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2024年2月22日 (木)

詩篇106:24-26 主の約束を信ぜず、主に信頼する者たちの証言を信じない民/主の約束を信じない者ではなく主を信じて歩む者

 詩篇10624-26には次のように記されています。
24 ところが彼らは愛すべき地を侮(あなど)り、御言葉を信じず、25 天幕でつぶやき、主の声に聞き従わなかった。
26
 主は彼らに向かって手を上げ、荒れ野で彼らを倒すと誓った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 この個所は、民数記13.14章に記されているカナンの地を偵察してきた者たち12人の内、不信仰者10人の言葉を受け入れたイスラエルの民の状態と、それにたいする神ヤハウェ(主)の裁きについて記されています。

 24.25節には“ところが彼らは愛すべき地を侮り、御言葉を信じず、25 天幕でつぶやき、主の声に聞き従わなかった。”とあります。

聖書協会共同訳、新共同訳が「愛すべき地」と訳した個所を、2017は「尊い地」、新改訳初版~第三版と口語訳は「麗しい地」と訳しています。そのように訳されているヘブライ語原語は「エレツ(地) ヘムダー」で、「ヘムダー」には、喜ばせる、楽しませる、快い、高価な、貴重な、愛しい、・・・等の意があります。

 神様は、カナンの地を「愛すべき地」「麗しい地」「尊い地」と言われたのですが、荒野を旅しているイスラエルのほとんどの民は、その言葉を信ぜず、さげすんだのです。

 上述したように、「麗しい地」とはカナンの地のことで、エジプトにおいて神様がモーセに現れ、モーセを召し、モーセを派遣するにあたって最初に約束された地なのです。
 出エジプト37-10には、
“7
 主は言われた。「私は、エジプトにおける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに知った。
8
 それで、私は降って行って、私の民をエジプトの手から救い出し、その地から、豊かで広い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘト人〔ヒッタイト人(2017)〕、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、そしてエブス人の住む所に導き上る
9
 今、イスラエルの人々の叫びが私のもとに届いた。私はエジプト人が彼らを虐げているのを目の当たりにした。
10
 さあ行け。私はあなたをファラオのもとに遣わす。私の民、イスラエルの人々をエジプトから導き出しなさい。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 8節に記されてある地は、神様がアブラハムに与えると約束した地であり、創世記1513-1618-21には、神様がアブラハムに次のように語られたことが記されています。
「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。ここに戻って来るのは、四代目の者たちである。それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。」/
「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、カイン人〔ケニ人(新改訳)〕、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人〔ヒッタイト人(2017)〕、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える。」(新共同訳)とあります。
この契約は、更にアブラハムの子孫のイサク、ヤコブに継承されていったのです。

 10624-26の箇所は、前述しましたが、民数紀13.14章に記されています。
この出来事は、エジプトを出て2年目に入ってからのことだろうと思います。

 神様は、イスラエルの部族長達12人にカナンの地を探らせよ、とモーセに命じました。(民131.2
部族長たち斥候は偵察に40日間を費やしました(民1317-25)。

 部族長たち斥候の報告の中で良かった内容は、「そこはまことに乳と蜜の流れる地でした。これがそこの果実です。」(民1327・聖書協会共同訳)というものであり、「これがそこの果実です。」と見せた物は、民1323に「彼らはエシュコルの谷まで行き、一房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒で担いで二人で運んだ。また、ざくろといちじくも取った。」(聖書協会共同訳)と記されている大きなブドウやザクロ、イチジクであったのです。

 12人の部族長たちの内の10人が、それに加えて語った内容は次に記すように不信仰に満ちた大変悪い内容でした。
「・・・、その地に住む民は強く、町は城壁に囲まれ、とても大きいのです。私たちはそこでアナク人〔巨人で強い(筆者挿入)〕の子孫さえも見ました。ネゲブの地にはアマレク人が住み、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人が住み、海辺とヨルダンの岸辺にはカナン人が住んでいます。」(民1328.29・聖書協会共同訳)と記されています。
斥候の12人の内の10人は、恐らく、とてもその地を征服することなど出来ないよ、というような表情や態度でモーセと全ての民に対して語ったのでしょう。

 これに対して、神様が約束された御言葉を信じ、神様に信頼している二人の部族長であるカレブとヨシュア(ホセア)のうちのカレブが、不信仰に満ちた部族長たちの言葉に反対して、「私たちはぜひとも上って行くべきです。そこを手に入れましょう。私たちには必ずできます。」(民1330・聖書協会共同訳)と語ったのです。

 しかし、斥候として行った内の不信仰な10人の部族長たちは、「いや、あの民に向かって上ることなどできません。彼らは私たちよりも強いからです」(民数記1331・聖書協会共同訳)と言いました。
そして、偵察した地について、イスラエルの人々の間に悪い噂を広めて「私たちが偵察のために行き巡った地は、そこに住もうとする者を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民は皆、巨人だった。私たちはそこでネフィリムを見た。アナク人はネフィリムの出身なのだ。私たちの目には自分がばったのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。」(民1332.33・聖書協会共同訳)と言って、カレブの言葉を打ち消し、カナンの地には巨人がいて私達を打ち滅ぼしてしまうと不信仰の種を全員に撒き散らしたのです。

 この報告を聞いたイスラエルの民はどのような反応をしたのでしょうか?
神様を信頼したのか、或いは、不信仰の種を大きく成長させたのか?

