悪しき霊

2015年11月 3日 (火)

マルコ5:1-20 悪霊を追いだして頂いたゲラサ人

5:1こうして彼らは海の向こう岸〔ガリラヤ湖の東岸(筆者挿入)〕、ゲラサ人の地に着いた。
5:2それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
5:3この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
5:4彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5:5そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
5:6
ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
5:7大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
5:8それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
5:9また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
5:10そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
5:11さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
5:12霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
5:13イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。
5:14豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見にきた。
5:15そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。
5:16また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。
5:17そこで、人々はイエスに、この地方から出て行っていただきたいと、頼みはじめた。
5:18イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。
5:19
しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」。
5:20そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。”(口語訳)

 この個所に登場する汚れた霊につかれた人や汚れた霊の特徴を箇条書きにすると
①墓場に住んでいた(2.3)。
②驚くべき力を発揮することが出来た。4節には、「彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかった。」と記されています。
③はなはだしく異常な行動をとっていた。5節には「夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。」とあります。
④この人に入っていた汚れた霊の数は驚くほど多かった。「レギオン」(9)とは、4000人~6000人からなる軍団の意(新聖書注解)と記されています。
⑤この人に住み着いている汚れた霊たちは、イエス様が、いと高き神の子であると知っていましたし、その権威、力を知っていました。それは、6.7節の「イエスを遠くから見て、走り寄って拝し、いと高き神の子イエスよ、・・・」から分かります。
⑥汚れた霊たちとイエス様の力関係は、天と地ほどの差があります。それは、8.7節に、「イエスが、『けがれた霊よ、この人から出て行け』と言われると、悪霊たちが、『いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください。』と言った。」ことから分かります。
⑦悪霊たちは、自分たちがどこに閉じ込められてしまうかを知っています。ルカ8:31を見ると「底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんように。」とイエス様に嘆願しています。
⑧悪霊たちは体を欲しがったり、支配地域を欲しがったりする。即ち憑依霊とか地縛霊と一般に言われているものでしょう。マルコ5:10には、「自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。」とあります。
⑨悪霊たちは、自分たちが裁かれる時を心得ています。マタイ8:29には、「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」(新改訳)と記されています。
⑩サタンをはじめとして悪霊たちは、いかなる時にも福音宣教の邪魔をします。悪霊たちは、自分たちの裁きの時がまだ来ていないことを知っていますから、憑依していた人から追い出されても、尚且つ地縛霊として留まろうと画策し、豚の中に送ってくれ、とイエス様に要求します。イエス様はそれを了承し、その結果、イエス様はその場所で宣教することが難しくなりました。しかし、イエス様はその上を行っています。悪霊から解放された人に、その土地の人たちに、証によって福音を語ることゆだねました(8-20)。

 現代でも悪霊は大活躍しているのですが、多くの人々は悪霊の存在さえも信じません。悪霊のトップに君臨しているのがサタンです。
サタンの大きな働きは、イスラエルを滅ぼそうとすること。イスラエルが地上から消滅すれば、神の預言は頓挫するからです。
教会を分裂させ、キリスト者同士を争わせ、罪の中に閉じ込め、主の力を発揮させないようにして、神の支配領域が拡大しないように努力します。これは信者の肉の思いを利用して行うサタンの働きです。
国家間の争いや民族間の争いの背後にサタンの働きがあります。

 個々人の罪にも悪霊たちは大いに関与します。
罪を持っていると、それを足掛かりにして支配してくることがあります。
例えば、人を嫉妬しているうちに、嫉妬の炎が益々燃え上がるという場合、多くは悪霊の働きがあります。思い煩い(思い巡らしではありません)についても、怒りについても、不機嫌についても、不品行についても、遊興についても、金もうけについても・・・・同じように言えます。

 クリスチャンも始終悪霊の関与を受けます。
祈りたくない、祈り始めると邪魔が入る、聖書を読みたくない、聖書を読み始めると他の考えが頭に浮かんできてしまう、教会に行きたくないが行ってみると来てよかったと思う、教会の誰それさんが私を良く思っていないなどという妄想、等々、たくさんの事例を見ることが出来ます。
これらのことは、主の御名によって悪霊を排除し、聖霊に満たしていただかなければ解決しません。悔い改めるべきことがあれば、先に悔い改める必要がありますが。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様の御名を用いて悪霊を排除できる恵みを与えられておりますことを感謝します。
悪霊が働いてきたときに、すぐに察知することが出来ますように。
そして、直ちに悪霊を排除し、いつも聖霊に満たされて主のみ旨の内を歩むことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

