« 使徒1:15-26 イスカリオテのユダの自死とユダのポストの後継者のための選び | トップページ | 箴言28:22 お金に頼るのではなく主に頼る人の幸い »

2024年5月 1日 (水)

詩篇109:6-20 神様が義を執行なさることを求める祈り/救いのためのとりなしの祈り

 詩篇1096-20には次のように記されています。
6 「彼〔ダビデに対して不義に基づく言動をする人{2-5節を参照}(筆者挿入)〕に対して悪しき者を置いてくれ。訴える者が彼の右に立てばよい。
〔「悪しき者」のヘブライ語原語は「ラーシャー」、後半部分の「訴える者」のヘブライ語原語は「サーターン」。告発者として「サーターンを置いてください」との祈り(筆者挿入)〕
7
 裁きの時〔神ヤハウェの審判の時(筆者挿入)〕に、彼が悪しき者とされ、その祈りが罪となるように〔彼の祈りが罪とみなされますように(2017)〕。
8
 彼の人生の日々は僅かとなり、仕事は他人が取り上げるがよい。
9
 子どもらはみなしごに、妻はやもめになるがよい。
10
 子どもらは放浪して物乞いをすればよい。廃虚となった家からも追い出されるがよい。
11
 金貸しが彼の持ち物一切を奪い取り、見知らぬ者がその稼ぎをかすめ取るように。
12
 彼に慈しみを注ぐ者がいなくなり、みなしごとなった彼の子らを憐れむ者もいなくなるように。
13
 子孫は絶たれ、次の代には彼らの名前も消し去られるように。
14
 彼の先祖の過ちが主に覚えられ、母の罪は消し去られることのないように。
15
 それらがいつも主の前にあるように。主が彼らの記憶を地上から絶つように。
16
 これは、彼が慈しみを示そうとは思わず、苦しむ人、貧しい人、心の挫けた人を死に追いやろうとしたからだ。
17
 彼が呪いを好んだので、それは彼にやって来た。祝福を喜ばなかったので、それは彼から遠ざかった。
18
 呪いを衣服のように身にまとったので、それは水のように彼のはらわたに、油のように彼の骨の中に染み込んだ。
19
 呪いがその身を包む衣となり、いつも締める帯となった。」
20
 これが、私を訴え、私の魂を悪く言う者らへの主からの報いとなるように。”(聖書協会共同訳)とあります。

 20節には「・・私を訴え、私の魂を悪く言う者ら・・」とありますが、この詩の作者であるダビデは、ダビデに敵対する者にどのように扱われ、またどのように言われていたのでしょう。
 それは詩篇1092-5に次のように記されています。
2 悪しき者の口が、欺きの口が私に向かって開き、偽りの舌が私に語りかけます。
〔悪者どもは私を中傷し、偽りばかり並べ立てています。(リビングバイブル)〕
3
 憎しみの言葉が私を取り囲み、理由もなく戦いを挑んで来ます。
〔理由もないのに私を憎み、攻めかって来るのです。(リビングバイブル)〕
4
 私の愛に反して、彼らは私を訴えます。私は祈るばかりです。
〔私は彼らを愛し、彼らのために祈っているのに、私のいのちをつけねらうのです。(リビングバイブル)〕
5
 彼らは善には悪をもって、私の愛に憎しみをもって報います。
〔善の代わりに悪を、愛の代わりに憎しみを、返してよこします。(リビングバイブル)〕”(聖書協会共同訳)とあります。

 このような言動をするダビデの敵に対して、ダビデは神ヤハウェ(主)に、神ヤハウェが義を執行してくださるように、すなわち、神が裁いて罰を与えてくださるように、と祈った祈りが6-19節に記されているのです。

 ダビデは、ダビデのこの敵対者たちに対して、ダビデ自らが復讐をするのではなく、神の義に基づく裁きを神がしてくださり、また刑罰の執行をしてくださるようにと願いました。

 ローマ1219の“愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。”(新共同訳)という聖句を思い起こさせてくれます。

 私たちは、主の御救いにあずかる前は、神に背いている神の敵対者でした。
そうでありながらも、国で制定された法律を守っている多くの人たちは、この世の基準を基にして、自分を良い人だとか、自分はそれほど悪くない者だとか、中には自分は愛の人だと、自己評価していたではないかと思います。

 しかし実際はそうではなかったのです。
私たち救われた者たちの救われる前の実情と救いにあずかった次第をパウロはエフェソ(エペソ)2章に次のように記しています。
1 さて、あなたがたは、過ちと罪とのために死んだ者〔神に対して断絶{分離}している者(筆者挿入)〕であって、2 かつては罪の中で、この世の神ならぬ神に従って歩んでいました。空中に勢力を持つ者〔サタン(筆者挿入)〕、すなわち、不従順な子ら〔主なる神に従わない者たち(筆者挿入)〕に今も働く霊に従って歩んでいたのです。
3
 私たちも皆、以前はこういう者たちの中にいて、肉の欲のままに生き、肉とその思いとの欲することを行い、ほかの人々と同じように、生まれながらに神の怒りを受けるべき子〔原語は複数形(筆者挿入)〕でした。
4
 しかし、神は憐れみ深く、私たちを愛された大いなる愛によって、5 過ちのうちに死んでいた私たちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――/8 あなたがたは恵みにより、信仰を通して救われたのです。それは、あなたがたの力によるのではなく、神の賜物です。
9
 行いによるのではありません。それは、誰も誇ることがないためです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イエス・キリスト様は十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23342017)と祈られました。

 キリストの救いにあずかった人の内にはキリストの霊が住んでおられます(ローマ89)。
それ故、主キリスト・イエス様はおっしゃいます。
「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5442017)と。

 「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」(2017)と1テモテ24に記されています。
サタンの奴隷とされている人たちがサタンの支配から解放されて、主に従う人となることができるよう、私たちは、敵のために祈ることを求められています。
最後の審判は、神の主権の下、時が来れば行われるものです。
そして、その時には、その裁きに基づいた刑罰の執行が為されるのです。
「神がいるなら、どうして悪をそのままにしておくのだ。」という人たちもいますが、そのように言う人たちをも含め、最後の審判の時には神の御前に立たされることになることでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
裁きは主に委ねて、私たちは、内住のキリストの霊によって愛に基づく祈りをささげ続けていくことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

« 使徒1:15-26 イスカリオテのユダの自死とユダのポストの後継者のための選び | トップページ | 箴言28:22 お金に頼るのではなく主に頼る人の幸い »

詩編」カテゴリの記事

日毎の恵み20」カテゴリの記事

コメント

私は私が何かさばきたいと思う思いを馳せてしまう人なのだと気づかされ、最近はよくローマ12:19に記されている言葉を思い起こします。そして私がさばくのではなく・・と、祈り求めておりますが、直ぐに思いとしては出てきますので、又、それに対して祈ります。(無限ですね笑)記載してくださっているエペソ2章を読み、信仰を新たにしなければならない事を覚えます。また、そのようにしてくださるよう求め祈ります。(その後にも載せてくださっている聖句をその時、その時に対して、祈る事ができますよう求め祈ります)

数年後になって振り返ってみると相当変えられていることのゆえに感謝することになると思います。

そのようになることを願います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 使徒1:15-26 イスカリオテのユダの自死とユダのポストの後継者のための選び | トップページ | 箴言28:22 お金に頼るのではなく主に頼る人の幸い »

カテゴリー

2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