはるつぼ、金には炉。人は称賛によって試される。”と訳し、
 リビングバイブル旧版は“銀と金の純度はるつぼでテストされ、人は、ほめられた時にどのような態度をとるかでテストされます。”と意訳し、
 リビングバイブル新版は“銀と金の純度はるつぼで試され、人は、称賛を浴びるときに試されます。”と意訳しています。

 ヘブライ語聖書を直訳すると、「銀にるつぼ、金に炉、そして人は称賛の言葉に」となります。
現代の銀や金を精錬する方法はソロモンの時代(今から約3000年前)とは異なるようです。
私は、この件に関して無知なので、ウィキペディアの灰吹き法の項目を下記しておきます。
“灰吹法(はいふきほう)は、金や銀を鉱石などからいったん鉛に溶け込ませ、さらにそこから金や銀を抽出する技術。金銀を鉛ではなく水銀に溶け込ませるアマルガム法と並んで古くから行われてきた技術で、旧約聖書にも記述がある。

抽出法

貴金属の鉱石は単体の金属や合金、硫化物などの状態の鉱物として産するが、もともと反応性の低い元素であるため、硫化物などの化合物であっても加熱によって容易に還元され、金属となる。そのため金や銀の鉱石を融解した鉛に投じると、もともと金属状態であったり、加熱によって還元されて金属になった金や銀は容易に鉛に溶け込んで合金を生じる。この金銀が溶け込んだ鉛をキューペル(骨灰やポルトランドセメント、酸化マグネシウムの粉末などで作った皿のこと)にのせて空気を通しながら約800-850℃に加熱すると、鉛は空気中の酸素と反応して酸化鉛になり、キューペルに吸収され、金と銀の合金が粒状になってキューペルの上に残る。液体の金属は表面張力が大きいため多孔質のキューペルの上でも液滴の形状を保つが、融解した酸化鉛は表面張力が小さく、毛管現象でキューペルに吸い込まれてしまうからである。また銅、鉄、亜鉛といった卑金属の不純物は酸化して酸化鉛と混合し、スラグになるので、量が多い場合にはこれをかき出す。残った貴金属粒子は吹金(灰吹金)あるいは灰吹銀と呼ばれた。金を含有する灰吹銀は山吹銀と称し金銀吹分けが行われた。

残った貴金属合金粒子から金と銀を分離するには、硝酸で銀を溶解するか、電解を行えばよい。江戸時代の日本では金を含有する灰吹銀に鉛および硫黄を加えて硫化銀を分離し、金を残すという手法が採られた。この方法は鉱石中の金や銀の定量分析にも利用される。江戸時代の銀座においても、製造された丁銀の品位を分析する糺吹きにおいて灰吹法が用いられた。

灰吹法が広まることにより、酸化鉛や水銀の粉塵を吸い込んだ作業員が鉛中毒や水銀中毒を発症し、例えば石見銀山では鉱山での劣悪な環境も相まって30歳まで生きられた鉱夫は尾頭付きの鯛と赤飯で「長寿」の祝いをしたほどであった。こうした中毒被害・公害の観点やコスト・効率などの理由により、今日の近代工業において粗銅地金から貴金属などを分離する方法は、電解精錬や青化法に移行している。/
 〔古代(筆者挿入)〕
銀鉱石の方鉛鉱には、一般に0.031%の銀を含み、飛鳥池工房遺跡からも小さい方鉛鉱が出土した。方鉛鉱は、劈開面〔「へきかいめん」岩石などの結晶面に平行して割れた面(筆者挿入)〕を持ち、一定の面に沿って割れる、つまりもろいので容易に粉砕できるものである。これを凝灰岩製の坩堝(るつぼ)で焼く。一般的な凝灰岩は、比較的もろく多孔質であることが特徴である。凝灰岩製の坩堝の中で焼くと、鉛は酸化され、先に溶け出し、多孔質の坩堝に吸収されるとともに、大気中に幾分蒸発する。そして、最後に銀が小さな粒として残される。この小さな銀の粒を集めて、ある程度大きな塊にするために、粉末化した方鉛鉱を再び加え、ピット状の穴を開けた、凝灰岩製の坩堝(るつぼ)に詰め、炉中で熱する。方鉛鉱から溶け出した鉛は、小さな銀の粒を凝集した後に、凝灰岩に吸収され、再び銀だけが濃縮されて残る。この作業は、銀の濃度を上げるために、何度か繰り返されたことが想定でき、こうして、出土した直径5mm程度の銀粒ができたとみられている。方鉛鉱中の銀を抽出する製錬から、それを集めて再び方鉛鉱を加えて銀を濃縮し、純度を上げる精錬に至る一連の作業が、まさに「灰吹法」である。ここでは、灰の代わりに多孔質な凝灰岩製坩堝(るつぼ)が直接鉛の吸収材の役目を担っている。”(抜粋)と記されています。

 古代の人は、金や銀の、古代の精錬方法や純度試験を知っていたでしょうから、「銀には坩堝(るつぼ)、金には炉、人には賞賛の言葉」というだけで、何のことかわかったと思います。

 それを、2017は“銀にはるつぼ、金には炉があるように、人は他人の称賛によって試(ため)される。”と意訳し、
聖書協会共同訳は“銀の精錬にはるつぼ、金には炉。人は賛美する口によって精錬される。”と意訳したのでしょう。

 この箴言で言いたいことは、人についてですから、人に絞って考えると、
他の人からor何かの団体から称賛が届いたとき、その称賛された人がどのような態度をとるか、心の中でどのように思うか、ということが問われているのだと思います。