2015年9月 2日 (水)

マルコ1:21-28 汚れた霊につかれた人からイエス様が悪霊を追い出す

1:21それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた。
1:22人々は、その教に驚いた。律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。
1:23ちょうどその時、けがれた霊につかれた者が会堂にいて、叫んで言った、
1:24「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。
1:25イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。
1:26すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
1:27人々はみな驚きのあまり、互に論じて言った、「これは、いったい何事か。権威ある新しい教だ。けがれた霊にさえ命じられると、彼らは従うのだ」。
1:28こうしてイエスのうわさは、たちまちガリラヤの全地方、いたる所にひろまった。”(口語訳)

 21節に「それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた。」(口語訳)とあります。
「それから、彼らは」とあります。
シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネは、イエス様に弟子として召され、イエス様に従っていったのです。この中で少なくとも二人はバプテスマのヨハネの弟子でした(ヨハネ1:35)。
イエス様一行は、カペナウムに行きました。カペナウムには、シモンとアンデレの家があります。その家のすぐ近くに会堂があるのです。イスラエルの地に行かれた方は皆入口に「イエスの町、カペナウム」とプレートの張ってある所を見てきたことでしょう。
安息日にすぐ、イエス様は会堂にはいって教えられたのです。

 その教え方は、皆がびっくりするようなものでした。「権威ある者のように、教えられたから」(22)と記されています。聴衆は、イエス様が語られている様子を見て、またその霊的雰囲気を見て「神的権威」を感じ取ったのだと思うのです。

 23.24節には「ちょうどその時、けがれた霊につかれた者が会堂にいて、叫んで言った、ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です。」(口語訳)とあります。汚れた霊即ち悪霊は人につきたがります。人に入り込んでいる悪霊は、その人を自分の家だと思って生活しているのです(マタイ12:44)。ですから、その家、即ち、とりついている人から出たくはありません。
しかし、悪霊といえども、「汚れた霊よ、出ていけ」と、主が命じられたり、主の権威によって命じられたら出ていかざるを得ないのです。
霊的存在者は、元来聖であるお方即ち神様と、神なる主の内にある者とされた故に聖と(聖別)された者を知っています(使徒19:13-16)。

 汚れた霊はイエス様に「この人から出て行け」と言われて追い出されました。
悪霊を追い出してもらった人は、すぐにイエス様を信じ、聖霊に住んでもらわないと、またすぐに悪霊の家として使われてしまします。
そのような例話を、イエス様が次のように語られたことが
“12:43 汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
12:44 そこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
12:45 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。”(マタイ・新改訳)と記されています。
イエス様が語られたようなことを私も体験させていただきました。主の御名によって悪霊を追い出してあげた人がいました。しかし、イエス様を受け入れるようにいくら勧めても、その人はイエス様を受け入れることをかたくなに拒否しました。その人は数時間後に最初にお会いした時よりもさらにひどくなって発狂したのです。主によって悪霊が追い出されたときは、「アーッ、ここにいると気持ちが良い、心が安らぐ」と言っていたのに、数時間後には、以前より数段悪くなったという出来事でした。

 悪霊は、キリスト者の霊には触れることが出来ません。1ヨハネ5:18に「神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。」(新改訳)と記されてある通りです。しかし、キリスト者の魂や体にはアタックを加えます。本人がだめなら、家族や親しい人を責めます。いつも霊的戦いを忘れてはいけないと主から教えられる私なのです。私はずぼらですぐにそのような祈りを忘れるからです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇め賛美します。
悪しき霊は、チャンスがあればいつでも攻撃してきます。
絶えず目を覚まして御霊によって祈りなさい、と言われてもすぐにおろそかになってしまうような私です。
どうか助け導いていてください。
主イエス様の御名によってお祈りします。
アーメン

2015年8月29日 (土)

ルカ4:1-13 サタンの誘惑(サタンとの戦い方)

