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2024年5月 7日 (火)

フィリピ2:5-8 愛に基づくキリストのへりくだり/いけにえの本体であるキリスト

 フィリピ25-8には次のように記されています。
5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにも見られるものです。
6
 キリストは、神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず、
7
 かえって自分を無にして、僕の形をとり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
8
 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。”(聖書協会共同訳)とあります。

 文語訳は5節を“汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。”と訳しました。
汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。ということですが、今日の個所は、特にキリストの愛に基づく謙遜の姿が記されています。

 6節に「神の形」(聖書協会共同訳)とあります。新改訳は「神の御姿」、口語訳は「神のかたち」、新共同訳は「神の身分」と訳しています。
6
節前半部分のギリシア語聖書を読むと「キリストは、神の本質の中に存在している」と捉えることができると思います。
「存在している」というギリシア原語は「フパルコー」という語ですが、これは現在形で書かれていますから、ギリシア語としては、存在し続けているという意も持っています。どうしても時間の概念の中で捉えてしまう私のような者の解釈で表現すると、過去も現在も未来もすなわち永遠に存在し続けている、ということになるのだと思います。神の御子は永遠の御方です。

 6節を口語訳は“キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、”と訳しています。
リビングバイブルは“キリストは神であられるのに、神としての権利を要求したり、それに執着したりはなさいませんでした。”と意訳しています。

 とはいえ主イエス様が人となられたときも、神性すなわち神のご性質(本質)を捨てたのではありません。
へブル13には“御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、・・。”(2017)と記されています。
キリストは、神であり、罪なき人となられたのです。罪なき人であられたからこそ罪人の罪を身代わりに負うことができたのです。イエス様は、マリアの卵子とは何の関係もなく、聖霊によって肉体を持ったのです(マタイ120)。
神の御力を思い起こしてみると、創造の6日目には、人だけではなく多くの生物を創造なさいました。
 創世記1章には次のように記されています。
24 神は言われた。「地は生き物をそれぞれの種類に従って、家畜、這うもの、地の獣をそれぞれの種類に従って生み出せ。」そのようになった。
25
 神は地の獣をそれぞれの種類に従って、家畜をそれぞれの種類に従って、地を這うあらゆるものをそれぞれの種類に従って造られた。神は見て良しとされた。
26
 神は言われた。「我々のかたちに、我々の姿に人を造ろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地のあらゆるもの、地を這うあらゆるものを治めさせよう。」/
31
 神は、造ったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。”(聖書協会共同訳)とあります。

 7節を2017は“ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、”と訳し、
口語訳は“かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、”と訳しています。

 神は霊です(ヨハネ424)から土で造られた人間の罪を身代わりに負うことはできません。
人の罪は、肉において処罰するのです。
ローマ83には“肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。”(ローマ832017)と記されています。

 また、申命記2123には“その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる土地を汚してはならない。”(2017)と記され、
ガラテヤ313は“キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。”(2017)と記しています。

 キリストは私たち罪人を贖うために肉の体を持つ必要があったのです。
フィリピ28には“へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 また1テモテ25.6には“神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスですキリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。これは、定められた時になされた証しです。”(2017)と記されています。

 血を流すことなしには罪の赦しもきよめもありません。
へブル922には“律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。”(2017)と記されています。

 主イエス様が肉の体を持たなかったら、イエス様の流された血による赦し&きよめは無かったのです。

 8節には“へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。”(聖書協会共同訳)と記されています。
御父への従順は、御父への愛に基づくものであったでしょう。
また、私達への愛の故にも主イエス様は十字架にかかられたのです。

 ローマ5章には次のように記されています。
6 キリストは、私たちがまだ弱かった頃、定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました
7
 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のためなら、死ぬ者もいるかもしれません。
8
 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました
9
 それで今や、私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
10
 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
11
 それだけでなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしています。このキリストを通して、今や和解させていただいたからです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 今日のフィリピ信徒への手紙の個所とローマ5章のこの個所には、レビ記1章の本体である御父への全焼のいけにえとしてのキリスト、レビ記4章にの本体である私たちの罪のためのいけにえとしてのキリスト、レビ記3章の本体である和解のいけにえとしてのキリストが記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主イエス様、大いなる感謝をお捧げします。
イエス様を示してくださり、またその他の真理をも教えてくださる聖霊様、ありがとうございます。
三一の主なる神様が、それぞれの役割に応じた御業をもって関与してくださっておられますことを心より感謝申し上げます。
三一の主なる神様の御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

ヘブ9:22の聖句を読み、穏便にことを済ませようとする中には、神様からのものはないと思いました。それは、人は罪人であるという事を抜かした人の思い、幻想である事を思いました。〝キリストの血によって義〟としていただけたことに感謝します。
〝キリスト・イエスの心を心とせよ〟と記されており、私にはとてもとても現わす事ができないことを実感しておりますが、学ぶことで又リセットして、又、新たに私が日々の中でできる事は?と祈り…この繰り返しです。主イエス様を愛し従ってゆくことができますよう、祈ります。

ハレルヤ!😊
仰るようなあり方で良いと思いますよ。

朝の問いかけから、1日を終える中で気づかされた事は、神様から与えられていることを、私は行えているようです。少し安心しました。そして、トミーさんからのお言葉もいただけて、より安心して眠りにつくことができます。ありがとうございます!
私が日々の中で引っかかる事柄は、どうやらサタンからの誘惑みたいです。
明日からの信仰生活に学びを活かしていけますよう祈ります。(安心して眠りにつくことができます😴)

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