 この世の人や神のことばとは無関係な事柄においては、人から「すごいねー」、「本当に良かったよ」などと言われたときに、慢心したり、どや顔になったりするのか、勝って兜の緒を締めよ、という言葉のように、更に気持ちを引き締めて次に向かっていくのか、あるいはまた「みんなのおかげだなー」と思うのか、・・・・等々の違いがあるでしょう。

 しかし、神の世界、霊の世界においては、例えば、説教をして称賛を受けたり、回心者が多く与えられたりした場合に、自己陶酔や自己満足に陥っては落第です。
人が救われるのも、人が説教者の語られたことばにより霊的感動を受けるのも、聖霊の働きによるからです。
ですから、働き人が、回心した人や恵まれた人と共に主に感謝し、主をほめたたえることが健全な姿、心のありようです。
サタンも主の許可のもと称賛してくる場合もあるのです。
その時には、サタンを主の御名によって追い払わなければなりません。サタンは罪を犯させるまで諦めませんから。

 サタンの攻撃として捉えても良いのではないかと思える聖句に、
“銀にはるつぼ、金には炉、人の心を試すのは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕。”(箴言1732017)というのがあります。
サタンの申し出に基づいて、主が許可を与えたのでしょう。また主イエス様の例もあります(マタイ41-11)。

 「すべての栄光は主に」です。
詩篇291.2には次のように記されています。
“力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ。御名の栄光を主に帰せよ。聖なる装いをして主にひれ伏せ。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いかなる状況に置かれても、主を愛し、主に信頼し、主に感謝し、主をほめたたえながら地上生涯を歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月 6日 (火)

詩篇106:6-12 いつも主に信頼して歩み、主に感謝と賛美をささげよう

 詩篇1066-12には次のように記されています。
6 私たちは先祖と共に罪を犯し、過ちを犯し、悪を行った。
7
 私たちの先祖はエジプトであなたの奇しき業を悟らず、あなたの豊かな慈しみに心を留めず、海のほとり、葦の海で反抗した。
8
 しかし主はご自分の名のために彼らを救い、力強い業を示した。
9
 主が葦の海を叱ると、それは干上がった。主は彼らに、まるで荒れ野を行くように深い淵を進ませた。
10
 憎む者の手から彼らを救い、敵の手から彼らを贖った。
11
 彼らを苦しめる者を水が覆い、生き残る者は一人もいなかった。
12
 彼らは主の言葉を信じ、賛美を歌った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 6節を2017は“私たちは先祖と同じように罪を犯し、不義を行い悪を行ってきました。”と訳しています。
イスラエルの過去の歴史を回顧しつつ、この詩が書かれた当時のイスラエルの人たちの主に対するありようが記されています。

 イスラエルのみならずキリスト者も同じです。
主キリスト・イエス様を信じて救われたからといって、その後二度と罪を犯さなかったという人はおそらくいないでしょう。

 どうして罪を犯してしまうのか?
それは、生まれながらに肉の中に罪の性質を持って生まれてきたからです。
神様が人間を創造したときには、罪の性質は人間の中にありませんでした。
エバの、そしてアダムの堕罪により、罪の性質が人間の中に入り、その後の人々は罪の性質を持って誕生することとなったのです{ローマ512、詩篇515(口語訳、新改訳、文語訳;新共同訳、聖書協会共同訳は517)}。

 罪を犯さずに歩む方法として、キリスト者の場合は、肉をキリストと共に十字架につけ(ガラテヤ524)、神の霊に従って歩むと、主のみ旨の内を歩むことができると記されています(ローマ82.13b、ガラテヤ525)。
 上記の個所の聖句を下記します。
ガラテヤ524には“キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。”(聖書協会共同訳)と記されています。←この聖句を信じ受け取るのです。 
ローマ82.13bには“キリスト・イエスにある命の霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。/霊によって体の行いを殺すなら、あなたがたは生きます。”(聖書協会共同訳)と記されています。
ガラテヤ525には“もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。”(口語訳)

 とはいえ、キリスト者は誰しも罪を犯すことがありますね。
それ故、主なる神様は次の聖句も用意してくださいました。
“もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。”(1ヨハネ18.92017)と記されています。