4:1さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、
4:2荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて〔導かれて(新改訳)〕、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。
4:3そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。
4:4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。
4:5それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて
4:6言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。
4:7それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。
4:8イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
4:9それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。
4:10『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、
4:11また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。
4:12イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。
4:13
悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。”(口語訳)

 私たちキリスト者は天に帰るまで、サタンとの戦いがあります。
1ペテロ5:8.9では、「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。」(新改訳)と聖霊なる神様はペテロに書かせました。
 また、ヤコブ4:7では、「神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔は逃げ去ります。」(新改訳)と聖霊なる神様はヤコブに書かせました。
 また、エペソ4:27では、「悪魔に機会を与えないようにしなさい。」(新改訳)、エペソ6:11.12では、「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(新改訳)と聖霊なる神様はパウロに書かせました。
 また、1ヨハネ3:8では、「・・・。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。」(新改訳)と聖霊なる神様はヨハネに書かせました。

 サタンはキリスト者の肉的魂の知性(思い、思想、考え・・・)、更には感情(怒り、嫉妬、妬み、猜疑心、・・・)、更には意思(神のみ旨に反することを選び取る意思)というような魂の内の実質的な聖めを受けていない領域を足掛かりに常に戦いを挑んできます。蛇足になりますが、キリスト者は立場的には神のものとされています(神のものとして聖別されています)。
サタンは、攻撃する対象者に、イエス様のように罪という足掛かりが無い場合であっても、罪を犯させようと誘惑さえしてきます。一般的には善行と思われているようなことを用いてさえ、サタンはキリスト者を罪に誘惑してきます。
サタンは、キリスト者に罪を犯させ、神様との交わりを絶たせ、力を失わせることに日夜力を注いでいます。
今日の聖書個所だけではなく、ヨブ記1章、ゼカリヤ3章も参考になります。

 へブル4:12に、「私たちの大祭司〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(新改訳)と記されています。
私たちは、イエス様は特別だから、とは言えないのです。
イエス様は、地上で肉体をまとって歩んでいた間は、神であることを脇において、人として御霊によって歩んだのです。肉体を持たれた最大の理由は贖いの為ですけれども、それだけではなくキリスト者の模範となられるためでもありました(1ペテロ2:21、ヨハネ14:12.16.17)。パウロは、イエス様を模範としていました(1コリント11:1)。

 1-4節には、“さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて〔導かれて(新改訳)〕、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。”(口語訳)と記されています。

 主イエス様は、40日間の断食をしました。40日が過ぎ、空腹になられたとき、サタンは、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい。」と誘惑してきました。人間は石をパンにすることはできませんが、イエス様にはできることをサタンは知っていました。
それに対してイエス様は、「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:4・新改訳)と答えたのです。
ここに記されている「ことば」は、「レーマ」(ギ)です。「レーマ」とは神様が語られる(た)ことばです。
御父が「石をパンに変えよ」と言えば、イエス様は、石をパンに変えたでしょう。
イエス様は、「わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。」(ヨハネ14:10・新改訳)と語られています。
御父のみ旨であれば、五つのパンと二匹の魚で、男5000人+女たちと子供たちを満腹にさせたのです。この時に余ったパンは12のかごにいっぱいあったのです。(マタイ14:13-21)

 5-8節には、“それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。”(口語訳)と記されています。

 サタンが、イエス様に、サタンにひざまずくなら、世界の権威と栄華を与えると言ったのです。人類の始祖アダムの堕罪により、世界を支配する権威は人からサタンに移ってしまいました。1ヨハネ5:19には、「全世界は悪い者の支配下にある」(新改訳)と記されています。罪に落ちる前のアダムに、神様は、「・・・。地を従えよ。・・・」(創世記1:28)と仰せになりましたが、アダムの堕罪により、地を従える権威はサタンに移ったのです。ただし、蛇足になりますが、キリスト者は神からの者です(1ヨハネ5:19)。

 イエス様は天においても地においても一切の権威を持っておられます(マタイ28:18)が、イエス様が全世界を政治的に統治なさるのは、神様の経綸によれば、キリストの千年王国の時代になってからのことです。この時のイエス様は、サタンが、「私を拝めば」といったことを取り上げ、「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」という聖書のおことばによってサタンを退けました。

