終末

2023年8月31日 (木)

マタイ25:31-46 キリストの地上再臨後における諸国民に対する裁き

 マタイ2531-46には次のように記されています。
31 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
32
 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、33 羊を右に、山羊を左に置く。
34
 そうして、王は右側にいる人たち〔羊にたとえられている人たち(筆者挿入)〕に言う。
『さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。
35
 あなたがたは、私が飢えていたときに食べさせ、喉が渇いていたときに飲ませ、よそ者であったときに宿を貸し、36 裸のときに着せ、病気のときに世話をし、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
37
 すると、正しい人たち〔羊にたとえられている人たち(筆者挿入)〕が王に答える。
『主よ、いつ私たちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、喉が渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。38 いつ、見知らぬ方であられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
40
 そこで、王は答える。
『よく言っておく。この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである。』
 41 それから、王は左側にいる人たち〔山羊にたとえられている人たち(筆者挿入)〕にも言う。
『呪われた者ども、私から離れ去り、悪魔とその使いたちに用意してある永遠の火に入れ。42 あなたがたは、私が飢えていたときに食べさせず、喉が渇いていたときに飲ませず、43 よそ者であったときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、世話をしてくれなかったからだ。』
44
 すると、彼ら〔山羊にたとえられている人たち(筆者挿入)〕も答える。
『主よ、いつ私たちは、あなたが飢えたり、渇いたり、よその人であったり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お仕えしなかったでしょうか。』
45
 そこで、王は答える。『よく言っておく。この最も小さな者の一人にしなかったのは、すなわち、私にしなかったのである。』
46
 こうして、この人たちは永遠の懲らしめを受け、正しい人たちは永遠の命に入るであろう。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 マタイ24.25章は終末に関連した預言や教えが記されています。その最後の内容がこの箇所です。
 この箇所は、キリストが地上に再臨し、キリストの軍勢に敵対した者たちを滅ぼした後、地上に生きている人たちを集めて裁きを行うときの基準が記されていると思います。
キリスト者は、この時には、すでに、天において花婿キリストとの婚宴が終わっています(黙示録196-9)。

 ここに登場した羊とやぎに喩えられた人たちは、大患難時代を生きのびた人たちです。神様の目からご覧になると、大患難時代を生き延びた人たちは二通りに分類されるのです。

 大患難時代は、誰にとっても極度に生きづらい時代です。様々な災害によって死んでいっても不思議ではない時代です。特に、信仰者にとっては特に命がけです(黙示録6979-17135-18)。そのような中に在ってどのような考えor信仰を持ち、生き方をしたのか、ということが問われています。

 31節には、「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。」とあります。
「人の子」とはイエス様のことです。
イエス様は、ご自分を指して、「人の子」とよく言われました。
イエス様が「人の子」とご自分を表現なさる時は、ダニエル713を意識していたことと思います。
 ダニエル71-14には次のように記されています(下記しませんが、この個所の解説はダニエル715-28に記されています)。
1 バビロンの王ベルシャツァルの治世第一年に、ダニエルは夢を見た。それは寝床で頭に浮かんだ幻であった。彼はその夢を書き記し、概要〔直訳「事の始まり」「事の全体」(欄外注)〕を次のように語った。
2
 ダニエルは言った。私は夜、幻を見ていた。すると、天の四方から風が起こり、大海をかき立てた。
3
 海から四頭の大きな獣が上がって来た。それぞれ異なる姿をしていた。
 4 第一の獣〔「獣」は補足(欄外注)〕は獅子のようで、鷲の翼があった。見ていると、その翼はもぎ取られ、地から起こされ、人間のように両足で立たされて、人間の心が与えられた〔バビロンとその王ネブカデネザル{ダニエル232の像の金の頭、ダニエル237.38参照}(筆者挿入)〕。
 5 すると、別の獣が現れた。第二のものは熊に似ていて、片側に立たされ〔横向きに寝ている体の上の方がペルシアを表し、下の方がメディアを表している、ということです(筆者挿入)〕、三本の肋骨をその口の歯の間にくわえていた〔バビロン、エジプト、小アジアを打ち破った(筆者挿入)〕。するとこう語る声がした。「起き上がって、多くの肉を食らえ。」〔ダニエル232の銀の胸と腕、ダニエル239a参照、メド・ペルシア(筆者挿入)〕
 6 この後、私が見ていると、豹のような別の獣〔アレキサンダー大王(筆者挿入)〕が現れた。その背中には四つの鳥の翼があった。また四つの頭〔4人の将軍、アレキサンダー大王の死後、ギリシア帝国は4分割されて治められる。イスラエルは、アレキサンダー大王、次にプトレマイオス朝、次にセレウコス朝の支配下に入る(筆者挿入)〕があって、この獣には支配権が与えられた。
 7 この後、私は夜の幻を見ていた。すると、第四の獣〔ローマ帝国(筆者挿入)〕が現れた。それは恐ろしく、不気味で、異常に強く、大きな鉄の歯があり、食らい、かみ砕き、残り を両足で踏みにじった。これには、前に現れたどの獣とも異なり、十本の角〔携挙後のローマ帝国(筆者挿入)〕があった。
8
 その角〔国家元首たち(筆者挿入)〕を私はよく見ていた。すると、それらの間から、別の小さな角〔反キリスト(筆者挿入)〕が立ち現れ、先の角のうちの三本が、そのせいで抜け落ちた。この角には人間の目のような目があり、口は尊大なことを語った〔黙示録135.6(筆者挿入)〕。
9
 私が見ていると、やがて、王座が据えられ、日の老いたる者〔年を経た方(2017)〕が座した。その衣は雪のように白く、頭髪は羊毛のように清らかである。その王座は 燃える炎、車輪は燃える火。
10
 彼の前から火の川が流れ出た。幾千人〔幾千もの者(2017)〕が彼に仕え、幾万人〔幾万もの者(2017)〕が彼の前に立った。裁く方が座し、書物が開かれた。
11
 私が見ていると、あの角〔反キリスト(筆者挿入)〕が語る尊大な言葉が聞こえたが、私が見ている間に、その獣〔反キリスト(筆者挿入)〕は殺され、死体は破壊されて、燃え盛る火に投げ込まれた〔黙示録1920(筆者挿入)〕。
12
 残りの獣は支配権を奪われた。しかし、時期と時が来るまで、命は延ばされた。
 13 私は夜の幻を見ていた。見よ、人の子のような者が、天の雲に乗って来て、日の老いたる者〔年を経た方2017)〕のところに着き、その前に導かれた
14
 この方に支配権、栄誉、王権が与えられ、諸民族、諸国民、諸言語の者たちすべては、この方に仕える。その支配は永遠の支配で、過ぎ去ることがなく、その統治は滅びることがない。”(聖書協会共同訳)
 この箇所は今から2500年以上前の預言です。私見ですが、このダニエルの幻は、イスラエルと関係した国、或いはこれから関係する国の幻であろうと思います。

 マタイ2531は、イエス・キリスト様が地上に再臨され、そして再臨の時には御使いたちを従え、人間支配の世を終わらせ、王の座、裁きの座に着かれる、ということを語っていると思います。そして、すべての国民をイエス様の前に集めて、裁判を行い、羊飼が羊とやぎとを分けるように、国々の民をより分け、羊に象徴される人たちを右に、やぎに象徴される人たちを左におくのです(32.33)。

 羊の部類に入れられた人たちは、イエス様を信じている人たち{恐らく艱難時代の聖徒たち(39.40)}が空腹のときに、食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねた人たちでした。そのようにした人たちは結局艱難時代にイエス様を信じた人たちではないかと私は想像します。一見、行為によって救われたかのように思ってしまいますが、そのような行為を為せるようにその前にイエス様を信じて救われ、変えられた人たちではないかと想像します。
とは言え、この原則、すなわち信仰の結果出てくる行いと報いの法則は、艱難時代に限定されないだろうと思います。
イエス様は、「わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことはありません。」(マタイ1042・新改訳2017)と語っておられます。
 
 大患難時代には、イエス様を信じたゆえに殺される多くの人達がいます(黙示録69-11)。また大患難時代にイエス・キリストを信じた者は、食料や衣服を買うことが出来ない(黙示録13章)という時代です。まだ未来のことですが、この時代に生きていくためには、イエス様を信じている者同士が助け合わなければ生きていくのが困難な時代であることが分かります。また、ユダヤ人は、獣(反キリストと偽預言者)を信じない故に迫害されるのです(黙示録12.13章)。

 余談になりますが、私たち恵みの時代に救われたキリスト者たちは、行いによらず、イエス様を信じたら直ちに救われ永遠の命を頂いた者たちです。善き行いは救われた後に、内なる御霊によって自然になされていくものです。

 37-40節には、
“37 すると、正しい人たち〔羊にたとえられている人たち(筆者挿入)〕が王に答える。
『主よ、いつ私たちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、喉が渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。38 いつ、見知らぬ方であられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
40
 そこで、王は答える。
『よく言っておく。この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである。』
”とあります。
特に、40節の「この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである。」という箇所を読むと、
使徒91-5の“さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」”(新改訳)という箇所や
エペソ123の「教会〔キリスト者の総体(筆者挿入)〕はキリストのからだであり」(新改訳)などという箇所を思いうかべます。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
この箇所を読むと行いによって裁かれていることが分かりますが、その根底には、その行いを生み出す信仰があることが想像できます。
律法が与えられる以前から、また、律法が与えられた後も、また、イエス様が贖いを成就してくださった後も、大患難の時代も、人は、信仰によって神様から祝福を受けていることが聖書には記されていますし、また、神様は信仰列伝をヘブルの記者にヘブル11章で書かせられました。
いつもイエス様に信頼して歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2023年8月23日 (水)