 7節に「私たちの先祖はエジプトであなたの奇しき業を悟らず、あなたの豊かな慈しみに心を留めず、」とあります。
エジプトにいた時、神様がエジプトに下した災いは小さなものではありませんでした。 
 第一の災いは、ナイル川の水が血に代わり、ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水をもう飲むことが出来なくなったのです。それどころかエジプト全土に亘って血があったのです。(出エ717-21
 第二の災いは、かえるがナイルに群がり、上って来て、王の寝室に、王の寝台に、王の家臣の家に、王の民の中に、かまどに、こね鉢にまで這いあがったのでした(出エ82-6)。更にカエルの死骸は山また山となり、地は臭くなったのです(出エ814)。 
 第三の災いは、エジプト全土にぶよを発生させ、人や獣に取りつかせたのです(出エ816-18)。
 第四の災いは、エジプト全土があぶの群れによって荒れ果てたのです。しかし、イスラエル人達がいるゴシェンの地にはあぶがいないようにされたのです。(出エ821-24)。
 第五の災いは、エジプトの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に下った、非常に激しい疫病でした。この災いもイスラエル人達が住んでいた地には下されませんでした。(出エ93-6)。
 第六の災いは、膿の出る腫物が人と獣に出来たのです。顔にできる膿の出る腫物を面疔と言いましたが、抗生物質が出来る前は、命を落とすこともあるといって恐れられていました。抗生物質製剤は20世紀に入ってから出来た物です。最近では抗生物質や抗菌剤に対して耐性を持つ病原菌も多く、感染菌によっては抗生物質が無かった時代に戻ってしまうのだろうかという方向に向かっているようにも思えます。
 第七の災いは、でした。雷も伴いました。その被害は、人、獣、野の草、野の木も打ち砕かれたほどのものであったのです。しかし、神様はイスラエル人の住んでいる地には降らせませんでした。(出エ918-26
 第八の災いは、いなごでした。イナゴは地の表を覆い、イナゴが食べられるものをほとんど食べていってしまいました(出エ104-15)。雹とイナゴによって、エジプトには新しく手に入る予定であった食料は全く無くなったのです。家畜や獣の草もなくなりました。
 第九の災いは、3日間の完全な暗闇でした。隣の人を見ることも出来ないほどのものでした。しかし、イスラエル人の地は暗やみになりませんでした(出エ1021-23)。 
 第十の災いは、初子(ういご)の死でした。エジプトの王家から始まってエジプトの地にいる全ての人間の家族の初子及び家畜の初子に至るまでの死です。主なる神様はモーセを通して、イスラエル人達には、家の門柱とかもいに羊の血を塗ることによってその裁きから免れますよ、と教えられ、それを実行した者の初子は死にませんでした。(出エ104-1230
 イスラエル人達は、多くの災いがエジプトに下され、自分達には下されなかった、ということを体験し続けて来たのでした。神様は、大いなる力をお持ちであられ、裁きも個別に行う方であることを体験してきたのです。

 第十の災いを体験したエジプトは、恐怖に満たされていました。それは、出エ1231-33パロはその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立ち上がって、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って、主に仕えよ。おまえたちの言うとおりに、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」エジプトは、民をせきたてて、強制的にその国から追い出した。人々が、「われわれもみな死んでしまう」と言ったからである。(新改訳第二版)と記されています。
エジプト人の間に死の恐怖が満ちたのです。

イスラエル人達は、モーセに率いられ、昼は雲の柱、夜は火の柱に守られ導かれて進んでいったのです。これはただの雲の柱、火の柱ではありませんでした。出エ1321には、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。」(2017)と記されています。

 ここのヤハウェ(主)はキリストです。
1
コリント104には“みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。”(2017)と記されています。
「岩」と訳されている語のギリシア語原語は「ペトラ」です。
マタイ1618には“わたしも言っておく。あなたはペトロ〔ギリシア語原語は「ペトロス」(筆者挿入)〕。わたしはこの岩〔ギリシア語原語は「ペトラ」で神であるキリストを暗示している(筆者挿入)〕の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。”(新共同訳)と記されています。
「ペトロス」はa (piece of) rock、「ペトラ」はa (mass of) rock、とStrong辞書にあります。
旧約聖書では、神は「岩」にたとえられています(申命記3242サムエル223.32)。

私達キリスト者は、それ以上に恵まれた存在です。キリストの中におかれ(1コリント130)、キリストの霊が常住して下さっておられる(ガラテヤ46)のですから。至高の神様・万物を創造された驚くべき能力を持った神様が父なのですから。さらに、天においても地においても一切の権威をもっておられる主イエス様の御名によって祈ることが出来るのですから。
ガラテヤ46を聖書協会共同訳には“あなたがたが子であるゆえに、神は「アッバ、父よ」と呼び求める御子の霊を、私たちの心に送ってくださったのです。”と記されています。

 さて、イスラエルはエジプトからカナンの地を目指して紅海の海辺まで来ました。
しかし、エジプトの王ファラオは思いを変えたのです。奴隷を逃してなるものかと。
そして、エジプトの全戦車部隊の軍勢をひきつれて追って来、間近まで来たのです。(出エ141-10
その時、詩篇1067に「私たちの先祖はエジプトであなたの奇しき業を悟らず、あなたの豊かな慈しみに心を留めず、海のほとり、葦の海で反抗した。」と記されている状態に陥ったのです。

 私達もよく体験するところの、神様を見ないで、状況を見てしまうということが起こったのです。
それ故私達は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル1222017)と再三再四教えられるのです。

 詩篇1068-12に記されていることは、出エジプト14.15章に記されています。
この救いに与った人達の賛美は、ただ感謝の祈りをささげた、というのではなく、タンバリンをたたき、歌い、踊って主を賛美したのです。
出エジプト1520.21に、アロンの姉、女預言者ミリアムがタンバリンを手に取ると、女たちもみなタンバリンを持ち、踊りながら彼女について出て来た。ミリアムは人々に応えて歌った。「主に向かって歌え。主はご威光を極みまで現され、馬と乗り手を海の中に投げ込まれた。」2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつも主に信頼して状況や環境に左右されることなく歩み続け、主に感謝し、主を賛美し続けながら歩むことができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月 5日 (月)

黙示録6章 大患難時代における神の御怒り1/御怒りに遭わない人たち

 神の御怒りに遭わない人たちがいます。
(「神の」を付けているので、本当は「神の怒り」と書くのが良いのでしょうが強調するために「神の御怒り」とさせていただきます)
神の御怒りに遭わない人たちとは携挙される人たちです。

 携挙される人たちは神の御怒りが発せられる前に霊の体を頂き天に移されます。
代表的な関連聖句を下記します。
1
コリント1552“終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないもの〔霊の体(筆者挿入)〕によみがえり、私たちは〔霊の体に(筆者挿入)〕変えられるのです。”(2017
1
テサロニケ416.17“・・、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”(2017
1
テサロニケ110“御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。”(2017

