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2024年5月 9日 (木)

詩篇110篇 王の王であり大祭司であるメシア/キリストの地上再臨のときの預言

 詩篇1101-7には次のように記されています。
1 ダビデの詩。賛歌。
主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、私の主〔アドニ(筆者挿入)〕に言われた。
「私の右に座れ。私があなたの敵をあなたの足台とするときまで。」
2
 あなたの力強い杖を主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はシオンから伸ばされる。
「敵のただ中で支配せよ。」
3
 あなたの民は進んで身を献げる。あなたの出陣の日〔直訳「力の日」(欄外注)。「出陣と訳された」ヘブライ語原語は「ハイル」で「力」、NIV訳はbattle(筆者挿入)〕に。聖なる輝きを帯びて、曙の胎の中から若さの露があなたに降りる〔「降りる」は補足(欄外注)〕。
4
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は誓い、悔いることはない。「あなたは、メルキゼデクに連なるとこしえの祭司。」5 わが主はあなたの右に立ち、怒りの日に王たちを打つ。
6
 国々を裁き、屍で満たし、広大な地で頭(かしら)を砕く。
7
 主は途上で川から水を飲む。こうして彼は頭(あたま)を高く上げる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1節には“主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、私の主〔アドニ(筆者挿入)〕に言われた。
「私の右に座れ。私があなたの敵をあなたの足台とするときまで。」”(聖書協会共同訳)と記されています。

 主イエス様は、この個所を用いてファリサイ派の人々に語られたことがありましたし、主イエス様に従っていた弟子のペテロもペンテコステの日にこの聖句を用いて伝道説教をしています。

 マタイ2241-46には、
41 ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。
42
 「あなたがたはメシアのことをどう思うか。誰の子だろうか。」
彼らが、「ダビデの子です」と言うと、
43
 イエスは言われた。「では、どうしてダビデが、霊を受けて〔ギリシア語原語は「エン プニューマ」でKJV訳は「in spirit」。話の内容から、この「霊」は聖霊でしょうから、口語訳、新改訳は「御霊」と訳しています。(筆者挿入)〕、メシアを主と呼んでいるのか。
44
 『主は、私の主に言われた。「私の右に座れ。私があなたの敵をあなたの足台とするときまで。」』
45
 このように、ダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」
46
 これには誰一人、言葉を返すことができず、その日からは、もはや、あえて質問する者はなかった。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 また使徒229-36には次のように記されています。
29 きょうだいたち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあると、はっきり言えます。
30
 ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人を王座に着かせると、神が堅く誓ってくださったことを知っていました。
31
 そして、キリストの復活について予見して、『彼は陰府に捨て置かれず、その肉体は朽ち果てなかった』〔詩篇1610からの引用(筆者挿入)〕と語りました。
32
 神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です。
33
 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。
34
 ダビデが天に昇ったわけではありません。彼自身こう言っています。
『主は、私の主に告げられた。「私の右に座れ。35 私があなたの敵をあなたの足台とするときまで。」』
36
 だから、イスラエルの家はみな、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ダビデの預言は、主イエス様の公生涯の約1000年前のことでした。
詩篇110篇を読むと、キリストの地上再臨からキリストの千年王国の始まりの頃までの預言が記されています。
現在、主イエス様が復活されてから約2000年が経とうとしています。
ダビデの預言は、約3000年の時を経て、まもなく、ここに書かれているすべてが成就していくのかもしれません。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
2
コリント62には“神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。”(2017)と記されていますが、恵みの時代に誕生させてくださり、主イエス様を信じる信仰を与えてくださいましたことを感謝します。
恵みの時代が閉じられると、大患難時代に入っていきます。そして、大患難時代の終わりには、今日の聖書個所の内容のように、主の主、王の王であられるキリスト・イエス様が義に基づいて天から降られ、義を執行なさると教えて頂いていますが、そのような内容は聖書の様々な箇所にも記されていますからありがとうございます。
2
テサロニケ28には“その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。”(2017)と記されています。
主イエス様が、一声発すれば、大患難時代の世界統治者である獣(反キリスト)の軍勢はひとたまりもないことを覚えます。
神のことばには力がありますから御名を賛美します。
私たちの救いに関しても、日常の歩みにしても、主なる神のことばには力がありますから嬉しくなります。
あなたの御名をほめたたえ、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

1節にアドニとありましたが、アドナイと同じで発音の違いと捉えていいですか?
次々とやってくる悪魔悪霊達に、吸い込まれそうになります。
また、日を新たに、日々更新して祈り求める事ができますよう、切に願います。
信仰生活は、一人では到底できないですが、兄弟姉妹の皆様がいるからこそ、励まし合っているからこそ、信仰生活を送っていく事ができるのだと改めて思いました。
私の信仰はか細くて危ういですから、また、祈り求めます。
イエス様の地上再臨、待ち遠しいです。

「アドニ」は、私の主、となります。

教えてくださり、ありがとうございます。アドナイは、我が主と訳されていることが多いですよね。微妙な違いがあるのでしょうか。
2000年前も3000年前も同じ神様を基に生活していることが、不思議に思いました。
学び始めの時は、三位一体の神様、御父が神様といった感じで強く捉えていましたが、新約、教会時代の主は、イエス様であることがジワリジワリと染み込んできている感じです。もっと信仰が強くなれるよう祈ります。

「アドナイ」は多くは「主」と訳されることの多い単語です。
また(私の)「主」とも訳せます。
私は、個人的な関係で「アドナイ」も「我が主」と恣意的に訳していますが。
イスラエル人は、「ヤハウェ」or「ヤーウェ」と発音することを、畏れ多いこととして、控えているので、ヤハウェと書かれているところをアドナイと言い換えて読んでいます。

アドナイとアドニは、同じかな?と解釈しそうになっていました。検索しても出てきませんでしたので教えてくださり、ありがとうございます。
神様の名前を呼べる事ができなかった時を想像すらできませんので、今の時代は、本当に恵みの時代なのだと思いました。ありがとうございました。

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