マタイ25:1-13 聖霊内住の人が携挙される

 マタイ251-13には次のように記されています。
1 「そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
2
 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
3
 愚かなおとめたち〔思慮の浅い者たち(口語訳)〕は、灯は持っていたが、油の用意をしていなかった。
4
 賢いおとめたち〔思慮深い者たち(口語訳)〕は、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
5
 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆うとうとして眠ってしまった。
6
 真夜中に『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。
7
 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれの灯を整えた。
8
 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。私たちの灯は消えそうです。』
9
 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
10
 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできている五人は、花婿と一緒に祝宴の間に入り、戸が閉められた。
11
 その後で、ほかのおとめたちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。
12
 しかし主人は、『よく言っておく。私はお前たちを知らない』と答えた。
13
 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたはその日、その時を知らないのだから。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 この譬えは、主の空中再臨は何時だかわからないのですから、霊的な意味で、目を覚ましていなさいというものでしょう。主の空中再臨に限らず、いつ地上の命が召されても良いような信仰生活を送りなさい、と応用することも出来ます。
余談になりますが、主の地上再臨は、主の地上再臨の7年前からは分かるようになります。

イエス様がこの譬えを語られた当時のこのような状況を知っておいた方が良いと思い、新聖書注解からユダヤの婚礼に関する記述を転記させていただきます。
 “このたとえに登場するのは、「それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘」である。「そのうち五人は愚かで、五人は賢かった」(2)。「賢い人」と「愚かな人」の対比という点で、この「十人の娘のたとえ」は、「岩の上に建てた家のたとえ」(マタイ724-27)と似ている。
 「十人の娘」は「花婿を出迎える」花嫁の友たちである。ここに見られるユダヤの婚礼は、婚約して約一年後、法的に既に夫婦となっていた両人の夫婦生活が始まることを祝う喜びの祝宴である。
 その婚宴は花婿の家で開かれるのが普通で、花婿は夕方になってから花婿の友と一緒に、花嫁の家に花嫁を迎えに行く。花婿の友が音頭を取り、花嫁の友が美しく着飾り、二人を婚宴の席に導き、盛大な祝宴が開かれる。
 しかし、この譬えでは、花婿の到着が夜中になっており(6)、花婿の到着と同時に「婚礼の祝宴が始まっているので(10)、花嫁の家で婚礼が行われたと思われる(榊原)。
 現在でもパレスチナの婚宴では、この譬えに描かれていることが行われている。
花婿は「花嫁の友」たちが眠っている時に、不意をついてやって来たりする。
その時、先ぶれの男が「そら、花婿だ」と叫ぶことになっている。
しかしその時がいつであるかわからないので、「花嫁の友」たちは何時でも用意していなければならない。
そして、花婿が到着すると戸は閉められ、遅れてきた者は婚宴に出られない(バークレー)。”とあります。

 新聖書注解はバークレーの本から上記の内容を記したのでしょう。
上記の説明について、私はいくつかの疑問を持ちます。
黙示録196-9には次のように記されています。
6 また私は、大群衆の声、大水のとどろき、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。全能者である神、主が王となられた。7 私たちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁〔原語は「グーネー」で直訳すると「妻」(筆者挿入)〕は支度を整え、8 輝く清い上質の亜麻布を身にまとった〔直訳「与えられた」。フランシスコ会訳と塚本訳は「与えられた」(筆者挿入)。〕。この上質の亜麻布とは、聖なる者たちの正しい行いである。」
9
 それから、天使は私に、「書き記せ。小羊の婚礼の祝宴に招かれている者は幸いだ」と言い、また、「これらは、神の真実の言葉である」とも言った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録197の「婚礼」と訳されている語のギリシア語原語は「ガモス」で、nuptials(結婚式や結婚に関することを意味する語)、marriage(結婚、婚姻), wedding(結婚式、婚礼)の意とStrong辞書にあります。
黙示録199の「婚礼の祝宴」と訳されている語の「婚礼」という語のギリシア語原語は「ガモス」です。「祝宴」と訳されている語のギリシア語原語は「ディプノン」です。

 マタイ2510の「祝宴」(聖書協会共同訳)、「婚礼の祝宴」(2017)と訳されている語は、ギリシア語では「ガモス」となっています。ガモスは、marriage(結婚、婚姻), wedding(結婚式、婚礼)のです。

 上記のバークレーの説明では、乙女たちは、花嫁の友達であるとしています。
キリストの花嫁とは、教会であり、教会とは、多くのキリスト者の集合体です。
それ故、私は、このマタイ25章の個所の乙女は、教会を構成するキリスト者を指しているのではないかと思います。

1-4節には、「1 そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
2
 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
3
 愚かなおとめたちは、灯は持っていたが、油の用意をしていなかった。
4
 賢いおとめたちは、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。」とあります。

 天の国〔天の御国(新改訳)、the kingdom of heavenNKJV)〕というのは、神様が支配されている国と捉えることが出来ますから、地上に在っては教会を指しているとも言えます。

教会の中には、油を用意している人即ち聖霊を宿している人と、油を用意していない人即ち聖霊を宿していないか聖霊を消してしまっている人(1テサロニケ519)がいるとも取れるたとえです。

イエス様は、「あなた方は世の光である」(マタイ514・口語訳)、すなわち「あなた方は世にあってキリストが語られた言動をする人である」(筆者の解釈)と語られましたが、聖霊によって光を輝かしている人と、聖霊によってではなく、肉の努力によって光らしいものを輝かしている人とがいるのかも知れません。

「思慮の浅い者たち」と「思慮深い者たち」を分けたものは、油(聖霊)を持っているかどうかでした。更に油(聖霊)が容器〔キリスト者のからだ(筆者の解釈)〕にいっぱいに満たされていれば幸いなことです。

5節には、「ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆うとうとして眠ってしまった。」とあります。

私たちの時代は、イエス様が再臨について語られてから、すでに2000年近くになります。

世界の教会内を見渡すと、再臨があると信じている人たちと、再臨はないと考えている人たちがいることが分かります。中には、黙示録の出来事の多くはすでに終わっていると考えている人たちもいます。

また、再臨は信じているが、イエス様がなかなか来ないということで、キリストの再臨と言われてもピンとこない人や、まだまだ来ないのではないかという人もいることでしょう。

ところが、イエス様の空中再臨は神のラッパの響きと共に突然起こるのです(1テサロニケ416)。ラッパは、6節の「そら、花婿だ。迎えに出よ」と呼ぶ声に似ています。しかし、油を用意しておかなかった人たちは間に合いませんでした。

油に喩えられている聖霊は、人から分けてもらうことは出来ないのです。
聖霊は新生したときに与えられ、聖霊は内住してくださるものだからです。
旧約時代は、預言者であっても、聖霊は内住するのではなく、その人の上にとどまったのです。新約の恵みの大きさに驚嘆します。

10節には、「愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできている五人は、花婿と一緒に祝宴の間に入り、戸が閉められた。」とあります。

イエス様の空中再臨の時、用意のできていた人は携挙されるのですが、聖霊が内住してくださっておられない人は携挙されないのです。そして、携挙は一度しかないのです。
携挙の前の神のラッパの響きの時に、肉の体から霊の体に変えられます。その奇跡をなさるのは聖霊です。
ローマ811には、“もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊〔御霊(口語訳、新改訳)〕によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。”(新共同訳)と記され、
 1コリント1552には、“終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。”(2017)と記されています。

「ご主人様、ご主人様、開けてください。」(11)即ち、「イエス様、イエス様、私も入れてください。」と言っても、「わたしはお前たちを知らない。」(12)と言われている人もいます。

この譬えで主イエス様が語りたかったことは、10人の乙女が花嫁か花嫁の友かについてではなく、油を準備して光を灯し続け(内住の御霊に導かれた歩みをして)いつ主が迎えに来られてもよいように準備していなさいということだと思います。

イエス様を信じた人に関して言えば、両親から受け継いだ古き人はキリスト共に十字架につけられたのです{ローマ63.4、ガラテヤ219又は20(聖書によって節が異なります)}。そして、復活のキリストに合され新しい人とされたのです(ローマ64.5.11、コロサイ39.10)。命の観点からいえば、神の霊によって霊を誕生させて頂いたのです(ヨハネ36)。そして更に1コリント617には、“主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。”(2017)と記されています。
また、その人の内には聖霊が遣わされ(ヨハネ1416.17)、聖霊が住んでくださっておられるのです。即ち油を持っているのです。キリストをよみがえらせた方の霊が住んでいる人は、キリストの空中再臨の時、死ぬべき体をも栄光の且つ永遠の体に変えて頂けるのです(ローマ811)。それも一瞬のうちにです(1コリント1551.52)。それはマタイ172のイエス様の変貌のようにでしょう。御霊を持っている者はキリストの空中再臨時の神のラッパが鳴った時、キリストに似たものに変えられるのです(1ヨハネ32)。
 1ヨハネ32.3には次のように記されています。
2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
3
キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
いつも聖霊に満たされた歩みをさせていただけますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月15日 (火)

マタイ24:31.36-44 終末と満了14/キリストの空中再臨と携挙

 マタイ2431.36-44には次のように記されています。
31 人の子は、大きなラッパの響きとともに天使たちを遣わし、天の果てから果てまで、選ばれた者を四方から呼び集める。/
36
 「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
37
 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
38
 洪水になる前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
39
 そして、洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気が付かなかった。人の子が来る場合も、このようである。
40
 その時、畑に二人の人がいれば、一人は取られ、一人は残される。
41
 二人の女が臼を挽いていれば、一人は取られ、一人は残される。
42
 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が来られるのか、あなたがたには分からないからである。
43
 このことをわきまえていなさい。家の主人は、盗人が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に忍び込ませたりはしないだろう。
44
 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 31節をリビングバイブルは、“ラッパが高らかに鳴り響く中で、わたしは天使たちを遣わします。天使たちは、天と地の果てから果てまで行き巡り、選ばれた者たちを集めるのです。”と意訳しています。