 霊の体を持っていないと天の神の国を相続できません。
1
コリント15章を抜粋します。
40 また、天上の体もあれば、地上の体もあります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。
42
 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものに復活し
43
 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものに復活し、弱いもので蒔かれ、力あるものに復活し、
44
 自然の体で蒔かれ、霊の体に復活します。自然の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
49
 私たちは、土からできた人のかたちを持っていたように、天上の方のかたちをも持つようになります。
50
 きょうだいたち、私はこう言いたいのです。肉と血〔肉の体(筆者挿入)〕は神の国を受け継ぐことはできません。また、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐこともありません。
51
 ここで、あなたがたに秘義を告げましょう。私たち皆が眠りに就く〔地上における肉体の死に至る(筆者挿入)〕わけではありません。しかし、私たちは皆、変えられます。
52
 終わりのラッパの響きとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴り響くと、死者は朽ちない者に復活し、私たち〔キリストの空中再臨の時に肉体をもって生きている者(筆者挿入)〕は〔霊の体に(筆者挿入)〕変えられます。”(聖書協会共同訳)と記されています。

黙示録6章には、大患難時代おける神の裁きの一部が記されています。
それを箇条書きにすると次の様になります。
前半の三年半における神の裁きは次のようなものです。
 ①反キリストが地上に登場することを神が許可され、反キリストが地上に登場してくる(黙示録61.2)。反キリストはサタン(悪魔)の申し子です(黙示録131-8)。

 ②地上の平和がなくなり、人々が殺し合うことを神が許可されます(黙示録64)。
私の想像ですが、良心が麻痺し、放縦に任されるのかもしれません。{放縦(ローマ118-32)、良心の麻痺(1テモテ42・新改訳)

 ③極度の食糧難が起こります(黙示録65.6

 ④地上の人口の四分の一が死にます。死ぬ原因は、凶器によるもの、飢えによるもの、死病(おそらく疫病)によるもの、獣によるもの、等です。
(「疫病」と推測したのは、ルカ2111に“・・・方々に飢饉や疫病が起こり・・・”とあるからです)

 ⑤艱難時代の聖徒の呪いを主が受け入れられます・・・血の復讐・・・(黙示録610)血の復讐は大患難時代の後半にもたらされます(おもに第七の封印が解かれると血に関連する神の怒りが注がれます)。

 ⑥天変地異が起こります
黙示録612-17には次のように記されています。
12 また、小羊が第六の封印を解いたとき、私が見ていると、大地震が起きた。太陽は毛織(けおり)の粗布のように暗くなり、月は全体が血のようになって、13 天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようであった。
14
 天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
15
 地上の王、高官、将校、富める者、力ある者、また、すべての奴隷も自由人も洞穴や山の岩間に身を隠した。
16
 そして、山と岩に向かって言った。
「私たちの上に覆いかぶさって、玉座におられる方の顔と小羊の怒りから、私たちをかくまってくれ。17 神と小羊の大いなる怒りの日が来たのだ。誰がそれに耐えられようか。」”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは愛の神であると共に義の神でいらっしゃいます。
パウロは「神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かないつくしみと忍耐と寛容を軽んじているのですか。あなたは、頑なで悔い改める心がないために、神の正しいさばきが現れる御怒りの日の怒りを、自分のために蓄えています。」(ローマ24.52017)と述べています。
まずはキリストの福音を聞いた人たちの中で、キリストを受け入れようとしない人たちの心の目が覚まされて、キリストを救い主として、主として、信じることができますようにと願い求めます。
私たちが、救われてほしいととりなしの祈りをささげている人たちが神の御怒りが執行される前に、キリスト・イエス様を受け入れることができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・
神の御怒りがすべて執行された後の地上の人口は甚だ少ないようです。
イザヤ246bには“それゆえ、地の住民は減り、わずかな者だけが残される。”(2017)と記されています。{関連聖書個所(マタイ2531-46参照)}

2024年2月 4日 (日)

黙示録4章 天上における礼拝2/主への賛美と感謝

 黙示録4章には、
“1
その後、私が見ていると、開かれた扉が天にあった。そして、先にラッパのような声で私に語りかけた、あの最初の声が言った。
「ここへ上って来なさい。そうすれば、この後必ず起こることをあなたに示そう。」
2
私は、たちまち霊に満たされた。すると、天に玉座があり、そこに座っている方がおられた。
3
その座っている方は、碧玉や赤めのうのように見え、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。
4
また、玉座の周りに二十四の座があり、それらの座には白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。
5
玉座からは、稲妻、轟音、雷鳴が起こった。また、玉座の前には、七つの松明(たいまつ)が燃えていた。これは神の七つの霊である。
6
また、玉座の前には、水晶に似たガラスの海のようなものがあった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。
7
第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。
8
 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その表にも裏にも一面に目があった。それらは、昼も夜も絶え間なく唱(とな)え続けた。「聖なるかな、 聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主〔ギリシア語原語は、キュリオス(主) テオス(神) パントクラトール(全能者){筆者挿入}〕。かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
9
これらの生き物が、玉座に座り、世々限りなく生きておられる方に、栄光と誉れと感謝とを献げる度に、10 二十四人の長老は、玉座に座っている方の前にひれ伏し、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、その冠を玉座の前に投げ出して言った。
11
「私たちの主、また神よ。あなたこそ、栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、万物はあなたの御心によって存在し、また造られたからです。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 使徒ヨハネが見た天上のものは、地上で見たことのないものでした。したがってヨハネは、地上の似たものを用いて、~のようなor~ように、という表現を用いました。
ヨハネは、「碧玉や赤めのうのように見え」(3)、「エメラルドのような虹」(3)、「水晶に似たガラスの海のような」(6)、「獅子のようであり」(7)、「若い雄牛のようで」(7)、「人間のような顔を持ち」(7)、「鷲のよう」(7)などという表現をしています。

