« フィリピ2:19-24 自分自身のことよりもキリスト・イエスのために生きる人 | トップページ | 詩篇114篇 創造主なる神、力ある神が私たちとともにおられる »

2024年5月24日 (金)

使徒2:41-47 主に在る基本的な歩み

 使徒241-47には次のように記されています。
41 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼(バプテスマ)を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。
42
 そして、一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、交わりをなし、パンを裂き、祈りをしていた。
43
 すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業(わざ)としるしが行われていたのである。
44
 信じた者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、45 財産や持ち物を売っては、必要に応じて、皆がそれを分け合った。
46
 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に集まり、家ではパンを裂き、喜びと真心をもって食事を共にし、47 神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加えてくださったのである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 41節の「その日に三千人ほどが仲間に加わった。」という個所の「人」と訳されている語のギリシア語原語は「プスケー」で、たましい、です。キリスト者の肉体は滅びますが魂は新たにされて永遠です。体はキリストの空中再臨の時に霊の体をいただけます。

 43節の「すべての人に恐れが生じた。」という個所の「人」と訳されている語のギリシア語原語は「プスケー」で、たましい、です。

 41節には3000人ほどが救われた、とありますが、これは神であるのに人の肉体をまとわれ、救いを成就してくださった主キリスト・イエス様を信じた人たちですが、同じ3000人でも偶像礼拝のために滅ぼされた人たちもいました。

 出エジプト記32章には次のように記されています。
1 モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民はアロンのもとに集まって言った。「さあ、私たちに先立って進む神々を私たちのために造ってく ださい。私たちをエジプトの地から導き上った人、あのモーセがどうなったのか、分からないからです。」
2
 アロンは彼らに言った。「あなたがたの妻、息子、娘の金の耳輪を外し、私のところに持って来なさい。」
3
 すると民は皆、耳にある金の輪を外し、アロンのところに持って来た。
4
 アロンは彼らの手からそれを受け取り、のみで型を彫り、子牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これがあなたの神だ。これがあなたをエジプトの地から導き上ったのだ」と言った。
5
 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築き、「明日は主の祭りである」と宣言した。
6
 彼らは翌朝早く起き、焼き尽くすいけにえを献げ、会食のいけにえを献げた。民は、座っては食べて飲み、立っては戯れた。/
25
 モーセは、民が勝手な振る舞いをしたこと、また、アロンが民に勝手な振る舞いをさせて、敵対する者の嘲りの的になったのを見た。
26
 そこでモーセは宿営の門のところに立ち、「主に付く者は誰でも私のもとに来なさい」と言った。するとレビ人は皆彼のところに集まった。
27
 そこで彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『おのおのその剣を腰に帯び、宿営の門から門まで行き巡り、自分の兄弟、友人、隣人を殺せ。』」
28
 レビ人はモーセの言葉どおりに行い、この日、民のうち三千人が倒れた。
29
 モーセは言った。「今日、あなたがたはおのおの自分の息子や兄弟を犠牲にしても、主に仕える者になった。それゆえ、今日あなたがたに祝福が与えられる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 創造主であり、救いをもたらしてくださった神であるお方を信じるのか、信じないのか、という選択は、その魂の永遠を決めるのです。
罪とはキリストを信じないことです(ヨハネ169)。
罪とは神ヤハウェ(主)を信じないことです(出エジプト203)。
罪とはまことの神以外のものを神とすることです。
イスラエル王国(北イスラエル)は偶像礼拝のためにアッシリアに捕囚となり(2列王記171-23)、ユダ王国(南イスラエル王国)は偶像礼拝のためにバビロンに捕囚になり(2歴代誌365-20)、捕囚からの帰還後も、主イエス様を拒絶した故に世界に散らされたのです(ルカ1332-35)。

 話を元に戻します。
ペンテコステの日に救われた人たちのありようが42節に“一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、交わりをなし、パンを裂き、祈りをしていた。”(聖書協会共同訳)と記されています。
1.使徒たちの教えを守ること・・使徒たちの教えはローマ書以降に詳しく書かれています。
2
.交わりをなし・・・1ヨハネ13には“私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。”(2017)と記されているように、御父及び御子イエス・キリストとの交わりの中で信徒たちが互いに交わりをすることです。
3.パンを裂くこと・・聖餐、愛餐
4.祈りを共にすること
が記されています。

 46節には“毎日ひたすら心を一つにして神殿に集まり”と記しています。
これに関連して、Bible navi は、
“最初のクリスチャンたちはユダヤ人だったが、ユダヤ教を拒絶したわけではない。彼らは、イエスの教えと復活を、旧約聖書の成就であるとみなした。最初ユダヤ人信者たちは、ユダヤ人社会から自分たちを切り離して考えなかった。彼らは礼拝や聖書の学びのために宮や会堂へ行った。しかしイエスへの信仰は、イエスを信じないユダヤ人たちとの摩擦を引き起こした。それで、信じるユダヤ人は、聖餐や祈り、キリストの学びのために、個人の家に集まることを余儀なくされた。1世紀の終わりまでには、ユダヤ人信者たちの多くは、会堂から破門された。”と述べています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
あなたのみ旨に従った信仰生活を送る私たち一人一人であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

« フィリピ2:19-24 自分自身のことよりもキリスト・イエスのために生きる人 | トップページ | 詩篇114篇 創造主なる神、力ある神が私たちとともにおられる »

日毎の恵み20」カテゴリの記事

使徒言行録」カテゴリの記事

コメント

洗礼時に「そのまま」でよいという事を言われました。具体的にどのようにして、歩んでゆけば良いのか?とは考えてはしまいます。その中で、与えられてゆくものがありますので、その時とは明らかに異なってきてはあります。
主イエス様を心にお迎えできていない様な感覚に陥る事が多く生じます。兄弟姉妹の皆さんから避けられている感覚があり(思っていたのと異なるといった所なのだと思うのです)、bible naviを読めば、摩擦が生じたと書かれていて、キリスト者だから摩擦が起きないわけではない事を思うと救われます。
最近は躓きそうになる事がよく生じていますので、この日々の学びはとても大切なものである事を改めて思いました。心より感謝いたします。私の信仰生活を新たにすることと、キリスト者ではない方達との交わり方をも、新たにすることが求められていると思いました。先日も嘆きましたが、1人キリスト者という所はとても大変です。新たにしていただけますように。主の御旨に従った歩みとなりますよう、祈り求めます(兄姉達の祈りに救われています)。
前回の使徒言行録の表題が、42節となっていましたね、私も今、あれ?と見直して42節がないと気づきました。

うっかりしていました。
教えてくださり感謝します。
1ヨハネ1:3には「わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」(新共同訳)と記されています。
主との交わりがもっともっと豊かになると一人だと感じなくなりますよ。
さらに、そのようになると、主を愛する人たちとの交わりも豊かになりますよ。

まだ始まったばかりですものね。
堪え忍びながら、主との交わりを持ち続けてゆく事ができますよう願い、祈ります。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« フィリピ2:19-24 自分自身のことよりもキリスト・イエスのために生きる人 | トップページ | 詩篇114篇 創造主なる神、力ある神が私たちとともにおられる »

カテゴリー

2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