 天と地の両方から選びの民が集められるのはキリストの空中再臨に伴う携挙の時です。
まず御父は、御子であり、主であるキリスト・イエス様に、キリストの空中再臨の時が来たことを知らせるのでしょう。
私たちの主であるキリスト・イエス様は、大きなラッパの響きとともに天使たちを遣わすのです。そして、天使たちは、天と地の果てから果てまで行き巡り、選ばれた者たちを集めるのです。

 1コリント1551-54には、
50 きょうだいたち、私はこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできません。また、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐこともありません。
51
 ここで、あなたがたに秘義〔奥義(口語訳、新改訳)〕を告げましょう。私たち皆が眠りに就くわけではありません。しかし、私たちは皆、変えられます。
52
 終わりのラッパの響きとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴り響くと、死者は朽ちない者に復活し、私たちは変えられます〔霊のからだを与えられます(筆者挿入)〕。
53
 この朽ちるものは朽ちないものを着、この死ぬべきものは死なないものを必ず着ることになるからです。
54
 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利に呑み込まれた。」〔イザヤ258、ホセア1314参照(筆者挿入)〕”(聖書協会共同訳)と記され、
 1テサロニケ414-17には、
14 私たちは、イエスが死んで復活されたことを確かなことと信じています。ですから、イエスが帰って来られる時、すでに死んで世を去ったすべてのクリスチャンを、神が共に連れて来てくださると信じてよいのです。
15
私は主から直接聞いたとおりを伝えるのですが、主が再び来られる時、私たちがまだ生きていたとしても、すでに墓の中にいる人たちをさしおいて主にお会いすることは、断じてありません。
16
主は、大号令と、天使長の声〔天使長は天使たちに命令を発するのでしょう(筆者挿入)〕と、神の召集ラッパの響きと共に、天から下って来られます。その時、まず最初に復活して〔霊のからだが与えられて(筆者挿入)〕主にお会いできるのは、すでにこの世を去っているクリスチャンです。
17
それから、なお生きて地上に残っている私たちが、いっしょに雲に包まれて引き上げられ、空中で主とお会いするのです。そして、いつまでも主と共に過ごすことになります。”(リビングバイブル)と記されています。
 脱線しますが、続く1テサロニケ418には、“ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。”(2017)と記されています。

 携挙は、携挙の準備が整うと起こるのです。
マタイ2437-39には、
37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
38
 洪水になる前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
39
 そして、洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気が付かなかった。人の子が来る場合も、このようである。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 ノアの箱舟に、入るべき人や動物が入った後、神様が箱舟の戸を閉めたのです。
創世記7章には次のように記されています。
13 まさにその日、ノアは、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、そして息子たちの三人の妻と一緒に箱舟に入った。
14
 彼らと共に、それぞれの種類のあらゆる獣、それぞれの種類のあらゆる家畜、それぞれの種類のあらゆる地を這うもの、それぞれの種類のあらゆる鳥、あらゆる小鳥、あらゆる翼あるもの、15 すなわち、命の息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ、ノアのもとに来て箱舟に入った。
16
 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。神がノアに命じられたとおりであった。そこで主は、その後ろの戸を閉じられた。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 ルカ17章では、ノアのときだけではなく、ロトの時のことも次の様に記されています。
26 ノアの時にあったようなことが、人の子の時にも起こるだろう。
27
 ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が来て、一人残らず滅ぼしてしまった。
28
 ロトの時にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、29 ロトがソドムから出て行った日に、火と硫黄が天から降って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ロトの話を詳しく知るためには、創世記1816-1929を読む必要があります。
ロトの場合も、主の御言葉を信じた3人の者だけが助かったのです。
ロトの奥さんは、世に未練があったために滅びました(創世記1926)。
ロトの二人の娘を娶(めと)る婿たちは、神のことばを信じなかったので滅びました(創世記1914)。

 主の御怒りの日が始まる前に、キリストの空中再臨があります。
そして、キリストの空中再臨の時に携挙されるのです。
地上に残される人は、これらのことを見ることが出来ません。
携挙された人の服を見ることはできるでしょうが(このように推測できるのはヨハネ205-7によります)。

 黙示録3102017は、“あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったので、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には、わたしもあなたを守る。”と訳していますが、
直訳すると、前田訳のように、
“なんじはわが忍耐のことばを守ったから、わたしもなんじを試みの時から守ろう。それは地に住むものを試みるために、全世界にのぞもうとしている。”と訳すことが出来ます。

 前田訳の様に訳せる理由は、1テサロニケ415-59を読めばわかります。
特に、1テサロニケ59には、
神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。”(2017)と記されています。
神の御怒りは、黙示録6.8.9.16章、1919-203.7-10に記されています。そしてその後今の天地は滅ぼされ、最後の審判に移るのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
イエス・キリスト様の十字架と復活を感謝します。
イエス・キリスト様の贖いの血潮に感謝します。
携挙していただけますことを感謝します。
あなたの御名が崇められ、賛美されますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月14日 (月)

マタイ24:29.28 終末と満了13 キリストの再臨2

 マタイ2429には、
“「それらの日に起こる苦難の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の諸力〔別訳「万象」(欄外注)、「諸力」と訳されている語のギリシア語原語は「デュナミス」(力)の複数形です。〕は揺り動かされる。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 このような預言は、旧約聖書にも記されており、ヨエル2章には、
10 地はその前で震え、天も揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。11 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はご自分の軍隊の先頭に立って声をあげられる。その陣営は非常に大きく、主のことばを行う者は強い。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられるだろう。/
31
主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。”(2017)とあります。

 黙示録612-17の第6の封印が開かれた個所には次のように記されています。
12 また、小羊が第六の封印を解いたとき、私が見ていると、大地震が起きた。太陽は毛織の粗布のように暗くなり〔太陽は黒布で覆われたように暗くなり(リビングバイブル)〕、月は全体が血のようになって、13 天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようであった〔そして、星が地上に落ちたのです。まるで、いちじくの青い実が、大風にばらばらと振り落とされるようでした(リビングバイブル)、多くの隕石が落ちてきたのかもしれません(筆者挿入)〕。
14
 天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
15
 地上の王、高官、将校、富める者、力ある者〔身分の高い人(リビングバイブル)〕、また、すべての奴隷も自由人も洞穴や山の岩間に身を隠した。16 そして、山と岩に向かって言った。
「私たちの上に覆いかぶさって、玉座におられる方の顔と小羊の怒りから、私たちをかくまってくれ。17 神と小羊の大いなる怒りの日が来たのだ。誰がそれに耐えられようか。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 マタイ2429の中には、“星は天から落ち”とありますが、
黙示録613にも、“天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようであった。”(聖書協会共同訳)とあり、
黙示録810.11の第3のラッパの災いの時には、
10 第三の御使いがラッパを吹いた。すると、天から、たいまつのように燃えている大きな星が落ちて来て、川の三分の一とその水源の上に落ちた。
11
この星の名は「苦よもぎ」と呼ばれ、水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。”(2017)と記されています。

 また、マタイ2429の中には、“たちまち太陽は暗くなり”ともありますが、
黙示録612以外にも、黙示録1610.11には、
10 第五の御使いが鉢の中身を獣の座に注いだ。すると、獣の王国は闇におおわれ、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。
11
そして、その苦しみと腫れもののゆえに天の神を冒瀆し、自分の行いを悔い改めようとしなかった。”(2017)と記されています。

 また、マタイ2429の中には、“天の諸力は揺り動かされる”とありますが、天の諸力を堕天使集団と仮定すると、黙示録127-9には、
7 さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその天使たちが竜〔悪魔{サタン}(筆者挿入)〕に戦いを挑んだのである。竜とその使いたち〔堕天使集団(筆者挿入)〕もこれに応戦したが、8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。
9
 この巨大な竜、いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者は、地上に投げ落とされた。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。”(聖書協会共同訳)と記されています。

 イザヤ24章には次のように記されています。
17 地に住む者よ。恐怖と落とし穴と罠があなたに臨む。
18
 恐怖の叫びから逃れる者は落とし穴に落ちる。落とし穴の中から這い上がる者は罠に捕らえられる。天の水門は開かれ、地の基は震え動く。
19
 地は裂けに裂け、地は破れに破れ、地は揺れに揺れる。
20
 地は酔いどれのようによろめき、仮小屋のように揺れ動く。地の背きは地の上に重く、地は倒れて再び起き上がることはない。〔地のそむきの罪と大地震との関連性を想起させます(筆者挿入)〕
21
 その日になると、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は罰する。天上では天上の軍勢を、大地の上では大地の王たちを。
22
 彼らは、囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、長い月日がたった後、罰せられる。
23
 月は辱められ、太陽は恥じる。シオンの山において、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が王となられ、エルサレムにおいて、長老たちの前にその栄光を現されるからだ〔キリストの千年王国時代のことでしょう(筆者挿入)〕。”(聖書協会共同訳)とあります。