 天上で礼拝しているものたちを、ヨハネはこの4章においては、「24人の長老」(4)、「四つの生き物」(6-8)と記しています。
24
人の長老や四つの生き物が何を意味しているのかについての解釈は幾通りもあります。

 24人の長老について、ある研究者たちは天上のキリスト者だと言い、またある研究者たちは旧約の聖徒と新約の聖徒だと言い、またある研究者たちは旧約の聖徒たちと使徒たちだと言い、またある研究者たちは天使ではないだろうか、などと言っています。
私は、自分が天国に入れて頂いてから、それが誰を指していたのかがわかればよいと思っています。
私は、すでに天にいる旧約の聖徒も新約のキリスト者も天使たちも天で神ヤハウェ(主)を礼拝していること、それが重要だろうと思います。
 
 四つの生き物についてもいくつかの想像が提示されています。
ある研究者たちはケルビムやセラフィムだと考えています。
ケルビムはケルブの複数形です。
ケルビムは聖書のいくつかの個所に記されていますが、エゼキエル書の中からいくつかの聖句を下記します。
1:3 カルデア人の地、ケバル川のほとりで、祭司ブジの子エゼキエルに主の言葉が臨み、主の手が彼の上に臨んだ。
4
 私が見ていると、激しい風が北から吹いて来た。大きな雲と燃え続ける火とその周りに輝きがあり、その中に琥珀金のきらめきのようなものが見えた。
5
 また、その中には四つの生き物のようなものがあった。その姿は人のようであった。
6
 それぞれに四つの顔があり、四つの翼があった。
7
 その足はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏のようであり、磨かれた青銅のように輝いていた。
8
 また、その翼の下には、四つの方向に人の手があった。四つの生き物には顔と翼があり、9 翼は互いに触れ合い、進むときは向きを変えず、それぞれ前方に進んだ。
10
 顔のようなものは人の顔であり、四つとも右に獅子の顔、四つとも左に雄牛の顔、四つとも後ろには鷲の顔があった。
11
 顔はそのようであった。翼は上方に広げられ、一対は互いに触れ合い、一対はその体を覆っていた。
12
 それらはそれぞれ前方に進み、霊の行く所に行き、進むときその向きを変えなかった。
13
 生き物の間に炭火のような姿が見え、生き物の間を行き来する松明の姿のようであった。火は輝き、その火から稲妻が出ていた。
14
 生き物は、稲妻のひらめきのように、行ったり来たりしていた。/
10:18
 そして、主の栄光が神殿の敷居の上から出て、ケルビムの上にとどまった。
19
 ケルビムは翼を上げて、私の目の前で地から上った。彼らが出て行くとき、車輪もこれと共にあり、主の神殿の東の門の入り口で止まった。イスラ エルの神の栄光が高くその上にあった。
20
 それは、ケバル川のほとりで私がイスラエルの神のもとに見た生き物であった私は、それらがケルビムであることを知った
21
 それぞれには四つの顔があり、それぞれには四つの翼があった。その翼の下には、人の手のようなものがあった。
22
 その顔のようなものは、私がケバル川のほとりで見た顔と同じであった。彼らはそれぞれ前の方にまっすぐ進んで行った。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 セラフィム(複数形)についてイザヤ6章には次のように記されています。
1 ウジヤ王が死んだ年、私は、高く上げられた玉座に主〔アドナイ(筆者挿入)〕が座っておられるのを見た。その衣の裾は聖所を満たしていた。
2
 上の方にはセラフィムが控えていて、それぞれ六つの翼を持ち、二つの翼で顔を覆い、二つの翼で足を覆い、二つの翼で飛んでいた。
3
 そして互いに呼び交わして言った。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕。その栄光は全地に満ちる。」
4
 その呼びかける声によって敷居の基が揺れ動き、神殿は煙で満ちた。”(聖書協会共同訳)とあります。
「サーラフ」には、燃える、の意があり、セラフィムは熾(し)天使とも言われるようです。熾天使とは、神への愛と情熱で体が燃えていることを表しているのでしょう。

 また別の研究者たちは、四つの生き物に対する解釈を、別の解釈でまとめていますが省略します。

 わたしの心に留まったことは、天の神様の前で礼拝している者たちの賛美の内容です。何と賛美しているでしょうか。
「聖なるかな、 聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主〔ギリシア語原語は、キュリオス(主) テオス(神) パントクラトール(全能者){筆者挿入}〕。かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
「私たちの主、また神よ。あなたこそ、栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、万物はあなたの御心によって存在し、また造られたからです。」と賛美していたのです。
キュリオス(主) テオス(神) パントクラトール(全能者)という語はギリシア語ですが、ヘブライ語でしたら何というのでしょう。
ヤハウェ(主)エロヒーム(神)アービールorシャダイ(全能者)というのでしょうか。
ヘブライ語と英語の対訳聖書では「ヤハウェ エローヘー ツェバーオート」(万軍の神である主)となっています。
ヨブ402では、ヤハウェ(主)ご自身がヨブに「非難する者が全能者〔ヘブライ語原語「シャダイ」(筆者挿入)〕と争おうとするのか。神を責める者は、それに答えよ。」(2017)と語られています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちが地上に置かれている間も、へブル1315に「私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。」(2017)と勧められているように、あなたを賛美しながら歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。