 またサタンは、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。」とイエス様に言っています。イエス様はこの言葉を否定されませんでした。ダニエル10章(10:13)はこのことを理解する助けになります。
政治に関することを祈るときも、キリスト者でなければできないことは、政治家の背後にいるサタンに対する対処だろうと思います(エペソ6:12)。目に見えない世界なので、理解できない人たちからは理解してもらえないでしょうが。しかし、キリスト者(聖霊が内住している本当のキリスト者)が、携挙で天に引き上げられる(1テサロニケ4:16.17)とこの世は一気に悪魔化するのです(2テサロニケ2:6参考)。

 9-13節には、“それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。”(口語訳)と記されています。

 今度は、サタンは、詩篇91:11.12の「『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』」というおことばを用いてイエス様を試みてきました。
神様がご自身のみ旨に基づいて御使いに命じたときであればこの詩篇のみことばは実現するでしょう。
常に御父のみ旨を第一にするイエス様です。
サタンに対して、「主なるあなたの神を試みてはならない」というおことばを用いてサタンを退けたのです。

 イエス様は、申命記6:13の「あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、・・・なさい。」(新共同訳)、申命記6:18の「あなたがたの神、主を試みてはならない。」(新改訳)、申命記8:3の「・・・人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる・・」(新改訳)等のおことばを用いてサタンを退けたのです。

 パウロは、エペソ6:10-18に
“6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい
6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
6:14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
6:17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。”(新改訳)と記しています。
 主イエス様は、御子としてではなく、聖霊に満たされた人の子として、「御霊の与える神のことば」によってサタンを退けたのだと思います。イエス様が神の子としての権能をもってサタンを退けたとしたら、私たちの模範とはなりませんから。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたに従い、主イエスの御名と御霊が与えてくださるあなたのおことばによって、常にサタンに勝利していく者であらせてください。
イエス様の十字架と復活により、必ず勝利することが出来る時代にいかされておりますことを感謝します。
天においても地においても一切の権威を持っておられる主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
ハレルヤ!

2013年4月12日 (金)

1テサロニケ2:17-20 サタンは福音宣教の邪魔をする

1テサロニケ2:17-20
2:17兄弟たちよ。わたしたちは、しばらくの間、あなたがたから引き離されていたので――心においてではなく、からだだけではあるが――なおさら、あなたがたの顔を見たいと切にこいねがった。
2:18だから、わたしたちは、あなたがたの所に行こうとした。ことに、このパウロは、一再ならず行こうとしたのである。それだのに、わたしたちはサタンに妨げられた。
2:19実際、わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇の冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。
2:20あなたがたこそ、実にわたしたちのほまれであり、喜びである。 ”

 17.18節は、パウロがテサロニケの兄弟姉妹達に会いに来ないことに対して、パウロを非難中傷する人達がいたのかもしれないことをほのめかしています。
パウロは、テサロニケでは、伝道や兄弟姉妹達の霊的成長の手助けの働きを、短い期間しか行うことができませんでした。
そのいきさつは、使徒17:1-10に次のようにあります。
17:1一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。
17:2パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、
17:3キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。
17:4ある人たちは納得がいって、パウロとシラスにしたがった。その中には、信心深いギリシヤ人が多数あり、貴婦人たちも少なくなかった。
17:5ところが、ユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。それからヤソンの家を襲い、ふたりを民衆の前にひっぱり出そうと、しきりに捜した。
17:6しかし、ふたりが見つからないので、ヤソンと兄弟たち数人を、市の当局者のところに引きずって行き、叫んで言った、「天下をかき回してきたこの人たちが、ここにもはいり込んでいます。
17:7その人たちをヤソンが自分の家に迎え入れました。この連中は、みなカイザルの詔勅にそむいて行動し、イエスという別の王がいるなどと言っています」。
17:8これを聞いて、群衆と市の当局者は不安に感じた。
17:9そして、ヤソンやほかの者たちから、保証金を取った上、彼らを釈放した。
17:10そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。”