マタイ24:28には、“屍〔「死体」(口語訳、新改訳)〕のある所には、禿鷲が集まるものだ。”(聖書協会共同訳)とあります。
この個所を読むと、黙示録19章を思い浮かべます。黙示録19章には次のように記されています。
11 それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方〔再臨のキリスト(筆者挿入)〕は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。
12
 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。
13
 この方は血染めの衣を身にまとい、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
14
 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い上質の亜麻布を身にまとい、この方に従っていた。
15
 この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。そして、この方はぶどう酒の搾り桶を踏む。そのぶどう酒には、全能者である神の怒りが込められている。
〔この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。(2017)〕
16
 この方の衣と腿(もも)には、「王の王、主の主」という名が記されていた。
17
 また私は、一人の天使が太陽の中に立っているのを見た。この天使は大声で叫び、空高く飛んでいるすべての鳥にこう言った
さあ、神の大宴会に集まれ18 王の肉、将校の肉、権力者たちの肉を食らえ。また、馬とそれに乗る者の肉、あらゆる自由人、奴隷、小さな者や大きな者たちの肉を食らえ。」
19
 私は、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢と戦うために、集まっているのを見た。
20
 しかし、獣〔反キリスト(筆者挿入)〕は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、偽預言者は、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者を惑わしたのである。獣も偽預言者も、生きたまま硫黄の燃え盛る火の池に投げ込まれた。
21
 残りの者たちは馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるまで食べた。”(聖書協会共同訳)とあります。
17.18.21
節には、鳥が死体を食べることが預言されています。この戦いはエルサレムを中心とするユダヤの地で行われます(ゼカリヤ12章)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを崇めます。
あなたは罪が満ちたときには、その裁きをなさるお方です。
しかし、あなたは愛のお方であられ、決定的な裁きをなさる前に、救いの道をイエス・キリスト様によって開いてくださいました。
見ずに信じる者は幸いである、と言われている時代に救いにあずからせていただきました恵みを感謝します。
神の子どもとして、キリストの花嫁として、ふさわしくお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月13日 (日)

マタイ24:22-31 終末と満了12キリストの再臨1

 マタイ2415-18には次のように記されています。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――
16
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
17
 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
18
 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。
15-18
節については、89日のブログに記しました。

 15節から「ヤコブにも苦難の時」(エレミヤ307)と言われている大患難時代が始まるのです。そして、19節の「それらの日」へと繋がるのです。そして、その苦難からの解放はメシア(キリスト)の地上再臨によらなければ成就しないのです。メシアの来臨にはフェイクニュースが伴います。
 マタイ2419-27.30には次のように記されています。
19 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある。
20
 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
21
 その時には、世の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
22
 神がその期間を縮めてくださらなければ、誰一人救われない。しかし、神は選ばれた人たち〔この文脈ではユダヤ人のことです(筆者挿入)〕のために、その期間を縮めてくださるであろう。
23
 その時、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
24
 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。〔2テサロニケ29-12参照(筆者挿入)〕
25
 あなたがたには前もって言っておく。
26
 だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、出て行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

マタ 24:27.30には、“27 稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子もそのように来るからである。/30 その時、人の子の徴が天に現れる。そして、その時、地上のすべての部族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。”(聖書協会共同訳)と記されています。
この節に関連する他の聖書個所の預言を見ることにします。
 ゼカリヤ12章には、再臨のメシア(キリスト)は、十字架の跡がわかるように再臨されると記されています。一応12章全部を下記します。
1 託宣。イスラエルに対する主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の言葉。天を広げ、地の基を据え、人の霊をその中に造られた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。
2
 私はエルサレムを杯(さかずき)とし、周囲のすべての民をよろめかす。エルサレムが包囲されるとき、ユダも同様になる。
3
 その日になると、私はエルサレムをすべての民にとって石の重しとする。それを担ぐ者は皆、深い傷を負う。地上のすべての国民は、エルサレムに向かって集まる〔エルサレムの包囲の前にハルメギド{ハルマゲドン}という場所に全世界の軍を招集します。黙示録1612-16参照。その後にエルサレムに向けて進軍します。(筆者挿入)〕。
4
 その日には、私はすべての馬を打って慌てさせ、乗り手を狂わせる――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。そしてユダの家の上に目を開いて、もろもろの民の馬をすべて打ち、目を見えなくする。
5
 ユダの首長たちは心の中で言う。「エルサレムの住民は、彼らの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕によって私の力となる。」
6
 その日、私はユダの首長たちを薪(たきぎ)で燃える火鉢のように、また麦束で燃える松明(たいまつ)のようにする。その火は左右に燃え広がり、周りにいるすべての民を焼き尽くす。こうしてエルサレムは、その場所エルサレムにそのままとどまる。
7
 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は初めにユダの天幕を救われる。それは、ダビデの家の誉れとエルサレムの住民の誉れをユダ以上に大きくしないためである。
8
 その日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はエルサレムの住民を守られる。その日、彼らの中の弱い者もダビデのようになる。そしてダビデの家は、彼らの前で神のように、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使いのようになる。
9
 その日になると、私はエルサレムに攻めて来る諸国民をすべて滅ぼす。
10
 私はダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。
彼らは、自分たちが刺し貫いた者のことで私を見て、独り子の死を嘆くように嘆き、初子の死を悼むように悼む。
彼らは、自分たちが突き刺した者、わたし{ヤハウェ(主)すなわちキリスト(筆者挿入)}を仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。(2017)〕
11
 その日、エルサレムでは、メギドの平野におけるハダド・リモンの嘆きのように、その嘆きは大きくなる。〔エルサレムの住民によるヨハネ169の罪の悔い改め。(筆者挿入)〕
12
 この地は氏族ごとにそれぞれ嘆く。
ダビデの家の氏族は彼らだけで嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。
ナタンの家の氏族は彼らだけで嘆き、 その妻たちも彼女たちだけで嘆く。
13
 レビの家の氏族は彼らだけで嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。
シムイの氏族は彼らだけで嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。
14
 残りの氏族もすべて氏族ごとにそれぞれ嘆き、その妻たちも彼女たちだけで嘆く。”(聖書協会共同訳)とあります。
 続くゼカリヤ131には、“その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。”(2017)と記されています。

 この出来事によって、ローマ1126.27に記されていることが起こるのでしょう。
ローマ11章には、“26 こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。
27
これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。”(2017)と記されています。

 悔い改めて、イエシュア(イエス)をメシア(キリスト)と信じた契約の民、すなわち選びの民(ヤコブの子孫)であるイスラエル人は救われるのです。

 エレミヤ31章には次のように記されています。
31 その日が来る――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。私はイスラエルの家、およびユダの家と新しい契約を結ぶ。
32
 それは、私が彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に結んだ契約のようなものではない。私が彼らの主人であったにもかかわらず、彼らは私の契約を破ってしまった――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。
33
 その日の後、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。私は、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心に書き記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。
34
 もはや彼らは、隣人や兄弟の間で、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を知れ」と言って教え合うことはない。小さな者から大きな者に至るまで、彼らは皆、私を知るからである ――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。私は彼らの過ちを赦し、もはや彼らの罪を思い起こすことはない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 このときのキリストの再臨は、キリストの地上再臨です。
このことが起こる前に天において、花婿キリストと花嫁教会(恵みの時代に救われて天に挙げられたキリスト者の総体)は、結婚式を済ませています(黙示録196-8)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたを賛美します。
あなたのご計画は成就しますから御名を崇めます。
私たち主に在るキリスト者は、あなたの現われの時を待ち望んでいます。
とともに、あなたが迎えに来てくださるまでは、あなたの導きに従い、御聖霊の助けを頂いて歩んでまいります。
今日も主を賛美しながら歩むひと日とさせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月 9日 (水)

マタイ24:15-24 終末と満了11 おもにイスラエル人に対する大患難時代についての警告

 マタイ2415-24には次のように記されています。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――
16
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
17
 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
18
 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。
19
 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある。
20
 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
21
 その時には、世の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
22
 神がその期間を縮めてくださらなければ、誰一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。
23
 その時、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
24
 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。”(聖書協会共同訳)とあります。

 15-18節には次のように記されています。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――16 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。17 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。18 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。”とあります。

 主イエス様が語られたダニエル書の預言は、ダニエル927に記されています。
神様が天使ガブリエルにダニエルに伝えなさいと言われた内容が、ダニエル924-27に次のように記されています。
24 あなたの民〔イスラエル(筆者挿入)〕と聖なる都〔エルサレム(筆者挿入)〕について七十週〔1週は7年。70週は490年(筆者挿入)〕が定められている。
それは、背きを終わらせ、罪を封印し、過ちを償い、永遠の義をもたらすためであり、 また幻と預言を封じ、最も聖なるもの〔ヘブライ語原語は「コーデシュ コーデシーム」。諸日本語聖書の訳:文語訳は「至聖者」口語訳は「いと聖なる者」新共同訳は「最も聖なる者」新改訳は「至聖所」フランシスコ会訳は「いとも聖なるもの」(筆者挿入)〕に油を注ぐためである。
25
 あなたはこれを知って、悟れ。エルサレムを復興し再建せよとの言葉が出され〔B.C.445年のエルサレム再建命令。ネヘミヤ21-8(筆者挿入)〕てから、油注がれた君が来られるまでが七週。また六十二週たつと、その苦しみの時代に、広場と堀は再建される。
26
 六十二週の後、油注がれた者〔キリスト(筆者挿入)〕は絶たれ、彼には何も残らない。都と聖所を次の君主の民〔ローマ軍(筆者挿入)〕が破壊する。その終わりに洪水があり、戦いの終わりまで、荒廃が定められている。
27
 一週〔7年(筆者挿入)〕の間、彼は多くの人々と契約を固め、半週の間、いけにえと供え物を廃止する。憎むべきもの〔偶像(筆者挿入)〕の翼の上に荒廃をもたらすものが座し、ついに、定められた破滅が荒廃をもたらすものの上に注がれる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 24節には「あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。それは、背きをやめさせ、罪を終わらせ、咎の宥めを行い、永遠の義をもたらし、幻と預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。」(2017)とあります。

