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2024年5月 4日 (土)

使徒2:1-4 五旬節(ペンテコステ)の日の聖霊降臨

 使徒21-4には次のように記されています。
1 五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。
3
 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
4
 すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。”(聖書協会共同訳)とあります。

 1節に「五旬節」とありますが、五旬節の日に行わること、行われたことは出エジプト以来、聖書に様々な記述がありますので、それをまとめている聖書辞典より学びたいと思います。聖書辞典には次のように記されています。
 “五旬節とは50日目の祭日という意味で、大麦の初穂の束をささげる日から数えて50日目に行われた(レビ23:15以下)ことから生れたギリシヤ語訳のペンテーコンタ・ヘーメラスの訳語である。ペンテコステとも言う。五旬節、すなわち7週間経過するところから「七週の祭り」とも呼ばれていた(出34:22,16:10)。立ち穂に鎌が入れられて始まった大麦の収穫の終りを意味し(申16:9、いよいよ小麦の収穫となるのである(出34:22)。それゆえ「刈り入れの祭り」(出23:16)、「初穂の日」(民28:26)とも呼ばれている。この祭は3大祭の一つとして(申16:16)、ソロモンの時代にも守られていたようである(8:13)。その日にはいかなる労働もしてはならず、聖なる会合が開かれて、イスラエル人のすべての男子は主の前に出ることが義務づけられた(レビ23:21,16:16)。新しい小麦粉にパン種を入れて焼いた2つのパンが、和解のいけにえと共に祭司によって主に向かって揺り動かされた(レビ23:17‐20)。敬虔なイスラエル人はこの日を喜びの日として(申16:11)、穀物収穫の恵みに対する感謝と主に対する恐れ(畏れを表現した(エレ5:24)。ささげられる罪のためのいけにえと和解のいけにえは、贖われた人々の感謝と恐れ(畏れ)を表すものであったが、さらに神の契約の民として、エジプトから解放されたことを記念する祭でもあった(申16:12)。いけにえをささげる根底には、罪の除去と神との和解の概念があるのである。後に五旬節はシナイにおける律法の賦与を記念するものと考えられるようになった。サドカイ派の人々は過越の後の第1日曜から50日目に祝いをなし、それをエルサレムの神殿が破壊されるまで守り続けた。しかしパリサイ派の人々はレビ23:15の安息日を種を入れないパンの祭と解釈し、それが紀元70年以降ユダヤ教では一般的となった。それで今日ユダヤ人の暦では五旬節はいろいろな曜日に当るようになっている。新約聖書では五旬節に関して3つの言及がある。(1)使2:1.キリストの復活と昇天の後、五旬節の日に弟子たちはエルサレムの家に集まっており、天からのしるしを受けた。聖霊が下り、新しいいのち、力、そして恵みがもたらされた。それゆえ五旬節は聖霊降臨日とも呼ばれる。(2)使20:16.パウロは五旬節の日にはエルサレムにいたいと、旅路を急いだ(紀元56―57年頃)。(3コリ16:8.パウロは五旬節までエペソに滞在するつもりでいた(紀元54―55年頃)。伝道のための扉が開かれていたからである。”とあります。{下線部分と( )内は筆者の挿入です。}

 ルカ2449には、「見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」(2017)と主イエス様に命じられていました。
弟子たちは、主の命令に従い、おもに祈りを中心とした集まりをしていたようです。
 使徒112-15には次のように記されています。
12 それから、使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。
13
 彼らは都〔エルサレム(筆者挿入)〕に入ると、泊まっていた家の上の階に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子のユダであった。
14
 彼らは皆、女たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて、ひたすら祈りをしていた。
15
 その頃、百二十人ほどのきょうだいたちが集まっていた・・・。”(聖書協会共同訳)とあります。

 4節には“すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。”(聖書協会共同訳)とあります。
「霊が」と訳されている語のギリシア語原語は2語で「ト プニューマ」で、定冠詞付きの「霊」とも「その霊」とも訳せます。