使徒17:2には、<三つの安息日に渡り>とありますから、15日間です。
17:5-7に、<ユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。それからヤソンの家を襲い、ふたり[パウロトシラス]を民衆の前にひっぱり出そうと、しきりに捜した。しかし、ふたりが見つからないので、ヤソンと兄弟たち数人を、市の当局者のところに引きずって行き、叫んで言った、「天下をかき回してきたこの人たちが、ここにもはいり込んでいます。その人たちをヤソンが自分の家に迎え入れました。この連中は、みなカイザルの詔勅にそむいて行動し、イエスという別の王がいるなどと言っています」。 とありますが、サタンは、福音が広まることに反対している人々を用いて暴動を起こし、暴行を働いています。
霊の世界の分からない人達は、サタンを認めません。ですから、容易にサタンに騙されます。
キリスト者は、目の前に見える反対者、迫害者に対して戦いを挑むのではなく、目には見えないけれども実在しているサタンとその配下の悪霊と戦うのです。
そのことについてパウロはエペソ6:10-18で次のように述べています。
6:10最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
6:11悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
6:12わたしたちの戦いは、血肉[人間]に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである
6:13それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
6:14すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、
6:15平和の福音の備えを足にはき、
6:16その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
6:17また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
6:18絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。”

 キリストの支配下にない人は、サタンの支配下にあることが普通のことなので、サタンの支配下にあることに気がつきません。
サタンは、キリストの支配下にある人の歩みを邪魔します。ですから、キリスト者がみことばに従っていこうとするとき、サタンは邪魔するのです。サタンが持ってくるのは、迫害だけではありません。肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢に訴えて来たり、病をもってきたり、家庭内騒動、教会内騒動、等々、色々持ってきます。しかし、それらの原因がすべてサタンからというわけではありません。キリスト者の肉からということも多々あります。
サタンの働きを見分けて主にあって[in Christ]勝利していく必要があります。
やがてもたらされるキリストの千年王国(黙示録20:1-7)の間は、サタンは地獄に閉じ込められますが、サタンが最終的に永遠の火の池(黙示録2:10)に入れられるまでは活動を完全に止められてはいないからです。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
サタンの策略を見極め、サタンに足をすくわれない様に、主にあってサタンに勝利し常に前進していく者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン。

2013年3月26日 (火)

2コリント11:13-15 サタンの変装

2コリント11:13-15
“11:13 こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。
11:14 しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。
11:15 ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。”

 この箇所で教えて頂けることは、サタンは、光の御使いに変装するということです。
そして、サタンの手下共も同じように義のしもべ即ち神の働き人に変装することがあるということです。
悪しき霊は、人の体に入り込みます。しかし、悪しき霊が入り込めるような心の状態になったり、呼び込んだりしなければ悪しき霊は入れません。

 サタンとは、「敵対者」という意味です。神に敵対するものなのです。
聖書では、サタンに対して色々な名前が使われています。
「なじる者」と訳されるときもあります。(詩編109:6)
「悪魔」(マタイ4:1、ヨハネ8:44、使徒10:38etc.)
「試みる者」(マタイ4:3)
「誘惑者」(1テサロニケ3:5)
「悪い者」(マタイ13:19)
「敵」(マタイ13:19、ルカ10:19)
「悪霊どものかしら」(マタイ9:34、マルコ3:22)
「ベルゼブル」(マルコ3:22、マタイ10:25)
「この世を支配する者」(ヨハネ12:31)
「空中の権威をもつ支配者」(エペソ2:2)
「告発者」(黙示録12:10)
「光の御使いに変装した者」(2コリント11:14)

 サタンは、神に敵対し、神の計画を台無しにしようと日夜活動しています。さらに、サタンの配下の悪霊たちの数は数え切れないほどです。
この世の終りに登場する世界統治者即ち反キリスト・にせキリスト・獣と呼ばれる人物は、サタンから与えられた権威と力とを帯びるのです。あるときはキリストに似たようなことを言い、あるときは破壊者であり、偽りに満ちています。

 サタンは、キリスト者に対しては、信仰を落とさせるように、それがだめなら霊的に眠らせておくように、それもかなわなければ伝道させないようにと誘惑したり、迫害したり、祈れなくさせたり、聖書を読めなくさせたり、主に在って積極的に歩んでいけないように妨害します。しかし、主イエス様は、サタンの働きを通して、キリスト者を訓練し、信仰的にたくましくし、信仰から信仰へと成長させ、神の恵み深さを教えて下さいます。
健全な信仰生活を送っている者にとって、サタンは踏み台とされ、成長の肥料とされているのです。