「あなたの民とあなたの聖なる都について」とありますから、これはダニエルが所属する民、即ちユダ、更にはもっと広くイスラエルと聖なる都エルサレムに関する預言です。

「七十週が定められている」とあります。
「七十週」の「週」と訳された語の原語の意味は、「七」、「週」の意があります。ですから「七十の七が定められて(決定されて)いる」とも訳せます。
「七十の七」には日も週も年の単語も続いて書かれてはいません。

主の預言は必ず成就するのですから、七十週(七十の七)をどのように捉えるかということについて、自分の概念だけで決めてしまうことは出来ません。七十週については、25‐27節を読むと理解できます。

主の七十週のご計画は、
①イスラエルが主なる神様に背くことを止めさせること
②イスラエルに罪を終わらせること
③咎の宥めを行うこと
④永遠の義をもたらすこと
⑤主が与えてきたいくつもの幻や数々の預言を成就すること
⑥至聖所に油そそぎを行うこと
であるとあります。

25節については、これまでに、いくつもの解釈の仕方が提出されてきています。私はその中から、ワルバード、ロバート・アンダーソンが提示している内容を受け入れています。以下はそれに従って述べていきます。
 25節には「それゆえ、知れ。悟れ。エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして苦しみの期間である六十二週の間に、広場と堀が造り直される。」(2017)とあります。

「エルサレムを復興し、再建せよとの命令」とは、ネヘミヤ21-8を参考にします。ネヘミヤ21には、「アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月」と年と月が分かるように記されています。「「アルタクセルクセス王の第二十年」はBC445年になります。

25節を口語訳は「それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。」と訳し、
 文語訳は「汝暁り知べし(なんじさとりしるべし)ヱルサレムを建なほせといふ命令の出づるよりメッシヤたる君の起るまでに七週と六十二週ありその街(ちまた)と石垣とは擾亂の間に建なほされん。」と訳し、

リビングバイブルは「さあ、よく聞け!エルサレム再建の命令が出てから、神様に油を注がれた方が来るまで、四十九年に加えて四百三十四年かかる。それは苦しい時代だが、その間にエルサレムの城壁も町並みも再建される。」と訳しています。

「七週と六十二週」(口語訳)とは「四十九年に加えて四百三十四年」(リビングバイブル)で、合計483年です。{「七週」は77、「六十二週」は627、で「七」の単位は「年」であったのです。}

ダニエル725に「一時と二時と半時の間」という表現がありますが、これは黙示録から1260日であることがわかります(黙示録126)。預言的な一年は360日になっています。

483年×360日=173880日(になり)、太陽暦に直すと、173880(年)÷365.25(日)=476. 0574948665298(年)となります。精密さをきすと更にもうひと手間考慮する必要があるでしょうが省略します。

ネヘミヤ21-8の出来事はニサンの月とあるだけで、何日かとは書いてありません。

“ロバート・アンダーソンは、BC445年のニサンの月の一日(三月十四日)から、AD32年のニサンの月の十日(四月六日)までの期間(新聖書注解抜粋)と述べ、“AD32年のニサンの月の十日はキリストのエルサレム入場の日であった(ワルバート)。(新聖書注解抜粋)とあります。

「メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週ある」(口語訳)とありますが、メシアであるイエス・キリスト様が「君」即ち王としてエルサレムに入場したのは、棕櫚の日曜日(Palm Sunday)です(マタイ211-9

26節には「その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。

「その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。」とあります。
イエス様は、棕櫚の日曜日の週に十字架にお架かりになられたのです。主イエス様は復活され、墓の中にイエス様のお身体はありませんでした(イエス様をまいた布はありましたが)。

六十二週・・・については、「その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。」の文で終了します。何故なら、奥義であった教会時代が始まるからです。パウロは、「教会」「教会とキリストの結婚」「キリストの内住」は奥義であると言っています(エペソ33-11532、コロサイ127)。教会の誕生はキリストの十字架と復活に基づいていました。「教会」は旧約聖書には述べられていないので奥義なのです。 

 「次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。」(2017)という預言は、ローマのティトゥスによって、エルサレムと主の宮(神殿)が破壊されたことを指します。AD70年のことでした。主の経綸の中にあっては、これは教会時代に起こった事でした。

余談になりますが、いちじくは、イスラエルを象徴しています。
マタイ2119には「道端に一本のいちじくの木が見えたので、そこに行って見ると、葉があるだけで、ほかには何もなかった。それでイエスはその木に「今後いつまでも、おまえの実はならないように」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。」(新改訳2017)とあります。

これは経綸上、69週の後を預言していました。イエス様の十字架と復活をもって線が引かれたのです。即ちイスラエルから教会へと神の統治が移ったのです。しかしイスラエルは忘れられたわけではありません。

マタイ2432.33には「32 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。33 同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。」(新改訳2017)とあります。

このいちじくは再建されたイスラエルを指しています。枯れていた(国を失っていた)イスラエルは1948年に再建されたのです。主の再臨(空中再臨と地上再臨)はその後に起こります。

話を元に戻します。
「その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。」とありますが、「洪水」とは大軍勢のことです。

イスラエルには、これからエゼキエル38章に記されている戦争がありますし、キリストの地上再臨の三年半前からキリストの地上再臨までの間、聖所は汚され、最後にはエルサレムは戦場となります{この戦いは最後の一週即ち七十週の後半の、それも最後の方の出来事になります(ゼカリヤ141-3)}。

27節には「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」(新改訳2017)とあります。

「一週の間」とありますが、教会時代は終わり、経綸上イスラエルの七十週の最終週となるのです。ですからキリストの空中再臨によるキリスト者の携挙は、経綸上イスラエルの七十週が始まる前に起こると私は思います。「彼」とは反キリストであり、初めは偽キリスト(偽メシア)として登場するのでしょう。即ち平和をもたらす者として登場するのです。現在のEUではなく、キリストの空中再臨後に十か国から成る連合国から出てくる人物であり(ダニエル723-25)、666{(名前をヘブル語かギリシア語でアルファベットを数字に置き換えると666)ゲマトリア}と言われる人物です(黙示録1318)。この人にはサタンがついています。サタンはこの人にサタンの力を付与します(黙示録131-7)。

この人物は、初め、人望が厚く、イスラエル人はこの人を受け入れます。そして、イスラエルと何かの契約を結ぶのです。それによって、エルサレムの神域にイスラエルは神殿を建てることができるのです。ところが、キリストの地上再臨の三年半前に、この「彼」(反キリスト)は、自分を神とするのです。「いけにえとささげ物をやめさせ」るのです。そして、神殿には恐らく、「忌まわしいもの」即ち「獣の像」が置かれるのでしょう。そして獣の像を拝まない者は殺されるのです(黙示録1314.15)。

「荒らす者が現れる」の「荒らす者」とは神殿を荒らす者、すなわち反キリストのことであろうと思います。

「そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」というのは、キリストの再臨により、反キリストの軍勢は壊滅させられるのです。「荒らす者」=反キリスト=「獣」は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれるのです。

黙示録1911-21には、
11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方〔再臨のキリスト(筆者挿入)〕は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。12 その目は燃える炎のようであり〔裁きの時の目(筆者挿入)〕、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。13 その方は血に染まった衣をまとい〔イザヤ631-6、これはボツラ(ペトラ)に逃れていたユダヤ人を救うために敵と戦ったため(筆者挿入)〕、その名は「神のことば」と呼ばれていた。14 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て〔黙示録198を指していればキリストの花嫁(筆者挿入)〕、白い馬に乗って彼に従っていた。
15
この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた〔主キリスト様のことばは一言で人に命を与えることができるし命を奪うこともできる(筆者挿入)〕。鉄の杖で彼らを牧する〔義による支配であろうと思います(筆者挿入)〕のは、この方である(黙示録125)。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。16 その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。17 また私は、一人の御使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛んでいるすべての鳥たちに言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。18 王たちの肉、千人隊長の肉、力ある者たちの肉、馬とそれに乗っている者たちの肉、すべての自由人と奴隷たち、また小さい者や大きい者たちの肉を食べよ。」(マタイ24819 また私は、獣と地の王たちとその軍勢(黙示録1612-16)が集まって、馬に乗る方とその軍勢に戦いを挑むのを見た。20 しかし、獣〔反キリスト(筆者挿入)〕は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。21 残りの者たちは、馬に乗っている方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が彼らの肉を飽きるほど食べた。(新改訳2017)と記されています。

この箇所については様々な解釈があり、私が述べたのとは異なる解釈も多々ありますが、私が現在信じているところに従って述べさせて頂きました。

ダニエル924に「あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。」とあるように、この箇所はイスラエル人以外に宛てては書かれていません。大患難はアブラハム、イサク、ヤコブの血筋にあるイスラエル人が救われるためには必要であると主なる神様は考えておられます(エレミヤ301-9)。救われるためには、どなたがメシア(キリスト)であるのかを知ること、即ち十字架に架かられたイェシュア(イエス)がメシア(キリスト)であったことを受け入れる必要があるのです。イスラエルは、エゼキエル38章の預言の戦争で、ヤハウェこそ万軍の主であることを身を持って体験します(エゼキエル3823)。そして、キリストが地上に再臨される時、イスラエルは、イェシュア(イエス)こそがメシア(キリスト)であると知り、悔い改めるのです(ゼカリヤ1210-14)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
大患難時代は、イスラエル人が救われるためには必要なものであると、あなたは愛をもって、その期間を備えられたことを覚えます。
恵みの時代に救いにあずからせていただけることはなんという幸いでしょうか。
私のような弱い人間はただただ感謝です。
あなたの御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月 8日 (火)

