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2024年4月12日 (金)

箴言28:14 主を愛し主に従う幸いな歩み

 箴言2814を、
2017
は“幸いなことよ、いつも恐れる心を持つ人は。しかし、心を頑なにする者はわざわいに陥る。”と訳し、
リビングバイブルは“神を大切にする人は幸せになり、神のことなど気にもかけない者は面倒に巻き込まれます。”と訳し、
聖書協会共同訳は“幸いな者とは常に主を畏れる人。心のかたくなな者〔直訳「心を硬くする者」(欄外注)〕は災いへと落ちる。”と訳しています。

 リビングバイブルは“神を大切にする人は幸せになり、神のことなど気にもかけない者は面倒に巻き込まれます。”と訳していますが、この世の国々においては、まことの神様を大切にしてor愛して、従うゆえに、面倒に巻き込まれることもありますね。

 新生しているキリスト者の国は、この世のものではありませんからね。
主イエス様は、ピラトに「わたしの国はこの世のものではありません。」(ヨハネ18362017)と語りました。

 主イエス様は、「義のために迫害されている者は幸いです。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。」(マタイ510-12抜粋・2017)とも語られました。

 「あなたがたの報いは大きい」(マタイ512)と記されていることが明らかになるのは、2コリント510に「私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。」(2017)と記されている時なのでしょう。

 箴言2814には「幸いなるかな。いつも(まことの神を)畏れる人は。しかし、心を頑なにする人はわざわいに陥る。」(私訳)とあります。

 まことの神を畏れ敬い、愛し、従う人は、この世において多くの困難に遭遇したとしても、肉体においてはシビア―なこともあるでしょうが、霊においてはいつも幸いですし、魂には喜びがあることでしょう。

 霊は主との交わりが常にあるので幸いなのです。(1コリント6171ヨハネ13後半部分;参照)
また、魂は救われ、主を信じ、愛しているゆえに喜びがあるのです。(1ペテロ18.9参照)
しかし、肉体はそうとは限りません。
パウロは、外なる人(肉体)は衰える(2コリント416)し{若いときではなく年を重ねたパウロの言葉}、肉の内には罪が住んでいる(ローマ718-20.23)と語りました。

 肉の人としてではなく、霊の人として歩みたいですね。

 この箴言の聖句の後半部分には「(まことの神に対して)心を頑なにする人はわざわいに陥る。」と記されています。

 この世においては、まことの神様に対して敵対している人でも成功しているように見える人たちはいます。

 アサフは次のような詩を書きました。
3 神に逆らう者の安泰を見て、わたしは驕る者をうらやんだ。
4
死ぬまで彼らは苦しみを知らず、からだも肥えている。
5
だれにもある労苦すら彼らにはない。だれもがかかる病も彼らには触れない。
6
傲慢は首飾りとなり、不法は衣となって彼らを包む。
7
目は脂肪の中から見まわし、心には悪だくみが溢れる。
8
彼らは侮り、災いをもたらそうと定め、高く構え、暴力を振るおうと定める。
9
口を天に置き、舌は地を行く。
11
そして彼らは言う。「神が何を知っていようか。いと高き神にどのような知識があろうか。」
12
見よ、これが神に逆らう者。とこしえに安穏で、財をなしていく。”(詩篇73篇・新共同訳)と記されています。

 しかしアサフは主から次のように教えられたのです。
17 ついに、わたしは神の聖所を訪れ、彼らの行く末を見分けた。
18
あなた〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が滑りやすい道を彼らに対して備え、彼らを迷いに落とされるのを。
19
彼らを一瞬のうちに荒廃に落とし、災難によって滅ぼし尽くされるのを。”(詩篇73篇・新共同訳)と記されています。

 まことの神様信じない人は、死んだ後、よみ{(へ)シェオール、(ギ)ハデース}に行きます。
主イエス様は、その一例としてルカ16章で、金持ちの例を述べています。
23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、アブラハムとその懐にいるラザロとが、はるかかなたに見えた。
24
 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、私を憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、私の舌を冷やさせてください。この炎の中で苦しくてたまりません。』
25
 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出すがよい。お前は生きている間に良いものを受け、ラザロのほうは悪いものを受けた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。
26
 そればかりか、私たちとお前たちの間には大きな淵が設けられ、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこから私たちの方に越えて来ることもできない。』”(聖書協会共同訳)と記されています。

 この金持ちが、イエス様の時代の人であったとしたら、最後の審判(白い御座の裁き)まで、最低でも3000年以上あるかもしれないのです。

 新生したキリスト者は、霊の人として歩めば、他人にはどのように思われたとしても、霊と魂には幸せがあり、肉体を脱ぎ捨てた後は、天にある神の王国へと直行させていただけるのです。
また、キリストの空中再臨時に肉体をもって地上に生きている人は、一瞬のうちに霊の体に変えられ、強制的に引き上げられて、空中で主とお会いし、更に天国に連れて行っていただけるのです。
天には住まいも用意されています。
 ヨハネ14章には、主イエス様の御言葉が次のように記されています。
「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」(1-4節・聖書協会共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつも主なる神様を畏れ敬い、主を愛し、主に信頼し、主に従う歩みをし続けていくことができますよう祝福して下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

リビングバイブルを読んだ時、この世でイエス様の御教えに従っていると、巻き込まれるけれども…?と思ったので、トミーさんの解説に大きく頷きました。学ばせていただける事に改めて感謝します。
まことの神様に対して敵対している人や、主イエス様に対して暴言を吐いている人が嫌いになってしまいます。それは子供じみた発想ですね…。その様な事が起きた時や、また何か起きた時、直ぐに主に信頼を置く事がまだできていないので、不安などが生じてしまう時があります。その様な時、目に見える肉に支配され、私の心の内も肉の思いに支配され、信じる事ができなくなります。そうすると苦しみに満ち、言葉も神様からではないものへと変わってしまいます。全てが悪の方へ…。
マタイ福音書に記されている通り、罪の法則のとりこになってしまいます…。
ヨハ14:1-4の御言葉を信じ、常に主なる神様を見、言葉にしてゆく事ができますよう、祈り求めます。
トミーさんのお祈りの中〝祝福してい下さい〟となっていました。細かな所をすみません。

ありがとうございました。
直しておきました。

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