 コリント教会の人達の中で、パウロの言うことを受け入れ、真理にしっかりと立った人たちは、トラブルがあった以前よりも信仰がしっかりしたことでしょう。

<お祈り>
天のお父様
サタンは色々なことをしてきますが、それを見破り、主の御名によってサタンを撃退しつつ歩んでいけますように。主はそのことを可能にして下さっておられますから感謝します。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

2012年7月24日 (火)

悪しき霊との対決10

駅で包丁「飛んで来た」三ノ宮
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2091285&media_id=4

という記事に触れましたので、また、思い出しました。
今日の内容は、以前にも書いたことがありますから、読んだ記憶のある方もいるともいます。

だいぶ以前のことですが、Oさんという女性が訪ねてきました。

精神科に通院しているとのことです。

しかし、良くならないのです。

「道の真ん中で土下座しろ」
とか
「母親に向かって包丁を投げろ」
というようなどすの利いた男の人の声が命令してくるとやらざるを得なくなるというのです。
本人は、やりたくないのだと言います。

この方は、精神科の治療を受けていてもこれらのことはうまくいかなかったのです。

私は、悪霊によるものだと思いその方の許可を取ってお祈りをしました。

すっきりした。と言います。

自分で主イエスを求めなくてはいけない旨を話しました。

この方は、自分でも主イエス様を求めました。

顔の表情が普通になりました。

その後引っ越してしまったので、現在はどのようであるのかはわかりませんが、引っ越してしばらくの間は、時に、訪ねてこられました。

聖書の中のマタイの福音書12:43-45において、イエス様は、悪霊が排除された後イエス様を受け入れないと大変ですよ。ということを教えてくれています。
“汚れた霊が人から出ていって、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。そこで、『出てきた自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家は空いていて、掃除してきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪い霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住み着くのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。”(マタイ12:43-45)

イエス様がマタイ12:43-45で教えてくださったようになってしまった女性もおりました。
どうしてもイエス様を受け入れることを拒んだのです。
その夜中、路上で大声でわめき散らすので、結局、警察の御厄介になったと、後になって聞きました。

2012年7月22日 (日)

悪しき霊との対決9

教会に行っていたけれども行きたくなくなってしまったということはないでしょうか。

そのようなことのない人はまれでしょう。

キリストによって救われて、初めのうちは喜んで通っていた教会も、教会に来ている他の人との軋轢や、献金が嫌だったり、家人に反対されたりとかで行くのを躊躇し、その内行けなくなってしまうのです。

しかし、聖書は次のように語っています。“ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。”(ヘブル10:25)

もう少し高級なタイプの中には、聖書と異なっていることを語っているということで教会に行かなくなってしまいます。これは素晴らしいことかもしれません。その場合には、正しくみことばが語られている教会、語っている人に御霊の実が見られる教会を探して集われた方が良いかもしれません。

何故キリスト者の集まりが必要なのでしょうか。
多くの理由がありますが、その最低限のこととしてはサタンの餌食にならないためです。“あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。”(1ペテロ5:8)と聖書に書かれています。

もっとレベルの高い理由もあります。

中には、語られていることは正しいけれども、語っている人の言動を受け入れることができないという場合もあるでしょう。
その場合は、どうしたらよいのでしょうか?二通りあると思いますが、その内の一つは、次のように語られたイエス様のおことばが参考になるかもしれません。“そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。”(マタイ23:1-3)
ようするに、語られている御ことばは正しいのだから守りなさい、しかし、行いをまねしてはいけませんよ。ということです。

もし、一人でいても益々信仰に進み、主との豊かな交わりがある人であれば、その方は、主に宣教師のように遣わされている人なのかもしれません。主の導きを正しく捉えて、キリストにある者の集まりを作っていくように召されているのかもしれません。

サタンは、キリスト者を孤立させ、信仰を奪い取り、主のもとへ行けないようにし、自分〔サタン〕とともに地獄に引きずり込もうとするのです。

教会には、自分に合わない人もいます。神様は、そのようにしているのです。
聖書は言います。“鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。”(箴言27:17)
常に主イエスに向いているならば、人間関係を通して、自分の至らなさを示され、主によってきよめられていくのです。聖書には次のように書いてあります。“すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。”(ヘブル 12:14 )

