« 使徒2:1-4 五旬節(ペンテコステ)の日の聖霊降臨 | トップページ | 箴言28:23 愛をもって真理を語る »

2024年5月 5日 (日)

詩篇109:21-31 他者からの呪いを祝福に変えてくださる主/主なる神様の神性に訴えた祈り

 詩篇10921-31には次のように記されています。
21 しかし、主よ、わが主よ。御名のために私に関わり、あなたの恵みと慈しみのゆえに私を助け出してください。
22
 私は苦しみ、貧しく、胸の奥で心は刺し貫かれています。
23
 夕方の影が伸びていくように、私は去り行き、ばったのように払い落とされます。
24
 膝は断食のためによろめき、体は脂肪を失って痩せ衰えました。
25
 しかも私は、彼らのそしりの的です。私を見ては、彼らは頭を振ります。
26
 わが神、主よ、私を助けてください。あなたの慈しみにふさわしく私を救ってください。
27
 それがあなたの手によることを人々は知るでしょう。主よ、あなたがそうなされたのだと。
28
 彼らが呪っても、あなたは祝福してくださいます。彼らは反逆して恥をかき、あなたの僕は喜びます。
29
 私を訴える者らが辱めを衣とし、恥を上着としてまといますように。
30
 私はこの口で、大いに主に感謝し、多くの人の中で、主を賛美します。
31
 まことに、主は貧しい人の右に立ち、その命を死に定める者たちから救ってくださいます。”(聖書協会共同訳)とあります。

 詩篇109篇は表題に「ダビデの賛歌」とあります。
預言者サムエルは、神ヤハウェ(主)に、サウルの後の王になる者に油を注ぐように命じられ、ダビデに油を注ぎました(1サムエル161.12.13参照)。

 ダビデが主からの油を注がれた後、ヤハウェ(主)の霊はサウル王から離れ、サウルは悪しき(原語は「ラーアー」)霊に苛(さいな)まされることとなりました(1サムエル1614参照)。

 それからしばらくたって、サウルは、ダビデを亡き者にしようと、ダビデの命をたびたび狙うようになったのです。その経緯は、1サムエル18-27章に記されています。

 ダビデはサウル王の息子のヨナタンとは親友でした。
ある日、ダビデはヨナタンに次のように語ったことがありました。1サムエル201-3には次のように記されています。
 “1 ダビデはラマのナヨテから逃げて、ヨナタンのもとに来て言った。「私があなたの父上の前に何をし、私にどんな咎があり、どんな罪があるというのですか。父上が私のいのちを求めておられるとは。」
2
ヨナタンは彼に言った。「とんでもないことです。あなたが死ぬはずはありません。父は、事の大小を問わず、私の耳に入れずに何かをするようなことはありません。どうして父が、このことを私に隠さなければならないでしょうか。そんなことはありません。」
3
ダビデはなおも誓って言った。「父上〔サウル(筆者挿入)〕は、私があなたのご好意を受けていることを、よくご存じです。『ヨナタンが悲しまないように、このことを知らせないでおこう』と思っておられるのです。けれども、主は生きておられます。あなたのたましいも生きておられます。私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかありません。」”(2017)とあります。

 上記の3節の個所をリビングバイブルは「そうは言われますが、あなたが知らないだけです。お父上は、私たちが親友だということも、よく知っておられます。だから、『ダビデを殺すことは、ヨナタンには黙っておこう。悲しませるといけないから』と思っておられるに違いありません。主とあなたのいのちにかけて誓いますが、ほんとうに、私は死と背中合わせなのです。」と意訳しています。

 ダビデは幾度もサウル王から命を狙われました。その時の心情やあるときの体の状態が詩篇109篇に何ヵ節も記されています。
 詩篇10922-25には次のように記されています。
「私は苦しみ、貧しく、胸の奥で心は刺し貫かれています。夕方の影が伸びていくように、私は去り行き、ばったのように払い落とされます。膝は断食のためによろめき、体は脂肪を失って痩せ衰えました。しかも私は、彼らのそしりの的です。私を見ては、彼らは頭を振ります。」とあります。