マタイ24:15-18 終末と満了10 キリストの地上再臨の3年半前の頃に起こる出来事と似て非なる出来事(ルカ21:20-24)

 マタイ2415-18には次のように記されています。
15 「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――
16
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
17
 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
18
 畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。”(聖書協会共同訳)とあります。

 ルカ2120-24には次のように記されています。
20 「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
21
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。ユダヤの中心部にいる人々は、そこを退きなさい。地方にいる人々はユダヤに入ってはならない。
22
 書かれていることがことごとく実現する懲罰の日だからである。
23
 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女に災いがある。この地には大きな苦難があり、この民には神の怒りが下るからである。
24
 人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる異邦人のもとへ連れて行かれる。異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏みにじられる。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 ルカ2122に記されている預言はエルサレムがAD70年のローマ軍の攻撃によって壊滅させられた時のものであると思います。それは、24節の「異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏みにじられる。」という箇所からそのように思えるのです。

 22節には、「書かれていることがことごとく実現する懲罰の日だからである。」とあります。

「フラウィウス・ヨセフスは、この攻囲戦で「110万人」が死に(そのほとんどはユダヤ人)、97千人が捕虜となり奴隷にされた」(ウィキペディア「エルサレム攻囲戦(70年)」と記していますが、キリスト者はAD70年の神殿滅亡時には逃げ延びていたとエウセビオスの「教会史」に記されてあると新聖書注解は記しています。この時、イエス様のこの時の預言の他に神様からの啓示があった(エウセビオスの教会史)とのことです。

 ルカ2120の預言の前に、ルカ1334.35の箇所でも、イエス様は、「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった〔望まなかった(2017)〕。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される〔おまえたちの家は見捨てられる(2017)〕。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」(新改訳第二版)と語られたとあります。

 また、ルカ1941-44には、
41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、42 言われた。
「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(新改訳第二版)とあります。

 また、ルカ1146-51には、
46 しかし、イエスは言われた。
「おまえたちもわざわいだ。律法の専門家たち。人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本さわろうとはしない。
47
わざわいだ。おまえたちは預言者たちの墓を建てている。しかし、おまえたちの父祖たちが彼らを殺しました。
48
したがって、おまえたちは父祖たちがしたことの証人となり、同意しているのです。彼らが預言者たちを殺し、おまえたちが墓を建てているのだから。
49
だから、神の知恵もこう言いました。
『わたしは預言者たちや使徒たちを彼らに遣わすが、彼らは、そのうちのある者を殺し、ある者を迫害する。50 51 それは、アベルの血から、祭壇と神の家との間で殺されたザカリヤの血に至るまでの、世の初めから流されたすべての預言者の血の責任を、この時代が問われるためである。そうだ。わたしは言う。この時代はその責任を問われる。』
50.51節を新共同訳は、「こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。」と訳し、2017も聖書協会共同訳も同じような意で訳しています(筆者挿入)〕(新改訳第二版)と記されています。

 エルサレム崩壊と多くの死者、多くの奴隷とされた人々、・・・・。
なんと痛ましいこと、と私たちは感じますが、これは神様によるさばきであると幾たびも預言されていたのです。

これが、一般の歴史書となると、神様は出てきませんから、例えばウィキペディアのユダヤ戦争の記事などを見ると、
“開戦までの経緯
ヘロデ大王の死後、ユダヤ属州はローマの総督によって直轄されていたが、大王の孫であったアグリッパ1世は巧みにローマ側にすりよって、41年にユダヤの統治を委ねられた。このアグリッパ1世が44年に病死すると、再びユダヤ地方はローマの直轄地となった。当時のローマ帝国は基本的に被支配民族の文化を尊重し、統治者としてバランスのとれた巧みな統治政策を示しているが、多神教文化であった地中海世界の中で、一神教を奉ずるユダヤは特殊な文化を持った地域であったため、支配されていたユダヤ人のローマへの反感は日増しに高まった。
 開戦
フラウィウス・ヨセフスによると、「ユダヤ戦争」が勃発した発端はカイサリアにおけるユダヤ人の殺害であったという。即ち、当時のユダヤ属州総督フロルスがエルサレムのインフラ整備のための資金として神殿の宝物を持ち出したことにあったといわれている。これをきっかけにエルサレムで過激派による暴動が起こった。ユダヤ側の指導者は、シモン・バル・ギオラ(Simon Bar-Giora)、ギスカラのヨハネ(John of Gischala)、エルアザル・ベン・シモン(Eleazar ben Simon)らと伝えられるが、いずれも強硬派・原理主義者に属した点も事態過激化への呼び水となった。
 フロルスは暴動の首謀者の逮捕・処刑によって事態を収拾しようとするが、逆に反ローマの機運を全土に飛び火させてしまう。シリア属州の総督が軍団を率いて鎮圧に向かうも、反乱軍の前に敗れてしまう。事態を重く見たネロ帝は将軍ウェスパシアヌスに三個軍団を与えて鎮圧に向かわせた。
ウェスパシアヌスは息子ティトゥスらと共に出動すると、エルサレムを攻略する前に周辺の都市を落として孤立させようと考え、ユダヤの周辺都市を各個撃破していった。このガリラヤ攻略戦のさなかに投降してきたユダヤ人武将こそがヨセフスであった。こうしてウェスパシアヌスらはユダヤ軍を撃破しながら、サマリアやガリラヤを平定し、エルサレムを孤立させることに成功した。
 エルサレム陥落
詳細は「エルサレム攻囲戦 (70)」を参照
68
4月、ガリア・ルグドゥネンシス属州総督であったガイウス・ユリウス・ウィンデクスによる反乱が発端となって、同年6月にネロが自殺。69年には4人のローマ人が次々と皇帝に即位(「4皇帝の年」)した他、ゲルマニアでガイウス・ユリウス・キウィリスを首謀者とした反ローマの反乱が勃発する等、ローマは大混乱に陥った。ウェスパシアヌスもエルサレム攻略を目前にして、ローマへ向かった。ローマ軍の司令官不在のまま、ユダヤ戦争は一旦、戦線膠着状態となった。
 6912月にアウルス・ウィテッリウスが殺害され、唯一のローマ皇帝としてローマ帝国を掌握したウェスパシアヌスは懸案のエルサレム陥落を目指して、ティトゥスを攻略に向かわせた。70年、ユダヤ人たちは神殿やアントニウス要塞に拠って頑強に抵抗したが、圧倒的なローマ軍の前に敗北し、エルサレム神殿はユダヤ暦第68日、9日、10日に火を放たれて炎上し、エルサレムは陥落した。エルサレムを舞台とした叛乱は鎮圧され、ティトゥスはローマへと凱旋した。このとき、つくられたのがフォロ・ロマーノに今も残るティトゥスの凱旋門である。そこにはエルサレム神殿の宝物を運ぶローマ兵の姿が刻まれている。”となるのです。

 歴史を紐解くと、神様抜きで歴史が語られていますが、預言されていた出来事も預言されていなかった出来事も、神様の観点から書かれたとしたら、ずいぶんと感じが変わって読めるのではないか、或いは、出来事の結果を見て神様のご判断は如何なるものであったのかということに思いをはせることが出来ます。

どうして日本は第二次世界大戦で敗戦したのか、どうしてアメリカはベトナムで負けたのか、等々、神様のご判断があったのでしょう。人間はそれとは異なる答えをいくつも出しますが。

歴史という語は、英語ではhistoryですが、ご存じのように、His(神の)storyなのです。

 ルカ2120-22の、
20 エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
21
 その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。ユダヤの中心部にいる人々は、そこを退きなさい。地方にいる人々はユダヤに入ってはならない。
22
 書かれていることがことごとく実現する懲罰の日だからである。」(聖書協会共同訳)とイエス様が言われた御言葉を覚えていた人は、新約時代の預言者が同じことを告げた時、その預言は事実だと信じてエルサレムの包囲が解かれたわずかの間に逃げ出すことが出来たのです。

 キリストの地上再臨の3年半前に、エルサレム神殿に偶像が据えられ、さらに大患難時代の最終戦争時に、エルサレムは世界の軍隊に囲まれ攻撃されると預言されています。それについては明日の当ブログの、マタイ2415-22において記します。

ルカは、終末預言の最後に、「まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」(ルカ2132-36・新改訳第二版)というイエス様のおことばを記しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
主を愛し、主に在って祈り、主に在って歩ませていただく日々を送らせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月 4日 (金)

マタイ24:3-14 終末と満了9 最後まで耐え忍ぶ者は救われる人たち、に該当する人2/救われる異邦人

 マタイ24:3-14には次のように記されています。
“3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。5 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。6 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。9 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。10 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。11 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。14 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣(の)べ伝えられる。それから、終わりが来る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 13節には、“しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。”と記されています。
最後まで耐え忍んで救われる人たちは大きく分けて2種類の人たちでしょう。
その1は、イスラエル人の残りの者です。
その人たちは、獣や獣の像を拝まず、666の刻印を受けなかった人たちで、キリストの再臨時にイエシュア(イエス)がハマシアハ(メシア)であると悟り、悔い改めるイスラエル人たちです。
神ヤハウェ(主)を信じているイスラエル人は、キリストの地上再臨前の1260日間は、ボツラにおいて主に守られます(黙示録12:6、イザヤ63:1-6)。