「聖霊」と訳されている語のギリシア語原語は2語で「プニューマ(霊) ハギオス(神聖な、聖なる)」です。

 五旬節の日(ペンテコステの日)に弟子たちは、上から下ってきた聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、他国の言葉で話し出したのです。

 ヨハネ2019-22には次のように記されています。
19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にはみな鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
20
 そう言って、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
21
 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」
22
 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23 誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 ヨハネ2022に記されている聖霊は、新生したキリスト者ならば誰にでも与えられています。
 すべての聖徒に与えられる約束の聖霊について、ヨハネ1415-17は主イエス様の御言葉を次の様に記しています。
「あなたがたが私を愛しているならば、私の戒めを守るはずである。私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者〔「助け主」(新改訳)。ギリシア語原語は「パラクレートス」で慰め主、の意もあります(筆者挿入)〕を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、それを受けることができない。しかし、あなたがたは、この霊を 知っている。この霊があなたがたのもとにおり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」(聖書協会共同訳)と記されている働きをする意味での聖霊だろうと思います。

 聖霊は新生した者を神の子どもとしてふさわしく整えてくださる働きもします。
ガラテヤ522.23には“御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。”(2017)と記されています。

 五旬節に天から降ってきた聖霊はキリストを証しする霊でした。
ヨハネ1526には「わたしが父のもとから遣わす助け主〔ギリシア語原語は「パラクレートス」(筆者挿入)〕、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。」(2017)と記されています。

 このように書いてくると御霊はたくさんいるのかな、と思う人もいる人がいるかもしれませんが、御霊は唯一です。
 1コリント12章には次のように記されています。
4 恵みの賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊〔ギリシア語聖書は「(定冠詞付きの)霊」、口語訳、新改訳は「御霊」(筆者挿入)〕です。
5
 務めにはいろいろありますが、仕えるのは同じ主です。
6
 働きにはいろいろありますが、すべての人の中に働いてすべてをなさるのは同じ神です。
7
 一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
8
 ある人には、霊〔ギリシア語聖書は「(定冠詞付きの)霊」、口語訳、新改訳は「御霊」(筆者挿入)〕によって知恵の言葉、ある人には同じ霊に応じて〔よって(2017)〕知識の言葉が与えられ、9 ある人には同じ霊によって信仰、ある人にはこの唯一の霊によって癒やしの賜物、10 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
11
 しかし、これらすべてのことは同じ一つの霊〔「御霊」(口語訳、新改訳)〕の働きであって、霊は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。”(聖書協会共同訳)とあります。
4-11
節に出てくる「霊」はギリシア語原語の直訳では「霊」ですが、すべて新生した人の霊ではなく聖霊を指しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主なる神様のみ旨に従い、与えられた分に応じ、御聖霊によって、主がよしとする時までご奉仕を続けさせていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

ご奉仕としては与えられるままにですけれども…私の中で働いてくださる御霊を、私自身がまだきよくない為に、活かされていないことを思います。聖霊に導いてくださいますよう求め祈ります。
〝1節に「五旬節」とありますが・・〟
五殉節と五殉祭は、同じと捉えてよいですよね?

この箇所は“την ημεραν της πεντηκοστης”とギリシア語聖書にはあり、これを英語聖書で見ると“the day of Pentecost”と記されています。
Strong辞書によると、πεντηκοστή(ペンテコステ―)は、“fiftieth from Passover(過越祭から50番目), that is, the festival of “pentecost”: - Pentecost.”と記されています。
ですから、五旬祭の日とも五旬節の日とも訳すことが可能です。
新共同訳と聖書協会共同訳は「五旬祭」。
口語訳、新改訳、文語訳、リビングバイブルは「五旬節」と訳しています。
いずれにしても同じ日のことです。

トミーさんは、物知り博士のようにお詳しいので、何でも質問してしまって…。
いつもありがとうございます。いつも助かっています。

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