2024年2月 3日 (土)

箴言27:20 よみも欲望も飽くことがない/神の霊に満たされることの幸い

 箴言2720を、
2017
は“よみと滅びの地は飽くことがなく、人の目も飽くことがない。”と訳し、
聖書協会共同訳は“陰府も滅びの国も満ち足りることがない。人間の目も満ち足りることがない。”と訳しています。

 「よみ」(2017)、「陰府」(聖書協会共同訳)と訳されているヘブライ語原語は「シェオール」です。70人訳ギリシア語聖書は「ハデース」となっています。

 ハデス(ハデース)について聖書辞典は次のように述べています。
“この語は新約聖書に10回出てくる。下界の神ハイデスからとったことばとされているが、旧約聖書の〈ヘ〉シェオール(よみ)と共通の概念を持っている。使2:27,31では詩16:10の〈ヘ〉シェオールが〈ギ〉ハデースと訳されている。これは通常「見えない世界」を指し、死後の世界、肉体的死とさばきの間の中間状態を指している。使2:25‐31の部分でペテロは死とハデスを同義語として扱っており、黙1:18,6:8,20:13‐14では死と一組で使われている。またハデスは、苦しみの場所でもある。・・。マタ11:23ではカペナウムはここに落とされるとあり、旧約的な地の下の概念が見える(参照詩139:8)。マタ16:18では教会の敵、サタンの本拠地として示されている。”(抜粋)とあります。

 使徒2章のペトロ(ペテロ)の説教の中から25-32節を下記します。
25 ダビデは、イエスについてこう言っています。
『私は絶えず目の前に主を見ていた。主が私の右におられるので私は揺らぐことがない。
26
 それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜び躍った。私の肉体もまた希望のうちに安らう。
27
 あなたは私の魂を陰府〔ヘブライ語原語は「シェオール」(筆者挿入)〕に捨て置かず、あなたの聖なる者を朽ち果てさせない〔滅びをお見せにならないからです(2017)〕。
28
 あなたは、命の道を私に示し、御前にいる私を喜びで満たしてくださる。』〔25b-28節は、詩篇168-11の引用です(筆者挿入)〕
29
 きょうだいたち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあると、はっきり言えます。
30
 ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人を王座に着かせると、神が堅く誓ってくださったことを知っていました。
31
 そして、キリストの復活について予見して、『彼は陰府〔ギリシア語原語は「ハデース」(筆者挿入)〕に捨て置かれず、その肉体は朽ち果てなかった』と語りました。
32
 神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です。”(聖書協会共同訳)とあります。

 箴言2720の「よみは飽くことがない」という個所を読んだときに、私が最初に思い浮かべた聖書個所は、黙示録68の預言聖句でした。そこには、
“私は見た。すると見よ、青ざめた馬がいた。これに乗っている者の名は「死」で、よみがそれに従っていた。彼らに、地上の四分の一を支配して、剣と飢饉と死病と地の獣によって殺す権威が与えられた。”(2017)と記されています。
「よみ(陰府)」(ギリシア語原語は「ハデース」)が携挙の後に地上に残された地球人口の1/4を呑み込むというのです。その時の人口が80億人であったと仮定するとわずかの期間に、よみは20億人も呑み込むのです。

 余談になりますが、キリスト者は「よみ(陰府)」には行かず、天国に行きます。
イエス様の御言葉に、「わたしは・・、わたしの教会(エクレシア)を建てます。よみ〔ハデース(筆者挿入)〕の門もそれに打ち勝つことはできません。」(マタイ1618抜粋・2017)というのがあります。
「よみ」は教会に勝つことができないのです。教会とは主に呼び出された者たち{御父が御子に与えられた者たち(ヨハネ637a1027-29172b)}、すなわち新生した者たちの集まりです。
また、エクレシアはよみに打ち勝ちますから、黙示録68の預言聖句が成就する時、もうすでに地上にはいない(天にる)か、万が一地上にいても守られるということでしょう(私は艱難時代前携挙説を取っていますから、キリスト者はこの時には地上にいないと考えています)。

 箴言2720bには「人間の目も満ち足りることがない」(聖書協会共同訳)とあります。
この個所は「目の欲」について述べていますが、1ヨハネ216には“すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。”(2017)と記されています。
この個所をリビングバイブルは“すべて世に属するもの――罪の性質から起こる欲望、性的な欲望、暮らし向きの虚栄心――は、神から出たものではなく、みな、この世の産み出したものです。”と意訳しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
三一の主の霊に満たされる幸いを覚えます。
何時もその様にいることができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
15 「あなたがたが私を愛しているならば、私の戒めを守るはずである。
16
 私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者〔ギリシア語原語は「パラクレートス」=助け手、弁護者、とりなし手、慰め主、真理を教授する方、支える方(筆者挿入)〕を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
17
 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、それを受けることができない。しかし、あなたがたは、この霊を知っている。この霊があなたがたのもとにおり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
18
 私は、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
19
 しばらくすると、世はもう私を見なくなるが、あなたがたは私を見る。私が生きているので、あなたがたも生きることになる。
20
 かの日には、私が父の内におり、あなたがたが私の内におり、私があなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる
21
 私の戒めを受け入れ、それを守る人は、私を愛する者である。私を愛する人は、私の父に愛される。私もその人を愛して、その人に私自身を現す。」/
23
 イエスは答えて言われた。「私を愛する人は、私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私とはその人のところに行き、一緒に住む。」”(ヨハネ14章・聖書協会共同訳)