今日は、その2の、最後まで耐え忍んで救われる異邦人たちについて、思いめぐらしたいと思います。

 異邦人(イスラエル人ではない人)の中には、獣(反キリスト)を礼拝せず、獣の像(反キリストの像)をも拝まず、666(売買に必要な獣の刻印)の印をも受けずに、キリストの地上再臨を迎える人たちがいます。666の刻印を受けないと食料品や生活に必要な物も買うことが出来なくなるのです(黙示録13:17)。

 この獣が力を振るえるのは1260日(42ヶ月)と定められています(黙示録13:5)。
黙示録13:5をリビングバイブルは、“竜〔悪魔(サタン){筆者挿入}〕は獣〔反キリスト=キリストの地上再臨前の世界支配者(筆者挿入)〕に、主をののしるようにけしかけ、四十二か月間、地上を思うままに支配する権威を与えました。”と訳しています。

 獣礼拝や獣の像礼拝及び666の刻印に関して記されている黙示録13:11-18を塚本訳で下記します。{塚本訳の( )内は、訳者の挿入部分です。}
“11 また私はもう一つ(他)の獣〔偽預言者{筆者挿入}〕が地から上って来るのを見た。それには仔羊に似た二つの角があって、竜のように語った。
12 そして第一の獣〔反キリスト=大患難時代の世界支配者{筆者挿入}〕の(有つ)凡ての権力を彼(に代わってそ)の前に行い、地とそこに住む者とをして、致命の傷を癒された(かの)第一の獣を拝ませる。
13 彼〔偽預言者{筆者挿入}〕は(驚くべき)大きな徴をする──天から火を(呼び、)地に、人々の(目の)前に降らせる(ようなことをすらする)。
14 また(第一の)獣の前で行うことを許された(種々の)徴によって、地に住む者を惑わし、剣の傷を受けて(死んだようになり、再び)生き(返っ)た(かの) 獣(を崇めるために、そ)の像を作るように地に住む者に言う。
15 且つ彼はその獣の(生命の)息を吹き入れて獣の像に口を利かせ、また獣の像を拝まない者をば誰でも殺すことを許された。
16 そして小さい者も大きい者も、金持ちも貧乏人も、自由人も奴隷も、悉くその右手かあるいは額に印をつけさせ、17 【そして】その獣の印かあるいはその(獣の)名の数をつけている者でなければ売買が出来ないようにする。
18 ここに知恵が(蔵されて)ある。理知ある者は(この)獣の数をかぞえよ。それは人間の数である。(人の名である。)そして(その人の名を数うれば、)その数は六百六十六!”と訳出しています。

 黙示録13:1-10も塚本訳で下記します。
“1 また私は十の角と七つの頭とを有った(一匹の)獣〔反キリスト{筆者挿入}〕が海から上って来る〔「この世の世界から出てきた」という意{筆者挿入}〕のを見た。その角には十の冠が被されて居り〔この時代の世界は10か国連合のようになっています。その上に君臨するのが反キリストです。{筆者挿入}〕、またその頭には(神を)涜す名が記されてあった。
2 私が見たその獣は豹に似ていた〔ギリシア帝国のアレクサンドロスのような特質を持ち{筆者挿入}〕。またその足は熊の足のよう〔ペルシア帝国のクロスのような特質を持ち{筆者挿入}〕、その口は獅子の口のようであった〔ローマ帝国の皇帝のような力を持った{筆者挿入}〕。そして(すでに天から落とされた)竜〔サタン(悪魔){筆者挿入}〕が、自分の(有っている) 権能と、自分の王座と、大なる権力とをそれに与えた。
3 またその一つの頭は(剣で)打たれて死んだようであったけれども、(不思議にも)その致命の傷が癒されたのを私は見た〔キリストの復活のまねごと{筆者挿入}〕。すると全地の人々は獣の(癒された)ことを(見て)驚き、4 竜を拝んだ〔サタン礼拝{筆者挿入}〕。彼が獣にその権力を与えた(ためにこんな不思議が行われたと思うた)からである。そして獣を(も)拝んで言うた、「誰がこの獣のように偉いか。誰が彼と戦うことが出来るか。」
5 するとその獣に、大言(壮語)し、(神に向かって)涜言をいう口が与えられ、また四十二か月の間それを実行する権力が与えられた。
6 そこで彼は口を開き、神に向かって涜言をいうた──その御名と、(天にある)その天幕、(すなわち)天に住む人々とを涜した。
7 また彼は聖徒達〔艱難時代にイエスをキリストと信じた人たち{筆者挿入}〕と戦争をして〔に戦いを挑んで{2017}〕これに勝つことを許され、且つ凡ての種族と民と国語と国〔全世界{筆者挿入}〕とを支配する権が与えられた。
8 かくて凡て地に住む者、宇宙開闢の時からその名を屠られた仔羊の生命の書に記されていなかった者は、彼を拝むであろう。
9 (聞く)耳あらば(私の言を)聴け──
10 牢屋に行かねばならぬならば(素直に)牢屋に行け。剣で他人を殺すならば、自分が剣で殺されねばならぬであろう。ここに聖徒の忍耐と信仰がある!”と訳出しています。

 ゼカリヤ14:16-21には、キリストの地上再臨時に死を免れ、キリストの千年王国に入ってくる異邦人についての記述が次のように記されています。
“16 エルサレムを攻めたあらゆる国民のうち生き残った者は皆、毎年上って来て万軍の主なる王を礼拝し、仮庵祭を祝う。
17 地上の諸氏族のうちで、万軍の主なる王を礼拝するためにエルサレムに上って来ない者の上には、雨が降らない。
18 もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、仮庵祭を祝うために上らない諸国民に主が打つのと同じ疫病が、彼らの上に臨む。
19 これがエジプトへの刑罰となり、仮庵祭を祝うために上って来ないすべての国民への刑罰となる。
20 その日には、馬の鈴にも「主の聖なるもの」と刻まれ〔直訳「とあり」(欄外注)〕、主の神殿の鍋も、祭壇の前にある鉢のようになる。
21 エルサレムとユダの鍋も、すべて万軍の主の聖なるものとなる。いけにえを献げる者は皆やって来て、鍋を取り、それで煮る。その日には、万軍の主の神殿に、もはや商人〔あるいは「カナン人」(欄外注)〕はいなくなる。”(聖書協会共同訳)とあります。

 またイザヤ2:2.3には、
“2 終わりの日に主の家の山は、〔地殻変動により(筆者挿入)〕山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。〔キリストの千年王国時代に入ると(筆者挿入)〕国々はこぞって川の流れのようにそこ〔エルサレム(筆者挿入)〕に向かい、
3 多くの民は来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に登ろう。主はその道を私たちに示してくださる。私たちはその道を歩もう」と。教えはシオンから、主の言葉はエルサレムから出るからだ。”(聖書協会共同訳)と、キリストの千年王国には国々の多くの民がエルサレムにやってくることが記されています。

上記の文章を読むと、異邦人であっても、肉体を持ったままキリストの千年王国に入れる人たちがいるということがわかります。
この人たちは子孫を残していきますので、キリストの千年王国時代には人口が増大します。
なおキリスト者はキリストの空中再臨の時に霊のからだを与えられており、子をもうけることはありません。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
千年王国に肉体を持ったまま入ってくる人の基準がどのようなものであるかについて、ある程度のことは教えられていますが、私にとって、詳しくは分からない部分もあります。
いずれにしても、主がご自身のみ旨に基づいて決定されていきますから御名を崇めます。
私たちは、キリストの千年王国の時には霊のからだで過ごすことが出来るようになっていますからありがとうございます。
御国が来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年8月 3日 (木)

マタイ24:3-14 終末と満了8 最後まで耐え忍ぶ者は救われる人たちに該当する人1/救われるイスラエル人

 マタイ243-14には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。5 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。6 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。9 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。10 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。11 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。14 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣(の)べ伝えられる。それから、終わりが来る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 13節には、“しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。”と記されています。
最後まで耐え忍んで救われる人たちは大きく分けて2種類の人たちでしょう。
その1は、イスラエル人の残りの者です。(その2は明日アップします)
その人たちは、獣や獣の像を拝まず、666の刻印を受けなかった人たちで、キリストの再臨時にイエシュア(イエス)がハマシアハ(メシア)であると悟り悔い改めるイスラエル人たちです。
 ローマ11章には次のような文章があります{様々な日本語訳聖書の中から塚本訳を選んで下記します。( )内は著者の挿入です}。
25 兄弟たちよ、この秘密を知らずにいてもらいたくない、あなた達(異教人諸君)が、自分は賢い(からこの特権を得た)などとうぬぼれることのないために。一部のイスラエル人が頑なになって(キリストを信ぜずに)いるのは、異教人〔多くの日本語訳聖書は「異邦人」と訳出(筆者挿入)〕が(信仰に)入って定数に満ちるまでであり26 こうして(イスラエル人は異教人が妬ましくなり、悔改めて信仰に入り、)イスラエル人全部が救われる、ということである。
(聖書に)書いてあるとおりである。『シオンから救済者が来て、ヤコブ(の子孫)から不信心を遠ざけるであろう〔「であろう」という訳は、未完了形であって不確実な未来というわけではありません(筆者挿入)〕。27 ──これが彼らと立てる私の契約である、』『彼らの罪をわたしが取り除くその時に。』〔イザヤ5920.21参照(筆者挿入)〕
28
(思えば不思議な神の計画である。)彼らは、福音の点から言えば、あなた達(の救い)のために(福音をしりぞけて神の)敵になっており、(神の)選びの点から言えば、先祖たち(に対する契約)のお蔭で(今もなお神に)愛される者である。
29
神の賜物も招待も、(一旦与えられた以上は永遠に)取り消されないからである。
30
すなわち、かつては神に不従順であったあなた達が、今はこの人たちの不従順によって(神に)憐れみを施されたと同じに、31 この人たちも今はあなた達の受ける憐れみに対して不従順になっているが、これは今(すぐにも)憐れみを施されるためである。32 つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。”(塚本訳)とあります。

