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2024年5月10日 (金)

箴言28:24 神様の前での取り繕いは無用/ヘブライ語の罪の用語

 箴言2824を、
口語訳は“父や母の物を盗んで「これは罪ではない」と言う者は、滅ぼす者の友である。”と訳し、
 新改訳初版~第三版は“自分の父母の物を盗んで、「私は罪を犯していない」と言う者は、滅びをもたらす者の仲間である。”と訳し、
 聖書協会共同訳は“父母のものをかすめ取り、「これは罪ではない」と言う者は、滅びをもたらす者の仲間。”と訳し、
 2017は“父母の物をかすめていながら、「背いていない」と言う者は、滅びをもたらす者の仲間。”と訳しています。

 「罪」(口語訳、新改訳初版~第三版、聖書協会共同訳)、「背く」(2017)と訳されている語のヘブライ語原語は「ペシャ」で、反乱、反抗、違反、犯罪、罪、侵入する、侵害する、等の意があります。

 主に背く者、主の教えに背く者とは、罪を犯す者、すなわち罪人です。

 ヘブライ語の「罪」の用語に関して、聖書辞典は次のように述べています。
“旧約における罪。用語。旧約において罪を表す語は多いが、おもな語は次の4種である。
 a。〈ヘ〉ハーターは「失敗する」(士20:16)、「失っている」(ヨブ5:24)、「つまずく」(箴19:2)などと訳されているように、もともとは「的(目標)、または道をはずす」意味で用いられた一般的な語である。それが聖であり、義である神との関係においては「罪」と訳され(創4:7,10:17)、神が人に定められた道を踏みはずすという意味を表す。またこの語は、強情(出9:34)、神に対する反抗(ヨシ7:11)、神に対する不平(ヨブ1:22)、心の中で神をのろうこと(ヨブ1:5)、不信仰(詩78:32)などと共に用いられている。レビ記において〈ヘ〉ハーターの名詞形ハッタースは「罪のためのいけにえ」(レビ4:1‐5,13‐14)を意味し、それが罪に対する代償行為にまで拡大されている。
 b。〈ヘ〉アーオーンは「曲げる」が原意。「」(創4:13,44:16,20:5,32:2)などと訳され、悪の行為を表す
 c。〈ヘ〉ペシャ背くことで、「そむき」(ヨシ24:19,32:1,107:17)、「そむきの罪」(出23:21,32:5,イザ53:5)と訳される。この語は、罪が神への反逆であることを最も強く表しており、その結果なされる残虐な行為とそれに続く神の容赦のないさばきについてたびたび使われている(イザ1:28,アモ1:3‐13)。
 d。〈ヘ〉シャーガーは「あやまち」「あやまって犯した罪」(レビ4:13,ヨブ6:24,19:4,エゼ45:20)や「迷い出ること」(詩119:10,21.参照エゼ34:6)と訳され、被造物としての人が持つ弱さからくる誤った行為を意味している。これら以外にも罪の類義語は多くあるが、罪を表す語はおしなべて、その状態よりも、むしろ人が思い、ことば、行為などで犯した具体的な罪の事例について語っていると言える。”と記しています。

 詩篇321には“幸いなことよ。その背(そむ)きを赦され罪をおおわれた人は。”(2017)と記されています。
この聖句での「背き」と訳されている語のヘブライ語原語は「ペシャ」で、「罪」と訳されている語のヘブライ語原語は「ハターアー」です。
ダビデは、罪についてより分かりやすく、ペシャ(神に対するそむき)はハターアー(神の教えを踏み外していること)と同じだよということで、2語を使ったのではないかと推測します。

 今日の箴言の聖句での「罪」は、「ペシャ」です。
余談になりますが、北王国イスラエルも南王国のユダも、神に背き続けた結果、国を滅ぼされ、捕囚となったのでした。

 箴言2824を口語訳は“父や母の物を盗んで「これは罪ではない」と言う者は、滅ぼす者の友である。”と記しています。
私は、この聖句を読んだときに、1ヨハネ18の“もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。”(2017)という聖句を思い起こしました。
私自身が示されている罪、すなわち「的外れ」として、時間の管理が悪い、ということです。主はパウロを通して「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(1コリント10312017)と語っておられますが、私は、フリーセルというパソコンについているゲームに時間を費やしてしまうことがあります。このゲームは、私の頭のデフラグになるのですが、本当は主に祈ることによって頭のデフラグをすべきであると思います。
1
ヨハネ19の「・・・告白するなら・・・きよめてくださいます」という個所を適用し、今日からは、主に在って改めさせて頂きたいと思います。
時間を無駄に使うと、ルカ19章のミナの譬えを思い起こします。神さまは、しもべ全員に同じものを預けました。
神様は、人に一日24時間という時間を預けてくださったので、それを有効に使わなくてはいけない、と思うのですが、私はいまいちなのです。
「神様、ごめんなさい。」

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたから与えられている時間をあなたの栄光のために用いる者であらせてください。
私の主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

私もダラーっとネットを見てしまう時があります。ストレス食いをしてしまう時とついつい食べてしまう時があります。その都度「神様ごめんなさい」祈ります(ついついの時は祈れていないのか?頭痛がおきます。ただ単に体の不調と捉える事でもありましたけど、どうやら違う気がします)。そして変えてくださるようにも祈りますが、癖は中々治らないものだと思いながら、根気よく祈り続けます。
聖書を知らなければ、唯一無二の神様を知らなければ、罪とは何なのかを知ることもできませんでした。〝罪人〟〝原罪〟を理解することさえ出来ずにいました。知ることができ、そしてその罪の告白をすることができる今、感謝します。罪は無くなるものだと思っていた時に比べると、はるかに生きることが楽しく(表現として軽いですが)なりました。全ては神様のもの。愛を表してゆくことができますよう祈り求めます。

何があっても主なる神様に守られて生活できるのですからありがたいです。

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