2024年2月 2日 (金)

詩篇106:1-5 主への賛美はとこしえまでも終わらない/キリスト者は主を賛美する民

 詩篇1061-5には次のように記されています。
1 ハレルヤ。主に感謝せよ。まことに、主は恵み深い。その慈しみはとこしえに。
2
 誰が主の力強い業を語り、主への賛美をすべて聞かせられようか。
3
 幸いな者、公正を守り、どのような時にも正義を行う人は。
4
 主よ、あなたの民に与える恵みによって、私を心に留めてください。救いによって私を顧みてください。
5
 あなたの選ばれた者の幸いを見、あなたの国の喜びを喜び、ご自分の民と共に誇ることができるようにしてください。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1節を新共同訳は“ハレルヤ。恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに。”と訳し、
口語訳は“主をほめたたえよ。主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。”と訳し、
2017
は“ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。”と訳し、
リビングバイブルは“ハレルヤ。主の恵み深さを感謝します。その愛は、いつまでも変わることがありません。”と訳しています。

 主と日々絶えることなく交わりを保ち、主の恵みを体験している人は、1節のように主を賛美することでしょう。
そのような人は、主を聖なるお方として崇め、主により頼んで、主との間に隔てをつくらずに、歩むことの出来ている人でしょう。
主との間に隔てを作らないためには、他者から受けた悪を直ちに赦し、主に罪を示されたら、直ちに罪を告白する人です。
 マタイ614.15には「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しになりません。」(2017)という主イエス様の御言葉があります。
 1ヨハネ19には“もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。”(口語訳)と記されています。

 2節を、2017は“だれが主の大能のわざを告げ、主の誉れのすべてを語り聞かせることができよう。”と訳し、
リビングバイブルは“栄光に輝く主の奇蹟を、一つ残らず書き留めることのできる人がいるでしょうか。だれが、あなたを十分に賛美し尽くせましょう。”と訳し、
新共同訳は“主の力強い御業を言葉に表し、主への賛美をことごとく告げうる者があろうか。”と訳しています。

 私たちは、主と比べると、比べることができない程小さなものです。
主の御業を数多く体験したパウロは、次のように語りました。
“ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。「だれが主の心を知っているのですか。だれが主の助言者になったのですか。だれがまず主に与え、主から報いを受けるのですか。」すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。”(ローマ1133-362017)と。

 3節を2017は“幸いなことよ。さばきを守る人々。いかなるときにも正義を行う人は。”と訳し、
リビングバイブルは“公平と正義と思いやりとを身につけている人々には、幸福が訪れます。”と訳し、
新共同訳は“いかに幸いなことか、裁きを守り、どのような時にも恵みの業を果たす人は。”と訳し、
聖書協会共同訳は“幸いな者、公正を守り、どのような時にも正義を行う人は。”と訳しています。

 「裁き」(2017、新共同訳)、「公正」(聖書協会共同訳)、「公平」(リビングバイブル)と訳されている語のヘブライ語原語は「ミシュパート」で、それらのどの意もあります。

 「正義」(2017、聖書協会共同訳、リビングバイブル)と訳されているヘブライ語原語は「ツェダーカー」で、ツェダーカーには、正義、公正、正しさ、公平、公正の意があり、その他、繁栄、成功、徳、美徳、善行、・・・等の意もあります。新共同訳は「恵みの業」と訳しています。これは徳、美徳、善行等に当てはまるのでしょう。

 4節を、2017は“主よ。あなたが御民を受け入れてくださるときに、私を心に留め、あなたの御救いのときに私を顧みてください。”と訳し、
リビングバイブルは“ああ主よ。あなたの民に祝福と救いを注ぐとき、私にも目を留めてください。”と訳し、
聖書協会共同訳は“主よ、あなたの民に与える恵みによって、私を心に留めてください。救いによって私を顧みてください。”と訳しています。

 新生したキリスト者に対して、主はパウロを通して次のように語られました。
“神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(2017)と。
私たちは、主が与えてくださったものを、信仰によって引き出してくるのです。
ヨハネ2031には“これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。”(2017)と記され、
キリストは、全てのものをすべてのもので満たすことの出来る御方である(エペソ123参照)ということを教えられていますから、キリストのうちにはすべてがある、ということを本当に信じて信仰によって歩めたら幸いです。

 5節を、聖書協会共同訳は“あなたの選ばれた者の幸いを見、あなたの国の喜びを喜び、ご自分の民と共に誇ることができるようにしてください。”と訳し、
リビングバイブルは“この身をも、選ばれた民の繁栄にあずからせ、彼らと同じ喜びに浸り、ご栄光を共に味わわせてください。”と訳し、
2017
は“そのとき私はあなたに選ばれた者たちの幸せを見、あなたの国民の喜びを喜びとし、あなたのゆずりの民とともに誇ることができます。”と訳しています。

 「あなたの選ばれた者の幸いを見、あなたの国の喜びを喜び、ご自分の民と共に誇ることができるようにしてください。」(聖書協会共同訳)という祈りは、天の神の王国に入れていただいたときに、「そのとき私はあなたに選ばれた者たちの幸せを見、あなたの国民の喜びを喜びとし、あなたのゆずりの民とともに誇ることができます。」(2017)となるでしょう。
地上にあっても、あなたが与えてくださる祝福を体験し、天において成就する祝福をもイメージすることができるでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたは恵み深く、憐みに富み、驚くほどの恵みを与えてくださるお方でありますから御名を崇めて賛美します。
あなたの聖なる御名が、益々、ほめたたえられますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2024年2月 1日 (木)