 パウロはイザヤ:5920.21を引用しました。それはキリストの地上再臨に関連した預言の文章の中の聖句です。イザヤ5917-21を聖書協会共同訳は次のように記しています。
17 主は正義を鎧として身に着け〔主は義をよろいのように着て(2017)〕、救いの兜を頭にかぶり、報復の衣を身にまとい、妬みの上着〔復讐と激しい怒りの衣(リビングバイブル)〕で身を包まれた。
18
 主は仕業に応じて報い、敵対する者には憤りを、敵には報復を、島々にも報復を返される。
19
 西では主の名を畏れ、東では主の栄光を畏れる。主は激しい流れのようにやって来る。主の息吹がそれを押し流す〔その中で主の息が吹きまくっているからだ(2017)〕。
20
 贖い主がシオンに来る。ヤコブのうちで、背きの罪から立ち帰る者のもとに来る――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。
21
 これが彼らと結ぶ私の契約である――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる。あなたの上にある私の霊、あなたの口に置いた私の言葉は、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、その子孫の子孫の口からも、今より、とこしえに離れることはない――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる。”とあります。

 上記のキリストの地上再臨を黙示録19章は次のように記しています。
11 それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。
12
 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。
13
 この方は血染めの衣を身にまとい〔黙示録126→イザヤ631-3参照(筆者挿入)〕、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
14
 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い上質の亜麻布〔黙示録198参照(筆者挿入)〕を身にまとい、この方に従っていた〔ユダの手紙14.15節(筆者挿入)〕。
15
 この方の口からは、鋭い剣〔「鋭い剣」とは、おそらく「さばきのことば」{エペソ617参照}(筆者挿入)〕が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。そして、この方はぶどう酒の搾り桶を踏む。そのぶどう酒には、全能者である神の怒りが込められている。
16
 この方の衣と腿(もも)には、「王の王、主の主」という名が記されていた。”(聖書協会共同訳)とあります。

 イザヤ5920に、“贖い主がシオンに来る。ヤコブのうちで、背きの罪から立ち帰る者のもとに来る――主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の仰せ。”とありました。
主に立ち返る人々は、イスラエルの三分の一の人たちです。
ゼカリヤ13章には次のように記されています。
8 この地のどこでもこうなる、と主は言われる。三分の二は死に絶え、三分の一が残る。
9
この三分の一をわたしは火に入れ、銀を精錬するように精錬し、金を試すように試す。彼がわが名を呼べば、わたしは彼に答え、「彼こそわたしの民」と言い、彼は、「主こそわたしの神」と答えるであろう。”(新共同訳)とあります。

 主に立ち返る人々とは、ヘブライ語で、「イエシュアがハマシアハ」、すなわちイエスがキリスト、であると悟って悔い改める人たちのことです。
 ゼカリヤ12章には次のように記されています。
1 託宣。イスラエルに対する主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の言葉。天を広げ、地の基を置き、人の霊をその内に造られる主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる/
10
わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ
11
その日、エルサレムにはメギド平野におけるハダド・リモンの嘆きのように大きな嘆きが起こる。
12
大地は嘆く。各氏族は各氏族だけで、ダビデの家の氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、ナタンの家の氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、13 レビの家の氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、シムイの氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、14 その他の氏族はそれぞれの氏族だけで、その女たちは女たちだけで嘆く。”(新共同訳)とあります。

 大患難時代{ヤコブにも苦難の時(エレミヤ307)}は、イスラエルの救いに必要なのです。ゼカリヤ139を読むとわかります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
イスラエル人であってもイエス様を主と信じない人たちは救われず、イエス様を主と信じる人たちが救われることを教えられます。
イエス様を救い主、主、と信じさせていただけましたことを感謝します。
願わくは、私たちが救われてほしいと願っている人たちが、イエスがキリストであるということを悟ることが出来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2023年7月30日 (日)

マタイ24:3-14 終末と満了7/神様は終末の最後まで救われる人が起こされることを期待しておられる

 マタイ243-14には次のように記されています。
3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4
 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。5 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。6 戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。9 その時、人々は、あなたがたを苦しみに遭わせ、殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての民に憎まれる。10 その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。11 また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。14 そして、この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 14節には、「この御国の福音はすべての民族への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る〔キリストが地上再臨する、の意があるのだと思います(筆者挿入)〕。」というイエス様の御言葉があります。

 教会時代の福音宣教は教会と聖霊によって行われています。
キリストの救いにあずかった人がいくら福音を伝えてもそれだけで人々が救われるわけではありません。御聖霊の働きが大切なのです。
1
コリント123には、“聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。”(2017)と記され、
使徒18には、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、・・・わたしの証人となります。」(2017)という主イエス様の御言葉が記されています。

艱難時代、大患難時代の福音宣教は144000人と艱難時代に救われた人々によって福音宣教が進められていくことでしょう。
神様は、何故、福音宣教のために144000人を遣わすのでしょうか?
艱難時代には、霊的な教会、すなわち新生した者たちの群れは地上にはいないのです。霊的な教会は、キリストの空中再臨の時に携挙されて天に移されているからです。

 黙示録7章には、144000人の神のしもべ(僕)について次のように記されています。
1 この後、私は地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、地の四隅から吹く風を押さえ、地にも海にもどの木にも吹きつけないようにしていた。
2
 また私は、別の天使が生ける神の刻印を携え、日の出る方から上って来るのを見た。その天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に向かって大声で叫んで、3 言った。
「私たちが神の僕の額に刻印を押すまでは、大地も海も木々も損なってはならない。」
4
 私は、刻印を押された人々の数を聞いた。それはイスラエルの子らの全部族〔ただしダン部族は入っていません(筆者挿入)〕の中から刻印を押された人々であり、十四万四千人であった。
5
 ユダ族の中から一万二千人が刻印を押され、ルベン族の中から一万二千人、ガド族の中から一万二千人、6 アシェル族の中から一万二千人、ナフタリ族の中から一万二千人、マナセ族の中から一万二千人、7 シメオン族の中から一万二千人、レビ族の中から一万二千人、イッサカル族の中から一万二千人、8 ゼブルン族の中から一万二千人、ヨセフ族〔ヨセフからマナセとエフライムが出ましたが、6節にマナセ族はあってもエフライム族の記述はありません(筆者挿入)〕の中から一万二千人、ベニヤミン族の中から一万二千人が刻印を押された。”(聖書協会共同訳)とあります。

 人間には分からなくても、神様は、イスラエルの末裔の中から、それもおそらく世界各地に住んでいる人たちで、各人が住んでいる国の言葉で話せる人たちを神のしもべとして福音宣教のために選び出すのでしょう。

 また、世界の中には、携挙されずに残された自称クリスチャンと言われる人たちの中から、本当にイエス・キリストを自分の救い主として殉教覚悟で信じた人たちもいるでしょう。

 いずれにしても艱難時代に殉教して天に帰ってくる魂は多いのです。
黙示録7章には次のように記されています。
9 この後、私は数えきれぬほどの大群衆を見た。彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた。10 彼らは声高らかに言った。
「救いは、玉座におられる私たちの神と小羊にある。」
11
 また、天使たちは皆、玉座と長老たちと四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12 こう言った。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が世々限りなく私たちの神にありますように。アーメン。」
13
 すると、長老の一人〔おそらく教会代表者の一人(筆者挿入)〕が私に問いかけた。
「この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。」
14
 そこで私が、「私の主よ、それはあなたがご存じです」と答えると、長老は言った。
「この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で 洗って白くしたのである。
15
 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて昼も夜も神殿で神に仕える。玉座におられる方が、彼らの上に幕屋を張る。16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽もどのような暑さも彼らを打つことはない。17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き、神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである。」”(聖書協会共同訳)とあります。

 黙示録79に記されている人以外にも、この後、救われていく人たちは起こされていきます。
それは、黙示録13章を読むとわかりますが、反キリスト(黙示録131-7に記されている第一の獣)を、高く上げる偽預言者(黙示録1311-17に記されている第二の獣)が、反キリストに対する礼拝を強要し、また反キリストの像(偶像)に対する礼拝を強要し、さらに獣の刻印である666を額か右の手に受けることを強制するのです。そして、反キリストや反キリストの像を拝まない人を殺し、666のしるしを持たない者には、売り買いをすることが出来ないようにするのです。
しかし、この命令に従わないで殉教する人たちもいます。
それは黙示録204の後半部分に、“また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。”(2017)と記されているのでわかります。

 大患難時代の宣教の最後は天使によって行われます。
天使による宣教の内容は、キリストの血によって救われた人の場合とは少し異なります。その宣教の内容には、「子羊の血潮」が出てきません。
黙示録14章に次のように記されています。
6 また私は、もう一人の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、部族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携え、7 大声で言った。
「神を畏れ、神に栄光を帰しなさい。神の裁きの時が来た。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝せよ。」”(聖書協会共同訳)とあります。
創造主なる神を畏れ敬い、創造主なる神を礼拝せよ、という内容です。

 イエス様は、「見ないで信じる人たちは幸いです。」(ヨハネ20292017)と語られました。
教会時代に、見ずに信じさせていただけた人は幸いであると思います。
艱難時代、大患難時代を通らないで天に携え挙げられるのですから。
とはいえ教会時代にも殉教したキリスト者は大勢いましたが。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
とても自分勝手ですけれども、教会時代にイエス・キリスト様の救いにあずからせてくださりありがとうございました。
艱難時代にも多くの人たちが殉教してきますが、その人たちを強めてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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