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2024年5月31日 (金)

フィリピ3:1 主キリスト・イエスにあって喜ぶことの幸い

 フィリピ31を、
新共同訳は“では、わたしの兄弟たち、主において〔主にあって(聖書協会共同訳)〕喜びなさい。同じことをもう一度書きますが、これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです。”と訳し、
 2017は“最後に、私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。私は、また同じことをいくつか書きますが、これは私にとって面倒なことではなく、あなたがたの安全のためにもなります〔あなたがたの安全のためにもなることです(新改訳初版~第三版)〕。”と訳し、
 フランシスコ会訳は“それでは、兄弟のみなさん、主に結ばれた者として喜びなさい。また、同じことを書きますが、それはわたしにとって面倒なことではなく、あなた方のためには安全を期することになります。”と訳し、
 岩波訳は“最後に、私の兄弟たちよ、主にあってあなたがたは喜びなさい。同じことをあなたがたに書くことは、私にとっては煩わしいことではなく、〔むしろ(訳者挿入)〕あなたがたを堅固にすることである。”と訳し、
 リビングバイブルは“愛する皆さん。どんなことが起ころうと、主にあって喜びなさい。このように何度も言いますが、それを私はめんどうとは思いませんし、あなたがたも聞かされたほうがいいのです。”と訳しています。

 「主において」(新共同訳)、「主に在って」(聖書協会共同訳、2017、岩波訳、リビングバイブル)、「主に結ばれた」(フランシスコ会訳)と訳されている語のギリシア語原語は2語で、「エン キュリオー(キュリオス)」で、直訳すると「主の中で」となります。

 「主の中で喜びなさい」と言われて、私がすぐに思い浮かべるのは、1コリント130の聖句です。

 1コリント130
新共同訳は“神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。”と訳し、
 聖書協会共同訳は“あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのです。キリストは、私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。”と訳し、
 新改訳初版~第三版は“しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。”と訳し、
 口語訳は“あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのであ る。”と訳しています。

 「キリスト・イエスに結ばれ」(新共同訳)、「キリスト・イエスにある」(聖書協会共同訳、口語訳)、「キリスト・イエスの内にある」(新改訳)と訳されている語のギリシア語原語は「エステ(ある) エン(中に) クリストー イエース」と記されています。
直訳すると、新改訳のように、私たちは、“神によって「キリスト・イエスの内にある」のです。”ということになります。
なんとありがたいことでしょうか。主に感謝し、主を賛美します。

 キリストは、私たちの知恵、私たちの義、私たちの聖、私たちの贖い、となってくださったのです。
それ以外にも色々なものになってくださいました。

 フィリピ31でパウロは、「主にあって喜びなさい。」と語ったのです。
キリスト様が私たちの為に成し遂げてくださったことを思いめぐらすことは何と素晴らしいことでしょうか。

 パウロは、主に在って喜ぶことは、私たちの安全のためにもなることor私たちを堅固にすることでもあるのですよ、と教えてくれたのです。

 「安全」(新改訳、新共同訳、フランシスコ会訳)、「堅固」(岩波訳)と訳されている語のギリシア語原語は「アスファレース」で、安全な、確かな、間違いない、・・等の意があります。

 1テサロニケ516-18には、
16 いつも喜んでいなさい17 絶えず祈りなさい。18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて〔ギリシア語原語は「エン クリスト― イエース」(筆者挿入)「キリスト・イエスにあって」(新改訳)〕、神があなたがたに望んでおられることです。”(聖書協会共同訳)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主が如何なる恵みを与えてくださったのか、ということを思いめぐらし、ことあるごとに、主に感謝と賛美を捧げる者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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コメント

どんな出来事でも、主からの贈り物と捉えれば喜びですよね。
苦々しく感じる事でも、後になるとそれは恵みに変わっている事がありますので、目に見えるところに留まらないようにしたいと思いました。1テサロニケ5:16-18を読み、日々の生活において意識してゆこうと思います。

アーメン。
ハレルヤ!

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