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2019年6月23日 (日)

雅歌2:8-17 主と一つになる経験

雅歌2:8-17は、おとめ(花嫁)の言葉ですが、その中に愛するお方(花婿)が語った言葉が入っています。8-13.15.16節はリビングバイブル訳を、14.17節は新改訳2017を用いさせて頂きます。

8-10a節には「8 ああ、愛するお方の声が聞こえます。あの方は、山々を跳び越え、丘々をはねるようにしておいでになります。9 まるでかもしかか若い雄鹿のように。ご覧になって、あの方は壁の後ろにいます。今度は窓からのぞいています〔岩波訳は直訳的に「窓からのぞき、格子窓から見つめている」〕。10 あの方は、こうおっしゃいました。」とあります。

キリスト者と主キリスト・イエス様との関係で考えると、この状態は、キリスト者と主イエス様とが離れている状態です。離れてしまった原因と状況は10-15節に出てきます。
イエス様がすばやくやってくる様子が描かれていますから、このイエス様は復活された主イエス様です。
キリスト者はイエス様を思う思いから思いが離れて、自分の心の中ばかりを見つめているように15節より思います。
そこで、イエス様は、キリスト者の心の壁の後ろに立ったり、キリスト者の心の窓からキリスト者の心の中を覗(のぞ)いている、というような状態なのだろうと思います。イエス様は、キリスト者が自分から心の扉を開かなければ、中には入って来ません(黙示録3:20)。イエス様は無理やり入り込むということをしないのです。
しかしありがたいことに、心の扉の外から、心の窓の外からでも語りかけてくださるお方です(10)。

花婿(イエス様)が花嫁(キリスト者)にかけた言葉である10b-14節を見ていきます。
10b-14節には「10 ・・・。愛する人、いとしい人よ、さあ、起きて、出ておいで。11 冬は過ぎ、雨もすっかり上がったよ。12 花が咲き、小鳥の歌う季節になった。そう、もう春なんだよ。13 若葉がもえいで、ぶどうの木は花ざかりだ。たまらないほどいい香りを放っている。愛する人、いとしい人よ、さあ、起きて、出ておいで。14 岩の裂け目、崖の隠れ場にいる鳩よ。私に顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は心地よく、あなたの顔は愛らしい。」とあります。

キリスト者が、自分の内面だけ、或いは自分の様々な問題だけを見つめて、イエス様に思いを向けていない、イエス様を問題の中に持ってこようとしていないような時においても、イエス様は、キリスト者に対して、「愛する人よ、いとしい人よ」とお声をかけてくださるお方です。そして、「自分だけで何とかしようとしないで、霊的に目を覚まし、私のところにおいで」と語ってくださるお方がイエス様です。
大切なことは、十字架と復活を経られ、天において天地の主権者として御父の右の座に座られているイエス様を、そして、とりなしの祈りを欠かさないイエス様を、いつも心に留めていることなのです。(2テモテ2:8、ヘブル12:2、マタイ28:18、マルコ16:19、ローマ8:34)

花嫁(キリスト者)から花婿(主キリスト・イエス様)への願い(私たちは「祈り」の形態をとります)として15節を見ていきます。
15節には「子ぎつねがぶどう園を荒らしまわっています。捕まえてください。ぶどうの木は花ざかりなのですから。」(意訳)とあります(新改訳2017は直訳的に訳しています)。

キリスト者が、キリストから目を離していた理由は、キリスト者の心が、肉の思い(罪)、敵(サタン)の言葉(主の御言葉とは異なる世の言葉、哲学、宗教、学問、etc.が含まれます)、自分の心にある罪を聖霊によらずに自分で探し続けること、また犯した罪の自責の念などであったでしょう。
キリスト者は、そのような自分の心に気づいたのです。そして、イエス様にこれらのものを何とかしてください、と願ったのです。

主はそれについての解決方法を与えてくださいました。それは信仰によって主の十字架と復活において一つになることでした(ローマ6:3-8、ガラテヤ5:24)。
16節には「私の愛する方は私のもの、私はあの方のもの。あの方は、ゆりの花の間で羊の群れを飼っています。」とあります。
キリスト者が主キリスト・イエス様と私は一つです、と信仰告白していますが、まだ実体化していないようです。あの方(イエス様は)自分のところではなく、ゆりの花の間で羊(主に従う者たち)を飼っている、と自分から離れたところを見ていますから。
そこで、このキリスト者は、更に主イエス様に哀願します。
17節には「私の愛する方よ。そよ風が吹き始め〔イスラエルの午後に吹き始める風のこと(岩波訳参照)〕、影が逃げ去るまでに〔日没までに(筆者挿入)〕、あなたは戻って来て、険しい山々の上のかもしかや若い鹿のようになって下さい。」とあります。
このキリスト者は、主と一つになるところに解決があることを教えられましたが、17節を読むと、それがまだ実体化されていないことがわかります。
理屈は分かった、その様に祈ってみよう、しかし、まだ実体化されない、というもどかしい状態です。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
霊において主と一つとされ、魂が霊に従い、それ故に、霊魂体が霊の人としての歩みをすることができますように、その様な歩みをし続けていくことができますよう祝福してください。
わが主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

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