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2024年4月 5日 (金)

黙示録22:1-5 新エルサレムにおける御父と御子と贖われた者たち

黙示録221-5には次のように記されています。
1 天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように光り輝く命の水の川を私に見せた。
2
 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実を実らせる。その木の葉は諸国の民の病を癒やす。
3
 もはや呪われるべきものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、4 御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。
5
 もはや夜はなく、灯の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らすからである。そして、彼らは世々限りなく支配する。”(聖書協会共同訳)とあります。

 新エルサレムには呪われるべきものが一つもなく(3)、夜もありません(5)。光は神であるヤハウェ(主)です(5)。
1
ヨハネ15には“神は光であり、神には闇が全くないということです。”(抜粋・2017)と記され、
ヨハネ14.5には“この〔主イエス・キリストの(筆者挿入)〕いのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。”(抜粋・2017)と記されています。

 ペトロ(ペテロ)、ヤコブ、ヨハネは光り輝く主イエス・キリスト様を見ました。
マタイ171.2に、
“六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。すると、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 1.2節には“天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように光り輝く命の水の川を私に見せた。2 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実を実らせる。その木の葉は諸国の民の病を癒やす。”と記されています。

 エゼキエル471-12には次のように記されています。
1 彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。すると、水が神殿の敷居の下から湧き出て、東の方に流れていた。神殿の正面が東に向いていたからである。水は祭壇の南、神殿の南側の下から流れ下っていた。
2
 彼は北の門を通って私を連れ出し、外の道を回って東に向いた外門に連れて行った。すると、水は南側から流れ出ていた。
3
 その人は、手に測り縄を持って東に出て行き、一千アンマを測り、私に水の中を渡らせた。すると水はくるぶしまであった。
4
 彼はさらに一千アンマを測って、私に水の中を渡らせると、水は膝に達した。さらに彼は一千アンマを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。
5
 彼がさらに一千アンマを測ると、もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川となった。
6
 彼は私に、「人の子よ、見たか」と言って、私を川岸へ連れ戻した。
7
 私が戻って来て見ると、川の両岸には、非常に多くの木があった。
8
 彼は私に言った。「これらの水は、東の地域に流れ出てアラバに下り、海〔「死海」のこと(筆者挿入)〕、すなわち汚れた水の海に入る。するとその水は癒やされる。
9
 川が流れて行く所はどこでも、そこに群がるすべての生き物は生き、魚が非常に多くなる。この水が入ると、そこの水が癒やされ、この川が流れる所では、すべてのものが生きるからである。
10
 漁師たちがそのほとりに立ち、エン・ゲディからエン・エグライムまで、引き網を広げる所となる。そこの魚は大海の魚のように種類が増え、非常に多くなる。
11
 しかし、沢と沼は癒やされず、塩を取ることができる。
12
 川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が成長し、その葉は枯れず、絶えず月ごとに新しい実をつける。水が聖所から流れ出ているからである。 実は食用となり、葉は薬用となる。」”(聖書協会共同訳)とあります。
この記述は、キリストの千年王国の預言ではないかと思いますが、新天新地の新エルサレムにおいてもその中心的な事柄は移行されるのではないかと想像します。

 黙示録221-5には、キリストの花嫁(妻)については記されていないと思います。
2
節の「諸国の民」については、黙示録2124-26に次のように記されています。
24 諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて都に来る。25 都の門は、終日閉じることがない。そこには夜がないからである。26 人々は諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。”(聖書協会共同訳)とあります。

 携挙されたキリスト者すなわちキリストの花嫁についての記述は1テサロニケ417に“私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”(2017)と記され、
エペソ26には“キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。”(口語訳)と記されています。

 キリストの花嫁はどうしてこのような祝福を得たのでしょう。
それはキリストの花嫁に何かの功績があったというのではなく、ただただ御父の愛に基づく御旨の故なのではないかと私は思うのです。御父とみ子をほめたたえるのみです。
 エフェソ13.4には、
3 私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上で、あらゆる霊の祝福をもって私たちを祝福し、4 天地創造の前に、キリストにあって私たちをお選びになりました。私たちが愛の内に御前で聖なる、傷のない者となるためです。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 主イエス様は「見ないで信じる人たちは幸いです。」(ヨハネ2029抜粋・2017)と言われましたが、教会時代すなわち恵みの時代の私たちは、主イエス様を肉眼で見ることをしなかったのに、主イエス様を信じたのです。それは、主イエス様を信じる信仰を与えられたからではないかと思います{エフェソ(エペソ)28参照}。

 黙示録711の「長老たち」とは、花嫁を代表している表現と理解することができるのではないかと思います。長老たちはキリストとともにいるのです。
黙示録79-17には次のように記されています。
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。10 彼らは声高らかに言った。
「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
 また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が、世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」
13
 すると、長老の一人が私に問いかけた。
「この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。」
14
 そこで私が、「私の主よ、それはあなたがご存じです」と答えると、長老は言った。
「この人たちは大きな苦難〔大患難(筆者挿入)〕をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。15 それゆえ、彼ら〔艱難時代の聖徒たち(筆者挿入)〕は神の玉座の前にいて、昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 長老たちは、御父と御子と四つの生き物と共におり、天使たちに囲まれ、また、御父と御子の御前には艱難時代の聖徒たちが礼拝している、という構図になっています。
エペソ26に“キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。”(口語訳)と記されていることが頷けます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
私たちは、ただただあなたの恵みによって祝福されていることを覚えます。
あなたを賛美し、あなたのすばらしさを証ししつつ歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

エゼキエル書9節の〝この水が入ると、そこの水が癒やされ〟という感覚ですよね。私は抜け落ちて、自力で行ってしまう事がまだまだありますので、自力ではなく、主の御力などが入った時、癒しといいますか、あります。
1テサ4:17の聖句が待ち遠しいです。

アーメン。

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