 イスラエルの民の反応、言動が民数記141-4に次のように記されています。
“1
 全会衆は声を上げて叫び、民はその夜、泣き通した。
2
 イスラエルの人々は皆、モーセとアロンに向かって不平を言い、全会衆が彼らに言った。
「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。この荒れ野で死んでいたらよかったのに。3 どうして、主は私たちをこの地に連れて来て、剣に倒れさせようとするのだろうか。私たちの妻も幼子も奪われてしまうだろう。エジプトに帰ったほうがましではないか。」
4
 そして互いに「さあ、頭を立てて、エジプトへ帰ろう」と言い合った。(聖書協会共同訳)とあります。
 
 イスラエルの民は、1年少し前に、神様が行なったエジプトに対する10の災いを見、更に、紅海の海水を左右に分けて渡らせてくださったことを体験し、荒野に入ってからは、神様が、マナを与え続けて下さっておられること、肉を食べたいと言ったらウズラを驚くほど多く飛んで来させられて与えてくださったこと等々と、わずかの間に驚くべき神様の御業を体験していました。
更に雲の柱、火の柱の中に神様が臨在され、守り導いてくださっておられる、ということも体験してきているのです。

 しかし、イスラエルの民は、10人の族長たちから、巨人ネフィリムに滅ぼされてしまうだろう、との話を聞き、不信仰で一杯になってしまったのです。

 それに対して、ヨシュアとカレブはイスラエルの民を神様に対する信仰に立たせようと励ましました。
 民147-9には、「私たちが偵察のために行き巡った地は、実に良い地でした。もし、私たちが主の御心に適うなら、主は私たちをあの地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる地を私たちに与えてくださるでしょう。ただ、主に逆らってはなりません。その地の民を恐れてもなりません。彼らは私たちの餌食にすぎないのですから。彼らを守るものは彼らから離れ去り〔彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。(2017)〕私たちには主が共におられます。彼らを恐れてはなりません。」(聖書協会共同訳)と記されています。

 ヨシュアとカレブの励ましを聞いて、イスラエルの民は、信仰に立つどころか二人を石で打ち殺そうといいだしたのです(民1410)。

 この出来事に対して神様は次のように次のように語られました。
「この民はいつまで私を侮るのか。私が彼らのうちに行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまで私を信じないのか。私は疫病で彼らを打ち、彼らを捨てて、あなたを彼らよりも大いなる強い国民としよう。」(民1411.12・聖書協会共同訳)と記されています。

 詩篇の今日の個所には記されていませんが、神様の御言葉に対してモーセはとりなしの祈りをしました。
その祈りによって、出エジプトを果たし荒野を歩んできたイスラエルの民が直ちに滅びるということはなくなりました。
しかし、10人の斥候は疫病で死にました(民1437)。
またイスラエルの民の不信仰のゆえに、イスラエルは40年の間、荒野の生活を送らねばならなくなりました。そして、その間に20歳以上のイスラエルの民は、ヨシュアとカレブを除いて死に絶えたのです。
カナンの地に入っていくことの出来た者は、ヨシュアとカレブ、及びこの時点で、20歳未満のイスラエルの民でした。

 結局神様は、斥候として12人を使わされましたが、神様に対する信頼、不信頼に応じて個々に扱われたのです。

 キリスト者は、イエス・キリスト様を信じて救われ、永遠のいのちを与えられたのです。救いに与らせて頂いた後もすベてにおいて主に信頼して歩めたら幸いです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
ヨシュアとカレブのように主に信頼して歩んでいくことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

恐れが先立って身動き出来ずにいる事より、主を信じて、恐れていても信仰に立って行ってゆくことの大切さを学びます。
今日の箇所は、世の中でよく見かける事だと思います。信仰の道から逸れそうになっては戻るの繰り返しな歩みですが、離れずに信じ続けてゆくことができますようにと祈り求めます。
(最近ようやく、執り成しの祈りの意味がわかり始めてきた気がします)

主に信頼して歩むことを主は喜ばれますね。

アーメン。

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