黙示録7:9-17 大患難時代は大リバイバル時代

 黙示録7:9-17には次のように記されています。
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。
10
 彼らは声高らかに言った。
「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
 また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が、世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」
13
 すると、長老の一人が私に問いかけた。
「この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。」
14
 そこで私が、「私の主よ、それはあなたがご存じです」と答えると、長老は言った。
「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で 洗って白くしたのである。15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも、彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 ここに記されている内容は、携挙の後に起こることです。
教会時代に、福音を信じて、キリスト・イエスを主とし、父なる神様から義とされ、永遠の命を頂き、キリストの空中再臨時に、栄化の恵み、すなわち霊の体を頂き、天に引き上げられた人たちは、今日の聖書個所に記されている聖徒たちとは別のグループの者たちです。教会時代に救われた人たちは、キリストの花嫁(妻)です。

 余談になりますが、
黙示録197に記されている「花嫁」と訳されている語のギリシア語原語は「グネー」で、妻、婦人、の意です。ヨハネ329や黙示録2217に「花嫁」と訳されている語のギリシア語原語は「ニュムフェー」で花嫁です。

 話を元に戻します。
携挙後には、新生していなかったけれどもクリスチャンであると自分自身では思っていた人たちが、携挙から漏れて地上に残っているのです。
また、イスラエル人の中から144,000人の伝道者が、この時代に起こされるのですが、その人たちの伝道によって、全世界に福音がのべ伝えられます。
その伝道によって救われる人も数多くいるのです。
 
 大患難時代の前半には、世界統一宗教が誕生しています。
使徒412に「この方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(2017)という聖句がありますが、世界統一宗教は、イエスはキリスト(メシア)である。イエスは主である、と証しするor告白する人を殺すのです。

 携挙後の時代(大患難時代)に主イエス様を信じて救われる人たちの多くは殉教します。
なぜそのように言えるかというと、黙示録176に“私は、この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見て、非常に驚いた。”(2017)と記されているからです。
「この女」と記されている人は、キリスト教会と思われているところから登場するのでしょう。しかし救われているわけではありません。それ故、黙示録171では「大淫婦」と言われています。
 黙示録17章には次のように記されています。
1 さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、私に語りかけた。
「ここへ来なさい。大水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。
2
 地上の王たちは、この女と淫らなことをし〔天地の主であるキリスト・イエスを礼拝しないでサタンやサタンに属しているものを礼拝し(筆者挿入)〕、地上に住む人々は、彼女の淫行のぶどう酒に酔いしれている〔サタン礼拝orサタンが立てた者に対する信心に陶酔している(筆者挿入)〕。」
3
 それから天使は、霊に満たされた私を荒れ野に連れて行った。すると私は、深紅の獣の上に座っている一人の女を見た。この獣は、神を冒瀆する数々の名で覆われ、七つの頭と十本の角を持っていた。
4
 女は紫と深紅の衣をまとい、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分の淫行の汚れに満ちた金の杯を手に持っていた。
5
 その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、淫らな女や地上の忌まわしい者たちの母」という名である。
6
 私は、この女が聖なる者の血と、イエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見て、私は非常に驚いた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 使徒ヨハネが驚いたのは、イエスの血に酔いしれている宗教界のトップが、キリスト教の大いなる者と呼ばれている人であったからでしょう。しかしその人は「淫婦」であったのです。すなわちキリストではなく、サタンを愛していたのです。偶像の大元はサタンです。ここでいう「淫婦」とは霊的にみだらであるということと本来はキリストを夫としている者であるはずであった者です。

 どうしてこの大淫婦が、世界統一宗教のトップであるかというと、黙示録1715に“天使はまた、私に言った。「あなたが見た水、あの淫婦が座っている所は、さまざまな民族、群衆、国民、言葉の違う民である。」”(聖書協会共同訳)と語っているからです。それは全世界を表しています。大淫婦は世界に君臨しているのです。

 教会時代、すなわち恵みの時代に救われた者たちは、キリストの花嫁です。
福音を聞いたときに、大患難時代でも救われることができるなら、今信じなくてもいいや、と考える人がいるかもしれませんが、大患難時代に、イエスは主です、と告白して救われる人の多くは、血だらけになるような殺され方をして救われることになるのです。

 私たち教会時代の信徒たちに、主イエス様は「あなたがたの敵を愛しなさい。あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。あなたがたを侮辱する者たちのために祈りなさい。」(ルカ627.282017)と言われましたが、大患難時代の殉教者たちには、そのようには言いませんでした。
 黙示録69-11には次のように記されています。
“小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神の言葉のゆえに、また、自分たちが立てた証しのゆえに殺された人々の魂を、祭壇の下に見た。
10
 彼らは大声でこう叫んだ。
「聖なるまことの主よ、あなたはいつまで裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
11
 すると、彼らの一人一人に白い衣が与えられ、それから、「あなたがたと同じように殺されようとしているきょうだいであり、同じ僕である者の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と告げられた。”(聖書協会共同訳)とあります。
下線部分の文言を考えると、艱難時代の聖徒の数は決まっているようです。

 艱難時代の聖徒は大変な思いをして救われてくるのです。
また中には、飢え死にして救われてくる者もいるのです。
 黙示録1315-17には次のように記されているからです。
“第二の獣は、獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。
16
 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
17
 そして、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようにした。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。”(聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
教会時代に救いを与えられたことを感謝します。
私たちが救われてほしいと願い、とりなしの祈りの対象である人たちが、願わくは、教会時代の間に、主イエス様の御救いにあずかることができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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