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2024年5月16日 (木)

使徒2:22-36 ペンテコステの日のペテロの説教2/キリストの十字架と死、復活、高挙

 使徒222-36には次のように記されています。
22 イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。
ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。
神は、この方を通してあなたがたの間で行われた奇跡と不思議な業としるしとによって、そのことをあなたがたに示されました。
あなたがた自身がご承知のとおりです。
 23 このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手によって、はりつけにして殺したのです。
〔神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。(2017)〕
 24 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました
イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。
 25 ダビデは、イエスについてこう言っています。
『私は絶えず目の前に主を見ていた。主が私の右におられるので、私は揺らぐことがない。
26
 それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜び躍った〔私の舌は喜びにあふれます(2017)。この個所の「舌」という訳は70人訳ギリシア語聖書からです(筆者挿入)〕。私の肉体もまた希望のうちに安らう。
27
 あなたは私の魂を陰府に捨て置かず、あなたの聖なる者を朽ち果てさせない。
28
 あなたは、命の道を私に示し、御前にいる私を喜びで満たしてくださる。』
 29 きょうだいたち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあると、はっきり言えます。
30
 ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人を王座に着かせると、神が堅く誓ってくださったことを知っていました。
31
 そして、キリストの復活について予見して、
『彼は陰府に捨て置かれず、その肉体は朽ち果てなかった』と語りました。
 32 神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です。
33
 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。
34
 ダビデが天に昇ったわけではありません。彼自身こう言っています。
『主は、私の主に告げられた。「私の右に座れ。35 私があなたの敵をあなたの足台とするときまで。」』
36
 だから、イスラエルの家はみな、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ペトロ(ペテロ)が伝道説教に引用した聖書個所の使徒225-28は、詩篇168-11からの引用で、詩篇の方には、
8 私は絶えず目の前に主を置く。主が右におられ、私は揺らぐことがない。
9
 それゆえ、私の心は喜び、心の底から〔ヘブライ語原語は「カーボード」で「栄光」の意(筆者挿入)〕喜び躍り〔ヘブライ語聖書からの直訳では「私の栄光は喜び踊り」(筆者挿入)〕、この身もまた安らかに住まう。
10
 あなたは私の魂を陰府(よみ)に捨て置かず、あなたに忠実な者〔ヘブライ語原語は「ハーシードゥ」で聖なる者とも訳せます(筆者挿入)〕に滅びの穴を見せず、
11
 命の道を私に示されます。御前には満ち溢れる喜びが、右の手には麗しさ〔ヘブライ語原語は「ナーイーム」で、楽しさ、心地よさ、甘さ等の意があります(筆者挿入)〕が永遠にありますように〔楽しみがあなたの右にとこしえにあります(2017)〕。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 次にペトロ(ペテロ)が伝道説教に引用した聖書個所の使徒234-35の個所は、詩篇1101からの引用で、詩篇の方には、
“主は、私の主に言われた。「私の右に座れ。私があなたの敵をあなたの足台とするときまで。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

 ペトロが説教したこの時、新約聖書はまだありませんでした。
聖書といえば旧約聖書です。
ペトロは、聖書(旧約聖書)からイエスがキリストであることを弁証していったのです。

 ペトロが用いた詩篇の個所はダビデの作ですから主イエス様の時代から約1000年前のものです。
ペトロは詩篇のこの個所から、イエスがキリストであったことを聖霊によって明らかにしました。

 詩篇のこの2ヶ所から、キリストはよみに下ったが、死から復活し、天に昇って御父の右の座に座しておられることを弁証したのです。

 ペトロ(ペテロ)は詩篇16篇と詩篇110篇の一部を基にして語った後、「だから、イスラエルの家はみな、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」(使徒236・聖書協会共同訳)と語ったのです。

 ペトロ(ペテロ)は、最初の伝道説教で、
①聖なる方であるイエス(使徒227)が十字架上で死んだこと(殺されたこと)。
②イエスは死んで肉体は墓に葬られたけれども、魂はよみに行き、しかしよみに居続けたのではなく、その魂は、復活させられたからだと共に天の神(御父)の右の座に着座されたこと。
③(まとめとして)、「だから、イスラエルの家はみな、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」(36)と述べたのです。

 ペトロは、1ペトロ222-24に、
22 「この方〔キリスト(筆者挿入)〕は罪を犯さず、その口には偽りがなかった。」
23
 罵られても、罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方に委ねておられました。
24
 そして自ら、私たちの罪を十字架の上で、その身に負ってくださいました。私たちが罪に死に、義に生きるためです。この方の打ち傷によって、あなたがたは癒やされたのです。”(聖書協会共同訳)と記しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
キリストの御復活後の最初の福音宣教は、キリストの十字架上での死とその意味、キリストの復活、キリストが御父の右の座に座しておられること、等の内容でした。
私たちにも大いに参考になることです。
福音を語ったとき、御聖霊が働いてくだされば、私たちから福音を聞いた人は信仰告白をすることができることでしょう。
主の導きに従って、聖霊によって福音を単純に分かりやすく伝えていくことができますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。”(1コリント1232017
“心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。”(1ペトロ315.16a・新共同訳)

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コメント

アーメン。アーメン。と頷くばかりです。
私はまだまだ穏やかに敬意を持って説明できないですし、起きる出来事に対して、その場で私がどうにかしないと!どうにかする!といった事が先に過ぎります。
朝の祈りで、そのような私を自覚しました。そして裁きは神様のお仕事。私が行うことでは無く主の御旨のままに。私がさばくことがありませんようにと祈ったばかりでしたので、とても驚いております。
たとえ誰かが神様を冒涜していたとしても、私が躍起になっても何も変わらないですものね。やはり聖霊の御力の働きによりますよね。神様は髪の毛の本数までをもご存知のお方。私自身が聖なるものと変えてくださいますよう祈り求めます。

アーメン。
ハレルヤ!

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