一応、キリストによって新しく生まれさせて頂いているキリスト者たちがいる集まりの場〔エクレシア・教会〕ならば、そこに集いたくなくなった時は、サタンの関与も考えてみる必要があります。罪を示された場合は悔い改め、そうでない場合はサタンを主の御名によって追い払いましょう。

2012年7月21日 (土)

悪しき霊との対決8

“絶えず祈りなさい。”(1テサロニケ5:17)と神様は命じておられます。

祈れなくさせる原因は、自分の肉と罪とサタンだと思います。

肉は、当然ですが天上のことよりも肉的なことを選びます。罪は、神様に向かうことができなくさせます。

サタンは祈る気持ちを取り去ります。

肉的でもなく、さして罪も思い浮かばないのにどうも祈れない、というときはサタンによるのです。サタンは、キリスト者が神様と親しい交わりを保つことを非常に嫌います。そして、邪魔をしてきます。祈り始めると、あのことこのことが思い出されたり、あれをしなくては、これをしなくては、という思いが沸き起こって来て祈りに集中できなくなったりすることがあります。
実は、思いが自分から沸き起こるように感じますが、このようなとき、サタンがそのような思いを心に入れてくることがあるのです。

そのようなときは、「私の祈りを妨げようとしているサタンよ、主イエスの御名によって命じる。私から離れされ。主イエス様、御霊によって祈ることを得させてください。」と祈る必要があります。
私は、幾度もこのように祈ったことがあります。そうすると、スーッと気持ち良く祈れるのです。

“すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず〔霊的に〕目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。”(エペソ6:18)

2012年7月20日 (金)

悪しき霊との対決7

あるクリスチャンのご夫妻がいました。
その方々は、奥様のクリスチャン嫌いのお父様から毎日のように理不尽な要求を突き付けられていました。
奥様は、ご主人との間に入って心を痛めておりました。

そのことがとてもつらいので、ご相談に来られました。

話を色々聞いているうちに、これは悪霊がお父様を動かしているという感覚が働きました。
そこで、その奥様に、ご主人が嫌がらせを受けているときに、悩んでいないで、悪霊を退散させて頂くよう主イエスに願いなさい、と申し上げました。

後日の報告で、明るい笑顔で、今までとは違ったことを聞きました。嫌がらせは、すぐに止んだのです。

主の御名を崇めます。

2012年7月19日 (木)

悪しき霊との対決6

Yさんは、イエス様が大好きで、教会で賛美するのが大好きです。
ただ、礼拝中に急に静かにしていられなくなったりするのです。
そこで、この状態のようなときは、礼拝を遠慮してほしい、といわれてしまいました。
本人は、そのようなとき、騒ぎださないように、必死になってタオルを噛みしめているというのです。
今まで、その人の母親は、そのようなとき、「我慢するように。静かにするように。」と言ってきました。
私は、その話を聞かされたとき、悪霊が、Yさんを用いて、礼拝に参加している人達の邪魔をし、その家族を礼拝から締め出し、主イエス様から引き離される人達を増やそうとしていると直感しました。

そこでそのご家族に、次の礼拝から、Yさんがそのようになったら、Yさんを注意するのではなく、すぐに主イエスの御名によって悪霊を退散させるように命じ、主にお祈りしなさい。と言いました。

Yさんがタオルを噛みしめなければならないようになったとき、早速実行してくださいました。
ご家族がYさんに注意しなくても、悪霊が退散するように主の御名によって命じると、Yさんは静かに礼拝できるようになりました。

Yさんもご家族も助かったのです。まさに主のお陰です。

ここにおけるサタンの目的は、礼拝の撹乱と信仰者の信仰の脱落です。

しかし、神様は、そのようなことをサタンに許されることによって、この御家族の信仰は成長し、サタンの存在は確かなものであるということを体験させてしまったのです。

サタンは、キリスト者に悪を為そうとして、信仰の成長の為の踏み台にされたのでした。

ただ、注意すべきことは、これに勝利したからといって、サタンを甘く見てはいけないということです。また、違った方法で懲りることなく挑戦してきます。

“しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。”(聖書・ローマ8:37)

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