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2024年4月 7日 (日)

詩篇107:17-22 主から離れ、主の道から外れ、罪責感にさいなまされている人でも、主に立ち返れば、主は癒してくださる/ダビデ王の事例から

 詩篇10717-22には次のように記されています。
17 彼らは背きの歩みのゆえに愚か者となり、過ちのゆえに苦しむことになった。
18
 彼らの喉はどの食べ物も忌み嫌い、彼らは死の門に近づいた。
19
苦難の中で主に叫ぶと、主は彼らを苦しみから救い出した。
20
 主は言葉を送って人々を癒やし、破滅から解き放ってくださった。
21
 主に感謝せよ。その慈しみと人の子らになされた奇しき業のゆえに。
22
 感謝のいけにえを献げ、喜び歌いつつ、御業を語り伝えよ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 17節には“彼らは背きの歩みのゆえに愚か者となり、過ちのゆえに苦しむことになった。”(聖書協会共同訳)と記されています。
この個所を2017は“愚か者は自分の背きの道のため、また咎のために苦しみを受けた。”と訳し、
リビングバイブルは“愚かな人々は、罪深い行いのために、病気にかかりました。”と意訳しています。
口語訳は“ある者はその罪に汚れた行いによって病み、その不義のゆえに悩んだ。”と訳しています。

 ダビデはウリヤの妻バト・シェバの水浴を見たときに主の御旨に背く姦淫の罪を犯しました(マタイ528参照)。
それまでのダビデは、おおむね主のみ旨に従い、主に信頼して良き歩みをしていました。

 ダビデが犯した背きの罪は、バト・シェバ事件で言えば、姦淫と殺人の罪(現代社会では殺人教唆の罪)です。

 2サムエル11章に次のように記されています。
1 年が改まり、王たちが出陣する季節になった。ダビデは、ヨアブに自分の家臣を付けて、イスラエルの全軍を送り出した。彼らはアンモン人を皆殺しにし、ラバを包囲した。この時ダビデはエルサレムにとどまっていた。
2
 ある夕暮れ時、ダビデは寝床から起き上がり、王宮の屋上を散歩していたところ、屋上から一人の女が水を浴びているのを見た。女は大層美しかった。
3
 ダビデは人をやってその女のことを調べさせると、「あれはエリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻です」との知らせを受けた。
4
 ダビデは使いの者をやって彼女を召し出し、彼女がダビデのもとに来ると、床を共にした。彼女は汚れから身を清めたばかりであった。そして彼女は 自分の家に帰って行った。
5
 やがて女は身ごもり、人をやってダビデに告げた。「私は子を宿しました。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 この後ダビデは、バト・シェバが宿した子をヘト人ウリヤの子であるように策略を練り、それを実行しました。しかしうまくいきませんでした。うまくいかなかった理由は、ヘト人ウリヤが立派な軍人であったからです。(2サムエル116-13参照)

 バト・シェバの胎児が、ヘト人ウリヤの子であるというというごまかしに失敗したダビデは、次に殺人教唆の罪を犯すのです。これは事実上の殺人です。
 2サムエル1114-17には次のように記されています。
14 翌朝、ダビデはヨアブに宛てて書簡をしたため、ウリヤに託して送った。
15
 その書簡にはこう書いてあった。
「ウリヤを戦いが熾烈な最前線に出し、彼を残したまま退却して、討ち死にさせよ。」
16
 町を見張っていたヨアブは、武勇に優れた者がいると判断した辺りにウリヤを配置した。
17
 町の者たちは出撃してヨアブの軍と戦い、兵からもダビデの家臣からも倒れる者が出て、ヘト人ウリヤも死んだ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ダビデのような姦淫や殺人を犯した人はあまりいないでしょう。
しかし主なる神様は次の様にご覧になるのです。
27 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
28
 しかし、私は言っておく。情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫を犯したのである。
29
 右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。体の一部がなくなっても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがましである。
30
 右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨てなさい。体の一部がなくなっても、全身がゲヘナに落ちないほうがましである。」/
 21 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。
22
 しかし、私は言っておく。きょうだいに腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。きょうだいに『馬鹿』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、ゲヘナの火に投げ込まれる。
23
 だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、きょうだいが自分に恨みを抱いていることをそこで思い出したなら、24 その供え物を祭壇の前に置き、まず行って、きょうだいと仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」”(マタイ5章・聖書協会共同訳)とあります。

 話しを元に戻します。
バト・シェバの心はどのようであったのでしょう。
2
サムエル1126には“ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆き悲しんだ。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 この後、ダビデは詩篇10717.18の聖句のような状態に陥りました。
口語訳はこの個所を次のように訳しています。
17 ある者はその罪に汚れた行いによって病み、その不義のゆえに悩んだ。
18
彼らはすべての食物をきらって、死の門に近づいた。”と記されています。

 詩篇323.4には、この時のダビデの状態が、ダビデ自身によって次のように記されています。
「わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす〔一日中(筆者挿入)〕苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。」(口語訳)とあります。

 ダビデのこのような状態に対して、主なる神様は、ダビデに助けの手を伸ばされたのです。主なる神様は、ダビデに預言者ナタンを遣わされ、罪を指摘なさいました。
ダビデはナタンの話を聞き、主に自分の罪を告白したのです。
主はダビデの罪を赦してくださいましたが、罪の刈り取りもせねばならないと言われました。またバト・シェバが産んだ子は七日目に死にました。(2サムエル121-18a

 詩篇325には“私は自分の罪をあなたに知らせ、自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。
「私の背きを主に告白しよう」と。
するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。”(2017)と記されています。

 詩篇10719.20には“19 苦難の中で主に叫ぶと、主は彼らを苦しみから救い出した。20 主は言葉を送って人々を癒やし、破滅から解き放ってくださった。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 続く21.22節には次のように記されています。
21 主に感謝せよ。その慈しみと人の子らになされた奇しき業のゆえに。
22
 感謝のいけにえを献げ、喜び歌いつつ、御業を語り伝えよ。”(聖書協会共同訳)とあります。

 詩篇32篇は次のように記されています。
1 ダビデの詩。マスキール。
いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
2
いかに幸いなことでしょう。主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
3
わたしは黙し続けて絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
4
御手は昼も夜もわたしの上に重く、わたしの力は夏の日照りにあって衰え果てました。〔セラ
5
わたしは罪をあなたに示し、咎を隠しませんでした。わたしは言いました。
「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦してくださいました。〔セラ
6
あなたの慈しみに生きる人は皆、あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。
大水が溢れ流れるときにも、その人に及ぶことは決してありません。
7
あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもってわたしを囲んでくださる方。〔セラ
8
わたしはあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
9
分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。
10
神に逆らう者は悩みが多く、主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
11
神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。”(新共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
聖なるあなたは、義なる神であられると共に、愛なる神であられますから御名を賛美します。
罪を犯してしまったときにも、1ヨハネ19の“もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。”(2017)という聖句に基づいてお取り扱いくださいますからありがとうございます。
1
ペテロ115に“あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。”(新改訳初版~第三版)という聖句がありますが、願わくは、その如くにさせて頂けますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

罪を告白することでゆるしてくださる神様に感謝します。
日々の生活の中に当てはめ、主の御旨に従った歩みをし続けていくことができますよう、祈り求めます。

本当にありがたいですね。
主イエス様の贖いに大感謝です。

アーメン。

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