 ダビデは、サムエルに油を注がれたときは少年でした(1サムエル1742参照)。
サウルが死んだのは、ダビデが30の時でした(1サムエル313-52サムエル54参照)。
主は、ダビデが少年の時から30歳までの間、ダビデを訓練したのです。

 今日の聖書個所によると、ダビデは、自分の何かに頼らないで、神ヤハウェ(主)の御性質に基礎をおいて、救いの嘆願をしています。
21
節には「・・、主よ、わが主よ。御名のために私に関わり、あなたの恵みと慈しみのゆえに私を助け出してください。」(聖書協会共同訳)とあり、
26
節には「わが神、主よ、私を助けてください。あなたの慈しみにふさわしく私を救ってください。」(聖書協会共同訳)とあり、
31
節には「主が貧しい人の右に立ち、死を宣告する者たちから彼を救われるからです。」(2017)と記されています。

 前述しましたが、ダビデは幾度も殺されそうになりました。
28
節のダビデの言葉は自身の体験から出てきた主のお取り扱いとダビデの喜びであったのでしょう。
「彼らが呪っても、あなたは祝福してくださいます。彼らは反逆して恥をかき、あなたの僕は喜びます。」(聖書協会共同訳)と述べています。

 ダビデは、詩篇23篇では次の様に歌いました。
「主は私の羊飼い。
たとえ死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。
まことに私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。」(抜粋・2017)と。

 新生させていただいたキリスト者も神の子どもであるゆえに様々な訓練を受けます。それは神の子どもとしてふさわしく整えられるためでもあるのでしょう(へブル1210.11)。
いかなるところを通されるようなことがあっても、私たちは上にある祝福を覚えることができます。そして主を賛美するのです。

 エペソ13-14には次のように記されています。
3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
4
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
5
イエス・キリストによって 神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
6
神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。
7
わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。
8
神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、9 秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。
これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。
10
こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
11
キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。
12
それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。
13
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
14
この聖霊は、わたしたちが 御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。”(新共同訳)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつも三一の主なる神様との交わりを戴きつつ、どのようなところを通らされている時にも、あなたに感謝し、あなたを賛美しつつ歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

« 使徒2:1-4 五旬節(ペンテコステ)の日の聖霊降臨 | トップページ | 箴言28:23 愛をもって真理を語る »

詩編」カテゴリの記事

日毎の恵み20」カテゴリの記事

コメント

〝ダビデは、自分の何かに頼らないで、神ヤハウェ(主)の御性質に基礎をおいて、救いの嘆願をしています。〟と、トミーさんが書かれていらしたお言葉を読み、私は自分の知らない所で未だ未だ自力がある事に気づかされます。それと、ダビデでさえも15年ほどの訓練期間がある事を知れば、きよくしていただくにはまだまだ時間を要する事を知ります。
地上生活はきよくしていただける訓練の場として捉え、常に主との交わりを求めて歩み、賛美と感謝を忘れずに歩み続けてゆくことができますよう祈ります。

良い歩みをしていると思いますよ。
1ペトロ1:15は一生続くのですから。

そうですよね、一生涯をかけて、きよくしていただくのですものね。
遠ざかっているような気がしたりしますので、励まされると力になります。(聖句にある御言葉が、実際の行いと一致すると感動します、ありがとうございます)
今は、ただただ、精一杯で、ふとした時にできていない自分に気づかされては、祈って。できたりする時には喜びに満たされては神様に感謝して…です。感謝です!

ハレルヤ!

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 使徒2:1-4 五旬節(ペンテコステ)の日の聖霊降臨 | トップページ | 箴言28:23 愛をもって真理を語る »

カテゴリー

2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