« 箴言28:24 神様の前での取り繕いは無用/ヘブライ語の罪の用語 | トップページ | 使徒2:14-21 ペンテコステの日のペテロの説教1/ヨエルの預言の成就 »

2024年5月11日 (土)

フィリピ2:9-11 天においても地においても、すべての権威が与えられている主

 フィリピ29-11には次のように記されています。
9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
10
 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが膝をかがめ、
11
 すべての舌が「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神が崇められるためです。”(聖書協会共同訳)とあります。

 9節の「このため」の「この」というのは、その前の6-8節の次の聖句を指しているのでしょう。
6 キリストは、神の形〔身分(新共同訳)。「形」のギリシア語原語は「モルフィー」で、形、形状、姿、・・等の意(筆者挿入)〕でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず、
〔キリストは神であられるのに、神としての権利を要求したり、それに執着したりはなさいませんでした。(リビングバイブル)〕
7
 かえって自分を無にして、僕(しもべ)の形をとり、人間と同じ者に〔人間と同じように(2017)。「同じ者」と訳されている語のギリシア語原語は「ホモイオーマ」で、形、形状、似たもの、・・等の意(筆者挿入)〕なられました。人間の姿で現れ、
8
 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで、従順でした。”(聖書協会共同訳)とあります。

 神のひとり子の御子が、6-8節のようになられたゆえ、“・・神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。”(9節・聖書協会共同訳)と記されているように、父なる神がなさったということです。

 日本語訳聖書の数書を見ると、ギリシア語聖書の9節の聖句の中の「カイ」という語を、おそらく「and」の意に捉えて、あえて訳出していません。
「カイ」には「and」の他、「alsotoo」の意、その他の意もあります。KJV訳は「also」を入れて訳しています。
ギリシア語の「カイ」をalsoとして訳出すると、「このため(orそれゆえ)、神は、また、キリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」と訳すことができます。
「また」と訳す場合は、御子が人となられる前は「神であった」ということをもとにして述べているとも考えられます。
御子は、元来、神の第二位格の神であり続けたのです。
御子は、人の姿を取られても、神の本質を持っておられたお方です。
御子が人の形を持ったとき、御子は、神の権能を封印されておられましたが、ご性質(本質)は神そのものでした(へブル13)。

 堕罪前の人は、神の形(本質)に似せて作られたのです。
創世記126.27には“神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。”(2017)と記されています。
神は霊です(ヨハネ424)から、神と人の外形が似ているというのではありません。ですから、似ているというのは、神のご性質のことであると思います。

 9節の聖句に関しては、主イエス様ご自身が、「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。」(マタイ28182017)と語られました。
マタイ2818の聖句の中の「権威」と訳されている語のギリシア語原語は「エクスシア」で、力、能力、特権、統御、・・・等の意があります。
リビングバイブルはピリピ26を“キリストは神であられるのに、神としての権利を要求したり、それに執着したりはなさいませんでした。”と訳していました。

 10.11節には“10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが膝をかがめ、11 すべての舌が「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神が崇められるためです。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 10節の「地下のもの」とは「よみに住んでいる者」という意味だろうと思います。
「天上のもの」とはすでに天で生活している聖徒や神に従っている天使たちでしょう。
「よみに住んでいる者」とは、死んでよみに下った者とよみに閉じ込められた悪霊でしょう。
よみは新天新地が創造される前の、最後の審判の時まで存在する場所です。
最後の審判によってよみは火の池に入れられます。(黙示録2011-15参照)

 フィリピ210.11の聖句は、新天新地が創造される前までの期間において適用される聖句でしょう。
新天新地の後には、御父がすべて上に立たれます。(1コリント1528参照)

 「地下のもの」たちに関しての考察を述べると議論を呼ぶので、ここには書かないことにします。
地上では、「イエス・キリストは主である」と告白しなかった者たちが、どうして地下で、「イエス・キリストは主である」と告白するのでしょう。
後になって分かることでしょう。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
聖なる御名が崇められますように。
御国が来ますように。
御心が天において行われているようにすべての所で行われますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

« 箴言28:24 神様の前での取り繕いは無用/ヘブライ語の罪の用語 | トップページ | 使徒2:14-21 ペンテコステの日のペテロの説教1/ヨエルの預言の成就 »

フィリピの信徒への手紙」カテゴリの記事

日毎の恵み20」カテゴリの記事

コメント

皆が、地上にいる間に「イエス・キリストは主である」とは言わないのですものね。天地がひっくり返っても聖書に記されていない事は起きませんものね。何処かでその様な事が起きて、地上が変わってゆくのではないか?という浅はかな思いがあったりする私の思考を改めます。
現実の世は自分の事しか考えない人が増えていて、言い争う姿を彼方此方で見かけます。サタンの介入している場で、常に主に祈ることができる者でありたいです。大体、場に流されて後になって祈っていなかった…と気づかされる事の方がまだ多いです。常に主に従う心であり続けたいと願い祈ります。

“現実の世は自分の事しか考えない人が増えていて、言い争う姿を彼方此方で見かけます。”
と書いてくださっておられますが、2テモテ3:1-5を思い起こしますね。

聖句を教えてくださり、ありがとうございます。2テモ3:1-5の聖句のような貶めてくる人がいます(そのような時こそ、成長させていただけているのでしょうけれども…)が、神様は、助け合える人を必ず与えてくださり希望が持てます。トミーさんはそのおひとりで、とても力をいただいています。いつもありがとうございます!
くどいようですが、神様はキリスト者を引き合わせてくださるのです、不思議です。同じ信仰を持つ者同士が集まれば、力をいただけます。
主の御旨に従った歩みをし続けてゆけますよう、祈り求めます。
主を信じることができる恵みに感謝します。

主が御言葉を用いて御言葉と共に働いてくださるのですね。
ヨハネ6:63には「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。」(2017)と記されています。

毎回ではありませんが、あります。
それは、やはり祈り求めた時だと思います。主イエス様の御元へゆけば必ず助けてくださいますよね。今、様々な事を思い巡らしてしまい、落ち込んでおりました。ふと、見る事ができ、良かったです。「互いに励まし合って」と記されている聖句を探して読んでみます。
ありがとうございます!

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 箴言28:24 神様の前での取り繕いは無用/ヘブライ語の罪の用語 | トップページ | 使徒2:14-21 ペンテコステの日のペテロの説教1/ヨエルの預言の成就 »

カテゴリー

2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